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株式会社うすい百貨店(うすいひゃっかてん)は、福島県郡山市にある日本の百貨店である。三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用会社である[1]。
Contents
歴史・概要
うすい百貨店 Usui Department Store | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 | 福島県郡山市中町13-1 |
開業日 |
1938年(昭和13年) (旧店舗:百貨店法に基く百貨店営業の認可)[2] *1999年(平成11年)11月3日(現店舗) |
施設所有者 | うすい百貨店[2] |
最寄駅 | 東日本旅客鉄道郡山駅 |
創業と百貨店の開業
1662年(寛文2年)8月24日に物産問屋として創業したのが始まりである。
1930年(昭和5年)に合名会社うすゐとして法人化し、1938年(昭和13年)に百貨店法に基く百貨店営業の認可を受けて正式に百貨店化した[2]。 日本百貨店協会には三越傘下になってから加盟した。
増床と他の大型店と競争
1959年(昭和34年)には郡山市中町にあった丸伊デパートを買収して[2]「第2うすい」として増床し、1965年(昭和40年)には年商33.0億円(売場面積7,565m2)を上げて福島市の地域一番店だった中合の年商24.5億円(売場面積7,028m2)を上回って福島県全体の地域一番店となり、東北地方全体でも仙台市の3百貨店(藤崎:43.4億円、丸光:42.3億円、三越:41.5億円)に次ぐ4番目の売上を上げる[4]までに成長した。
1970年(昭和45年)には株式会社うすい百貨店として分離独立し、同年12月14日に仙台市から進出してきた丸光[5][6]や地場の呉服店が百貨店化した津野本店[7]、1969年(昭和44年)進出してきたイトーヨーカドー[8]、1975年(昭和50年)に進出してきた西友[8](1年後の1976年(昭和51年)11月6日に郡山西武店(郡山西武)となる[9])やダイエー[10]、丸井[8]などの大型店と激しい競争を繰り広げた。特に反対側の大町にあったダイエーとは、開店時には価格面において極端な値下げが行われるなど全面戦争状態と化した。
そして、1980年(昭和55年)に丸光撤退[7][8]、1987年(昭和62年)に津野本店廃業[7]、1988年(昭和63年)にイトーヨーカドー撤退[8][11]、1994年(平成6年)にダイエーをディスカウントストア業態のトポスでも存続できず撤退[8][10]させるなど並み居る競合の大型店を撤退や廃業に追い込んで生き残った。
新店舗への移転と業績の低迷
しかし、郊外には既に市内に数店舗進出していたヨークベニマルなどのスーパー、さらに郡山市西ノ内に移転したイトーヨーカドー、さらに1996年(平成8年)には同市日和田にジャスコとショッピングモールフェスタが進出し、うすい含め郡山駅前の商業地の売上を低下させていった。そんななか、市と共同で県の補助金を利用し第二うすいなどがあった敷地に「中町再開発ビル」建設[12]。このとき東邦銀行が融資を行わなかったことからメインバンクが秋田銀行になったと言われている。
1999年(平成11年)11月3日に現店舗へ移転し[13]、従来の約2倍[2]の31,000m2[3]で東北最大級の売り場面積[2]を持つ都市型百貨店を開業した[13]。2000年(平成12年)10月15日で郡山駅前の西友郡山西武店が閉店して[14]、11月22日にザ・モール郡山として移転するのに対抗したが[15]、移転・増床前の1997年(平成9年)7月期の売上高162.49億円が、2000年(平成12年)7月期には年度開始後約3ヶ月で約2倍に増床して9ヶ月間新店舗で営業したにもかかわらず売上高が約155.34億円と逆に4.4%減少して22.05億円の赤字に転落し[16]、2003年(平成15年)7月期も売上高約168.65億円で5.87億円の赤字[2]と業績が伸び悩んで過大投資となり、借入金総額がうすい本社と合計で約155.02億円[2]と年間売り上げの90%を超えてしまった。
産業再生機構の支援による再建
前項の通り過大投資により業績が低迷したため、2003年(平成15年)8月にメインバンクの秋田銀行からの申請で産業再生機構による支援が決定され、再生計画が実行されることになった[2]。
