「テニス」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
ja>Discips
 
 
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
{{otheruses||[[任天堂]]の[[ファミリーコンピュータ]]や[[ゲームボーイ]]の[[ゲームソフト]]|テニス (任天堂)}}
+
[[ファイル:1986年ウィンブルドン選手権大会で7回目の優勝を果たしたナブラチロワ選手(アメリカ).jpg|サムネイル|]]
{{出典の明記|date=2011年10月}}
 
 
{{スポーツ
 
{{スポーツ
| 画像 = [[ファイル:US_Open_2007,_Maria_Sharapova_serving.jpg|300px]]
+
| 画像 =
| 見出し = [[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]]トーナメントの一つ[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]
 
 
| 競技統括団体 = [[国際テニス連盟]]
 
| 競技統括団体 = [[国際テニス連盟]]
 
| 通称 = 庭球
 
| 通称 = 庭球
16行目: 14行目:
 
| オリンピック = [[1896年]]-[[1924年]]、[[1988年]]-
 
| オリンピック = [[1896年]]-[[1924年]]、[[1988年]]-
 
}}
 
}}
'''テニス'''({{lang-en-short|Tennis}})は二人または二組のプレイヤーが[[網|ネット]]越しに[[ラケット]]で[[ボール]]を打ち合う[[球技]]である。[[夏季オリンピック|オリンピック]]や[[パラリンピック]]で採用されている競技であり、年齢性別、身体的個性を問わず広く親しまれている。日本において漢字名の'''庭球'''(ていきゅう)と呼ばれることもある。
+
'''テニス'''({{lang-en-short|Tennis}}
  
== 歴史 ==
+
コートの中央に張られたネットを挟んで相対する競技者が,ラケットでボールを打ち合う球技。もともとの名称はローンテニス。日本では硬式テニスともいい,庭球とも表記される。 12~13世紀頃からフランス,イタリアなどの貴族や僧侶の間で行なわれていたジュ・ド・ポームという屋内ゲームが起源とされる。
[[ファイル:Jeu de paume.jpg|thumb|200px|後のテニスになる「jeu de paume」]]
 
  
複数の人間が1つの[[球]]を互いに打ち合うという形態の球技の起源は、[[紀元前]]にまで遡ることが出来る。[[エジプト]]では宗教的な行為のひとつとしてこのような球技が行われていた。紀元前15世紀の壁画で球を打ち合う球技を行う人々の姿が描かれたものが発見されている。
+
16世紀頃に現在のラケットの原型が登場し,それまでの素手や手袋使用に取って代わった。その後イギリスに紹介され,1874年ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐がテニス用具やコート,ルールを考案して特許を申請。芝生 (ローン) の上にコートが設置され,ローンテニスと呼ばれて急速に普及した。
  
フランス貴族の遊戯として定着をはじめた[[16世紀]]以降には「jeu de paume」('''[[ジュ・ド・ポーム]]'''、「掌の遊戯」の意)と呼ばれた。
+
1877年ロンドン郊外のウィンブルドンで選手権大会が開かれ ([[ウィンブルドン選手権大会]] ) ,このときコートの寸法,ボールの規定,試合のルールなどが定められた。アメリカ合衆国ではニューヨークのスタテン島に初のテニスコートがつくられたのち普及,1881年全米ローンテニス協会が設立された。 1912年には国際ローンテニス連盟 ([[国際テニス連盟]] ) の設立をみた。日本にテニスを紹介したのは 1878年に来日したアメリカ人教師ジョージ・アダムズ・リーランドという説が有力。当時はボールの入手が困難であったため,1890年頃に日本独自の軟式ボールが生まれ,軟式テニス ([[ソフトテニス]] ) が普及した。 1922年日本庭球協会が設立され,1980年日本テニス協会に改称した。試合は,競技者のいずれかが正しく返球できなかった場合,あるいはサービスを2本とも失敗した場合などに相手側にポイントが与えられる。1セット6ゲームからなり,最初のポイントを「15 (フィフティーン) 」,2ポイント目を「30 (サーティ) 」,3ポイント目を「40 (フォーティ) 」と呼ぶ。4ポイント目を先取した側がゲームを取得し,さらに6ゲームを先にとったほうがセットの勝者となる。ゲームでポイントが 40対 40と並んだ場合,ジュースとなり,2ポイントを先にとったほうが勝つ。また,セットでゲーム数が6対6で並んだ場合,タイブレークを行ない,2ポイント以上の差をつけて7ポイントを先に奪ったほうが勝つ。主要大会では,男子は5セット,女子は3セットで試合が行なわれ,それぞれ3セット,2セットを先取した側が勝者となる。男女の各シングルス,男女の各ダブルス,混合ダブルスがある。
 
+
フランスでこの球技が盛んになった理由としては、ローマ時代の直接の影響よりも、8世紀から11世紀まで、イベリア半島から南フランスまで進出していたイスラム教徒(ウマイヤ朝)が、エジプト時代と同様に、宗教的行為として行っていたものに、キリスト教の僧侶<!-- ←聖職者というべきか? -->が興味を持ち模倣したことから始まったと言われている(「ラケット」の語源がアラビア語であることに注意されたい。フランスの僧院<!-- ←修道院というべきか? -->で特に盛んに行われるようになったのは、イスラム勢力がヨーロッパから駆逐された[[12世紀]]ごろ以降からとされる)。
 
 
 
「テニス」の名称はフランス宮廷で行われたテニスの原型であるジュ・ド・ポム (Jeu de Paumme) において、攻守交代の際にサーバーが「トゥネス!」({{lang-fr-short|''Tenez!''}}、動詞 tenir の命令形で「(球を落とさないように)取ってみろ」の意、現代フランス語では「トゥネ」と発音する)と掛け声をしていたことにちなむと一般的に言われる。アラビア史研究の権威フィリップ・K・ヒッティ([[:en:Philip Khuri Hitti|Philip Khuri Hitti]])は、中世にリンネル織物で有名だったエジプトのデルタ地方の都市で、リンネルで球を作ったと思われる「ティンニース」からきているのだろうと述べている<ref>フィリップ・K.ヒッティ (著), 岩永 博 (翻訳) 『アラブの歴史 (上)』 講談社学術文庫、1982年 p687</ref>。基本的なルールやスコアリング方式はローンテニスと似ている部分もあり、ファイブズ (fives)、[[バスク・ペロタ|ペロタ]] (Pelota) などのハンドボールから発達した。
 
 
 
[[18世紀]]から[[19世紀]]にかけて[[ヨーロッパ]]の貴族の間で大流行し、多くの[[テニスコート|コート]]が建造されたが、現存するものは少ない。[[イギリス]]では復元されたコートがクリフトン大学にある。近代における貴族階級の遊戯としてのテニスは、イギリスではロイヤル・テニス(Royal Tennis、「王家のテニス」の意)、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]ではコート・テニス(Court Tennis、「宮廷のテニス」の意)とも呼ばれている。
 
 
 
手袋を使うこともある。Jeu de paumeの「paume」とは掌を意味する。ボールは固形物(石等)を芯に糸を巻き、皮で被ったもので現代のものよりはるかに重く、弾力性は少ない。サーブは一方の側からのみ行われ、傾斜した屋根を転がるように打ち上げる。レシーブ側のプレイヤーは、落ちてきたボールが二度バウンドする前に打ち返す。失敗したプレイヤーはポイントを失う。ゲームの最初の第一球の打ち込みが「サーブ」と呼ばれるのは、中世においては、レシーバーにあたる人間の従者が第一球を屋根に打ち上げる役目を行っていたことに起源がある(従者「サーバント」が主人に対して行う行為は「サービス」)。[[14世紀]]には現在のラケットの原型が登場した。これはまだガットは張られておらず、ガットが張られるようになったのは16世紀になってからである。
 
