WWE

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WWE: WWE, Inc.World Wrestling Entertainment)は、アメリカ合衆国プロレス団体及び興行会社

1979年3月1日以前はWWWF: World Wide Wrestling Federation)、2002年5月6日以前はWWF: World Wrestling Federation)という名称であったが、まったく同じ略称の World Wide Fund For Nature世界自然保護基金)に名称の改変を求める訴訟を起こされて敗訴してWWEに改めた[1](ちなみに近年販売されているオフィシャルなDVD等においては過去の映像の中で「WWF」の語が発せられた場合は全て「WWE」と訳出されている。マークやロゴの場合はぼかしなどで修正していた)。2012年に世界自然保護基金との交渉により映像や音声の修正無しでの過去の映像の使用が可能になった。ちなみに設立当初の WWWFの読みは「スリー・ダブリュー・エフ」である。

1999年より株式を公開(当初はNASDAQ、現在はニューヨーク証券取引所)しているが株式の約8割をオーナーであるマクマホン・ファミリーと関係者で保持しているために会社の経営権は不動となっている。なお取引所内で使われる証券コードもWWEである[2]

歴史

WWWF設立以前

ビンス・マクマホン(ビンセント・ケネディ・マクマホン)の祖父のロドリック・ジェス・マクマホン1925年からニューヨークのMSG(マディソン・スクエア・ガーデン)を拠点としてプロレスボクシングの興行を行っていたプロモーターだった。第二次世界大戦前後の一時期はMSGがプロレスの興行を行っていなかったためにワシントンD.C.を中心に活動。1954年の彼の死後は息子でビンス・マクマホンの父、ビンス・マクマホン・シニア(ビンセント・ジェームス・マクマホン)が興行会社のキャピトル・レスリング・コーポレーションCapitol Wrestling Corporation)を引継ぎ、1956年からMSGに再進出。激戦区ニューヨークで唯一MSGのプロレス興行権を獲得した。アントニオ・ロッカバディ・ロジャースをメインイベンターとして興行を行い、格闘技・プロレスの殿堂と呼ばれるMSGの伝統を引き継いだ。1948年に発足したNWANational Wrestling Alliance)にも加盟して大物プロモーターとして大きな発言権を得た。

WWWF設立、WWF改称

1963年、ビンス・マクマホン・シニアは1月に起きた自派のバディ・ロジャースからサム・マソニック派のルー・テーズへのNWA王座の移動を認めず、3月に試験的に新団体WWWA(World Wide Wrestling Association)を、5月にはNWAを脱退してWWWFWorld Wide Wrestling Federation)を設立する。同時にロジャースを初代WWWF王者に認定して5月14日にロジャースを破って王者となったイタリア系のブルーノ・サンマルチノを新団体の絶対的な主人公とした。NWA再加盟後の1970年代前半にはプエルトリコ系のペドロ・モラレス、中頃には再びサンマルチノからスーパースター・ビリー・グラハムへ、1970年代終盤から1980年代前半にかけてはボブ・バックランドへと王座と主人公の座が移っていった。当時のアメリカプロレス界は北部のAWAAmerican Wrestling Association)、東部のWWWF、南西部のNWA加盟団体を中心に、各地区のプロモーターが暗黙の不可侵条約を結んでいた時代であり、WWWF所属だったアンドレ・ザ・ジャイアントが各地にゲスト出場して親善大使的な役割を務めた。1979年3月、団体名をWWFWorld Wrestling Federation)に改称。1982年6月、大学を卒業後リングアナウンサーやプロモーターをしていたビンス・マクマホンと妻リンダが不仲であったマクマホン・シニアからWWFの親会社キャピトル・レスリング・コーポレーションを譲渡ではなく株式の買収という形で手に入れて、新会社タイタン・スポーツTitan Sports, Inc.)を設立。

1984年以降、WrestleMania時代

ビンス・マクマホンはWWFの全米進出によるプロレス界の統一を計画、当時AWAに在籍していたハルク・ホーガンを筆頭に、1983年からロディ・パイパーポール・オーンドーフなど各地の有力選手を次々と引き抜いた。テレビ局からNWAの試合を放送していた枠の放送権を買い取ると、同年12月27日、いきなりNWAの本部が置かれていたセントルイスで興行を行った。以降も次々と他団体へのM&Aや同様のケーブルテレビ番組を利用した中継等により事業を大幅に拡大。この一連の侵略行為は旧来のプロモーターから同名の有名SF小説に準えて「1984」と呼ばれた。

1985年には歌手のシンディ・ローパーやホーガンと共に、ロッキー3にも出演したアクションスターミスター・TMTVのプロレス特番に出演させ注目を集めると、同年3月19日ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンWrestleManiaを開催。ローパーの他にも元ニューヨーク・ヤンキース監督のビリー・マーチンや元ボクシング世界王者のモハメド・アリ、ショー・ピアニストリベラーチェらを招き、ホーガンやミスター・Tをメインで戦わせたこのイベントは約2万人の観客を集め、プロレスイベントとしては異例の400万ドルの興行収益をあげた。全米がホーガンを中心としたプロレス・ブームに沸き、この現象はマスコミから「レスリング・ルネッサンス」と称された。さらに2年後のWrestleMania IIIではメインにホーガンvsアンドレ戦を組んでデトロイトのシルバードームに9万3173人の観衆を集め、全米マット界での圧倒的な人気を証明してみせた。

ホーガンがプロレスの現場から離れがちになった1988年から1992年頃はランディ・サベージアルティメット・ウォリアーシッド・ジャスティスジ・アンダーテイカーらが団体の主役の座を担った。また旧NWAから誕生したWCW (World Championship Wrestling) の絶対王者リック・フレアーの電撃移籍といった事件もあった。

この頃、会社全体でのステロイド剤流通への関与、それに伴うレスラーたちのステロイド剤使用疑惑が発覚、FBIによる捜査が行われるまでの事件に発展して裁判は数年続き、被告としてビンスが出廷する事態となったが最終的には証拠不十分により、無罪判決に落ち着いた。だがこの事件の影響は大きく、団体に溢れていたスーパーヘビー級の「筋肉マン」タイプの選手たちは一気にフェードアウトしていく。代わって主役の座を手にしたのは技巧派で体型もナチュラルな"ヒットマン" ブレット・ハートだった。

1993年には「MONDAY NIGHT RAW」(後に「RAW IS WAR」「RAW」と改称)の放送を開始。ディーゼルレイザー・ラモンショーン・マイケルズらが台頭してブレットなどと共にニュー・ジェネレーションと呼ばれた。一方、ホーガン、サベージなどかつての団体のスター選手たちの多くはWCWへと移籍してWCWは徐々にWWFに対抗するほどの人気を獲得していった。

Monday Night Wars、アティテュード時代

1995年9月4日エリック・ビショフが副社長に就任したWCW(オーナーはテッド・ターナー)が「MONDAY NIGHT RAW」の裏番組として「MONDAY NITRO」の放送を開始、両番組の視聴率争いが始まった。WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。これを引き金とし、「月曜夜の視聴率戦争Monday night wars)」と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。

一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きやnWoというユニットの大ヒット、無敵のスーパースタービル・ゴールドバーグの大ブレイクなどでWCWがリードし、1996年6月10日から1998年4月13日まで実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回った。それに対しWWFは1997年以降、D-Xに代表される悪ふざけやお色気の要素を取り入れたアティテュードAttitude、態度・感性という意味だが元々不愉快な、ケンカ腰の態度といった意味合いを持つ)路線に切り替え、団体オーナーのビンス・マクマホンとストーン・コールド・スティーブ・オースチンとの抗争で人気を逆転させた(1998年4月13日に二人の初めての直接対決が組まれていた)。

なお1998年後半、格闘技色を前面に押し出した「Brawl For All」なる企画も展開していたことがある(優勝はバート・ガン)。無論、この企画は大失敗に終わり、「WWEの負の歴史」とも一部では呼ばれている(ブラッドショーが決勝戦まで進出していたり、控え室にいたスーパースター達には好評だったらしい)。

