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'''平家の落人'''(へいけのおちうど)とは、[[治承・寿永の乱]](源平合戦)において敗北し僻地に隠遁した敗残者のこと。主に[[伊勢平氏|平家]]の[[一門]]及びその[[郎党]]、平家方に加担した者が挙げられる。平家の[[落武者]]ともいうが、[[落人]]の中には武士に限らず[[公卿]]や[[女性]]や[[子供]]なども含まれたため、平家の落人というのが一般的である。こうした平家の落人が特定の地域に逃れた伝承を俗に「平家の落人伝説」などという。
 
 
 
== 平家の落人とは ==
 
今日、日本各地において平家の落人伝説が伝承されている。そもそも平家の落人とは、[[清和源氏|源氏]]と[[伊勢平氏|平家]]とが雌雄を決した源平合戦で[[一ノ谷の戦い]]、[[屋島の戦い]]、[[壇ノ浦の戦い]]において平家方が連戦連敗を繰り返した中で発生した平家方の難民であり、残党の追捕から逃れた者が落人となって各地に潜んだことから様々な伝承が伝えられるようになった。武士に限っては平家の落武者と呼ぶ場合もあるが、落ち延びたのは武士だけではないことから平家の落人という言われ方をすることの方が比較的多い。そうした平家の落人が潜んだ地域を平家谷、平家塚、平家の隠れ里、平家の落人の里などという。
 
 
 
平家の落人伝承にある誤解としてよくあるのが、平家の落人の末裔が即ち平家一門の末裔であるという混同である。確かに平家一門が落ち延びたという伝承も少なくはないが、平家の落人という概念が形容するものは「平家方に与して落ち延びた者」であり、平家の郎党の場合もあれば、平家方に味方した武士の例もあった。
 
 
 
中には、創作や脚色された信憑性の薄い伝承や誤伝に基づく話もある。戦において落人が発生することは珍しくはなく、平家の場合も例外ではないが、該当する家系と姻戚関係となった間接的な血筋までも平家の落人を称する場合があり、口伝を基本とする平家の落人伝承が誤伝したり曖昧になりやすい側面もある。
 
 
 
後に平家の残党が起こした[[三日平氏の乱]]やかつての平家方[[城助職]]の起こした[[謀叛]]などをみても、平家の落人が存在した事自体は間違いないが、元々が逃亡、潜伏した者であるため、歴史学的に客観的な検証が可能なものは少ない。学界で平家落人を研究したのは[[柳田國男]]・[[松永伍一]]・[[角田文衛]]らであるが、証拠があまりにも少なすぎるために推測を交えざるをえないことから、学者の間でも説が食い違うことはよくある。以下の平家落人集落の比定でも、ある学者は平家の落人の存在を肯定するが、別の学者が否定しているケースも少なからず存在している。例えば柳田が全否定した沖縄の南走平家については、[[大川純一]]ら、沖縄の郷土史家の間では肯定的な意見が強い。角田が肯定した対馬宗家の平家末裔説も、他の学者は否定的である。といった具合である。
 
 
 
問題をややこしくしているのが、柳田や松永が指摘している平家落人伝説捏造説である。例えば、ある地方の平家伝説は安土桃山時代に突然発生するのである。柳田の調査によれば、この時期に近江の[[木地師]]集団が領主から命じられてその地域に入植している。木地師は木地師文書と呼ばれる、自己の正統性を主張するための宣伝文書を創作するのに長けた人々であった。木地師はその土地に伝わっていた話を元に、[[平家物語]]等に依って平家落人伝説を捏造したのではないかと柳田は考察している。これらの後世の捏造文書が非常に真実の探求を妨げているのである。<ref>柳田「伝説」岩波新書、筑摩書房版柳田國男全集等所収</ref>
 
 
 
== 平家の隠れ里 ==
 
平家の落人は大抵、山の奥深くや離れ島や孤島などに存在している。そのため、平家は人口が少ないところや山間部や谷間など人がよりがたい所に里を築く。
 
 
 
食器や生活用品を洗ったりする時に川に誤って流してしまったり山中に落としてしまったりで外部の人間にきづかれたりすることがある。ただし、気づくのはごく少数であり、平家の落人の隠れ里にいけるのも少数である。こういった場合、再度隠れ里に行くことができなかったり川上から漆塗りの器が流れてきたりすることから隠れ里自体を妖怪化して考えることがある。このため、平家の隠れ里が『[[隠れ里]]』として神秘的な存在にとられることも多い。
 
 
 
== 平家の落人ゆかりの姓 ==
 
平家の落人にゆかりあるとされる姓:
 
