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{{Redirect|キルギス共和国|ソ連時代の共和国|キルギス・ソビエト社会主義共和国}}
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{{otheruses|国家|古代・中世北アジアの遊牧民族|堅昆|近現代中央アジアの民族|キルギス人}}
 
{{otheruses|国家|古代・中世北アジアの遊牧民族|堅昆|近現代中央アジアの民族|キルギス人}}
 
{{基礎情報 国
 
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'''キルギス共和国'''(キルギスきょうわこく)、通称'''キルギス'''は、[[中央アジア]]に位置する旧[[ソビエト連邦]]の[[共和制]][[国家]]である。首都は[[ビシュケク]](旧名フルンゼ)。かつての正式国名は'''キルギスタン'''であり、改称以降も別称として公式に認められている。
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'''キルギス共和国'''(キルギスきょうわこく)、通称'''キルギス'''
 
 
北から時計回りに[[カザフスタン]]、[[中華人民共和国]]、[[タジキスタン]]、[[ウズベキスタン]]と国境を接する。ソビエト連邦から独立したウズベキスタン、カザフスタン、[[トルクメニスタン]]、タジキスタンとともに中央アジアを形成し、[[独立国家共同体]] (CIS) 加盟国である。旧ソ連を構成していた中央アジア5カ国で「最も民主的」といわれるキルギスでは、2005年と2010年に野党勝利による政変があった。しかし、キルギスの大統領たちは政権交代による第一野党勝利後にそれぞれ国外に亡命している<ref>https://.yahoo.co.jp/hl?a=20171016-00000078-mai-int</ref>。
 
 
 
== 国名 ==
 
{{出典の明記|section=1|date=2012年4月}}
 
正式名称はキルギス語では {{Lang|ky|Кыргыз Республикасы}}(Kyrgyz Respublikasy; クルグズ・レスプブリカス)、ロシア語では {{Lang|ru|Киргизская Республика}}(Kyrgyzskaia Respublika; キルギースカヤ・リスプーブリカ)。別称は {{Lang|ky|Кыргызстан}}(Kyrgyzstan; クルグズスタン)。
 
 
 
[[1991年]]の独立時にキルギス語の国名を {{lang|ky|Кыргызстан Республикасы}}({{lang|ky|Kyrgyzstan Respublikasy;}} クルグズスタン・レスプブリカス)としたが、[[1993年]]に憲法を改正して正式国名を現行の {{lang|ky|Кыргыз Республикасы}} に改めた。ただし、国名変更以降も旧称 {{lang|ky|Кыргызстан}} が別称として公式に認められている。
 
 
 
公式の[[英語]]表記は {{lang|en|Kyrgyz Republic}}。別称 {{lang|en|Kyrgyzstan}}。 国民・形容詞はKyrgyztani。
 
 
 
日本語の表記は'''キルギス共和国'''。[[通称]]'''キルギス'''。[[国名の漢字表記一覧|漢字による当て字]]は'''黠戛斯'''。
 
 
 
クルグズ(キルギス)の語源は「{{lang|ky|кырк}}(クルク)」が40の意味で、40の民族を指し、また中国人にかつて「{{lang|ky|гунны}}(グンヌィ、匈奴)」と呼ばれていた背景から、それらを合わせてクルグズとなったと言われている。 ちなみに、[[テュルク諸語|テュルク系言語]]で40を意味する「クゥルク」に、娘や女の子を意味する「クゥズ」をあわせた「クゥルク・クゥズ」は、“40人の娘”という意味になり、中央アジアに広く伝えられるアマゾネス伝承との関連をうかがわせる。したがって、「40の民族」というよりも、「40の部族」ないし「40の氏族」という意味のほうが適切である。
 
 
 
日本語名のキルギスは、ロシア語表記の「{{lang|ru|Киргиз}}」に由来する。
 
 
 
独立時に、キルギスのロシア語表記・英語表記は、キルギス語の自称に基づいた {{lang|ru|Кыргыз}}・{{en|Kyrgyz}} に改められたが、日本語ではそのままキルギスと呼びつづけ、正式国名の日本語名はキルギスタン共和国と表記された。その後のキルギス共和国への国名変更を経て、依然キルギスと通称されている。タジキスタンやカザフスタンなどにみられる「~スタン」とは、[[ペルシア語]]で「~が多い場所」を意味する言葉である。詳しくは[[スターン (地名)|スタン]]を参照。
 
 
 