プロレス史に残る抗争と呼ばれるオースチンvsマクマホン抗争に加え、WWFはジ・アンダーテイカーショーン・マイケルズのライバルとしても活躍したマンカインドがその「自虐的」とも評されるハードコア・スタイルでカルト的な人気を集める。マイケルズは1998年に一時引退するものの、マンカインドとの連戦を通して若手のザ・ロックトリプルHが次代の主役の座を掴み一気にスターダムに駆け上った。二人はすぐにオースチンと肩を並べるまでになり、WWFのストーリーはこの三人を中心として動いていく。そこに元オリンピック金メダリストから転身したカート・アングル、WCWから移籍したビッグ・ショークリス・ジェリコクリス・ベノワらが絡むようになる。1999年夏からはSmack Downの放送も開始、WWFの優位が徐々に確立されていった。

1999年頃からWCWはストーリーラインの迷走から視聴率が急低下し、もともと組織の統制が取れていなかったこともあり内部崩壊。奥の手としてWWFの脚本を書いていた放送作家ビンス・ルッソーを引き抜くが、それは状況をさらに混沌とさせた。一時期失脚していたビショフが復権するも状況を好転させることはできなかった。2001年1月、第三団体だったECWが経営難から活動停止・破産し、WWFはECWの全ての権利を買い上げ債権を回収。同年3月23日、莫大な赤字を計上して経営破綻したWCWをも買収した。これによって「Monday night war」も終結し、米マット界は事実上WWFの独占状態となった。

Monday night warsが繰り広げられた1990年代後半は全米で空前のプロレスブームが起きた。街中にプロレスTシャツを着た人が溢れかえったという逸話もある。しかしこの抗争の間には「モントリオール事件」やオーエン・ハートの事故死など、いくつもの後味の悪い事件も起こっている。

「WCWオーナー」とされたシェイン・マクマホンを中心に、WWFに合流した旧WCW、ECWの選手たちによってWCW・ECW連合軍(アライアンス)が結成されるも、この抗争はWCWの中核選手不在により振るわずフェードアウトしていく。

11月18日ダッドリー・ボーイズによりWWFタッグ王座とWCWタッグ王座が統一(初の同時王者はジ・アンダーテイカー&ケイン)、12月9日にはクリス・ジェリコによってWWF王座とWCW王座が統一され、WWF統一王座が誕生した。

WWE時代

WCW、ECWといった競争相手買収後は、競争相手不在によりWWE自体の観客動員や視聴率で苦戦したり、一回り小さいアリーナを使うことが増えた時期もあった。2002年には長年にわたるWWF(世界自然保護基金)との名称を巡る裁判に敗れ、5月6日団体名をWWEへと改称[1][3](公式発表では「よりエンターテイメントを追求するための改称」とされる[3])。ささやかな抵抗として「Get the "F" out(Fなんかいらない)」キャンペーンを展開した[3]。同時に親会社タイタン・スポーツの名称もWWEに統一した。

2001年末には団体の共同オーナー(シェインステファニーから団体の株式50%を購入した、という設定)としてリック・フレアーが、2002年WrestleMania X8前にはnWoのメンバーとしてハルク・ホーガンがWWEに復帰、ストーリー上重要な登場人物となる。元WCW、ECWのレスラーを多く雇用し、ストーリーが賄いきれなくなったことから3月25日に開催されたRAWでビンスGMのSmack Down、リック・フレアーGMのRAWの間でドラフトを開催。両オーナーがスーパースターを一人ずつ(場合によっては1組)ずつ指名していき、それぞれの番組の専属スーパースターとさせることとなった。これ以降、RAWとSmack Downは別ブランドとしてストーリーを進行させていくことになった。

時を同じくして、団体の象徴であったオースチンが怪我により事実上の引退、ザ・ロックも映画俳優に転向を計画しリング上から離れがちになり、RAWではトリプルHを中心とした王座戦線を展開。2003年3月には、かつてのライバルWCWの最大のスターだったゴールドバーグをついに獲得したが、90年代後半のようなプロレスブームの再燃にはならなかった。ゴールドバーグは世界ヘビー級王座を獲得するも2004年の3月には引退。

その中でランディ・オートンバティスタエッジ等の有望な世代が成長し新たなメインイベンターとなる。Smack Downではレスリング出身のブロック・レスナーが史上最年少でWWE王座を獲得する等大いに期待されたが、NFL挑戦のために退団。その後はWWE王座に縁の無かったエディ・ゲレロJBLがWWE王座を獲得。ジ・アンダーテイカーカート・アングルビッグ・ショーレイ・ミステリオ等のベテランも活躍し、王座戦線を盛り上げた。D-ジェネレーションXの復活もまた往年のファンを楽しませ、新しいファンの獲得に一役買った。そんな中、抜群のレスリングセンスとカリスマ性があるランディ・オートンに、女性や子供に人気のあるジョン・シナが徐々にメインイベンターへと上り詰めた。クリス・ジェリコケインらはその安定した実力をもってして脇を固めるなどし、便利屋のポジションから大いにこの時期を支えた。後に最高位の王座前線に参戦している。

2004年という年はオートン、シナ、エッジ、バティスタ等新世代の時代が始まりの年となった。この4人以外にもカリート、Mr.ケネディ、MVP等の若手がとデビューしている。それと時を同じくして、選手の出入りのペースが早まるようにもなった。

現在

アティテュード時代の雄であるオースチンらは特別な回にしか登場しないが、オートン、シナ、エッジ、バティスタ等の新世代が主力となり、90年代から出場しているトリプルH、アンダーテイカー、ショーン・マイケルズ等のベテランの力を借りながら世代交代を着実に進めている。その裏で、ブッカー・Tカート・アングル等トップレスラーの大量離脱やレスラーのドラッグ使用等の課題も多く存在している。また、2005年エディ・ゲレロ2007年クリス・ベノワの死去はWWEに大きなショックを与えた。タフイナフディーヴァサーチといった育成番組出身のミシェル・マクールザ・ミズジョン・モリソンが新たな番組の中心スターとして活躍し、FCW出身者やCMパンクエヴァン・ボーンダニエル・ブライアンなどのインディー団体出身者を活用、アルベルト・デル・リオのような格闘技出身者も登場している。シェイマス(アイルランド)、ウェイド・バレット(イングランド)など英国圏出身のスーパースターの台頭も著しい。また、コーディ・ローデステッド・デビアス・ジュニアマイケル・マクギリカティハスキー・ハリスウーソズナタリヤタミーナなど80年代〜90年代のWWFを支えたレスラーの血を引く若手スーパースターが数多く在籍し、この時代を支えてきた。

2006年にはWWE Filmsを設立し、第1回作品「シー・ノー・イーヴル 肉鉤のいけにえ」を公開。映画製作に乗り出した。

2009年4月からはブランド共通で選手が登場するWWE Superstarsが、2010年2月からは新人育成番組NXTの放送を開始した。

2011年4月より、社名を「World Wrestling Entertainment」から「WWE, Inc.」に変更し、それまで「World Wrestling Entertainment」で扱われていたブランド名も全て「WWE」に統一されることになった[4]。各種テレビ番組の開発推進と共に、タレント開発部門(部門統括にはトリプルHが就任)を発足させている。

2011年8月29日、RAWとSmackDownの番組としてのブランドは残しつつ、ストーリーの共通化とスーパースターの両番組への出演の柔軟化(以降ほぼ無制限に両番組に出演できるようになった)が発表され、実質的にRAWとSmackDownの再統合がなされた。各スーパースターは、その後しばらくの間はいずれかのブランドに所属していたが、後述する2016年のドラフトまで、所属ブランドという概念も無くなり、全て共通してWWE所属という扱いになっていた。 タイトルも全てWWE管理に統一され、2013年12月15日にはこれまで最高位として存在していた世界ヘビー級王座が廃止、統合された。それまで、各ブランド独自に主催していたハウス・ショーにもブランドに関係なく全てのスーパースターが出演する様になった。

2012年、WWE下部団体であったFCWと新人発掘番組のNXTが統合され、NXT Wrestlingとして始動。フロリダ州に位置するフルセイル大学を会場とし、数回分の収録をまとめて撮影し放送する体制を取っている。2013年にNXTと改称された。