* {{要出典範囲|[[赤間]]、左座、緒方[[池田]]<ref>[[池田氏]]</ref>、[[岩尾]]、[[洞]]、[[色川]]<ref>[[色川氏]]</ref>、[[青田]]、[[阿佐]]<ref>[[阿佐氏]]</ref>、[[安徳]]、[[大庭]]、[[西村]]、[[織田]]<ref>[[大庭氏]]、[[西村氏]]、[[織田氏]]</ref>、[[落]]、[[葛西]]、[[梶原]]、[[上総]]、[[讃岐]]、[[門脇]]<ref>[[葛西氏]]、[[梶原氏]]、[[上総氏]]; [[讃岐氏]]、[[和気氏]]; [[門脇氏]]</ref>、[[上時国]]<ref>[[上時国氏]]、[[下時国氏]]; [[石川県の観光地]]、[[日本国指定名勝の一覧]]</ref>、[[神長]]<ref>[[神長氏]]</ref>、[[川端]]、[[桐原]]<ref>[[桐原氏]]</ref>[[葛原]]<ref>[[伊集院氏]]系の[[黒葛原氏]](つづらはら、つづらばる―)氏は別</ref>、[[久保]]、[[小松]]、[[坂梨]]、[[渋谷]]<ref>[[久保氏]]、[[小松氏]]、[[坂梨氏]]([[阿蘇氏]])、[[渋谷氏]]</ref>、[[下時国]]、[[中川原]](なかがわら)、[[橘]]<ref>[[橘氏]]</ref>、[[黒子]]、[[古坊]](ふるぼう)、[[種子島]]、[[遠藤]]<ref>[[種子島氏]]、[[遠藤氏]]</ref>、[[平山]]、[[秩父]]<ref>[[平山氏]]、[[檜原村#平山氏による支配と落人伝説]]; [[秩父氏]]</ref>、[[釣田]]、[[寺田]]<ref>[[釣田氏]]、[[寺田氏]]</ref>、[[土肥]]、[[伴]]、[[長尾]]<ref>[[土肥氏]]、[[伴氏]]、[[長尾氏]]</ref>、[[永野]]、[[長濱]]、[[西山]]、[[野崎]]<ref>[[永野氏]]、[[長浜氏]]、[[西山氏]]、[[野崎氏]]</ref>、[[八尾]]、[[八巻]]、[[服部]]<ref>[[八尾氏]]、[[八巻氏]]、[[服部氏]]</ref>、[[花本]]、[[平野]]<ref>[[平野氏]]</ref>、[[平家 (曖昧さ回避)|平家]]、[[宇部]]、[[大沢]]、[[星]]、[[星野]]、[[宗]]、[[谷内]]<ref>[[星野氏]]、[[宗氏]]、[[谷内氏]]</ref>、[[椎葉]]、[[高倉]]、[[旗手]]、[[廣實]]、[[一ノ宮]]、[[千葉]]<ref>[[大沢氏]]、[[星氏]]([[奥州千葉氏]]、[[千葉氏]])、[[椎葉]]、[[高倉氏]]、[[千種氏]]、[[千種家]]、[[千葉氏]]</ref>、[[千種]]、[[下総 (曖昧さ回避)|下総]]<ref>[[千葉氏#その他|千葉氏]][[庶家]][[下総氏]]</ref>、[[糸賀]]、[[門田]]、[[木下]]、[[羽柴]]、[[伊賀 (曖昧さ回避)|伊賀]]<ref>
 
[[糸賀氏]]、[[門田氏]]、[[木下氏]]、[[羽柴氏]]、[[伊賀氏]]、[[大島]]</ref>|date=2015年12月|}}
 
<br>
 
{{節スタブ}}
 
=== 近親婚 ===
 
平家の落人部落は隔離集団であり、住民が数人程度の共通の祖先に辿り着く例もある。<ref>『遺伝Q&A』([[中込弥男]] 著, [[裳華房]], 2000.9, ISBN 4-7853-8723-8)</ref>
 
 
 
== 日本全国の平家の落人伝説 ==
 
日本各地の代表的な平家の落人伝承のある地域は以下の通りである。
 
{{main2|安徳天皇が落ち延びたという伝説|安徳天皇#伝説}}
 
 
 
=== 東北地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* [[宮城県]][[仙台市]][[青葉区 (仙台市)|青葉区]]定義地区
 
*: [[平貞義]](平貞能)が落ち延びたと伝わる。
 
* [[鳥海山]]麓([[山形県]][[酒田市]])
 
*: 平家方として落ち延びた[[池田秀盛|池田彦太郎秀盛]]兄弟が隠れ住んだと伝わっており、秀盛の後裔と称する氏が[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[土豪]]として存在し、[[最上氏]]等の家臣となっている。
 
* [[福島県]][[南会津郡]][[檜枝岐村]]
 
*: 平家方として落ち延びた平氏・藤原氏の者が土着し、星姓、平野姓を称したという。
 
* [[岩手県]][[久慈市]][[宇部町]]
 
*: 平重盛の隠し子の兄弟が大唐の倉に漂着し、後に氏を宇部と大沢の姓を称し、野田氏に仕えたという。
 
<!-- 安徳天皇の伝説は[[安徳天皇#伝説]]に追加してください。 --->
 
 
 
