「煎餅」の版間の差分

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{{統合文字|煎餅}}
 
{{出典の明記|date=2016年5月9日 (月) 11:10 (UTC)}}
 
 
[[File:Japanese_Senbeis.jpg|thumb|日本の煎餅とその断面]]
 
[[File:Japanese_Senbeis.jpg|thumb|日本の煎餅とその断面]]
'''煎餅'''(せんべい)とは、[[穀物]]の粉を使って作る食べ物の一つである。多くは薄く丸い形状をしている。
+
'''煎餅'''(せんべい)
  
== 種類 ==
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 干菓子のなかの焼き種(だね)。小麦粉または粳米(うるちまい)、糯米(もちごめ)の粉に砂糖を加えてどろりとした種汁をつくり、鉄製の焼き型に流して焼いたもの。また粳米、糯米を搗(つ)いて平たくのし、丸く型抜きして乾燥させ、しょうゆを両面に刷(は)いて焼き上げたものを塩煎餅という。
[[ファイル:Taishakuten Sando -03.jpg|サムネイル|煎餅屋]]
 
日本の米を原料とする煎餅は「'''米菓煎餅'''(べいかせんべい)」ともいい、[[粳米]](うるちまい)をつぶしたり搗(つ)いたりして延ばしたものを焼いてつくる[[米菓]]であり、これは「焼きせんべい」と「揚げせんべい」に分ける事ができる<ref name="senbei">[http://www.arare-osenbei.jp/type.html 全国米菓工業組合]</ref>。[[醤油]]や[[塩]]による味付けをしたものが多く、煎餅を焼いて売る『煎餅屋』もみられる<ref>[http://www.awahei.com/yomoyama/senbeirekisi.htm 煎餅の歴史]</ref>。
 
  
== 歴史 ==
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 煎餅の文字は『延喜式(えんぎしき)』の唐菓子(とうがし)のなかにみることができる。奈良時代からの食物であったと考えられるが、『和名抄(わみょうしょう)』はこれを「いりもち」と読み、小麦粉を油で煎(い)ったものとしている。今日の揚げ煎餅に類似した菓子であったと推定される。煎餅には伝説めいた渡来談があり、渡唐した空海が順宗のもてなしを受けたとき、供された食物のなかに亀甲(きっこう)型をした煎餅があった。その煎餅は、日本にすでに存在した果餅(かぺい)14種のなかの煎餅のように油で揚げたものではなく、まことに淡泊な味わいであった。空海はこの仕法を習得して、帰朝後に京の小倉山(おぐらやま)の麓(ふもと)に住む里人に伝えた。これが亀(かめ)の甲煎餅の元祖であるという。中国の『荊楚歳時記(けいそさいじき)』正月7日に、「北人、この日、煎餅を食う。庭中に之(これ)を作り、薫火という」とある。この煎餅が唐菓子のいりもちであるのか、亀の甲煎餅のような形態であったかはさだかでない。粉を練って焼く手法はきわめて古く、団子状の餅を焼いて食べることは弥生(やよい)文化時代にはすでに普及していた。その餅を薄くのして火の通りやすい形状で焼く、つまり今日的な煎餅の作り方は、空海の伝えたものでなく、油で揚げるいりもち以前から存在したと考えるのが妥当である。しかし、この原型としての煎餅はあくまでも主食であった。間食として菓子の性格をもつのは室町時代以降であり、江戸時代になって多くの名物煎餅が生まれた。
=== 縄文・弥生時代 ===
 
時代を遡り、すりつぶした[[栗]]や[[芋類]]([[サトイモ]]、[[ヤマイモ]]など)などを同様に一口大程度に平たく押しつぶして焼いた物が、[[縄文時代|縄文遺跡]]の住居跡からも出土している。
 
  
[[吉野ヶ里遺跡]]や[[登呂遺跡]]の住居跡から、一口大程度に平たく潰し焼いた穀物製の餅が出土しており、既に[[弥生時代]]には煎餅に近い物が食されていたのではないかと考えられている。
+
 煎餅の製法は、古代から江戸中期までさしたる発達をみなかった。焼き種(煎餅生地(きじ))をつくり、薄くのして円形、方形、亀甲形の枠で型抜きし、炭火で一枚一枚焼き上げたのである。江戸中期以降には煎餅屋稼業が鋳物師に焼き型を注文できるほど、鉄製鋳物が安価になり、鋏(はさみ)のように2本の柄(え)の先で開閉する円形、方形、亀甲形、あるいは瓦(かわら)形の鉄皿2枚を備えた焼き型がつくられた。この焼き型を操作して煎餅焼きに従事する職人を煎餅師とよんだ。煎餅師は、金平糖(こんぺいとう)つくりの掛け物職人がそうであったように、多くは渡世人で、渡り職人ともよばれたが、腕のいい職人を抱えた煎餅屋が世間の人気をさらい、名物煎餅を生み出した。
  