2014年、インターネットを介して視聴可能な有料の24時間ストリーミングビデオサービス(WWE Network)を2014年2月24日から開始すると発表した。↵PPVを含む全試合のライブ中継、WWEが放映権を持つ過去の映像(WCWやECWも含む)、テレビ放映時にはカットされるような試合前後のレスラー達の動き、独自番組などをオンデマンド配信する。↵まずは北米でサービスを開始し、英語圏の国を中心にサービスを広げており、日本では2016年1月5日からサービス開始となった(ただし日本語字幕はなし)。

2016年7月19日、RAWとSmackDownの再分割が行われる。また、その際に各スーパースター選手の所属ブランド移籍を決めるドラフトが再始動されることになり、2017年以降はスーパースターシェイクアップという名で続いている。

各番組ブランドは2017年現在WWE・NXTゼネラルマネージャーであるウィリアム・リーガルによると「RAWは娯楽番組」と「SmackDownは娯楽を含むレスリング番組」、「NXTはレスリング番組」という色分けがなされている[5]

ECW復活の余波

2006年、Monday Night War時代にハードコア路線でWWF、WCWと興行戦争を行っていたECWがWWE傘下で復活することが決定。2004年に発売されたDVDの売り上げが好調だったのを受けて2005年に開催されたECW One Night Stand以降、ECW人気が再燃したこともあり、6月13日からはレギュラー放送も開始された。Monday Night War時代にECWを率いていたポール・ヘイマンが番組の指揮を執り、ロブ・ヴァン・ダム(RVD)、サブゥーサンドマン等1990年代の旧ECWの人気選手が参戦したこともあり大きく注目された。しかし、番組復活直後からかつてEC"Fuckin'"Wと評された頃の過激なECWとはまるで違った団体となってしまったことが露呈。旧ECWの名タッグであったダッドリー・ボーイズライノレイヴェンがTNA移籍のため参戦不可となり、人材不足からてこ入れとして旧ECWとは関係の無かったボビー・ラシュリー、ビッグ・ショー、テストCMパンク等をメインイベンターとして起用せざるを得なくなる。こういった旧ECWとは関係のないレスラーの起用が旧ECWファンの違和感を誘発させた。エクストリームルールの試合もたまにしか行なわれず、NXTに切り替わる間際の2009年頃にはWWEに初登場する新人のためのデビューの場として、ほとんど若手育成のための番組となってしまい、ある程度芽が出てくるとRAWやSmack Downへ移籍することが多かった(CMパンク、コフィ・キングストンエヴァン・ボーンなど)

アメリカにおける他の団体との関係

現在米マット界で独占状態になっているWWEに対抗しうる団体はGFWGlobal Force Wrestling)、ROHRing Of Honor)などがある。

団体同士の直接の交流は存在しないが、他の団体に移籍した選手が移籍といった形で移動するのは珍しくない。ジェフ・ハーディーやクリスチャンのように退団、移籍を繰り返す選手やダニエル・ブライアン、CMパンクといったROHの元世界王者もWWEに登場している。しかしながら、GFWがTNATotal Nonstop Action Wrestling)として活動していた時代は、対WWE色を強くしていたためにTNAと契約した選手に対して対応を厳しくし、逆にTNAと契約しなければWWEは出戻りに対して寛容であった。

ROHに関してはGFWのような敵対関係はなく、CMパンクやブライアンのROH時代の映像や写真の提供、WWEによる取材の受け入れるなど友好的な関係を築いている模様。

2016年、所属団体の枠を超えたクルーザー級のトーナメントであるCWC(Cruiserweight Classic)を開催。

2017年、CWCの女子レスラー版といえるトーナメント、メイ・ヤング・クラシックを開催。

特徴

スタイル

プロレス団体としてのスタイルは、完全にドラマ仕立てのショープロレスで、試合における技の美しさや流れよりも、ストーリーの流れの方が注目されることが多い。しかし試合そのものはプロレスの基本に忠実な正統な展開を好み、あまり大技を使わずに試合を構成できる実力派の選手も多い。一方では凶器有りのデスマッチを得意とする者もおり、単にストーリーだけの団体ではない。

WWEが株式上場する以前は、「シナリオなど存在しない」という建前であったが、株式上場の際、事業内容を公開するにあたってシナリオ(アングル)の存在を公式に認めた。

アングルには下品、流血、色気、暴力、犯罪等ありとあらゆる悪徳が採用されており、当然そのような描写を嫌う人も多く、攻撃されることもあるが、それも肥やしにしてしまう強さがある。しかしながら、2000年以降圧力団体のクレームから過激な暴力描写を抑制せざるをえない状況にある。例えば、鉄柱、実況席を使った攻防、イス攻撃や試合外での襲撃シーンその他過激なシーンに自主規制を加えるようになっている。

近年は特に過激路線からの方向転換が顕著で、テレビ番組のレーティングをPG(映画のレイティングシステム参照)に引き下げるなどファミリー路線への転換を狙っているようである。この影響で現在ブラ&パンティマッチなどを放送することはできなくなっている。これによりストーリーも以前のような過激なものではなくなった。

ちなみに過去にファミリー路線への変換を狙ったときは途中でWCWに追い抜かれ、結果としてストーンコールドなどを中心とするアティテュード路線に変更した。

WWEにおいて特徴的なのは、時々経営者一族(マクマホン一家)がシナリオに絡むことであり、彼等が登場することで、スーパースター達のみの興行より盛り上がることである。ビンスはレスラーではないが60歳を超えたにもかかわらず鍛え上げた身体でスーパースター達と抗争を繰り返し、息子のシェインは10m以上の高さからのダイビングを得意としている。娘のステファニーに至っては自身の豊胸手術までもが番組のネタとされてしまったことがある。妻のリンダCEOの地位にありながら、設定上夫の浮気に傷つき精神障害に陥ったふりをしたり、ケインからツームストーン・パイルドライバーを受けたりしている。

WWEで用いられる名称もまた特徴的で、プロレスリングという言葉は一切使われず、「スポーツ・エンターテイメント」という用語が使われる(シナリオの流れは「ソープオペラ(昼ドラマ)」のような、と表現されることが多い)。同様にレスラー達の呼称は男子レスラーが「スーパースター」、女子レスラーが「ディーヴァ」(マネージャーからレスリングまで幅広い活動を行う)に統一されており、プロレスラーという単語は使われない。また、レスリングビジネスに関しても「この業界」(This business)と表現し、レスリングとは別のものであることをアピールしている。観客・ファン・視聴者などを示すものとして「WWEユニバース」という名称が用いられている他、ハルカマニア(ハルク・ホーガン)、ジェリカホリック(クリス・ジェリコ)、エッジヘッド(エッジ)、ピープス(クリスチャン)など特定のスーパースターのファンを指す呼称が存在する。

主役級のスーパースターは善玉(ベビーフェイス)と悪玉(ヒール)がはっきりと色分けされており、悪玉は観客、地域について罵詈雑言を浴びせ、観客はそれに対してブーイングで応えることを楽しんでいるが、アングルにより、ある日突然役割が入れ替わることも珍しくない。しかし最近ではWWE側がベビーフェイスと設定しプッシュの割に至らない所があるスーパースターにブーイングを浴びせることもある(ジョン・シナなど)。

登場するスーパースターはレスリングの元金メダリストや義足のスーパースター、また近年デビューするスーパースターは有名レスラーの息子、孫等の二世、三世のスーパースターが増加傾向にある。[6]など、多彩である。しかし生存競争は激しく、怪我による長期休場や他団体による引き抜き、また人気がなくなると二軍落ちや解雇となり出場そのものができなくなる等、長期間連続で出演できるスーパースターは少ない。また、一部のレスラーの暴走を許したことで運営に大きな支障をきたしたWCWの教訓を生かし、たとえトップレスラーであろうともバックステージでの態度に問題があれば厳しい措置をとっている(ランディ・オートンレイ・ミステリオなど)。

近年はアメリカやヨーロッパだけに留まらず、アジア諸国(日本・韓国上海フィリピンシンガポールカタール等)や中南米での興行も多く組まれている。ヨーロッパや北米でのWWE人気は高く、特にイタリアメキシコではその人気が急速に高まっている。2012年の2月には初のドバイ大会[7]、4月にも初のロシア大会を開催し[8]、海外進出には積極的になってきている。