本項では「キルギス」の国名を使用するが、中央アジアの研究者には正確な発音に近い「クルグズ」と表記すべき、との声もある。
 
 
 
== 歴史 ==
 
{{main|堅昆}}
 
{{Main|{{仮リンク|キルギスの歴史|en|History of Kyrgyzstan}}}}
 
* [[古代]] - キルギス人の祖先は、シベリアを南北に流れる[[エニセイ川]]上流に定住していたと考えられている
 
* [[1世紀]]ごろ - [[匈奴]]の支配下に入る。
 
* [[6世紀]] - [[突厥]]の支配下に入る。
 
* [[7世紀]] - [[唐]]の支配下に入る。
 
* [[8世紀]] - [[回鶻]]の支配下に入る。
 
* [[9世紀]] - 回鶻を滅ぼす。
 
* [[13世紀]] - [[モンゴル帝国]]の支配下に入る。
 
* [[16世紀]] - [[キルギス人|キルギス民族]]が現在のキルギス共和国の領域に移住。
 
* [[19世紀]]初頭 - キルギス民族は[[ウズベク]]系の[[コーカンド・ハン国]]の支配下に入った。
 
[[File:Киргизские кибитки на реке Чу.jpg|thumb|キルギスの[[ゲル (家屋)|ユルト]]([[19世紀]]後半)]]
 
[[File:Перекочевка киргизов.jpg|thumb|キルギスの遊牧民(19世紀後半)]]
 
* [[1865年]] - [[コーカンド・ハン国|北キルギジア]]が[[ロシア帝国]]に併合される。
 
* [[1867年]] - [[トルキスタン総督府]]を設置。
 
* [[1876年]] - コーカンド・ハン国(Kirgizia)がロシア帝国に併合される。
 
* [[1922年]] - [[ソビエト連邦]]が成立。
 
* [[1910年代]]~[[1920年代]] - ソビエトの支配下に入り、[[トルキスタン自治ソビエト社会主義共和国]]の一地域となる。
 
* [[1924年]] - 中央アジアに位置する共和国の国境が整理され、ソビエト連邦内の{{仮リンク|カラ=キルギス自治州|ru|Кара-Киргизская автономная область|en|Kara-Kirghiz Autonomous Oblast}}となる。
 
* [[1925年]] - キルギス自治州に改称。
 
* [[1926年]] - [[キルギス自治ソビエト社会主義共和国 (1926-1936)]]に改称。
 
* [[1936年]] - ソビエト連邦を構成する[[キルギス・ソビエト社会主義共和国]]となる。
 
* [[1991年]]{{0}}[[8月31日]] - ソビエト連邦のクーデターにより独立を果たす('''キルギスタン共和国''')。
 
* [[1991年]][[12月21日]]、[[独立国家共同体]] (CIS) に参加。
 
* [[1992年]]{{0}}3月{{0|00日}} - [[国際連合]]に加盟。
 
* [[1992年]]{{0}}5月{{0|00日}} - 独自通貨であるソムを導入、[[国際通貨基金]] (IMF) に加盟、独立国家共同体 (CIS) の集団安全保障条約に調印。
 
* [[1993年]]{{0|00月00日}} - 新憲法下で現国名('''キルギス共和国''')に改称。
 
* [[1995年]]12月{{0|00日}} - 大統領選挙でアスカル・アカエフが再選された。
 
* [[1996年]]{{0}}2月{{0|00日}} - 大統領の権限大幅に拡大する憲法改正案が国民投票により賛成94.5%で可決された。
 
* [[1999年]]{{0|00月00日}} - 「[[ウズベキスタン・イスラム運動|ウズベキスタン・イスラーム運動]]」のゲリラがクルグズスタン南部に侵入する事件が起こる。[[キルギス日本人誘拐事件]]([[8月23日]] - [[10月25日]])。
 
* [[2003年]]{{0|00月00日}} - 憲法改正の国民投票実施。これにより憲法を改正し[[二院制]]から[[一院制]]に移行することが決定。
 
* [[2005年]]{{0}}3月{{0|00日}} - [[チューリップ革命]]。議会選挙の不正疑惑をきっかけに、南部で強権的な[[アスカル・アカエフ|アカエフ大統領]]に対する野党側の反政府運動が激化。反政府運動は首都のビシュケクまで拡大し、野党勢力が大統領府を占拠。アカエフ大統領が逃亡し政権が崩壊した後、野党勢力は暫定政権を樹立したと報じられる。
 