=== 草加せんべい ===
+
 煎餅は奈良時代の供饌(ぐせん)菓子として油で揚げた食物だったが、これは貴族階級や高僧の口にしか入らなかった。煎餅の仲間である、あられ、かきもち、へぎもちも、もとは塩味だったもので、「庶民の菓子」として食用油と煎餅類が結び付くことは、幕末のかりんとうの出現までなかったといえる。江戸時代に煎餅と称したのは、小麦粉に砂糖を混ぜて練り、型焼きしたり、巻き上げて焼いたものである。さらに高級品には、卵黄を加えた煎餅もつくられた。以後、今日までに、焼き型の機械化、素材にゴマ、ケシ、クルミ、ラッカセイ、トチの実、みそを加える仕法も考えられ、多様の煎餅が生まれた。しかし、塩煎餅は下級品とされ、こうした煎餅の仲間には入らない菓子だった。
[[画像:Monument_of_the_cradle_of_Soka_rice_cracker.jpg|thumb|草加せんべい発祥の地の碑]]
 
  
現在の煎餅の一番古い物は、[[日光街道]]の2番目の[[宿場町]]だった[[草加宿]](現在の[[草加市|埼玉県草加市]])で[[団子]]屋を営んでいた「おせん」という老婆が、ある日、[[侍]]に「団子を平らにして焼いたらどうか」と言われて始めたのが名前の由来、というよく知られた話がある。
 
  
草加宿一帯の農家では、蒸した米をつぶして丸め、干したもの(「堅餅」という)に塩をまぶして焼き、[[おやつ|間食]]として食べていた。草加宿が日光街道の宿場町として発展したことに伴い、この塩味の煎餅が旅人向けの商品として売り出され、各地に広まった<ref>[http://www.city.soka.saitama.jp/cont/s1403/010/010/020/01.html 草加せんべいの歴史と現在]</ref>。その後、利根川沿岸(千葉県野田市)で生産された[[醤油]]で味をつけるようになり、現在の草加煎餅の原型となったとされている。これは船によって江戸に伝えられ広く伝わっていった。
 
 
別説で、日光[[街道]][[草加松原]]の[[茶屋]]において売られていた団子を「焼き餅にして売ったらどうか」と提案され、それが名物となった、という話もあるが定かでは無い<ref>[http://www.ne.jp/asahi/happy/jollyboy2/senbwhat.htm 草加せんべいの歴史]</ref>。
 
 
== アジア ==
 
[[台湾]]や[[東南アジア]]では[[タロイモ]]煎餅が存在し、[[ミクロネシア]]・[[ポリネシア]]・[[メラネシア]]といったヤムイモやタロイモを主食とする[[環太平洋諸島]]には[[タロイモ]]や[[ヤムイモ]]を原料とする煎餅に近い食品が存在する。
 
 
== 中国の煎餅 ==
 
[[File:Chinese pizza Cake 廣東家鄉煎薄罉.JPG|thumb|中華圏の煎饼]]
 
「餅」という字は、もともと[[中華人民共和国|中国]]では主に[[コムギ|小麦]]・[[アワ|粟]]・[[リョクトウ|緑豆]]などの粉を水で練って、平たく成形した食品全般を指す。そのため、煎餅は[[餅米]]を搗いて作る[[餅]](もち)を基本的に使っていないが、「餅」という字が入っている。
 