海外においては90年代前半はイギリスでの人気が高く、サマースラム92年大会では約8万人の大観衆を集めた。03~05年には日本人レスラーがクルーザー級を主力に複数名所属し、テレビ東京で地上波放送されていたこともありライト層のファンを多く獲得、2005年2月にはアジア初のTV収録公演をさいたまスーパーアリーナで開催している。近年は視聴率やPPV市場において北米が減少傾向にあるのに対して、海外でのPPV販売数は上昇しており、特にメキシコではWWEの番組は高視聴率を獲得しつつ、PPV市場においても急成長している。この様なメキシコや中南米の国々の人気もあって、2010年頃からヒスパニック系レスラーの獲得に注力し始め、2011年にはアルベルト・デル・リオがメキシコ人レスラーとして初の世界王者となった。同年にはメキシコの国民的英雄ともいわれるミスティコがシン・カラのリングネームでWWEデビューをしている。10月にはメキシコで初のTV収録公演を行った。これらの国以外ではプエルトリコやイタリア、フランスでもTV収録を行ったことがある。

また、WWEフィルムズという映画会社を設立して、所属選手を主演にハリウッド映画界に進出したり、CDを発売したりなど、かつてのようにレスリング以外での活動もよく見受けられる。

政治に関する活動など

ファイル:WWE autographs in Iraq 1.JPG
スーパースターズによる2009年のイラク慰問(左手前からビンス・マクマホン、R・トゥルース、レイ・ミステリオ)
ファイル:WWE Stars in Iraq 2003.jpg
2003年のイラク慰問興行

WWEのスーパースター達の社会的地位は高く、大統領選の応援演説にレスラーが駆り出されたりする。また、WWE自体が社会貢献のために軍の慰問や投票率アップキャンペーン等に積極的に協力している。

政治思想的には共和党支持を掲げており極右色が強く、アメリカのイラク攻撃に賛同し、アメリカ軍の駐屯地へ赴き慰問興行も行っている。アメリカに敵対する国に対する当てつけとして、その国に倣ったギミックの選手がヒールとして登場することも多い。湾岸戦争の際はサージェント・スローターフセインの友人というギミックで登場し、イラク戦争の際にはイラク攻撃に反対したフランスに対する当てつけとして反米フランス人ギミックのラ・レジスタンスが登場し、数年後には同時多発テロ以降差別に苦しむアラブ系アメリカ人のモハメド・ハッサンが登場した。ただしこの手のギミックはアメリカではファンの憎悪を集めるが、反米感情の強い国ではある種、正論とも取れるため人気を獲得し難い。一方リンダ・マクマホンがイラク戦争に当初から個人的に反対していたり、反米ユニットが番組内のディベートで事実上勝利してしまう(結局はうやむやになるが)など経営陣は決して一枚岩ではないことが伺え、どちらかといえばビジネスのため政治思想をはっきりさせる、というのが実情のようである。

なお、近年は長年支持してきた共和党政権がもたらしたイラク戦争の失敗、民主党政権への交代、金融危機の影響からイラク戦争開戦当初から前面に押し出してきたかつての反米ギミックの選手を公然と嘲り、アメリカを讃えるといった極端な保守色を薄めつつあり、2010年以降の慰問興行PPVの収録は外国駐留部隊向けから国内部隊向けへと変わった。

2016年には、ビジネスマン時代からWWEとの関わりがあり、番組に出演、WWE殿堂所持者でもあるドナルド・トランプ大統領選挙に当選。同年12月には、リンダ・マクマホンが閣僚級のポストの1つであるアメリカ中小企業庁(SBA)長官に指名された。

WWEへのデビュー

新規に番組に出演する方法としてはレスリングやボディビル等の他のスポーツからのスカウト、他団体からの移籍、またはタフイナフ(2001年 - 2004年)やディーヴァサーチという番組内の新人発掘コーナーや、不定期に行われるトライアウトで優勝または合格、もしくは才能が認められる必要がある。こうしてWWEとの契約に至っても、そのほとんどはDevelopment Deal(育成契約)であり、すぐにRAW、またはSmack Downに登場するのは稀である。ほとんどの場合FCW(Florida Championship Wrestling)というWWEのDevelopment Systemを担っているインディー団体でトレーニングや試合を行ってからRAW、SmackDown!でのダーク・マッチ(テレビ放送されない試合)に出場し、認められたらRAW、Smack Down、または2010年2月開始のNXTでデビューする(NXT以前は一部の有望選手を除いて、放送を終了したECWでデビューするケースが多かった)。もっともDevelopment Dealにサインしたからと言って、WWEへの登場が保証されている訳ではなく、途中で解雇されることもあり得る。また育成期間もあらかじめ決まっている訳ではない。

このような育成機関ともいえる団体としては、2005年8月から2007年4月まではDSW、2000年から2008年2月まではOVWがあったが、契約を解消したと同時にFCWを新しく設立している。OVW出身のスーパースターは多く、バティスタ、ジョン・シナ、ユージン等が挙げられる。また、これらの団体ではケガをしたスーパースターのリハビリやギミック(キャラ設定)がうまくはまらなかったスーパースターのギミックの練り直し等にも使われることがある。

なおFCWにはそれぞれWWEのDevelopment Systemとは関係のない独自に契約を結んでいるレスラーもいる。彼らはNon-WWE-Talentとも呼ばれている。

またUPW(Ultimate Pro Wrestling)というインディー団体もDevelopment Systemの一翼を担っている。この団体は前出の3団体とは異なり、Development Dealにサインしたレスラーを引き受けて育成するのではなく、WWEのオフィシャルタレントスカウトが所属レスラーからスカウトをするという方式がとられている。またペイパービューイベントなどでの重要な脇役の供給源でもある。

UPW出身のスーパースターは、シルベスター・ターカイマーティー・ルバルカーダが挙げられる。

2012年8月からFCWは新人発掘番組のNXTと統合されWWE・NXTとして再スタート。

客層

WWEは現在家族揃って見ることができるファミリー路線を採用しているため、会場には家族連れや女性の観客も多い。こういったファン達(ライト層)と、プロレスに関する知識をある程度有する青年以上の層(ヘビー層)が主な客層となっているが、後者が観客の多数を占めていたアティテュード路線の時代と比べて異なるファン層が同じ会場にいるため、以前では見られない現象が起こっている。ライト層がストーリーライン上ベビーフェイスと位置づけられるレスラーを応援するのに対し、ヘビー層はそれだけではなくレスラーに試合やパフォーマンスの出来を高く求める。このため両者が声援を送るレスラーにずれが生じ、ベビーフェイスでありながらブーイング、ヒールでありながら声援を送られるという通常では考えられない現象が見られるようになった。(ジョン・シナCMパンクを参照)

スケジュール

WWEのスケジュールは、基本的には毎週月曜日に「RAW」の生放送。火曜日に「Smack Down」の生放送を行う。(海外ツアーなどが直後に開催される場合は収録になる)。また、それぞれの会場で「205 Live」の生放送、収録も行われている。「NXT」については不定期でフロリダ州フルセイル大学で収録され、毎週水曜日に放送される。この他に週に何回かのテレビ収録のない興行(ハウス・ショー)を開催し、月に一度PPV(ペイ・パー・ビュー)形式で特番興行を行う。

PPV興行は2002年までは年12回行われていたが、2ブランド制への移行により2003年からRAW、SmackDown!単独開催の場合と両ブランド共催の二形態になり、2005年からは14本、2006年はECWも含めて16本に増えた。しかし、その多さゆえシナリオがきちんと成り立っていなかったり、またレスラーの疲労も激しいため2007年から計15本、3ブランド共催の形になり、2008年からは計14本、2010年からは13本となっている。そのPPVの中で歴史ある4つのPPV(Royal RumbleWrestle ManiaSummer SlamSurvivor Series)をBig Four(ビッグ・フォー)と呼び、その中でも最大のイベントがWrestle Maniaであり、2014年に30回目を数える大興行である。PPVはWWEにとって大きな収入源となっており、通常その様子の動画は一般放送では流されない。

