「ヴィリニュス」の版間の差分

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[[ファイル:Vilnius montage.jpg|サムネイル|]]
 
 
 
{{世界の市
 
{{世界の市
 
|正式名称 = ヴィリニュス
 
|正式名称 = ヴィリニュス
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}}
 
}}
  
'''ヴィリニュス'''({{lang-lt|Vilnius}} {{IPA-lt|ˈvʲɪlʲnʲʊs|-|Vilnius.ogg}})は、[[リトアニア|リトアニア共和国]]の[[首都]]で、同国最大の都市である。人口は 558,165 人([[2009年]]現在)。かつて[[ポーランド]]領だったこともある。[[バルト三国]]で唯一海に面していない[[首都]]で、バルト海に面したリトアニア主要港の[[クライペダ]]からは 312 km離れている。
+
'''ヴィリニュス'''({{lang-lt|Vilnius}}
  
ヴィリニュスは、{{仮リンク|ヴィルネ川|en|Vilnia River}}・{{仮リンク|ネリス川|en|Neris}}沿いに位置し、リトアニアの南東と地理的に偏ったところにある。これは過去数世紀の間に国境の形が変わっていったことと関係している。かつて[[リトアニア大公国]]の時代にヴィリニュスは国土の中央にあった。
+
[[リトアニア]]の首都。ポーランド語でウィルノ Wilno。同国南東部,ネマン川支流のビリヤ (ネリス) 川とビリニャ川の合流点に位置する。 1128年記録に現れ,1323年リトアニア大公国の首都となった。 1377年[[ドイツ騎士団]]に破壊されたが,再建され,1387年自治都市となった。 1795年第3次[[ポーランド分割]]によりロシア領となったが,1920~39年ポーランドの支配下に置かれ,1940~91年ソビエト連邦領。リトアニアの行政,経済,文化の中心で,機械 (農業,電子,工作) ,繊維 (メリヤス,縫製) ,皮革,製靴,食品 (食肉,乳製品,菓子) ,たばこ,家具などの工業が発達している。またビリニュス大学 (1579) をはじめ教育,芸術などの大学,高等音楽院,科学アカデミー,歴史・民族博物館,各種劇場,美術館などの文化施設がある。第1次世界大戦,第2次世界大戦で大損害を受けたが,16世紀の城壁,14~17世紀の各種様式の聖堂など古い建築物が残る旧市街は,1994年世界遺産の文化遺産に登録。鉄道,ハイウェーの分岐点で,空港もある。
 
+
   
[[1994年]]に旧市街は[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]([[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]])に登録された。また、[[2009年]]には[[欧州文化首都]]に選ばれたこともある。
 
 
 
== 都市名の表記 ==
 
[[リトアニア]]における公用語である[[リトアニア語]]では「'''Vilnius''' <small>ヴィルニュス</small>」と表記される。また、ソ連時代には[[ロシア語]]で「'''{{lang|ru|Вильнюс}}''' <small>ヴィリニュス</small>」と表記されていた。
 
 
 
[[日本語]]においては、ロシア語表記にもとづいて「'''ヴィリニュス'''」と表記されることが多かったが、リトアニアの独立回復以降は、リトアニア語にもとづいて「'''ヴィルニュス'''」と表記する例も増えてきている。そのほか、新聞などでは「'''ビリニュス'''」や「'''ビルニュス'''」とも表記される。
 
 
 
歴史的には、[[ロシア帝国]]時代においては当時のロシア語で「'''ヴィリナ'''」({{lang|ru|Вильна}})と呼ばれ、[[ポーランド第二共和国]]時代においては[[ポーランド語]]で「'''ヴィルノ'''」({{lang|pl|Wilno}})と呼ばれた。また、人口の多くを占めていた[[ユダヤ人]]からは[[イディッシュ語]]で「'''ヴィルネ'''」({{lang|yi|ווילנע}}、[[ラテン文字]]転写: Vilne)とも呼ばれた。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|{{仮リンク|ヴィリニュスの歴史|en|History of Vilnius}}}}
 
 
 