* [[2005年]]{{0}}[[4月4日|4月{{0}}4日]] - アカエフ大統領、正式に辞任。
 
* [[2005年]]{{0}}[[7月10日]] - [[クルマンベク・バキエフ]]が大統領選挙で圧勝し、大統領に就任。
 
* [[2010年]]{{0|00月00日}} - 景気低迷や政府によるメディア規制が起こる中、首都ビシュケクを中心に野党側による反政府運動が激化。4月7日に野党勢力が大統領府を占拠し、翌8日に元外相の[[ローザ・オトゥンバエヴァ]]が臨時政府樹立を発表、5月19日に暫定大統領に就任。6月27日に行われた国民投票で信任されたことで臨時から正式な政府に移行としたと宣言。
 
* [[2011年]]12月{{0}}1日 - 大統領選挙などを経て、[[アルマズベク・アタンバエフ]]が大統領に就任。
 
* 2017年11月24日 - {{仮リンク|ソーロンバイ・ジェーンベコフ|en|Sooronbay Jeenbekov}}が第5代大統領に就任。
 
 
 
== 政治 ==
 
[[File:Sooronbay_Jeenbekov_at_the_Eurasian_Intergovernmental_Council_meeting,_7_March_2017.jpg|thumb|160px|第5代大統領ソーロンバイ・ジェーンベコフ]]
 
{{Main|キルギスの政治}}
 
 
 
=== 政体 ===
 
[[政治体制]]は[[共和制]]であり、国民による[[直接選挙]]で[[大統領]]と[[議員]]が選出される。
 
 
 
=== 行政府 ===
 
{{Main|キルギスの大統領|キルギスの首相}}
 
大統領の任期は6年で、再選は禁じられている。大統領は議会の承認に基づき[[首相]]を任命する。大統領は議会の承認があれば閣僚を任免できる。大統領が不在の場合は議会の議長が代行する。
 
 
 
=== 立法府 ===
 
{{Main|ジョゴルク・ケネシ}}
 
[[議会]]「[[ジョゴルク・ケネシ]]」は、120議席の[[一院制]]。2005年に新憲法が発布される以前、1994年10月から2005年1月までは[[二院制]]であり、上院に相当する定数60議席の立法議会と、下院に相当する45議席{{疑問点|title=こちらは定数ではないのか|date=2013年5月}}の国民代表議会に分かれていた。
 
 
 
=== 政党 ===
 
政党の活動は自由であり、[[キルギスタン民主運動]]、[[キルギスタン共産主義者党]]、[[農民党 (キルギス)|農民党]]など約40の政党がある。
 
 
 
=== 近年の政情 ===
 
{{main|チューリップ革命}}
 
{{main|2010年キルギス騒乱}}
 
2005年2月と3月の総選挙の腐敗が[[欧州安全保障会議]]により指摘されたことを直接のきっかけとして、2005年3月24日に[[アスカル・アカエフ]]大統領の辞任を求める大規模な抗議行動が行われた。政権は崩壊し、大統領が逃亡した後、議会の議長が代行を務める暫定政権が樹立された([[チューリップ革命]])。
 
 
 
2005年7月10日に行われた大統領選挙で、「国民のために働く質の高い政府を作る」と訴えた親欧米派の[[クルマンベク・バキエフ]]が大統領に当選した。民主化を目指す人物が大統領に就任したことで、中央アジアの他の長期独裁政権にも影響を与える可能性もあるといわれたが、「民主化の希望の星」だったバキエフも、独裁主義に陥ったとされた。政敵やジャーナリスト襲撃が相次ぎ、暗殺事件は次々と迷宮入りになっている。景気が停滞していたことや、政府によりメディア報道が閉鎖されるなどが起こり<ref>[http://www.eurasianet.org/departments/civilsociety/articles/eav040510.shtml Kyrgyzstan: UN Head Chides Bakiyev as More Media Outlets Blocked] Eurasianet.org 2010年4月4日(英語)</ref>、バキエフ大統領に対して不満が高まっていた。
 
 
 
2010年4月7日、首都ビシュケクを中心に野党勢力による数千人規模の反大統領デモが勃発。政府軍側の発砲により大規模な武力衝突となり、死者は少なくとも75人、負傷者は1000人以上に達した。野党勢力は内務省や国家治安局、国営テレビ局などを占拠した。翌日8日、バキエフは南部へ逃亡しその後大統領を辞職して[[ベラルーシ]]に亡命した。北部を中心に実権を掌握した野党勢力は元外相の[[ローザ・オトゥンバエヴァ]]を首班に臨時政府樹立を宣言した。暫定政権は2010年7月に技術政府となり、2011年12月に大統領選挙が行われ[[アルマズベク・アタンバエフ]]が大統領に就任。2017年には後継の{{仮リンク|ソーロンバイ・ジェーンベコフ|en|Sooronbay Jeenbekov}}が大統領に就任した。
 
