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− | '''誠成公倫'''(せいせいこうりん)は、[[兵庫県]][[西宮市]]に本部を置く[[神道]]系の宗教団体。会員数は、3万6000人<ref>松野純孝編『新宗教事典』東京堂出版(1984年)</ref>。
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− | == 創始者 ==
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− | 誠成公倫の創始者は、[[八島義郎]](やしま よしろう [[1914年]]-[[2010年]])である。宗教家のみならず、芸術家・実業家としても活動した。教団内では、「法主」と呼称される。また、現在の教団の代表者は、谷口紀子である<ref>文化庁編『平成28年度 宗教年鑑』</ref>。
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− | == 所在地 ==
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− | 兵庫県西宮市に、道場・研修施設・店舗棟を備えた「西宮研修所」を構え、事実上の本部としている。ただ、宗教法人としての登記上の本部は、[[東京都]][[町田市]]にある<ref>文化庁編『平成28年度 宗教年鑑』</ref>。
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− | == 沿革 ==
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− | 八島義郎は、[[1914年]]に、江戸期に旗本を務めた家系に生まれた。父親は[[大成建設]]の幹部で、一家は各地を転居していたが、やがて関西に定住するようになる。富裕な家庭で、八島は少年期から多趣味だった。写真・絵画・彫刻に傾倒するうち、芸術家を志すようになる。修行のため、八島は[[1931年]]に家を出て、京都の仏師や神戸の彫物師に師事した。やがて、彫刻(木彫)に才能を発揮し、[[高村光雲]]とも親交を結び、彫刻家として一家を成すようになる。だが、戦後の混乱によって、彫刻によって生計を立てるのは難しくなった。そこで、八島は行商や倉庫番をするようになるが、貧困は解決しない。こうした窮状のなか、八島は、夢で啓示を受け、[[能勢町]]の山中の杣小屋に籠るようになる。ここで、昭和20年代末から昭和30年代はじめにかけ、キリスト教や仏教を学び、修行を積んだ。その結果、[[1956年]]に、八島は治癒や予知といった、超常的な能力を獲得する。そして、明くる[[1957年]]に、その超常的な能力によって他者を救済するため、親和会という団体を結成した。この団体は、[[1961年]]に、能勢町から[[東成区]]玉造に移転する。そして、八島は関西各地を回り、教勢の拡張に力を入れた。[[1965年]]に、八島と対面した霊能者が、「誠成公倫」という言葉を唱和するという出来事があり、これをもとに団体の名称を誠成公倫に改めた<ref>松野純孝編『新宗教事典』東京堂出版(1984年)</ref>。
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− | == 教義 ==
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− | 三原則として、同質結集・循環(繰り返す)・相対(バランス)を挙げ、これらの原則に準拠することによって、真心で明るく正しい生活を目指す。また、父祖への畏敬も説かれ、日本人の源流である[[天照大御神]]と、日本国の基礎を築いた[[崇神天皇]]・[[応神天皇]]を祭祀する。こうした父祖への敬愛をもとに、各人が平和と幸福を実現するため、尽力するように説く<ref>松野純孝編『新宗教事典』東京堂出版(1984年)</ref>。
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− | == 祭神 ==
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− | 天照大御神を主神とし、配祀神として、崇神天皇・応神天皇<ref>松野純孝編『新宗教事典』東京堂出版(1984年)</ref>。
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− | == 布教活動 ==
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− | 法主の霊能による御祈念を中心としている。あらかじめ質問事項を会員から提出させ、法主がその質問に答える形式をとっている。また、[[1982年]]から、法主の作詞作曲した歌をテーマにした劇を上演し、それによって法主の説く教義を会員に会得させる「歌唱劇」を行っている<ref>松野純孝編『新宗教事典』東京堂出版(1984年)</ref>。
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− | ==脚注==
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− | {{Commonscat|Seisei-kōrin|誠成公倫}} | |
− | {{Reflist}}
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− | {{新宗教}}
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− | {{DEFAULTSORT:せいせいこうりん}}
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− | [[category:日本の新宗教]]
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− | [[Category:神道系新宗教]]
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− | [[Category:日本の宗教団体]]
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− | [[Category:1957年設立]]
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