マーシャル・プラン

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Marshall Plan

第2次世界大戦後,アメリカの援助によって行われたヨーロッパ復興計画。 1947年6月5日アメリカの国務長官 G.マーシャルがハーバード大学の卒業式の講演で提唱したことから,この名称がある。戦後のヨーロッパ諸国の経済的疲弊が共産主義浸透の好機となるのを恐れ,アメリカの援助によってヨーロッパの復興と,経済的自立の達成をはかることを目的とした。この計画はソ連および東ヨーロッパの社会主義諸国の拒否するところとなり,コミンフォルムの結成となったが,47年7月 12日パリでの第1回ヨーロッパ復興会議で,西ヨーロッパ 16ヵ国に受入れられ,48年3月 15日第2回会議の結果,援助の受入れ調整機構としてヨーロッパ経済協力機構 OEECが成立。一方アメリカ側では同年4月に対外援助法が成立し,その実施機関として経済協力局 ECAが設置された。 51年 12月 31日の計画終了時までの援助総額は 120億ドル。マーシャル・プランによるドル撒布は,アメリカの商品輸出にヨーロッパの市場を保障する役割を果すとともに,これによって西ドイツを含むヨーロッパ 17ヵ国は経済復興の機会をつかみ,また西ヨーロッパ諸国間での経済協力が推進された。援助の後半に,重点は軍事援助に移行し,計画は 52年相互安全保障計画に発展解消されたが,その結果社会主義圏との政治的・軍事的対立を激化させることになった。