スペイングランプリ
カタロニア・サーキット | |
ファイル:Catalunya.svg | |
レース情報 | |
---|---|
周回 | 66 |
コース長 | 4.655 km (2.892 mi) |
レース長 | 307.104 km (190.825 mi) |
開催回数 | 60 |
初回 | 1913 |
最多勝利 (ドライバー) | ミハエル・シューマッハ (6) |
最多勝利 (コンストラクター) | フェラーリ (12) |
最新開催(2018): | |
ポールポジション |
ルイス・ハミルトン メルセデス 1:16.173 |
決勝順位 |
1. ルイス・ハミルトン メルセデス 1:35:29.972 2. バルテリ・ボッタス メルセデス +20.593s 3. マックス・フェルスタッペン レッドブル-タグ・ホイヤー +26.873s |
ファステストラップ |
ダニエル・リカルド レッドブル-タグ・ホイヤー 1:18.441 |
スペイングランプリ(スペインGP、英: Spanish Grand Prix、西: Gran Premio de España、テンプレート:Lang-ca)は、スペインで行われるF1の選手権レースの1つ。
Contents
概要
1990年代以降、スペインGPは例年5月にバルセロナ近郊のカタロニア・サーキットで開催されている。シーズン開幕からアジア・オセアニア地域を転戦したのち、ここからヨーロッパラウンドの戦いが始まり、マシンに大掛かりなアップデートを施すチームもある。カタロニア・サーキットはテスト走行でも走りなれているため、ここでの成績から中盤戦以降の力関係を予想することもできる。ヨーロッパラウンドの中でもイタリア・ポルトガルと並びもっとも南に位置する地域で行われるレースであり、開催時期もあいまって猛暑の中での開催となることも多い。
正式名称は、2010年までは大手通信事業会社テレフォニカの名前を冠したGran Premio de España Telefónica(グラン・プレミオ・デ・エスパーニャ・テレフォニカ)、2011年と2012年はサンタンデール銀行が冠スポンサーとなりGran Premio de España Santanderと称した。2013年は冠スポンサーが付かなかったが、2014年からはF1にタイヤを供給するピレリが冠スポンサーを務め、レース名称はGran Premio de España Pirelliとなっている。
歴史
1913年にマドリード近郊のグアダラマ山脈のロードコースで、ツーリングカーイベントとして初開催された。1923年にはカタルーニャ州のシッチェスに建設されたオーバルトラック (Autódromo de Sitges-Terramar)にて、欧州のグランプリ規定に則ったレースが開催された。1926年以降はバスク地方のラサルテ・サーキット (Circuito Lasarte) へ舞台を移したが、1936年にスペイン内戦が勃発すると長い中断期間に入った。
1950年にF1世界選手権が創設されると、1951年と1954年にバルセロナ市街地のペドラルベス公道コースで再開された。しかし、ル・マン24時間レースの大事故の影響で1955年のグランプリが中止され、以後1966年まで開催されなかった。
1967年にノンチャンピオンシップ戦として再開。1968年よりF1世界選手権に復帰し、1975年までマドリード近郊のハラマ・サーキットとバルセロナの公園内にあるモンジュイック・サーキットで交互に開催された。モンジュイックはガードレールなど施設安全面に問題があり、1975年の観客死傷事故を最後に使われなくなり、1976年から1981年まではツイスティーなハラマで連続開催された。
1986年にはアンダルシア州に新設されたヘレス・サーキットで再開され、隣国のポルトガルGPとセットで、シーズン終盤の「イベリア半島連戦」として開催された。ヘレスはハラマと似た抜き所の少ないレイアウトが歓迎されず、1991年以降はバルセロナ郊外に新設されたカタロニア・サーキットに舞台を移すことになった。
スペイン国内の経済状況も踏まえて、2014年よりカタロニアとバレンシアで隔年開催することに合意したと伝えられたが、カタロニア側は少なくとも契約期間内の2016年までは当地で開催すると主張していた[1]。2015年、カタロニアとの開催契約を2019年まで延長することが発表された[2]。しかし、バルセロナ市の地方議会は2016年よりスペインGPへの資金提供を段階的に削減する方針を決め、まず同年の出資額を従来の400万ユーロから200万ユーロに減額し、最終的には出資から完全に手を引く予定である[3]。
スペインGP以外のF1レース
