ジェイムズ・ハミルトン (第2代アバコーン公爵)

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ファイル:James Hamilton, 2nd Duke of Abercorn.jpg
2代アバコーン公(1910年代)

第2代アバコーン公爵ジェイムズ・ハミルトン: James Hamilton, 2nd Duke of Abercorn1838年8月24日 - 1913年1月3日)は、イギリスの貴族。ガーター勲章勲爵士(KG)、バス勲章コンパニオン勲爵士(CB)、アイルランド枢密顧問官English版

第2代アバコーン侯爵ジェイムズ・ハミルトン(後の初代アバコーン公爵)と、その妻で第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルの娘であるルイーザ・ハミルトンEnglish版の間に長男としてサセックスブライトンで生まれた[1][2][3]1868年に父親がアバコーン公爵に叙されるまでは「ハミルトン子爵」の、1868年から自身が襲爵するまでは「ハミルトン侯爵」の儀礼称号で称された[1][2]

ハーロー校を経てオックスフォード大学クライスト・チャーチで学び、1860年学士号(B.A.)を、1865年修士号(M.A.)を取得[1][2][3]

1860年から1880年までドニゴール州選挙区選出の保守党所属庶民院議員[1][2][3]1863年ティロン州州長官High Sheriff of Tyrone)に任じられる[1][2][3]1865年にはデンマーククリスチャン9世ガーター勲章を授与するための特使としてデンマークへ派遣された[1][2]1866年から1885年までLord of the Bedchamberテンプレート:訳語疑問点として、1886年から1891年までGroom of the Stoleテンプレート:訳語疑問点としてウェールズ公アルバート・エドワード王子(後のイギリス王エドワード7世)に仕えた[1][2][4]1885年に父親の死去により爵位を相続し、加えて父親が就任していたドニゴール州統監Lord Lieutenant of Donegalテンプレート:訳語疑問点や、フリーメーソンアイルランド・グランド・ロッジの団長を引き継いだ[1][2]1887年アイルランド枢密顧問官English版に列せられる[4][3]1901年にはエドワード7世の即位を伝える特使としてデンマーク・スウェーデンノルウェープロイセンザクセンを歴訪し、翌1902年に行われたエドワード7世の戴冠式においては大司馬English版を務めた[2][3]

1865年バス勲章コンパニオンを[1][2][3]1892年ガーター勲章を授けられた[5]。ほかにデンマークからダンネブロ勲章を、ロシアから聖アンナ勲章English版を、オーストリア=ハンガリーから鉄冠勲章English版レオポルト勲章English版を受勲している[3]

ロンドングローヴナー・スクエアEnglish版肺炎のため73歳で死去し、ティロン州ニュータウンスチュワートEnglish版近くのバロンズコートに葬られた[1]

家族

初代ハウ伯爵English版リチャード・カーゾン=ハウEnglish版の娘メアリ・アンナEnglish版1869年1月7日ロンドン聖ジョージ教会English版で結婚した[1][2][3]

出典

外部リンク

名誉職
先代:
初代アバコーン公爵
ドニゴール知事English版
1885年 – 1913年
次代:
ジョン・オルプハート
フリーメイソン
先代:
初代アバコーン公爵
アイルランド・グランドロッジ
グランドマスター
English版

1886年 – 1913年
次代:
第6代ドナウモア伯爵
アイルランドの爵位
先代:
ジェイムズ・ハミルトン
第2代アバコーン公爵
1885年 – 1913年
次代:
ジェイムズ・ハミルトン