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中華人民共和国マカオ特別行政区(ちゅうかじんみんきょうわこくマカオとくべつぎょうせいく)、通称マカオ(葡: Macau、澳門=広東語イェール式:Oumùhn、普通話:Àomén、おうもん)
中国南東部,コワントン(広東)省チューハイ(珠海)市に接する特別行政区。中国語ではアオメン(澳門)。オウメンともいう。別綴 Macao。チュー(珠)江の河口右岸にある小半島の先端と,付近の 2島からなる。16世紀にポルトガル人が中国から居住を認められ,1887年葡清友好通商条約で割譲された。17世紀までポルトガルのアジア貿易の根拠地として栄えた。1979年中国とポルトガルとの間に国交が開かれ,1987年マカオを中国に返還する共同宣言に調印。1999年12月20日に返還され,ホンコン特別行政区と同様の特別行政区となった。返還後 50年間は資本主義体制と高度な自治が維持されることになっている。1960年代からはホンコンの資本によって,紡績,造船,船舶修理,爆竹,マッチなどの工業が盛んであるが,観光と賭博からの収入に大きく頼っている。カジノやドッグ・レース(賽狗)場のほか,4車線の大橋で半島と結ばれるコロワン島には競馬場もある。観光名所としては,かつての繁栄を偲ばせる大聖堂や砦の跡,日本人クリスチャンの建てたサン・パウロ聖堂の跡,媽閣廟などがある。ホンコンから水中翼船で 2時間の距離にあり,また孫文の生地である中国のチョンシャン(中山)県ツォイシヤン(翠亨)村などを加えた観光コースも開かれている。住民はほとんどが広東人。中国とポルトガルの建築様式が残る町並みは,2005年マカオ歴史地区として世界遺産の文化遺産に登録された。面積 30.6km2。人口 56万1000(2011推計)。