 
 
== 軍事 ==
 
{{Main|{{仮リンク|キルギスの軍事|en|Military of Kyrgyzstan}}}}
 
 
 
== 国際関係 ==
 
{{Main|[[キルギスの国際関係]]}}
 
{{節スタブ}}
 
[[ロシア]]の軍事基地があり、ロシアとは密接な関係を築いている。
 
 
 
== 地理 ==
 
{{Main|{{仮リンク|キルギスの地理|en|Geography of Kyrgyzstan}}}}
 
[[ファイル:Kyrgyzstan satellite photo.jpg|thumb|300px|キルギスの衛星写真]]
 
[[ファイル:Kg-map-ja.gif|thumb|300px|キルギスの地図]]
 
国土全体の40%が標高3000mを超える山国。国土は東西に長く、[[中華人民共和国|中国]]との国境には[[天山山脈]]が延びる。南に位置する[[タジキスタン]]に向かって[[パミール高原]]が広がる。
 
  
国土の中央など東西に山脈が走り、国土を数多くの峡谷に分断している。最高峰は、中国国境にそびえる[[ポベティ山]](Pobeda または Jengish もしくは 勝利峰、7439m)、ついで[[ハン・テングリ]]({{lang|ky|Khan-Tängri}} または Kan-Too、6995m)である。4000m級の峰は珍しくない。各都市の標高は首都ビシュケクが800 m、[[フェルガナ盆地]]に位置する[[オシュ]]が963 m、イシク湖畔の[[バルイクチ]]が1610 m、[[カラコル (キルギス)|カラコル]]が1745 mとなっており、[[ナルイン州]]の州都[[ナルイン]]は2044 m、中国やタジキスタンとの国境に近い南部の[[:en:Sary-Tash|サリタシュ]]は3170 mもの高地に位置している。
+
中央アジア北東部の国。北はカザフスタン,東と南東は中国,南はタジキスタン,西はウズベキスタンと国境を接する。国土の大半が[[テンシャン (天山) 山脈]]に属する山国で,東端部の中国との国境には[[ポベーダ峰]] (7439m) ,ハンテングリ山 (6995m) などの高峰がそびえる。ナルイン川の河谷をはじめとする深い河谷が発達し,[[イスイククリ湖]]など湖も多い。気候は地形による影響が大きく,北と西に面した斜面は比較的湿潤であるが,全体に乾燥していて,北部山麓は砂漠,半砂漠地帯に属し,山地ではステップ,森林,高山草地へと変化する。[[チュルク語系諸族]]の[[キルギス人]]の国で,住民の半分以上がキルギス人で,スンニー派イスラム教徒が多い。次いでロシア人,ウズベク人が多く居住する。公用語は[[キルギス語]]とロシア語。キルギス人は紀元前よりエニセイ川上流域に居住していたが,13世紀テンシャン山脈西部に移動したと考えられる。 19世紀後半ロシアの支配下に入り,1924年カラキルギス自治州成立。 1926年キルギス自治共和国,1936年キルギス=ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦構成共和国となった。
 
 
主な河川は、[[シルダリア川]]支流の[[ナルイン川]]。主な湖は国内北東部に位置する[[イシク・クル|イシク湖]] ({{lang|ky|Isik-Köl}})。東西180km、南北60km、周囲長700kmに及ぶ。湖面の標高は1600m。イシク湖とナルイン川は水系が異なる。
 
 
 
ビシュケクと第2の都市[[オシュ]]、中央部の[[ナルイン]]にはソ連共和国時代に大規模な灌漑施設が敷設されているため、[[綿花]]を中心とした耕作に向く。これらの灌漑地はシルダリア川、ナルイン川の支流から水を得ている。
 
 
 
=== 気候 ===
 
隣国の[[カザフスタン]]や中国とは異なり、国内に[[砂漠]]は存在せず、この地方の中では[[気候]]に恵まれている。人の居住に適した東西に伸びる渓谷部分は[[ケッペンの気候区分]]では、夏季に雨が少ない温帯の[[地中海性気候]] (Cs) に相当する。これは、[[イタリア]]の[[ローマ]]や[[アメリカ合衆国]][[サンフランシスコ]]と同じ気候区である。山地は[[亜寒帯湿潤気候]] (Df) 、特に高地は[[高山気候]] (H) となる。天山山脈をはさんで南方の中華人民共和国と、[[:en:Teskey Ala-Too Range|テスケイ・アラ・トー山脈]]をはさんで北方の[[カザフスタン]]には、[[ステップ気候]] (BS) と[[砂漠気候]] (BW) が広がる。
 
