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競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 83 | 55 | 2 | .601 | - |
2位 | 中日ドラゴンズ | 80 | 57 | 3 | .584 | 2.5 |
3位 | 阪神タイガース | 69 | 70 | 1 | .496 | 14.5 |
4位 | 国鉄スワローズ | 65 | 73 | 2 | .471 | 18.0 |
5位 | 大洋ホエールズ | 59 | 79 | 2 | .428 | 24.0 |
6位 | 広島カープ | 58 | 80 | 2 | .420 | 25.0 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 西鉄ライオンズ | 86 | 60 | 4 | .589 | - |
2位 | 南海ホークス | 85 | 61 | 4 | .582 | 1.0 |
3位 | 東映フライヤーズ | 76 | 71 | 3 | .517 | 10.5 |
4位 | 近鉄バファローズ | 74 | 73 | 3 | .503 | 12.5 |
5位 | 毎日大映オリオンズ | 64 | 85 | 1 | .430 | 23.5 |
6位 | 阪急ブレーブス | 57 | 92 | 1 | .383 | 30.5 |
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 野村克也 | 南海 | ||
最優秀新人 | 該当者なし | |||||
首位打者 | 長嶋茂雄 | 巨人 | .341 | J.ブルーム | 近鉄 | .335 |
本塁打王 | 王貞治 | 巨人 | 40本 | 野村克也 | 南海 | 52本 |
打点王 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 112点 | 野村克也 | 南海 | 135点 |
最多安打 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 163本 | 広瀬叔功 | 南海 | 187本 |
盗塁王 | 高木守道 | 中日 | 50個 | 広瀬叔功 | 南海 | 45個 |
最優秀防御率 | 柿本実 | 中日 | 1.70 | 久保征弘 | 近鉄 | 2.36 |
最多勝利 | 金田正一 | 国鉄 | 30勝 | 稲尾和久 | 西鉄 | 28勝 |
最多奪三振 | 金田正一 | 国鉄 | 287個 | 稲尾和久 | 西鉄 | 226個 |
最高勝率 | 山中巽 | 中日 | .714 | 田中勉 森中千香良 |
西鉄 南海 |
.680 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 金田正一 | 国鉄 | 稲尾和久 | 西鉄 |
捕手 | 森昌彦 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 王貞治 | 巨人 | 榎本喜八 | 大毎 |
二塁手 | 高木守道 | 中日 | J.ブルーム | 近鉄 |
三塁手 | 長嶋茂雄 | 巨人 | 小玉明利 | 近鉄 |
遊撃手 | 古葉毅 | 広島 | 小池兼司 | 南海 |
外野手 | 江藤愼一 | 中日 | 張本勲 | 東映 |
近藤和彦 | 大洋 | 広瀬叔功 | 南海 | |
藤井栄治 | 阪神 | 山内一弘 | 大毎 |
オールスターゲーム
"「1963年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」"
高校野球
- 第35回選抜高等学校野球大会優勝 下関商業(山口県)
- 第45回全国高等学校野球選手権大会優勝 明星(大阪府)
大学野球
- 第12回全日本大学野球選手権大会優勝:慶應義塾大
社会人野球
- 第34回都市対抗野球大会優勝:積水化学
メジャーリーグ
"「1963年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ
- ロサンゼルス・ドジャース(ナ・リーグ) (4戦全勝) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