=== 関東地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* 古分屋敷([[茨城県]][[久慈郡]][[大子町]])
 
*: 平家方についた[[大庭景親]]の[[残党]]が落ち延びた伝承がある。尤も、武者ではなく平家方に随身した武将の[[姫]]であったといい、古分屋敷に子孫は10軒の家を構えたとされる。二人の姫と土着した子孫の姓は[[桐原氏]]、[[神長氏]]という。桐原氏は[[坂東八平氏]]のひとつ[[鎌倉氏]]の流れを汲む[[大庭氏]]の血筋であり、神長氏は[[藤原氏]]であるという。また、この二氏は[[佐竹氏]]の[[家臣]]としても存在している。
 
* [[栃木県]][[那須塩原市]]上塩原
 
*:[[平貞能]]が[[平重盛]]の遺族ともども[[宇都宮頼綱]]を頼ってきた地とされる。平貞能が宇都宮頼綱に庇護され、鎌倉幕府もそれを認めたことは[[吾妻鏡]]にも残っている史実であるが、重盛一族の行方はかなり謎が残る。江戸時代の史料では[[平貞能]]はこの近辺の寺を巡礼して92歳で病没、その子孫で塩谷氏に仕えた山田泰業は一時期[[山田城]]の城主となったが、主君である[[塩谷氏]]が[[文禄]]4年([[1595年]])に改易されると、山田親業は山田城を廃城にし、苗字を[[黒子 (氏族)|黒子]]<ref>黒子氏・山田城を参照</ref>と改称の上、常陸国笠間に逃れた。重盛の六男である湯西川の[[平忠実]]は、塩原から更に奥地の湯西川に到達した一族を統率して湯西川を開拓したという。
 
* 栃木県[[日光市]]川俣
 
*: [[平藤房]](藤原藤房とも)らが落ち延びたとされ、大将塚・平家杉などの史跡が散在するが、平藤房なる人物の史料は残っていない。
 
* 栃木県日光市湯西川([[湯西川温泉]])
 
*: [[平忠実]]もしくは[[平清定]]の子、平景定が落ち延びたとされる。湯西川の平家の落人伝説は現地の平家落人民俗館や平家の里などでも紹介されているほか、平家大祭などの行事も行われている。湯西川温泉では積極的に落人伝説を観光業に活用している。
 
*: 平家の者であることを悟られぬよう苗字を「伴」とした。「伴」の人偏は人を表し、右の半は上部の点を半の横線の間に移し、半の一番上の横線から飛び出た部分を消すと「伻」という字になる。つまりは「平の人」ということを意味し、平家血縁者であることを示す。現在も「伴」という苗字の平家の子孫がこの土地に存在している。
 
*: 独自の風習として、[[端午の節句]]にも[[こいのぼり]]を揚げない・たき火をしない(煙を立てない)・犬を飼わない・鶏を飼わないなどがある。これらは人が山中に暮らしていることを外部にかぎ取られないためである。
 
* [[群馬県]][[利根郡]][[片品村]]
 
*: 関東では最北に位置する落人伝承の村である。あちこちで敗れた平家一門は尾瀬も近く、片品村に至るまでも険しい山々が連なる場所まで逃げた結果、片品村に平家の落人が住み着いて繁栄することになった。
 
* {{要出典範囲|[[千葉県]][[館山市]]畑集落|date=2012年2月}}
 
* {{要出典範囲|千葉県[[南房総市]]増間集落|date=2012年2月}}
 
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=== 中部地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* [[新潟県]][[佐渡市]]相川地区
 
*: 長兵衛尉 長谷部信連が落ち延びたとする伝承がある。
 
* 新潟県[[中魚沼郡]][[津南町]]・[[長野県]][[下水内郡]][[栄村]]にまたがる[[秋山郷]]
 
*: 源頼朝に敗れた[[平勝秀]]が落ち延びたとされる。
 
* [[五箇山]]([[富山県]][[南砺市]])
 
*: [[倶利伽羅峠の戦い]]で敗れた者の子孫という説、あるいは[[源義仲]]に敗れた平維盛の子孫が住みついたという説がある。この話をもとにしたのが「[[麦屋節|むぎや]]」である。
 
* [[石川県]][[輪島市]]
 
*: [[平時忠]]が配流となり、子孫が[[上時国氏]]、[[下時国氏]]を興した。
 
* 石川県[[加賀市]][[山中温泉]]真砂町(まなごまち)
 
*: [[惟喬親王]]を奉ずる[[木地師]]集落。[[山中漆器]]の源とされる。<ref name=dausyojigawaikino-rekisi>{{Cite book|和書|editor=大聖寺川上流域の歴史編纂委員会|title=大聖寺川上流域の歴史|origdate=2009-04-05|edition=初版|publisher=ホクトインサツ|location=[[小松市]]日の出町|pages=120}}</ref>
 
* [[福井県]][[福井市]]赤谷町(あかだにちょう)
 
