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'''蛭子 能収'''(えびす よしかず、[[1947年]][[10月21日]] - )は、[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]、[[タレント]]、[[エッセイスト]]、[[ギャンブラー]]、[[俳優]]、[[映画監督]]。[[ファザーズコーポレーション]]所属。
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'''蛭子 能収'''(えびす よしかず、[[1947年]][[10月21日]] -
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[[日本]]の[[漫画家]]、[[イラストレーター]]、[[タレント]]、[[エッセイスト]]、[[ギャンブラー]]、[[俳優]]、[[映画監督]]。[[ファザーズコーポレーション]]所属。
  
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
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主な著書に漫画で『[[地獄に堕ちた教師ども]]』『[[私はバカになりたい]]』『私の彼は意味がない』『私は何も考えない』『なんとなくピンピン』『家族天国』『蛭子能収コレクション』、エッセイで『正直エビス』『ヘタウマな愛』『こんなオレでも働けた』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』などがある。
 
主な著書に漫画で『[[地獄に堕ちた教師ども]]』『[[私はバカになりたい]]』『私の彼は意味がない』『私は何も考えない』『なんとなくピンピン』『家族天国』『蛭子能収コレクション』、エッセイで『正直エビス』『ヘタウマな愛』『こんなオレでも働けた』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』などがある。
  
== 経歴 ==
 
=== 生い立ち ===
 
[[1947年]](昭和22年)[[10月21日]]、[[熊本県]][[牛深市]](現[[天草市]])生まれ<ref name="ebisugao">『くらたまのえびす顔』(ゴマブックス)著者紹介より。</ref>、[[長崎県]][[長崎市]][[戸町]]育ち<ref name=nhk110213>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/わたしが子どもだったころ/466400|title=TVでた蔵「2011年2月13日放送 わたしが子どもだったころ」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2011-02-13|accessdate=2015-03-28}}</ref>。5歳上の兄と8歳上の姉がいる末っ子。
 
 
少年時代は[[貸本劇画]]誌『[[日の丸文庫|影]]』や『[[セントラル文庫|街]]』を愛読しており、[[山森ススム]]や[[辰巳ヨシヒロ]]の[[劇画]]を好んで読んでいた<ref>マガジン・ファイブ『蛭子能収コレクション 地獄編』(2003年)p.178</ref>。[[映画]]にも関心を持ち、[[勅使河原宏]]監督の『[[砂の女]]』など[[アバンギャルド|前衛映画]]も進んで鑑賞した<ref>マガジン・ファイブ『蛭子能収コレクション 映画編』(2004年)-「砂の女」の章より。</ref>。
 
 
中学2年生の時に、不良グループに強制的に入らされ、[[いじめ]]を受けていた<ref name="Billy">スーパー変態マガジン『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])1982年3月号 63-66頁「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/205602 山崎春美のスーパー変態インタビュー 連載第3回 女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収]」(構成:[[山崎春美]])</ref>。使い走りや持参した[[弁当]]を[[飯|ご飯]]と[[梅干し]]だけの[[日の丸弁当]]に無理矢理交換させられたり、学校で事件が起こると濡れ衣を着せられていた。家に帰るとノートに嫌ないじめっ子を殺す漫画をひたすら描いて、学校の不満などを発散させていたという<ref>{{Cite news|title=〔ワイドインタビュー問答有用〕/678 さすらいのギャンブラー=蛭子能収・漫画家、タレント|newspaper=[[毎日新聞出版]]『[[エコノミスト (日本の雑誌)|エコノミスト]]』4534号|date=2018年1月23日|page=46-49}}</ref>。この頃の将来の夢は「どこかの会社の[[事務員]]になること」であった<ref>[https://web.archive.org/web/20150429174641/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people01.html 地上にはない美しさを求めて…黒いエビちゃん!笑う悪魔、地下住人の星・蛭子能収がOG降臨! (1/6) ] OCN TODAY</ref>。
 
 
[[長崎市立長崎商業高等学校|長崎商業高等学校]]時代は兄の勧めで美術クラブに所属する。そこで初めて[[グラフィックデザイン]]に出会い、[[横尾忠則]]、[[宇野亜喜良]]、[[粟津潔]]、[[亀倉雄策]]、[[佐伯俊男]]に大きな影響を受ける。[[グラフィックデザイナー]]志望であったが、高校卒業後に地元の看板店に就職<ref name="Billy" />。当初からいずれは会社を辞めたいと思っていたと言い、看板店の同僚が主宰する漫画サークルに参加する。看板店には[[1965年]]から4年半勤務し、看板設置などをしていたが<ref>{{Cite web | date =2007-09-25 | url =http://doraku.asahi.com/hito/interview/html/070925.html | title =蛭子能収さん - インタビュー ? ひと ? | publisher =どらく DORAKU |accessdate=2010-05-07}}</ref>、漫画サークルで『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』[[1968年]]6月増刊号「[[つげ義春]]特集」を読み『[[ねじ式]]』に感銘を受け「[[日本万国博覧会|大阪万博]]を見に行く」と嘘をつき[[1970年]]に無断で上京する。
 
 
=== 上京 ===
 
上京後は出版社や映画会社に勤めようとするが高卒を理由に断られ、再び[[看板職人|看板屋]]の職に就く<ref name="baitoru">{{Cite web|url=http://www.baitoru.com/contents/star/37/|title=蛭子能収 インタビュー|publisher=バイトル|date=|accessdate=2015-03-28}}</ref>。看板屋では事ある毎に自分を執拗に怒鳴りつける先輩のしごきに耐える寮生活を送り、憤慨した蛭子は先輩の同僚を残酷に殺す漫画を描くなど、創作活動に当時の不満をぶつけていた<ref group="注釈">この看板屋時代の先輩を残酷に殺す漫画は『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』[[1974年]]3月号掲載の「仕事風景」([[青林工藝舎]]刊 『[[地獄に堕ちた教師ども]]』収録)にて確認できる。</ref>。
 
 
またこの頃から[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]関連の前衛映画を数多く鑑賞し、[[映画監督]]に憧れて[[青山 (東京都港区)|青山]]にあるシナリオセンターに1年ほど通っていた時期もあるが<ref name=baitoru/>、「誰とも喋った記憶が無い」ほど孤独な日々を過ごしていたという<ref name="Billy" /><ref name="takarajima">『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』1993年2月9日号 82-86頁「日本一カルトなおじさん漫画家 蛭子能収大研究」(聞き手:[[手塚能理子]]/寄稿:[[根本敬]]+[[みうらじゅん]])</ref><ref name="garomandara">[[TBSブリタニカ]]刊『ガロ曼陀羅』(1991年)p.98-p.100 蛭子能収「チャンスをくれたガロ」より。</ref>。卒業制作に書いたシナリオも「起と承しかなくて転結がない」と講師に酷評される<ref name="Billy" /><ref name="takarajima" />。ほどなく映画監督への道を諦め、最初から最後まで一人で作業が出来る[[漫画家]]に転向。[[劇画]]雑誌『[[ヤングコミック]]』([[少年画報社]])に持ち込みを行うが落選する<ref name="garo1995">『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1995年4月号/蛭子能収インタビュー</ref>。
 
 
[[1973年]]春、憧れの雑誌であった『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の発行元である[[青林堂]]に持ち込みを行う<ref name="garomandara" />。投稿1作目の「[https://web.archive.org/web/20150406234845/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people02.html 狂気が彷徨う]」は編集長の[[長井勝一]]にストーリーは評価されたものの、絵が技術不足であるという理由で落選する<ref name="garomandara" /><ref name="OCN TODAY2">[https://web.archive.org/web/20150406234845/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people02.html 驚愕の趣味嗜好が明らかに…黒いエビちゃんの興奮ポイントに一同唖然! (2/6) ] OCN TODAY</ref>。その後、蛭子は苦手な[[Gペン]]をやめて[[製図ペン]]に乗り換え<ref>[https://mainichi.jp/articles/20161211/ddm/013/070/031000c 蛭子さんの自由が一番 なんとか漫画家になれた=蛭子能収] [[毎日新聞]] [[2016年]][[12月11日]] 東京朝刊</ref>、3か月後、青林堂に2作目となる原稿を持ち込み、ついに長井に才能を見出される。
 
 
=== 『ガロ』入選 ===
 
『'''[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]'''』([[青林堂]])1973年8月号掲載の入選作「'''[[パチンコ]]'''」でプロの漫画家としてデビューを果たす<ref name="ebisugao" />。このデビュー作はタイトルが「パチンコ」であるがパチンコは一切出てこず、「パチンコに行こうとしても行けずに[[百貨店]]を彷徨う男」を描いた奇妙なストーリーに仕上がっており、実際に見た夢に創作を交えて漫画にしている。
 
 
憧れていた『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』で漫画家デビューを飾ったことについて蛭子は「ガロに入選するのは夢だったから、この時の喜びが今までの人生の中で一番嬉しかった。入選の通知を開けて狭い六畳のアパートで女房と一緒に飛び上がって喜んだ」と回想しているが<ref name="garomandara" />、[[青林堂]]の経営難により原稿料が支払われることはなかった。
 
 
蛭子によれば、2作目を青林堂に持ち込んだ帰り際、事前に[[長井勝一]]から「もし『ガロ』に入選して載ったとしても、原稿料は払えないんだけど、それでもいいですか」と説明を受けていたというが、蛭子は入選を期待して「ええ、お金なんて、いいです」と言って青林堂を後にしたという<ref name="garomandara" />。後に長井はノー[[ギャランティー|ギャラ]]でも蛭子が『ガロ』に漫画を描き続けてくれたことに感謝の弁を述べている<ref name="nagai">『月刊漫画ガロ』(青林堂)1995年4月号/長井勝一インタビュー</ref>。
 
 
=== ダスキン時代 ===
 
[[File:Duskin_Yanagawa.jpg|thumb|[[ダスキン]]工場のひとつ。蛭子が勤務していた有限会社ダスキン練馬は現在も事業を継続している<ref>[https://www.duskin-nerima.com/会社案内/ ダスキン練馬 会社案内]</ref>。]]
 
私生活では、長女の史英が生まれた[[1972年]]に結婚<ref name=ns/>。しかし、金銭的には困窮しており、[[古紙#ちり紙交換|ちり紙交換]]の職に就くが、[[1974年]]に長男の一郎が生まれたのを機に漫画を趣味と割り切り、[[ダスキン|有限会社ダスキン練馬]]の[[営業職|セールスマン]]になる。[[サラリーマン]]時代の自身については、「どんな時でも目立たずに、自己主張なんてことは一切せず、何もかも上司の言いなりに動く会社員でしたね。まぁオレの性格が意見とかそういうのが言えないから、めんどくさい業務とか残業なんかも頼まれると断りたいけど断れないんですよ。心の貧しい生活を強いられている、それがサラリーマンだと思っていたんですよね」と回想している<ref name="OCN TODAY2" />。
 
 
その後、[[糸井重里]]と[[湯村輝彦]]が共作した[[ギャグ漫画|不条理漫画]]『[[ペンギンごはん]]』シリーズに刺激を受けるが、漫画では[[収入]]を一銭も得る事ができず、デビューから2年程で寡作になり、[[1976年]]7月号掲載の「[[地獄に堕ちた教師ども|愛の嵐]]」を最後に沈黙。以降『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』での執筆は[[1981年]]6月号掲載の「[[地獄に堕ちた教師ども|地獄のサラリーマン]]」まで5年間途絶えることになる。次第に蛭子は職業漫画家に限界を感じるようになり、郷里の長崎に帰る決意を固める<ref name="nagai" /><ref name="spectator">[http://www.shipsmag.jp/2017summer/article/484 「パンクマガジン『Jam』の神話」ヘタウマ・イラストレーションにまつわる対談]スペクテイター 2017年</ref>。
 
 
[[1979年]]頃、蛭子は[[長井勝一]]に別れの挨拶を述べるため[[神田神保町]]にあった[[青林堂]]を訪れた<ref name="nagai" /><ref name="spectator" />。しかし、蛭子の才能を惜しんだ長井は「単行本を出版して応援するから、あと一年頑張ってみて売れなかったら帰ればいい」と説得し<ref name="nagai" /><ref name="spectator" />、蛭子は安堵した様子で青林堂を後にしたという<ref name="nagai" />。後に長井は「俺も蛭子さんの才能はただものじゃないと思ってたから、あのとき力になれて本当によかったと思っているよ」と回想している<ref name="nagai" />。
 
 
=== 自販機本『Jam』で再デビュー ===
 
[[File:Porn vending machines in Japan.jpg|thumb|蛭子が執筆していた[[自販機本|自動販売機専用のエロ本]]の中でも『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』は際立って特殊な存在だった。]]
 
[[1979年]]、[[高杉弾]]と[[山崎春美]]の依頼により、伝説的[[自販機本]]『'''[[Jam (自販機本)|Jam]]'''』4号掲載の「'''[[私はバカになりたい|不確実性の家族]]'''」にて再デビューを果たす<ref name="Billy" /><ref name="baitoru" /><ref name="OCN TODAY3">[https://web.archive.org/web/20150407052847/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people03.html 不条理旋風、始動!プロ漫画家・蛭子能収、堂々のデビュー!! (3/6) ] OCN TODAY</ref><ref name="weeklypost">{{Cite web|url=https://www.news-postseven.com/archives/20180303_655314.html|title=蛭子能収氏 漫画家復帰を後押しした“自販機本”への恩義|publisher=[[小学館]]『[[週刊ポスト]]』2018年3月9日号|date=2018-03-01|accessdate=2018-03-15}}</ref><ref name="hisokana">[[講談社]]文庫版『エビスヨシカズの秘かな愉しみ』([[1998年]])p.130-132</ref>。またこの時に漫画家としての収入を初めて得る<ref name="baitoru" />。
 
 
同誌では「天才漫画家・蛭子能収 Jamでカムバック!」という触れ込みで紹介され、[[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]/[[山崎春美#TACO|TACO]]の[[山崎春美]]に「天才漫画家の呼び声高く[[ガロ (雑誌)|ガロ]]以来久々に再登場した[[ダスキン]]の[[営業職|セールスマン]]。生活の地獄より抽出されたかと見まごう極致の作品には、[[世紀末]]自暴自棄の[[止揚]]が見られる。とか何とかなにせ解釈不能」と評された<ref>[[エルシー企画|ジャム出版]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』特別ゲリラ号 - [[山崎春美]]「X人名辞典」</ref>。
 
 
以降も[[青林堂]]の編集者で漫画家の[[渡辺和博]](当時の『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』編集長){{Refnest|group="注釈"|「'''ナベゾ'''」という[[愛称]]で親しまれた[[青林堂]]の元[[編集者]]。[[1979年]]当時は『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』編集長だった。『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』初代編集長の[[高杉弾]]とは生涯にわたる友人で同誌には多数の漫画を執筆した。また蛭子能収、[[根本敬]]、[[みうらじゅん]]、[[しりあがり寿]]、[[湯村輝彦]]と並ぶ[[ヘタウマ]]ブームの仕掛人の一人でもあり、[[1984年]]に渡辺が上梓した『金魂巻』(キンコンカン)は[[ベストセラー]]となり、同書の中で渡辺が作り出した[[造語]]「'''[[渡辺和博#○金・○ビ|○金・○ビ]]'''」は同年の第1回[[新語・流行語大賞|流行語大賞]]を受賞する。後に蛭子は著書『ひとりぼっちを笑うな』の中で「渡辺さんのような上手いのか下手なのかよくわからない絵、いわゆる“[[ヘタウマ]]”のイラストが流行ったんですね。そんな状況下だったからこそ、僕の漫画も受け入れられた。僕が描いていた『ガロ』という雑誌に渡辺さんも描いていたから、それで注目されたっていうのもあったんじゃないかなあ」と回想しており、自身の漫画家人生にも少なからず渡辺の影響があったとしている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第二章 『自己主張』はしない」の中「運も実力のうち」より。</ref>。また[[山崎春美]]によれば当時行方知れずだった蛭子の所在を『Jam』編集部に教えたのも渡辺であったという<ref name="Billy" />。}}との交代を挟みつつ隔月で同誌に作品を発表。後継誌『'''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]'''』([[アリス出版]]/[[群雄社出版|群雄社]])でも引き続き連載を持つ<ref name="baitoru" />。また支払われた原稿料も1頁4000円と高額であり、当初は半信半疑だった蛭子も銀行に振り込まれた16頁分の原稿料6万4000円を手にして「プロの漫画家として人生をやり直すことができるかもしれない」と希望を抱き始める<ref>[[朝日新聞出版]]『[[AERA]]』1990年6月5日号</ref>。[[1980年]][[1月]]には『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の実質的な最終号となった特別ゲリラ号に自身の代表作となる「'''[[地獄に堕ちた教師ども]]'''」を発表する。
 
