開かれた社会とその敵

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開かれた社会とその敵』(ひらかれたしゃかいとそのてき、The open society and its enemies)は、第二次世界大戦中にカール・ポパーによって著され、広く読まれることになった2巻本である。合衆国では版元が見つからず、1945年にロンドンのルートリッジ出版社から最初に出版された。

出版

ポパーが戦争の間、2つの大洋をこえてニュージーランドという学問的辺境で著述していたころ、哲学や社会科学の真の名士達がこの著作の出版に携わっていた。エルンスト・ゴンブリッチ(出版社の手配の主要な役割を任された)、フリードリヒ・ハイエクロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにポパーを招聘しようとし、それゆえ社会哲学へのポパーの回帰に感激した)、ライオネル・ロビンズハロルド・ラスキ(この2人に原稿がレビューされた)、ジョン・フィンドレイらがその中にいた。3つのタイトル候補が取り下げられた後に、著作のタイトルを提案したのはフィンドレイであった(「一般人のための社会哲学」(A Social Philosophy for Everyman)が原稿の原題だった。「三人の偽予言者 プラトン、ヘーゲル、マルクス」(Three False Prophets: Plato-Hegel-Marx)と「政治哲学批判」(A Critique of Political Philosophy)もまた考慮の末に拒否された)。

内容

『開かれた社会とその敵』において、ポパーは歴史主義の批判と「開かれた社会」、自由民主主義の擁護とを展開した。この著作は2巻本であり、第1巻は「プラトンの魔力」 (The Spell of Plato[1] 、第2巻は「予言の絶頂 ヘーゲル、マルクス、その余波」(The High Tide of Prophecy: Hegel, Marx, and the Aftermath[2] と副題が付けられた。

第1巻の副題はまたその中心的な前提でもある。すなわち、古くからのほとんどのプラトン解釈者は彼の偉大さに惑わされてきた。その際、ポパーは次のように論じる。彼らはプラトンの政治哲学を、欺瞞、暴力、支配者のレトリック、優生学の恐ろしい全体主義的な悪夢として理解するべきであるのに、むしろ害のない牧歌とみなしてきた。

彼の時代の主なプラトン学者と対照的に、ポパーは、プラトンの後年におけるアイデアが彼の師ソクラテス人道主義的で民主主義的な傾向をなんら説明しないことを主張して、プラトンの思想をソクラテスの思想から分離させた。特に、ポパーは『国家』においてプラトンがソクラテスを裏切ったと非難した。『国家』では、プラトンはソクラテスを全体主義に共感するものとして描いている(ソクラテス問題を見よ)。

ポパーは、社会改革と社会的不満についてのプラトンの分析を称えるが、その解決については拒絶した。これは、切望されやっと生まれでた「開かれた社会」としてのアテナイ民主主義の新興の人道主義的理念についてポパーの読みに依っている。彼によると、プラトンの歴史主義的な考えは、そのような自由主義的な世界観に伴う変化への恐れによって動かされている。ポパーは、プラトンが自身の虚栄心の犠牲者であったとも示唆している。プラトンの構想は最高の哲人王になることために設計されている。

第2巻において、ポパーはヘーゲルマルクスを批判することへと移る。そこで、2人の考えをアリストテレスへとさかのぼり、2人が20世紀の全体主義の根源であることを論じる。

日本語訳

参考文献

外部リンク