 
 
現代の多くの[[スポーツ]]とは異なり、ローンテニスの歴史はごく浅い。[[1873年]][[12月]]、[[ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド]]少佐が考案した「スフェリスティキ(sphairistike、{{lang-el|σφαιριστική}}、「球戯術」の意。略してスティッキ[sticky])」がその原型。現在の社会体育、生涯スポーツの概念の先駆けとなる発想で、ラケット、ネット等をセットで商品化し、芝生の上なら何処でも楽しめる「持ち運びのできるテニス」などともいわれ、コートは、中心部分が細くなっている蝶ネクタイ型をしていた。ボールは中空のゴムボール([[ソフトテニス]]ボールと同様なもの)を採用し、当初は現在のように硬質のフェルトで覆われていなかった。[[1874年]]、少佐は商用としての可能性を見て特許を取得したが、商業的には成功せず、特許の期限切れにともなう再申請は行っていない。しかし、イギリスやアメリカで有閑階級を中心に急速に広まり、アメリカではニューヨークのスタッテン島、[[メアリー・ユーイング・アウターブリッジ]]の家で最初にプレイされた。中空のゴムボールでは芝生上でしばしば不安定なバウンドをみせることがあり、フェルトを巻いたものも考案され、2種のボールは永らく併用されていたが、やがてフェルトカバーボールが主流となっていく。
 
 
 
[[1877年]]、イギリスの[[ロンドン]]でアマチュアの大会として第1回目の[[ウィンブルドン選手権]]が開催された。アメリカでは[[1881年]]に設立されたアメリカ国立ローンテニス協会(現在の[[全米テニス協会]])が、ルールを標準化し、かつ競技を組織化した。同年、「全米シングルス選手権」(最初の名称:U.S. National Singles Championship)の第1回大会がアメリカ・[[ロードアイランド州]][[ニューポート (ロードアイランド州)|ニューポート]]で開催され、[[1887年]]には「全米女子シングルス選手権」(U.S. Women's National Singles Championship) が始まった。これらのアメリカでの大会群は現在の[[全米オープン (テニス)|全米オープン]]の原型である。歴史的にボーリングが上手い人はテニスも上手い。[[1900年]]には男子国別対抗戦である[[デビスカップ]]がナショナルチームの間で始まった。<!-- 英語版にはもう少し続きがあります。 -->
 
 
 
== ルール ==
 
試合形式としては、1人対1人で行う'''シングルス'''と2人対2人で行う'''ダブルス'''、混合ダブルスがある。
 
 
 
試合開始前のトスによって決定された一方のプレイヤーが'''サーバー'''、他方が'''レシーバー'''となり、ゲームごとに交替する。プレーヤーは奇数ゲーム終了ごとにコートを入れ替わる。サーバーはベースラインの外から相手コートのサービスエリアでバウンドするようにボールを打つ。レシーバーはサーブされたボールを2回バウンドする前に相手コートに打ち返す。次のようなときに失点(相手方の得点)となる。
 
 
 
* サーブを2回続けてフォールト(ダブルフォルト)したとき
 
* サーブされたボールがバウンドする前にレシーバーが触れたとき
 
* 自分のコートでボールが1回バウンドし、もう1回バウンドしたとき
 
* 自分のコートでボールが1回バウンドし、逆回転によってネットを越えて相手のコートに戻ったとき(この場合は特殊で、ボールが相手コート上にあってもネットタッチさえしなければ、2バウンドする前にオーバーネットして打ち返し、相手が取れなければそのポイントは自分のものとなる)
 
* 自分のコートに落ちたボールがバウンドしなかったとき
 
* 自分の打ったボールの1回目のバウンドが、相手のコート外(アウト)だったとき
 
* 打ったボールが審判に命中したとき
 
* ラケット以外の部位がボールに触れたとき
 
* 相手コート内でボールに触れたとき
 
* 体やラケットがプレー中にネットに触れたとき
 
* ラケット以外の持ち物をコート上に2回落としたとき
 
 
 
スコアは、0ポイント:ラブ (love)、1ポイント:フィフティーン (fifteen, 15)、2ポイント:サーティー (thirty, 30)、3ポイント:フォーティー (forty, 40) と数える。2ポイント差以上をつけて4ポイント以上を取ると1ゲームを獲得する。例としてカウントが40-30であれば、40の側のプレーヤーが1ポイント取得するとそのプレーヤーがゲームを得る。両者とも3ポイント (40) の状態を「[[デュース]]」(deuce) と呼び、デュースの後1ポイントリードしている状態を「アドバンテージ」(advantage) と呼ぶ。アドバンテージを得ているプレーヤーが1ポイント取得するとそのプレーヤーがゲームを得る。アドバンテージを得ているプレーヤーの相手側が1ポイントを取得すると再びデュースとなる。
 
 
 
2ゲーム差以上をつけて6ゲーム以上を取得するとセットを得る。例としてゲームカウントが5-5となった場合は、6-5の後、7-5とすればそのセットを得る。ゲームカウントが6-6となった場合には、次のゲームはルールによっては[[タイブレーク]] (tiebreak) が行われる。タイブレークでは2ポイント以上の差をつけて7ポイント以上を獲得した方がゲームの取得者となり、このセットを得る。タイブレーク中のポイントの数え方は、zero、one、two、three、…となる(註:この時は0はzeroとなる)。タイブレークが行われたセットのスコアは、例としてセット取得者側から見る場合は7-6(6)のように表記し、この場合はタイブレークが8-6のスコアで終了したことを意味する(カッコ内の数字はタイブレークを取得しなかった方のポイント数である)。総セット数の過半数、例として5セットの内3セットを取得すれば勝利となる。
 
 
 
タイブレークは[[1965年]]にJames Henry Van Alenが試合時間短縮のために考案し、[[1971年]]にウィンブルドン選手権において初めて導入された。この時には最終セット以外のセットでゲームカウントが8-8となった後に行うというルールであり、[[1979年]]に同大会において最終セット以外のセットでゲームカウント6-6の後に行うというルールに変更された<ref>[http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Tennis_score&oldid=454513171 「Tennis score」]『Wikipedia英語版』 2011年10月8日 07:54 (UTC)。</ref>。[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]の内の[[全豪オープン]]、[[全仏オープン]]、ウィンブルドン、および[[近代オリンピック|オリンピック]]では最終セットでタイブレークを採用しておらず<ref>[http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Tennis&oldid=457335964 「Tennis」]『Wikipedia英語版』 2011年10月25日 16:04 (UTC)。</ref>、この場合は2ゲーム差が付くまでセットが続行される。かつてはデビスカップ、[[フェドカップ]]でも同様のルールを採用していたが、現在ではすべてのセットでタイブレークを採用している。<ref>[https://www.nikkansports.com/sports/news/201807140000182.html 死闘戦った両者が最終セットタイブレークなしを非難]日刊スポーツ(2018年7月14日)</ref><ref>[http://www.afpbb.com/articles/-/3061302 デビスカップ、16年から第5セットのタイブレーク採用へ]AFPBB(2015年9月26日) 2018年7月14日閲覧</ref>
 
 
 