 
 
実際に降水量を比較すると、天山山脈の100km南方に位置する中国[[新疆ウイグル自治区]][[カシュガル市|喀什]](カシ、カシュガル)の年降水量は60mmだが、ビシュケク(北緯43度、標高800m)の降水量は450mmに達する。これは[[ローマ]]や[[サンフランシスコ]]と同水準である。ビシュケクの平均気温は、1月に-20度、7月に30度で2017年度は7月に最高気温43度、2月に最低気温-31度を記録している。
 
 
 
== 地方行政区分 ==
 
{{main|キルギスの行政区画}}
 
[[ファイル:KyrgyzstanNumbered.png|300px|thumb|
 
1. [[ビシュケク]]特別市
 
2. [[バトケン州]]
 
3. [[チュイ州]]
 
4. [[ジャララバード州]]
 
5. [[ナルイン州]]
 
6. [[オシ州]]
 
7. [[タラス州]]
 
8. [[イシク・クル州]]
 
]]
 
キルギスは7つの州 (oblast) と1つの特別市 (shaar) から成り立つ。州はさらに地方 (raion) に分かれる。地方長官は中央政府が任命する。aiyl okmotu と呼ばれる自治体は、最大で20程度の集落から構成されており、選挙で選ばれた村長のほか議会が設置されている。
 
 
 
=== 主要都市 ===
 
{{Main|キルギスの都市の一覧}}
 
 
 
{{clear}}
 
 
 
== 経済 ==
 
{{Main|{{仮リンク|キルギスの経済|en|Economy of Kyrgyzstan}}}}
 
[[File:Kyrgyzstan Export Treemap.jpg|thumb|色と面積で示したキルギスの輸出品目]]
 
[[農業]]および[[牧畜]]、[[鉱業]]が主である。農業は主として輸出品目にもなっている[[綿花]]、[[タバコ]]の栽培が活発に行われている。鉱業は[[金]]、[[水銀]]、[[アンチモン]]など。1997年に採掘がはじまった[[クムトール鉱山]]は、世界屈指の金鉱山である。また水銀([[ハイダルカン鉱山]])は2002年のデータで世界第3位の産出量を誇っている。
 
 
 
ソ連から独立後は、[[観光産業]]に早くから注力する。旧ソ連邦でも先駆けてヨーロッパや日本からの[[観光]]目的の入国に際し、[[査証]]不要を打ち出した。
 
 
 
キルギスは[[石油]]製品、[[天然ガス]]を輸入し、[[水力発電]]による電力、[[葉タバコ]]、[[綿]]を輸出している。ただし、金の輸出が急速に伸びている。2000年における輸入相手国は、ロシア、ウズベキスタン、カザフスタン、アメリカ合衆国、中華人民共和国の順。輸出相手国は、ドイツ、ウズベキスタン、ロシア、中華人民共和国、スイス。キルギスの対日本への貿易は2012年の財務省貿易統計によると輸入57.6億円(機械類及び輸送用機器、自動車、建設用・鉱山用機械)、輸出0.8億円(アルミニウム及び、同合金)となっている。
 
 
 
キルギスに対する2000年における主要援助国(団体)は、[[日本]]、[[アジア開発銀行]]、[[世界銀行]]、[[アメリカ合衆国]]、[[国際通貨基金]]の順である。日本の援助額は5500万米ドル。
 
 
 
通貨は[[キルギス・ソム]]である。
 
 
 
== 交通 ==
 
{{Main|キルギスの交通}}
 
国内には[[バス (交通機関)|バス]]と[[航空]]網が敷かれている。外国との間には[[フラッグキャリア]]の[[キルギスタン航空]]が、ビシュケクの[[マナス国際空港]]から[[アジア]]と[[ヨーロッパ]]各国に就航しているほか、同空港には各国の[[航空会社]]が乗り入れている。
 
 
 
[[鉄道]]は[[ビシュケク]]から[[バルクチ]]までの国内線の他、ビシュケクと[[ロシア]]や[[カザフスタン]]との間に国際列車が運行されている。
 
 
 
