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株式会社奥村組(おくむらぐみ)は、本店を、大阪市阿倍野区に、本社を大阪市阿倍野区と東京都港区に置く建設会社(中堅ゼネコン)。道路や鉄道などのトンネル関係に強い。
技術では、地震による構造物への被害を減少させる建築技術の免震構法、日本初の六角形のセグメントとなるハニカムセグメント・コンクリートを再利用するリバースコンクリート技術など、建築・土木・リサイクル分野において同社独自の新技術を開発、高度な技術力をもつゼネコンとして評価が高い。経営面では、「堅実経営」「誠実施工」を標榜し、良好な財務体質により企業経営の安定性も評価されている。
同じ大阪に本社を置く竹中工務店・錢高組・鴻池組・淺沼組と並ぶ在阪ゼネコンの一つ。
沿革
- 1907年(明治40年)- 奥村太平が個人企業として土木建築請負業を創業。
- 1928年(昭和3年)1月 - 東京支店を開設。
- 1932年(昭和7年)2月 - 八幡支店を開設。
- 1938年(昭和13年)3月 - 法人組織に改組し、株式会社奥村組を設立。(資本金48万円)
- 1946年(昭和21年)6月 - 広島支店開設。
- 1948年(昭和23年)4月 - 高松支店開設
- 1949年(昭和24年)10月 - 建設業法による建設大臣登録(イ)第76号の登録。
- 1953年(昭和28年)3月 - 奥村機械製作株式会社を設立。(現・連結子会社)
- 1958年(昭和33年)8月 - 名古屋支店を開設。
- 1962年(昭和37年)9月 - 大阪証券取引所市場第二部に株式を上場。
- 1963年(昭和38年)2月 - 八幡支店を九州支店に改称。
- 1963年(昭和38年)8月 - 大阪証券取引所市場第一部に指定。
- 1963年(昭和38年)8月 - 東京証券取引所市場第一部に株式を上場。
- 1964年(昭和39年)4月 - 高松支店を四国支店に改称。
- 1966年(昭和41年)6月 - 本店を大阪市阿倍野区松崎町一丁目51番地に移転。
- 1966年(昭和41年)6月 - 関西支店開設
- 1969年(昭和44年)3月 - 札幌支店、仙台支店を開設。
- 1970年(昭和45年)2月 - 太平不動産株式会社を設立(現・連結子会社)
- 1972年(昭和47年)5月 - 定款の事業目的に住宅事業並びに不動産取引等を追加。
- 1978年(昭和53年)10月 - 宅地建物取引業法による建設大臣免許(1)第1688号を取得。
- 1978年(昭和53年)11月 - 建設業法の改正により、建設大臣許可(特-48)第2200号を取得。
- 1980年(昭和55年)5月 - 本店を大阪市阿倍野区松崎町二丁目2番2号に移転。
- 1980年(昭和55年)6月 - 定款の事業目的に建設工事用機械器具及び建設工事用鋼材製品の設計、製造、修理、加工、販売等を追加。
- 1981年(昭和56年)11月 - ルクセンブルグ証券取引所に欧州預託証券を上場。
- 1984年(昭和59年)6月 - 定款の事業目的に海上運送事業、陸上運送事業等を追加。
- 1986年(昭和61年) - 日本初の免震ビル・技術研究所管理棟を完成。
- 1986年(昭和61年)4月 - 関西支店を関西支社に、東京支店を東京支社に改称。
- 1987年(昭和62年) - 日本初の「免震マンション工事」を受注。
- 1993年(平成5年)9月 - ルクセンブルグ証券取引所に欧州預託証券を上場廃止。
- 1996年(平成8年)4月 - 仙台支店を東北支店に改称。
- 2000年(平成12年)6月 - 定款の事業目的に土木建築その他の工事の測量、設計、請負、作業の監督に関するコンサルティング等、公共施設並びに民間施設の維持管理、運営及び保有等及び環境整備、資源循環、公害防止等に関する企画、調査、管理、施工、コンサルティング、設備の設計、積算等を追加。