=== 中世 ===
 
[[リトアニア大公国]]の王[[ミンダウガス]]の居城の一つとして、この地に城が作られたのは[[13世紀]]であった。[[ゲディミナス朝]]の中興の祖・[[ゲディミナス]]によって公国の領土は、[[ベラルーシ]]、[[ウクライナ]]、そして[[ドニエストル川]]全域、さらには[[ポーランド]]や[[ロシア]]の一部にまで拡大したが、{{仮リンク|ヴィルナ川|en|Vilnia River}}と{{仮リンク|ネリス川|en|Neris}}という二つの航行可能な河川が流れ、森林と湿地に守られたヴィリニュスは公国の統治・防衛に好都合で、首都として機能するようになる([[1323年]]、ゲディミナスが[[ローマ教皇]][[ヨハネス22世 (ローマ教皇)|ヨハネス22世]]に宛てた書簡に都として名前が登場する)。
 
 
 
ゲディミナスの子[[アルギルダス]]の死後、大公の座をめぐって紛争が起こるとヴィリニュスは戦禍に見舞われる。勝者となった[[ヨガイラ]]は、ポーランド女王[[ヤドヴィガ (ポーランド女王)|ヤドヴィガ]]と結婚し、[[ポーランド・リトアニア合同]]が誕生した。ヨガイラによってヴィリニュスは[[マクデブルク法]]の自治を獲得する。ヴィリニュスは順調な発展を続け、[[16世紀]]に入ると城壁も整備され、[[ジグムント2世]]の宮廷もここに移された。ヴィリニュスは公国領の各地から集った多様な民族で殷賑を極めた国際都市へと発展した。[[1579年]]には[[ヴィリニュス大学]]が創立される。
 
 
 
[[17世紀]]を迎えると、[[ポーランド・リトアニア共和国]]は、衰退が始まる。[[大洪水時代]]である。[[ロシア・ポーランド戦争 (1605年-1618年)|ロシア・ポーランド戦争]]では、ヴィリニュスは[[ロシア帝国]]および[[ザクセン公国]]軍に占領され放火・略奪・大虐殺の甚大な被害を受ける。[[1710年]]にはペストの大流行で1700人を超える市民を失い、さらにたび重なる大火で、市は18世紀を通して衰退を極めた。さらに、ポーランド・リトアニア共和国は、[[ブランデンブルク=プロイセン]]、ロシア帝国、[[ハプスブルク君主国]]の三列強により3度にわたって分割される([[ポーランド分割]])。特に、[[1795年]]の第3次分割で、ヴィリニュスはロシア帝国に編入され、ヴィリニュスにはヴィルナ・[[グベールニヤ]]の庁舎が置かれた。ロシア帝政下で、ヴィリニュスの城壁は破壊された。
 
 
 
[[1812年ロシア戦役]]では、[[モスクワ]]攻略に向かう[[ナポレオン・ボナパルト]]によって、ヴィリニュスは再び破壊された。しかし、ナポレオンの[[大陸軍 (フランス)|大陸軍]]は当初、市民には歓迎された。[[1831年]]、第1回反ロシア蜂起([[11月蜂起]])が起こるとヴィリニュス大学は閉鎖され、ヴィリニュスは圧政下に置かれた。[[1863年]]に始まる第2回反ロシア蜂起([[1月蜂起]])は激しい市街戦となり、鎮圧したロシアはリトアニア語とポーランド語を禁じるロシア化政策を強行、リトアニア人がヴィリニュスをそしてリトアニアを離れることになった。
 
 
 