また'''マルシュル'''というバスがありそれが国民の足となっている。ビシュケク市内では10ソム(約16円)乗ることができ便利である。[[タクシー]]も走っており、日本と比較すると安価で乗ることが出来るため便利である。
 
 
 
なお、キルギス国内で走行している車両の70%は中古の[[日本車]]である。
 
 
 
== 国民 ==
 
{{Main|{{仮リンク|キルギスの人口統計|en|Demographics of Kyrgyzstan}}}}
 
<!-- (住民の人種構成、言語、宗教など) -->
 
=== 民族 ===
 
{{bar box
 
|title=民族構成(キルギス)
 
|titlebar=#ddd
 
|float=right
 
|bars=
 
{{bar percent|[[キルギス人]]|yellowgreen|62.6}}
 
{{bar percent|[[ウズベク人]]|green|14.5}}
 
{{bar percent|[[ロシア人]]|blue|16.4}}
 
{{bar percent|その他|red|6.5}}
 
}}
 
2016年現在、[[キルギス人]]が62.6%、[[ウズベク|ウズベク人]]が14.5%、[[ロシア人]]が16.4%、その他が7%であり、その他には[[ドンガン人]]、[[ウイグル人]]、[[タジク人]]、[[トルコ人]]、[[カザフ人]]、[[タタール人]]、[[ウクライナ人]]、[[高麗人]]、[[アゼルバイジャン人]]などが含まれる[[多民族国家]]である。
 
 
 
地域による民族分布差も大きく、首都[[ビシュケク]]と周辺の[[チュイ州]]や[[イシク・クル州]]のカラコルを中心とした東部にはロシア人、ウクライナ人など[[白人]]([[スラヴ人|スラブ]]系住民)が多く、オシ州やジャララバード州、バトケン州などの西部、南部にはウズベク人やタジク人が、中国国境付近にはドンガン人やウイグル人が住む。一方、[[ナルイン州]]の住民はほとんどがキルギス人である。人名はソ連時代の名残りもあり、全体的にロシア語風の姓名が多く見受けられる。
 
 
 
独立前の1989年にはロシア人は全人口の21.5%を占めていたが、独立後国外流出が続き、2016年には6.4%にまでに減少した<ref group="注釈">尚、ビシュケク市にはロシア人が多数集まっており、同市内においてはロシア人の割合が民族構成の数値よりも高めとなっている。</ref>。
 
 
 
=== 言語 ===
 
{{bar box
 
|title=母語話者(キルギス)
 
|titlebar=#ddd
 
|float=right
 
|bars=
 
{{bar percent|[[キルギス語]]|red|55.2}}
 
{{bar percent|[[ウズベク語]]|lightblue|4.7}}
 
{{bar percent|[[ロシア語]]|Purple|34.0}}
 
{{bar percent|その他|black|6.1}}
 
}}
 
[[ロシア語]]が[[公用語]]、[[キルギス語]]が[[国語|国家語]]とされている (憲法第10条第1項、第2項<ref name="const">[http://www.kg.emb-japan.go.jp/constitution%20KR%202010.pdf キルギス共和国憲法]  在キルギス共和国日本国大使館作成の邦訳</ref>)。
 
 
 
2017年の国勢調査によると、キルギス語が55.2%、[[ウズベク語]]が4.7%、ロシア語が34.0%となっている。ウズベク語は[[オシ州]]や[[ジャララバード州]]を中心にウズベク系住民の間で使われている。
 
 
 
[[ロシア語]]は独立以降公用語から除外されたウズベキスタンなどと違い、引き続き公用語に制定されている。これは、国の中枢を占めていたロシア人などのロシア語系住民の国外流出([[頭脳流出]])を防ぐためであり、現在{{いつ|date=2014年5月}}<!-- See [[WP:DATED]] -->でも山岳部を除く全土で通用し、教育、ビジネスや政府機関で幅広く使用される。また医療用語などはロシア語でしか成立されていない為、ロシア語が話せないと生活に苦労する部分もある。
 
 
 
特に首都[[ビシュケク]]とその周辺では多くの住民はロシア語を使って生活しており、そこから大半の人々はロシア語を話すことができるもののキルギス語があまり上手に話せないキルギス人も存在する程である。これに反して現地生まれのロシア人はキルギス語を話せない人がほとんどを占めている。
 
 
 
その他、[[ドンガン語]]なども使われている。
 
 
 
=== 宗教 ===
 
宗教は[[イスラム教]]が75%、[[キリスト教]][[正教会]]が20%、その他が5%である。
 
 
 