ハウス・ショーはテレビショー同様、ブランド別に開催している。そのため、他のテレビショーとスケジュールを合わせる必要はなく、例えばRAW収録日にSmack Downが別の都市でハウス・ショーを開催することも一般的である。PPV興行前日、前々日もハウス・ショーを開催することも多く、また海外公演のハウス・ショー(基本的に海外公演はハウス・ショーで行なわれる)も毎月のように開催しているため、WWEのスケジュールの過密さを物語っている。ハウス・ショーではテレビショーで見られるような華やかな演出はなく、淡々と進行する。ファンとの交流イベントやテレビショーでは見られないようなパフォーマンスを見せてくれることもある。また、ダーク・マッチ同様、新人レスラーやギミックのテストの場となっている。ハウス・ショーは週2回(PPV除く)土曜日は必ずハウス・ショーに割り当てられ、それ以外はオフか試合以外の活動を行う。大きな休みを取れるのは、年末年始の一週間のみでその週は一年の総集編が組まれている。

宿泊施設、食事、会場移動は自己に任せ、移動手段も集団でバス移動ではなく、会場入り時間を教え、厳守してもらう以外は全て自由で個人個人好きな移動手段で会場に入る。これはアメリカンプロレスでは一般的な移動手段であり、その中でアングル上対立しているスーパースター同士がプライベートでは行動を共にすると言う事も起きる。またディーヴァは試合前に練習を行うため、会場入りが早く設定されている。

チャンピオンシップは「RAW」と「Smack Down」の各番組毎に「ヘビー級シングル王座」と「それに準ずるシングル王座」、「タッグ王座」と「女子王座」がある。挑戦者が勝ち王座移動が起こると前王者には「リマッチ」の権利が与えられ一ヶ月以内に王者に挑戦する事ができる。

先に述べたPPVはそれぞれの番組の主催、それに共催という形態をとっていたが2007年からはPPVは全て3ブランドの共催に変更された(Backlashより)。WWEが拡大していく過程でECW、WCWといった他団体を併合してきたため、所属スーパースターが多くなり過ぎたこともあり、現在ではスーパースターは「RAW」か「Smack Down」かどちらかの所属となっており、トレード、またはドラフトが行われることもある。

2008年のRoyal Rumble より映像のHD化が行われた。テレビ放送も翌日から移行。

マッチメイクは「カード」よりも「興行」に価値が置かれ、特番以外の通常興行やハウス・ショーでもタイトルマッチや「黄金カード」と呼ばれるようなエース級のスーパースター同士のシングルマッチが平然と行われる(ただしハウス・ショーでのタイトル移動はほぼ皆無であり、「PPV等の大一番に向けての公開リハーサル」という見方もできる)。WWEでは同じカードでも「誰と試合を行うか」よりも「何処で試合を行うか」が重要視されているためであり、その最高峰としてレッスルマニアが位置付けられている。王座戦が何度も行われるので王座の価値は防衛回数ではなく、防衛期間と戴冠回数に価値を置かれている。(戴冠回数に関してはリック・フレアーの「16-time World Champion」やブッカーTの「5-times Champion」が好例と言える。)このような考え方はビッグマッチまでカードを温存する日本のプロレスとは大きく異なる。

他方広大なアメリカ全土を回り、年間200試合以上という過密スケジュールをこなしながらパフォーマンス維持のトレーニングをせねばならず、特にトップレスラーはそれらに加え映画出演や地元メディアのインタビューに時間を割かねばならないなど過酷な勤務形態も問題になっている。この過酷さに退団する者や、肉体の痛みをごまかすため鎮痛剤を服用した影響とみられる死亡事故が起こっていた。

2016年5月に「SmackDown」が現地時間7月19日火曜日の放送から毎週生放送になることを発表して、また「Raw」「Smackdown」は再び2ブランド制に移行することとなりドラフトを行うことも発表した。[9]

日本との関係

NWA内での同じ反主流派ということもあり、1975年頃から新日本プロレスと業務提携を結び、AWAからWWFへブッキング権の移ったアンドレ・ザ・ジャイアント、現役王者のスーパースター・ビリー・グラハムボブ・バックランドをはじめ、当時のトップレスラー達の派遣やタイトルマッチの開催、新規王座の認定等、強固な協力関係を保っていた。後に新日本プロレスの看板外国人となるスタン・ハンセンハルク・ホーガンも、大ブレイクを果たす前にWWWF / WWFからブッキングされたレスラーである。権限のない名誉職ではあったが、新間寿が当時のWWFの会長になったこともある。だが、ビンス・マクマホン・ジュニアが実権を握り、全米マット制圧を掲げだした頃から、所属レスラーを自団体の興行へ優先させるために、トップレスラーの派遣を渋るようになり、さらに、提携継続の条件として高額な提携金を要求し、支払ったにもかかわらず、相変わらずトップレスラーの派遣を渋るなど、徐々に新日本プロレスとは疎遠となり、最終的に1985年10月末に提携は解消された。

全日本プロレスに関しては、ジャイアント馬場が全米で武者修行していた頃からビンス・マクマホン・シニアとは旧知の仲ということもあり、新日本プロレスがWWFと提携する以前は、馬場や海外武者修行中だったジャンボ鶴田が単発ではあるがWWWFの興行に出場するなど交流は行われていた。その後、新日本プロレスが正式にWWFと団体間の業務提携を結んでからは交流は行われなくなったが、ブルーノ・サンマルチノと馬場が親友同士ということもあり、サンマルチノは馬場との友情関係を理由に新日本への参戦を拒否し、全日本プロレスに出場し続け、PWFとのダブルタイトルマッチとして全日本プロレスのリングでWWWFの防衛戦を実現させている。また、サンマルチノ以外にもゴリラ・モンスーンドン・デヌーチなどのサンマルチノと親交の深かった当時のWWF所属レスラーたちも全日本プロレスに出場するなど、個人的な交流は存在していた。

一方、女子では分裂後の日本女子プロレスと提携した後、全日本女子プロレスに参戦していたファビュラス・ムーラのWWF入りを機に、全女との間で選手派遣で関係を持っていた。そのラインでWWFに参戦したジャンピング・ボム・エンジェルス立野記代山崎五紀)やブル中野の活躍もあり、その後も全日本女子プロレスの選手が定期的にWWFに参戦するプランもあったが、1995年に当時の同団体の女子王者であったアランドラ・ブレイズ(デブラ・ミセリー、日本ではメドゥーサ)が、王者のままWCWへ移籍し、番組内にてWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てるパフォーマンスを行ったため、女子レスラーの出場が一時期見直された事により立ち消えになってしまい、団体としての交流は途絶えている。

新日本プロレスとの提携解消後、特定の団体とは提携を結ばなかったが、1990年には新日本プロレスおよび全日本プロレスの3団体合同で東京ドーム興行「日米レスリングサミット」を開催。その後(1990年から1992年の間)、SWSと提携を結び、幾度かの合同興行を開催したり、王座の認定や所属レスラーの派遣などを行っていた。

この頃、単独での日本進出を目論んでいたこともあり、日本のプロレスマスコミには好意的で、アメリカのマスコミでも入ることができなかったリングサイドでの取材(ただし2007年になり番組が全てHDTVで製作されるようになると、リングサイドでの取材は突如禁止となった)や、マクマホン本人が日本向けにテレビインタビューに出演する等、積極的に協力している。

1994年には「マニアツアー」として横浜・大阪・名古屋・札幌で単独興行を行ったが、当時のWWFとは関係ない日本人レスラーの出場や、バックステージの趣向を凝らさなかったこと、本場の様な豪華なセットを組まなかったこと、それにプロレスの興行を扱ったことのない興行会社がプロモートを行ったことなどがあり、直輸入を期待していたファンからの支持が得られず、興行成績も振るわず、2002年に再上陸するまで自社の手による興行は行われなかった。

2005年に開催されたWrestleMania 21では元横綱のが特別出演し、スモー・マッチを行った。

現在はWWEを解雇されたレスラーがジョニー・エースの斡旋等で日本のマットに上がることが多くなり、ジャマールチャック・パルンボドク・ギャローズのように復帰が認められるケースもある。

J SPORTSでの放送以降、他のスポーツを視聴することが目的でJ SPORTSを視聴した視聴者がWWEのファンになることが多く、一般的なプロレスファンとは異なるファン層を獲得している。特に団体外の要素を団体内に持ちこむことが嫌われる傾向にあり、来日公演では、