この再生計画に基き、メインバンクの秋田銀行を中心に大東銀行、福島銀行、東京海上火災保険、日本生命保険などを中心とした金融機関が約120億円の債権放棄を行って有利子負債のキャッシュフロー倍率を10倍以下に削減し[2]、売場面積も従来の11フロアのうち2フロアを三越の支援で誘致した[17]。2004年(平成16年)10月に大塚家具を入居[18]させてテナント化して賃料を約5億円削減すると共に、地代削減分を反映させて他の賃料も約5億円削減して合計約10億円の賃料引き下げを実現し[2]、三越が社長の派遣[17]や共同仕入れによる粗利益率の改善[2]にも協力するなどして再建に取り組み、2005年(平成17年)7月期に約1.7億‐1.8億万円の黒字に転換[17]に成功した。
なお、この過程で100%の減資が行なわれ、創業家の薄井一族は株主の座を降り、薄井康社長(当時)も代表権のない会長へと退いた[19]。
三越の持分法適用会社へ
産業再生機構の支援による再建が軌道に乗ったことを受けて、社長の派遣を含む業務提携に14.9%を出資する資本提携を行って支援に参画していた三越[17]は2005年(平成17年)10月に産業再生機構が保有していた議決権の20%にあたる株式全て[20]を3000万円弱で取得して出資比率を14.9%から34.9%に引き上げて持分法適用会社となった[17]。
現在も三越(現・三越伊勢丹)がこの株式を継続して保有しており、三越が伊勢丹の経営統合にて誕生した三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用子会社となっている[1]。
このため、産業再生機構の支援下での再建時に社長に就任した小島浩介[21]を含め、遠藤潤[21]、平城大二郎[22]と近年は三越出身の社長が続いている。
有力テナントの撤退と後継店舗の招致
2009年(平成21年)9月23日に8・9階の2フロアに出店していた大塚家具・郡山ショールーム(4,800m2)閉店し[18]、2010年(平成22年)9月23日には現在地への移転時からの有力テナントだった八重洲ブックセンター[23]が閉店する[24]など有力テナントの撤退が相次いだ。
その代替となる有力なテナントとして10月29日に[25]9階の全フロア約2400m2で約65万冊の品揃えを誇る福島県内最大の書店としてジュンク堂書店を開店させると共に、8階には東急ハンズの期間限定ショップであるトラックマーケット[25]を2011年(平成23年)1月31日まで[26]招致して集客力と売上の維持を図った。
沿革
- 1662年(寛文2年)8月24日 - 物産問屋として創業。
- 1930年(昭和5年) - 合名会社うすゐとして法人化[2]。
- 1938年(昭和13年) - 百貨店法に基く百貨店営業の認可を受ける(「第1うすい」の前身)[2]。
- 1959年(昭和34年) - 郡山市中町にあった丸伊デパートを買収[2]して「第2うすい」として開業。
- 1970年(昭和45年) - 株式会社うすい百貨店として百貨店部門を分離、別法人化[2]。
- 1993年(平成5年) - 新店舗となるビルの市街地再開発事業が都市計画決定される[27]。
- 1996年(平成8年) - 新店舗となるビルの市街地再開発組合を設立[2]。
- 1997年(平成9年)7月16日 - 第1うすい、第2うすい、USUIパート2の3つに分かれていた店舗を新店舗工事のため、第1うすいの建物北側を増築し、本館(従来の「第1うすい」)と新館(売場面積:14800m2)で構成される「うすい仮店舗」に統合[28][29]。
- 1999年(平成11年)10月17日 - 現在の店舗に移転の為、うすい仮店舗を閉鎖(新店舗移転後から複合施設・ONCE郡山となり残っていたが取り壊された後、2004年(平成16年)3月に中町中央パーキングとして開業した)。
- 1999年11月3日 - 東北最大級の売り場面積を持つ都市型百貨店としてリニューアル[13]。
- 2003年(平成15年)8月 - 売上げ不振により産業再生機構による支援が決定[20]。
- 2005年(平成17年)10月 - 産業再生機構から三越へ株譲渡が行われ[20]三越の持分法適用会社となる[17]。
- 2005年(平成17年)11月 - 産業再生機構に対しての債権処理完了。
- 2009年(平成21年)9月23日 - 8・9階大塚家具・郡山ショールーム(4,800m2)閉館(閉店後は仙台ショールームに統合)[18]、8階は百貨店インテリア・雑貨売場に。
- 2010年(平成22年)9月23日 - 八重洲ブックセンターが閉店[24]。
- 2010年(平成22年)10月29日 - 県内最大規模としてジュンク堂書店が大塚家具跡の9階にワンフロア出店、8階には東急ハンズの期間限定ショップであるトラックマーケットがオープン[25]。