*: [[平維盛]]は父の所領であった[[越前国]]に落ち延び、[[山伏]]の修行場所であった赤谷に隠れ住んだという言い伝えが残っている。維盛は赤谷で約30年間生き、次第に血筋が増えて一つの村になったという。宮中の流れをくむという風習が現在も受け継がれている。<ref name="福井新聞">2011年7月30日 福井新聞 21面</ref>
 
* 福井県[[越前市]]五分市町(ごぶいちちょう)にある城福寺
 
*: 城福寺は[[平保盛]]が[[鎌倉時代]]に建立し、現代に至るまで平家の子孫が[[住職]]を務めている。後の平家追討の中で保護されたのは[[池禅尼]]の尽力によるものと伝えられている。<ref name="福井新聞"/>
 
* 福井県[[大野市]]西谷地区・和泉地区
 
*: この地域ではあちこちの集落に平家の落人伝説が残されている。集落の[[高齢化社会|高齢化]]や[[過疎|過疎化]]、[[ダム]]建設に伴い、[[消滅集落]]となったところも多い。特に[[大野郡 (福井県)|大野郡]][[西谷村 (福井県)|西谷村]](現・大野市西谷地区)では全住民が離村し、[[1970年]][[6月30日]]限りで[[ゴーストタウン|廃村]]となった。西谷村には平家の落人にまつわる「平家踊」や「扇踊」(ともに県指定無形民俗文化財)が伝わり、村が廃村となった今でも旧村人が大野市内で踊を続けている。
 
* 長野県[[伊那市]]長谷浦
 
*: 壇ノ浦の戦いに敗れた平維盛の子孫が住み着いたと言われている。維盛の父である[[平重盛]]が小松殿と呼ばれていたことから、小松姓を称した。壇ノ浦の「浦」が地名となった。
 
* [[静岡県]][[富士宮市]]上稲子(かみいなこ)
 
*: 紀州にて入水したという伝承が伝わり、同地には平維盛のものとされる墓が伝わる。現在のものは墓は天保11年(1840年)の再建。「上稲子の棚田」に墓が建っている。
 
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=== 近畿地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* [[三重県]][[伊勢市]]矢持町
 
*: 「平家の里」という名が残る。
 
* 三重県[[志摩市]]磯部町五知
 
*: 地区の福寿寺に「平家の赤旗」と伝えられる旗が保存されている。
 
* 南島八ヶ竃(三重県[[度会郡]][[南伊勢町]])
 
*: 南伊勢町に多く見られる「竃」が付く地名は、平家の残党がそこに住み着いて[[塩]]を作って生計を立てていた集落であるという。詳しくは[[南島町#伝説]]を参照。
 
* [[大阪府]][[豊能郡]][[能勢町]]
 
*: [[1185年]]、[[安徳天皇]]が能勢の野間郷に逃れたが、翌年崩御したという。「安徳天皇来見山御陵墓」がある。
 
* [[兵庫県]][[赤穂郡]][[上郡町]]小野豆
 
*: [[平経盛]]が落ち延びたという伝説がある。
 
* [[奈良県]][[吉野郡]][[野迫川村]]平(たいら)
 
*: [[平維盛]]がその生涯を終えた場所とされ、平維盛塚の付近は「平維盛歴史の里」として整備されている。
 
* 奈良県吉野郡[[十津川村]]五百瀬
 
*: 山林中に平維盛の墓と伝えられる祠がある。
 
* [[和歌山県]][[東牟婁郡]][[那智勝浦町]]口色川
 
*: [[平維盛]]が屋島から逃亡し、紀伊国色川郷に隠れ住んだと伝わる。
 
* {{要出典範囲|小森谷(和歌山県[[田辺市]]龍神地域)|date=2012年10月}}
 
* [[和歌山県]][[日高郡 (和歌山県)|日高郡]][[みなべ町]]堺
 
*: 国道42号線沿いに平家塚があり、年に一度地元の常福寺が平家祭りを行っている。
 
*: 平家の落ち武者が当地に流れ着き、幟をあげたために[[源氏]]の追討にあい絶滅し、その後当地では[[鯉のぼり]]をあげなくなったという言い伝えがある。
 
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=== 中国地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* [[鳥取県]][[鳥取市]]国府町岡益
 
{{main|岡益の石堂}}
 
* 鳥取県[[八頭郡]][[若桜町]]落折
 
*: [[平経盛]]が郎党らと落ち延びて、自刃したと伝わる。
 
* 鳥取県八頭郡[[八頭町]]姫路
 
*: [[安徳天皇]]らが落ち延びたという伝説が残る。天皇に付き従った女官などのものとされる五輪塔が存在する。
 
* 鳥取県[[東伯郡]][[三朝町]]中津
 
*: 安徳天皇が落ち延びたという伝説が残る。
 
* [[岡山県]][[久米郡]][[久米南町]]全間(またま)
 
*: [[平維盛]]が落ち延びて、その後裔が持安氏と称して幕藩体制で全間を治めた。全間から連続する大垪和にかけて山上の隠れ里のようになっており、平氏、貴族、関ヶ原で敗れた石田氏などさまざまな落人伝説が伝わる。
 