 
なお漫画家人生の転機となった[[高杉弾]]編集の『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』は[[自販機本]][[ニュー・ウェーブ|ニューウェーブ]]の嚆矢として知られ、創刊にあたり[[山口百恵]]宅の[[ゴミ漁り]]を決行し、使用済み[[生理処理用品|生理用品]]を写真付きで無断公開するといった挑発的な爆弾企画をはじめ、[[インディーズ]]・[[パンク・ロック|パンク]]や[[イリーガル]]・[[薬物乱用|ドラッグ]]の紹介、果ては[[皇室]]、[[臨済宗|臨済禅]]、[[神秘主義]]、[[アバンギャルド|前衛芸術]]、[[カルト映画|カルトムービー]]、[[脱法ドラッグ]]、[[接写]][[ヌード]]、[[プロレス]]、[[オカルト]]、[[ビート・ジェネレーション|ビートニク]]、[[スーフィズム]]、[[サイケデリック]]、[[ニュー・ウェーヴ (音楽)|ニュー・ウェーヴ]]、{{仮リンク|フリーミュージック|en|Free improvisation}}まで[[カウンターカルチャー]]を縦横無尽に取り上げ、[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]な誌面を展開したことから伝説化している<ref>[[幻冬舎]]『SPECTATOR』39号「パンクマガジン『Jam』の神話」</ref><ref>{{Cite web|url=http://lite-ra.com/2015/12/post-1789.html|title=東京五輪で一掃?「エロ本」消滅危機の中、80年代エロ本が生んだ濃密なアングラカルチャーを懐かしむ|work=田中教|publisher=[[LITERA]]|date=2015-12-17|accessdate=2018-01-21}}</ref>。
 
 
しかし、当の蛭子は雑誌の内容を全く理解できず「自分の漫画が認められたことは大いにうれしかったが、その本は中味も何が何やら、さっぱり訳が分からないので、どうせ自分はこんなところでしか扱われないのさ、という自分に対して嘲笑のうずを巻いた。しかも、その本は[[自動販売機]]でしか売られていない、と言った。しかし、だからこそ自由な本造りができるんだ、とも言った。自動販売機の本なんか私は見たこともなかった。あんな自動販売機で本を買っている人の姿なんて見たことがない。しかし『[[Jam (自販機本)|Jam]]』という本には[[渡辺和博]]さんの漫画が載っていた。これだけが唯一、私には救いだった」と当時置かれた心境を回想している<ref name="hisokana"/>。
 
 
また高杉と山崎の第一印象についても「[[ヒッピー]]らしき風貌の人と、目の釣り上がった[[インテリ]]らしき若い二人連れで、私が今まで付き合っている[[サラリーマン]]風な若者とはまるで違っていて、私は何やら胡散臭いなと思った」と回想するなど<ref name="hisokana" />、決して好印象を与えるものではなかったというが、蛭子は未だにこの二人組に対して「最初に俺の漫画にお金を払ってくれた恩人」として感謝の念を抱いており、「そこで初めて原稿料らしい原稿料をもらったんですよ。隔月でキチンと締め切りもあったし。それでこの二人を信用するようになったんです。その二人に『会社を辞める』ということを話したら、『それなら他の編集者も紹介しますよ』と言ってくれて、出会いが広がっていって、定期的に漫画の収入が入るようになったんです。だから『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の編集さんに会っていなかったら、漫画家になってなかったかもしれないんで、すごく感謝しているんです」<ref name="baitoru" />「私は、この[[高杉弾]]と[[山崎春美]]という二人のおかげで、ついに夢であった漫画の仕事へ就くことができたのである。そして不当に扱われている[[自販機本|自動販売機の本]]がいとおしくなった」<ref name="hisokana"/>と述懐している。
 
 
=== 漫画家として独立 ===
 
[[1981年]]には初単行本である『'''[[地獄に堕ちた教師ども]]'''』が[[青林堂]]から刊行されるのを機に[[ダスキン]]を退社して漫画家として独立する。その後はカルチャー雑誌『[[STUDIO VOICE]]』([[流行通信]])にも登場<ref name="Billy" />。スーパー変態マガジン『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])[[1982年]]3月号では[[山崎春美]]の[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/205602 スーパー変態インタビュー]に応じ<ref group="注釈">[[山崎春美]]の「スーパー変態インタビュー」では[[ザ・スターリン]]の[[遠藤ミチロウ]]と[[群雄社出版]]社長の[[明石賢生]]に次いで3人目の変態に蛭子が選ばれている(また蛭子は遠藤、明石とも間接的な接点があった)。</ref>、新進気鋭の異端漫画家としてメディアに素顔を現すようになる<ref name="Billy" />。同年には[[長井勝一]]の著書『「ガロ」編集長』([[筑摩書房]])の出版記念パーティーに出席し、[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]と邂逅する<ref>根本敬『因果鉄道の旅』([[KKベストセラーズ]] 1993年)p.148-149</ref>。
 
 
[[エロ劇画誌#三流劇画ムーブメント|三流劇画ムーブメント]]以降は[[根本敬]]、[[平口広美]]、[[丸尾末広]]、[[宮西計三]]、[[川崎ゆきお]]、[[ひさうちみちお]]ら[[ガロ系]]の漫画家と共に[[エロ劇画誌|官能劇画誌]]『[[漫画ピラニア]]』([[辰巳出版]])『[[漫画ラブ&エロス]]』([[日本出版社]])[[自販機本|自動販売機本]]『[[フォトジェニカ]]』『[[コレクター (自販機本)|コレクター]]』([[群雄社|海鳴書房/群雄社]])『[[ガール&ガール]]』『[[ルーシー (自販機本)|ルーシー]]』『[[イヴ (自販機本)|イヴ]]』([[アリス出版]])などマイナーな[[エロ本]]で数多くの連載を持ち、後に「自販機本漫画界の大御所」と称される<ref name="weeklypost" />。
 
 
また[[ニューウェーブ (漫画)|ニューウェーブ]]漫画家の一人として『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』以外に『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』『[[漫金超]]』『[[平凡パンチ]]』『[[ビックリハウス]]』『[[ペリカンクラブ]]』『[[季刊コミックアゲイン]]』『[[月刊スーパーアクション]]』などの媒体へも進出。[[つげ義春]]や[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]映画に影響されたシュールで不条理な[[ギャグ漫画]]や暴力的なモチーフを多用するダークな漫画を描くようになる。絵は決して上手とは言えないながらも「'''[[ヘタウマ]]'''」という作風で注目される。
 
 
[[1983年]]には[[テクノポップ]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[ヒカシュー]]」の[[シングル]]『[[私はバカになりたい]]』の[[ディスクジャケット|ジャケット]]画を[[巻上公一]]の依頼で手掛け、これ以降[[インディーズ]]シーンでも蛭子の存在が認知され始める。
 
 
[[1985年]]には[[田口トモロヲ]]の[[ロック (音楽)|ロック]][[バンド (音楽)|バンド]]「[[ばちかぶり]]」の[[インディーズ|自主制作盤]]1st[[アルバム]]のジャケット画をケラ(現・[[ケラリーノ・サンドロヴィッチ]])の依頼で手掛け{{Refnest|group="注釈"|ただし、完成した作品に描かれた男は[[リーゼント]]頭で[[ロック (音楽)|ロック]]のイメージと全く違ったため、[[パンク (サブカルチャー)|パンクス]]風の髪型に[[田口トモロヲ]]自ら修正を加えている<ref name="nagomu">平田順子「[[ばちかぶり]] [[田口トモロヲ]]率いる[[ナゴムレコード|ナゴム]]の救世主!」『[[ナゴムの話|ナゴムの話-トンガッチャッタ奴らへの宣戦布告-]]』([[太田出版]] [[2000年]])96-102頁。</ref>。後に田口は「これがギリギリ蛭子さんの中のロックンロールなんだなと思って。それで蛭子さんに『ちょっとパンクっていうのは、髪型が違ったりするんですよ』って言ったら『じゃあ田口さんの思う通りに直してください』って。だから実は髪の毛は僕が描いた」と回想している<ref name="nagomu" />。}}、当時[[レコード]]を出す度に何十万円もの[[黒字と赤字|赤字]]を出していた[[ナゴムレコード]]初の[[黒字と赤字|黒字]]レコードとなった<ref name="nagomu" />。後に[[ナゴムレコード|ナゴム]]を主宰していたケラは「この[[レコード]]が爆発的に売れて、そこから[[インディーズ]]ブームなんて言葉が出来て、[[ナゴムレコード]]っていうのを背負っちゃってんだな自分はって思い始めた」と回想している<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=tqkRfgkN0FY ナゴム特集 ケラ 1999年]</ref>。その後も蛭子は[[恐悪狂人団]]、[[殺害塩化ビニール]]、[[ザ・ゲロゲリゲゲゲ]]、[[ハイテクノロジー・スーサイド]]など日本を代表する[[ハードコア・パンク|ハードコアパンク]][[バンド (音楽)|バンド]]や[[ノイズミュージック|ノイズ]][[音楽家|ミュージシャン]]のジャケットを手掛けている。
 
 
=== 漫画家からタレントへ ===
 
[[1980年代]]中頃、[[劇団東京乾電池]]の[[柄本明]]から劇団ポスターを依頼され、劇団に出入りするようになる<ref>[https://thepage.jp/detail/20161009-00000005-wordleaf 蛭子能収 テレビの世界の扉を柄本明さんが開けてくれた(THE PAGE)]</ref>。その後、柄本からの依頼で劇団東京乾電池の公演『台所の灯』([[1987年]][[5月15日]]・[[こまばアゴラ劇場]]上演)に出演する<ref name=discas> [https://www.discas.net/contents/interview/c_interview_003_1.html DISCAS INTERVIEW 蛭子能収さん(漫画家)]</ref>。
 
 
これが[[フジテレビジョン|フジテレビ]][[プロデューサー]]の[[横澤彪]]の目に留まり、[[1987年]]に『[[笑っていいとも!]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])に[[文化人]]枠でレギュラー出演する。
 
 
俳優として舞台活動もこなし、テレビドラマ『[[びんびんシリーズ#教師びんびん物語II(1989年)|教師びんびん物語II]]』(フジテレビ)への出演を皮切りにテレビ番組に本格的に進出し、特異なキャラクターを活かした芸能活動に比重を移して数多くのバラエティ番組に出演している。
 
 
特にタレントとしての代表作である[[テレビ東京]]系のバラエティ番組『[[ローカル路線バス乗り継ぎの旅]]』シリーズでは、リーダー役の[[太川陽介]]やゲストの女性タレントと共に日本各地の路線バスを乗り継いでいき、行き当たりばったりの珍道中を展開し、タレントとして再注目される契機となった<ref name=cakes>{{Cite web|url=https://cakes.mu/posts/6753|title=【第1回】僕が最近感じることと本を書いた理由|publisher=CAKES|date=2014-08-26|accessdate=2015-03-28}}</ref>。数多くのテレビ番組に出演する一方で、タレントの仕事はあくまで[[アルバイト]]としている。
 
 
[[1997年]]、[[青林堂#内部の軋轢、休刊へ|青林堂の内紛騒動]]で『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』が[[休刊]]。以降は[[青林工藝舎]]の[[漫画雑誌]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』に移籍し、[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]らと共作活動を行う([[#蛭子劇画プロダクション結成|後述]])。
 
 
[[2003年]]に[[短編映画]]『諫山節考』で映画監督としてデビュー<ref name=discas/>。この作品は元々[[シンガーソングライター]]・[[諫山実生]]の[[ミュージック・ビデオ|プロモーションビデオ]]として作られたものである。監督第2作目は[[2007年]]の『[[歌謡曲だよ、人生は]]』の「いとしのマックス/マックス・ア・ゴーゴー」([[脚本]]も兼任)。
 
 
=== 蛭子劇画プロダクション結成 ===
 
[[2008年]]には『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の後輩漫画家で蛭子ウォッチャー<ref group="注釈">他にも、[[みうらじゅん]]、[[水道橋博士]]、[[伊集院光]]、[[吉田豪]]が蛭子ウォッチャーであることを公言している。</ref>の第一人者でもある[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]からの依頼で、漫画共作ユニット「'''蛭子劇画プロダクション'''」を結成し、[[青林工藝舎]]の[[漫画雑誌]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』を拠点に現在も活動中である。メンバーは蛭子能収、根本敬、[[安部慎一]](現在は脱退)、マスクベビー([[湯村輝彦]]の息子)。[[漫画編集者|担当編集者]]は[[青林工藝舎]]の[[高市真紀]]<ref group="注釈">元・[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』、現・[[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』の[[編集者]]。『ガロ』時代から蛭子を担当しており、青林工藝舎社長の[[手塚能理子]]と同じく蛭子との付き合いは古い。[[1992年]]に[[飛び降り|投身自殺]]した[[漫画家]]の[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]は実姉にあたる。[[イラストレーター]]としてのペンネームは丸山玉子。</ref>。
 
 
[[2010年]]には根本の依頼で国際特殊機関「'''ハッテンバプロダクション'''」を結成する<ref name="hatten">[https://web.archive.org/web/20160711135921/http://www.project-max.com/blog/interview/nemototakashi.html ハッテンバプロダクション 根本敬インタビュー]マックスマガジン</ref>。メンバーは蛭子能収、根本敬、[[佐川一政]]{{Refnest|group="注釈"|[[佐川一政]]は[[1981年]]に[[パリ人肉事件]]を起こし全世界を震撼させた世界有数の[[食人鬼|カニバリスト]]として知られる一方で、[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]とも古くから交友がある。根本は佐川がハッテンバプロダクションに参加している理由について「何でここに佐川一政が入っているのかっていうのも佐川さんはやっぱり行為の引き金になるのは経済的な問題で緊迫して自暴自棄に追い込んでそれで『やろう』ってなるの。俺、何回かタイミングよく止めてるんだけどさ。でも海外には有名な犯罪者が描いた絵が高値で売買される市場があるんだよ。だから佐川さんにおとなしく絵を描かせて経済的な援護を与えれば、ああいう事件も再犯しないっていう。そういうエクスキューズから入るのもなんだと思うんだけどね」と語っている<ref name="hatten" />。}}。これは「'''蛭子漫画が世界的に無名未評価でいいのか'''<ref>{{Cite news|url=http://natalie.mu/comic/news/30362|title=蛭子能収の凄さを見よ!根本敬、蛭子が大阪でトーク|newspaper=[[ナタリー (ニュースサイト)|コミックナタリー]]|publisher=[[ナタリー (ニュースサイト)|ナタリー]]|date=2010-04-11|accessdate=2017-10-09}}</ref>」という根本の考えから、漫画家としての蛭子能収や[[パリ人肉事件]]の佐川一政を[[芸術家|アーティスト]]として海外に売り込む目的で旗揚げされたアート集団である<ref name="hatten" />。
 