== 文化 ==
 
[[File:Kyrgyz Musicians in Karakol.jpg|thumb|伝統音楽を演奏する人々]]
 
{{Main|キルギスの文化}}
 
[[敦煌市|敦煌]]で南北に分かれた「[[シルクロード]]」は[[カシュガル市|喀什]]で合流後、再び南北に分かれる。南の道は[[タジキスタン]]に向かうが、北の道はキルギスの南部を通過する。首都[[ビシュケク]]近郊の[[トクマム]]の町には、[[バラサグン遺跡]]が残る。ここには砂漠を進む商隊の灯台として使われたと推定されている'''[[ブラナの塔]]'''が残る。また周囲にはキルギス各地から集められた石人があり有名。
 
 
 
=== 食文化 ===
 
{{Main|キルギス料理}}
 
 
 
=== 音楽 ===
 
{{Main|キルギスの音楽}}
 
キルギス人の[[民族楽器]]は三弦の[[コムズ]]が知られる。[[キュ]]と呼ばれる器楽独奏曲ごとに伝説が残されており、伝統的な作法では、[[伝説]]を語った後、キュを演奏していた。
 
 
 
=== 世界遺産 ===
 
{{Main|キルギスの世界遺産}}
 
キルギス国内には、[[国際連合教育科学文化機関]](UNESCO)の[[世界遺産]]リストに登録された[[文化遺産 (世界遺産)|文化遺産]]が2件存在する。
 
 
 
=== 祝祭日 ===
 
{| class="wikitable"
 
 
 
|-
 
!日付
 
!日本語表記
 
!現地語表記
 
!備考
 
|-
 
|[[1月1日]]
 
|[[元日]]
 
|
 
|
 
|-
 
|[[1月7日]]
 
|[[クリスマス]]([[正教会]])
 
|
 
|
 
|-
 
|[[2月1日]]
 
|[[犠牲祭]]
 
|
 
|移動祝日
 
|-
 
|[[3月8日]]
 
|[[国際女性デー]]
 
|
 
|
 
|-
 
|[[3月21日]]
 
|ノールーズ
 
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== キルギス出身の有名人 ==
 
<!--* [[{人名}]] - [[{職業}]]のように記載して下さい。なお、追加する人物は既に記事がある人物に限ります。また、追加する場合はアイウエオ順(姓)でお願いします。-->
 
* [[チンギス・アイトマートフ]] - [[作家]]
 
* [[アスカル・アカエフ]] - 政治家、元大統領
 
* アクタン・アリム・クバト([[アクタン・アブディカリコフ]]) - 映画監督
 
* [[ビタリ・クリチコ]] - [[プロボクサー]]
 
* [[ウラジミール・クリチコ]] - プロボクサー
 
* [[フェリックス・クロフ]] - 政治家、元首相
 
* [[ヴァレンティーナ・シェフチェンコ]] - [[キックボクサー]]、[[総合格闘家]]
 
* [[ミハイル・シュヴィドコイ]] - 舞台演出家、教育者、政治家
 
* [[オルズベック・ナザロフ]] - プロボクサー
 
* [[イゴール・パクリン]] - 陸上選手
 
* [[ボリス・パンキン]] - 政治家
 
  
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1991年キルギスタン共和国として独立。独立国家共同体 CISに加盟。首都名をフルンゼからビシケクに改称した。 1992年3月国際連合加盟。 1993年新憲法を採択し,国名をキルギス共和国に改称。キルギス人は長い間遊牧生活を続けてきたが,現在は定住し,住民の半数以上が農村に居住する。その多くは牧羊に従事するが,ビシケク周辺,ナルイン川沿岸,イスイククリ湖沿岸の平地では灌漑農業が行なわれ,ワタ,コムギ,テンサイ,タバコ,果樹などが栽培される。石炭,石油,水銀,タングステン,亜鉛などの地下資源に恵まれ,これらの採取業も発展している。工業部門では機械 (農業,電気) ,繊維 (絹,綿,縫製) ,食品などの工業が主要なものである。また水力資源にも恵まれ,その開発が進んでいる。山国であるため鉄道交通は未発達で,ハイウェーと航空路が主要交通路である。
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== 脚注 ==
 
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=== 出典 ===
 
 
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== 関連項目 ==
 
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* [[キルギスの通信]]
 
* [[キルギスの交通]]
 
* [[キルギスの軍事]]
 
* [[キルギスの国際関係]]
 
-->
 
* [[キルギス関係記事の一覧]]
 
