旧芝離宮恩賜庭園
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旧芝離宮恩賜庭園(きゅうしばりきゅうおんしていえん)は、東京都港区海岸にある都立庭園。大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、宮内庁管理の離宮を経て、大正13年(1924年)東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開された。
概要
旧芝離宮恩賜庭園は江戸幕府の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作庭した大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園である。作庭当時は海岸に面しており、浜離宮恩賜庭園同様汐入の庭であった。現在では周囲の埋め立てとビル群により海の眺望は失われた。一部が鉄道の増設用地に提供され面積が狭くなった。
主な見所
- 藤棚 - 開花は4月末頃
- 雪見灯籠 - 比較的大ぶりの雪見灯籠
- 州浜 - 砂浜を模す
- 枯滝 - 石組みにより滝を模す
- 石柱 - 忠朝が小田原藩主の頃、後北条氏に仕えた戦国武将・松田憲秀旧邸の門柱を運び入れたもの。茶室の柱として使われたと推定されている
- 西湖堤 - 中国杭州の西湖を模した堤
- 大島 - 池の中では最大の島
- 中島 - 蓬莱山を模す
- 浮島 - カモなど野鳥が集う
- 大山 - 園内で最も標高の高い山
- 根府川山 - 忠朝の藩地小田原から運び入れた火山石などからなる山
- 唐津山 - 忠朝は以前唐津藩主でもあったためその名を冠してつくった山
沿革
- 延宝6年(1678年)、老中・大久保忠朝が芝金杉の地を拝領し、屋敷を構える。
- 貞享3年(1686年)、大久保忠朝屋敷内の庭園楽寿園として作庭される。
- 文政元年(1818年)、大久保忠真が邸地を返上、堀田正功が拝領する。
- 文政4年(1821年)、堀田家が邸地を返上、御用屋敷となる。
- 文政6年(1823年)、清水家の下屋敷となる。
- 弘化3年(1846年)、紀州徳川家が拝領、同家の別邸となり、芝御屋敷と称された。
- 明治4年(1871年)、有栖川宮熾仁親王邸となる。
- 明治8年(1875年)、英照皇太后の非常御立退所として皇室が買い上げた。
- 明治9年(1876年)、芝離宮となる。
- 明治24年(1891年)、迎賓館として洋館を新築。
- 大正12年(1923年)、関東大震災で洋館焼失。
- 大正13年(1924年)、昭和天皇の御成婚を記念し、1月に東京市(現東京都)に下賜され、園地の復旧と整備を施した後、4月20日、旧芝離宮恩賜庭園として開園。
- 昭和8年(1933年)、史蹟指定を受ける。
- 昭和54年(1979年)、文化財保護法により名勝指定を受ける。また、この年から入園が有料となった。