 
[[2011年]]には故郷・長崎の[[長崎歴史文化博物館]]において初の個展『えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-』が開催された。
 
 
[[2014年]]には[[随筆|エッセイ]]『ひとりぼっちを笑うな』を上梓。本書では「小さな頃から“分相応”的なものに自分らしさを感じ“他人に害を与えない”ことを一番大事に考えてきた」と述べ、つながりや絆を必要以上に大事にする現代社会の風潮に懐疑的な立場で独自の持論を述べた。この「内向的な人間のための幸福論」として刊行された著書は15万部を売り上げるヒットとなり、活字本ながら蛭子最大の[[ベストセラー]]となった{{Refnest|group="注釈"|蛭子によると自身の漫画単行本の最高売上は8000部程度であったという<ref>2015年11月9日放送『[[ビートたけしのTVタックル]]』より本人談。</ref>。}}。
 
 
[[2016年]]には長編映画初主演となる[[任侠映画]]『[[任侠野郎]]』が公開。同年10月には[[青林工藝舎]]より『[[地獄に堕ちた教師ども]]』が35年ぶりに復刊された。
 
 
== 漫画家として ==
 
「'''[[ガロ系]]'''」と呼ばれる日本の[[オルタナティブ・コミック]]作家のなかでも、[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]・[[山野一]]・[[平口広美]]と並び極北に位置する最も過激な作風の[[不条理]]漫画家である。読む人を選ぶ非常に[[シュール]]な作風であり、不条理ギャグや[[賭博|ギャンブル]]についての[[4コマ漫画]]、あるいは暴力的なモチーフを多用して内面のダークな世界を描き出す[[統合失調症|精神分裂]]的な作風で知られている。
 
 
[[根本敬]]<ref>根本は蛭子が世間一般に認知される以前から、蛭子の動向を観察しており、エビス・ウォッチャーの第一人者としても知られ、蛭子の本質('''無意識過剰'''と評したこともある)をつかんでおり、「テレビで見た世間の人は、表面だけ見てだまされている」と語っている。</ref>・[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]<ref>没後刊行された『自殺直前日記』([[太田出版]])157頁には「蛭子さんや根本さんは天才。自分が描けないことを描いてくれる作家は勇気がある。真にカッコいい(尊敬&崇拝)。私もこーゆー風になりたいと思っているので、無意識に真似して世に出てきた」「根本先生、ジョージ秋山先生、蛭子先生、丸尾先生は他人(読者)を全然気にしていない。生身の自分をさらけ出している。勇気がある。私もそうなりたい。でも自分の恥ずかしい部分を認めたくないので描けない。偽物の作家は自分の願望を描いているだけ。こうでありたい自分の姿を描いている。ヒーローを求めている。情けない。私もこれからは、もっと勇気を出して描いていこう」と書き遺してあり、彼女が崇拝していた根本敬や蛭子能収の作品のように、「非情に徹して我が道を行く」ことに徹しきれなかった事を生前書き遺している。</ref>・[[大槻ケンヂ]]<ref>かつて「俺が音楽でやりたいと思ってたこと全部やられてた」と大きな衝撃を受けた事を述べている。</ref>・[[山野一]]<ref>山野は高校時代に[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』に掲載されていた「不確実性の家族」([[青林堂]]刊『[[私はバカになりたい]]』収録)で初めて蛭子の漫画を読み、エロ目的で開いた自販機本に余りに怪異なタイトルの本作が掲載されてあったのと、その不条理極まりない不気味な内容に衝撃を受けた事を明かしている(また山野は蛭子作品の中で最も好きな作品に本作「不確実性の家族」を挙げている)。後に山野は「パチンコのある部屋」(青林堂刊『[[貧困魔境伝ヒヤパカ]]』収録)で蛭子漫画の象徴を描き、作中にも蛭子の単行本『私はバカになりたい』を登場させている。</ref>・[[花くまゆうさく]]<ref>[[遠藤ミチロウ]]のカセットブック『[[ベトナム伝説]]』に掲載されていた蛭子の漫画を読み、大きなショックを受けて漫画家を志した経緯がある。</ref>・[[福満しげゆき]]<ref>[[青林工藝舎]]刊『[[僕の小規模な失敗]]』第2話「まんが道失敗!!の巻」より「あんなスゴイマンガを連載する雑誌ってあるのだろうか…?」と大きな衝撃を受けた事を述べている。</ref>・[[巻上公一]]<ref>蛭子2冊目の単行本『[[私はバカになりたい]]』([[青林堂]])と同名のシングルを[[ヒカシュー]]が[[1983年]]に発表した際、蛭子に[[ディスクジャケット|ジャケット]]画を依頼した。また巻上は蛭子5冊目の単行本『なんとなくピンピン』(青林堂)に解説を寄稿している。</ref>・[[水野しず]]<ref>影響を受けたアーティストのひとりに蛭子の名前を挙げている。</ref>・[[武内享]]<ref>漫画のファンである事を公言しており、武内は蛭子の漫画を「[[アブノーマル]]マンガ」と評している。</ref>・[[遠藤ミチロウ]]<ref>[[遠藤ミチロウ]]のソロ名義としては初となる[[アルバム]]『[[ベトナム伝説]]』([[1984年]])の付属冊子に漫画の執筆を依頼していた。</ref>・[[柄本明]]<ref>かつて[[劇団東京乾電池]]のポスター仕事を依頼しており、蛭子が芸能界デビューする直接的なきっかけを作ったことでも知られる。また[[周防正行]]が蛭子の漫画を原作にドラマ化した『サラリーマン教室』(TBS 1986年7月27日放送)に柄本が出演しており、蛭子も[[クレジットタイトル#特別出演|特別出演]]の形で登場する。</ref>など数多くの[[アーティスト]]に多大な影響を与え、[[1980年代]]の[[アンダーグラウンド (文化)#文化としてのアンダーグラウンド|アングラ]]・[[サブカルチャー]]界を席巻した事でも知られている。
 
 
独特の絵柄と他の追随を許さないエキセントリックな世界感を持っており、漫画の特徴を一言でいうと「'''暴力と狂気にまみれたシュールでグロテスクなナンセンス不条理ギャグ漫画'''」というようなものになる。作品は狂気と悪意に満ちており、日常の不満や歪んだ欲望に不気味な絵柄が相まって謎の緊張感が常に漂っている。登場人物は平凡な[[サラリーマン]]である事が多く<ref>[[推理作家]]・[[吉村達也]]の初期のサラリーマン小説にも挿絵4コマを書いている。</ref>、いずれも尋常でない汗をかいている。背景の[[舞台装置]]には何故かストーリーに関係なく[[未確認飛行物体|UFO]]や[[髑髏|ドクロ]]が置かれ、ストーリーの内容も「'''因果で陰鬱なプロット'''」「'''意味のない掛け合い'''」「'''オチのない結末'''」などが多く、救いのないオチがほとんどで、もはや言語解説不可能な域に達している。[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]は漫画家としての蛭子能収を「'''狂気を内側から描いている人'''」と述べており、内面からの狂気を描いたブラックな作品が多い。[[呉智英]]は蛭子漫画について「被害者意識と憎悪とが混じりあった悪夢のような作風は、余人の追随を許さない」と評している<ref>JICC出版局『マンガ宝島』(月刊「宝島」昭和57年3月臨時増刊号)呉智英「70年代『ガロ』の変容」166-167頁。</ref>。また早くから「'''[[ヘタウマ]]'''」というジャンルを確立した一人でもある。
 
 
後輩漫画家の[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]は蛭子を「感じたまま、ありのままの自分をさらけ出して描いている本物の作家」と評価しており、[[漫画評論家]]の清水生も「蛭子は漫画において人間の本性を妥協なく露出している。蛭子漫画の恐ろしさはここにある。人間は家族でも夫婦でも恋人同士ですら憎んだり嫉妬したり裏切ったりする。蛭子は人間のあるがままの姿を直視し、それを彼流の手法でデフォルメして描き出す。彼の漫画に虚勢や見栄や気取りは通用しない」と述べている<ref>青林堂編『「ガロ」という時代』2014年</ref>。これについて蛭子は「僕は文句を言ったりする勇敢な人より、つい何も言えずに我慢しながら生きている人が好きなんですよ。だからサラリーマンでも、一流会社で悠々とやってる人じゃなくて、低賃金のところでヒーヒーしている人をね。描いたりするのがね。弱い人間っていうのは、やっぱ魅力ありますよね」と語っている<ref>[[泉麻人]]『けっこう凄い人』[[新潮文庫]] [[1992年]]</ref>。
 
 
この様な作風のためメジャー誌での連載経験は皆無に等しく、主な執筆活動の場は、[[青林堂]]の『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』や[[青林工藝舎]]の『[[アックス (雑誌)|アックス]]』など、極めて自由な創作が行えるマイナー志向の超カルト的サブカルチャー雑誌を中心に活動しており、[[アウトサイダー・アート]]に対応した'''“[[ガロ系|特殊漫画家]]”'''と呼ぶべき存在でもある。単行本は絶版や品切のため入手困難な状態が長年続いていたが、[[2016年]]に[[青林工藝舎]]から処女作品集『[[地獄に堕ちた教師ども]]』([[1981年]]・[[青林堂]])が35年ぶりに復刊された。
 
 
また初期作品の評価が高く『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』副編集長の[[白取千夏雄]]は「[[青林堂]]から刊行された初期の『[[地獄に堕ちた教師ども]]』から『なんとなくピンピン』あたりまでの作品は本当に凄いと思っている。中でも初期3冊目くらいまでは鬼気迫る作風で、今読んでも『天才』だとさえ思う」と述べている<ref name="shiratori">[http://shiratorichikao.blog.fc2.com/blog-entry-244.html エビスさんが再婚!!] - 白取特急検車場 2006年11月22日付</ref>。[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]も「特に最初の単行本『[[地獄に堕ちた教師ども]]』と2冊目の『[[私はバカになりたい]]』は本当に凄いなァと何度読んでも感心し、そして深く胸に突き刺さった」と告白しており、「こんな漫画、絶対俺には描けない」と密かに[[コンプレックス]]を抱いていたことを明かしている<ref name="zigoku">[[根本敬]]「日常風景としての地獄」『蛭子能収コレクション 地獄編』189-191頁。</ref>。
 
 
自由な創作が行える[[アンダーグラウンド (文化)#文化としてのアンダーグラウンド|アンダーグラウンド]]には思い入れがあり、「暗いジメジメしたところのほうがやはりおもしろいですよ。そんなジメジメしたところでしか出ない美しさというものがアンダーグラウンドにはあるんです。それは本音の美しさですね。日の当たるあっちのほうは飾られた美しさです。オレはやっぱり地下活動、アンダーグラウンドが好きですね」といった発言<ref name="OCN TODAY6">[https://web.archive.org/web/20150407060359/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people06.html できれば日の当たる場所へ…華やかな世界に背を向けているわけじゃない (6/6) ] OCN TODAY</ref>があることから[[大衆]]・万人に受け入れられる作品づくりにはあまり興味がない模様である{{Refnest|group="注釈"|その一方で「オレも[[アンダーグラウンド (文化)#文化としてのアンダーグラウンド|アンダーグラウンド]]から脱出して、あっちのほうへ行きたいという気持ちもありますからね。あっちは華やかなですからね、誰でもそこへ行ってみたいと思う願望を捨てきることはできないですよ。ただ、そういうのが描けないし、正直に言うと日の当たる場所は飽きますね」と述べている<ref name="OCN TODAY6" />。}}。[[コラムニスト]]の[[野々村文宏]]も「この人の漫画に一般受けもへったくれもないと言うべきだろう」と評しており<ref name="nonomura">蛭子能収『サラリーマン危機一髪』([[河出書房新社]] 1985年)解説「世間体のことを考えると胸が痛い」115-118頁。</ref>、それゆえ漫画のファン層は非常に限られているが、その強烈な個性を露出した表現は他の追随を決して許さないものである。
 
 
漫画を描く際は、自分が見た夢をもとに漫画にするという特殊な技法で描いている(同じ[[ガロ系]]作家の[[つげ義春]]、[[逆柱いみり]]、[[山野一]]、[[ねこぢる]]も同様に「夢の世界」を再現したシュールな漫画を描いていた)。しかし、後に夢をあまり見なくなってからは、何となくネタを絞り出すようになったという<ref>{{Cite web|url=http://www.sinkan.jp/news/index_5377.html?pic|title=「もう漫画家はやめてもいいかな」――蛭子能収“ひとりぼっち”哲学に迫る(2)|publisher=新刊JP|date=2015-01-19|accessdate=2015-03-28}}</ref>。
 
 
「夢をもとに漫画を描く」という創作方法は、20歳のときに読んだ[[つげ義春]]の漫画作品『[[ねじ式]]』に大きな影響を受けている。自著でも、「この世の中にこんな漫画があるのかって驚きましたね。とってもシュールな漫画なんですよ。不思議でヘンテコな世界だけど、芸術作品のような漫画にとにかく衝撃を受けてオレも漫画を描き始めました。それまではピストル殺人事件など素直な漫画を描いてたけど、この漫画を見てからはわけのわからない漫画を描くようになりました。それでようやく漫画で食えるようになったのは30歳半ばの頃。ずっと漫画家になりたいとコツコツやってきたから“生きがい”は見つかったと思いますよ。テレビの仕事は儲かるけど“やりがい”はありません。『ねじ式』のような作品を描いてみたいから今でも原稿料が出ない雑誌でも連載を持っているんです」と、漫画家人生を左右する程の衝撃を『ねじ式』から受けた事を幾度となく述べている<ref>{{Cite web|url=http://book.asahi.com/reviews/column/2014092100015.html|title=蛭子能収(漫画家)さんと読む『ねじ式』|publisher=ブック・アサヒ・コム|date=2014-09-21|accessdate=2015-03-28}}</ref>。
 
 
また漫画では本心を描くので現実に怒りを感じる相手は「漫画の中で徹底的に殺す」<ref>『[[ニッポン戦後サブカルチャー史]]II』(2015年10月30日放送)第5回「ヘタウマって何だ?」より暴力的な自身の作風について蛭子は「お金がなくて貧しいってこともあったと思う。そういうのって怒りやすい、何かに対して怒ってる。だから大抵俺の漫画は最後に怒って誰かを殺すというのがすごく多かったんですよ。この人を殺すために5ページは使ってやると、そのぐらい怒りを込めて描いてましたね。(現実社会では)「こいつはダメだ!」と思っても、全然我慢してるんですよ。だけど漫画の中ではバーン!と爆発するんです」と答えている。</ref>と話しており、実際の人物に配慮して特定できないように描いている<ref>日刊サイゾー、2009年4月26日『えびすビンゴ』出版記念インタビュー、蛭子能収流・今を生き抜く処世術</ref>。かつて息子をいじめていた同級生が[[冷蔵庫]]の[[カスタードプディング|プリン]]を勝手に食べた挙句、息子の[[顕微鏡]]を強引に借りていった事に憤慨した蛭子は、漫画『家族天国』の中で同様のシチュエーションを描き、この同級生らしき人物を最後にバットで殴り殺す[[落ち|オチ]]を描いている<ref>蛭子能収『家族天国』([[1986年]] [[双葉社]])収録の「俺の息子に手を出すな」より前後の経緯が確認できる。</ref>。また[[学歴]][[コンプレックス]]がある蛭子は[[東京大学]]出身の[[編集者]]と打ち合わせをした際も同様のシチュエーションを描き、[[日本刀]]でその編集者を惨殺する漫画を描いている<ref>[https://jisin.jp/serial/社会スポーツ/今週の町ネタ/29373 蛭子能収のゆるゆる人生相談「タメ口の後輩はどうすれば…」] [[女性自身]] 2017年6月19日</ref>。
 