* [[キルギス共和国人材開発センター]]
 
* [[キルギス日本人誘拐事件]]
 
* [[烏孫]]国
 
* [[アラ・カチュー]]
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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* 政府
 
 
** [http://www.gov.kg/ キルギス共和国政府] {{ky icon}}
 
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** [http://www.president.kg/ キルギス共和国大統領府] {{ky icon}}
 
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** [http://www.kyrgyzembassy.jp/ 駐日キルギス共和国大使館] {{ja icon}}{{en icon}}
 
** [http://www.kyrgyzembassy.jp/ 駐日キルギス共和国大使館] {{ja icon}}{{en icon}}
* 日本政府
 
** [http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/kyrgyz/ 日本外務省 - キルギス]
 
 
** [http://www.kg.emb-japan.go.jp/ 駐キルギス共和国日本国大使館] {{ja icon}}{{ru icon}}
 
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* その他
 
** [http://www.jp-kg.org/ 日本キルギス投資環境整備ネットワーク] {{ja icon}}
 
 
* 観光
 
 
** [http://tko19850617.wix.com/kyrgyz-karakol キルギス|イシククリ州 カラコル観光案内]{{ja icon}}
 
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** [http://kyrgyz.org.uk/ キルギス|シルクロードの小さな山]{{ja icon}}
 
  
 
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2018/10/1/ (月) 23:33時点における版


キルギス共和国
Кыргыз Республикасы (キルギス語)
Киргизская Республика (ロシア語)
国の標語:なし
公用語 キルギス語ロシア語
首都 ビシュケク
最大の都市 ビシュケク

面積

総計 198,500km284位
水面積率 3.6%

人口

総計(2015年 5,900,000人(???位
人口密度 26人/km2
GDP(自国通貨表示)

合計(2008年 1,850億[1]ソム
GDP (MER)

合計(2014年 74.0億[1]ドル(146位
GDP (PPP)

合計(2014年191.6億[1]ドル(139位
1人あたり 3,361[1]ドル
独立
 - 日付
ソビエト連邦より
1991年8月31日
通貨 ソム (KGS)
時間帯 UTC +6(DST:なし)
ISO 3166-1 KG / KGZ
ccTLD .kg
国際電話番号 996

キルギス共和国(キルギスきょうわこく)、通称キルギス

中央アジア北東部の国。北はカザフスタン,東と南東は中国,南はタジキスタン,西はウズベキスタンと国境を接する。国土の大半がテンシャン (天山) 山脈に属する山国で,東端部の中国との国境にはポベーダ峰 (7439m) ,ハンテングリ山 (6995m) などの高峰がそびえる。ナルイン川の河谷をはじめとする深い河谷が発達し,イスイククリ湖など湖も多い。気候は地形による影響が大きく,北と西に面した斜面は比較的湿潤であるが,全体に乾燥していて,北部山麓は砂漠,半砂漠地帯に属し,山地ではステップ,森林,高山草地へと変化する。チュルク語系諸族キルギス人の国で,住民の半分以上がキルギス人で,スンニー派イスラム教徒が多い。次いでロシア人,ウズベク人が多く居住する。公用語はキルギス語とロシア語。キルギス人は紀元前よりエニセイ川上流域に居住していたが,13世紀テンシャン山脈西部に移動したと考えられる。 19世紀後半ロシアの支配下に入り,1924年カラキルギス自治州成立。 1926年キルギス自治共和国,1936年キルギス=ソビエト社会主義共和国としてソビエト連邦構成共和国となった。

1991年キルギスタン共和国として独立。独立国家共同体 CISに加盟。首都名をフルンゼからビシケクに改称した。 1992年3月国際連合加盟。 1993年新憲法を採択し,国名をキルギス共和国に改称。キルギス人は長い間遊牧生活を続けてきたが,現在は定住し,住民の半数以上が農村に居住する。その多くは牧羊に従事するが,ビシケク周辺,ナルイン川沿岸,イスイククリ湖沿岸の平地では灌漑農業が行なわれ,ワタ,コムギ,テンサイ,タバコ,果樹などが栽培される。石炭,石油,水銀,タングステン,亜鉛などの地下資源に恵まれ,これらの採取業も発展している。工業部門では機械 (農業,電気) ,繊維 (絹,綿,縫製) ,食品などの工業が主要なものである。また水力資源にも恵まれ,その開発が進んでいる。山国であるため鉄道交通は未発達で,ハイウェーと航空路が主要交通路である。

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]

外部リンク






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