* [[広島県]][[庄原市]]
 
*: 「敦盛さん」という[[民謡]](市の無形民俗文化財)が伝わっている。その内容によると、[[熊谷直実]]に討たれたとされる[[平敦盛]]が実は生きて庄原に落ち延びたという話になっている。
 
* 広島県[[福山市]]沼隈町横倉地区
 
*: この地に落ち延びた[[平通盛]]一行は、山南川を奥へと分け入り横倉に隠れ住んだという伝承があり、横倉には平家をしのぶ痕跡が多数あり平家谷とよばれている。なお平通盛は清盛の弟教盛の長男。また当地にある赤旗神社には平家の軍旗である「赤旗」を祀っている。
 
* 広島県[[尾道市]]百島
 
*: 壇ノ浦の戦い後敗走した平家一族が落ち延びた島といわれている。
 
*: ここに落ち延びた平家は旗を埋めて”旗”の字に平家の平という文字に似ている”手”を加え”旗手”という姓を名乗るようになったと言われている。戦国時代は毛利水軍(村上水軍)に属したとも。
 
* [[山口県]][[岩国市]]錦地域
 
*: 平家の武将を葬った平家七墓があるという。
 
* 山口県[[下関市]][[彦島]]
 
*: 山口県彦島にも平家の残党と伝わる落ち武者達が後年来訪したという伝承がある。この武者は、平家の守本尊の阿弥陀如来像を持参し、再興の夢を抱いていたが、法師にさとされ、彦島の発展に尽力したとされる。
 
* 山口県下関市大字高畑
 
*: [[壇ノ浦の戦い]]があった[[早鞆の瀬戸]]から直線距離で約2kmしか離れていない谷間の集落。あまりに近すぎたため追手に気づかれなかったと言い伝えられている。平家塚と呼ばれる場所に[[五輪塔]]などがある。
 
* 山口県[[萩市]]川上
 
*: [[平清宗]]一党が築いた隠れ里を由緒とする村落がかつて存在したが、昭和50年に建設された[[阿武川ダム]]の底に水没している。清宗の墓とされる五輪塔が現存する<ref>吉岡一生『[http://ci.nii.ac.jp/ncid/BA78408512 山口伝説散歩 : 防長写伝]』、NCID BA78408512、2001年、p.95</ref>。
 
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=== 四国地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* [[徳島県]][[三好市]]東祖谷阿佐
 
*: 屋島の戦いに敗れた[[平教経|平国盛]]率いる30名の残党が讃岐山脈を経て阿波へと入り、現在の徳島県[[東みよし町]]から三好市井川地区にかけての一帯に住んだが、追手に脅かされ[[祖谷]]に住んだと伝わる。阿佐集落に、平家の末裔と言われる阿佐氏が居住し、[[平家屋敷]]や、平家のものと伝えられる赤旗([[軍旗]])が数百年前から現存する。この東祖谷阿佐の平家落人伝説は、遺物が残っていることから学界の注目を集めており、松永伍一や角田文衛が論考を発表している。角田によれば、平家の赤旗は古過ぎて年代比定が出来ず、少なくとも[[平教経|平国盛]]が屋島の戦い以降消息不明であり、九条兼実『玉葉』では逃亡したと記されていることから、他の平家落人伝承より注目度が高いとしている。<ref>角田「平家後抄」講談社学術文庫</ref>
 
* 徳島県三好市東祖谷栗枝渡
 
*: [[安徳天皇]]が逃れて隠れ住み、同地で崩御したという。栗枝渡八幡神社には、安徳天皇を火葬した「安徳天皇御火葬場」があり、遺骨を御神体として祀っている(『美馬郡誌』)。
 
* 切山([[愛媛県]][[四国中央市]]金生町山田井)
 
*: 元暦元年(1184年)6月、田邊太郎・平清国(清盛の外孫)、真鍋次郎・平清房(清盛の八男)、参鍋三郎・平清行、間部藤九郎・平清重、伊藤清左衛門国安(紀州熊野神社修験者)ら五士とその一族が、幼い安徳帝(平清盛を外戚に持つ幼帝)を守護し、祖谷から山道を歩き続けて切山に辿り着いた。切山は昔、「切明山」「霧山」「桐山」等とも呼ばれていた。安徳帝は半年間切山で過ごした後、平知盛、平教経らの迎えをうけ下谷越えから田野々へ下り、讃岐詫間の須田ノ浦から船で長門国赤間へ向かった。
 
 
 
:: ※切山にある主な遺跡
 
:: 院の墓の碑…壇ノ浦での平家敗北を知り、再挙の夢が消え去った人々は、安徳帝の御衣と御念持仏を此処に埋め、仮の御陵としたとされる。
 
:: 土釜神社…真鍋次郎平清房、田邊太郎平清国の子孫が祀られている。
 
:: 土釜薬師…帝の安泰を祈って祀られた。五士が最初に辿り着いた所とされ、警備の要となっていた。
 
:: 下谷八幡宮上の宮…安徳帝の安泰と、平家の武運長久を祈って祀られた。推古6年(598年)宇佐八幡宮から分霊された、十四代仲哀天皇、十五代神功皇后が祀られている。
 
