アーヘンの和約 (1748年)
提供: miniwiki
アーヘンの和約(アーヘンのわやく、西: Tratado de Aquisgrán, 仏: Traité d'Aix-la-Chapelle, 独: Frieden von Aachen, 英: Treaty of Aix-la-Chapelle, 蘭: Vrede van Aken, 伊: Trattato di Aquisgrana)は、ドイツのアーヘン(エクス=ラ=シャペル)で1748年に結ばれたオーストリア継承戦争の講和条約。第二次アーヘン和約とも称される。
内容
フランス・スペインが、イギリス・オランダ・サルデーニャ・オーストリア・ジェノヴァ共和国・モデナ公国と結んだ講和条約。オーストリアはマリア・テレジアのハプスブルク家相続を容認させる代償として、以下の条件を承認した。
- マリア・テレジアはスペイン・ブルボン家のフィリッポ・ディ・ボルボーネにパルマ公国・ピアチェンツァ公国・グアスタッラ公国の公位を譲渡する。
- 当時イギリス国王となっていたハノーファー選帝侯の神聖ローマ帝国内での領土を承認。
- プロイセン王国のシュレージエン領有を確認。
また、この他の占領地は戦争勃発以前の状態へ戻すことが決められ、北アメリカではニューイングランド植民地軍が占領したロワイヤル島(現ケープ・ブレトン島)のルイブール要塞がフランスに返還された。