「澤井良輔」の版間の差分

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[[2010年]]からは、[[メットライフ生命保険|メットライフアリコ]]で営業として勤務している<ref>{{Cite web|url=http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20111228/bbl1112280849000-n1.htm |title=保険営業マンとして活躍!“新人王”に輝く |publisher=zakzak |date=2011-12-28 |accessdate=2011-12-28}}</ref>。
 
[[2010年]]からは、[[メットライフ生命保険|メットライフアリコ]]で営業として勤務している<ref>{{Cite web|url=http://www.zakzak.co.jp/sports/baseball/news/20111228/bbl1112280849000-n1.htm |title=保険営業マンとして活躍!“新人王”に輝く |publisher=zakzak |date=2011-12-28 |accessdate=2011-12-28}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
 
=== 年度別打撃成績 ===
 
{| {{年度別打撃成績|リーグ=日本プロ野球}}
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|1998}}
 
|rowspan="5" style="text-align: center;"|[[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]]
 
|2||2||2||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||0||1||0||.000||.000||.000||.000
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|2000}}
 
|9||10||10||2||2||0||0||1||5||1||0||0||0||0||0||0||0||3||0||.200||.200||.500||.700
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|2001}}
 
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|-
 
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|41||73||68||6||12||2||0||3||23||8||0||0||0||0||4||0||1||17||1||.176||.233||.338||.571
 
|-
 
|style="text-align: center;"|{{by2|2003}}
 
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|-
 
!colspan="2"|通算:5年
 
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|}
 
 
=== 記録 ===
 
* 初出場:1998年9月8日、対[[福岡ソフトバンクホークス|福岡ダイエーホークス]]22回戦(千葉マリンスタジアム)、7回裏に[[吉鶴憲治]]の代打で出場
 
* 初安打:2000年6月1日、対[[大阪近鉄バファローズ]]11回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に[[ボブ・ウォルコット]]から中前安打
 
* 初本塁打・初打点:2000年6月8日、対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハムファイターズ]]11回戦(千葉マリンスタジアム)、9回裏に[[伊藤剛 (野球)|伊藤剛]]から右越ソロ
 
* 初先発出場:2000年6月9日、対[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]11回戦([[西武ドーム]])、8番・[[三塁手]]として先発出場
 
 
=== 背番号 ===
 
* '''10''' (1996年 - 2004年)
 
* '''32''' (2005年)
 
* '''99''' (2008年 - 2009年)
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==

2018/9/27/ (木) 08:41時点における最新版

澤井 良輔(さわい りょうすけ、1978年3月9日 - )は、千葉県銚子市出身の元プロ野球選手内野手)。

来歴・人物

小学生の頃は運動が苦手だったが、仲間はずれになりたくないとの理由で4年から野球を始める。元々は右打ちだったが、中学3年の時に左打ちを試したところ右打ちより飛んだという。憧れだった篠塚利夫と同じ銚子商業高に進学し主軸として大活躍。3年生時に春夏連続甲子園出場。第67回選抜では準優勝、第77回全国選手権は3回戦敗退。そのパワーとスター性はプロ級と評判になり、「西の福留・東の澤井」とまで言われた。福留とは交友関係があったが、2人をライバルとして扱うマスコミには不快感を覚えていた。

1995年度ドラフト会議では福留のハズレ1位としてロッテから指名を受けた。澤井はセ・リーグ志望で当時アマチュア限定だったオリンピックへの出場も考えていたが、この年ロッテがボビー・バレンタインのもとで2位に躍進したことや女手一つで育てた母親への恩返しを考えて入団を決意した。1年目はプロの変化球に歯が立たず、大学出のほうが活躍するケースが多いことから自分も大学に進むべきだったと後悔したという。1997年はルーキーリーグ・アリゾナ・パドレスに野球留学した。4年目に肘を傷めて手術。2000年にプロ初安打を放ち2002年にはシーズン開幕戦をスタメンで飾るが、翌年右肩を故障したことで出場機会がなくなり2005年シーズン終了時に戦力外通告を受け、トライアウトにも参加せず引退した。

その後、森田健作が新たに設立した社会人クラブチーム『千葉熱血MAKING』に入団。2006年、千葉熱血MAKINGでのプレーの傍ら、インターネット放送局marines.tvの「1ch「Game Live!」」に不定期で解説者として出演(2007年度も引き続き担当)。9月1日より千葉熱血MAKINGのライバルチームである「サウザンリーフ市原」に移籍、選手兼任コーチとなる。

2008年BCリーグ群馬ダイヤモンドペガサスの野手コーチとなる。背番号は992009年限りで退団。

2010年からは、メットライフアリコで営業として勤務している[1]

脚注

  1. 保険営業マンとして活躍!“新人王”に輝く”. zakzak (2011年12月28日). . 2011閲覧.

関連項目

外部リンク