[[2005年]]秋以降の男子国際大会でのダブルスにおいて、[[#ルール_2|ノーアドバンテージ]]、また1セットを5ゲーム先取方式とする(ゲームカウント4-4でタイブレークを行う)等のルール変更が提案されており、ダブルスプレイヤーを中心とした反対運動など論争が起こっている。
 
 
 
このシステムを試行した初の国際大会である2005年10月の[[ジャパン・オープン・テニス選手権|AIGジャパンオープンテニス]]では、日本の[[岩渕聡]]、[[鈴木貴男]]組が日本人ペアとして初のツアーダブルス優勝を果たしている。
 
 
 
[[2006年]]の[[ソニー・エリクソン・オープン|ナスダック100オープン]]において、条件つきで判定に異議を唱えられる「[[ビデオ判定#テニス|インスタントリプレイシステム]]」(チャレンジシステム)が初めて採用された。選手が審判の判定に疑問がある場合に「チャレンジ」を行うと、「[[ホークアイ (審判補助システム)|ホークアイ]]」という[[コンピューターグラフィックス]]を用いた自動ライン判定システムのスロービデオが流れ、判定がやり直される。この手続きは主審がオーバールールを行うのと同様に、オンプレイの場合はラリー中のボールを止めて行う。明らかなエースおよびアウトやフォールトの場合はポイントが適用されるが、その他の場合はレットとなり、ポイントをやり直す。誤審が判明すればチャレンジする権利は失われないが、判定が覆らなかった場合、その選手はチャレンジ失敗となり、チャレンジする権利を1回失う。
 
 
 
同システムは、4大大会では2006年の全米オープンにおいて初めて導入され、センターコートなど2会場で設置された。[[2007年]]には全豪オープンおよびウィンブルドン選手権でも導入された。日本では2008年に[[東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメント]]において、2010年に[[ジャパン・オープン・テニス選手権]]においてそれぞれ初めて使用された。<!--2011年11月1日[[ホークアイ (審判補助システム)]]より一部コピー-->
 
 
 
[[2011年]]のウィンブルドンにおいては、インスタントリプレイ (Electronic Review) に関して以下のルールが適用されている。
 
* タイブレークになった場合は、その時のチャレンジの残り回数に1回追加される。すなわち、そのセットでのチャレンジ失敗 (incorrect challenges) の限度が3回だったものが4回に増える。<!--If a set goes to a tiebreak, this limit of incorrect challenges is increased from three to four for the set.-->
 
* 最終セットにおけるチャレンジ失敗の回数の限度は、12ゲームごとに3回にリセットされる。すなわち、
 
** ゲームカウントが6-6となった場合は、回数はリセットされ、続く12ゲームの間は3回までとなる。
 
** チャレンジの回数は繰り越されず、12ゲームごとに回数がリセットされる。
 
* 線審がポイント終了時に視界をさえぎられ判定ができなかった場合、主審はインスタント・リプレイを要求してもよい。<!--The Chair Umpire may request an Electronic Review when the Line Umpire was unsighted on a point-ending shot and he/she is unable to make a decision.-->
 
* インスタント・リプレイが何らかの理由で利用できない場合は、元の線審の判定あるいは主審のオーバールールが有効となる<!--If the Electronic Review is unavailable for any reason, then the original line call or overrule will stand.--><ref>[http://2011.wimbledon.com/en_GB/scores/challenge/index.html 「Player Challenge System」](英語)『2011 Wimbledon Championships Website - Official Site by IBM』 [[IBM|IBM Corp.]]、[[オールイングランド・ローンテニス・アンド・クローケー・クラブ|AELTC]]、2011年10月31日閲覧。</ref>。
 
 
 
なお、チャレンジシステムは[[テニスコート#クレーコート (clay court)|クレーコート]]の試合ではコートにボールの跡が残るため採用されない。
 
 
 
== 用具 ==
 
[[ファイル:Tennis racket and ball.JPG|thumb|[[テニスラケット]]とボール|100px]]
 
; ラケット
 
:{{Seealso|テニスラケット|en:Overgrip}}
 
: 棒状のグリップの先が輪になっており、そこに糸状のもの(ストリングスやガットと呼ばれる)が縦横に張られ、この面でボールを打つ道具。材質は、当初は[[木材|木]]を加工していたが、その後、[[鋼|スチール]]、[[アルミニウム|アルミ]]、などの単一素材が使われ進化して行き、近年は[[繊維強化プラスチック]] ([[FRP]])、[[チタン]]などを用いた[[複合材料]]のものが主流となっている。長さ69センチ前後、重さは240〜380グラム程度。なおゴムボールを使用するソフトテニス用を硬式テニスに用いると、即ラケット損傷につながるので、混同しないよう注意が必要。
 
; ボール
 
: 黄色、表面は[[メルトン]]と呼ばれる[[フェルト]]で覆われている。直径6.35〜6.67センチメートル、重さ56.7〜58.5グラム。保管している缶に1.8気圧が保たれるようになっておりプレッシャー・ボールと呼ばれる。公式球の表面は白のメルトンであったこともある。
 
: 大気圧のノンプレッシャー・ボールという練習球もあるが公式戦では使用できない。
 
; コート
 
[[ファイル:Tennis court metric.svg|thumb|[[テニスコート]]の大きさ|100x205px]]
 
: 床面の材質(サーフェス)は天然芝(グラス)、土(真砂土・荒木田土・粘土砂混合土。クレイ)、焼成土([[アンツーカ]])、塗装したコンクリート(ハード)、ウレタン樹脂またはゴム(ウレタン)、砂入り[[人工芝]](グラスサンド)など。縦23.77メートル(78[[フィート]])、横はシングルスでは8.23メートル(27フィート)、ダブルスでは10.97メートル(36フィート)である。
 
: 床材の専用の製品も普及しており、英国ではグラス(芝生)、北米ではデコ・ターフ、オセアニアではリバウンド・エースという製品が普及している。
 
: コート上のラインには合成樹脂製のラインテープをラインの線に打ちつけて表示する。
 
; ネット
 
: 中央の高さが91.4センチメートル(3フィート、あるいは1[[ヤード]])、またシングルス、ダブルスのコートそれぞれで、ネットポストでの高さが1.07メートル(3フィート6[[インチ]])である。
 
: ネットポスト(テニスポスト)はコートに予め設置されている埋筒に差し込むか、専用のアンカーで固定して用いられる。そして、ネットのコードをネットポストのウインチ部分に引っ掛け、ハンドルを回して巻き取りながらネットを張るようになっている。
 
; シングルス・スティックス (singles sticks)
 
: シングルスの試合において、ネットポストがダブルス用に設置されている状態で、シングルス用の本来のネットポストの位置に立て、ネットを既定の高さに修正する用具。
 
 
 
== 服装 ==
 
{{節スタブ}}
 
公式の試合において、着用する服装はルールにより定められている。清潔でプレーにふさわしいと認められたテニスウェアを着用しなければならない他、トーナメントによっては開催要項に明記して、服装の形や色を規制する場合がある。有名なのはウィンブルドン選手権において白を基調としたウェアとシューズの着用が義務づけられている。これは、1884年の初代女子シングルス優勝者の[[モード・ワトソン]]が上下のウェアを白で統一していたことに由来する。
 
 
 
また、スポンサーや製造者のマークの大きさも決められており、アディダスの三本線はデザインとは認められず製造者マークと見なされ、2008年より大きさの制限が設けられている。
 
ジュニアの大会では、原則としてメーカーのマークなどが、胸の位置以外にあるものは認められない。
 
 
 