 
漫画家活動初期は、そのキャラクターが知られていないこともあり、難解な前衛漫画を描く謎の天才漫画家として同業者やマニアックな読者に「この人は天才なのかキチガイなのか、あるいはその両方か、もしかしたら美大くずれの物凄いインテリなのかもしれない」と恐れられていた逸話がある<ref>浅草キッド著『みんな悩んで大きくなった』より。</ref>。[[根本敬]]は『ガロ』のパーティー会場で蛭子と初めて会った際の印象について「神経質そうなさ、おっかない人を想像してたわけですよね。それで蛭子さんと実際に会って嘘だろ!って。やたら腰の低いペコペコばかりしている人畜無害そうなおっさんが実は蛭子さんだったというね」と大ショックを受けたことを自著『因果鉄道の旅』で回想している{{Refnest|group="注釈"|また[[根本敬]]は蛭子の第一印象について「[[中華人民共和国|中国]]から連れてこられた[[クマ|熊]]みたいであり、[[カルト映画]]『[[フリークス (映画)|フリークス]]』に出てくるピンヘッドそっくりであった」とも語っている<ref name="ingaHP">[http://www011.upp.so-net.ne.jp/TOKUSYUMANGA/text/genre07.htm 根本敬公式ホームページ「因果鉄道の旅とマンガ」]</ref>。}}。
 
 
[[エロ劇画誌|官能劇画誌]]『[[漫画ピラニア]]』編集長の[[菅野邦明]]も、常識や倫理性を無視した過激極まりない不条理な漫画の内容から「蛭子能収という人は[[きちがい|キチガイ]]なのだろうか?」と怖がっていたという。インタビューの中で菅野は「蛭子さんに仕事を依頼したい一方で、最初は本人に会いたくなかったですね。やっぱりこの人キチガイじゃないかと思ってて。ちょうどその頃、あるパーティーに蛭子さんが[[渡辺和博]]さんと一緒に来てたんです。そこで紹介された蛭子さんは、作品からは想像もつかない、礼儀正しく大人しい人でびっくりしました」と、その落差に衝撃を受けたことを回想している<ref name="loftproject">加藤梅造 [http://www.loft-prj.co.jp/interview/0408/14.html 漫画家・蛭子能収を再評価せよ!] [[ロフト (ライブハウス)|ロフトプロジェクト]] 2004年</ref>。
 
 
[[青林工藝舎]]社長で『[[アックス (雑誌)|アックス]]』編集長の[[手塚能理子]]も「蛭子さんって作品と本人にものすごいギャップがあるというか。まあ、本当は最終的には無いんだけど、作品と作家本人の印象が全然違うじゃないですか。まだお目にかかる以前は、青白い顔した怖い人なのかと思っていたんですけど、会うと全然漫画とイメージが違う人で、『誰、この人?』みたいな感じでした」と語っている<ref name="spectator" />。
 
 
しかし、蛭子の言う「素人の時代」の波に乗り、気付いたらテレビに出始め「正体不明の不条理漫画家」から「さえない面白おじさん」として世間一般にキャラクターが知れ渡ると、描いている漫画と本人とのギャップのせいか、本業であるはずの漫画が売れなくなってしまったという<ref>『ひとりぼっちを笑うな』では「笑い話じゃなく、それはもう死活問題です。一時期よりもファンはすっかり減ってしまって、あの時は本当に困りましたよ」と述べている。</ref>。後に、そのキャラクターのおかげで「漫画家としての知的な印象がテレビ出演後は消えた」とインタビューで自虐したことがある。[[根本敬]]も「もっぱらアーティストとしての評価はおざなりで、特異なテレビタレントとして名高いが、それを惜しむ声も高い。しかし、肝心のアーティストとしての高い評価には本人はあまりにも無自覚であり無防備である」と述べている<ref name="nemoto">[[根本敬]] [https://archive.is/TzBUX MAISON D'ART "EBISU" 蛭子 能収/Yoshikazu EBISU] 1997-2014 MAISON D'ART</ref>。
 
 
蛭子本人も「本当は自分の顔とか姿を人前に晒したくなかった」と述べており、「最初に舞台に出たのは[[柄本明]]さんから出てくれって頼まれたから。オレはホントは出たくなかったんですよ。それでテレビの依頼も来るようになって…。だけど、人から頼まれたことを断るのもイヤなんですよ。仕事にしたって、せっかく頼まれたら普通は断らないでしょ。ホントは一般の人に埋もれて普通に過ごしたかったんですよ。正直なところ、どうしてオレがテレビに出ているのか未だに不思議で仕方ありません」とテレビに出て顔が売れてしまった事には否定的なコメントを寄せている<ref>[http://www.cyzo.com/2014/10/post_18883.html 『ひとりぼっちを笑うな』発売記念 蛭子能収インタビュー]</ref>。
 
 
また、テレビに出て顔が広まると、見ず知らずの他人から日常的に[[迷惑電話|いたずら電話]]されたり、不良に絡まれたり、[[競艇場]]で頭を叩かれたり、[[住宅|家]]の[[玄関]]に[[糞|うんこ]]を投げ入れられるなど[[嫌がらせ]]を受けるようになったという<ref name="zyoseizisin">[http://www.jprime.jp/column/man/12800/ 蛭子能収、ボートレース場で頭を叩かれるなど危険な目に[[女性自身]] 2015年5月17日]</ref>。これについて「オレは芸能人の中でも特に絡まれやすいみたいで…だから本当はテレビに出たくないんですよ。それでもテレビに出るのはお金がいっぱい貰えるからです。オレは漫画家だし、社交的なのが本当に苦手なんで、テンションが高い芸能界の人との付き合いも苦痛で…ホントは変装なんかせず堂々と顔を晒して歩きたいんですよ」と複雑な感情を打ち明けている<ref name="zyoseizisin" />。
 
 
その一方で、「テレビ出演のギャラと比べても漫画の原稿料は格段に安い。『[[スーパージョッキー|スーパーJOCKEY]]』での熱湯風呂のギャラは20万円だった。1日2本撮りなので2回熱湯に入るだけで40万円になる。こんな労働があるのかってすごくびっくりしましたよ。ある時、同級生に『お前あんな情けない仕事するなよ』と言われたが、僕は彼らの[[月給]]分をたった1日で稼いでいるのだからやめられるわけがない」とテレビの仕事に対する独自の持論を語っている。
 
 
[[1973年]]のデビューから[[アバンギャルド]]な[[ギャグ漫画#不条理ギャグ漫画|不条理漫画]]を一貫して描いてきたが、[[インタビュー]]で「オレの描く漫画は不条理漫画って呼ばれてますけど、きっと[[宝島 (雑誌)|宝島]]で『不条理でポン』っていう[[4コマ漫画]]を描いてたからでしょうね。でも、オレの中ではまったく不条理ではなかったんですよ、ただやみくもにわけのわかんない漫画を描いていただけで、不条理っていう言葉にはまた別の意味があると思ってましたから。周りもオレの漫画を勝手に深読みしてくれたけど、ほとんど何の考えもなしにあっけらかんと漫画を描いているんです。私の漫画は意味がない」と述べている<ref name="OCN TODAY3" /><ref>2015年3月10日発行『実話ナックルズ 漫画BAD2 ミリオンムック』(ミリオン出版)「不道徳漫画列伝 第2回 社会の異常性を描く天才 蛭子能収」183頁。</ref>。
 
 
== 人物 ==
 
因果者・[[電波系]]人間探訪の権威にして[[ガロ系|特殊漫画大統領]]の[[根本敬]]<ref group="注釈">『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』出身の[[漫画家]]、[[著作家|文筆家]]、[[随筆家]]、[[コレクション|収集家]]、[[映像作家]]、[[観察#ウォッチャー|人物研究家]]。独自の妥協を許さぬ特異な作風で「'''特殊漫画家'''」「'''特殊漫画大統領'''」を自称する。また歌謡曲研究家としての顔も持ち「'''[[幻の名盤解放同盟]]'''」と称して[[歌謡曲|昭和歌謡]]や辺境音楽の復刻活動も行っている。「因果者」「イイ顔」「[[電波系]]」「[[ゴミ屋敷]]」「[[ガロ系#特殊漫画の定義|特殊漫画]]」といったキーワードを案出し、[[鬼畜系#サブカルチャーに於ける鬼畜系|悪趣味系サブカルチャー]]に与えた影響は大きい。</ref>は[[1982年]]に蛭子と邂逅して以来、蛭子ウォッチャーと称して[[定点観測]]や[[フィールドワーク]]を長年続けている。また根本は著書や講演などを通して蛭子の恐怖伝説を広く一般に普及させた蛭子研究家の第一人者としても知られており、「うわべの素朴でお人好しなキャラクターとは裏腹に、その無意識、深層、いや存在の根源においてこれほどしたたかな奴は世界中探してもいない」<ref name="tondemo">[[別冊宝島]]250 『トンデモ悪趣味の本』([[宝島社]] 1996年)「蛭子能収インタビュー 茶の間のピンヘッドは無意識の殺人者!?」文&画=[[根本敬]](特殊漫画家)</ref>「普通のおっさんに見えるが実はあれは余りの異常さが一回りして普通の地点に戻った普通さで、一般人が知らずに接すると必ず痛い目に遭う」<ref name="shiratori" />とも語っている。
 
 
一方で当の蛭子本人は自身の伝説について「まったく気にしませんね。だってオレの事をタダで宣伝してくれるんですから。それをテレビ局の人が見て次の仕事やお金につながるかもしれない。[[伊集院光]]さんや[[水道橋博士]]さんも、オレのことを『芸能界一のクズ』とか『芸能界一恐ろしい男』として、ラジオやテレビで宣伝してくれるんですよ」と肯定的に述べており「噂はどう転ぶかわかりません。逆に楽しんでいればいいんです」と一蹴している<ref>光文社『蛭子能収のゆるゆる人生相談』158-159頁</ref>。実際に蛭子の噂を聞きつけた[[勝俣州和]]は、[[TBSテレビ]]の[[バラエティ番組]]『[[水曜日のダウンタウン]]』に「蛭子能収を超えるクズそうそういない説」として検証企画を持ち込みオンエアされるなどしている。
 
 
また根本は蛭子について「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ」と分析しており<ref name="nemoto" />、実際に蛭子は[[大林素子]]に褒め言葉のつもりで「セックスしたことあるの?」と尋ね、「何故かすごく困った顔をされた」という感想を述べている<ref>[http://news.infoseek.co.jp/article/joseijishin_d11608 蛭子能収のゆるゆる人生相談「結婚しないの?と言われ…」WEB女性自身 2015年3月9日]</ref>。自著『正直エビス』でも「[[公明党]]は[[宗教政党]]」「[[いじめ]]で[[自殺]]に追い込んだ子供たちは[[死刑]]にすべき」など歯に衣着せぬ過激な持論を展開しているが<ref>蛭子能収『正直エビス』(新宿書房 1996年)より{{要ページ番号|date=2015年3月}}。</ref>、これについて蛭子は「オレが常日頃から思ってることですから全然過激だとは思ってないんですけど」と述べており、インタビュアーに対して「どのへんが過激に見えましたか?」と逆に聞き返している<ref name="OCN TODAY5">[https://web.archive.org/web/20150402162407/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people05.html 暴言爆弾の絨毯爆撃!人の悲しみをあざ笑う蛭子能収の真意とは何か!? (5/6) ] OCN TODAY</ref>。これについて根本は蛭子の本質を'''無意識過剰'''と評しており<ref>根本敬『因果鉄道の旅』([[KKベストセラーズ]] 1993年)p.156</ref><ref>根本敬「蛭子学特講 人世を動物的行動原理で生きる人界の珍種」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年4月号「蛭子能収特集」32-33頁。</ref>、「蛭子能収は蛭子能収という宇宙に住む蛭子能収という宇宙人だ。たかが漫画如きが、つまる、つまらないといった次元の話など蛭子宇宙の内部では全く問題にならない」とも語っている<ref>根本敬『人生解毒波止場』(洋泉社)「お前は黙ってろ!―あとがきにかえて―」より。</ref>。一方で「蛭子さんは動物性原理の塊であり、自意識やプライドなど人間的な意識がものすごく乏しい。自意識欠如の無意識過剰な人物であるが、そうでありながらも芸能人であり、高額所得者で社会的には成功者である。この常人には超えがたい矛盾を易々かつ無意識に乗り超え、日々生活していることが蛭子さんのすごさのひとつである」<ref name="ingaHP" />「蛭子さんはテレビで人気者ですけど、テレビって自意識過剰の固まりみたいな世界でしょ?そこに蛭子さんのような無意識過剰な人間がポンッと入ったんで注目されたんだと思う」<ref name="takarajima" />と分析している。
 
 
この様に一般的な価値意識に左右されない自由奔放な発言や振る舞いで、物事の本質や核心をストレートに突くことが多く、自分の考えを包み隠さずに本音で話すので顰蹙を買うことも多々ある。これについて[[伊集院光]]は「人間は全員、素っ裸になれば蛭子さんとそれほど大差がない。社会通念に沿って何かそれを言わないようにしようとか、[[オブラート]]に包むとかあると思うけど、蛭子さんはそれを包み隠すことがなくむき出しなんですよ。真剣勝負の戦いに武器を持たずに素っ裸で来て、斬った者が負けるような感じが蛭子さんにはある」と解説している。また蛭子ウォッチャーの[[吉田豪]]は蛭子について馬鹿正直な[[合理主義]]者と評している<ref>[[ラジオ番組]]『[[小島慶子 キラ☆キラ]]』([[TBSラジオ]]・[[2009年]][[12月24日]]放送)より。</ref>。『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』元副編集長の[[野々村文宏]]は「すべての自称芸術家は社会的にもうひとつの顔としての“世間体”を演出している。ところが一介のダスキンのセールスマンとしての蛭子能収には、まったくといって良いほどこの“世間体”が欠落していたし、もともと蛭子能収という人格のなかには“世間体”を作り出すこころのメカニズムが欠如していたかもしれないのだ。市民生活のなかに芸術家の顔を持ち込めなかったのはこのためである」と解説している<ref name="nonomura" />。
 
 
こうした建前や他人を意識しない言動が目立つため、[[エキセントリック]]な[[テレビタレント]]として世代を問わず広く認知されているが、本人としては「自分が特別な存在であるなんて思ったことがない。子どものころから“目立ちたい”という発想もほぼ皆無でした。クラスにも目立ちたがり屋の子がいましたが、そういった“目立ちたい”という振る舞い自体がよくわからなかった。オレね本当に普通なんです。“オンリーワン”じゃなくて“ワンオブゼム”でいい、みんなの中の一人でいい」と述べている<ref>『[[はに丸ジャーナル]]』([[日本放送協会|NHK]])2015年8月21日放映回の特集「[[意識高い系]]」にて、人脈を誇り、[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]を駆使し、[[起業]]を志すなど「[[意識高い系]]」と呼ばれる若者と対極にある「'''意識低い系'''」のゲストとして出演した際の発言より。</ref>。
 
 
=== エピソード ===
 
{{雑多な内容の箇条書き|section=1|date=2015年3月28日 (土) 06:17 (UTC)}}
 
* [[酒]]、[[タバコ]]は全くやらないが、自他共に認める無類の[[ギャンブル]]好き([[#ギャンブル|後述]])。特に[[競艇]]にハマッているが[[競馬]]は基本的にやらない。
 
