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'''解放の神学'''(かいほうのしんがく、{{lang-en|Liberation theology}})とは、[[第2バチカン公会議]]以降に[[グスタボ・グティエレス]]ら主に中南米の[[カトリック教会|カトリック]][[司祭]]により実践として興った[[神学]]の運動とそれをまとめたもので、それに対する議論も多く、教皇庁でも批判者がいるが、世界的には広く受け入れられている。一部には[[1930年代]]の[[ディートリヒ・ボンヘッファー]]をその先駆けとみる見方もある。
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'''解放の神学'''(かいほうのしんがく、{{lang-en|Liberation theology}}
  
[[キリスト教社会主義]]の一形態とされ、民衆の中で実践することが[[福音]]そのものであるというような立場を取り、多くの実践がなされている。[[中南米]]のプエブラ司教会議でも支持されたが、[[階級]]的視点などにおいて「[[マルクス主義]]方法論をベースにした[[共産主義]]」と意図的にも無知からも混同されて中傷される事も多く、各国で政府側からも反政府側からも聖職者や修道士などが[[暗殺]]される事が多い。一方で[[フィリピン]]や[[インドネシア]]、[[東ティモール]]、[[ハイチ]]などでは実践が重ねられている。その神学論理の一部については同じ立場を取る[[プロテスタント]]の[[新正統主義神学]]、[[フェミニスト神学]]、[[プロセス神学]]などと同様にバチカンからは拒絶されている。
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被抑圧,被差別人民の解放をキリスト教の福音の本質として説く現代キリスト教神学の一潮流。従来の欧米のキリスト教神学は,最も革新的なものをも含めて,白人の神学,ブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして,これを批判,拒否し,真に民衆の立場に立って聖書の神を解放する神として新しくとらえ直すことを説き,イエスの福音も必然的に社会的解放を指向するものであるとする。 1960年代以後アメリカの黒人キリスト教徒,中南米カトリック急進派,アフリカ教会などのなかに台頭してきたもので,特に中南米において大きな影響力をもつ。解放思想のイデオロギー化を排し,思想と実践の相互媒介と統一を強調するところにも特色がある。
 
 
第265代[[ローマ教皇|教皇]][[ベネディクト16世 (ローマ教皇)|ベネディクト16世]]も教理省長官時代からの解放の神学の反対者として知られている。
 
 
 
== 概観 ==
 
解放の神学は特に[[社会正義]]、[[貧困]]、[[人権]]などにおいてキリスト教神学(概ねカトリック)と政治的運動の関係性を探る傾向を持つ。解放の神学の主な革新は社会的抑圧や経済的な貧困の視点から神学するというその神学(例えば神の語りかけ)にある。[[ジョン・ソブリノ]][[イエズス会|S.J.]] によれば、貧困は神の恵みへの特権的な通路である。[[フィリップ・ベリマン]]によれば解放の神学は「貧苦と闘い希望を持つ者のキリスト教信仰の解釈であり、社会とカトリック信仰、キリスト教への貧者からの批判」である。
 
 
 
解放の神学では解放者としての[[イエス・キリスト|イエズス]]に焦点をあてる。[[聖書]]の中でも解放者、正義をもたらす者としてのイエズスの使命について書かれた記述を強調する。これは(時折文字通り)この正義の使命のための出動命令と解される場合がある。さらに多くの解放の神学者は[[マルクス主義]]から[[階級闘争]]などといった概念を借用する例がある。
 
 
 
解放の神学は今日では通常カトリックの大学や神学校では教えられることはなく、プロテスタント起源の学校でしばしば教えられるものとなっている。彼らは貧困層とより関係を持つ傾向があり、聖書の解釈も彼らの実践をどう位置づけるかという文脈で行われることがある。
 
== 歴史 ==
 
[[1955年]]に[[リオデジャネイロ市|リオデジャネイロ]]で[[ラテンアメリカ司教会議]] (''Consejo Episcopal Latinoamericano'', CELAM) が創設され、そのことが第2バチカン公会議 ([[1962年]] - [[1965年]]) がより進歩的立場を採る後押しとなった。その後の4年間で[[1968年]]のコロンビアでのメデジン司教会議が準備され、ブラジルで1957年頃から始められた「[[教会基礎共同体]]」運動への支持が公式に表明され、それを受け[[グスタボ・グティエレス]]の論考も広く紹介されるようになった。
 