できごと
1月
- 1月14日 - パ・リーグのオーナー、理事合同会議が午後1時より中之島の新大阪ホテルで開かれ、1963年度の開幕日を4月6日、年間試合数を150試合とすることを正式決定[2]。
- 1月16日 - セ・リーグは午後1時より銀座のスポーツマンクラブにて理事会を開き、今シーズンは28回総当たり制とすること、引き分け再試合を実施しないこと、などを決定[3]。
- 1月24日 - プロ野球実行委員会が丸の内のパレス・ホテルにて開かれ、コミッショナーの内村祐之を実行委員長とすること、12球団の球団代表全員を実行委員とする、野球協約の条文をわかりやすくする、等の案件をまとめたほか、オールスターを7月22日から26日に後楽園球場、東京スタジアム、神宮球場の順番で行うことなどを決める[4]。
2月
- 2月4日 - 野球体育博物館に表彰掲載される殿堂入りを決める特別表彰委員会が開かれ、市岡忠男が選出される[5]。
- 2月15日 - プロ野球機構参事の赤嶺昌志が自宅で脳軟化症と心臓衰弱のため亡くなる[6]。
3月
- 3月18日 - プロ野球実行員会が丸の内のパレス・ホテルで開かれ、来年度の日程を東京五輪が開催されるためそれ以前に終了させる方向を確認したほか、最高殊勲選手について優勝チームからの選出にこだわらず、大リーグにならいその年の最優秀選手を選ぶことにすることなどを決定[7]。
4月
- 4月5日 - 選抜高等学校野球大会の決勝戦が阪神甲子園球場において行われ、山口県の下関商が北海道の北海に10対0で勝利し、初優勝[8]。
- 4月6日 - パ・リーグの公式戦が開幕[9]。
- 4月27日 - 西鉄の関口清治が西宮球場での対阪急4回戦の八回表に代打で出場し、プロ通算1500試合出場を達成[10]。
- 4月28日 - 大毎の田宮謙次郎が日生球場での対近鉄ダブルヘッダー第1試合の2回戦の一回表に1号本塁打を打ち、プロ通算100号を達成[11]。
5月
- 5月2日 - 西鉄の高倉照幸が対近鉄4回戦でプロ通算1000本安打を達成[12]。
- 5月9日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での国鉄対大洋第5回戦で先発し延長10回を完投して勝利投手となり、プロ通算300勝を達成する[13]。
- 5月11日 - ロサンゼルス・ドジャースのサンディー・コーファックスが対 サンフランシスコ・ジャイアンツ戦において2度目のノーヒットノーランを達成、スコアは8対0
- 5月14日 - 西鉄の玉造陽二が、平和台球場での対東映6回戦に先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[14]。
- 5月17日 - 【MLB】ヒューストン・コルト45sのドン・ノットバートが対フィラデルフィア・フィリーズ戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは4対1。
- 5月20日 - 東京球場で行われた、毎日大映オリオンズ対南海ホークスが濃霧で試合中止[15]。
- 5月22日 - 阪神の村山実が登録名を「村山昌史」に変更。(年末まで)
6月
- 6月15日 - 【MLB】サンフランシスコ・ジャイアンツのフアン・マリシャルが対ヒューストン・コルト45s戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは1対0
- 6月30日 - 国鉄の金田正一が東京球場での対広島8回戦で六回表から救援登板して15勝目を挙げ、別所毅彦の持つ通算310勝の記録を更新する通算311勝を達成[16]。
7月
- 7月6日 - 南海の皆川睦雄が日生球場での対近鉄16回戦に先発し、三回裏に近鉄打線にパ・リーグタイの1回8被安打を記録[17]。
- 7月7日 - 東映の張本勲が後楽園球場での対西鉄ダブルヘッダー第1試合の15回戦の一回裏に16号本塁打を打ち、プロ通算100号本塁打を達成[18]。
- 7月8日 - 東京球場での大毎対近鉄15回戦で、大毎が一回裏に四者連続二塁打のパ・リーグタイ記録[19]。
- 7月10日 - 西鉄の稲尾和久が西宮球場での対阪急15回戦の五回裏に本屋敷錦吾からこの試合で5つ目の三振を奪い、プロ通算2000奪三振を達成[20]。
