出羽国

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出羽国(でわのくに)

現在の山形県と秋田県。東山道の一国。上国。東北地方は大和朝廷の支配が最も遅く及んだ地方で,蝦夷地とされた。斉明4 (658) 年には阿倍比羅夫が征討の軍を進め,しだいに開拓が進められた。律令制の国郡制度では和銅1 (708) 年9月越後国に新たに出羽郡が設置され,さらに同2年7月夷狄を制するため出羽柵に武器を送るように諸国に命じている。同5年9月出羽郡が独立して一国となり,10月には陸奥国の最上郡,置賜郡の2郡が出羽国に加えられた。天平5 (733) 年 12月には出羽柵を北に進めて秋田城を設置し,新たに雄勝郡が置かれた。国府も国分寺も初め山形県鶴岡市にあったが,のち国府は酒田市吉田に,次いで国府,国分寺とも酒田市本楯に移ったといわれる。『延喜式』には最上郡,村山郡,置賜郡,雄勝郡,平鹿郡,山本郡,飽海郡,河辺郡,田川郡,出羽郡,秋田郡の 11郡が,『和名抄』には 65郷 (高山寺本) ,田2万 6109町が記されている。前九年の役 (1056~64) では源頼義源義家父子が安倍氏征討に苦しんだが,出羽国の俘囚の長清原武則の援助で,安倍貞任安倍宗任の兄弟を滅ぼし,武則はその功により鎮守府将軍に任じられた。清原氏が後三年の役 (1086~87) で滅んでからは,平泉の藤原氏が陸奥出羽押領使として支配するようになった。文治5 (1189) 年藤原泰衡源頼朝に滅ぼされて藤原氏の支配は終わった。鎌倉時代から室町時代までは守護は置かれなかった。戦国時代には檜山に秋田氏,横手に小野寺氏,山北に戸沢氏,庄内に武藤氏,山形に斯波最上氏 (最上氏 ) ,寒河江に大江氏,長井荘に伊達氏が出て互いに覇を競った。江戸時代には米沢に上杉氏,秋田に佐竹氏,亀田に岩城氏,庄内に酒井氏,上ノ山に松平氏,新庄に戸沢氏,本庄に六郷氏が封じられ幕末にいたった。明治1 (1868) 年に羽前国羽後国に分かれ,明治維新を経て同4年7月各藩はそれぞれ県となったが,同 11月秋田県,置賜県,山形県,酒田県となり,1876年秋田県,山形県の2県となった。





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