:: 八幡宮の側に、安徳帝を祀る祠・安徳宮が鎮座する。安徳の窪500m、安徳の渕100m、安徳の滝1km、安徳帝下向道、詫間町須田浦へ30kmと書かれた石碑が建つ。
 
:: 安徳の窪…安徳天皇行在所の碑が建つ。
 
:: 下谷八幡宮下の宮…鳥居を潜り参道を上がって行くと、石段脇に宮石灯籠と刀石が並んでいる。この刀石は、安徳帝が神器の一つである宝剣を置いたとされる自然石。
 
:: 鳥居側に熊野権現社が祀られている。
 
 
 
* 平家谷(愛媛県[[八幡浜市]]保内地区)
 
*: 壇ノ浦の戦い後、落ち延びた残党が[[佐田岬半島]]の伊方越にたどり着き、宮内川上流の谷に隠れ住んだとの言い伝えがある。8名で畑を開き暮らしていたが、源氏の追っ手の知るところとなり、6名は自害、残った2名が両家集落の祖となったという。平家谷には平家神社がまつられている。
 
* 高知県〜愛媛県〜徳島県の山地一帯
 
*:高知県の[[越知町]](おち = 落ち?)にある[[横倉山 (高知県)|横倉山]]に安徳天皇[[陵墓参考地]]があり、その周辺に県境とは無関係に、「屋島からたどり着いた平家の人たちが分散して隠棲した」との言い伝えがある。歴代皇族とそっくり同じつくりの立派な陵が、非常に険しい山中にひっそりと建立される姿は尋常では説明が付かないものの、安徳天皇の墓であるという確証はない。
 
*:横倉山の前を流れる川を仁淀川と呼ぶほか、京都ゆかりの地名が多く存在する。北の集落は藤社と呼ばれ、これは当時京の北の守りであった藤社神社にちなむ。
 
*:周辺に点在する平家一門の隠れ里では明治に入るまで墓石がなく、石に名前を書いて並べ置く風習があり、これは戦時の[[伊勢平氏]]一門の風習と合致する。また[[香川県]]の屋島→徳島県の東祖谷と逃れた平家一門が最後に住み着いた場所である可能性は高い。
 
*:愛媛県にある平家追討軍が引き返したという地には、ひっそりと「平家終焉の地」の碑があるが、そのすぐ南には[[仁淀川]]が流れ平家の隠れ里がある。村おこしや明治以降の尊王思想でできた派手な周辺施設の多くは後の創作物と思われ、本物の末裔は余りの不便さから、ほとんどは都会でひっそり暮らしている。
 
<!-- 安徳天皇の伝説は[[安徳天皇#伝説]]に追加してください。 --->
 
 
 
=== 九州地方 ===
 
<!-- 都道府県の順番は都道府県コードの順番に合わせている。 --->
 
* [[福岡県]][[北九州市]][[八幡西区]]上上津役
 
*: 乳飲み子を連れた平家方の女性が源氏方の武者に赤子の声を聞かれて見つかりそうになり、親子ともども命を絶ったという伝説がある。
 
* 福岡県北九州市[[小倉南区]]合馬
 
*: 安徳天皇に随行した官女が[[遊女]]となり、後に病死したという伝説がある。
 
* 福岡県宗像市池田
 
*: [[平知盛]]の男、平信盛は、鶴山(釣山)に金砿を発見し、これの採掘に従事するとともに、井上五郎大夫と改名し安住の地と定めたという。
 
* 福岡県[[糸島市]]二丈満吉唐原地区
 
*: [[平清盛]]の嫡男、[[平重盛]]の内室と二人の姫「千姫」「福姫」が侍女や郎党と一緒に筑前の武将である[[原田種直]]を頼って落ちのびてくる。種直は人目につきにくい唐原(とうばる)の里に一行をかくまった。隠れ住んで1年ほどがたったころ、源氏からの刺客が唐原に差し向けられ、2人の姫を殺害。この事件を目の当たりにした内室は自害したという伝説がある。唐原には、この伝説を物語る遺跡として、落人一行が京都を懐かしんで上った「都見石」(みやこみいし)や重盛の遺髪を納めた「黒髪塚」などが残る。
 
* [[福岡県]][[筑紫郡]][[那珂川町 (福岡県)|那珂川町]]安徳
 
*: 同地安徳台は源平合戦の最中、現地の武将・[[原田種直]]が帝を迎えたという。『平家物語』では平家は[[大宰府]]に拠点を築こうとしたものの庁舎などは戦火で消失していたため、帝の仮の行在所を設けたことが「主上(帝)はそのころ岩戸少卿大蔵種直が宿処にぞましましける」と記述されている。
 