- 7月20日 - 後楽園球場での国鉄対中日15回戦で中日は二回裏に1イニング5失策のセ・リーグ新記録[21]。
- 7月26日 - 【MLB】ヒューストン・コルツ対ニューヨーク・メッツ戦でメッツが3-7で敗れ、メッツはメジャー新記録となる20連敗[22]。
- 7月28日 - 【MLB】ニューヨーク・メッツはコルツに2-8で敗れ、1890年にピッツバーグ・パイレーツが記録した22連敗と並ぶ[23]。
- 7月31日 - 南海の野村克也が大阪球場での対阪急17回戦に四番・捕手として先発出場し、プロ通算1000試合出場を達成[24]。
8月
- 8月1日 - 国鉄の豊田泰光が広島市民球場での対広島15回戦の一回表に10号2点本塁打を打ち、プロ通算200号本塁打を達成[25]。
- 8月4日 - 第三十四回都市対抗野球大会の決勝戦が後楽園球場にて午後6時半から行われ、京都市の積水化学が室蘭市の富士製鉄を4-3で破り、大会初優勝[26]。
- 8月11日 - 後楽園球場での対巨人23回戦において、巨人の七回表、一死二、三塁の場面で阪神の投手・村山実が救援登板、巨人打者・池沢義行へのカウント2-2からの5球目を球審の国友正一はボールと判定し、村山がこの判定に怒ってマウンドから国友に向かい詰め寄る。国友は村山が暴言を吐いたとして退場処分とする[27]。
- 8月12日 - 【MLB】セントルイス・カージナルスのスタン・ミュージアルが記者会見し、今季限りで現役引退すると発表[28]。
- 8月17日 - セ・リーグは、夏の甲子園大会が雨で順延となり20日に甲子園球場で開催予定の阪神対大洋18回戦を延期すると発表[29]。
- 8月19日 - 大毎の山内一弘が西宮球場での対阪急19回戦の四回表に21号2点本塁打を打ち、プロ通算250号本塁打を達成[30]。
- 8月20日
- 8月21日 -
- 8月25日 - 西鉄の稲尾和久が西宮球場での対阪急ダブルヘッダー第一試合の20回戦の九回裏から救援登板し、プロ通算500試合登板を達成[34]。
- 8月29日 - 南海の野村克也が大阪球場での対阪急23回戦の一回裏に35号2点本塁打、六回裏に安打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[35]。
- 8月31日 - 広島は那覇市の琉球東急ホテルにて、社会人野球の琉球煙草の安仁屋宗八と正式に入団契約を交わし、沖縄出身の初のプロ野球選手となる[36]。
9月
- 9月5日
- 9月14日 - 広島球場での広島対大洋17回戦で、大洋のクレスが九回表大洋の攻撃中に、三塁側スタンドのアメリカ人観客の野次に激昂して内野席に乱入して野次を飛ばした観客と掴み合いになるが、同僚の黒木基康と森徹が仲裁に入る。試合が約5分中断[39]。
- 9月18日 - 南海の広瀬叔功が東京球場での対大毎ダブルヘッダー第二試合の29回戦の五回表に安打を打ち、プロ通算1000本安打を達成[40]。
- 9月21日 - 大毎の山内一弘が東京球場での対阪急25回戦の五回裏二安打を打ち、プロ通算1500本安打を達成[41]。
10月
- 10月6日 - 【MLB】ワールドシリーズの第4戦がドジャー・スタジアムにおいて行われ、ナショナルリーグ のロサンゼルス・ドジャースがアメリカンリーグのニューヨーク・ヤンキースに2対1で勝利し、4連勝で4年ぶり3度目の優勝達成。⋅
- 10月15日 - 巨人対中日のダブルヘッダーが後楽園球場にて行われ、第2試合の第28回戦で巨人が中日を7-0で破り、巨人がリーグ優勝を達成[42]。
- 10月16日
- 10月17日
- 10月20日
- 10月23日 - セ・リーグの全日程が終了[49]。
11月
- 11月4日 - 日本シリーズの第7戦が平和台において行われ、巨人が西鉄を18対4で勝利し、2年ぶり10度目の日本一[50]。
- 11月13日 - 大毎のオーナーの永田雅一は東京・京橋の大映本社にて、田宮謙次郎の引退を発表[51]。
12月
誕生
1月
2月
3月
- 3月2日 - 井上祐二
- 3月10日 - 坂口千仙
- 3月13日 - マリアーノ・ダンカン
- 3月14日 - マイク・ロックフォード
- 3月22日 - リッチ・モンテレオーネ
- 3月26日 - ルイス・メディーナ
4月
- 4月2日 - 伊東昭光
- 4月3日 - 棚橋祐司
- 4月7日 - 横谷彰将