* [[フジテレビジョン|フジテレビ]]で放送されていたドラマ『[[いつも誰かに恋してるッ]]』では、[[宮沢りえ]]の演じる桜井理子の父親役に抜擢され、雑誌アンケートの「父親にしたい芸能人」のNo.1にランクインしたこともある<ref name="izirare">『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第一章 『群れず』に生きる」の中「いじられキャラになる」より。</ref>。その翌年に[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[スーパーJOCKEY]]』にて、熱湯風呂にパンツ一丁で出演させられる様になると「父親にしたくない芸能人」のNo.1にランクインするようになった<ref name="izirare" />。
 
* 笑いのツボが多少ズレており、シリアスなシーンで笑ってしまう癖がある([[#笑い上戸|後述]])。
 
* 好きな食べ物は一番は[[カレーライス]]<ref name="Billy" />。以下、[[ラーメン]]、[[カツ丼]]、[[オムライス]]、[[ハンバーグ]]、[[カステラ]]など。[[漁師]]の息子であるが[[魚類]]は大の苦手で、全く食べないという<ref>蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』5頁</ref>。
 
* [[漫画家]]での[[収入]]は[[タレント]]業に比べて非常に少なく、[[倉田真由美]]は「蛭子さんなんて漫画は全収入の1割以下じゃないだろうか」と述べている<ref>[[倉田真由美]]との共著『くらたまのえびす顔』(2008年・[[ゴマブックス]])より。</ref>。
 
* 影響を受けた漫画家に[[つげ義春]]、[[花輪和一]]、[[渡辺和博]]、[[平口広美]]、[[湯村輝彦]]、[[山森ススム]]、[[辰巳ヨシヒロ]]を挙げている。
 
* 『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の後輩漫画家である[[平口広美]]とは古くから交流を持っており、かつて[[所沢航空記念公園]]で蛭子チームと平口チームに分かれて[[根本敬]]、[[近藤ようこ]]、[[友沢ミミヨ]]、[[杉作J太郎]]、[[原律子]]、[[イワモトケンチ]]らと共に漫画家野球対決も行っていた<ref name="spectator" /><ref name="loftproject" />。また[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]とは2008年に「'''蛭子劇画プロダクション'''」という漫画共作ユニットを結成し、それぞれの画風・作風を真似て競作するなど関係は深い(ただし蛭子は根本の漫画を「読んでくれてない」そうだが<ref name="zigoku" />)。ちなみに[[平口広美]]が監督した[[アダルトビデオ]]『オジさんは泣いてます』([[アトラスにじゅういち|ビップ]] 1992年9月)には[[根本敬]]と共に[[クレジットタイトル#友情出演|友情出演]]したこともある{{Refnest|group="注釈"|蛭子と根本は[[性行為|SEXシーン]]の[[スケッチ]]を担当したのみで[[AV女優]]とのカラミは無かったが、このAV出演が原因で蛭子のCM企画がボツになり、これを問題視した[[劇団東京乾電池]]が平口に「もうウチの蛭子を誘わないで」という内容のクレームを入れた為、平口とは次第に疎遠になっていった<ref name="garo1995" />。}}。
 
* 蛭子は[[根本敬]]の出版記念パーティーで手土産に「[[トランクス]]1枚と72分の生[[カセットテープ]]2本」を持参してきたことがある。これについて根本は「あれは無意識の内に俺への評価をしてるんだと思うんだよ、蛭子さんにとって俺はトランクス1枚と72分の生カセットテープ2本程度の男なんだよね。それ以上でも以下でもない」と分析している<ref name="loftbooks">[[根本敬]]、[[白取千夏雄]]、[[サエキけんぞう]]、[[鶴岡法斎]]「[https://blogs.yahoo.co.jp/dougasetumei/55813305.html ねこぢる追悼ナイト]」『TALKING LOFT3世』VOL.2 1999年11月 ロフトブックス</ref>。
 
* 『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の後輩漫画家である[[鬼畜系]]漫画家の[[山野一]](ねこぢるy)は[[高等学校|高校]]時代に[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』で初めて蛭子の漫画を読み、蛭子の再デビュー作「[[私はバカになりたい|不確実性の家族]]」に大ショックを受けたという<ref name="Eureka">[https://blogs.yahoo.co.jp/dougasetumei/55906939.html 『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」山野一インタビュー「カースト礼賛」]</ref>。後に山野は「何で[[エロ本]]にこんな漫画が載ってるのか理解できなかった。巷に氾濫してる[[手塚治虫|手塚]]をルーツとするようなマンガとは、まったく別のものを見せられたようで、あ、こういうのもアリなんだ、と目から鱗が落ちたような気がしました」と回想している<ref name="Eureka" />。また山野は蛭子について「[[根本敬]]さんや僕と蛭子さんとは決定的な違いがあって…僕らはいつも傍観者なんですよ、[[きちがい|気違い]]とかそういうものに対して普段は普通の常識人ですよ。でも、蛭子さんは本人が気違いそのものなんですよ。自分では認めないし、そんなこと思ってもいないだろうけど、確実な気違いですね、あれは。絶対勝てないですよ。あんな人のいいおっさんで売ってて、ポスターに家族でニコニコしてでっかく写ってるけど、あの人の頭の中は虚無の暗黒宇宙が広がってますよ」とも語っている<ref name="Eureka" />。
 
* 1973年のデビューから「自由な創作」が行える漫画雑誌『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』に投稿を続けていたが、[[青林堂]]の経営難により原稿料が支払われることは一度も無かった。これについて蛭子本人は「あの出版社からは『ガロ』でデビューした時から35年間一度も原稿料もらっていません。でも、いいんです。オレは[[アンダーグラウンド (文化)#文化としてのアンダーグラウンド|アングラ]]の世界が好きだし、掲載してもらえるだけで嬉しいんです」と語っている<ref>[http://www.dokant.com/sp/001a.html The Greatest person's vibration 直撃!インタビュー!!は蛭子能収さん] ドカント</ref>。『ガロ』の後継誌にあたる隔月発行の漫画雑誌『[[アックス (雑誌)|アックス]]』の連載でも[[青林工藝舎]]の経済的事情から「原稿料ゼロ」の状態が現在もなお続いている。
 
* サラリーマンを辞めて漫画家になろうとした1981年頃、『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の名物編集長で知られる[[長井勝一]]と[[水道橋]]の路上を歩いていると、長井は蛭子に「[[青林堂]]はなかなか経営が良くならないけど、僕は蛭子さんで儲けさせてもらおうと思ってるんだよ」と真剣な顔で述べたことがあるという。その時、蛭子は「果たして冗談で言ってるのだろうか、そもそも私の漫画ってそんなに売れるのだろうか?」と思い「社長、それは無理ですよ」と照れながらも真剣に言葉を返してしまったという。長井はそれから15年後の[[1996年]]に他界したが、蛭子は『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』に寄稿した追悼文の中で「私は漫画では売れなかったけどテレビに出て自分のキャラクターで十分すぎる程食えるようになってしまった。実は長井さんは私に言ったのは別に漫画に限って言ってるわけではなかったのではないかと思っているのですよ」と回想している<ref>[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1996年4月長井勝一追悼号「追悼・長井勝一」の中「長井プロダクションで大儲け?」より。</ref>。
 
* テレビ番組の「ぶらり旅」が実は苦手で、細かく計画を立て時間通りに旅行するタイプである。
 
* 「基本的に自分から他人に話しかけるのは大の苦手」と公言しており、自ら積極的に発言する事は少ない。
 
* [[キノコ雲]]観賞用の無公害原爆というものを考えて漫画にしたことがある。また人が死ぬ漫画ばかり描く理由については「なんか人を殺さないといけない気になるんです」と[[山崎春美]]のインタビューで答えたことがある<ref name="Billy" />。
 
* 少年時代から映画鑑賞が趣味であり、好きな映画に『[[遊星からの物体X]]』『[[砂の女]]』『[[ゴジラ]]』『[[日本春歌考]]』『[[幸福の黄色いハンカチ]]』『[[ウイークエンド]]』を挙げている。また、昔から涙腺が緩く、幸せに終わるラストシーンでは確実に泣いてしまう程である。
 
* 小学4年生になっても母親の[[乳房|おっぱい]]を飲み続けていたので、「今で言う[[マザーコンプレックス|マザコン]]だったのかもしれない」と述べている。また、漁師の父親は家を不在にすることが多く、兄姉もすでに独立していたので「ほとんど[[母子家庭]]の様だった」とも述べている。
 
* 12歳の時に[[修学旅行]]で彼の[[寝小便]]を心配して姉がついて来たことがある<ref name="nhk110213" />。
 
* [[クイズ番組]]ではフリップでの回答提出の際に文章ではなくイラストを用いて回答していた。
 
* 『[[平凡パンチ]]』の編集部に置いていた漫画原稿を勝手にゴミ箱に捨てられたことがある<ref name="garo1995" />。
 
* [[パリ人肉事件]]の[[佐川一政]]と対談した際、「好きな人を食べてはいけない」と佐川に諭したことがある。この時、佐川は蛭子の言葉を受け「小さい頃に蛭子さんみたいな人が友達だったら、僕はこんな事件起こさなかったかもしれない」と述懐している<ref name="loftproject" />。
 
* [[映画監督]]の[[山崎貴]]に「泣ける映画が面白い映画という訳じゃないですからね」と面と向かって発言したことがある<ref>「蛭子さんと意見は一緒なんだけど、本人の前だとその意味と似てることを言ったり言葉とか探すじゃん、絶対。なのに蛭子さんはダイレクトに言って…思いっきり言って、とんでもない空気になったみたいです」[[TBSラジオ]]『[[伊集院光 深夜の馬鹿力]]』([[2014年]][[12月22日]]放送)より。</ref>。
 
* 息子の[[結婚式]]でスピーチに立った際に、謙遜して「中の下くらいの結婚式ですみません」と述べてしまい顰蹙を買ったことがある<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/9129418/ 蛭子能収というリアルドキュメンタリー フジ『ウチくる!?』(8月3日放送)を徹底検証!] 2014年8月8日 20時30分[[日刊サイゾー]]</ref>。
 
* [[いしかわじゅん]]は蛭子に漫画家の[[とがしやすたか]]と間違われたことがあると述べている<ref>[http://ishikawajun.com/ebisu.html いしかわじゅん公式サイト]</ref>。
 
* [[みうらじゅん]]は子供が生まれた日に偶然蛭子と競艇場で取材の仕事をしており、蛭子に子供が生まれたことを報告すると「奇形児ですか?」と聞き返され、さらに「赤ん坊は頭蓋骨がまだくっついてないから、親指を入れるとクーッと入るんですよ」と返答されたという<ref name="takarajima" />。
 
* 元[[青林堂]][[編集者]]の[[山ノ井靖]]<ref group="注釈">[[根本敬]]の初代担当編集者。[[ソフトマジック]]元代表取締役。[[福島県]][[郡山市]]出身であり、根本が『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』に連載した『天然』では方言指導としてクレジットされている。また根本漫画のキャラクター「吉田佐吉」が流暢な[[福島弁|郡山弁]]を喋るのは山ノ井の影響が大きい。</ref>の[[結婚式]]が[[福島県]][[郡山市]]で催された際、40歳にして他人の結婚式に初めて呼ばれる。しかし、蛭子は正装でなく普段着で結婚式に訪れた<ref name="takarajima" />。その時の言い訳は「でも[[シャツ]]は洗ってますし、髭も剃ってますよ」だった<ref name="tondemo" />。
 
* 数十年来の付き合いがある[[青林工藝舎]]の担当編集者[[高市真紀]]([[山田花子 (漫画家)|山田花子]]の実妹)は蛭子と初めて顔を合わせた際、初対面の蛭子が発した第一声が「アンタ猿に似てるねぇ」だったと回想している<ref>[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年4月号「特集・蛭子能収」29頁。</ref><ref>[[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|マンガの鬼AX アックス]]』Vol.1「馬鹿マンガ道場ポレポレ」110頁。</ref><ref>根本敬『因果鉄道の旅』([[幻冬舎文庫]] 2010年)p.168</ref>。
 
* 伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[Jam (自販機本)#『HEAVEN』新創刊|HEAVEN]]』初代編集長の[[高杉弾]]と『[[Jam (自販機本)#『HEAVEN』新創刊|HEAVEN]]』3代目編集長であり、[[アバンギャルド|前衛]]的な[[バンド (音楽)|ロックバンド]]「[[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]」「[[山崎春美#TACO|TACO]]」の[[ボーカル|ボーカリスト]]で知られる[[ロック (音楽)|ロック]][[音楽家|ミュージシャン]]の[[山崎春美]]を蛭子は「人生の恩人」と慕っており、特に[[高杉弾]]について「私は今、十分に稼いでいますが、あの時私を拾ってくれたご恩は一生わすれません。なにしろ私の漫画に初めてお金を払ってくれた人ですから。それから漫画の注文がたくさん来るようになったのも、テレビの仕事が来るようになったのも、全て高杉さんのおかげです。この世で一番感謝してます」とまで語っているが<ref>青林堂『月刊漫画ガロ』1997年3月号「特集・僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて」56頁。</ref>、そもそも[[高杉弾]]はテレビを観ないため「[[タレント]]になっているという話は聞いたことあるけど、観たことは一度もない」とインタビューで語っている<ref name="spectator 85">[[高杉弾]]「面白いかどうかが一番大事ですよ。素人なんだから」エディトリアル・デパートメント/[[幻冬舎]]『スペクテイター』39号「パンクマガジン『Jam』の神話」[[2017年]][[6月]] 85頁。</ref>。また[[高杉弾]]は蛭子から[[借金]]を断られた過去があるため、「蛭子能収はじつは血も涙もない人非人だと思う。僕のことを恩人だなどと言いながら、かつて『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の[[手塚能理子]]さんと二人でウチに晩メシを食べに来たことさえすっかり忘れている。信用を回復したいと思ったら、今すぐ僕に10万円貸して下さい」<ref>青林堂『月刊漫画ガロ』1993年4月号「特集・蛭子能収」25頁。</ref>「あの人、なんかバカの一つ覚えみたいに、『自分がこんなふうになれたのは、高杉さんのおかげです』とか言ってんだけど、本当にそう思うんだったら、金貸してくれって(笑)、俺は言いたいんだけどね。100万ぐらい貸してくれてもいいのになあ。あの人もケチだからね。頭もおかしいしね」<ref>[[竹熊健太郎]]「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takasugidan 天国桟敷の人々─高杉弾インタビュー]」『[[Quick Japan]]』19号 201頁。</ref>とシニカルな態度で批判的に語っている。また[[山崎春美]]も雑誌に寄稿した人命事典の中で「エピソードは数限りない。それもだいたいが『一人の人間として如何なものか』と考えさせられるものが多い。[[根本敬]]を紹介するのに『オレのことを面白可笑しく言って、それで食ってるヒト』ってのも大概、問題だけど、『[[アックス (雑誌)|アックス]]』編集の[[高市真紀]]さん捕まえて『妹だか姉だかが[[自殺]]して、それで食ってるヒト』ってねぇ…。[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]を知らないヒトでなし。『こないだ[[競艇場]]に行ったら何年ぶりかに兄貴に会って、ほしたら兄貴の財布が見えて(と、いかにも可笑しげな表情に変わる)それが[[千円紙幣|千円札]]何枚しかないんですよ…』。年収が億を超えるヒトの発言だろうか。やっぱりあのまま[[ダスキン]]で主任かなんか[[正社員]]になって、[[日本の年金|年金]]の心配でもしておいてもらった方が社会のためだった?」と批判めいた紹介を行っている<ref>[[山崎春美]]「WHO'S WHO 人命事典 第3回」エディトリアル・デパートメント/幻冬舎『スペクテイター』39号「パンクマガジン『Jam』の神話」2017年6月 129頁。</ref>。
 