- 2016年(平成28年)1月20日 - ゴディバがオープン。県内初出店。
- 2016年 3月 - 三越伊勢丹ホールディングスが、うすい百貨店の株式を一部売却。2016年度末より三越伊勢丹ホールディングスの持分法適用範囲から除外となる[30]。
融資系統
広告活動
かつては、福島県内の民放ラジオ局・テレビ局などにおいて、下記の「うすいの歌」によるCMやセール等の宣伝CM、取り扱う商品のイメージCMも放送され、さらには各番組の一社提供スポンサー、福島交通の路線バスの社外広告、福島民報・福島民友のテレビ欄中段の広告にも出稿するなど、積極的な広告活動が行われた。
2018年現在は、テレビCMや新聞広告などへの出稿は、催事時のみの散発的なもののみとなっており、スポンサー活動は行っていない。
うすいの歌
イメージソングとして「うすいの歌」(作詞:山上路夫、作曲:いずみたく)がある。1966年(昭和41年)の作品で、翌1967年(昭和42年)からテレビCMにて使用されるようになった。
このテレビCMは、後述の「うすいファミリー劇場」などで流れ、映像はアヒルやカンガルーの親子を中心に、パンダやウサギ・小鳥などが登場するアニメーションであった(一部CMはパンダ・ウサギは登場しない)。作画は80年代のものは金田常幸。また、このCMのアニメーションは「FTVニュース」のうすい提供分のものはオープニングとしても使用されていた。
過去に、アヒルやカンガルーの親子のキャラクターは、福島交通の路線バスの社外広告や再開発前の郡山駅前のバスターミナルにも看板として使用されていた。
1999年11月の新店舗開業に伴い、1997年7月の「うすい仮店舗」開業から都市型百貨店へのイメージ転換のため使用を取りやめたが[31]、2009年10月に「うすいの歌」のイメージソングを用いた前述のアニメーションのCMが復活した。これはほぼかつてのCMと同様であるが、地上デジタルテレビ放送導入にあわせて16:9サイズとなっており、動物はパンダのみいなくなった。
歌詞の最後にある「デイトもうすい 夢のデパート」は、現在は広告などで「usui」のロゴと共にキャッチコピーとして挿入されている。
第1うすいと第2うすいが統合し、「うすい仮店舗」となった時期から新店舗オープンまでの間、「うすいの歌」とは異なるオリジナルのCMソングが使われ、郡山駅周辺の街頭放送のスピーカーからも流されていた(うすいの歌もその前後流れていた)。
過去のイメージキャラクター
- いしだあゆみ(1966年)
- 朝加真由美(1973年)
- 浅野ゆう子(1974年 - 1986年)
- 原みゆき(1987年 - 1990年)
- 向井田彩子(1991年 - 1993年)
- 中村裕美(1994年 - 1996年)
- 坂下千里子(1997年 - 1998年)
かつての提供番組
●は、うすい1社提供番組
- 福島テレビ(FTV)
- お天気レポート - 午後6時55分から放送されていた天気予報。花春酒造とともに長年スポンサーを務めていた。
- うすい土曜劇場●
- あしたのあなた●
- 明日はどんな日●
- FTVニュース(毎週月曜日・水曜日・金曜日・日曜日の午後8時54分)●
- 福島中央テレビ(FCT)
- うすいテレビ音楽会●
- うすいファミリー劇場● - 午後5時30分から放送されていたアニメ再放送枠
- うすいの天気予報● - 午後8時54分のFCTニュース後
補足
- 現在のマークは、ローマ字の「USUI」のロゴ(CI)である。かつては、住友グループの標章や福岡の地場デパート「井筒屋」と同じく、赤地に「井桁」のマークだった。「井桁」マーク時代には、ローマ字の「USUI」のロゴも併用されていた。
- 以前、スーパーマーケット部門として「いげたストア」があり、郡山市内や会津若松市大町(会津若松店)などに数店舗展開していたが、いずれも2000年代頃までに閉店している。
- かつては、レジ会計ではなく、天井から吊るされたざるの中に小銭と紙幣を用意しておき、会計をする「ざる会計」が行われていた。
脚注・出典
- ↑ 1.0 1.1 引用エラー: 無効な
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タグです。 「usui-reborn-plan-2003-8-28
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 3.0 3.1 株式会社うすい百貨店等に対する支援決定について (Report). 産業再生機構. (2003年8月28日).
