雲崗石窟
| |||
---|---|---|---|
英名 | Yungang Grottoes | ||
仏名 | Grottes de Yungang | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1), (2), (3), (4) | ||
登録年 | 2001年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
地図 | |||
雲崗石窟の位置 | |||
表示 |
雲崗石窟(うんこうせっくつ)は、中華人民共和国山西省大同市の西方20kmに所在する、東西1kmにわたる約40窟の石窟寺院。「雲崗石窟」としてユネスコの世界遺産 (文化遺産) に登録されているが、あくまでも日本関係者の作業による結果と思われる。現地名は「雲岡石窟」と表記され、色々な専門書においてもその記述で統一されている上に、中国でのオフィシャルサイトの登録も全て「雲岡石窟」及び簡体字表記の「云冈石窟」で統一されている。
概要
元は霊巌寺といい、現在では石仏寺などとも呼ばれる。北魏の沙門統である曇曜が文成帝に上奏して460年(和平元年)頃に、桑乾河の支流の武周川の断崖に開いた所謂「曇曜五窟」 (第16窟、第17窟、第18窟、第19窟、第20窟) に始まる。三武一宗の廃仏の第一回、太武帝の廃仏の後を受けた仏教復興事業のシンボル的存在が、この5窟の巨大な石仏であった。
その後も、第1・2窟、第3窟、第5・6窟、第7・8窟、第9・10窟、第11・12・13窟と大規模な石窟の造営が続けられ、雲岡期(460年-494年)と呼ばれる中国仏教彫刻史上の一時期を形成した。
様式は、最初期の「曇曜五窟」には、ガンダーラやグプタ朝の様式の影響が色濃い。その後の石窟ではギリシア様式の唐草文様に代表される西方起源の意匠も凝らされており、当時の建築様式を模した装飾も豊富に見られる。しかし、洛陽へ遷都する494年以降の末期になると、初期の雄大な質感は姿を消し華奢で力強さの感じられない造形が増加する傾向が顕著となる。そして、この傾向の延長線上に、続く龍門期が待ち受けている。
また、その影響関係で言えば、雲岡の様式は涼州 (甘粛省) の石窟にその淵源を持つとも考えられるが、雲岡の影響は龍門・天龍山・南北の響堂山などの広範囲な石窟寺院に及んでいる。
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (3) 現存するまたは消滅した文化的伝統または文明の、唯一のまたは少なくとも稀な証拠。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
パノラマ
画像
- Yungag entrance 2010.JPG
寺院の正門。
- Yungang2.jpg
石仏。
- Yungang10 2010.JPG
石仏。
- Yungang6 2010.JPG
岩に掘られた穴。
- Yungang9 2010.JPG
岩に掘られた穴。
- Yungang 14.JPG
建物。
- Yungang 12.JPG
建物を飾る龍。
- Side wall statues Yungang.jpg
第11窟内部の仏像。
参考文献
- 「雲岡中期石窟新論―沙門統曇曜の失脚と胡服供養者像の出現」(石松日奈子著, 『MUSEUM』第587号, 2003年12月, 第16回國華賞受賞)
- 「雲岡石窟 : 西暦五世紀における中国北部仏教窟院の考古学的調査報告: 東方文化研究所調査」 水野清一, 長廣敏雄共著,京都大学人文科学研究所雲岡刊行会,1952-1975年 [京都大学学術情報リポジトリKURENAI http://hdl.handle.net/2433/139069]