=== 20世紀 ===
 
20世紀初頭には、リトアニア語を母語とする市民はごく少数しか残っていなかった。[[第一次世界大戦]]中、ヴィリニュスは[[ドイツ帝国]]の占領下に置かれた。ドイツ占領下で、リトアニアは独立を宣言。ドイツ軍撤退後、ヴィリニュスはポーランド民兵部隊の支配下に置かれた。[[ポーランド・ソビエト戦争]]が起こると、ヴィリニュスは、[[赤軍]]とポーランド軍の度々の戦場となる。リトアニアは、ソ連とポーランドの双方を相手に戦いながら([[:en:Lithuanian–Soviet War]]、[[:en:Polish–Lithuanian War]])、[[1920年]][[リトアニア共和国]]を宣言。しかし、その首都としてヴィリニュスを認めたくないポーランドは、7月にソ連とリトアニア間で締結された条約([[:en:Soviet–Lithuanian Peace Treaty]])を無視して、ヴィリニュスへ軍事侵攻。[[10月7日]]に{{仮リンク|スヴァウキ協定|en|Suwałki Agreement}}締結後、[[:en:Żeligowski's Mutiny]]がヴィリニュスを占領すると、[[10月12日]]に傀儡国家の[[中部リトアニア共和国]]が作られ、その数年後ポーランドに編入された。ポーランドによる侵攻以後、リトアニア共和国は首都機能を[[カウナス]]に移転し、その後22年間カウナスが「[[臨時首都]]」とされたが、憲法上はあくまでもヴィリニュスを首都として規定していた。ポーランド領となったヴィリニュスではポーランド語や[[イディッシュ語]]が話されるようになった。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]が勃発すると、[[1939年]]、ヴィリニュスは、[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]](ソ連)とリトアニアによってポーランド支配から奪還される。ソ連軍はすぐにヴィリニュスから撤退、リトアニアが自治を回復したかに見えた。しかし、翌[[1940年]]にリトアニアは[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国]]となり、事実上ソ連に併合されて[[内務人民委員部]](NKVD)によって市民4万人以上が逮捕・殺害され、極東シベリアの[[グラグ]]に連行された。さらに市内の工場にある機械は全て外部に持ち出された。[[ナチス・ドイツ]]が[[バルバロッサ作戦]]を開始するやヴィリニュスはナチスに占領され、大きな[[ユダヤ人]]社会のあったヴィリニュスには二つの[[ゲットー]]([[ヴィリニュス・ゲットー]])が作られユダヤ人が隔離された。最終的に多くのユダヤ人の命が奪われた(詳細は、[[:en:Ponary massacre]]及び[[リトアニアにおけるホロコースト]]を参照。)。[[1944年]]には再び、ヴィリニュスはソ連の支配するところとなり、多くの[[国内軍 (ポーランド)|アールミヤ・クラヨーヴァ]]({{lang-pl-short|Armia Krajowa}}、略称: AK)が処刑された。また今度は[[インテリ]]階級が逮捕・強制連行され、シベリアの[[グラグ]]送りとなった。[[1949年]]、なおもソ連から独立闘争を続けるリトアニアは、[[人民の敵]]と[[ソビエト連邦共産党]]から認定され、一般市民まで数十万人がシベリア・中央アジアに強制連行された。
 
 
 
[[1990年]]、ヴィリニュスの共和国最高会議議長に就任した非共産党員の[[ヴィータウタス・ランズベルギス]]は、ソヴィエト連邦を構成する共和国で真っ先に独立を宣言し、リトアニア共和国が復活した。[[1991年]]1月に[[ミハイル・ゴルバチョフ|ゴルバチョフ]]政権は、テレビ塔や放送局を急襲、14人を殺害、独立阻止を企てた([[血の日曜日事件 (リトアニア)|血の日曜日事件]])。8月、[[ソ連8月クーデター]]でリトアニア共和国の独立が認められた。リトアニア共和国憲法は第17条で、リトアニアの首都はヴィリニュス市であると規定している。
 
 
 
== 民族構成 ==
 
ヴィリニュスは[[リトアニア人]]の非常に少ない街で、全住民におけるリトアニア人の割合はロシア統治下の[[1897年]]では2.1%<ref>[http://demoscope.ru/weekly/ssp/rus_lan_97.php?reg=32  Demoscope].</ref>、ドイツ統治下の[[1916年]]では2.6%<ref>Michał Eustachy Brensztejn,1919 "Spisy ludności m. Wilna za okupacji niemieckiej od. 1 listopada 1915 r." Biblioteka Delegacji Rad Polskich Litwy i Białej Rusi, Warsaw</ref> であった。[[1931年]]におけるヴィリニュスの民族構成は以下の通りである<ref name="ReferenceA">"Drugi Powszechny Spis Ludności z dnia 9 XII 1931 r." Statystyka Polski, volume D issue 34, year 1939</ref>。
 
* [[ポーランド人]] – 65.9%
 
* [[ユダヤ人]]([[ポーランド語]]と[[イディッシュ語]]の両方を話す) – 28.0%
 
* [[ロシア人]] – 3.8%
 
* [[ベラルーシ人]] – 0.9%
 
* [[リトアニア人]] – 0.8%
 
* [[ウクライナ人]] – 0.1%
 
* その他 – 0.2%
 
特に、現在[[世界遺産]]となっている'''ヴィリニュス歴史地区'''(旧市街)の住民のほぼ 100 % は[[ポーランド人]]であった<ref name="ReferenceA"/><ref>Michael MacQueen, The Context of Mass Destruction: Agents and Prerequisites of the Holocaust in Lithuania, Holocaust and Genocide Studies, Volume 12, Number 1, pp. 27-48, 1998</ref>。しかし[[第二次世界大戦]]でヴィリニュスが[[ソビエト連邦|ソヴィエト連邦]]領となり[[リトアニア・ソビエト社会主義共和国|リトアニア・ソヴィエト社会主義共和国]]に併合されると、戦後この街のポーランド人の多くが[[ポーランド]]へと追放され、住民はリトアニア人とロシア人に取って代わられた。
 