 
また、「煎」も、中国では薬を煎じるという意味ではなく、鉄板で[[焼く]]ことを指す。つまり、中国の「煎餅(ジエンピン <span lang="zh">jiānbǐng</span>)」は[[小麦粉]]などの粉を水で練って、鉄板で焼いたものである。別名「薫火」とも呼ばれる。中国においては、現在も[[山東煎餅]]、[[天津煎餅]]など、[[一銭洋食]]に似た作り方の軽食が作られている。日本の[[お好み焼き]]もこれらの「煎餅」の一種として「日式雜菜煎餅」などと呼ばれることがある。逆に、日本の揚げ煎餅の類を「仙貝 シエンベイ <span lang="zh">xiānbèi</span>」と音訳で呼ぶ場合がある。中国の煎餅は、いずれも軟らかくて、巻いたり、曲げたりして食べることが可能なものであり、形状は[[クレープ]]や[[ドーサ]]に似ている。
 
 
== 主な煎餅 ==
 
=== 日本の煎餅 ===
 
==== 煎餅 ====
 
米菓で煎餅類とされるもの<ref name="senbei" />
 
*醤油煎餅
 
*[[ぬれせんべい]](千葉県[[銚子市]]が発祥地であり、[[銚子電気鉄道]]などが販売している)
 
*塩煎餅
 
*海苔煎餅 - 磯辺煎餅ともいう
 
*唐辛子煎餅
 
*砂糖煎餅・ザラメ煎餅
 
*薄焼煎餅
 
*揚げ煎餅 - ぼんち揚、歌舞伎揚の商標で知られるうるち米を用いた丸いもののほか、綱揚げなど、餅米を用いたり、形状が異なるものもある
 
**ソフト煎餅・サラダ煎餅 - 塩味で餅米を用いた揚げ煎餅をこう呼ぶことがある。「サラダ」とは焼いたあとに[[サラダ油]]をからめている事から<ref name="test">[http://www.kamedaseika.co.jp/counselling/counsellingFaq.html#19 亀田製菓 | よくあるご質問 | Q18「サラダ味」の「サラダ」ってどんな味を言うのですか?」]</ref>
 
*[[オランダせんべい (米菓)|オランダせんべい]]([[山形県]][[酒田市]])
 
*[[おにぎりせんべい]]([[おにぎり]]のように三角形をした煎餅)
 
*[[ソースせんべい|ソース煎餅]]
 
**小さいせんべいにソースで味付けをしたもの
 
**[[駄菓子]]の一つで、ソースやジャムなどを塗って食べるもの。露店で売られている事も多い。
 
 
==== 甘味煎餅 ====
 
*樽せんべい([[広島県]]平田屋)
 
*八百津せんべい([[岐阜県]][[八百津町]])
 
*[[和歌浦煎餅]]
 
*[[瓦せんべい]](鶏卵煎餅)([[香川県]][[高松市]]) - 瓦のように硬い。[[高松城 (讃岐国)|高松城]]の瓦にあやかったとされている。
 
*巻煎餅(絹巻煎餅)- 有平糖を薄い煎餅で巻物のように巻いた餅 
 
*[[炭酸せんべい]]([[兵庫県]][[有馬温泉]]) - カルルス煎餅や磯部煎餅([[群馬県]][[磯部温泉]])、湯せんぺい([[長崎県]][[雲仙温泉]])ともいう
 
*ミルク煎餅
 
*[[八ツ橋]]
 
*[[生せんべい]]([[愛知県]][[半田市]])
 
*ソースせんべい([[駄菓子]])
 
*[[二◯加煎餅]]([[福岡県]][[福岡市]])
 
*[[九十九島せんぺい]]([[長崎県]][[佐世保市]])
 
*[[オランダせんべい (粉菓)|オランダせんべい]]([[北海道]][[根室市]])
 
*[[鹿せんべい]]([[奈良県]][[奈良市]]) - [[東大寺]]周辺で[[シカ|鹿]]のエサとして作られている。
 
*味噌煎餅([[岐阜県]][[飛騨市]])
 
*八丁味噌煎餅(愛知県[[岡崎市]])
 
*醤油煎餅([[島根県]][[出雲市]]。ベースが甘いもの)
 
*生姜煎餅([[柳宗悦]]、[[吉田璋也]]らがプロデュースした[[鳥取県]][[鳥取市]]の[[生姜]]せんべい、島根県出雲市の出西生姜煎餅、[[石川県]][[金沢市]]の[[柴舟]]ほか)
 
*[[南部煎餅]] - 元々は保存食として作られた物で、甘くなく、揚げたり鍋に入れるなど食卓料理の部類で食べられていた([[せんべい汁]]参照)。現代では甘みを付け加えたものなどバリエーションが増えている。
 
