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Contents
競技結果
日本プロ野球
ペナントレース
セントラル・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 読売ジャイアンツ | 74 | 53 | 3 | .581 | - |
2位 | 大阪タイガース | 73 | 54 | 3 | .573 | 1.0 |
3位 | 中日ドラゴンズ | 70 | 57 | 3 | .550 | 4.0 |
4位 | 国鉄スワローズ | 58 | 68 | 4 | .462 | 15.5 |
5位 | 広島カープ | 54 | 75 | 1 | .419 | 21.0 |
6位 | 大洋ホエールズ | 52 | 74 | 4 | .415 | 21.5 |
パシフィック・リーグ | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
順位 | 球団 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | ゲーム差 |
優勝 | 西鉄ライオンズ | 83 | 44 | 5 | .648 | - |
2位 | 南海ホークス | 78 | 53 | 1 | .595 | 7.0 |
3位 | 阪急ブレーブス | 75 | 52 | 5 | .587 | 8.0 |
4位 | 毎日オリオンズ | 71 | 55 | 6 | .561 | 11.5 |
5位 | 東映フライヤーズ | 56 | 73 | 3 | .436 | 28.0 |
6位 | 近鉄パールス | 44 | 82 | 6 | .356 | 38.5 |
7位 | 大映ユニオンズ | 41 | 89 | 2 | .318 | 43.5 |
日本シリーズ
個人タイトル
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||||
---|---|---|---|---|---|---|
タイトル | 選手 | 球団 | 成績 | 選手 | 球団 | 成績 |
最優秀選手 | 与那嶺要 | 巨人 | 稲尾和久 | 西鉄 | ||
最優秀新人 | 藤田元司 | 巨人 | 木村保 | 南海 | ||
首位打者 | 与那嶺要 | 巨人 | .343 | 山内和弘 | 毎日 | .331 |
本塁打王 | 佐藤孝夫 青田昇 |
国鉄 大洋 |
22本 | 野村克也 | 南海 | 30本 |
打点王 | 宮本敏雄 | 巨人 | 78点 | 中西太 | 西鉄 | 100点 |
最多安打 | 与那嶺要 | 巨人 | 160本 | 中西太 | 西鉄 | 154本 |
盗塁王 | 飯田徳治 | 国鉄 | 40個 | 河野旭輝 | 阪急 | 56個 |
最優秀防御率 | 金田正一 | 国鉄 | 1.63 | 稲尾和久 | 西鉄 | 1.37 |
最多勝利 | 金田正一 | 国鉄 | 28勝 | 稲尾和久 | 西鉄 | 35勝 |
最多奪三振 | 秋山登 | 大洋 | 312個 | 梶本隆夫 | 阪急 | 301個 |
最高勝率 | 木戸美摸 | 巨人 | .708 | 稲尾和久 | 西鉄 | .854 |
ベストナイン
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | |||
---|---|---|---|---|
守備位置 | 選手 | 球団 | 選手 | 球団 |
投手 | 金田正一 | 国鉄 | 稲尾和久 | 西鉄 |
捕手 | 藤尾茂 | 巨人 | 野村克也 | 南海 |
一塁手 | 川上哲治 | 巨人 | 岡本健一郎 | 阪急 |
二塁手 | 井上登 | 中日 | 岡本伊三美 | 南海 |
三塁手 | 三宅秀史 | 大阪 | 中西太 | 西鉄 |
遊撃手 | 吉田義男 | 大阪 | 豊田泰光 | 西鉄 |
外野手 | 与那嶺要 | 巨人 | 山内和弘 | 毎日 |
田宮謙次郎 | 大阪 | 大下弘 | 西鉄 | |
青田昇 | 大洋 | 毒島章一 | 東映 |
オールスターゲーム
"「1957年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」"
高校野球
- 第29回選抜高等学校野球大会優勝:早稲田実業(東京都)
- 第39回全国高等学校野球選手権大会優勝:広島商業(広島県)
大学野球
- 第6回全日本大学野球選手権大会優勝:立教大
社会人野球
メジャーリーグ
"「1957年のメジャーリーグベースボール」"
- ワールドシリーズ
- ミルウォーキー・ブレーブス(ナ・リーグ) (4勝3敗) ニューヨーク・ヤンキース(ア・リーグ)
できごと
2月
- 2月19日 - パ・リーグの緊急オーナー会議が東京駅八重洲北口の「ホテル国際観光」にて午後1時半より行われ、現行の8球団制を協議するも結論が出ず午後4時に散会[1]。
- 2月20日 - パ・リーグのオーナー会議が前日に引き続いて午前11時より「ホテル国際観光」にて開かれ、フランチャイズ制を検討した結果6球団制の実施に向けて進み、25日のオーナー会議で具体案を研究することを決定[2]。
- 2月25日 - パ・リーグのオーナー会議が午後1時から東京駅八重洲口の「ホテル国際観光」にて開かれ、高橋ユニオンズと大映ユニオンズが球団合併することを決定して「大映ユニオンズ」とし、7球団制を取ることを決定。パ・リーグ総裁の佐伯勇が会議後に声明を発表[3]。
- 2月26日 - パ・リーグの代表者会議が午後3時より銀座アラスカで開かれ、パ・リーグの今年度の公式戦について、22回総当たり(1チーム年間132試合)の462試合とすることを決定[4]。
3月
4月
- 4月7日 - 第29回選抜高等学校野球大会の決勝戦が甲子園球場にて午後2時3分より行われ、早稲田実が高知商に5対3で勝利し、初優勝[8]。
- 4月11日 - 南海の穴吹義雄が後楽園球場での対大映3回戦の九回表の一死一、二塁の場面で3点本塁打を放つが、穴吹は一塁を回ったところで一塁走者の岡本伊三美を追い越してアウトとなり、「3点本塁打」が「2点適時打」となる[9]。
5月
6月
- 6月5日 - 南海の筒井敬三が後楽園球場での対阪急8回戦に出場し、プロ通算1000試合出場を達成[11]。
- 6月11日 - プロ野球実行委員会が午後1時より東京会館にて開かれ、野球記念館の建設にプロ野球界も協力することを決定[12]。
- 6月16日 - 毎日の中野健一が三回表安打を打ち、5月19日以来42打席連続無安打の記録が止まる[13]。
- 6月18日 - 阪急の古川清蔵が西宮球場での対大映9回戦に出場し、プロ通算1500試合出場を達成[14]。
- 6月19日 - 国鉄の金田正一が後楽園球場での対巨人16回戦の四回表に藤本伸、続く与那嶺要を三振に打ち取り、ヴィクトル・スタルヒンの持つロ野球通算最多奪三振1960の記録を更新する1961個目の奪三振。この試合で12三振を奪い、記録を1967に伸ばす[15]。
- 6月22日 - 近鉄は監督の芥田武夫が休養すると発表[16]。
- 6月23日 - 東映の毒島章一が駒沢球場での対近鉄パールズ9回戦でサイクル安打を達成。
- 6月24日 - 南海ホークスの田沢芳夫が大阪球場での対近鉄9回戦に先発し9回2死まで無安打無得点としたものの瀧田政治に初安打を記録され阻止されている。あと1人でノーヒットノーランを逃したのはパ・リーグ史上2人目[17]。
7月
- 7月7日 - 大洋の権藤正利後楽園球場での対巨人戦ダブルヘッダー第一試合の12回戦に先発して完封勝利を挙げ、1955年7月9日の対広島戦以来続いていた連敗を28で止める[18]。
- 7月15日
- 7月23日 - 阪急の渡辺清がプロ野球1万号ホームランを放った[21]。
- 7月23日 - 阪急の梶本隆夫が西宮球場での対南海13回戦に先発し、三回表一死後皆川睦雄以降連続して三振に打ち取り五回表に穴吹義雄から三振を奪い、プロ野球新記録となる8者連続三振を達成。六回表に先頭打者の寺田陽介も三振に打ち取り、連続三振の記録を9に伸ばす。次打者の皆川は中飛となり記録は9で途絶える[22]。。
- 7月24日 - 広島市民球場が開場。初公式戦の広島カープ対大阪戦がナイターで行われ、大阪が15対1で勝利[23]。
8月
- 8月4日 第28回都市対抗野球大会で熊谷組が日本通運を4対0で破り、初優勝。この大会の1回戦では日鉄二瀬の村上峻介が対鐘化カネカロン戦において大会史上初の完全試合を達成している、スコアは1対0。
- 8月11日 - 近鉄の榎原好が対阪急戦で球団史上初の毎回奪三振10[24]。
- 8月18日 - 東映の選手兼任監督の岩本義行が、対阪急戦ダブルヘッダー第2試合において、4回1死種田弘から日本プロ野球史上最年長記録となる45歳5カ月での本塁打を放つ[25]。
- 8月20日 - 全国高等学校野球選手権大会の決勝戦が行われ、広島商が法政二を3対1で勝利し、27年ぶり4度目の優勝達成。
- 8月20日 - 【MLB】シカゴ・ホワイトソックスのボブ・キーガンが対ワシントン・セネタース戦においてノーヒットノーランを達成、スコアは6対0。
- 8月27日 - 毎日の葛城隆雄が対南海戦でサイクル安打達成[26]。
- 8月21日 - 国鉄の金田正一が対中日戦(中日スタヂアム)で完全試合達成、スコアは1対0[27]。
9月
- 9月3日 - 西鉄対大毎戦において、西鉄の三原修監督は5回1死の大毎の打者葛城隆雄の場面で、葛城を苦手としていた先発の稲尾和久を一塁に守らせ、若生忠男を登板させる継投を行う。稲尾は6回からマウンドに戻り、試合は4対3で西鉄が勝利、稲尾は14連勝している。一人の選手を投手→野手→投手へと交代するのは、2リーグ制以降としては初であった[28]。
- 9月17日 - 中日の中山俊太が対広島戦で球団史上初の毎回奪三振12。
- 9月18日 - 大洋の権藤正利が対阪神戦(甲子園)でセ・リーグ新記録、NPBタイ記録の4与死球。
10月
- 10月8日 - 西鉄の玉造陽二がこの日までパ・リーグ記録の786打席連続無併殺打[29]。
- 10月9日 - 阪急の梶本隆夫が対西鉄戦で毎回奪三振12。自身3度目の達成で、3度達成はNPB史上2人目、パ・リーグ史上初。
- 10月10日 - 【MLB】1957年のワールドシリーズ第7戦が行われ、 ミルウォーキー・ブレーブスがニューヨーク・ヤンキースを破り、4勝3敗で43年ぶり2度目の優勝。
- 10月12日 - 中日の大矢根博臣が対阪神タイガース戦(阪神甲子園球場)においてノーヒットノーラン達成、スコアは3対0。
- 10月13日 - 西鉄が対東映戦ダブルヘッダー(平和台)に連勝し、西鉄の2年連続3度目のパ・リーグ優勝が決定
- 10月18日 - 阪急の梶本隆夫が対南海戦の3回に、梶本自身1954年7月10日の近鉄戦に続く2度目(NPB史上3度目)の3者連続3球三振を記録。
- 10月21日 - 巨人が対大洋戦ダブルヘッダー(後楽園)に連勝。巨人の3年連続6度目のセ・リーグ優勝が決定。
11月
- 11月1日 - 日本シリーズ第5戦が行われ、西鉄が巨人を6-5で下し、4勝0敗1分で2年連続2度目の日本一となる[30]。
- 11月24日 - 大映ユニオンズが毎日オリオンズと球団合併し「大毎オリオンズ」へ[26]。
- 11月25日 - 大阪の新監督に田中義雄が就任、前監督の藤村富美男は現役復帰[31]。
- 11月28日 - 近鉄は新監督に巨人二軍監督の千葉茂を招聘すると発表する。近鉄は翌年1月にはチーム名を「バファロー」と変更、この年がパールズとしての最終年となった[32]。
- 11月28日 - 大毎の球団オーナーに永田雅一が就任[26]。
12月
- 12月7日 - 巨人の品川主計球団社長と水原茂監督のベテラン選手、コーチ退団に関する問題で、正力松太郎オーナーの対応に不満をもった品川が人事院ビルの国家公安委員長(正力が同職を兼任)室に乗り込み、正力と水原に対して「あやまれ」と一喝[33]。
誕生
死去
脚注
- ↑ 毎日新聞1957年3月20日7面「球団再編成を協議 パ・リーグ オーナー会議」毎日新聞縮刷版1957年2月p273
- ↑ 毎日新聞1957年3月21日7面「6球団制の実施へ パ・リーグ 25日に具体案ねる」毎日新聞縮刷版1957年2月p287
- ↑ 読売新聞1957年2月26日4面「大映と高橋合併 パ・リーグ 今年は7球団で オーナー会議 六球団制実現に失敗」
- ↑ 毎日新聞1957年2月27日7面「22回総当たり(462試合)に パ・リーグ 3月30日から公式戦」毎日新聞縮刷版1957年2月p373
- ↑ 毎日新聞1957年3月8日7面「開幕日組合せ決まる パ・リーグ」毎日新聞縮刷版1957年3月p103
- ↑ 毎日新聞1957年3月30日夕刊3面「岸首相が始球式 プロ野球 6球団で火ブタ」毎日新聞縮刷版1958年3月p415
- ↑ 毎日新聞1957年3月31日7面「植村(毎日)西鉄を押う 四回 葛城が3点ホーマー」毎日新聞縮刷版1957年3月p423
- ↑ 毎日新聞1957年4月7日夕刊3面「早実、初優勝成る 高知の反撃封ず 王、投打に活躍」毎日新聞縮刷版1957年4月p99
- ↑ 毎日新聞1957年4月12日7面「穴吹、本塁打をフイに」毎日新聞縮刷版1957年4月p161
- ↑ 毎日新聞1957年5月29日7面「川崎、五百試合に登板」毎日新聞縮刷版1957年5月p393
- ↑ 毎日新聞1957年6月6日7面「筒井千試合出場」毎日新聞縮刷版1957年6月p75
- ↑ 毎日新聞1957年6月11日7面「"野球記念館"に協力 プロ野球実行委」毎日新聞縮刷版1957年6月163
- ↑ 毎日新聞1957年6月17日5面「毎日、大映に勝越せず 第二試合 追いつかれて引分」毎日新聞縮刷版1957年6月p239
- ↑ 毎日新聞1957年6月18日7面「古川が千五百回出場」毎日新聞縮刷版1957年6月p269
- ↑ 毎日新聞1957年6月20日7面「金田(国鉄)三振奪取の新記録 八年間で一九六七個 巨人を破り13勝あげる」毎日新聞縮刷版1957年6月p283
- ↑ 毎日新聞1957年6月20日7面「近鉄の芥田監督、当分休養 加藤助監督が代行」毎日新聞縮刷版1957年6月p335
- ↑ 毎日新聞1957年6月25日7面「田沢"無安打"を逸する」毎日新聞縮刷版1957年6月p363
- ↑ 毎日新聞1957年7月8日7面「権藤、二年ぶり白星 投打に活躍、巨人を完封」毎日新聞縮刷版1957年7月p121
- ↑ 毎日新聞1957年7月16日7面「金田(国鉄)三振二千を奪う」毎日新聞縮刷版1957年7月p251
- ↑ 毎日新聞1957年7月16日7面「佐竹(国鉄)千試合に出場」毎日新聞縮刷版1957年7月p251
- ↑ “プロ野球10万号まであと「4」本 メモリアル弾には賞金100万円”. . 2017閲覧.
- ↑ 毎日新聞1957年7月24日7面「連続9三振の新記録 梶本の快腕 南海キリキリ舞い」毎日新聞縮刷版1957年7月p371
- ↑ 毎日新聞1957年7月25日7面「権藤(大洋)三つ目の金星 広島、ナイター開きに惨敗」毎日新聞縮刷版1957年7月p385
- ↑ 宇佐美徹也 1993, p. 692.
- ↑ “【8月18日】1957年(昭32) 45歳5カ月 岩本義行、いまだに最年長記録の本塁打”. スポーツニッポン (2009年8月11日). . 2015閲覧.
- ↑ 26.0 26.1 26.2 “チームヒストリー 1957”. 千葉ロッテマリーンズ公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ “無安打無得点試合 (ノーヒットノーラン)”. 日本野球機構公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ “【9月3日】1957年(昭32) 稲尾和久“緊急避難”で14連勝 三原監督「高松の田舎の野球」”. スポーツニッポン (2012年9月3日). . 2015閲覧.
- ↑ “個人打撃連続記録(3)”. パシフィック野球連盟公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 読売新聞1957年11月2日5面「西鉄二年連続優勝成る 巨人遂に1度も勝てず 6-5 4たび1点差で敗退」
- ↑ “タイガースヒストリー 1955-1959”. 阪神タイガース公式サイト. . 2015閲覧.
- ↑ 『さらば大阪近鉄バファローズ 熱い心の野球ありがとう』 ベースボール・マガジン社〈週刊ベースボール別冊 冬季号〉、2004年。
- ↑ 『週刊ベースボール』、ベースボール・マガジン社、2011年12月5日、 80頁。