ヴワディスワフ1世ヘルマン
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ヴワディスワフ1世ヘルマン(Władysław I Herman, 1043年 - 1102年6月4日)は、ポーランド公。カジミェシュ1世と王妃マリア・ドブロニエジェの次男として生まれた。兄のポーランド王ボレスワフ2世が亡命を余儀なくされたあと、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の支援を受けて公位に就いた。
子女
氏名不詳の愛妾との間に、一子をもうけた。
- ズビクニェフ(1073年 - 1114年)
1080年、ユディタ・プレミシュロヴナ(ボヘミア公ヴラチスラフ2世の娘)と結婚。
- ボレスワフ3世(1085年 - 1138年)
1088年、ユディト・フォン・ウンガルン(ハインリヒ3世の娘で、ハンガリー王シャラモンの未亡人)と結婚。3子が生まれたが成長したのは一人である。
- 娘(? - 1112年?) - ヴォルィーニ公ヤロスラフ・スヴャトポルコヴィチと結婚[1]
- アグニェスカ(1090年 - 1125年) - 尼僧
脚注
- ↑ Jiří Louda, Michael Maclagan, Lines of Succession, Little,Brown & Company, 1981., p.263