テニスラケットも原則としてメーカー契約選手で無い限りメーカーのマークがされたガットを使用する事は出来ない。
 
 
 
== テニス用語 ==
 
; テニス (tennis)
 
: 「(球を落とさないように)取ってみろ」という意味の「Tenez!」<!--; z は発音せず もともとは発音していた?-->に由来する。これはロイヤルテニスにおけるサーバー側のプレイヤーの掛け声である。
 
; [[チャンスボール]]
 
: 試合中に緩いボールがあがったり、打ちやすく自分にとって有利なボール。
 
; [[ボールパーソン]] (ball person; ball boy, ball girl)
 
: 試合中に、ラリーが終了した後のボールを拾ったり、選手にボールを渡したり、ルールに沿って新しいボールに変えたりする人。多くの場合、正式な訓練を受けた子供たちが行う。タオルや、落としたラケットを渡すこともある。
 
 
 
=== 用具 ===
 
; ラケット (racquet, racket)
 
: フランス語の「raquette」からきているが、この言葉は「掌」という意味の[[アラビア語]]ラーハ({{lang|ar|راحة}} ({{unicode|rāḥat}}))に由来する。
 
; ガット (gut)
 
: ラケットに張る弦。正式にはストリングス (strings) という。ガットは「[[腸]]」を意味する。素材は[[カットグット|ナチュラルガット]](動物の腸)の他、ナイロンやポリエステル等がある。太さは、主に1.10〜1.42mm (15〜18)。
 
; テンション (tension)
 
: ガット(ストリングス)をラケットに張る強さ。強さの単位には通常ポンド (pounds, lbs, LBS) が使われる。ガットやラケットは、それぞれ適正張力が推奨されている場合が多く、45〜60ポンドである場合が多い。張り上がりが強いほど硬くなり、コントロール性が良くなる。また弱いとボールスピードが上がる。
 
; 振動止め
 
: ゴム状の素材でできており、ラケット全体の振動を軽減させる目的でストリングスの一部に装着して利用する。利用するかどうかは利用者の判断で選択できるが、装着できる位置などに関してルールで定められている。実際には音をミュートするだけで、腕に伝わる衝撃はほとんど変化しない。ただ音による打感の違いは重要でテクニックに少なからず影響する。
 
; オーバーグリップ (overgrip, overwrap<ref name="gl01">[http://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Glossary_of_tennis_terms&oldid=454819626 「Glossary of tennis terms」]『Wikipedia英語版』 2011年10月10日 04:38 (UTC)。</ref>)
 
: グリップに巻いて利用するテープ。グリップには元々ラバーや合皮等が巻いてある(アンダーグリップ)が、摩擦感や吸汗性などに難点があり、耐久性も低い為、そのまま使用するプレーヤーは少ない。様々な材質(主に、ウレタン、タオル素材)が存在する。
 
; ノン・プレッシャライズド・ボール (non-pressurized ball, pressureless ball<ref name="gl01" />)
 
: 一般にノンプレッシャーボールと呼ばれる。ボール内の空気圧を外気圧と同じ程度にして作られているため、空気がほぼ抜けないボール。プレッシャライズド・ボールよりも空気圧が低い分、ボールの素材で反発力を補っている。空気抜けの問題はないため、販売時に缶などで高圧で密封する必要はない。
 
; ストリング・セーバー(string savers [複数])
 
: ストリングスが摩耗したり早く切れることを防ぐ目的で、ストリングスが交差する箇所に装着する小さいプラスチックの用具<ref name="gl01" />。
 
 
 
=== ルール ===
 
; デュース (deuce)
 
: <!--「両プレイヤーは同点」 (to both is the game、the two players have equal scores) を意味するフランス語の表現、「à deux le jeu」に由来する。-->現在、フランス語では平等・同点を意味するエガリテ ({{lang|fr|égalité}}) が用いられる。
 
; ラブ (love)
 
: 無得点をさす。アラビア数字の「0」が卵型をしていることから、卵を意味するフランス語の定形「{{lang|fr|l'œuf}}」に由来するという説がある。<ref>『[[オックスフォード英語辞典]]』第二版によれば、「for love」に「楽しみのために、賭け金0で(ゲームをする)」の意味がある({{要検証範囲|文献初出1678年|date=2011年10月|title=文献不明―オックスフォード英語辞典は1928年初版刊行}})。<!-- 全仏オープンでは、テニスの0点のことをzéroと言う。 --></ref>。
 
: 「0」「15」「30」「40」というスコアの数え方は、当初は[[60進法]]で0、15、30、45であったものの45の5が省略されるようになったものだという説が有力である。なお、フランス語では「0」、「15」、「30」、「40」、「アドバンテージ」は、「zéro」、「quinze」、「trente」、「quarante」、「avantage」(アヴァンタージュ、アヴォンタージュ)であり、全仏オープン等で聞くことができる。
 
; キープ (keep)
 
: サーバー側がゲームを取得すること。この競技では一般的にサーバー側が有利である。したがって試合に勝利するためには自分のサービスゲームを確実に保守し(keep)、いかに相手のサービスゲームをブレークするかが鍵となる。ただしキープは和製英語。英語圏ではholdという。
 
; ホールド (hold [serve])
 
: サーバー側がゲームを取得すること<ref name="gl01" />。
 
; ブレーク (break)
 
: レシーバー側がゲームを取得すること。なおブレーク無しで勝利することができるのは、あるセットで自分側と相手側がサービスゲームをすべて取得し、その後のタイブレークでそのセットを取得するという方法で規定のセット数すべてを取得する場合である<!--(取得するセットだけタイブレークが適用されていれば良い)-->。それ以外の場合、試合に勝利するためにはブレークを行う必要がある。
 
; ミニ・ブレーク (mini-break)
 
: タイブレークにおいて相手側のサーブ時に取得するポイント<ref name="gl01" />。またこのミニ・ブレークが相手よりも最低1つでも多い状態(1ミニ・ブレーク アップ)にならないとセットを取得するまた勝利することが出来ない。
 
; フォールト<ref name="fau01">[[特別:固定リンク/39524269#外来語|「Wikipedia:表記ガイド:外来語」『ウィキペディア日本語版』 2011年10月8日 11:07 (UTC)]] に沿って、本項目での表記を「フォールト」で統一。</ref>、フォルト<ref name="fau02">[http://en.wiktionary.org/w/index.php?title=fault&oldid=13882482 「fault」]『[[ウィクショナリー|Wiktionary]]英語版』 2011年9月15日 21:16 (UTC)。{{IPA2|/fɔlt/}}に近いカタカナ表記、また慣習的表記として。</ref>(fault)
 
: サーブで打ったボールがサービスエリアに入らなかったときのコール。1ポイント中に2度フォールトすると「ダブルフォールト」となり、サーバーはそのポイントを失う。
 
; フットフォールト<ref name="fau01" />、フットフォルト<ref name="fau02" /> (foot fault)
 
: サーブを打つ時に、ラインを踏んだり、ラインを越えて踏むなど、足を着いていた位置が規定の範囲から外に出ていた場合にコールされ、フォールトとしてカウントされる。ボールがラケットから離れた後に足を着く位置は問われない。
 
; レット (let)
 