* 3人の子をもつ父親であるが子供に余り興味がなく「子供は好きではない」「子供と二人きりになると気まずい」「子供の成長に興味がない」と公言しており、5人の孫を持つ祖父でもあるが「孫の名前が難しくて覚えられない」など、孫にもあまり興味がなかった<ref>{{Cite web|url=http://japan.techinsight.jp/2011/09/ebisu-ojiichansikkak.html|title=【エンタがビタミン♪】「実は子供嫌い」「孫の名前を覚えてない」。おじいちゃん失格? の蛭子能収。|publisher=[[Techinsight]]|date=2011-09-04|accessdate=2015-03-28}}</ref>が、近所に住んでいる義娘の子供とよく会うようになると、「血のつながっていない孫なのに可愛くて仕方がない」と思える様になったと語っている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第四章 『孤独』と『死』について」の中「血のつながりは信じない」より。</ref>。今は競艇、麻雀、パチンコ、映画の次くらいに孫といるのは好きになったという。
 
* 月に何日か妻から「よっちゃんデー」をもらい、その日は自由に好きなことができる。[[平和島競艇場]]にもよく行く。いい子でない時は「こよっちゃんデー」になり、半日ほどになる<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/徹子の部屋/646643|title=TVでた蔵「2013年6月3日放送 徹子の部屋」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2013-06-03|accessdate=2015-03-28}}</ref>。
 
* [[笑福亭鶴瓶]]いわく「蛭子さんをどういじるかで芸人の腕が試される」と述べている。
 
* 2014年11月10日放送『[[私の何がイケないの?]]』([[TBSテレビ]])の脳検査で、軽度[[認知障害]]があることが発覚した。その後『[[アックス (雑誌)|アックス]]』([[青林工藝舎]])102号に「俺は絶対にボケないぞ! —田中氏の『認知症対策アイディア帳』より—」と題した漫画を[[根本敬]]との共作で発表している。
 
* 2016年2月13日放送の『[[ジョブチューン アノ職業のヒミツぶっちゃけます!]]』(TBSテレビ)でスタジオの出演者はおろか出演した[[赤城乳業]]の社員ですら不味いと述べ、売れ行きが芳しくなく、会社が3億円もの赤字を出す結果になった[[ガリガリ君]]「リッチナポリタン味」を「美味い」と言って食べていたエピソードを出演した赤城乳業の社員が証言している。
 
* イベントなどで歌うように要請されると、いつも[[美輪明宏]]の「[[ヨイトマケの唄]]」や[[荒木一郎]]の「いとしのマックス」を歌う(カンペを読みながら)。蛭子いわく「ヨイトマケの唄を聴くと労働意欲が湧いてくる」という。[[高田渡]]のドキュメンタリー映画『タカダワタル的』の中にも「ヨイトマケの唄」を熱唱する蛭子の姿が収録されている。蛭子がカバーした「いとしのマックス」は[[アルバム]]『デジタルグルーヴ歌謡曲』に収録されたほか、ハッテンバプロダクションのトークイベントで「いとしのマックス」を熱唱する蛭子の姿が目撃されている<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=ixVp3eeA6jM 世界に誇るより他ないハッテンバプロダクション GW関西お披露目トーク興業][[YouTube]]</ref>。
 
* [[コラムニスト]]の[[鶴岡法斎]]は中学時代『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』に持ち込みを行った所、[[長井勝一]]編集長に「滅茶苦茶にやるんならここまでやりなさい」と蛭子の漫画を見せられ、漫画家を挫折したことがある<ref name="loftbooks" />。
 
* [[平田オリザ]]から「どの役を務めても絶対に蛭子さんにしか見えない、不思議なコンテキストを持つ[[俳優]]」と評されている。
 
* 初期の頃は、名前を「ひるこのうしゅう」と誤読されていたこともあった<ref name="Billy" /><ref>かつて[[大槻ケンジ]]は蛭子能収を「ひるこのうしゅう」と読んでいたことを明かしている。</ref>。
 
* 人間関係の軋轢に苦しみ、24歳の若さで自殺した後輩漫画家の[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]について「芸術を志している人が死を選ぶ時、それは命を賭けた最大の芸術を慣行したということになるのではないかと思うのです。彼女は最大の芸術を完成させ、死霊になって私達が驚く様子を見て笑っているのではないでしょうか」と評価した<ref>青林堂『月刊漫画ガロ』1992年8月号「山田花子に捧ぐ」の中「それでは山田花子さんさようなら」より。</ref>。
 
* 特殊漫画家の[[根本敬]]は『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』の先輩漫画家であった[[水木しげる]]の逝去に際して「[[ガロ系|漫画界のある種の系譜]]において水木先生は“[[天皇]]”で、蛭子さんは70歳手前までずっと“[[皇太子]]”だった。([[2015年]][[11月30日]]に他界した水木しげる御大に代わって)蛭子さんは[[12月1日]]に即位して1カ月だけの“蛭子元年”があり、今年は“蛭子2年”。水木先生は暴言を吐いても、あのキャラクターが認知されているから好意的に解釈された。似たような状況に蛭子さんがいます」と宣言した<ref>[https://www.daily.co.jp/opinion-d/2016/01/04/0008693816.shtml 【芸能】“蛭子エンブレム”Tシャツに] - [[デイリースポーツ]] [[2016年]][[1月4日]]付</ref>。
 
 
=== 発言・思想 ===
 
* 「人生の目標は死なないこと、そして自由に生きること」を信条にしており、きっかけは小学生の時、父親の建てた[[やぐら]]から流れ星を眺めていた時に、「死んだらあの星みたいに消え去ってしまうのか」と急に“死”が頭をよぎり恐怖を覚えたためという。それ以来、誰かに殺されないために「出来るだけ人と群れないようにし、人から恨まれないように生きてきた」と述べている。また、「自由」に関しては、「あの流れ星のような一瞬の人生なんだから、他人の顔色を窺うこと無く死ぬまで楽しく自由に生きればいい。答えはそれだけ。もちろん自身が自由であるためには、他人の自由も尊重しないといけないという信念であり、それが鉄則なんです。自由気ままで自分勝手に生きていると思われているオレですが“自由に生きること”は絶対に守りたかったから、それでもいいんです」と述べている<ref name="atogakiyuruyuru">[[光文社]]『蛭子能収のゆるゆる人生相談』あとがきより。</ref>。また、息子や娘にも「人はそれぞれ自由に生きればいい」として[[放任|放任主義]]を取っていた。
 
* 「人から嫌われていると思ったことがない」とエッセイで述べており、「みんな嫌われるんじゃないかとか、友達だから嫌われたくないとか考えすぎです。他人にどう思われたっていいじゃないですか。僕は人から嫌われていると思ったことがない。だって人に迷惑をかけることをしていないもの。そう胸を張っていればいい」と持論を述べている。
 
* ブラックで過激な漫画の内容とは対照的に「殺戮なんて結局は虚しいだけ」として[[平和主義|平和主義者]]である事を公言している。[[戦争]]に関しても「戦争ほど個人の自由を奪うものなんて他にない。誰かの自由を強制的に奪うようなものは、いかなる理由があっても断固として反対です」と強く否定的な意見を持っている。また[[稲田朋美]]防衛相が[[平和安全法制|安保法]]に基づく新任務の訓練を開始すると表明したことについて「戦うのはアメリカに任せとけばいい」と事実上、皮肉を込めて批判している<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/11934410/ 蛭子能収 安保関連で暴言放ち爆笑呼ぶ「戦うのはアメリカに任せとけばいい」]ライブドア公式サイト</ref>。
 
* 偉そうにしたり恰好をつけたりするのが大の苦手と公言しており、「恰好をつけるとお金がかかって貧乏になり、最終的に恰好悪くなる」と述べている。
 
* 友達観に対して、「自由であることを第一に考えていると、友だちはいい存在である一方で、時には自由を妨げる存在にもなる。だから“誘われても断れる友達”以外は必要ない。友達の誘いだから断れないのはおかしい。誘いを断れないような間柄を友達というのなら、僕は友達なんていりません。実際に友達になると大体は私の方が立場は弱く、相手の言いなりになってパシリになる役回りなので、積極的に友達をつくろうと思ったことは昔からほとんどありません。たしかに友達は少ないですが、全然、寂しくなんかありませんよ。あんまり自分が孤独だと思い続けていると、いつしか得体の知れない狂気に変わってしまうこともあります。オレは女房さえいれば、友達なんかいてもいなくてもいいかな」と独自の持論を述べている<ref>[http://jisin.jp/serial/社会スポーツ/今週の町ネタ/10035 蛭子能収のゆるゆる人生相談「友達はそんなに大切?」] [[女性自身]] 2014年7月23日</ref>。
 
* 集団行動などの“群れ”にも懐疑的な立場を取っており、「昔の[[日本の学生運動|学生運動]]にしろ [[オウム真理教]]にしろ、最初は友達から始まったものが、行き着いた先は[[犯罪]]であり、殺し合いですよ。何人かが集まると、大体、リーダーというか親分が出てきます。そういう人についていけば、考えなくていいから楽かもしれませんが、その先には死が待ち構えているかもしれない。これは恐ろしいことですよ。集団では個人の自由が無くなり、リーダーの命令を聞かないと叩かれる。自分で正しい判断ができなくなるんです。最近[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]などで様々な人につながることが流行っていますが、一方で色々な事件も起こっていますよね。[[LINE (アプリケーション)|LINE]]のグループチャットで悪口を言われたひとりが、悪口を言っていた友達を殺してしまった事件とかね。最初は友達だったのに仲間割れしていく。だって人の考えなんてそれぞれだからね。それを無理やりまとめていこうとすると、最悪の場合殺人に行き着くことさえある。あんまり友達とべったり仲良くし過ぎると、将来敵同士になる可能性があるんです」と独自の持論を述べ、現代の「人付き合い」や「つながり礼賛」の風潮に疑問を投げかけている<ref>[http://www.asahi.com/articles/DA3S11209678.html 朝日新聞デジタル 2014年6月26日]</ref>。その一方で、趣味を共有するグループなど、限られた目的を持ったグループには肯定的な立場を取っている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第一章 群れずに生きる」の中「趣味のグループは楽しい」より。</ref><ref>[http://sololife.jp/article/1051 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその1「自分の好きなことをしっかり持て!」]</ref>。
 
* [[裁判員制度]]について「行くのがめんどくさいから反対」という本音を語っている<ref>『[[SPA!]]』2009年4月7日号「今さらながら裁判員制度に大反対!!」</ref>。
 
* [[長崎県|長崎]]時代に[[ベトナムに平和を!市民連合|ベ平連]]の[[デモ活動|デモ]]に参加したことがあるが「あれ見てる方もやる方も恥ずかしいですね」と回想している<ref name="Billy" />。
 
* 女遊びや浮気をする男性に対し「家に帰れば嫁さんとタダでヤレるのに(浮気する)理由が分からない」と批判的な意見を持っている<ref>{{Cite web|url=http://wedding.gnavi.co.jp/howto/12706/|title=男がみんな浮気するわけではない!絶対浮気をしない男の特徴|publisher=ぐるなびWEDDING|date=2014-01-22|accessdate=2015-03-28}}</ref>。
 
* 「幸せな家庭は他人に見せつけない方がいい。誰に見られてるか分からないし、もしかしたら不幸そうな人が傍からジーっと見ているかもしれない」と独自の持論を述べており、幸福そうな人達が通り魔に惨殺されるだけの漫画を描いたこともある<ref>単行本『私はバカになりたい』(青林堂刊)に収録された「普通の人々」という作品の中で「幸福そうに見える家族や恋人同士を次々と襲っては自分の不幸を他人にも押し付ける意地汚い連中がウヨウヨしている。一寸でも幸福そうなところを見られたら全員惨殺と言う事になる」という台詞が登場している。</ref>。
 
* 不特定多数の人が見る[[ブログ]]や[[ソーシャル・ネットワーキング・サービス|SNS]]で“幸せアピール”をする事に疑問を抱いており、「他人の幸せそうな姿なんて見て誰が喜ぶの?みんな不幸になるように呪いをかけてるかもよ。とにかく人にやっかまれることはしないほうがいい。絶対にしっぺ返しが来る。そもそも他人に好かれよう嫌われまいという気持ちが強すぎ。大体、今日これ食べたとかどこに行ったとか、うちのネコちゃんが可愛いとか、要するに“私楽しい人生を送ってます”というアピールでしょ?そんなもん誰も知りたくないし、どうでもいい。人間が知りたいのは他人の不幸。だから楽しいことは一切投稿するなと言いたい」と批判的な意見を述べている<ref>[http://president.jp/articles/-/15714?display=b Facebook依存症? 毎日投稿、「いいね!」の数も気になる。どうしたらいいのか]「PRESIDENT Online」2015年8月3日号</ref>。
 
* 日本[[尊厳死]]協会に入っており、「寝たきりになって意識もないのに、人の世話になってまで生き続けたいと思わない。介護や看病されて過ごすのもまっぴらです。だって、自分が何より大切にしてきたのは自由だし、その自由を他人から奪ってまで長生きしたいと思わない。だから今の医学でも回復の見込みがない状態になったら延命措置をせず、その時を迎えます」と述べている<ref name="atogakiyuruyuru" />。
 
* かつてテレビ番組で「[[エレベーター]]の底が抜ける気がして怖い」と発言し、周りから「そんなことありえない」と笑われたことがあるが、ほどなくして[[シンドラーエレベータ#事故・不祥事|エレベーターでの死傷事故]]が多発し、[[社会問題]]に発展した。
 
* [[アンガールズ]]の[[田中卓志]]が「スベっているのに仕事が急激に増えた」と悩んでいた頃に雑誌の対談で蛭子に相談したところ、蛭子は漫画の原稿を間違えて他誌の編集部へ送った経験を述べた。蛭子によると、「数日が過ぎてから、競艇雑誌にエッチな漫画を、エッチな雑誌に競艇の漫画をあべこべに送ってしまったことに気づいたけど、結局どちらの編集部からも“漫画の原稿うちのじゃないですよ”と言われず、そのまま雑誌に掲載されて、その後もこの件について、どこからも何も言ってこなかった。誰も俺の漫画なんか見ていない」と田中に述べ、「だからさ(田中君が悩むほど)世の中の人は田中君のことは見てないから気にせずやったら良いよ」と励ました<ref group="注釈">田中は蛭子の回答を受けて、憤慨しつつも救われた気持ちになったという。その後、田中は蛭子を“心の師匠”として尊敬する様になり、田中は蛭子と共演した際に番組内で再三感謝の弁を述べた。しかし、蛭子は田中に相談された事を憶えていなかった。この模様は[[ビーエス朝日|BS朝日]]のトーク番組「[[極上空間]]」([[2015年]][[3月14日]]放送)にて伝えられた。</ref><ref>[http://japan.techinsight.jp/2011/06/hitoshimatumoto_angatanaka1106181218 「世の中の人は田中君のこと、そんなに見てないよ。」悩みを打ち明けたアンガ・田中に、蛭子能収が出した驚きの答え]</ref><ref>[http://jisin.jp/news/2637/7290/ 「オレでいいのかな…」蛭子能収の人生相談がスタート【蛭子能収】] 女性自身 2637号ニュース 2014年6月12日</ref>。
 