- 2006年(平成18年)6月 - 定款の事業目的にコンピュータによる情報処理に関するソフトウェアの開発及び販売を追加。
- 2007年(平成19年) - 創業100年。
- 2008年(平成20年)10月 - 東京支社、関西支社を東日本支社、西日本支社に改称、東京支店、関西支店開設。
- 2009年(平成21年)6月 - 定款の事業目的に労働者派遣事業を追加。
主な受注工事
- 1929年 - 復興局 「三吉橋新設工事(関東大震災復旧工事)」。
- 1932年 - 「大阪電気軌道(近畿日本鉄道の前身)・鶴橋駅付近高架橋工事」。
- 1944年 - 「日本製鐵(新日鐵住金の前身)・戸畑電接管工場工事」。
- 1955年 - 「通天閣」工事。
- 1961年 - 「東海道新幹線・切山ずい道工事」。
- 1962年 - 大阪証券取引所第2部に上場。「奈良県庁舎工事」。(1966年、BCS賞受賞)
- 1968年 - 「万国博ホール(EXPO HALL)工事」。
- 1974年 - 「津軽海峡線・青函トンネル工事」。
- 1977年 - 「常磐自動車道・楢戸工事」、「上越新幹線・上毛高原駅工事」、「横浜スタジアム工事」。
- 1992年 - 「天王寺MiO(天王寺ターミナルビル)工事」。
- 2001年 - 「ハニカムセグメントを用いた同時施工法」が第3回国土技術開発賞最優秀賞を受賞。(国土交通大臣表彰)
「プロジェクトX」
奥村組は幾度かNHKのドキュメンタリー番組「プロジェクトX」にも取り上げられた。下記は同番組の第72回「通天閣 熱き7人」の放送内容の概要。
大阪のシンボル通天閣は火災をきっかけに戦時中の金属献納運動のため、1943年(昭和18年)2月25日、解体された(鉄材約300トン)。終戦後10年を経て、地元新世界の人々は「自分達の手で通天閣を再建しよう」と資金を出し合い、通天閣観光株式会社を設立。大阪市の協力を得、早稲田大学教授・内藤多仲工学博士に設計を依頼、図面完成と同時に奥村組に施工の申し越しがあった。当時の企業規模からすると大きなリスクを伴う物件であったが「地元のことでもあり、また成功すれば会社にとっての財産になる」と奥村太平(当時社長)は受注することを決し、着工に至った。地元住民の注目を集めるなか、1956年(昭和31年)10月、高さ103メートルの通天閣が完成した。
また、下記は第161回「鉄道分断 突貫作戦 奇跡の74日間」(阪神・淡路大震災10年追悼特集 JR神戸線六甲道駅復旧・奥村組 1月11日)の放送内容の概要。
1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災でJR神戸線六甲道駅一帯が崩落し、復旧までには最低でも2年はかかるといわれていた。ところが奥村組は、わずか2ヶ月で復旧させもとの姿に戻した。インフラの復旧は、被災者・被災地にとって最も重要なもののひとつで、不眠不休での復旧作業は地元住民から高い評価を受けた。
CM出演者
- 森川葵(2018年1月 - ) - 高校生時代にインテリアデザインを学んだ縁で、同年から大阪国際女子マラソンのスポンサー契約を結んだことを機に作られた「建設LOVE」という企業CMシリーズに、「奥村組の新人社員・奥村くみ」という役柄で出演[2]。
関連会社
- 奥村機械製作株式会社
- 太平不動産株式会社
- オーエステー工業株式会社
スポンサー活動
- 大阪国際女子マラソン - 第37回(2018年)から第40回記念(2021年)まで協賛。それに伴うコーポレートメッセージは「人と自然を、技術で結ぶ。」になった。
- 日経スペシャル ガイアの夜明け - 2018年2月6日よりテレビ東京系列にて複数社の1社として提供開始。
脚注
関連項目
- 奥村記念館
- 通天閣
- 志賀直哉旧居(奈良市)
- 日本の企業一覧 (建設)