ジャンニ・モルビデリ

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ジャンニ・モルビデリ
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
出身地 同・ペーザロ
生年月日 (1968-01-13) 1968年1月13日(56歳)
F1での経歴
活動時期 1990-1992,1994-1995,1997
所属チーム '90 スクーデリア・イタリア
'91-'92 ミナルディ
'91 フェラーリ
'94-'95 アロウズ
'97 ザウバー
出走回数 67
タイトル 0
優勝回数 0
表彰台(3位以内)回数 1
通算獲得ポイント 8.5
ポールポジション 0
ファステストラップ 0
初戦 1990年アメリカGP
初勝利 -
最終勝利 -
最終戦 1997年ルクセンブルクGP
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ジャンニ・モルビデリGianni Morbidelli, 1968年1月13日 - )は、イタリアペーザロ出身のレーシングドライバーである。姓は「モルビデッリ」と表記されることもある。イタリアのオートバイメーカーであるモルビデリ社の御曹司である。身長168cm。

略歴

キャリア初期

12歳でカートレースを始める。1987年にF3にステップアップ、1989年のイタリアF3選手権で6勝をあげチャンピオンとなり、スクーデリア・フェラーリのF1マシンをテストドライブする機会を与えられる。翌1990年から1992年までの3年間、チーム常任テストドライバーを務める。

1990年

エマニュエル・ピロの代役として急遽スクーデリア・イタリアから開幕2戦のみのスポット参戦としてF1選手権にエントリー。開幕戦アメリカGPで予選落ちを喫するが、続く第2戦ブラジルGPで予選16位、決勝14位を記録しF1デビューを果たした。

その後は、国際F3000選手権で1勝、ポールポジション1回を記録。またパオロ・バリッラ離脱に伴い、F1選手権の終盤2戦にミナルディから再びスポット参戦した(2戦ともリタイヤ)。

1991年

前年のスポット参戦の流れで、フェラーリエンジンを搭載したミナルディチームからF1選手権に参戦。チームメイトのピエルルイジ・マルティニと比較すると、やや見劣りする成績だったが、第15戦日本GPでは、予選でマルティニに次ぐ8番手グリッドを獲得。決勝でも一時7位を走行した。

フェラーリのテストドライバーを兼務している関係から、最終戦オーストラリアGPには、突如解雇されたアラン・プロストの代役としてフェラーリから出場。大雨の決勝レースで6位に入り初の入賞を記録。ただし、レースが悪天候により14周で終了した為ハーフポイント制となり、獲得ポイントは0.5点であった。

1992年

ランボルギーニエンジンのミナルディから参戦。しかし、新人のクリスチャン・フィッティパルディが1ポイントを獲得したのに対し、モルビデリは最高位7位で入賞なしという結果に終わった。

1993年

F1のシートを失い、イタリア・ツーリングカー選手権に転向し2勝を記録。

1994年

鈴木亜久里が失ったシートに収まる形でアロウズと契約しF1復帰。再びクリスチャン・フィッティパルディとコンビを組む。開幕戦ブラジルGPでいきなり予選6位を獲得するも5周でギアボックストラブル、第2戦パシフィックGPでは、終盤フィッティパルディに次ぐ5位を走行しながらエンジントラブルに見舞われるなど完走わずか4回の苦しいシーズンながら5位入賞1回、6位入賞1回を記録。4位入賞2回のフィッティパルディと比較すると見劣りする結果となったが予選では16戦中10戦でフィッティパルディを上回った。

1995年

アロウズのエースに昇格。予選では井上隆智穂よりも常に上位につけ、カナダGPで6位入賞。シーズン途中でマッシミリアーノ・パピスにシートを譲ったものの終盤に復帰、最終戦オーストラリアGPで3位入賞。初の表彰台を記録した。

1996年・1997年

1996年は再び正規シートを失い、ジョーダンのテストドライバーとして1年を過ごす。

1997年は、フェラーリのテストドライバーに復帰。またザウバーから7戦に出場したが、テスト中の腕の骨折の影響からか走りに精彩はなく、この年限りでF1を去った。

1998年以降

1998年にイギリスツーリングカー選手権(BTCC)への参戦を開始したが、同じボルボを駆るリカルド・リデルがタイトルを獲ったのに対し、冴えない結果に終わった。

2000年以降はヨーロッパツーリングカー選手権(ETCC)にBMW、2003年と2004年はセアトから参戦した。2004年にはFIA GT選手権にも参戦し、翌年はGT選手権に絞ったためこの年のみツーリングカーレースから遠ざかったが、2006年はETCCから生まれ変わった世界ツーリングカー選手権(WTCC)に参戦した。