* 「自己主張しない」という持論を持っており、「自己主張は自分の心のなかにこそ持っているべきで、それを口に出して言わない方がいいと思うんですよ。自分にただ言い聞かせるだけで。そうしたら人と喧嘩しなくて済む。自己主張を口に出して言うと他の人の自己主張と対立してしまうかもしれないし、言い合ったところでたいした問題でもないかもしれない。そういう場合は、意見があったとしても向こうがそう言っているならその場は降りる。相手を立たせてあげるということも大事ですよ」と述べている。その一方で、「自分のやりたいことができるかできないかは、そのやりたいことに他人が関わる程度によると思います。自分がどうしてもやりたいことで他人が関わってくる話ならば、やっぱり相手をしっかり説得する必要があります。ただ、説得は自己主張とは違います」とも述べている<ref>[http://sololife.jp/article/1055 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその2「自己主張は自分にすればいい」]</ref>。
 
* 「お金は貸したら返ってこない、だから絶対に貸さない」という持論を持っており、恩人の[[高杉弾]]から借金を頼まれた時も「高杉さんに貸しても返ってこないから」とはっきり断ったことがある<ref name="spectator 85" />。蛭子自身「テレビに出るようになってから、昔の友達じゃないかという人からわんさか[[電話]]がかかってきましたが、結局みんなの目的は『金を貸してくれ』でした。人に金を借りにくる人はだいたい無計画で無責任。もちろん貸した金が返ってくるはずもなく踏み倒されて大損しました。でも、しつこく返してくれとも言えないし、言えない自分がまた嫌で、そんな気持ちになるくらいなら友達なんていらないですよ」と過去の苦い経験を語っており<ref>蛭子能収 [http://president.jp/articles/-/11403 仕事関係以外、鳴らないケータイ。友達が欲しい] PRESIDENT 2013年1月14日号</ref>、息子にも「とにかくお金を借りず貸さず盗まずに生きなさい」とだけ教育していた。
 
* [[職業差別]]問題について「この世にはありとあらゆる[[職業]]があって、誰かしらがそれをこなしているわけだから、仕事に上下の差をつけるという考えが間違っているのだ。人に必要とされるものに差別があってはならないとオレは思う」と自論を述べ、批判的な意見を持っている<ref>蛭子能収『こんなオレでも働けた』より</ref>。
 
* [[児童虐待]]問題について「子供を[[虐待]]する親は人として発達していない、人間になる途中の人。抵抗できない子供を虐待する親は“病気”として捉えるべき」と述べている。
 
* 温厚でのんびりしたような性格に見えるがとてもせっかちである。本人曰く、「ちょっとでも暇な時間があったら好きなことをぱっとやる。無駄には使わない。せっかくの[[日曜日]]だというのに家で朝まで寝ていたり、[[コンパクトディスク|CD]]聴いてたり、[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]いじってたり、[[テレビ]]見てたり、[[休日]]を家でボンヤリ過ごす、これはもうギャンブラー失格です。ギャンブラー失格というよりも人間失格ですね。自分で何がしたいか解らないと、ただボーッとしているだけになっちゃう。だから自分のしたいことを考えないと。それを持っていない人はやはりちょっとおかしいですよね。一人でいられないから人に流されて人に使われるようになっちゃう。群れることに一生懸命になる人って本当にしたい事なんて無いんじゃないですか。一生、他人に使われて終わるんじゃないかと思いますよ」とコメントしている<ref> [http://www.yomidr.yomiuri.co.jp/page.jsp?id=110955 2015年1月24日 読売新聞]</ref>。
 
* 芸能人では[[ビートたけし]]を最も尊敬しており、「いつも自分の思った事を説得力を持った上で自由にコメントしている。芸にしても時に滅茶苦茶なことをわざとやったりして、とっても自由。さらに、自分の好きな映画も撮って、国際映画祭で賞もたくさんもらっている。類い稀な才能に溢れた凄い人だと思います。でもなにより尊敬するのは、芸能界の大御所であるにも関わらず、いつだって謙虚なところかもしれない。憧れの存在です」と述べている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第三章 すべては自由であるために」の中「芸能界で好きな人」より。</ref>。
 
* 死生観について「オレが死んだ時は誰も葬式に来てくれなくていいからね」と述べており、「オレは死んでしまったら魂も意識もなくなってしまうと思っているんです。あの世にいったら亡くなった家族の元に帰れるんだ、という考えもありません。そんなオレのために生きている人がわざわざ墓参りに来て欲しくないですね。人の自由な時間を奪いたくありませんからね。オレが死んだら食べても良いですし、葬式で笑われても構わないですね。遺灰なんてそのあたりの土手でもいいし、道路でも川でも適当にまいてくれればいいですよ。死んだらもう自分としては意識がないんだから何もしてくれんでもいいですよ。親族も悲しがってくれなくていいです。悲しんでもらってもオレにはわからないんだから全然必要ないですね」と独自の持論を語っている<ref name="OCN TODAY5" />。また、「過去に死んだ人より今を生きる人と過ごす時間を大事にしたい、冷たいって思われるかもしれないけど」とも述べている。
 
* 生きていく上で一番幸せなことは「自分の考えている事を行動に移して実現すること」と述べている。
 
 
=== 仕事に対する姿勢 ===
 
* 仕事観について「サラリーマンの仕事なんてみっともないことばかり、心の貧しい生活を強いられているのがサラリーマン」「仕事はつらいことをする代わりにお金をもらうもの、お金を貰えるなら何でも我慢できる、どんな悩みも困ったこともすべてお金が解決してくれる」「仕事をしている間は雇い主に自分の考えも時間も拘束されていると割り切っているので嫌なことがあっても我慢できる。プライドはあんまり持たないこと」「夢を追いかけ続けるのはいいけど、生活するためのお金はどこか別で稼がなくちゃダメ、衣食足りてこその夢の追求なのだから漫画だけで食えない作家は趣味に徹するべき」「上に立つ立場になっても実力がないのなら立派なことをしようと力まない方がいい」「仕事でやりがいや生きがいを見つけようとするのが間違い。仕事で輝くという人生は変、人は競艇場で輝くために働くんです」という持論を持っており、テレビの仕事でも心がけていることについて「ディレクターの指示どおり動き、自分の意見は余り主張しないこと。仕事はお金をもらっている以上、諦めて何でもハイハイ言ってたらいいんです」と述べている<ref>{{cite web|url=http://news.infoseek.co.jp/article/taishu_15177|title= 蛭子能収「芸能界メッタ斬り」毒舌バクロ|publisher=日刊大衆|date=2015-04-28|accessdate=2017-06-25}}</ref>。
 
* テレビ出演当初から「温厚で気が弱そうな人畜無害おじさん」として、出演者や司会者になじられても常にニコニコ笑っている印象で知られる。そのため、いじられキャラや[[ヨゴレ]]キャラとして[[バラエティ番組]]に出演させられることが多くなり、番組内で[[ギョウ虫]]検査を受けさせられた事もある。なかでも日本テレビの大晦日特番『[[絶対に笑ってはいけない地球防衛軍24時]]』内で「蛭子能収の汗を基に作られた塩大福を出演者が知らずに食べる」という過激なネタが放映され、全国の視聴者に強烈な[[トラウマ]]を植え付けた(ちなみに塩大福を食べたのは[[月亭方正]]と[[遠藤章造]])。しかし本人は依頼された仕事は生命に関わる仕事以外は絶対に断らない主義である<ref name="takarajima" /><ref>{{cite web|url=http://www.tokyo-sports.co.jp/entame/entertainment/622751/|title=太川陽介&蛭子能収「路線バスの旅」卒業のウラ事情|publisher=東スポWeb|date=2016-11-30|accessdate=2017-06-25}}</ref>。これはサラリーマン時代から仕事でつらい事があっても金を貰う対価として割り切れる姿勢から来ているという<ref name=cakes/><ref>{{Cite web|url=http://rooftop.cc/interview/150202133000.php|title=世間が思ってるほど「クズ」じゃない!?蛭子流「幸福追求のための哲学」とは?|publisher=LOFT|date=2015-02-02|accessdate=2015-03-28}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.tv-asahi.co.jp/buramayo/backnumber/167/index.html|title=バックナンバー 2014年10月11日|publisher=[[ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!]] 番組公式サイト|date=2014-10-11|accessdate=2015-03-28}}</ref>。また、いつも笑っているのは「子供の頃から自然に身についたもの」としており「理由もなくニコニコ笑っていれば、相手が正直な気持ちを言いやすいようになるじゃないですか。言うまでもなく、ムッとしているよりは言いやすいですよね」と理由を述べている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第二章 『自己主張』はしない」の中「わざと隙を見せる術」より。</ref>。
 
* 漫画家仲間の根本敬は蛭子のキャラクターを「知的装飾の欠如した言動に特徴があり、物事の本質しか突かぬ蛭子の言葉と特徴的な振る舞いは、その"[[くまのプーさん]]"の着ぐるみがずぶ濡れになった様な風体と独特のキャラクターがコメディー番組などで大いに受けるところとなった」と分析しており<ref name="nemoto" />、その世間一般の常識にとらわれない、モラルに頓着しない振る舞いゆえ、共演者や視聴者の顰蹙を買うことが多いが、本人は「“視聴者受けするようなことを言わなくては”とは絶対に思いませんでした。だって、それではウソになってしまうから。それで共演者や視聴者から顰蹙を買うようなことがあっても、自分自身でいるためには自分を偽らない事しか手段がなかったんです」と述べている。
 
* 楽屋挨拶はしない立場を取っており、楽屋では漫画を描いたり競艇の予想をするなど気ままに過ごしていた。そのため“礼儀知らず”と他人から責められ、「自分よりランクが下の人間には挨拶しない」という事実無根の噂も流された経験があるというが、本人曰く「あいさつという行為そのものが、逆に相手の迷惑になってしまうんじゃないかって考えてしまうんです。別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし、むしろ相手の貴重な時間を奪ってしまうことが怖い」と独自の自論を述べている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第二章 『自己主張』はしない」の中「楽屋あいさつはしない」より。</ref>。
 
* 「お金にきゅうきゅうとすることは人としても大切」という持論を持っており、「お金にあくせくして、何がいけないんですかね。オレはずっと貧乏暮らしで漫画だけでは食っていけないから、ちり紙交換などいろんなバイトもしました。その頃は家族が一ヶ月暮らしていける生活費を計算して、その分を稼ぐため、とにかく必死に仕事をしていました」と述べている。
 
* 今までにタレント業だけで億単位の収入を稼いでおり、ピーク時には1億円もの年収があった。漫画でも月50万円もの収入があるが「あくまで貧乏人の振りをしている」と述べており、「貧乏人を装って必要以上にヘコヘコして笑われるように持っていってるところがありますね。そうすれば視聴者は自分より下の奴がテレビに出てるって安心するんですよ。金持ちだと思われると妬まれたり、恨まれたりするでしょ。だからオレは貧乏人をずっと装い続けているの」と[[ラジオパーソナリティ]]の[[伊集院光]]に話したことがある。
 
* 女性誌のインタビューでも「自分が一番情けないことをどんどん見せて、他人が自分をバカにする態度を見て楽しんでいればいい。向こうはバカにしたつもりでいても、こっちはわざとバカにされるように仕向けているんだから、『あいつは自分をこういう風に見ているんだな』って逆に楽しめばいいし、バカにされることを受け入れた方がいいと思うよ。その方が、気がラクになると思うんだけどなぁ。そんで、自分は誰もバカにしないように気をつけてたらいいじゃん。それにバカにする人がいたとしても、そいつが自分をどう思ってるかなんてそんなに重要かなぁ」と独自の持論を述べている。
 
* [[女性自身]]の連載コラム『蛭子能収のゆるゆる人生相談』でも「そうは見えないだろうけど、オレは意外と計算高い」と述べており、「オレはこう見えて世の中の動きを見ているんです。マンガも“[[ヘタウマ]]”の時代に、期を逃したらダメだと思って、描きまくりました。テレビも“素人の時代”と言われた時期があって、その波にうまく乗ったんです。時代の波に乗るコツは、競艇場で人の観察をすることですね。レースに熱中しているふりをしながら、そこに集まる人を見ているんです。オレは意外と計算高いんですよ」と述べている<ref>[http://news.livedoor.com/lite/article_detail/10408812/ 蛭子能収のゆるゆる人生相談「40歳を過ぎて仕事がなくなり…」] [[女性自身]] 2015年7月30日</ref><ref group="注釈">[[1982年]]刊行の単行本『[[私はバカになりたい]]』([[青林堂]])のあとがきでも「頭が悪いくせに計算高い」と述べている。</ref>。
 
 
=== ギャンブル ===
 
* 無類のギャンブル好きで[[競艇]]から[[麻雀]]、[[パチンコ]]、[[カジノ]]までオールラウンドにこなす。妻と[[ラスベガス]]旅行中もカジノにはまった。[[丁半]]、[[チンチロリン]]など大衆博戯も得意領域である。[[競馬]]は得意領域ではないため[[スポーツ新聞]]の予想を頼りにしている。競馬にのめり込まない理由として「動物に興味がない」「動物に癒されたことはない」「人と動物は気持ちが通じ合わない」「気持ちが通じ合うとすれば、それは人間の思い込み」と独自の倫理観を展開している<ref>女性自身2638号「蛭子能収のゆるゆる人生相談」より。</ref>。
 
* 高校在学中「高校生はパチンコ禁止」という学校のルールを守り続け、高校の卒業式終了と同時にパチンコ屋に直行した。全国民の中で、高校卒業後に最速でパチンコ屋へ行ったのは自分ではないかと回想している<ref>[http://guideworks.co.jp/ukiuki/archives/4 蛭子能収のうきうきギャンブラー人生 初めてのパチンコ] [[ガイドワークス]]</ref>。
 
* これまでにギャンブルで1億円以上負けている<ref>[http://guideworks.co.jp/ukiuki/archives/9 蛭子能収のうきうきギャンブラー人生 一億円も負けてる私…] [[ガイドワークス]]</ref>。ただし、借金は一銭もなく「ギャンブルで失敗しても自業自得なんだし身から出た錆。借金してギャンブルは確実に地獄行き」と持論を述べている。
 
* [[2006年]]8月には大村競艇場で「'''蛭子能収杯'''」という一般戦の冠レースが開催され、初日の10 - 12レースは蛭子自らが番組編成に当たった。競艇選手以外の個人名の冠レースは、この蛭子能収杯が競艇史上初。また、2008年からは、大村競艇場で開催されたオール女子戦(2008年と2009年は女子リーグ)のサブタイトルとして「真夏の女王蛭子能収杯」が付けられ、「'''蛭子ドリーム'''」と名づけられた初日の12Rの[[ドリーム戦]]は、蛭子自らメンバー選定、番組編成に当たっている。
 
* また[[2008年]]から、[[多摩川競艇場]]にて「'''多摩川蛭子カップ'''」という一般戦の冠レースが開催されている。ここでも初日の後半2レースで蛭子自ら番組編成に当たっている。
 
* 競艇以外の[[公営競技]]では[[1996年]]に[[ばんえい競走|ばんえい競馬]]のイメージキャラクターを務めていた。
 
* [[1998年]]11月に、[[東京都]][[新宿区]][[歌舞伎町]]の麻雀店で[[麻雀]]賭博の[[現行犯]]で[[逮捕]]、約4か月の間タレントとしての活動を自粛した。その際に、「自分があんな(あの程度の安い)レートで[[日本の警察|警察]]の御用になるんだったら、[[東尾修|東尾]]さんなんか[[懲役]]ものじゃないのか」と語っていたという<ref>[[やくみつる]]の著書『やくみつるの故意死球』(ドリームクエスト 1999年)より{{要ページ番号|date=2015年3月}}。</ref>。後に「図に乗っていたので、ここで一度落とされて良かった」と回想している<ref>NHK『[[演芸図鑑|立川志らくの演芸図鑑]]』(2012年10月21日放送)ゲスト出演時{{出典無効|date=2015年3月|title=「TVで観た」は検証可能性を満たしません。}}</ref>。
 
