「ニコラウス・フォン・ツィンツェンドルフ」の版間の差分
提供: miniwiki
ja>曾禰越後守 (Normdaten) |
細 (1版 をインポートしました) |
(相違点なし)
|
2018/8/19/ (日) 18:06時点における版
ニコラウス・ルートヴィヒ・フォン・ツィンツェンドルフ・ウント・ポッテンドルフ伯爵(Nikolaus Ludwig von Zinzendorf und Pottendorf, 1700年5月26日 – 1760年5月9日)は、モラヴィア兄弟団の監督。伯爵。
ツィンツェンドルフは、ドレスデンに生まれ、10歳の時にアウグスト・ヘルマン・フランケの敬虔主義の中学校に入学した。
イエス・キリストの磔刑画に「われこれをすべて汝のために為す、汝わがためになにを為せしや」と書いてあるのを見て、罪の身代わりとして十字架にかけられたキリストの愛に捕えられ、いのちのすべてをキリストに投げ出し、献身した。
伯爵の領地はヘルンフート(主の守り)と呼ばれ、迫害を受けた、フス派、敬虔主義者、アナバプテストの逃れ場となった。1727年にヘルンフートでリバイバルが起こり、会衆は聖霊の臨在によって倒れた。
参考文献
- 『リバイバルの源流を辿る』尾形守
- 『キリスト教大事典』教文館
- 『リバイバル説教集』ルーベン・アーチャー・トーレー 伝道出版社
典拠レコード: