「南部正司」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
(主な球歴)
 
35行目: 35行目:
  
 
2016年10月、続投を視野に[[中垣内祐一]]と[[荻野正二]]と共に日本協会の面接を受けたが<ref>[http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201610260004-spnavi 中垣内祐一、中田久美が抱負を語る全日本バレー男女代表監督 就任会見] - スポーツナビ、2016年10月26日</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/1729379.html 中垣内氏が新監督 過去に不倫疑惑も東京五輪へ期待] - 日刊スポーツ、2016年10月26日</ref><ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201610/CK2016102602000127.html バレーボール代表監督 女子・中田氏、男子・中垣内氏を選出] - 東京新聞、2016年10月26日 朝刊</ref>、バレーボール日本男子代表監督を退任(後任は中垣内が選出された)<ref>{{Cite news |title=中垣内氏、男子監督就任へ=元日本代表のエース-バレーボール|newspaper=時事通信 |url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102300203&g=spo |accessdate=2016-10-24}}</ref>。
 
2016年10月、続投を視野に[[中垣内祐一]]と[[荻野正二]]と共に日本協会の面接を受けたが<ref>[http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201610260004-spnavi 中垣内祐一、中田久美が抱負を語る全日本バレー男女代表監督 就任会見] - スポーツナビ、2016年10月26日</ref><ref>[http://www.nikkansports.com/sports/news/1729379.html 中垣内氏が新監督 過去に不倫疑惑も東京五輪へ期待] - 日刊スポーツ、2016年10月26日</ref><ref>[http://www.tokyo-np.co.jp/article/sports/list/201610/CK2016102602000127.html バレーボール代表監督 女子・中田氏、男子・中垣内氏を選出] - 東京新聞、2016年10月26日 朝刊</ref>、バレーボール日本男子代表監督を退任(後任は中垣内が選出された)<ref>{{Cite news |title=中垣内氏、男子監督就任へ=元日本代表のエース-バレーボール|newspaper=時事通信 |url=http://www.jiji.com/jc/article?k=2016102300203&g=spo |accessdate=2016-10-24}}</ref>。
 
== 主な球歴 ==
 
=== 選手 ===
 
* [[日新製鋼ドルフィンズ|日新製鋼]] (1990年 - 1997年)
 
* [[パナソニック・パンサーズ|松下電器・パナソニックパンサーズ]] (1997年 - 2002年)
 
 
=== 指導者 ===
 
* パナソニック・パンサーズ コーチ(2005年 - 2007年)
 
* パナソニック・パンサーズ 監督(2007年 - 2014年)
 
* [[バレーボール全日本男子]]代表 監督(2014年 - 2016年)
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2018/9/23/ (日) 16:47時点における最新版

南部 正司
Masashi Nambu
30px
基本情報
生年月日 (1967-08-06) 1967年8月6日(56歳)
出身地 大阪府大阪市
ラテン文字 Masashi Nambu
身長 186cm
選手情報
所属 パナソニックパンサーズ
役職 部長
テンプレートを表示

南部 正司(なんぶ まさし、1967年8月6日 - )は、日本の元バレーボール選手、指導者。現役時代はアタッカーを務めていた[1]

人物

大阪府大阪市出身。大阪商業大学附属高等学校大阪商業大学を卒業し、1990年に日新製鋼入社。日新製鋼男子バレー部では高校の先輩でもある柳本晶一が監督を務めており、柳本の下で鍛え上げられた[1]

1986年の第3回アジアジュニアバレーボール選手権タイ)、1987年の第4回バレーボール男子ジュニア世界選手権バーレーン)、1991年の第16回ユニバーシアード大会イギリス)にそれぞれ日本代表に選出されて出場している[2]。また日本男子代表として1995年バレーボール・ワールドリーグに出場した[2]

1997年に日新製鋼ドルフィンズが解散したため、松下電器・パナソニックパンサーズへ移籍。2001年のシーズンまで現役としてプレーした後、バレーボール指導者へ転身して2002年からパンサーズのコーチやマネージャーを務めた[3]

バレーボール・プレミアリーグ 2007/08シーズンからパンサーズ監督に就任。就任1年目の新人監督としてプレミアリーグ優勝を果たし、同年には第57回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会も制覇[1]、その翌年のプレミアリーグ2008/09シーズンも連覇し、同年のアジアクラブ男子選手権中国鎮江市)で3位に入った。2012年にはプレミアリーグ2011/12、第61回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会、平成24年度天皇杯・皇后杯全日本バレーボール選手権大会の三冠制覇を果たしている。

2014年2月6日ゲーリー・サトウの後を受けてバレーボール日本男子代表監督に就任することとなった[2][3]。プレミア監督としての実績、ブラジルバレーの知識、飽くなき向上心などが評価されての抜擢だった[4]。尚、プレミアリーグ 2013/14シーズン及び2014年黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会が終了するまではパンサーズの指揮を執り、2014年5月から代表監督に専念することとなった[5]

2016年10月、続投を視野に中垣内祐一荻野正二と共に日本協会の面接を受けたが[6][7][8]、バレーボール日本男子代表監督を退任(後任は中垣内が選出された)[9]

脚注

外部リンク