欧州諸共同体
欧州諸共同体(おうしゅうしょきょうどうたい、英: European Communities, European Community, EC)は、同一の機構で運営されてきたヨーロッパの3つの共同体である、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)、欧州経済共同体(EEC)、欧州原子力共同体(Euratom)の総称。
3つの共同体は1967年から運営機関が同一のものとなり、冷戦期において西側経済圏を代表する国際機構の一つとなった。1993年にマーストリヒト条約が発効して欧州連合(英略称:EU)が発足してからも共同体としては存続してきた。欧州経済共同体は欧州共同体と名称を改め、また欧州連合の3つの柱構造の第1の柱を担う共同体として存続してきた。2002年の欧州石炭鉄鋼共同体設立条約失効に伴い、欧州石炭鉄鋼共同体は欧州共同体に吸収された。その後、2009年にリスボン条約が発効したことによって欧州共同体が消滅し、3つの共同体のうち存続しているのは欧州原子力共同体のみとなっている。
3つの共同体
欧州石炭鉄鋼共同体の目的は加盟国の石炭と鉄鋼産業を共同管理して、これらの資源の単一市場を設置することであった。これにより域内がより繁栄し、また欧州統合を通じて加盟国同士での戦争の危険を減少することになるとされていた。欧州原子力共同体は加盟国間での核エネルギーに関する協力が目的であった。欧州経済共同体は関税同盟の創設と全般的な経済協力を行うために設置された。その後欧州経済共同体では欧州単一市場が創設された[1]。
欧州経済共同体はマーストリヒト条約の発効により、欧州連合の3つの柱における「欧州共同体の柱」を担うものとして発展し、欧州石炭鉄鋼共同体や欧州原子力共同体はその下位にあるような共同体として独自の法人格を有しながら存続してきたが、その運営は欧州連合の各機関に委ねられてきた。欧州石炭鉄鋼共同体設立条約には50年間の有効期限が定められていたため、2002年に条約が失効し、欧州石炭鉄鋼共同体の活動はすべて欧州共同体に吸収されている[2]。その欧州共同体も2009年に発効したリスボン条約によって消滅し、欧州共同体設立条約も「欧州連合の機能に関する条約」に改称された。一方で欧州原子力共同体は、欧州石炭鉄鋼共同体のような有効期限は定められていないため存続している。核エネルギーに対するヨーロッパの有権者の敏感な考え方があることから、欧州原子力共同体設立条約は調印されてから1度も修正されておらず、また従来の基本条約を撤廃することになっていた欧州憲法条約でも欧州原子力共同体については変更がなされることがなかった[3][4]。
背景
まず欧州石炭鉄鋼共同体が設立された。1950年にシューマン宣言で提唱されたことを受けて、ベルギー、フランス、ドイツ、イタリア、ルクセンブルク、オランダが欧州石炭鉄鋼設立条約に調印した。欧州石炭鉄鋼共同体の成功によりさらなる統合を求める声があがったが、欧州防衛共同体と欧州政治共同体を設立する試みが失敗したことにより経済分野での統合を進めていくことになった。1957年、ローマ条約により欧州原子力共同体と欧州経済共同体が設立されることになった。両共同体は一部の機関を欧州石炭鉄鋼共同体と共有することになったが、執行機関はそれぞれ独自のものを持つこととなった[1]。
1967年、合併条約により3共同体それぞれにあった執行機関が統合され、欧州経済共同体の委員会と理事会がほかの共同体における同等の機関を継承することになった。これ以降、法令上は3共同体はそれぞれ独立した組織として存続していたが総称として「欧州諸共同体」と呼ばれるようになり、たとえば欧州委員会の正式な名称は「欧州諸共同体委員会」とされてきた[1]。なお、欧州諸共同体を「ヨーロッパ共同体」と表記することもある[5]。
機構
3つの共同体の加盟国は同じ国であり、パリ条約とその後の基本条約に調印した6か国は「インナー6」と呼ばれていた(これに対して欧州自由貿易連合を構成していた国は「アウター7」と呼ばれた)。原加盟6か国とは、フランス、西ドイツ、イタリアとベネルクスの3か国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルク)である。最初の拡大は1973年に、デンマーク、アイルランド、イギリスが加盟によってなされた。1980年代にはギリシャ、スペイン、ポルトガルが加盟した。1993年に欧州連合が発足したあとも2007年までにさらに15か国が加盟している。
加盟国 | 加盟日 | 加盟国 | 加盟日 |
---|---|---|---|
ベルギー | 1957年3月25日 | イタリア | 1957年3月25日 |
デンマーク | 1973年1月1日 | ルクセンブルク | 1957年3月25日 |