*[[福引煎餅]] - [[三重県]][[中勢|中部]]で[[節分]]の際に食される。
 
 
==== 小麦粉煎餅 ====
 
* [[南部煎餅]] - 旧[[八戸藩]]地域に伝承の焼成煎餅
 
* [[かたやき]] - [[三重県]][[上野市]]など。
 
 
==== デンプン煎餅 ====
 
*[[海老煎餅]]
 
*[[海老煎餅#種別|海老満月]]
 
*[[かっぱえびせん]]
 
*[[蛸せんべい]]
 
*[[あさりせんべい]](愛知県[[田原市]]の菓子蔵せきなど)
 
 
==== その他 ====
 
* 魚せんべい - [[魚介類]]に[[片栗粉]]または小麦粉をつけてプレス焼きしたもの
 
* 骨せんべい - [[三枚おろし|三枚]]に下ろした小魚や[[ウナギ]]の背骨を[[揚げる|素揚げ]]にしたもの。または[[イワシ]]・[[キス (魚)|キス]]などの[[干物]]をみりんなどで甘めに味付けして、[[スナック菓子]]として食べられるようにしたもの。共に[[カルシウム]]が豊富。
 
* 蓮根煎餅 - [[レンコン]]の薄切りを[[ポテトチップ]]の様に揚げたもの。
 
* あいむす焼き - [[香川県]][[観音寺市]]の極薄せんべい。[[燧灘]]の小海老を鉄板で挟み焼きし、専用の臺(むろ)で蒸したもの。
 
宮崎県[[宮崎市]]の「青島せんべい」は、 せんべいと言う呼称であるものの「[[ゴーフレット]]」である。
 
 
<gallery>
 
hinodeseika.jpg|煎餅の生産ライン
 
Senbei Nori 001.jpg|海苔煎餅
 
</gallery>
 
 
== 地方差 ==
 
[[餅米]]を利用した米菓は、小さい形状なら[[あられ (菓子)|あられ]]、あられより大きい位なら[[おかき]]、その他は揚げ餅と分けられる<ref name="senbei" />。[[近畿地方|関西]]ではおかきやあられ屋があるなど地域差がある。
 
 
[[小麦粉]]、[[鶏卵|卵]]などを原料にするもの、[[ジャガイモ|馬鈴薯]]などの[[デンプン]]を用いるもの等の、類似の外観や食感を持つものも煎餅と呼ぶ場合がある。小麦粉を原料とするものは、主に関西で古くから作られている。材料は主に小麦粉、[[砂糖]]、[[鶏卵|卵]]などで、[[カステラ]]や[[ビスケット]]に近く、味は甘めのものが多い。そのため'''甘味煎餅'''(あまみせんべい)とも言う。[[瓦せんべい]]などが代表的なものであり、[[八ツ橋]]のように米を材料とするものもある。これは[[唐菓子]]の伝統を受け継いでおり、北海道根室市や長崎県平戸市の[[オランダせんべい_(粉菓)|オランダせんべい]]のように洋菓子である[[ワッフル]]の原料・製造法から創作された物もある。[[南部地方 (青森県)|青森県南部地方]]発祥の[[南部せんべい]]は、基本は小麦粉と塩だけの素朴な煎餅である。馬鈴薯などのデンプンを用いるものとしては、[[愛知県]]の[[知多半島]]の名物となっている[[海老煎餅]]などがある。これは、デンプンに魚や海老の乾燥品を混ぜて焼いたもの。塩辛い味が基本だが、現在では[[ワサビ|わさび]]味、[[カレー]]味、[[キムチ]]味など、さまざまな味の物が作られている。
 
 
[[九州]]などでは煎餅を「せん'''べい'''」でなく「せん'''ぺい'''」と半濁音で発音する人もいる。二○加煎餅、[[九十九島せんぺい]]、[[湯せんぺい]]といった例がある。場合によっては醤油味・塩味を「せんべい」、甘いものを「せんぺい」と呼び分ける例もある。
 
 
=== 中国の煎餅 ===
 
*煎餅(ジエンピン)
 
**[[山東煎餅]]
 
**[[天津煎餅]]
 
*甘味煎餅に似たもの
 
**[[鶏蛋仔]]
 
 
== 参照 ==
 
<references />
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|Senbei}}
 
*[[あられ (菓子)|あられ]]
 
*[[おかき]]
 