 
 
2001年の統計では、ヴィリニュス市内の住民542,287人の構成は以下のようになっている。
 
* [[リトアニア人]] - 57.8%
 
* [[ポーランド人]] - 18.7%
 
* [[ロシア人]] - 14%
 
* [[ベラルーシ人]] - 4%
 
* [[ウクライナ人]] - 1.3%
 
* [[ユダヤ人]] - 0.5%
 
<!--
 
According to the 2001 census by the Vilnius Regional Statistical Office, there were 542,287 inhabitants in the Vilnius city municipality, of which 57.8% were Lithuanians, 18.7% Poles, 14% Russians, 4.0% Belarusians, 1.3% Ukrainians and 0.5% Jews; the remainder indicated other nationalities or refused to answer.
 
-->
 
 
 
== 地形 ==
 
国土の南東部に位置し、ネリス川とヴィルナ川の合流地点にある。ヴィリニュスという名は、このヴィルナ川に由来する。[[ヨーロッパ]]の地形上の中心に位置している。[[バルト海]]に面する[[クライペダ]]へは312kmの内陸部である。[[カウナス]]へ102km、[[シャウレイ]]へ214km、[[パネヴェジース]]へ135kmである。
 
 
 
== 気候 ==
 
[[ケッペンの気候区分]]では[[亜寒帯湿潤気候]](Dfb)に属する。年間平均気温は6.1℃、1月の平均気温は-4.9℃、7月は17.0℃である。年間降水量は平均で661 mm。夏は30℃を越えることも珍しくない。冬は氷点下が普通で、湖は氷結し、氷上の穴釣り(ice fishing)が人気のある娯楽である。
 
{{-}}<!--Infobox begins-->{{Infobox Weather
 
|location = リトアニア・ヴィリニュス
 
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|Oct_Hi_°F = 50.4
 
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|Jan_Hi_°C = -3.5
 
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|Year_Precip_cm =      |Year_Precip_mm = 683
 
|source =The World Meteorological Organization.<ref name=WMO>{{en icon}} [http://www.worldweather.org/105/c00204.htm Weather Information for Vilnius]. The World Meteorological Organization. 2006年12月12日閲覧.</ref>
 
|accessdate = 2006年11月.
 
}}
 
 
 
== 経済 ==
 
[[File:Vilnius 11.JPG|thumb|ヴィリニュスの金融街]]
 
ヴィリニュスはリトアニアの人口の15%であるが、[[GDP]]の25%、国家予算の37%を占めている。バルト三国でも主要な金融都市に成長している。[[リトアニア航空|FlyLal]]の本社などがある。
 
 
 
== 交通 ==
 
* ヴィリニュス・バス・ターミナル
 
: 旧市街の南にある。トロリーバス(1番、2番、5番、7番)で市の中心部に出られる。[[リガ]]、[[タリン]]、[[ワルシャワ]]方面を中心に、毎日多くの国際線バスがある。
 
* ヴィリニュス駅
 
: 旧市街の南にある。隣がヴィリニュス・バス・ターミナルである。[[ワルシャワ]]方面の国際列車は運休中で、[[モスクワ]]([[ベラルースキー駅]])や[[サンクトペテルブルク]]([[ヴィチェプスク駅]])などロシアへの国際列車が毎日運行されている。モスクワへの列車は[[ベラルーシ]]を経由する。夏季には、[[シンフェロポリ]]などウクライナ方面への国際列車も[[リガ]]からヴィリニュス経由で運行される。国内では[[カウナス]]などへの路線がある。
 
* [[ヴィリニュス国際空港]]
 
: 市の南5kmにある。市のバス(1番または2番)で、ヴィリニュス駅や中心部に出られる。[[リトアニア航空]]がハブ空港としてきたが、経営難から運行が停止された。[[ラトビア]]の[[エア・バルティック]]がセカンドハブとして、この空港を利用しているが、ヴィリニュスの国際路線は年々急速に減少している。空港ターミナルは1950年代の典型的な旧ソ連建築であったが、[[シェンゲン協定]]の規定に準拠した新しいターミナルが完成した。
 
 
 