スペインGP以外にもうひとつのF1レースを開催する場合、「1カ国1開催」という原則を回避する手段としてヨーロッパグランプリという名称が使用された。1994年と1997年はヘレスにて開催。2000年代に入ると、スペイン出身のフェルナンド・アロンソの活躍と共に国内では高い人気と注目を集めるようになり、2008年から2012年まではバレンシア市街地コースでヨーロッパグランプリが再び開催された。
主な出来事
- 1951年 - F1での初開催は最終戦のチャンピオン決定レースとなった。フェラーリチームがタイヤ選択を失敗し、アルファロメオのファン・マヌエル・ファンジオが自身初のタイトルを獲得した。この年限りで撤退するアルファロメオにとって、F1最後の勝利となった。
- 1969年 - 高層式ウイングの破損によりロータスのヨッヘン・リントがクラッシュして顔面を骨折。次戦モナコGPよりウィングの固定や高さ制限が導入された。
- 1975年 - 予選では安全対策の不備を理由にボイコット騒ぎが発生。レースはロルフ・シュトメレンのコースアウトにより観客4人の死亡事故が発生し赤旗終了。F1史上2人目の女性ドライバーであるレラ・ロンバルディが6位入賞して0.5ポイントを獲得し[4]、F1で唯一の入賞記録を持つ女性ドライバーとなった。
- 1976年 - このレースよりマシンの全高制限が施行され、当時流行した大型インダクションポッドが姿を消した。ティレルの6輪車P34がデビューした。トップチェッカーを受けたジェームス・ハント(マクラーレン)が車両寸法違反により失格し、ニキ・ラウダ(フェラーリ)が繰り上がり優勝と判定されたが、マクラーレンの抗議で2ヵ月後にハントの優勝が復活した。
- 1980年 - 国際自動車スポーツ連盟(FISA)とF1コンストラクター協会(FOCA)の政治的対立のあおりを受け、レース後にFOCAから選手権除外を通達された。
- 1981年 - ジル・ヴィルヌーヴ(フェラーリ)、ジャック・ラフィット(リジェ)、ジョン・ワトソン(マクラーレン)、カルロス・ロイテマン(ウィリアムズ)、エリオ・デ・アンジェリス(ロータス)の5人が相次いでゴールし、優勝から5位までが1.24秒差という緊張感あふれるレースが展開された。2位以下の車が、後続よりも明らかに遅い首位のフェラーリを抜くことが出来なかったことで、ハラマにおけるコース幅の狭さとストレートの短さをあらわしたレースとなった。
- 1986年 - 新設のヘレスで行われ、アイルトン・セナ(ロータス)とナイジェル・マンセル(ウィリアムズ)によりその差0.014秒というゴール前での僅少差の攻防戦が演じられた。
- 1990年 - マーティン・ドネリー(ロータス)が瀕死の重傷を負う大クラッシュが発生。
- 1994年 - ベネトンのミハエル・シューマッハは5速ギアしか使えなくなってしまったマシンを巧みに駆り、2位でフィニッシュした。
- 1996年 - シューマッハが大雨の中で独走し、フェラーリ移籍後初優勝を果たす。
- 2001年 - スペインGP4連勝を目指したミカ・ハッキネン(マクラーレン)が優勝目前の最終ラップにマシントラブルのためリタイア。
- 2004年 - ジミー・ジャンプがコースに乱入。
- 2006年 - ルノーのフェルナンド・アロンソがスペイン人ドライバーとして初の母国GP制覇。
- 2008年 - スーパーアグリの売却交渉失敗が発覚。このレースを最後にF1から撤退した。
- 2012年 - ウィリアムズのパストール・マルドナドがベネズエラ人ドライバーとしてF1初優勝。レース後、勝利を祝うウィリアムズのピット内で火災騒動が発生。
- 2016年 - スタート直後にメルセデスのニコ・ロズベルグとルイス・ハミルトンが接触しリタイアとなる。このレースからレッドブルに移籍したマックス・フェルスタッペンが18歳228日で初優勝を果たしF1最年少優勝記録を更新[5]。オランダ人初のF1ウィナーとなった。
結果
F1世界選手権として開催された1951年以降の結果について記載する(1952-1953年, 1955-1966年, 1982-1985年は非開催、1967年と1980年は非選手権として開催)。
年 | 決勝日 | ラウンド | サーキット | 勝者 | 所属チーム | 結果 |
---|---|---|---|---|---|---|
1951 | 10月28日 | 8 | ペドラルベス | ファン・マヌエル・ファンジオ | アルファロメオ | 詳細 |
1954 | 10月24日 | 9 | ペドラルベス | マイク・ホーソーン | フェラーリ | 詳細 |
1968 | 5月12日 | 2 | ハラマ | グラハム・ヒル | ロータス | 詳細 |
1969 | 5月 4日 | 2 | モンジュイック | ジャッキー・スチュワート | マトラ | 詳細 |