 
 
グティエレスの1972年の著書 ''"Historia, Política y Salvación de Una Teología de Liberación"''(ある解放の神学における歴史と政治と救い)は[[カトリック労働者運動]]やカトリック青年労働者連盟などのカトリックの社会的な運動の流れを初めて理論化したものであり、また第二バチカン公会議の準備の成果として1963年に[[ポール・ゴーシェ]]が書いた ''"Les Pauvres, Jésus et l'Église"''(貧者とイエズスと教会)や1969年の[[パウロ・フレイレ]]の『被抑圧者の教育学』などの影響も受けたものだった。
 
 
 
CELAM の解放の神学の承認はリベラル派とされる[[パウロ6世 (ローマ教皇)|パウロ6世]]からも眉を顰められ、[[ローマ教皇庁|教皇庁]]からの反対の動きが始まった。サモレ枢機卿はラテン・アメリカ委員会の指導者として教皇庁と CELAM の間を裂き、この動きを止めようとした。
 
 
 
アルフォンソ・ロペス・トルヒーヨ枢機卿が[[1972年]]に CELAM の事務局長に選ばれると、CELAM の実権は教皇庁に沿った保守派に押さえられるようになった。それでも[[1975年]]8月にメキシコで開かれた「解放と束縛」をテーマにした神学会議には700人以上が集った。翌年[[レオナルド・ボフ]]は ''"Teologia do Cativeiro e da Libertação"''(束縛と解放の神学)を著した。1979年の CELAM のプエブラ司教会議での「貧者を優先した選択」の概念の定義を巡る保守派の巻返しは進歩的な司祭たちの強い反対をうけた。
 
 
 
[[ニカラグア]]の[[サンディニスタ革命]]では大きな役割を果たし、神父から4人の閣僚を出したが、[[ヨハネ・パウロ2世 (ローマ教皇)|ヨハネ・パウロ2世]]教皇がニカラグアを訪れた時は教皇に拒絶された。
 
 
 
[[1977年]]インドの神学者セバスチャン・カッペンはフランソワ・フーターの前書きを付けた ''"Jesus and Freedom"'' を著した。[[1980年]]に教理省はカッペンの属する[[イエズス会]]総長にこの本の調査を命じた。カッペンはこれに対して ''"Censorship and the Future of Asian Theology"''(検閲とアジアの神学の未来)と題した小冊子を纏めた。これに対しバチカンはそれ以上の対応はとっていない。
 
 
 
== 解放の神学者 ==
 
*[[オスカル・ロメロ]] - 2015年に[[列福]]
 
*[[カミロ・トーレス・レストレポ]]
 
*[[エルデル・カマラ]]
 
*[[ジェラール・ジャン=ジュスト]]
 
*[[カルロス・フィリペ・シメネス・ベロ]]
 
*[[ジャン=ベルトラン・アリスティド]]
 
*[[ルベン・アビト]]
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[黒人神学]]
 
*[[フェミニスト神学]]
 
*[[キリスト教社会主義]]
 
 
 
{{日本キリスト教協議会}}
 
{{キリスト教と政治}}
 
  
 
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2019/6/7/ (金) 09:46時点における最新版

解放の神学(かいほうのしんがく、英語: Liberation theology

被抑圧,被差別人民の解放をキリスト教の福音の本質として説く現代キリスト教神学の一潮流。従来の欧米のキリスト教神学は,最も革新的なものをも含めて,白人の神学,ブルジョアジーの神学の制約を脱することができないとして,これを批判,拒否し,真に民衆の立場に立って聖書の神を解放する神として新しくとらえ直すことを説き,イエスの福音も必然的に社会的解放を指向するものであるとする。 1960年代以後アメリカの黒人キリスト教徒,中南米カトリック急進派,アフリカ教会などのなかに台頭してきたもので,特に中南米において大きな影響力をもつ。解放思想のイデオロギー化を排し,思想と実践の相互媒介と統一を強調するところにも特色がある。