: プレーをやり直すこと。サーブの時、打ったボールがネットに当たってサービスエリア内に入ったり、トスしたボールが着地するまでに打たなかったりした場合、サーバーにはそのサーブをやり直す権利がある。また、プレー中に他のコートからのボールや、その他プレーの妨げとなるものが入ってきたり、身に付けているものや持っているボールを落とした場合などにもコールされ、ファーストサービスからまたはセカンドサービスがレット (let) になった場合はセカンドのやり直しとなる。
 
; ネット (net)
 
: サービスで打たれたボールがネットに接触した場合、審判が発するコール。このコールによってボールがネットに接触したことを確認し、その後、そのボールがサービスエリアに収まった場合はレット、収まらなかった場合はフォールトをあらためてコールする。
 
; タッチ (touch)
 
: ネットにラケットや体で触れた時、またボールがラケットや体にかすったことで失点となったと判断された場合や、ボールが天井などの構築物に触れたと判断された時などにコールされ、失点となる。
 
; ナット・アップ、ノット・アップ (not up)
 
: 打球時にボールがすでに2回バウンドしていた場合の審判によるコール<ref name="gl01" />。
 
; オーバールール (overrule)
 
: 線審の判定を主審が覆すこと<ref name="gl01" />。
 
; トス (toss)
 
:# サーブの際にボールを上空に投げ上げる動作。
 
:# 試合開始前に、初めにサーブを行うプレーヤーを決定するための動作。[[コイントス]]と、ラケットによるトスがある。以下はラケットを使用する場合である。1人のプレーヤーがグリップを軸にしてラケットを回転させ、ラケットが地面に倒れ静止した状態での表裏を、ラケットが回転している間に相手側のプレーヤーが当てることにより行う。このとき、ラケットを回すプレーヤーは、相手側のプレーヤーに対して以下に示すような問いかけを行い、公正を期すため応答がある前にラケットを回す。トスの結果により選択権を得た側が、「サーブを初めに行う」「レシーブを初めに行う」「ネットのいずれかの側のコートに入る」「選択権を相手に譲る」のいずれかを選ぶ。なお、規定の練習が開始されるとコートの状況の確認が可能となるため、トスは規定の練習の前に行われる。
 
:#; ラフ・オア・スムース (rough or smooth)、またはスムース・オア・ラフ (smooth or rough)
 
:#: かつてのラケットには、飾りガット、あるいは飾り糸と呼ばれる紐が結わえられており、紐が平坦である側が表(スムース)、凹凸がある側が裏(ラフ)と判断される。飾りガットが廃れた一方で、グリップエンドのラケット製造者のマークを用いて表裏を判断するようになった。なおsmoothの発音は{{IPA2|/smuː[[有声歯摩擦音|ð]]/}}である<ref>[http://en.wiktionary.org/w/index.php?title=smooth&oldid=14060014 「smooth」]『[[ウィクショナリー|Wiktionary]]英語版』 2011年10月14日 01:38 (UTC)、2011年10月24日閲覧。</ref>。
 
:#; アップ・オア・ダウン (up or down)
 
:#: グリップエンドのマークが正しい向きになっている場合は表(アップ)、上下逆になっている場合は裏(ダウン)と判断される。
 
:#; フィッチ (which)
 
:#: 上2つの選択肢を特に指定せず、単に「どちらか」を答えさせる意味での問いかけ。<!-- 海外では使われない言い回し{{要検証|date=2011年10月}}。 -->
 
; ノー・アドバンテージ・スコアリング方式
 
: 試合時間の短縮を図って採用されることのあるルールで、デュースの後1ポイントでそのゲームの取得者を決定する。この1ポイントをディサイディング・ポイント (deciding point) と呼ぶ<ref name="gl01" />。略して「ノー・アド」などと呼ばれることがある。
 
; レシーバーズ・チョイス (receiver's choice)
 
: ノー・アドバンテージ・スコアリング方式のゲームで採用されることがあり、デュースの後ゲームを1ポイントで決める時に、サーバーが左右どちらからサーブを行うかを、レシーバー側が決めることができる。審判は「Deuce. Deciding point, receiver's choice.」とコールする。
 
; リタイアメント (retirement)
 
: 試合中の棄権<ref name="gl01" />。
 
; ウォークオーバー (walkover)
 
: 相手側が何らかの理由で試合を開始できなかった場合に与えられる不戦勝<ref name="gl01" />。
 
; ゲーム、セット、アンド マッチ(game, set and match または game, set, and match)
 
: 「ゲーム終了、セット終了、そして試合終了」の意で、試合終了時にコールされる(なお英語では、ゲームセット (game set) という言葉は、[[チェス]]などの[[ゲーム]]用具一式の意を持つ。)。
 
 
 
=== プレー ===
 
; グリップ(ラケットの握り方)
 
: 主にコンチネンタル、イースタン、ウエスタンの3つの握り方がある。コンチネンタルは、ボレーやスマッシュに、イースタンは、フラット、トップスピン、スライスとどれも打てる。またウエスタンはフラットやトップスピンに適している。
 
; ストローク
 
: ボールを打つこと。フォアハンドストロークとバックハンドストロークがある。
 
;; フラットストローク
 
:: ボールに対してラケットの面(フェイス)をフラットにして打つ。スピードのあるボールが打てる。
 
;; トップスピンストローク
 
:: ボールに強い順回転をかけることにより、落差の大きい打球となり、高くバウンドする。
 
;; スライスストローク
 
:: ボールに逆回転をかけることで、バウンドした後に低く滑るような打球となる。
 
; ロブ (lob)
 
: 相手の頭上を抜いたり、時間を作るなどの目的でボールを高く打ち上げること。フラット、アンダースピン、トップスピンの3つがある。
 
; ボレー (volley)
 
: 相手が打ったボールをバウンドする前に打ち返すこと。ボレーにはミドルボレー、ローボレー、ハイボレー、ハーフボレー、ドロップボレー、アングルボレー、ドライブボレーなどがある。
 
; サーブ (serve)
 
: ボールを空中に離し(「トス」と呼ぶ)、そのボールをラケットで打つこと。「サービス」(service) とも言い、サーブを打つ人を「サーバー」と呼ぶ。サーバー側コートのベースライン後方から対角にある相手コートのサービスエリア(サービスボックスとも言う)にサーブを入れる事で、ゲームのポイントが開始される。サーブがサービスエリアに入らなかった場合、前述のように(「ルール」の項を参照)、1ポイントにつき1度のみ失敗(フォールト)が許されており、もう1度サーブを打つことができる。2度目のサーブも失敗した場合、ダブルフォールトとなり、サーバーはそのポイントを失う。トスを上げる場所は特に規定されているわけではないが、多くの場合、頭上に上げる。サービスエリアに入りかつ相手がサーブしたボールに触れる事ができなかった場合、このポイントを「エース」(Ace) と呼ぶ(日本では「サービスエース」と呼ばれる事が多い)。また、かろうじて触れられたものの、エース級のサーブでポイントを取った場合は「サービスウィナー」と呼ぶ。サーブの種類はボールの回転で分類されることが多く、主に「フラットサーブ」、「スライスサーブ」、「スピンサーブ」などと呼ばれる球種が存在する。しかし実際のところ、これらの球種の分類は回転量や回転の方向についてのものであるため、明確な区別が難しく、複数の性質を併せ持つ中間型も多い(「スライスサーブ」と「スピンサーブ」の両方の性質を持つ「トップスライスサーブ」などが知られている)。また、回転ではなく打法における分類としては、ラケットの先端を水平よりも下側に向けた状態から打つサーブを特にアンダーサーブと呼ぶ。
 