市の公共交通としては、60を超えるバス路線と20を超えるトロリーバス路線がある。トロリーバスのネットワークはヨーロッパでも最大規模である。トラム建設の計画はかねてからあるが、未だ実現していない。また地下鉄建設の計画もある。
 
 
 
== 世界遺産 ==
 
{{世界遺産概要表
 
|site_img =ファイル:Vilnius Cathedral Exterior 2, Vilnius, Lithuania - Diliff.jpg
 
|site_img_capt =大聖堂のあるカテドゥロス広場
 
|site_img_width =275px
 
|ja_name = ヴィリニュス歴史地区
 
|en_name = Vilnius Historic Centre
 
|fr_name = Centre historique de Vilnius
 
|country = リトアニア
 
|criterion_c = (2),(4)
 
|rg_year = 1994年
 
|ex_rg_year =
 
|remarks =
 
|url_no = 541
 
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|}}
 
ヴィリニュスの旧市街は、3.6平方キロメートルと欧州内でも最大級であり(東欧最大)、歴史的・文化的事物が集積されている。同じバルト三国の首都である[[リガ]]や[[タリン]]と較べて、旧市街には城壁など明瞭な境界がなく、また都市の形成される過程において、[[ドイツ騎士団]]や[[ハンザ同盟]]の影響は見られない。旧市街の建築物は約1,500ほどあり、特に教会建築が多様である。[[バロック]]様式の建築が多いように思われているが、実際には[[ゴシック]]や[[ルネサンス|ルネッサンス]]様式もある。旧市街は「ヴィリニュス歴史地区」として、[[1994年]]に[[国際連合教育科学文化機関|ユネスコ]]の[[世界遺産]]([[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]])に登録された。
 
 
 
主な史跡は以下の通り。
 
* ヴィリニュス大聖堂
 
* [[ゲディミナス城|ゲディミナス塔]]
 
* リトアニア大公宮
 
* ヴィリニュス大学
 
* [[夜明けの門]]
 
* 聖アンナ教会(Šventos Onos bažnyčia) - 聖オノス教会ともいう。15世紀末に建てられた後期ゴシック様式の教会<ref>{{Cite book|和書 |year = 2017 |title = 地球の歩き方 2017〜18  バルトの国々 |publisher = ダイヤモンド・ビッグ社 |page = 193 |isbn = 978-4-478-06042-1}}</ref>。
 
* 聖カジミエル教会
 
* 生神女就寝大聖堂
 
* 聖ペテロ・パウロ教会
 
* 聖ニコラス教会
 
 
 
=== 登録基準 ===
 
{{世界遺産基準|2|4}}
 
 
 
== ギャラリー ==
 
{{Gallery
 
|ファイル:Vilnius Cathedral 2014.jpg|ヴィリニュス大聖堂
 
|ファイル:Gediminas Tower.jpg|ゲティミナス塔
 
|ファイル:Palace of the Grand Dukes of Lithuania (2013).jpg|リトアニア大公宮
 
|ファイル:Vilnius University Great Courtyard 2, Vilnius, Lithuania - Diliff.jpg|ヴィリニュス大学
 
|ファイル:Gate of Dawn Exterior, Vilnius, Lithuania - Diliff.jpg|夜明けの門
 
|ファイル:St Annes in Vilnius.jpg|聖アンナ教会
 
|ファイル:St Casimir Church Exterior At Dusk, Vilnius, Lithuania - Diliff.jpg|聖カジミエル教会
 
|ファイル:Russian Orthodox Church of The Holy Mother of God Vilnius (5990381200).jpg |生神女就寝大聖堂
 
|ファイル:Vilnius Old Town, Lithuania, 14 Sept. 2008.jpg|旧市街の街並
 
||ヨーロッパタワー(バルト三国で最も高い高層ビル)
 
|ファイル:Vilnius - TV tower.jpg|テレビ塔
 
}}
 
 
 
== スポーツ ==
 
[[ファイル:SiemensArenaFacade.jpg|thumb|right|シーメンスアリーナ]] バスケットボールが盛んで、[[リトアニア・バスケットボール・リーグ]]や[[バルティック・リーグ]]に加盟している強豪・[[BCリエトゥヴォス・リータス]]が有名。競技場としては11,000人を収容する[[シーメンスアリーナ]]があり、重要なバスケットボールの試合はここで行われる。
 
 
 
== 姉妹都市 ==
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
<!--日本語表記が不明 * [[Akhisar]]({{TUR}})-->
 