*[[福岡県]][[柳川市]]沖端
 
*:この地に六人の平家の落人が流れ着き漁師となったという伝説が残っている。その為、現地では漁師のことを六騎(ろっきゅう)と呼ぶ。
 
* [[長崎県]][[対馬市]]
 
*: [[安徳天皇]]が落ち延びて住んだという伝説がある。
 
*: 対馬の宗家は新中納言[[平知盛]]の末裔と自称している。<ref>角田「平家後抄」講談社学術文庫ほか</ref>
 
* 長崎県[[佐世保市]]
 
*: [[平家盛]]が上陸して当地の領主となり、[[宇久氏]](後の[[福江藩]]主五島氏の前身)を名乗ったという<ref>{{Cite web|url=http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_8225459_po_200808_3_ritou.pdf?contentNo=1&alternativeNo=|title=離島活性化の取組み― 佐世保市の離れ島“宇久島”―|writer=ながさき経済|publisher=[[国立国会図書館]]デジタルコレクション|date=2008年8月|accessdate=2015年4月18日|format=PDF}}</ref>。
 
* 佐賀県[[唐津市]]
 
*: [[平清経]]が逃げ落ちて、釣田氏を名乗ったという。<ref>「北波多村史通史編Ⅰ・通史編Ⅱ」唐津市2011年12月完成発行</ref>
 
* [[熊本県]][[八代市]]泉地区
 
*: [[平清経]]が当地にある[[五家荘]]に落ち延びたとされる。平家の落人の伝承という「久連子古代踊り」があり、国選択無形民俗文化財となっている。
 
* 熊本県[[球磨郡]][[五木村]]
 
*: 五家荘に落ち延びた落人と同族という説がある。
 
* 熊本県八代市坂本地区
 
*: 市ノ俣(げずのまた)にて伝承される。
 
* [[大分県]][[宇佐市]]院内区域
 
*: 平家七人塚、[[経塚]]の由来記。宇佐にいた平家一門が駅館川の支流の院内川を遡って大門に辿り着いた。大門の地は、平安時代に[[宇佐神宮]]に参籠した僧の行基菩薩が開山したと伝えられる[[龍岩寺 (宇佐市)|龍岩寺]]周辺に仏典を書き写して、経筒に納め埋納した経塚がある。信仰厚い平家落人が住むには安全な地だった。[[門脇中納言]][[平教盛]]公の子孫らは矜持を保ち塚を築いた。現在も「門脇」を姓とする子孫一族がいる。
 
* [[宮崎県]][[東臼杵郡]][[椎葉村]]
 
*: 江戸期に著された「椎葉山由来記」によると、[[下野国]]の住人・[[那須宗久]](通称は大八郎、[[那須与一]]の弟とされる)は、平氏残党追討のため日向に下り、向山に拠った残党を追討。次いで椎葉に赴いたが、残党に戦意はなく追討をとりやめた。宗久は現地で[[平清盛]]の末孫とされる鶴冨姫と恋仲になり娘が生まれた。やがて、宗久は本領へ引き上げたが、娘婿が那須姓を名乗り椎葉を治めたという。椎葉の国人・那須氏は宗久の子孫とされる。この一連の逸話を謡ったものが宮崎県の代表的民謡[[ひえつき節]]である。椎葉には、「鶴富屋敷」と通称される那須家住宅(国の[[重要文化財]])が残り、観光名所となっている(現存の住宅は江戸時代の建造)<ref name="tsurutomi">[http://www.shiibakanko.jp/ss_index.php?act=dt&gid=1 椎葉村観光協会 - 鶴富屋敷]</ref>。
 
* [[鹿児島県]][[指宿市]]
 
*:鹿児島民具学会発行『鹿児島民具』14号に、市内山川利永尾下について、「落人の里の民俗」として言及あり。
 
* [[鹿児島県]][[鹿児島郡]][[三島村]]
 
*平清盛の孫行盛の遺児が、北条時政の養子となり時信と名乗って[[種子島]]に入ったとされる。
 
*[[鹿児島県]] [[種子島]] [[西之表市]][[中種子町]][[南種子町]]
 
*:種子島氏と一緒に移ってきた家来衆(遠藤、平山、鎌田姓)も[[平氏]]と言われる。特に中種子町には[[平家]]由来の平(たいら)姓の者も多い。
 
*: [[平経正]]、[[平業盛]]らのほか、30あまりの史跡があるとされる。
 
* 鹿児島県[[大島郡 (鹿児島県)|大島郡]]([[奄美群島]])
 
*: 平家一門の[[平資盛]]が、壇ノ浦の戦いから落ち延びて約3年間[[喜界島]]に潜伏。弟の[[平有盛]]、いとこの[[平行盛]]と合流して、ともに[[奄美大島]]に来訪したという。2005年に平家来島800年記念祭が行われた。柳田國男は「モリ」というのは郷土の神の名であり、後世になってこの伝説は作られたのではないかと考えているが異論も多い。
 