などのエピソードがある。

細かい動きにも賛辞を送る日本人ファンに対するレスラーの評価は高いといわれている。来日回数が豊富なリック・フレアーも「アメリカのファンはショーとして見るが、日本のファンはスポーツとして見る」と語るほどアメリカとは別の要素が求められることを強調している。

なお、放送内ではアメリカの別の団体名を挙げることはまずないが、日本で活躍してWWEにやってきたレスラーの紹介では実際に日本の団体名を挙げて紹介することがある(新日本プロレス、DRAGON GATEなど)。近年では、「IWGP」「東京ドーム」などの日本に関連する言葉も頻繁に使われるようになった。

2015年8月22日に行われたNXTに獣神サンダー・ライガーが、WWEへの移籍ではなく、新日本プロレスの所属レスラーとして出場。1985年に提携を解消して以来、約30年ぶりに新日本プロレスに所属するレスラーのWWEへの出場となった。

2016年7月から9月にかけて行われるWWEクルーザー級クラシックにTAJIRI、飯伏幸太戸澤陽が参戦している。TAJRIは10年ぶりの参戦である。

日本人所属選手

過去の日本人所属選手

このほか、ビンス・マクマホン・シニア時代のWWWFおよびWWFには、ジャンボ鶴田アントニオ猪木坂口征二藤波辰巳長州力初代タイガーマスクビンス・マクマホン・ジュニア(現ビンス・マクマホン)の体制期に入ってからはザ・コブラ前田日明などが檜舞台のマディソン・スクエア・ガーデンに出場している。藤波[10][11]、タイガーマスク[12]、前田[13]は、それぞれWWFを短期間サーキットしていた。

現ビンス・マクマホン体制期の日本人レスラーとしては、WWF時代にブル中野が女子王座を獲得するなどトップレスラーとして活躍。JBエンジェルスも女子タッグ王座を1988年の第1回ロイヤルランブルの大舞台で獲得した。2000年以降、所属していたレスラーではTAKAみちのくが1998年に初代ライトヘビー級王座を獲得。TAJIRIはシングルとタッグで王座を6度獲得した。

日本国内のテレビ放送

日本国内でのテレビ放送はJ SPORTSが担当している。また、PPV特番はスカチャン(旧パーフェクト・チョイス)で放送されるが、いずれも約10日遅れでの放映となる。字幕翻訳は株式会社ルミエールが担当しているが、意訳・誤訳が多い。

1992年4月から1993年5月までWOWOWがPPV大会のみを1か月遅れの120分枠で「レッスルマニア8」、「サマースラム92」、「サバイバーシリーズ92」、「ロイヤルランブル93」4大会を放送した。(実況:土居壮 解説:斎藤文彦。日本版ビデオシリーズのコンビが担当) また、1992年8月8日「ハルク・ホーガンスペシャル」、1992年8月15日「ヒストリー・オブ・WWF」2週にわたって特別番組が放送された。

地上波では1992年9月から1994年1月まで「WWFスーパープロレス」日本オリジナル番組が独立UHF局で放送された。ストーリーのダイジェストと試合を中心に60分枠で放送。なお、試合の映像は本国から1年遅れであった。斎藤文彦と土居壮のコンビが吹き替えでもなく、全くリアルタイムで見ているかのような実況と解説を行っていたのが特徴。2001年10月から2002年12月までテレビ東京が深夜枠で放送。当初は「ライブワイヤー」を放送していたが、本国での同番組の終了以降は「アフターバーン」を放送した。マイクアピールを除く、試合の実況解説などを字幕ではなく日本語吹き替えで対応したことが大きな特徴といえる。なお、英語圏以外の国でのWWEの番組は吹き替えが一般的である。

テレビ東京での放送終了後、2003年4月から2005年3月まではフジテレビが関東ローカルの地上波で放送した(J SPORTS協力の元、新たに字幕スーパーや日本語ナレーションを追加。)。現在でもWWEが映像の編集を外部の会社に許可したのはフジテレビだけである。 2004年3月までは、実況に佐野瑞樹。解説にDDT高木三四郎。 2004年4月以降は、三村ロンドと「Mrビーフジャーキー」ことブラザートムが担当。 テレビ東京の放送が多くのライト層の新規ファンを獲得したが、不評だったフジテレビの放送でライト層のファンを失ってしまい、2005年2006年のWWE日本公演(後述)の観客動員数は大幅に減少、結果として2007年の日本公演は見送られたが、2008年1月、日本でのマーケット強化を目的に、日本法人WWE Japanを設立。同社より2008年2月に再び日本公演が開催されることが発表された。

PPVやレスラーを特集したDVDはユークスが発売していたが、2005年夏をもって生産を終了。代わってJ SPORTSからDVDが販売されるようになった(アメリカ本国では2009年からPPVのBlu-ray Discもリリースされているが、日本でのリリースされる予定は無い。)。

2011年現在ではスカパー!やケーブルテレビなどのJ SPORTSによる本放送と地上波ローカル局のダイジェスト番組が放送されている。2011年10月1日にはJ SPORTSがBSデジタル放送へ進出したため、WWEの番組の初回放送は全て新生J SPORTS 2となり、また「RAW」の初回放送は毎週金曜日から毎週木曜日に変更になった。映像権などの事情により日本では約10日遅れての放送となる。そのため、ハウス・ショーが日本で行われる際にチャンピオンが違っていたり、日本の放送スケジュール上まだ登場していないスーパースターが試合をすることもある。かつては3週間遅れての放送(例として、2005年2月4日RAWさいたま大会の場合、米国では2月7日の放送であったのに対し、日本では2月28日に放送された)であったが、WWE Japanがこの3週間の「ディレイ」を短縮するべく交渉し、その結果2009年3月9日より日本でもハイビジョンが開始され、27日の放送より10日遅れの放送に短縮されることが発表された。それに合わせ、これまでRAWの3時間のスペシャル番組は2時間に編集されていたが、そのまま3時間番組として放送されることとなった。2009年7月12日からRAWとSmackDownの新ダイジェスト番組として独立UHF局にて「ディスウィーク」の放送が開始した。2013年3月から現地放送と同じ3時間放送へ移行した。[14]2014年からはRawとSmackdownに関して字幕無しではあるが米国放送に合わせて放送すること(SmackDownについては2時間のディレイ)が発表されたためにNXTは一旦打ち切りとなった[15]が、2014年7月にWWEと契約したヒデオ・イタミの出場に合わせて放送を再開した。[16]しかし2016年1月J SPORTSの再改編でNXTはWWE NETWORKでの配信に完全移行した。また同月よりRAWは2時間版に戻り、Smackdownは8年ぶりにアフターバーンとして放送を継続。[17]なお、J SPORTS 4による字幕無しの放送は継続される。2017年よりDAZNでのライブ配信が開始。土居、斎藤のコンビで放送され、日本語実況が復活している。2017年11月よりJ SPORTSで放送している字幕版の初回放送が変更され、RAWは3日、アフターバーンは6日短縮されることが発表された。

J SPORTSでの放送日程

英語版(字幕無)初回放送 - 毎週木曜日午前10時からJ SPORTS 4にて放送(1/1~)
字幕版初回放送 - 毎週月曜日午後6時からJ SPORTS 3にて放送(11/6~)
英語版(字幕無)初回放送 - 毎週土曜日午前10時からJ SPORTS 4にて放送(1/2~)
字幕版初回放送 - 毎週火曜日午後10時30分からJ SPORTS 3にて放送(11/7~)

DAZNでの放送日程

  • 「RAW」「SmackDown」共にライブ配信。日本語実況。
  • 2017年8月22日から「RAW」「SmackDown」の1時間版のほか、9年ぶりとなるRAWのダイジェスト番組「Bottom Line」、さらにThis Weekの派生番組として「Experience」の放送を開始した。[18]

GYAOでの放送日程

  • 「Experience」(WWE・エクスペリエンス)毎週水曜日午前0時より最新話公開 [19]