*[[ボーロ]]
 
*[[松風]]
 
*[[かたやき]]
 
*[[揚げ餅]]
 
*[[一口香]]・[[唐饅頭]]
 
*[[ワッフル]]
 
 
{{米料理}}
 
{{米料理}}
{{Normdaten}}
+
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[[Category:煎餅|*]]
 
[[Category:煎餅|*]]
 
[[Category:米菓]]
 
[[Category:米菓]]

2018/10/27/ (土) 17:32時点における最新版

日本の煎餅とその断面

煎餅(せんべい)

 干菓子のなかの焼き種(だね)。小麦粉または粳米(うるちまい)、糯米(もちごめ)の粉に砂糖を加えてどろりとした種汁をつくり、鉄製の焼き型に流して焼いたもの。また粳米、糯米を搗(つ)いて平たくのし、丸く型抜きして乾燥させ、しょうゆを両面に刷(は)いて焼き上げたものを塩煎餅という。

 煎餅の文字は『延喜式(えんぎしき)』の唐菓子(とうがし)のなかにみることができる。奈良時代からの食物であったと考えられるが、『和名抄(わみょうしょう)』はこれを「いりもち」と読み、小麦粉を油で煎(い)ったものとしている。今日の揚げ煎餅に類似した菓子であったと推定される。煎餅には伝説めいた渡来談があり、渡唐した空海が順宗のもてなしを受けたとき、供された食物のなかに亀甲(きっこう)型をした煎餅があった。その煎餅は、日本にすでに存在した果餅(かぺい)14種のなかの煎餅のように油で揚げたものではなく、まことに淡泊な味わいであった。空海はこの仕法を習得して、帰朝後に京の小倉山(おぐらやま)の麓(ふもと)に住む里人に伝えた。これが亀(かめ)の甲煎餅の元祖であるという。中国の『荊楚歳時記(けいそさいじき)』正月7日に、「北人、この日、煎餅を食う。庭中に之(これ)を作り、薫火という」とある。この煎餅が唐菓子のいりもちであるのか、亀の甲煎餅のような形態であったかはさだかでない。粉を練って焼く手法はきわめて古く、団子状の餅を焼いて食べることは弥生(やよい)文化時代にはすでに普及していた。その餅を薄くのして火の通りやすい形状で焼く、つまり今日的な煎餅の作り方は、空海の伝えたものでなく、油で揚げるいりもち以前から存在したと考えるのが妥当である。しかし、この原型としての煎餅はあくまでも主食であった。間食として菓子の性格をもつのは室町時代以降であり、江戸時代になって多くの名物煎餅が生まれた。

 煎餅の製法は、古代から江戸中期までさしたる発達をみなかった。焼き種(煎餅生地(きじ))をつくり、薄くのして円形、方形、亀甲形の枠で型抜きし、炭火で一枚一枚焼き上げたのである。江戸中期以降には煎餅屋稼業が鋳物師に焼き型を注文できるほど、鉄製鋳物が安価になり、鋏(はさみ)のように2本の柄(え)の先で開閉する円形、方形、亀甲形、あるいは瓦(かわら)形の鉄皿2枚を備えた焼き型がつくられた。この焼き型を操作して煎餅焼きに従事する職人を煎餅師とよんだ。煎餅師は、金平糖(こんぺいとう)つくりの掛け物職人がそうであったように、多くは渡世人で、渡り職人ともよばれたが、腕のいい職人を抱えた煎餅屋が世間の人気をさらい、名物煎餅を生み出した。

 煎餅は奈良時代の供饌(ぐせん)菓子として油で揚げた食物だったが、これは貴族階級や高僧の口にしか入らなかった。煎餅の仲間である、あられ、かきもち、へぎもちも、もとは塩味だったもので、「庶民の菓子」として食用油と煎餅類が結び付くことは、幕末のかりんとうの出現までなかったといえる。江戸時代に煎餅と称したのは、小麦粉に砂糖を混ぜて練り、型焼きしたり、巻き上げて焼いたものである。さらに高級品には、卵黄を加えた煎餅もつくられた。以後、今日までに、焼き型の機械化、素材にゴマ、ケシ、クルミ、ラッカセイ、トチの実、みそを加える仕法も考えられ、多様の煎餅が生まれた。しかし、塩煎餅は下級品とされ、こうした煎餅の仲間には入らない菓子だった。




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