フランス | 1957年3月25日 | オランダ | 1957年3月25日 |
西ドイツ | 1957年3月25日 | ポルトガル | 1986年1月1日 |
ギリシャ | 1981年1月1日 | スペイン | 1986年1月1日 |
アイルランド | 1973年1月1日 | イギリス | 1973年1月1日 |
加盟国は各機関において何らかの形で存在を示すことになる。閣僚理事会はそれぞれの政府を代表する各国の閣僚によって構成される。また加盟国は最低1人の欧州委員会委員を出す権利を有しているが、欧州委員会はそれぞれの出身国の利益ではなく共同体の利益を求めるものとされている。2004年まで規模の大きい加盟国(フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、スペイン)は委員を2人ずつ出していった。欧州議会においては人口に応じて加盟国別に議席数が配分されているが、直接選挙が行われるようになった1979年以降、欧州議会議員は加盟国別ではなく政党ごとに議席を持つことになっている。このほか欧州司法裁判所などほとんどの機関は何らかの形態でその構成員を国別に出している。
脚注
- ↑ 1.0 1.1 1.2 “http://www.ena.lu/?lang=2&doc=16399” (English). European NAvigator. . 2008閲覧.要Flash Player
- ↑ “Treaty establishing the European Coal and Steel Community, ECSC Treaty” (English). Europa. . 2008閲覧.
- ↑ “Euratom reformy” (English). EU-Energy.com. . 2008閲覧.
- ↑ “Treaty establishing the European Atomic Energy Community (Euratom)” (English). Europa. . 2008閲覧.
- ↑ 『中学社会 歴史』(文部省検定済教科書。中学校社会科用。発行所:教育出版株式会社。平成8年2月29日文部省検定済。平成10年1月10日印刷。平成10年1月20日発行。17教出・歴史762)p 286には「フランス・西ドイツなど6か国からなるヨーロッパ経済共同体(EEC)は, 1967年に, ヨーロッパ共同体(EC)へと発展し, その後, イギリスやスペインなども加わって, アメリカ・日本と並ぶ経済力をもつようになった。」と書かれ、『詳説世界史B』(文部科学省検定済教科書。高等学校地理歴史科用。発行所:株式会社 山川出版社。2002年4月4日文部科学省検定済。2004年3月1日印刷。2004年3月5日発行。81山川 世B005)p 330には「この動きは, ソ連社会主義圏との対立にもうながされて, 58年にはヨーロッパ経済共同体(EEC), ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)の設立へと発展し, 関税の相互引き下げ, 共同の商業・農業政策, 資本・労働力移動の自由化が実施された。67年には3共同体はヨーロッパ共同体(EC)に合併し, 西ヨーロッパ統合の基礎がつくられた。」と書かれている。
関連項目
参考文献
- Monnet, Jean [1959]. Prospect for a New Europe (English).
- Balassa, Béla A. [1961]. The Theory of Economic Integration (English). Homewood, Ill., R.D. Irwin. OCLC 239453.
- Hallstein, Walter [1964]. The European Community : A New Path to Peaceful Union (English). Asia Pub. House. OCLC 35115719.
- Spaak, Paul-Henri [1971]. The Continuing Battle: memoirs of a European, 1936-1966 (English). Weidenfeld. ISBN 978-0297993520. OCLC 348039.
外部リンク
- Europa - The European Union On-Line
- Treaty establishing the European Economic Community European NAvigator (要Flash Player)
- History of the Rome Treaties European NAvigator (要Flash Player)