1970 | 4月19日 | 2 | ハラマ | ジャッキー・スチュワート | ティレル | 詳細 |
1971 | 4月18日 | 2 | モンジュイック | ジャッキー・スチュワート | ティレル | 詳細 |
1972 | 5月 1日 | 2 | ハラマ | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス | 詳細 |
1973 | 4月29日 | 4 | モンジュイック | エマーソン・フィッティパルディ | ロータス | 詳細 |
1974 | 4月28日 | 4 | ハラマ | ニキ・ラウダ | フェラーリ | 詳細 |
1975 | 4月27日 | 4 | モンジュイック | ヨッヘン・マス | マクラーレン | 詳細 |
1976 | 5月 2日 | 4 | ハラマ | ジェームス・ハント | マクラーレン | 詳細 |
1977 | 5月 8日 | 5 | ハラマ | マリオ・アンドレッティ | ロータス | 詳細 |
1978 | 6月 4日 | 7 | ハラマ | マリオ・アンドレッティ | ロータス | 詳細 |
1979 | 4月29日 | 5 | ハラマ | パトリック・デパイユ | リジェ | 詳細 |
1981 | 6月21日 | 7 | ハラマ | ジル・ヴィルヌーヴ | フェラーリ | 詳細 |
1986 | 4月13日 | 2 | ヘレス | アイルトン・セナ | ロータス | 詳細 |
1987 | 9月27日 | 13 | ヘレス | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1988 | 10月 | 2日14 | ヘレス | アラン・プロスト | マクラーレン | 詳細 |
1989 | 10月 | 1日14 | ヘレス | アイルトン・セナ | マクラーレン | 詳細 |
1990 | 9月30日 | 14 | ヘレス | アラン・プロスト | フェラーリ | 詳細 |
1991 | 9月29日 | 14 | カタロニア | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1992 | 5月 3日 | 4 | カタロニア | ナイジェル・マンセル | ウィリアムズ | 詳細 |
1993 | 5月 9日 | 5 | カタロニア | アラン・プロスト | ウィリアムズ | 詳細 |
1994 | 5月29日 | 5 | カタロニア | デイモン・ヒル | ウィリアムズ | 詳細 |
1995 | 5月14日 | 4 | カタロニア | ミハエル・シューマッハ | ベネトン | 詳細 |
1996 | 6月 2日 | 7 | カタロニア | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
1997 | 5月25日 | 6 | カタロニア | ジャック・ヴィルヌーヴ | ウィリアムズ | 詳細 |
1998 | 5月10日 | 5 | カタロニア | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 |
1999 | 5月30日 | 5 | カタロニア | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 |
2000 | 5月 7日 | 5 | カタロニア | ミカ・ハッキネン | マクラーレン | 詳細 |
2001 | 4月29日 | 5 | カタロニア | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2002 | 4月28日 | 5 | カタロニア | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2003 | 5月 4日 | 5 | カタロニア | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2004 | 5月 9日 | 5 | カタロニア | ミハエル・シューマッハ | フェラーリ | 詳細 |
2005 | 5月 8日 | 5 | カタロニア | キミ・ライコネン | マクラーレン | 詳細 |
2006 | 5月14日 | 6 | カタロニア | フェルナンド・アロンソ | ルノー | 詳細 |
2007 | 5月13日 | 4 | カタロニア | フェリペ・マッサ | フェラーリ | 詳細 |
2008 | 4月27日 | 4 | カタロニア | キミ・ライコネン | フェラーリ | 詳細 |
2009 | 5月10日 | 5 | カタロニア | ジェンソン・バトン | ブラウン | 詳細 |