:; フラットサーブ
 
:: ボールの回転量が少なく、軌道の変化に乏しいので、他の回転をかけたサーブに比べるとサービスエリアに入れることは難しいとも言えるが、その分最もスピードを出すことのできるサーブである。
 
:; スライスサーブ
 
:: ボールに横回転をかけて打つサーブ。回転の効果でボールは横に曲がりながら飛び、バウンド後も切れていく球筋をたどる。安定性も高く、セカンドサーブとして使うのにも適している<ref>『基本が身につくテニス練習メニュー200』181頁。</ref>。
 
:; スピンサーブ
 
:: 前方への回転が主で、落差の大きい軌道を描く。このため、前述のフラットサーブなどよりも比較的サービスエリアに入れることが容易である。バウンド後は回転の影響により他のサーブに比べて高く弾む。サービスエリアに入る確率が高いこと、また高く弾むために攻撃されにくいことからセカンドサービスとして用いられることが多い。回転方向によっては、やや左に跳ねさせたり、逆にやや右に跳ねさせたりといった調節も可能である。「ツイストサーブ」や「キックサーブ」と呼ばれるサーブがあるが、もともとスピンサーブがこのような別名を持っている。一方、これらの呼称をそれぞれ独立したサーブとして差別化しようとする動きもある。
 
; リターン (return)
 
: サーブを返球すること。返球したボールがサーバーに触れずにポイントを得た場合「リターンウィナー」と呼ぶ(日本では「リターンエース」と呼ばれることが多いが、「エース」はサーブ側のみに使われる用語であり、厳密には誤りである)。
 
; ポーチ (poaching)
 
: ダブルスにおいて、ネット付近にいるプレーヤーが、移動して自分のパートナーの方へ打たれたボールをボレーする攻撃的な動作<ref name="gl01" />。
 
; ダウン・ザ・ライン(down the line)
 
: 相手のコートへ打たれたボールがサイドラインに沿ってまっすぐであることの表現<ref name="gl01" />。
 
;コードボール
 
:自分もしくは相手が打ったボールがネットに当たり相手側のコートに入ること。
 
;ウィナー
 
:ボレーやドロップショットなどで相手が全く触れずに得点となること。前述の「リターンウィナー」もこれに含まれる。
 
; プレイのスタイル
 
;; アグレッシブベースライナー (Aggressive Baseliner)
 
:: 強打などで攻撃的なプレーを行うベースライナー。
 
;; カウンターパンチャー (Counter Puncher)
 
:: 自分からは強打せずに相手のショットを拾って粘り、ミスを誘ったり、相手の強打を利用してカウンターを狙うスタイルのプレーヤー。
 
;; サーブアンドボレーヤー (Serve and Volleyer)
 
:: サーブを打った後すぐにネット付近に移動してボレーやスマッシュを行うプレーを得意とするプレーヤー。
 
;; オールラウンダー (All-Arounder)
 
:: 万能なプレーを行うことのできるプレーヤー。
 
; スプリット・ステップ (split step)
 
: 相手側がボールを打つ直前に小さくジャンプする一つのフットワークの技術<ref name="gl01" />。
 
; アイ・フォーメーション (I-formation)
 
: ダブルスにおいて、ポイントの開始前に、サーバーのパートナーがネットの中央付近に位置している陣形<ref name="gl01" />。
 
; オーストラリアン・フォーメーション (Australian formation)
 
: ダブルスにおいて、ポイントの開始前に、コートを左右に分ける中心線よりも右側か左側のどちらか一方にサーバーとそのパートナーの両方が位置している陣形<ref name="gl01" />。
 
; ホットドッグ (hot dog)
 
: プレイヤーがロブをネットから離れる方向へ追っていき、ネットに背中を向けた状態でボールを両足の間で打つプレー<ref name="gl01" />。
 
; バギー・ウィップ (buggy whip)
 
: フォアハンドでの打球時のフォロー・スルーが、体の前を通って逆側に行かず、低い場所から高い場所へ移動して同じ側で終了する打法。この打法を行う選手としては[[ラファエル・ナダル]]が知られる。名前は馬車の馬を鞭で打つ御者の動作に似ていることに由来する<ref name="gl01" />。<!-- なおwhipには、「卵白・クリームなどを泡立てること」という意味もあり、同じ発音である。 -->
 
;ジャックナイフ (jack knife)
 
:ストローク時にボールにスピン系の回転がかかり高く跳ね上がったときに対応するためにジャンプをしながらバックハンドでスマッシュを打つ方法。主に身長が低い選手が多く用いている。
 
 
 
=== その他 ===
 
; [[テニス肘]]、テニス・エルボー (tennis elbow)
 
: プレーヤーの技術やラケットが不適当であるために腕に過度の振動が伝わっていることが原因とされるけが<ref name="gl01" />。
 
 
 
;[[ベーグル]] (bagel)
 
:試合で自分もしくは相手にセットの中で1ゲームも取れないまた取られないことを言う(6-0、6-3 など)。また2セット続けて1ゲームも取れないまた取られない場合はダブルベーグルと呼ぶ。日本のテニス用語では団子とも言われる。
 
 
 
== 四大大会 ==
 
* 全豪オープン([[1月]])
 
* 全仏オープン([[5月]] - [[6月]])
 
* ウィンブルドン([[6月]] - [[7月]])
 
* 全米オープン([[8月]] - [[9月]])
 
 
 
四大大会を1年間ですべて優勝することを'''年間[[グランドスラム (テニス)|グランドスラム]]'''(複数年に跨っての達成はキャリア・グランドスラム(生涯グランドスラムとも)と呼ばれる。
 
 
 
これにオリンピックの金メダル獲得をも達成すると「ゴールデン・スラム」と呼ばれ(グランドスラムをオリンピックの開催年(オリンピアード)に達成し、かつオリンピックの金メダルを獲得することを年間ゴールデン・スラムという)、更なる難易度を要するものである。[[1988年]]に当時19歳の[[シュテフィ・グラフ]]が達成し、この言葉が作られた。グラフの後に達成した選手は、2008年に[[車いすテニス]]界において日本人プレーヤーの[[国枝慎吾]]が、成し遂げている(全豪オープン、ジャパンオープン、全英オープン、全米オープン、パラリンピック)が、グラフが達成したのは年間グランドスラムで、国枝の達成したものはキャリア・ゴールデン・スラムである。
 
 
 
== 日本 ==
 
=== 伝来 ===
 
諸説あり、[[1878年]](明治11年)にアメリカ人教師のリーランドが[[文部省]]の[[体操伝習所]]で紹介したローンテニスが最初であろうという説が有力とされている。
 
 
 
このあと、明治期の日本で調達が困難であったローンテニス用具を、安価なゴムボール等の代用品で賄った。これがやがて[[ソフトテニス|軟式テニス]]と呼ばれる様になり、体操伝習所の教師であった[[坪井玄道]]が普及に尽力し、伝習所の卒業生が教師となって各地の学校に赴任し伝えることにより<ref>[[タイムスクープハンター]](NHK総合1ch 11:30 - 0:00)2013年4月27日放送分 第4話『打て!大正テニスガール』番組内説明</ref>独自の発展を遂げ、今日の[[ソフトテニス]]に至る。
 
 
 
=== 発展 ===
 
軟式テニスで育った[[熊谷一弥]]、[[清水善造]]、[[原田武一]]、[[佐藤次郎]]、[[山岸二郎]]ら多数の名選手がテニスに転向し、欧州、米国に転戦し始める。彼らは、その当時においては独特のテニス(軟式テニスで培われたドライブ)で活躍し、1920年代前半から1930年代後半まで続いた日本テニス黄金時代を築き上げることとなる。
 