- 4月13日 - 串原泰夫
- 4月14日 - 松本豊
- 4月24日 - 加藤誉昭
- 4月27日 - 吉村禎章
- 4月29日 - 上本孝一(+2006年)
5月
- 5月1日 - 園川一美
- 5月5日 - 工藤公康
- 5月11日 - 相馬勝也
- 5月20日 - 高木宣宏
- 5月21日 - 鈴木慶裕
- 5月23日 - 中藤義雄
- 5月29日 - 伊藤敦規
- 5月29日 - 森博幸
- 5月30日 - 西沢浩一
- 5月31日 - 原野優
6月
7月
- 7月5日 - 原田賢治
- 7月6日 - 金城信夫
- 7月13日 - 村上信一
- 7月14日 - 西川佳明
- 7月15日 - 伊藤優
- 7月18日 - マイク・グリーンウェル
- 7月19日 - マーク・キャリオン
- 7月20日 - 森山良二
- 7月22日 - デニー・ゴンザレス
- 7月26日 - 古川慎一
8月
- 8月1日 - 津村潔
- 8月3日 - 本村信吾
- 8月5日 - 後関昌彦
- 8月9日 - 渡辺浩司
- 8月10日 - ジェラルド・クラーク
- 8月11日 - 槙原寛己
- 8月11日 - 若井基安
- 8月12日 - 斉藤学
- 8月14日 - 別府修作
- 8月15日 - 陳義信
- 8月27日 - 金村義明
- 8月30日 - 小山昌男
9月
10月
11月
- 11月8日 - 藤本博史
- 11月14日 - 山本幸二
- 11月14日 - 古溝克之
- 11月15日 - 大豊泰昭(+ 2015年)
- 11月18日 - 音重鎮
- 11月20日 - 鈴木貴久(+ 2004年)
- 11月20日 - 川本和宏
12月
死去
出典
- ↑ 1位の関西大が「西川事件」により優勝取り消しとなったため。
- ↑ 読売新聞1963年1月15日7面「開幕日など本決まり パ・リーグ」読売新聞縮刷版1963年1月p291
- ↑ 読売新聞1963年1月17日6面「セは28回戦制 引き分け再試合しない」読売新聞縮刷版1963年
- ↑ 読売新聞1963年1月25日6面「オールスター7月22日から プロ野球 開幕日は決定通り」読売新聞縮刷版1963年
- ↑ 読売新聞1963年2月5日7面「市岡氏『野球殿堂』入り 15人目 巨人軍の初代代表」読売新聞縮刷版1963年2月p95
- ↑ 読売新聞1963年2月16日6面
- ↑ 読売新聞1963年3月19日7面「優勝チームだけに限らず 最高殊勲選手選ぶ プロ野球きめる」読売新聞縮刷版1963年
- ↑ 毎日新聞1963年4月5日夕刊1面「下関商が初優勝 10-0 北海の追撃押える」毎日新聞縮刷版1963年4月p101
- ↑ 毎日新聞1963年4月6日夕刊2面「パ・リーグ花やかに開幕 神宮球場に4万人 東映ー大毎 土橋・小野の対戦」毎日新聞縮刷版1963年4月p124
- ↑ 毎日新聞1963年4月28日9面「関口が千五百試合出場」毎日新聞縮刷版1963年4月p603
- ↑ 毎日新聞1963年4月29日7面「若生(大毎)抑える 第一 田宮の"百号"もむなし」毎日新聞縮刷版1963年4月p629
- ↑ 読売新聞1963年5月3日6面「高倉(西鉄)が一千本安打」読売新聞縮刷版1963年5月p29
- ↑ 読売新聞1963年5月9日6面「金田、宿願の300勝 史上、3人目の偉業 延長10回、大洋は根負け」読売新聞縮刷版1963年5月p178
- ↑ 読売新聞1963年5月15日7面「玉造、千試合出場」読売新聞縮刷版1963年5月p321
- ↑ この年は、6月12日東映フライヤーズ対南海、9月26日の読売ジャイアンツ対広島東洋カープ戦においても濃霧による試合中止が発生
- ↑ 毎日新聞1963年7月1日7面「金田、ついに311勝の新記録 中盤から救援で プロ生活14年目に達成」毎日新聞縮刷版1963年7月p7
- ↑ 毎日新聞1963年7月1日7面「ダッグアウト 1イニング10安打」毎日新聞縮刷版1963年7月p153
- ↑ 毎日新聞1963年7月8日7面「ダッグアウト 逆風ついて百号目」毎日新聞縮刷版1963年7月p175
- ↑ 毎日新聞1963年7月9日7面「ダッグアウト 二塁打四本を連発」毎日新聞縮刷版1963年7月p201
- ↑ 毎日新聞1963年7月11日13面「稲尾の奪三振二千を超える 金田につぎ二人目」毎日新聞縮刷版1963年7月p249