この期間中、2001年にはミナルディからのF1復帰などが取り沙汰されたこともあったが、結局実現しなかった。

2007年よりイタリア国内を中心に争われるツーリングカーレースのスーパースターズシリーズに参戦。イタリアンシリーズで2007年からの3連覇を含む4度のチャンピオン、2009年、2013年にはインターナショナルシリーズとの2冠を達成している。また、2009年には事実上最後のシーズンとなったスピードカー・シリーズを制している。

2014年は8年ぶりに世界ツーリングカー選手権(WTCC)に復帰、シボレーRMLクルーズTC1を駆る。5月のハンガロリンクでレース2を制し、WTCC初勝利を飾った。モルビデリがFIA世界選手権格式のレースを制したのはこれが初めてである。

2015年より、TCRインターナショナルシリーズにホンダ・シビックで参戦。3勝、ランキング4位。10月には世界ラリークロス選手権にスポット参戦した。

2016年はTCRインターナショナルシリーズで1勝、ランキング6位。2017年はシビックからゴルフGTi TCRカーに乗り換え、[1]2勝、ランキング6位。

50歳を迎えた2018年シーズンは、世界ツーリングカー選手権とTCRインターナショナルシリーズが統合した「FIAワールド・ツーリングカー・カップ(WTCR)」にアルファロメオ・ジュリエッタで参戦した[2] が低迷し、7月に所属チームが契約解除を発表した。

F1

カーナンバー

  • 21 (1990年第1.2戦)
  • 24 (1990年第15戦~1991年第15戦.1992年)
  • 27 (1991年第16戦)
  • 10 (1994年)
  • 9 (1995年第1~7.15~17戦)
  • 17 (1997年第6.7.11~16戦)

年度別成績

所属チーム シャシー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 WDC ポイント
1990年 スクーデリア・イタリア BMS190 USA
DNQ
BRA
14
SMR MON CAN MEX FRA GBR GER HUN BEL ITA POR ESP NC
(33位)
0
ミナルディ M190 JPN
Ret
AUS
Ret
1991年 M191 USA
Ret
BRA
8
SMR
Ret
MON
Ret
CAN
Ret
MEX
7
FRA
Ret
GBR
11
GER
Ret
HUN
13
BEL
Ret
ITA
9
POR
9
ESP
14
JPN
Ret
24位 0.5
フェラーリ 643 AUS
6
1992年 ミナルディ M191B RSA
Ret
MEX
Ret
BRA
7
ESP
Ret
NC
(22位)
0
M192 SMR
Ret
MON
Ret
CAN
11
FRA
8
GBR
17
GER
12
HUN
DNQ
BEL
16
ITA
Ret
POR
14
JPN
14
AUS
10
1994年 フットワーク FA15 BRA
Ret
PAC
Ret
SMR
Ret
MON
Ret
ESP
Ret
CAN
Ret
FRA
Ret
GBR
Ret
GER
5
HUN
Ret
BEL
6
ITA
Ret
POR
9
EUR
11
JPN
Ret
AUS
Ret
22位 3
1995年 FA16 BRA
Ret
ARG
Ret
SMR
13
ESP
11
MON
9
CAN
6
FRA
14
GBR GER HUN BEL ITA POR EUR PAC
Ret
JPN
Ret
AUS
3
14位 5
1997年 ザウバー C16 AUS BRA ARG SMR MON ESP
14
CAN
10
FRA GBR GER HUN
Ret
BEL
9
ITA
12
AUT
9
LUX
9
JPN
DNS
EUR NC
(22位)
0
  •  : ハーフポイント。レース周回数が75%未満で終了したため、得点が半分となる。

脚注

  1. World Sporting Consulting LTD (2017年). “WestCoast Racing and Morbidelli switch to VW” (英語). . 2017年3月6日閲覧.
  2. 株式会社サンズ「AUTOSPORTweb」 (2018年). “WTCR:オールイタリアン実現。ジャンニ・モルビデリがアルファロメオで参戦決定” (日本語). . 2018年3月30日閲覧.

関連項目

外部リンク

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