「マニエリスム」の版間の差分
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− | 盛期[[ルネサンス]]と初期[[バロック]]の間の,イタリアを中心とした全ヨーロッパの芸術様式をさす美術用語。語源はイタリア語の「マニエラ」manieraで,個人の様式,手法を意味した。[[レオナルド・ダ・ビンチ]],[[ミケランジェロ]],[[ラファエロ]]・サンツィオらの先人たちの手法を学び,感情表現に新しい領域を開こうとして生まれたもの。その特色は人体表現において顕著で,誇張された肉づけ,引き伸ばし,様式化した姿勢や派手な色彩などが認められる。代表的作家には,『美術家列伝』Le vite de' | + | 盛期[[ルネサンス]]と初期[[バロック]]の間の,イタリアを中心とした全ヨーロッパの芸術様式をさす美術用語。語源はイタリア語の「マニエラ」manieraで,個人の様式,手法を意味した。[[レオナルド・ダ・ビンチ]],[[ミケランジェロ]],[[ラファエロ]]・サンツィオらの先人たちの手法を学び,感情表現に新しい領域を開こうとして生まれたもの。その特色は人体表現において顕著で,誇張された肉づけ,引き伸ばし,様式化した姿勢や派手な色彩などが認められる。代表的作家には,『美術家列伝』Le vite de' più eccellenti architetti,pittori,et scultori italiani(1550)の著者[[ジョルジョ・バザーリ]],画家[[フランチェスコ・パルミジャニーノ]],[[ブロンジーノ]],[[ヤコポ・ダ・ポントルモ]],[[ロッソ・フィオレンティーノ]],彫刻家[[ジャンボローニャ]],建築家[[バルダッサーレ・T.ペルッツィ]]などがいる。イタリアのマニエリスム美術はヨーロッパ各地に伝わり,フランスでは[[フォンテンブロー派]]が生まれ,プラハでは皇帝[[ルドルフ2世]]の治下に[[バルトロメウス・スプランヘル]]らが活動し,スペインでは[[エル・グレコ]]が独自の宗教美術をつくりあげた。 |
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2018/9/29/ (土) 01:34時点における最新版
マニエリスム (伊: Manierismo ; 仏: Maniérisme ; 英: Mannerism)
盛期ルネサンスと初期バロックの間の,イタリアを中心とした全ヨーロッパの芸術様式をさす美術用語。語源はイタリア語の「マニエラ」manieraで,個人の様式,手法を意味した。レオナルド・ダ・ビンチ,ミケランジェロ,ラファエロ・サンツィオらの先人たちの手法を学び,感情表現に新しい領域を開こうとして生まれたもの。その特色は人体表現において顕著で,誇張された肉づけ,引き伸ばし,様式化した姿勢や派手な色彩などが認められる。代表的作家には,『美術家列伝』Le vite de' più eccellenti architetti,pittori,et scultori italiani(1550)の著者ジョルジョ・バザーリ,画家フランチェスコ・パルミジャニーノ,ブロンジーノ,ヤコポ・ダ・ポントルモ,ロッソ・フィオレンティーノ,彫刻家ジャンボローニャ,建築家バルダッサーレ・T.ペルッツィなどがいる。イタリアのマニエリスム美術はヨーロッパ各地に伝わり,フランスではフォンテンブロー派が生まれ,プラハでは皇帝ルドルフ2世の治下にバルトロメウス・スプランヘルらが活動し,スペインではエル・グレコが独自の宗教美術をつくりあげた。