2010 | 5月 9日 | 5 | カタロニア | マーク・ウェバー | レッドブル | 詳細 |
2011 | 5月22日 | 5 | カタロニア | セバスチャン・ベッテル | レッドブル | 詳細 |
2012 | 5月13日 | 5 | カタロニア | パストール・マルドナド | ウィリアムズ | 詳細 |
2013 | 5月12日 | 5 | カタロニア | フェルナンド・アロンソ | フェラーリ | 詳細 |
2014 | 5月11日 | 5 | カタロニア | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2015 | 5月10日 | 5 | カタロニア | ニコ・ロズベルグ | メルセデス | 詳細 |
2016 | 5月15日 | 5 | カタロニア | マックス・フェルスタッペン | レッドブル | 詳細 |
2017 | 5月14日 | 5 | カタロニア | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
2018 | 5月13日 | 5 | カタロニア | ルイス・ハミルトン | メルセデス | 詳細 |
複数回優勝したドライバー
回数 | ドライバー | 優勝年 |
---|---|---|
6 | ミハエル・シューマッハ | 1995, 1996, 2001, 2002, 2003, 2004 |
3 | ルイ・シロン | 1928, 1929, 1933 |
ジャッキー・スチュワート | 1969, 1970, 1971 | |
ナイジェル・マンセル | 1987, 1991, 1992 | |
アラン・プロスト | 1988, 1990, 1993 | |
ミカ・ハッキネン | 1998, 1999, 2000 | |
ルイス・ハミルトン | 2014, 2017, 2018 | |
2 | エマーソン・フィッティパルディ | 1972, 1973 |
マリオ・アンドレッティ | 1977, 1978 | |
アイルトン・セナ | 1986, 1989 | |
キミ・ライコネン | 2005, 2008 | |
フェルナンド・アロンソ | 2006, 2013 |
- 太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
複数回優勝したコンストラクター
回数 | コンストラクター | 優勝年 |
---|---|---|
12 | フェラーリ | 1954, 1974, 1981, 1990, 1996, 2001, 2002, 2003, 2004, 2007, 2008, 2013 |
8 | マクラーレン | 1975, 1976, 1988, 1989, 1998, 1999, 2000, 2005 |
ウィリアムズ | 1980, 1987, 1991, 1992, 1993, 1994, 1997, 2012 | |
7 | ロータス | 1967, 1968, 1972, 1973, 1977, 1978, 1986 |
6 | メルセデス | 1934, 1935, 2014, 2015, 2017, 2018 |
3 | ブガッティ | 1926, 1928, 1929 |
レッドブル | 2010, 2011, 2016 | |
2 | アルファロメオ | 1933, 1951 |
- 太字は2018年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
- ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
- クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権[6]の一戦として開催された年。
脚注
- ↑ "バルセロナ、来季のチケット販売に悪びれず". ESPN F1.(2013年6月28日)2013年6月28日閲覧。
- ↑ カタロニア・サーキット、F1スペインGPの開催契約を2019年まで延長. F1-Gate.com(2015年5月11日).
- ↑ バルセロナ市、F1スペインGPへの出資を削減. F1-Gate.com(2016年1月4日).
- ↑ レースが規定周回数の75%未満で打ち切られた場合、入賞ポイントは半分に減らされる。
- ↑ フェルスタッペンJr. 18歳228日で最年少優勝 - スポニチアネックス、2016年5月16日掲載、2016年8月6日閲覧
- ↑ 1931年-1932年および1935年-1939年に行われた四輪モータースポーツにおける最高峰の選手権。現在のF1世界選手権の前身にあたる。