- ↑ 毎日新聞1963年7月21日13面「金田が完投で21勝 中日 二回に五つのエラー」毎日新聞縮刷版1963年7月p485
- ↑ 毎日新聞1963年7月28日13面「メッツ20連敗」毎日新聞縮刷版1963年7月p649
- ↑ 毎日新聞1963年7月30日13面「メッツついに22連敗」毎日新聞縮刷版1963年7月p693
- ↑ 毎日新聞1963年8月1日13面「野村が千試合出場」毎日新聞縮刷版1963年8月p13
- ↑ 毎日新聞1963年8月2日13面「豊田、プロ入り二百号」毎日新聞縮刷版1963年8月p37
- ↑ 毎日新聞1963年8月5日1面「京都(積水化学)が初優勝 大接戦で室蘭(富士鉄)を破る 都市対抗野球」毎日新聞縮刷版1963年8月p97
- ↑ 毎日新聞1963年8月11日7面「"村山退場"で大荒れ」毎日新聞縮刷版1963年8月p267
- ↑ 毎日新聞1963年8月15日13面「不滅の記録残して 引退するスタン・ミュージアル マナーも立派だった」毎日新聞縮刷版1963年8月p341
- ↑ 毎日新聞1963年8月18日12面「阪神・大洋18回戦延期」毎日新聞縮刷版1963年8月p412
- ↑ 毎日新聞1963年8月20日13面「山内が二五〇号(通算)日本記録にあと十五本」毎日新聞縮刷版1963年8月p457
- ↑ 毎日新聞1963年8月21日13面「森下が千本安打」毎日新聞縮刷版1963年8月p481
- ↑ 毎日新聞1963年8月22日13面「近鉄六年ぶりの六連勝 ミケンズは1球で勝投手」毎日新聞縮刷版1963年8月p505
- ↑ 毎日新聞1963年8月22日13面「小野が奪三振千五百個記録 パ・リーグ5人目」毎日新聞縮刷版1963年8月p505
- ↑ 毎日新聞1963年8月26日6面「五百試合目の稲尾」毎日新聞縮刷版1963年8月p594
- ↑ 毎日新聞1963年8月30日13面「ダッグアウト 野村が千本安打」毎日新聞縮刷版1963年8月p693
- ↑ 毎日新聞1963年9月1日13面「安仁屋(琉球煙草)広島と契約 沖縄から初のプロ選手」毎日新聞縮刷版1963年9月p13
- ↑ 毎日新聞1963年9月5日13面「大毎"千勝"を記録 山内が25号と26号」毎日新聞縮刷版1963年9月p129
- ↑ 毎日新聞1963年9月5日13面「近鉄が1イニングに五投手」毎日新聞縮刷版1963年9月p129
- ↑ 毎日新聞1963年9月14日13面「米国人ファンとつかみあい 大洋のクレス選手」毎日新聞縮刷版1963年9月p341
- ↑ 毎日新聞1963年9月19日13面「ダッグアウト 敗戦忘れさす海老原の快勝」毎日新聞縮刷版1963年9月p431
- ↑ 毎日新聞1963年9月22日12面「山内が千五百本安打」毎日新聞縮刷版1963年9月p504
- ↑ 読売新聞1963年10月16日1面「巨人の優勝決定 セ・リーグ」読売新聞縮刷版1963年10月p395
- ↑ 毎日新聞1963年10月17日7面「野村50号と51号 日本タイ 南海が首位を奪還 延長13回 穴吹がサヨナラ3ラン」毎日新聞縮刷版1963年10月p391
- ↑ 毎日新聞1963年10月17日7面「優勝決定戦は三回戦 西鉄と南海が同率のとき」毎日新聞縮刷版1963年10月p391
- ↑ 毎日新聞1963年10月18日13面「野村52号の日本新」毎日新聞縮刷版1963年10月p421
- ↑ 読売新聞1963年10月21日1面「西鉄五年ぶり優勝 パ・リーグ 26日から巨人と日本シリーズ」読売新聞縮刷版1963年10月p395
- ↑ 西日本スポーツ1963年10月21日1面「ついに奇跡なる 西鉄逆転優勝 五年ぶり五度目の感激」
- ↑ 毎日新聞1963年10月21日13面「西鉄またも奇跡の逆転 劇的な"最終日の決定"近鉄を四連破」毎日新聞縮刷版1963年10月p483
- ↑ 毎日新聞1963年10月24日13面「広島ついに最下位 セ・リーグ全日程終わる」毎日新聞縮刷版1963年10月p557
- ↑ 読売新聞1963年11月4日夕刊1面「巨人、6度目の優勝 日本シリーズ 西鉄くだす」読売新聞縮刷版1963年11月p99
- ↑ 毎日新聞1963年11月14日12面「田宮(大毎)引退」毎日新聞縮刷版1963年11月p332
- ↑ 朝日新聞1963年12月21日13面「小山と山内、トレード 阪神と大毎の話し合いつく」