** [[喜界町]]志戸桶(喜界島)、奄美群島に到着した平家が最初に築いたといわれる七城跡がある。
 
** 喜界町早町、源氏警戒のため築いた城跡がある、平家森と呼ばれている。
 
** [[奄美市]]名瀬浦上([[奄美大島]])、有盛を祀った平有盛神社がある、有盛が築いた浦上城跡と言われている。
 
** [[瀬戸内町]]諸鈍([[加計呂麻島]])、資盛を祀った大屯(おおちょん)神社がある。
 
** [[龍郷町]]戸口(奄美大島)、行盛が築いた戸口城跡がある。現地には行盛を祀った平行盛神社もあるが、城跡とは離れている。
 
** 龍郷町今井崎(奄美大島)、行盛により今井権田大夫が源氏警戒のため配された。今井権現が建っている。
 
** 奄美市笠利町蒲生崎(奄美大島)、有盛により蒲生佐衛門が源氏警戒のため配された。
 
* [[鹿児島県]][[垂水市]]牛根麓
 
*: [[硫黄島 (鹿児島県)|硫黄島]]から移って来た安徳天皇が13歳で崩御し、居世神社に祀られているという。
 
* [[運天港]]([[沖縄県]][[国頭郡]][[今帰仁村]])
 
*: 『[[おもろさうし]]』の「雨降るなかに大和の兵団が運天港に上陸した」とある記述は「[[平維盛]]が30艘ばかり率いて南海に向かった」という記録を基に平維盛一行のことだとされることがあり、いわゆる「南走平家」の祖として沖縄史では盛んに議論が行われている。
 
* 沖縄県[[宮古島]]狩俣
 
*: 落武者の物という古刀など遺品が伝わる。また平良という地名は平家の姓に由来するものという。
 
* 沖縄県[[竹富島]]
 
*: 赤山王は平家の落人で、竹富島に流れ着いたとの言い伝えがある。[[なごみの塔]]は居城跡とされる。
 
* 沖縄県[[西表島]]
 
*: 16世紀初頭の豪族[[慶来慶田城用緒]]は、平家の末裔であると称していたことが知られる。
 
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== 資料館 ==
 
*[[平家屋敷民俗資料館]](西岡家住宅、[[徳島県]][[三好市]]西祖谷山村西岡)
 
 
 
== 文献情報 ==
 
* 「南走平家による琉球・沖縄王朝史」 大川純一 編集工房 東洋企画 [http://www.toyo-plan.co.jp/]
 
*「三好市「旧東祖谷山村」の伝説」 湯浅安夫・西田素康 (阿波学会紀要第53号2007.7)[http://www.library.tokushima-ec.ed.jp/digital/webkiyou/53/P133-137.pdf]
 
*「鬼界島流人譚の成立-俊寛有王説話をめぐって-」 谷口広之 (同志社国文学1980-01)[http://elib.doshisha.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/U_CHARSET.utf-8/BD00012456/Body/016000150002.pdf][http://ci.nii.ac.jp/naid/120000821795]
 
*「阿仁マタギ習俗の概要」 湊正俊 (秋田県文化財調査報告書第441集)[http://www.pref.akita.lg.jp/www/contents/1223539598434/files/shuuzoku.pdf][http://www.pref.akita.lg.jp/icity/browser?ActionCode=content&ContentID=1223539598434&SiteID=0]
 
* 「大奄美史」 [[昇曙夢]]([[南方新社]]) ISBN 9784861241666
 
* 「伝説」 柳田国男 筑摩書房柳田国男集所収
 
* 「平家後抄」 角田文衛 講談社学術文庫
 
* 「平家かくれ里写真紀行」 清永安雄 産業編集センター
 
* 「北波多村史通史編Ⅰ・通史編Ⅱ」唐津市2011年12月完成発行
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[貴種流離譚]]
 
* [[赤間神宮]]
 
* [[全国平家会]]
 
* [[伊勢平氏]]
 
* [[安徳天皇]]
 
* [[平家物語]]
 
* [[落人]]
 
* [[落武者]]
 
* [[豆腐の味噌漬け]](平家の落人の料理)
 
* [[客家]] - 中国での似たケース
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 外部リンク ==
 
* [http://www5f.biglobe.ne.jp/~osame/omoukoto/omoukoto-framepage/heike-ochiudo-%20omoukoto.htm 平家落人・奄美統治の跡を訪ねて]
 
== 関連項目 ==
 
* [[秘境]]
 
* [[誤解]]・[[偏見]]
 
* [[言語島]]
 
* [[流罪]]
 
{{DEFAULTSORT:へいけのおちうと}}
 
[[Category:平家の落人伝説|*]]
 
[[Category:平家|おちうと]]
 
[[Category:伊勢平氏|おちうと]]
 
[[Category:日本の伝承]]
 
[[Category:口承]]
 
[[Category:日本の民俗文化]]
 
[[Category:平安時代]]
 

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