- ↑ デパート新聞社編 『全国百貨店年鑑 昭和42年版』 デパート新聞社、1967年。
- ↑ 『火の人 佐々木光男伝』 丸光、1973年。
- ↑ 現在の朝日生命郡山センタービル
- ↑ 7.0 7.1 7.2 立松潔 (2003年8月28日). 地方都市における中心市街地の活性化に関する研究 科学研究費補助金基盤研究(C)(2)研究成果報告書 (Report). 文部科学省.
- ↑ 8.0 8.1 8.2 8.3 8.4 8.5 松村公明. “郡山市中心商店街における店舗の業種構成とその変容”. 地域調査報告 第11号 (筑波大学地球科学系人文地理学研究グループ) (1989年3月).
- ↑ 「福島民報昭和50年11月縮刷版」112頁(「『郡山西武』が開店 "視察組"などでにぎわう」「福島民報」(福島民報)1976年11月7日、朝刊7面)。
- ↑ 10.0 10.1 “大店法緩和で「構図」変化共存共栄から“主戦場”郊外に”. 読売新聞 (読売新聞社). (2005年6月17日)
- ↑ 約1年後の1989年6月に郡山市西ノ内に現行の店舗として開業。
- ↑ 郡山中町第一地区第一種市街地再開発事業/郡山市
- ↑ 13.0 13.1 13.2 “待望の都市型百貨店に長い列 新「うすい」オープン 郡山中町再開発ビル 買い物心刺激 6万5000人の波 県内全域から来店 地元商店街 集客力に手ごたえ 市内郊外店に大きな脅威 他市商業者に危機感”. 福島民報 (福島民報). (1999年11月4日)
- ↑ 「郡山西武 25年間の歴史に幕 買い物客、閉店惜しむ声」『福島民友』(福島民友新聞) 2000年10月16日、朝刊。
- ↑ 「郡山の大型店 モール開店、朝1番に500人」『朝日新聞』福島面 (朝日新聞社) 2000年11月23日、朝刊。
- ↑ 未上場百貨店の売上高、3年前に比べ8割がダウン ~57社中、48社の売上高が減収~ (Report). 帝国データバンク. (2001年).
- ↑ 17.0 17.1 17.2 17.3 17.4 17.5 “三越、うすい百貨店を傘下に・出資34%に引き上げ”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年9月15日)
- ↑ 18.0 18.1 18.2 “大塚家具9月下旬閉店 郡山・うすいの大規模テナント”. 福島民報 (福島民報). (2009年6月27日)
- ↑ 敗軍の将、兵を語る - 薄井康氏(うすい百貨店社長). 日経ビジネス (日経BP社). 2003年11月10日号 120p
- ↑ 20.0 20.1 20.2 “うすい百貨店への支援終了”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2005年10月14日)
- ↑ 21.0 21.1 “うすい百貨店社長に遠藤氏 三越本店から”. 四国新聞 (四国新聞社). (2006年1月27日)
- ↑ “うすい社長に平城氏 三越から異動、店長も兼務”. 福島民報 (福島民報). (2009年4月4日)
- ↑ “うすい百貨店 新店舗の概要発表 魅力のブランドなど導入「ヴィトン」「八重洲ブックセンター」…幅広い集客狙う 仮店舗は12月テナントビルに”. 福島民報 (福島民報). (1999年10月6日)
- ↑ 24.0 24.1 “大手書店ジュンク堂出店へ うすい百貨店、八重洲ブックセンターは閉店”. 福島民報 (福島民報). (2010年7月27日)
- ↑ 25.0 25.1 25.2 “ジュンク堂書店と東急ハンズがうすい百貨店にオープン”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2010年10月29日)
- ↑ “「うすい」に東急ハンズが東北初出店”. 福島民友新聞 (福島民友新聞社). (2010年9月8日)
- ↑ “うすい百貨店建て替え、都計審了承”. 福島民報 (福島民報). (1993年2月13日)
- ↑ 「福島民報平成9年7月縮刷版」409頁(「仮店舗での営業開始」「福島民報」(福島民報)1997年7月17日、朝刊9面)。
- ↑ 「福島民報平成9年7月縮刷版」216頁(福島民報 1997年7月9日、朝刊18面)には、第1うすいの商品をうすい仮店舗で一掃する「手持ち在庫一掃!全館最終売りつくし」セールの広告が掲載されており、事実上は1997年7月10日開業。
- ↑ 有価証券報告書-第7期(平成26年4月1日-平成27年3月31日) 株式会社三越伊勢丹ホールディングス 81p
- ↑ ふくしまスーパーJチャンネル「福島That's辞典「うすい百貨店・CMソングの知られざる雑学」」(福島放送)2017年4月4日放送より。
関連項目
外部リンク