地方局での放送日程

過去に放送されていた番組

  • Metal(メタル) - RAWのダイジェストとアンダーカードを放送。2002年に放送終了し、ヴェロシティに引き継がれた。
  • Velocity(ヴェロシティ・「速力」の意) - スマックダウンのダイジェストとアンダーカードを放送。2005年に放送終了。
  • Livewire(ライブワイヤー) - RAWとスマックダウンのダイジェスト。日本ではテレビ東京系列で2002年まで放送され、2009年にUHFのディスウィークに引き継がれた。
  • Confidencial(コンフィデンシャル) - プライベートやリング外での活動など、スーパースターの素顔を取り上げたドキュメント番組。ミーン・ジーン・オーカーランドがホストを務めた。
  • Bottom Line(ボトムライン) - RAWのダイジェストを放送。2008年まで放送され、2017年に前記のDAZNで再開。
  • Heat(ヒート) - RAWのダイジェストとアンダーカードを放送。2008年まで放送された。
  • ECW(イーシーダブリュ) - オリジナルECWのハードコア路線を引き継ぎながら若手育成、中堅どころの再浮上を目的とした第3ブランド。2010年に放送終了、NXTに引き継がれた。
  • Vintage Collection(ヴィンテージ・コレクション) - 70年代~90年代の名勝負・名場面をまとめたクラシック番組。日本では2011年1月でレギュラー放送が終了し、以降は特番前の特別番組として放送。
  • Superstars(スーパースターズ) - 各ブランド共通のアンダーカード番組。日本では2013年3月、日本でのRAW3時間フル放送開始により休止。2016年にWWE 205 Liveの放送開始に伴い番組が終了。

2002年以降の日本興行

2002年の再上陸以降は、ハウス・ショーが中心の興行である。2005年2月4日 (RAW)・5日 (SmackDown!)にさいたまスーパーアリーナで、アジア初、世界では3カ国目となるテレビ収録での大会が開催された。通常は当日生放送(海外からの収録でも時間差で当日放送)するRAWも史上初の収録試合となった。2007年を除き、2011年まで毎年日本興行が開催されている。なお日本での大会では消防法の関係でパイロなどの演出は行われない、もしくは小規模なものにとどめられ、2011年以降は福島第一原発事故の影響もあり、節電にも努めている。

開催年 開催月日 大会名 開催地 会場(正式名称) 備考
2002年 3月1日 SMACKDOWN TOUR LIVE IN JAPAN 神奈川県横浜市港北区 横浜アリーナ
2003年 1月24日
1月25日
WWE FAR EAST TOUR January 2003 東京都渋谷区 国立代々木競技場第一体育館 RAW主催・SmackDown!のTAJIRIも参加
7月17日
7月18日
SMACKDOWN UNLEASHED IN THE EAST 神奈川県横浜市港北区 横浜アリーナ SmackDown!主催
7月19日 兵庫県神戸市中央区 神戸ポートアイランドホール
2004年 2月5日 ROAD TO WRESTLEMANIA TOUR 広島県広島市 広島サンプラザ RAW主催
2月6日 大阪府大阪市中央区 大阪城ホール
2月7日 埼玉県さいたま市中央区 さいたまスーパーアリーナ
7月16日
7月17日
SMACKDOWN AT THE BUDOKAN RETURN OF THE DEADMAN 東京都千代田区 日本武道館 SmackDown!主催
2005年 2月4日 ROAD TO WRESTLEMANIA 21 JAPAN TOUR 埼玉県さいたま市中央区 さいたまスーパーアリーナ RAW主催TV収録
2月5日 SmackDown!主催TV収録
7月1日
7月2日
WWE SUPERSHOW 埼玉県さいたま市中央区 さいたまスーパーアリーナ RAW、SmackDown!共催
2006年 2月4日
2月5日
SMACKDOWN LIVE TOUR 神奈川県横浜市港北区 横浜アリーナ SmackDown!主催
10月18日
10月19日
WWE RAW&ECW LIVE@BUDOKAN 東京都千代田区 日本武道館 RAW&ECW共催
2008年 2月11日 WWE RAW ROYAL RUMBLE TOUR 東京都江東区 有明コロシアム RAW主催
この大会より、日本公演の大会運営をコネチカット州本社からWWE Japanに移管
2月12日 東京都千代田区 日本武道館
2009年 7月7日
7月8日
SMACKDOWN&ECW LIVE TOUR 東京都千代田区 日本武道館 SmackDown!&ECW共催
2010年 8月20日
8月21日
WWE RAW PRESENTS SUMMER SLAM TOUR 2010[20][21] 東京都墨田区 国技館 RAW主催
初の両国開催。
2011年 7月頃予定 3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)及び東京電力福島第一原子力発電所での事故、それに伴い発令された夏場における電力使用制限令により中止。冬季に変更。
11月30日
12月1日
WWE PRESENTS RAW WORLD TOUR 2011[22][23] 神奈川県横浜市港北区 横浜アリーナ RAW主催
夏季予定分の代替
この大会のチケット収入をはじめ各種関連イベントの収益金の一部が震災復興支援のため寄付された。
2012年 8月9日
8月10日
WWE LIVE 東京都墨田区 国技館
2013年 7月4日
7月5日
WWE LIVE 東京都墨田区 国技館
2014年 7月10日
7月11日
WWE LIVE日本公演 東京都墨田区 国技館
7月12日 大阪府大阪市此花区 舞洲アリーナ 大阪大会は2004年2月6日(大阪城ホール)以来
2015年 7月3日
7月4日
WWE LIVE 東京都墨田区 国技館 2日目はWWEネットワークを通じて本国に同時生中継された。
2016年 7月1日
7月2日
WWE LIVE 東京都墨田区 国技館
12月3日 NXT Live Japan[24] 大阪府大阪市浪速区 大阪府立体育会館 NXT主催
2017年 6月30日
7月1日
WWE Live Japan[25] 東京都墨田区 国技館
9月16日 WWE Live Osaka[26] 大阪府大阪市浪速区 大阪府立体育会館
2018年 6月29日
6月30日
WWE Live Japan[27] 東京都墨田区 国技館
8月31日 WWE Live Osaka[28] 大阪府大阪市浪速区 大阪府立体育会館

その他

2016年、BABYMETALの曲「KARATE」が「NXT」の公式テーマ曲に採用されている。

WWEのオフィシャルCDアルバム

米国iTunes限定で販売
Amazon.com限定で発売

WWEのテレビゲーム

WWEのPPV特番

現在WWEでは月に1~2度特番を行い、テレビ放送のRAWSmackDown!の単独開催または2ブランド共催で行われる(2018年のレッスルマニア以降は2ブランド共催で行われることが発表された[29])。そのためテレビ放送には出られてもPPVに出られないレスラーは多い。

基本的に毎年行われる大会は決まっているが、特別に組まれるPPVや現在は行われていないPPVも存在する。

PPVのスケジュールは以下の通りで、日付は現地時間。

2018年のPPVスケジュール

日付 PPV名 開催地 会場
1月28日 Royal Rumble ペンシルベニア州フィラデルフィア ウェルズ・ファーゴ・センター
2月25日 Elimination Chamber ネバダ州ラスベガス T-モバイル・アリーナ
3月11日 Fastlane オハイオ州コロンバス ネイションワイド・アリーナ
4月8日 WrestleMania ルイジアナ州ニューオーリンズ メルセデス・ベンツ・スーパードーム
4月27日 Greatest Royal Rumble サウジアラビアジッダ キング・アブドゥラー・スポーツ・シティ
5月6日 Backlash ニュージャージー州ニューアーク プルデンシャル・センター
6月17日 Money In The Bank イリノイ州シカゴ オールステート・アリーナ
7月15日 Extreme Rules ペンシルベニア州ピッツバーグ PPGペインツ・アリーナ
8月19日 SummerSlam ニューヨーク州ブルックリン バークレイズ・センター
9月16日 Hell in a Cell テキサス州サンアントニオ AT&Tセンター
10月6日 Super Show-Down オーストラリアメルボルン メルボルン・クリケット・グラウンド
10月28日 Evolution ニューヨーク州ユニオンデール ナッソー・ベテランズ・メモリアル・コロシアム
11月18日 Survivor Series カリフォルニア州ロサンゼルス ステイプルズ・センター
12月16日 TLC:Tables, Ladders & Chairs

2019年のPPVスケジュール

日付 PPV名 開催地 会場
1月27日 Royal Rumble アリゾナ州フェニックス チェイス・フィールド
4月7日 WrestleMania ニュージャージー州イーストラザフォード メットライフ・スタジアム