 
 
[[1918年]]([[大正]]7年)、熊谷一弥が[[全米オープン (テニス)|全米選手権]]において、日本人テニス選手として史上初のベスト4進出を果たし、[[1920年]](大正9年)には清水善造のウィンブルドン選手権「チャレンジ・ラウンド」で決勝(現在では準決勝に相当)に進出し、世界1位に君臨していた[[ビル・チルデン]]に肉薄した。また、その年に開催された第7回オリンピックにおいて熊谷がシングルスで[[銀メダル]]を獲得し、ダブルスでも熊谷と[[柏尾誠一郎]]のペアが銀メダルを獲得し、オリンピックで初めての日本のメダルとなった。翌1921年、男子テニス国別対抗戦・デビスカップの日本チームの活躍は目覚ましく、[[準優勝]]に輝いている。
 
 
 
日本テニス界の先駆者であった熊谷一弥と清水善造の後に続き、大正期から昭和期へと移行した1920年代には[[原田武一]]が日本を代表する選手として活躍した。原田はとりわけ、デビスカップで傑出した成績を挙げることとなる。特に1926年のデビスカップでは、日本テニス史に残る名勝負が繰り広げられた。日本は「アメリカン・ゾーン」決勝でキューバに5戦全勝で勝ち、「インターゾーン」の決勝でフランスと対戦する。当時のテニス界は、フランスの「四銃士」と呼ばれた4人の強豪選手たちが世界を席巻し始めていた。原田はインターゾーン決勝のフランス戦で、第2試合シングルスでルネ・ラコステを 6-4, 4-6, 6-3, 9-7 で破り、第5試合シングルスでもアンリ・コシェに 6-1, 6-3, 0-6, 6-4 で勝ち、この活躍で世界的に有名な選手となった。日本チームは2勝3敗でフランスに敗れたが、原田のシングルス2勝は大きな反響を呼んだ。1926年、原田武一は「全米テニスランキング」で[[ビル・チルデン]]、[[マニュエル・アロンソ]]に次ぐ第3位にランクされ、世界ランキングでも7位に躍進する。
 
 
 
1930年代に入ると、[[佐藤次郎]]が登場する。佐藤は4大大会でシングルスでは通算5度もベスト4に進出し、ダブルスでは[[布井良助]]とペアで準優勝を経験し、混合ダブルスにおいても準優勝に輝くなど、日本の男子テニス選手として空前絶後の世界的な活躍を残し、当時の世界ランキング3位にまで登り詰めたが、[[1934年]]([[昭和]]9年)4月に遠征中に[[マラッカ海峡]]で投身自殺をしてしまう。しかし、同年のウィンブルドン混合ダブルスで[[三木龍喜]]が[[ドロシー・ラウンド]]とペアを組んで優勝し、日本人のテニス選手として最初の4大大会優勝者になった。
 
 
 
佐藤亡き後は[[山岸二郎]]、[[中野文照]]が日本テニス界を代表する選手になる。特に山岸は1938年のデビス・カップ「アメリカン・ゾーン」決勝でオーストラリアと対戦した時、この年の世界ランキング3位だった[[ジョン・ブロムウィッチ]]を6-0, 3-6, 7-5, 6-4 で破り、[[1937年]](昭和12年)に山岸は世界ランキング9位に入り、[[1938年]](昭和13年)には8位にランクされた。同年にはアメリカの[[ドン・バッジ]]がテニス史上最初の「年間グランドスラム」を達成しており、山岸は彼らに続く強豪選手として高い評価を受けたのである。
 
 
 
しかし、1937年に勃発した[[日中戦争]]は泥沼の様相を呈し、国内の物不足も顕著になりボールも配給制となった。[[1939年]]には四大大会への海外遠征とデビス・カップへの選手派遣も中止となり、戦前の日本テニスの黄金時代は終わりをつげた。[[1941年]]に日本が[[太平洋戦争]]に突入すると、日本国内は戦時一色となり、[[日本テニス協会]]も1942年11月に解散を余儀なくされてしまい、翌年から3年間、戦争激化のため大会は中止せざるを得なかった。この影響は日本テニス界を確実に蝕み、今までのような高水準のレベルが維持できないようになってしまい、長期の低迷を迎えることとなる。
 
 
 
=== 太平洋戦争後 ===
 
終戦後には日本においてテニスをはじめとするスポーツも徐々に復興し、[[1951年]](昭和26年)からデビスカップの国際舞台に復帰すると徐々にレベルを回復させるようなる。[[1955年]](昭和30年)、全米選手権男子ダブルスにおいて[[宮城淳]]、[[加茂公成]]のペアが優勝を成し遂げる。
 
 
 
1970年代には日本でもプロ選手が登場、そのプロ第1号(戦後初のトーナメントプロ)である[[神和住純]](父が軟式テニスの全日本チャンピオン、本人も軟式出身)が世界を転戦する。神和住は主に「WCTサーキット」で活躍し、当時のトップ選手だった[[スタン・スミス]]を2度破るなどの活躍を見せた。
 
 
 
[[1995年]](平成7年)には[[松岡修造]]がウィンブルドン選手権男子シングルスでベスト8を獲得した。それ以後、日本の男子選手で世界トップレベルに近づいた選手は少なかった。
 
 
 
しかし、[[2008年]](平成20年)に[[錦織圭]]が18歳で日本人最年少ツアー優勝を果たし、[[2014年]](平成26年)には、全米オープンでアジア男子初の準優勝、同年末にはアジア男子初の[[ATPワールドツアー・ファイナル]]に出場。初出場で2勝をあげ、準決勝まで進出するという快挙を達成、2015年には日本人及びアジア人最高位を更新する世界ランキング4位を記録、アジア選手初の生涯獲得賞金1,000万ドル (約12億円) を突破した。そして、全米オープンでは日本人で初めてのグランドスラムでの第4シードを獲得した。2016年には[[リオデジャネイロオリンピック]]に男子シングルスの日本代表として出場。準決勝でイギリスの英雄[[アンディ・マリー]]にストレートで敗退するも3位決定戦で同大会ダブルス部門で金メダルを獲得した[[ラファエル・ナダル]]にフルセットの末、勝利し銅メダルを獲得し、前述の熊谷一弥,柏尾誠一郎以来の96年ぶりのオリンピックテニス競技のメダリストに輝いた。
 
 
 
女子では、[[1975年]]([[昭和]]50年)のウィンブルドン選手権女子ダブルスで、[[沢松和子]]と[[アン清村]]のペアが初優勝した。[[1980年代]]から[[1990年代|90年代]]には[[井上悦子]]や[[1989年]]にプロ転向した[[クルム伊達公子|伊達公子]]が活躍。伊達は1995年に日本人選手として最高の世界ランキングシングルス4位を記録。[[1997年]]には[[平木理化]]が全仏オープン混合ダブルスで優勝した。2004年2月、[[杉山愛]]が世界ランキング8位を記録し、日本人女子として2人目のトップ10入りを果たした。また、[[ダブルス]]としては世界的な名手と知られ、2000年10月には日本人男女初となる世界ランキング1位を記録した(後に2003年にも1位に返り咲く)。
 
 
 