* [[アスタナ]]({{KAZ}})
 
* [[アルマトイ]]({{KAZ}})
 
* [[ウッチ]]({{POL}})
 
* [[エアフルト]]({{GER}})
 
* [[エディンバラ]]({{GBR}})
 
* [[オスロ]]({{NOR}})
 
* [[オールボー]]({{DEN}})
 
* [[キエフ]]({{UKR}})
 
* [[キシナウ]]({{MDA}})
 
* [[グダニスク]]({{POL}})
 
* [[クラクフ]]({{POL}})
 
* [[広州市]]({{CHN}})
 
* [[ザルツブルク]]({{AUT}})
 
* [[サンクトペテルブルク]]({{RUS}})
 
* [[シカゴ]]({{USA}})
 
* [[ストックホルム]]({{SWE}})
 
* [[ストラスブール]]({{FRA}})
 
<div style="float: left; vertical-align: top; white-space: nowrap; margin-right: 1em;">
 
* [[台北市]]({{TAI}})
 
* [[タリン]]({{EST}})
 
* [[ティラナ]]({{ALB}})
 
* [[デュースブルク]]({{GER}})
 
* [[ドニプロペトロウシク]]({{UKR}})
 
* [[ドネツィク]]({{UKR}})
 
* [[パヴィア]]({{ITA}})
 
* [[ピレウス]]({{GRE}})
 
* [[ブダペスト]]({{HUN}})
 
* [[ブリュッセル]]({{BEL}})
 
* [[マディソン (ウィスコンシン州)|マディソン]]({{USA}})
 
* [[ミンスク]]({{BLR}})
 
* [[モスクワ]]({{RUS}})
 
* [[ヨエンスー]]({{FIN}})
 
* [[リガ]]({{LAT}})
 
* [[レイキャヴィーク]]({{ICE}})
 
* [[ワルシャワ]]({{POL}})
 
{{clear|left}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[杉原千畝]] - [[1991年]](平成3年)9月、杉原の功績を讚えるため、ヴィリニュスにある通りの一つが「[http://maps.google.co.jp/maps?hl=ja&ll=54.703338,25.231776&spn=0.009658,0.021608&sll=36.5626,136.362305&sspn=21.648293,28.344727&brcurrent=3,0x0:0x0,0&t=h&z=16 スギハラ通り]」と命名された。
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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*[https://vilnius.lt/lt/ Vilnius(リトアニア語・英語)]
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2018/9/8/ (土) 18:15時点における最新版

Vilnius montage.jpg
ヴィリニュス
Vilnius
位置
ヴィリニュスの位置(リトアニア共和国)の位置図
ヴィリニュスの位置(リトアニア共和国
座標 : 東経25度16分50秒北緯54.68889度 東経25.28056度54.68889; 25.28056
歴史
文献に登場 1323年
市に制定 1387年
行政
 リトアニア
 地方 ズーキヤ
  ヴィリニュス郡
 自治体 ヴィリニュス都市自治体
 市 ヴィリニュス
地理
面積  
  市域 401 km2 (154.8 mi2)
人口
人口 2009年現在)
  市域 558,165人
    人口密度   1,391.9人/km2(3,605人/mi2
  都市圏 848,900人

ヴィリニュスリトアニア語: Vilnius

リトアニアの首都。ポーランド語でウィルノ Wilno。同国南東部,ネマン川支流のビリヤ (ネリス) 川とビリニャ川の合流点に位置する。 1128年記録に現れ,1323年リトアニア大公国の首都となった。 1377年ドイツ騎士団に破壊されたが,再建され,1387年自治都市となった。 1795年第3次ポーランド分割によりロシア領となったが,1920~39年ポーランドの支配下に置かれ,1940~91年ソビエト連邦領。リトアニアの行政,経済,文化の中心で,機械 (農業,電子,工作) ,繊維 (メリヤス,縫製) ,皮革,製靴,食品 (食肉,乳製品,菓子) ,たばこ,家具などの工業が発達している。またビリニュス大学 (1579) をはじめ教育,芸術などの大学,高等音楽院,科学アカデミー,歴史・民族博物館,各種劇場,美術館などの文化施設がある。第1次世界大戦,第2次世界大戦で大損害を受けたが,16世紀の城壁,14~17世紀の各種様式の聖堂など古い建築物が残る旧市街は,1994年世界遺産の文化遺産に登録。鉄道,ハイウェーの分岐点で,空港もある。


外部リンク



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