※PPV日程参照:List of WWE pay-per-view events

かつて行われていたWWEのPPV特番

日本でのPPV特番放送

J SPORTSでの通常放送と同じく約10日遅れ(2009年2月までは3週間遅れ)ての放送であった2014年からはVOD限定(WWE日本語公式サイト(WWE Japan Videos)、DMMJ:COM[30])で英語版(字幕無し)を2日遅れで放送することが発表された。 スカパー!ではスカチャンでのPPV放送。初回放送は木曜日。 ケーブルテレビJ:COMではJ:COMオンデマンドにて放送。配信開始は金曜日。WWE NETWORKでの配信開始に伴い放送は打ち切られた。

視聴料金は4大PPVのロイヤルランブル、レッスルマニア、サマースラム、サバイバー・シリーズは2,100円/番組。その他は1,575円/番組。

また、スカパー!、スカパー!プレミアムサービスにて上記の1年間開催されるPPVを全て視聴できるパックセットも販売されていた。(WWEスペシャルリングサイド2014:14,700円/一括払い<4月以降は15,120円>)。スカパー!ではPPVを行なっていないため、WWEスペシャルリングサイドでの一括購入のみで個別大会の購入はできなかった。

アルマゲドン2002までの特番はJ SPORTS(旧:J Sky SPORTS)で通常放送されており料金を払わずに視聴することができたが、WWE側の要望により、ロイヤルランブル2003より本国同様のPPV形式となった。加入しているケーブルテレビによってはPPVに対応していないため、これに伴い日本でも以降の特番はすべてDVD化されるようになった。2016年以降は日本語字幕版のPPV放送打ち切りに伴いDVD販売も無くなった。

また、ロイヤルランブル2015からTLC2015まではニコニコ生放送ニコニコ動画)で字幕なしの英語版のみの配信、視聴には番組あたり2,160ニコニコポイントが必要でタイムシフトも1回のみ可能だった。

2017年現在はWWE NETWORKでのみ視聴可能。字幕版なし、日本語実況はシュン山口とFUNAKIが務めている。

PPV以外の特番

時々ハウスショーが特番としてWWEネットワークで放送されることがある。また特定の選手を集めて行うトーナメントを開催してWWEネットワークで放送されることもある。

2015年

日付 イベント名 開催地 会場
7月4日 The Beast in the East 東京都墨田区 両国国技館
10月3日 WWE Network Live Spacial in MSG ニューヨーク州ニューヨーク マディソン・スクエア・ガーデン

2016年

日付 イベント名 開催地 会場
3月12日 Roadblock カナダオンタリオ州トロント リコー・コロシアム

トーナメント

イベント名 開催地 会場
2016 WWEクルーザー級クラシック フロリダ州ウィンター・パーク フル・セイル大学アリーナ
2017 WWE英国王座トーナメント イギリスランカシャー州ブラックプール エンプレス・ボールルーム
2017 WWEメイ・ヤング・クラシック フロリダ州ウィンター・パーク フル・セイル大学アリーナ
2018 WWEメイ・ヤング・クラシック フロリダ州ウィンター・パーク フル・セイル大学アリーナ

興行の特徴

試合形式

WWEでは、多彩な試合形式が行われる。WWE発祥の試合形式も存在する。

通常の番組でも行われる試合形式

PPV限定の試合形式

ディーヴァ関連の試合形式

  • 水着、コスプレ、下着等の各種コンテスト
  • ランジェリー・ピロー・ファイト(下着姿で枕投げ)
  • ブラ・アンド・パンティマッチ
  • 泥んこマッチ

過去に行われた試合形式

アンダーテイカー関連の試合形式

一夜限りの試合形式

  • テキサス・ブルロープ・マッチ(お互いの腕にブルロープを巻き、先に4コーナーにタッチした方が勝利、単にストラップ・マッチとも呼ばれる)
  • バトル・オブ・ザ・ビリオネアーズ

観客参加型興行

WWEでは、興行の楽しみ方のキーワードとして、「観客参加型」を提唱。主に、次の4つが主流となる。

  1. サインボード
    • ボードに自己主張一杯のメッセージを書いて掲げる、最も定番の一つである。
      • 直球型・・・スーパースターの名前・ニックネーム・必殺技を書いたモノ
      • 変化球型・・・名前にちなんだユニークな語呂合わせを書いたモノ。下記はほんの一例。
        • 「Randy Always Wins(ランディはいつも勝つ)」(「RAW」に引っ掛けて)
        • 「Jbl Best Loser(JBLは偉大なる負け犬)」
        • 「We Want Edge(みんながエッジを求めてる)」(「WWE」に引っ掛けて)
      • デコレーション型・・・写真やイラストなど、オリジナリティあふれる工夫を凝らしたモノ
  2. チャント(掛け声)
  3. Tシャツバズーカ
    • 試合の合間に客席に向かってTシャツを込めたバズーカ砲を打ち上げる。
      • 日本公演では、主にツアータイトルが描かれたTシャツが打ち上げられる。
  4. コスプレ
    • スーパースターのコスチュームやギミックを真似るモノ。楽しみ方としては上級者の部類になる。
    • よくコスプレの題材にされる選手
      • ザ・ロック・・・日本公演で「代々木ロック」なる者が出現。試合開始前や休憩時間中に会場中を回り、パフォーマンスをする。
      • ジ・アンダーテイカー・・・現在のギミックどおり、白目も。
      • ハルク・ホーガン・・・TVショーなどで最も頻繁に見られる。ホーガンのTNA参戦以降もその根強い人気は変わらない。

過去に認定していた王座

新日本プロレスがIWGP構想を提唱した際も一部の王座を除きWWFの認定する王座は業務提携が解消されるまで新日本プロレス内に存在して防衛戦も行われていた。またWWF時代及び現WWEでも様々な王座が存在しているが中には一時期あまりにも王座の数が増えすぎた為、消滅した王座や シナリオ上必要であったが自然に消滅した王座などがあり、様々な形で封印された王座として取り扱われている。

「※」については主に新日本プロレスが興行権を持って使用していた王座。Light Heavyweight Championshipに関してはメキシコ版と呼ばれた王座と後に新たに認定された王座が存在する。またInternational Heavyweight Championshipに関しては新日本プロレス版とUWF版が存在する。

所属選手(THE WWE SUPERSTARS)

スーパースターの関係

WWEではアングル上、スーパースターの兄弟や夫婦、親戚といった設定が出てくるがもちろん全てが真実な訳ではない。特に、1980年代後半からタッグチームの多くに兄弟、親戚のギミックが頻繁に設定された。ただし、実際の人間関係がストーリーに絡むことも多く、そこにこの団体を楽しむ醍醐味がある。

脚注

  1. 1.0 1.1 John K. Carlisle (2003), World Wide Fund For Nature vs. World Wrestling Entertainment , Capital Research Center, http://www.capitalresearch.org/pubs/pdf/x3773144899.pdf . 2010閲覧. 
  2. WWE
  3. 3.0 3.1 3.2 World Wrestling Federation Entertainment Drops The "F"”. WWE Corporate (2002年5月6日). . 2010閲覧.
  4. WWEが新ブランド戦略 トリプルHが新人開発部門トップに就任 - oricon English 2011年4月26日
  5. http://www.wwe.co.jp/article/2017/06/1395.html
  6. WWEユニバース倶楽部古田新太の発言
  7. WWE Corporate - WWE Raw World Tour Comes to Abu Dhabi for First Time”. WWE (2011年12月13日). . 2012閲覧.
  8. WWE Corporate - WWE Comes To Russia For The First Time”. WWE (2011年12月21日). . 2012閲覧.
  9. http://www.wwe.co.jp/article/2016/05/1205.html WWE Japan: スマックダウンが米国で火曜生放送に移動
  10. The WWE matches fought by Tatsumi Fujinami in 1979”. Wrestlingdata.com. . 2016閲覧.
  11. The WWE matches fought by Tatsumi Fujinami in 1983”. Wrestlingdata.com. . 2016閲覧.
  12. The WWE matches fought by First Tiger Mask in 1982”. Wrestlingdata.com. . 2016閲覧.
  13. The WWE matches fought by Akira Maeda in 1984”. Wrestlingdata.com. . 2016閲覧.
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関連項目

外部リンク

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