== ソフトテニス ==
 
前述したようにソフトテニス(軟式テニス)はテニスが日本へ紹介された当時、テニス用具の国産化が難しく輸入品が高価であったため、比較的安価に輸入{{要検証範囲|(独)|date=2011年10月}}できたゴムを材料としたボールが使われたのが始まりで、ゴムボールを使用するソフトテニスは日本が発祥。日本のインド学・仏教学の祖である[[高楠順次郎]]は若い頃、日本で初めてソフトテニス(軟式テニス)をしたひとりとしても知られている。アジアを中心に行われていたがプレイされる国や地域が増え、2007年の第13回世界選手権では40を超える国がエントリーした。ダブルスが主体であるというイメージがある。1994年以降はシングルスのルールが整備されている。ルールの一部はテニスのものと異なっている。日本語においては、ソフトテニスと区別して、テニスを硬式テニスと呼ぶこともある。
 
 
 
== テニススクール ==
 
* [[テニススクール]]の頁を参照。
 
 
 
== その他 ==
 
* [[1998年]]、日本テニス協会や[[日本プロテニス協会]]などが参加する「日本テニス振興協議会」は設立された1998年に[[9月23日]](秋分の日)を「テニスの日」に制定した<ref>[https://www.thetennisdaily.jp/news/contents/national/primary/20150923_0014362.php 「テニスをブームではなく根付かせるために…18年目を迎えた9月23日「テニスの日」」|「国内ニュース」のニュース|THE TENNIS DAILY/テニスデイリー、閲覧2017年7月14日]</ref>。
 
* [[バドミントン]]などとともに、[[レクリエーション]]や[[レジャー]]としても広く行われる競技である。公園や高原の[[リゾート]]地などには、しばしばテニスコートが見られる。
 
 
 
== テニスを扱った作品 ==
 
; 小説
 
* [[宇宙のウインブルドン]]([[川上健一]])
 
* [[テニスボーイの憂鬱]]([[村上龍]])
 
* [[青が散る]]([[宮本輝]])
 
* [[スマッシュ×スマッシュ]]([[松崎洋]])
 
; 映画
 
* [[リトル・モー (映画)|リトル・モー]](1978年、米国)
 
* [[ウィンブルドン 愛の日]](1979年、米国)
 
* [[ウィンブルドン (映画)|ウィンブルドン]](2004年、イギリス・フランス)
 
* [[テニスの王子様#実写版|テニスの王子様]](2006年・2011年、日本)
 
 
 
; テレビドラマ
 
* [[コートにかける青春]](1971年、日本)
 
* [[青が散る]](1983年、日本)
 
* [[エースをねらえ!#TVドラマ|エースをねらえ!]](2004年、日本)
 
** エースをねらえ! 奇跡への挑戦(2004年、日本)※上記の続編
 
* [[Happy! (漫画)#テレビドラマ|Happy!]](2006年、日本)
 
** [[Happy! (漫画)#Happy!2|Happy!2 〜私、先輩の為にガンバリます]](2006年、日本)※上記の続編
 
 
 
; 舞台
 
* [[ミュージカル・テニスの王子様]](2003年 - 2010年、日本)
 
** [[ミュージカル・テニスの王子様2ndシーズン]](2011年 - 2014年)※上記の続編
 
** [[ミュージカル・テニスの王子様3rdシーズン]](2015年 - )
 
 
 
; 漫画
 
{{See|Category:テニス漫画|スポーツ漫画#テニス}}
 
 
 
; コンピュータゲーム
 
{{See|Category:テニスゲーム}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[国際テニス連盟]] (ITF)
 
*[[男子プロテニス協会]] (ATP)
 
*[[女子テニス協会]] (WTA)
 
*[[日本テニス協会]]
 
* [[テニス選手一覧]]
 
* [[ビーチテニス]]
 
* [[パドルテニス]]
 
* [[フリーテニス]]
 
* [[ジュ・ド・ポーム]]
 
*[[アンダースコート]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
{{Commons&cat|Tennis|Tennis}}
 
{{Wiktionary}}
 
{{Wikibooks}}
 
 
'''公式'''
 
'''公式'''
 
* [http://www.itftennis.com/ ITF] - [[国際テニス連盟]] {{en icon}}
 
* [http://www.itftennis.com/ ITF] - [[国際テニス連盟]] {{en icon}}
351行目: 35行目:
 
* [http://www.usopen.org/home/default.sps 全米オープン] {{en icon}}
 
* [http://www.usopen.org/home/default.sps 全米オープン] {{en icon}}
  
{{Normdaten}}
+
 
 
{{スポーツ一覧}}
 
{{スポーツ一覧}}
 
{{球技}}
 
{{球技}}
 +
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{デフォルトソート:てにす}}
 
{{デフォルトソート:てにす}}
  

2018/8/30/ (木) 01:32時点における最新版

1986年ウィンブルドン選手権大会で7回目の優勝を果たしたナブラチロワ選手(アメリカ).jpg
 テニス
統括団体 国際テニス連盟
通称 庭球
起源 19世紀
特徴
身体接触
選手数 1人もしくは2人
男女混合
カテゴリ 屋外競技
オリンピック 1896年-1924年1988年-
テンプレートを表示

テニス: Tennis

コートの中央に張られたネットを挟んで相対する競技者が,ラケットでボールを打ち合う球技。もともとの名称はローンテニス。日本では硬式テニスともいい,庭球とも表記される。 12~13世紀頃からフランス,イタリアなどの貴族や僧侶の間で行なわれていたジュ・ド・ポームという屋内ゲームが起源とされる。

16世紀頃に現在のラケットの原型が登場し,それまでの素手や手袋使用に取って代わった。その後イギリスに紹介され,1874年ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド少佐がテニス用具やコート,ルールを考案して特許を申請。芝生 (ローン) の上にコートが設置され,ローンテニスと呼ばれて急速に普及した。

1877年ロンドン郊外のウィンブルドンで選手権大会が開かれ (ウィンブルドン選手権大会 ) ,このときコートの寸法,ボールの規定,試合のルールなどが定められた。アメリカ合衆国ではニューヨークのスタテン島に初のテニスコートがつくられたのち普及,1881年全米ローンテニス協会が設立された。 1912年には国際ローンテニス連盟 (国際テニス連盟 ) の設立をみた。日本にテニスを紹介したのは 1878年に来日したアメリカ人教師ジョージ・アダムズ・リーランドという説が有力。当時はボールの入手が困難であったため,1890年頃に日本独自の軟式ボールが生まれ,軟式テニス (ソフトテニス ) が普及した。 1922年日本庭球協会が設立され,1980年日本テニス協会に改称した。試合は,競技者のいずれかが正しく返球できなかった場合,あるいはサービスを2本とも失敗した場合などに相手側にポイントが与えられる。1セット6ゲームからなり,最初のポイントを「15 (フィフティーン) 」,2ポイント目を「30 (サーティ) 」,3ポイント目を「40 (フォーティ) 」と呼ぶ。4ポイント目を先取した側がゲームを取得し,さらに6ゲームを先にとったほうがセットの勝者となる。ゲームでポイントが 40対 40と並んだ場合,ジュースとなり,2ポイントを先にとったほうが勝つ。また,セットでゲーム数が6対6で並んだ場合,タイブレークを行ない,2ポイント以上の差をつけて7ポイントを先に奪ったほうが勝つ。主要大会では,男子は5セット,女子は3セットで試合が行なわれ,それぞれ3セット,2セットを先取した側が勝者となる。男女の各シングルス,男女の各ダブルス,混合ダブルスがある。


外部リンク

公式

大会





楽天市場検索: