「平高望」の版間の差分

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'''平 高望'''(たいら の たかもち / '''高望王'''(たかもちおう)、[[生没年不詳]]<ref>生年月日は、[[延暦]]25年/[[大同 (日本)|大同]]元年([[806年]])(『宇賀一族の研究と系譜』『南路志』)と、[[承和 (日本)|承和]]6年[[9月7日 (旧暦)|9月7日]]([[839年]][[10月21日]])(『千葉大系図』)と、[[嘉承]]3年([[850年]])[[2月18日 (旧暦)|2月18日]](『千馬家系図』)とする資料がある。</ref><ref name="nen">没年月日は、[[延喜]]11年[[5月24日 (旧暦)|5月24日]]([[911年]][[6月28日]])(『千葉大系図』)と、延喜11年(911年)[[5月4日 (旧暦)|5月4日]](『平姓葛西系図』)、延喜12年([[912年]])[[9月24日 (旧暦)|9月24日]](『盛岡葛西系図』)、延喜17年([[917年]])[[1月24日 (旧暦)|1月24日]](『千馬系図』)とする資料がある。</ref>)は、[[平安時代]]中期の[[臣籍降下|賜姓皇族]]。[[桓武天皇]]の孫(もしくは曾孫)にあたり、高望王流[[平氏#桓武平氏|桓武平氏]]の祖。[[従五位|従五位下]]・[[正親司|正親正]]・[[上総国|上総]][[国司|介]]。
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'''平 高望'''(たいら の たかもち / '''高望王'''(たかもちおう):生没年未詳
  
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桓武天皇の曾孫で賜姓の皇族。[[桓武平氏]]の祖。父は葛原親王の王子高見王。従五位下,上総介。寛平2 (890) (一説には 889年ともいう) 平朝臣の姓を賜わる。退任後も現地に土着し,広大な私営田領主として関東の地に強大な勢力を築いた。平将門,平忠常,平清盛も高望の系統で,さらに土肥,畠山,千葉など,いわゆる[[坂東八平氏]]や北条氏などもこの系統から出ている。
== 生涯 ==
 
[[寛平]]元年([[889年]])[[5月13日 (旧暦)|5月13日]]、[[葛原親王]]の第三王子[[高見王]]<ref name="fa">父は高見王(葛原親王の子)との説と、葛原親王([[桓武天皇]]第 5[[皇子]])との説がある。『[[尊卑分脈]]』、『[[本朝皇胤紹運録]]』、『桓武平氏系図』([[続群書類従]]所収)等の各種系図では高見王の子となっているが、高見王の実在には疑問が提示されている。</ref>の子高望王は、[[宇多天皇]]の[[勅|勅命]]により[[平氏|平朝臣]]を賜与され[[臣籍降下]]し、平高望を名乗った<ref>『宇賀一族の研究と系譜』『南路志』によると、[[貞観 (日本)|貞観]]3年([[861年]])に高望王は[[清和天皇]]の勅命で平朝臣を賜与され臣籍降下したとする。</ref>。
 
 
 
[[昌泰]]元年([[898年]])、高望は[[上総国|上総介]]に[[任官]]した。当時の上級[[国司]]は任地に赴かない[[遥任|遙任]]も少なくなかったが、[[長男]][[平国香|国香]]、次男[[平良兼|良兼]]、三男[[平良将|良将]]を伴って任地に赴く。高望親子は任期が過ぎても帰京せず、国香は前[[常陸国|常陸大掾]]の[[源護]]の娘を、良将は[[下総国]][[相馬郡 (下総国)|相馬郡]]の犬養春枝の娘を妻とするなど、在地勢力との関係を深め[[常陸国]]・[[下総国]]・[[上総国]]の未墾地を開発、自らが開発者となり生産者となることによって勢力を拡大、その権利を守るべく[[武士団]]を形成してその後の高望王流桓武平氏の基盤を固めた。
 
 
 
しかしその後、延喜2年([[902年]])に[[西海道]]の[[国司]]となり[[大宰府]]に居住、延喜11年([[911年]])に同地で没する<ref name="nen" />。なお、この間の延喜3年([[903年]])には、[[昌泰の変]]により失脚した[[菅原道真]]も同地で[[崩御#薨去|薨去]]している。
 
 
 
== 系譜 ==
 
* 父:[[高見王]]または[[葛原親王]]<ref name="fa" /> 
 
* 母:[[橘春成]]<ref>『秩父慈光寺栄朝大禅師系図』</ref>(または[[仲野親王]]<ref>『系図纂要』</ref>、[[藤原是雄]]<ref>『三浦伝記』</ref>)の娘
 
* [[正室]]<ref>高望の各息子の生母にはいくつかの説があり、正確なことははっきりしない。</ref>:[[藤原良方]]の娘
 
** [[長男]]:[[平国香|平良望(国香)]](?-935) - 子孫は[[伊勢平氏]]・[[常陸平氏]]
 
** 次男:[[平良兼]](?-939)
 
** 三男:[[平良将]]
 
** 男子:[[平良繇]](又は良孫)
 
* [[側室]]:藤原範世(または藤原師世)の娘
 
** 男子:[[平良文]](886-953) - 子孫は[[坂東八平氏]]
 
* 生母不明
 
** 男子:[[平良広]]
 
** 男子:平良持(又は良村。良将と同人ともされる)
 
** 男子:平良茂
 
** 男子:[[平良正]](良茂の子とも)
 
** 女子:藤原維幾室([[藤原為憲]]母)
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
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=== 注釈・出典 ===
 
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== 関連項目 ==
 
* [[坂東平氏]]
 
* [[軍事貴族]]
 
  
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2018/10/4/ (木) 00:31時点における版

平高望 / 高望王
時代 平安時代前期 - 中期
生誕 不明
死没 不明
主君 宇多天皇醍醐天皇
氏族 桓武平氏高望王流

平 高望(たいら の たかもち / 高望王(たかもちおう):生没年未詳

桓武天皇の曾孫で賜姓の皇族。桓武平氏の祖。父は葛原親王の王子高見王。従五位下,上総介。寛平2 (890) 年 (一説には 889年ともいう) 平朝臣の姓を賜わる。退任後も現地に土着し,広大な私営田領主として関東の地に強大な勢力を築いた。平将門,平忠常,平清盛も高望の系統で,さらに土肥,畠山,千葉など,いわゆる坂東八平氏や北条氏などもこの系統から出ている。

脚注

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