* 本人をモチーフとした[[パチンコ]]台「'''CR蛭子能収'''」「'''CR蛭人'''」([[高尾 (パチンコメーカー)|高尾]]より発売)も登場した。
 
* [[梅沢富美男]]いわく「あいつせこいよね~!」「もう、ああいうのはギャンブル場には入れちゃいけないよ」と評するほど賭け方が無謀であるという。
 
 
=== 家族 ===
 
兄と姉の三人兄弟の末っ子。最初の妻との間に儲けた1男1女と、現在の妻の連れ子である義娘の計3人の父<ref>{{Cite web|url=http://jisin.jp/serial/社会スポーツ/今週の町ネタ/11130|title=蛭子能収のゆるゆる人生相談「結婚相手に子どもが…」|publisher=[[女性自身]]|date=2015-01-02|accessdate=2015-03-28}}</ref>。
 
 
愛妻家として広く知られており、前妻と死別した際「人間って誰かを幸せにしたり喜ばせるために生まれてくると思ってるんですよ。で、一番身近な誰かって、結局は家族でしょう。女房は俺を幸せにするために生まれてきた。そして俺は女房を喜ばせるのが運命だった。そういうことではないですかね」と著書『ヘタウマな愛』で述べた事がある<ref>『ヘタウマな愛』ベストセラーズ発行 (2002年7月)</ref>。
 
 
奥さんと仲の良い秘訣については「一緒の布団で寝ること」とのことで「激しい夫婦ゲンカをしても、同じ布団で寝れば肌も触れ合う。そうすると自然と仲直りしているんですよ」と語っていた<ref name=bunshun020912>[[週刊文春]] 2002年9月12日号 144-148頁『阿川佐和子のこの人に会いたい(452)』</ref>。そんな不遇の時代を支えてくれた最初の妻は[[2001年]]に[[肺高血圧|肺高血圧症]]で逝去。前妻の死によって「寄り添う相手の居ない本当の孤独」に襲われたことを述べている。
 
 
寂しさのあまり[[マネージャー]]や周囲の女性に必死でアプローチをかけたが、すべて失敗したという。その2年後の[[2003年]]4月に雑誌・[[女性自身]]の企画の[[見合い|お見合い]]パーティーで19歳年下の女性と知り合い、3年半に及ぶ交際の末、[[2007年]]1月に[[再婚]]。再婚を機に、それまで住んでいた[[埼玉県]][[所沢市]]を離れ新居を構えた。この再婚相手の女性の娘は「蛭子さんの娘」としてテレビにも出演している。また、[[杉作J太郎]]率いる男の墓場プロダクション製作の映画にて「希和」の芸名で女優デビューを果たしている。
 
 
両親は[[徳島県]][[海部郡 (徳島県)|海部郡]][[日和佐町]](現・[[美波町]]) 出身<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/土曜イベントアワー/539572|title=TVでた蔵「2012年1月21日放送 土曜イベントアワー」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2012-01-21|accessdate=2015-03-28}}</ref>。父親の蛭子鹿之助(1905年 - 1969年)は[[漁師]]<ref>{{Cite web|url=http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/geino/153337/1|title=くじ引きたさで駄菓子屋へ 蛭子能収“ギャンブル熱”の原点|publisher=[[日刊ゲンダイ]]|date=2014-09-15|accessdate=2015-03-28}}</ref>。漁業の町である日和佐は、[[えびす]]信仰が根強く恵比須や戎といった地区名が数多く残っている<ref name="familyhistory">[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]『[[ファミリーヒストリー]]』[[2016年]][[5月19日]]放送「伝説の漁師集団 父は死の海にこぎだす」より。</ref>。しかし、日和佐で蛭子を名乗ったのは蛭子一家だけだったという<ref name="familyhistory" />。鹿之助の生涯については[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]の[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー番組]]『[[ファミリーヒストリー]]』で詳しく取り上げられたことがある<ref name="mainichi">[http://mainichi.jp/articles/20160612/ddm/013/070/023000c 蛭子さんの自由が一番「尊敬できる父」=蛭子能収 毎日新聞 2016年6月12日 東京朝刊]</ref>。
 
 
長男の蛭子一郎(1974年 - )は[[KID (ゲームブランド)|KID]]所属の元ゲームプログラマーで、現在は[[ノイジークローク]]所属のサウンドデザイナー<ref>{{Cite web|url=http://www.noisycroak.co.jp/artists/|title=スタッフ紹介|publisher=[[ノイジークローク]]|date=|accessdate=2015-03-28}}</ref>。一郎の名前は俳優で歌手の[[荒木一郎]]から取られている。かつて[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の[[バラエティ番組]]『[[スーパージョッキー|スーパーJOCKEY]]』に出演し親子で熱湯風呂に入らされたこともある<ref>[[週刊読売]] 1999年12月19日号 78-80頁『家族の風景(46)蛭子能収(前)』</ref>。
 
 
=== 故郷に対する想い ===
 
海と山と島の自然が見える故郷・長崎には思い入れがあり、実家があった場所に[[女神大橋]]の橋脚が完成したことについて、「自然の中に鉄骨がある風景はあんまり好きじゃない。島がいっぱいあって、夕日がきれいな景色とかは、ずっと大切にしてほしい」とコメントしている<ref>『[[長崎新聞]]』2010年2月9日「故郷への提言 本県出身著名人に聞く」より。</ref>。
 
 
=== 笑い上戸 ===
 
子供の頃から笑ってはいけない場面で笑ってしまう失笑恐怖症を患っており、[[小学校]]の[[国語 (教科)|国語]]の時間で[[教科書]]を朗読する際にも必ず笑ってしまい、ほかの生徒達が面白がって笑ってくれても、段々と白けていき、静かな教室で自分の苦しい笑い声と先生の怖そうな顔が目立って冷や汗をかいたという<ref name=bakaninaritai>蛭子能収『私はバカになりたい』(青林堂刊)あとがき「私のイヤーな性格について暴露する二、三の事柄」より。</ref>。
 
 
[[病院]]でも笑う癖があり、[[歯科医師|歯科医院]]の治療で顔を真っ赤にしながら笑いを我慢していると思わず涙がこぼれ、[[看護師|看護婦]]に「痛かったですか?」と勘違いされたことがある<ref name=bakaninaritai/>。[[眼科学|眼科]]で治療に臨んだ時も、目医者が頬に[[目薬]]を一滴落としただけで思わず二、三分間も笑い続けた<ref name=bakaninaritai/>。親戚が亡くなった際にも仲が良かった親戚の女の子と[[葬式]]の一番後ろに着いて、ずっと二人で笑っていたという<ref name="mainichi" /><ref name=bakaninaritai/>。この時から常に「親の葬式の時は果たして笑わないでいられるだろうか」「どれほど深刻ぶる事が出来るのだろうか」と悩んでいたと単行本『[[私はバカになりたい]]』([[1982年]]・[[青林堂]])の「あとがき」で述べている。
 
 
出演するテレビ番組でも、悲しい場面で笑ってしまい、[[生放送]]だったため、[[コマーシャルメッセージ|CM]]に切り替えられたことがある<ref name=bunshun020912/>。[[きたろう]]は以前に蛭子と共演した際、蛭子が「きたろうさんが[[刑事]]役をやるのがおかしい」と笑ってばかりで[[NG (放送用語)|NG]]を連発してしまい、ひどい目に遭っている<ref>{{Cite web|url=http://www.bs11.jp/entertainment/1343/|title=過去のラインアップ(「第39回」参照)|publisher=本番前@控室([[BS11]])番組公式サイト|date=|accessdate=2015-03-28}}</ref>。[[競走馬]]の[[テンポイント]]の感動シーンでも、ひとり爆笑して雰囲気を壊したことがある<ref>{{Cite web|url=http://datazoo.jp/tv/さんまのスーパーからくりTV/770989|title=TVでた蔵「2014年7月20日放送 さんまのスーパーからくりTV」|publisher=[[ワイヤーアクション (企業)|ワイヤーアクション]]|date=2014-07-20|accessdate=2015-03-28}}</ref>。また、雑誌の企画で[[杉作J太郎]]の[[包茎手術]]の様子を漫画に描くため手術現場に同行した際にも「あそこがキノコ雲になってる」と終始爆笑していたことが明かされている。
 
 
蛭子自身も「結婚式も葬式もパーティも“式”そのものがすごく苦手で特に葬式は極力行かないようにしている」と述べており<ref name=hitoribotchi>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第一章 群れずに生きる」の中「葬式が〝喜劇〟に見えてしまう」より。</ref>、知人の葬式でも「参列者全員が神妙な顔をしている」「笑ってはいけないシリアスなシーンにいる自分が滑稽」ということがおかしくて笑ってしまい、そのため「'''笑う悪魔'''」という[[愛称|ニックネーム]]を付けられたこともある。
 
 
[[1992年]]に[[飛び降り|投身自殺]]した[[山田花子 (漫画家)|山田花子]]の葬儀に参列した時も、笑いを我慢することに耐えきれず、肩を震わせ嗚咽を漏らしていたという。後に蛭子は「線香を上げてるときに、オレの後ろには山田花子さんの両親がいたんだけど『頼むからそこからオレを見たら泣いてる風に間違えてくれ』と思っていた。きっと、向こうの両親にはオレが悲しんで泣いてるみたいに見えたと思う」と回想している<ref name="tondemo" /><ref>[https://web.archive.org/web/20150406232515/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people04.html 悪魔の癖にメス!蛭子能収が“笑う悪魔”と呼ばれる所以、真実はこれだ! (4/6) ] OCN TODAY</ref>。
 
 
この悪い癖のため、[[逸見政孝]]の追悼番組で出演を拒否されたこともあった<ref>{{Cite web|url=http://tvtopic.goo.ne.jp/kansai/program/info/307686/index.html|title=2014年10月19日(日)「お笑いワイドショー マルコポロリ」)|publisher=gooテレビ|date=2014-10-19|accessdate=2015-03-28}}</ref>。この出演を見送らせたディレクターは[[1994年]]に交通事故死しており<ref>根本敬 『人生解毒波止場』(幻冬舎文庫)p.250</ref>、ビートたけしも同年交通事故を起こし[[頭蓋骨骨折|頭蓋骨の陥没骨折]]や[[ベル麻痺|顔面麻痺]]の重傷を負っている。たけしは事故の前に蛭子のサイン本を貰っていることから「呪われているんじゃないか」とも語っている<ref> 『ビートたけし&浅草キッド ビートニクラジオ』(1998年7月26日)</ref>。[[1999年]]に逝去した[[ビートたけし]]の母の葬儀に参列した時も笑顔で葬式を過ごし、北野家の遺族達を激怒させたと言う<ref name=hitoribotchi/>。
 
 
交通事故死した自身のファンクラブ会長の遺体と[[霊安室]]で対面した際には、棺の中に自著『なんとなくピンピン』が収められているのを見て笑いが止まらなくなったという逸話がある<ref name="takarajima" /><ref name="tondemo" />。また[[根本敬]]の証言によれば『なんとなくピンピン』のサイン本を貰った人間のうち4人が交通事故に遭っており、そのうち2人は死亡している<ref name="takarajima" />。サイン本を貰っていた[[みうらじゅん]]も[[タイ王国|タイ]]で[[オートバイ|バイク]]事故に巻き込まれ、[[麻酔]]も打たずに[[手術]]を受ける羽目になったという<ref name="takarajima" />。これらのエピソードから根本は「直接ではないが間接的には何人も殺している」とも語っている<ref name="tondemo" />。また根本の担当編集者であった[[白取千夏雄]]も「蛭子さんを『理解せず』付き合うと、死ぬこともあるので注意が必要だ」と警鐘を鳴らしていた<ref name="shiratori" />。
 
 
自身の母親の葬式でも終始笑顔で、親類にたしなめられたという。26年ぶりに再会した実兄も母親の葬式を笑顔で過ごし、葬儀終了後に2人で[[パチンコ]]に出掛けようとしたという<ref>根本敬 『人生解毒波止場』(幻冬舎文庫)p.256-257</ref>。ただし、最愛の元妻が亡くなった時は唯一涙を流して悲しんだ<ref name=hitoribotchi/>。その後、「オレは両親が死んだときでさえ泣かなかった。人でなしと思われるかもしれないが、人前で変に感情をあらわにするなんて、恥ずかしいことだと思っていた。でもこの時は生まれて初めて本当の孤独というものを知ったのかもしれない」と語っている<ref>『ひとりぼっちを笑うな』(角川oneテーマ21)-「第四章 『孤独』と『死』について」の中「本当の『孤独』を知った前妻の死」より。</ref>。
 
 
== 作品 ==
 
=== 漫画単行本 ===
 
'''※現在多くの作品が紙媒体で入手困難'''
 
* '''[[地獄に堕ちた教師ども]]''' (1981年 [[青林堂]]※絶版)
 
** {{全国書誌番号|83026137}} {{ASIN|B000J7GCVU}}
 
* '''[[私はバカになりたい]]'''(1982年 青林堂※絶版)
 
** {{全国書誌番号|83026156}} {{ASIN|B000J7GCR4}}
 
* '''私の彼は意味がない''' (1982年 青林堂※絶版)
 
** {{全国書誌番号|83026155}} {{ASIN|B000J7GCRE}}
 
* '''私は何も考えない''' (1983年 青林堂※絶版)
 
** {{全国書誌番号|84033742}} {{ASIN|B000J777U0}}
 
* '''なんとなくピンピン''' (1983年 青林堂※絶版)
 
** {{全国書誌番号|84011658}} {{ASIN|B000J7AEWS}}
 
* '''ゲイジュツ魂''' (1984年 青林堂※絶版)
 
** {{全国書誌番号|85009460}} {{ASIN|B000J72C28}}
 
* '''お隣さん''' (1985年 青林堂※絶版)
 
**ISBN 978-4-7926-0140-9
 
* '''サラリーマン危機一発''' (1985年 [[河出書房新社]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-3097-2502-4
 
* '''狂ったバナナ-シュール・ド・エロ''' (1985年 辰巳出版※絶版)
 
** {{ASIN|B00SMPTS0I}}
 
* '''実験電車-シュール・ド・エロ''' (1985年 辰巳出版※絶版)
 
** {{ASIN|B00SMQ9YRE}}
 
* '''超短編傑作漫画集''' (1985年 [[宝島社]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-8806-3087-8
 
* '''馬鹿バンザイ''' (1986年 青林堂※絶版)
 
**ISBN 978-4-7926-0152-2
 
* '''家族天国''' (1986年 [[双葉社]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-5759-3028-3
 
* '''死んでも笑へ!!''' (1987年 青林堂※絶版)
 
**ISBN 978-4-7926-0173-7
 
* '''明るい映画館''' (1987年 [[白泉社]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-5921-3108-3
 
* '''日本の友人''' (1988年 青林堂※絶版)
 
**ISBN 978-4-7926-0177-5
 
* '''蛭子能収の人生日記''' (1989年 青林堂※絶版)
 
**ISBN 978-4-7926-0187-4
 
* '''イカすバカウマ天国''' (1990年 白泉社※絶版)
 
**ISBN 978-4-5921-3137-3
 
* '''笑う悪魔の黙示録''' (1990年 [[マガジンハウス]]※絶版)
 
**ISBN 978-4838701568 ※絶版)
 
* '''蛭子ファンクラブ''' (1992年 宝島社※絶版)
 
**ISBN 978-4796604291
 
* '''蛭子漫画''' (1993年 [[辰巳出版]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-8864-1102-0
 
* '''これは何だ!えびすよしかず作品集''' (1996年 [[日本文芸社]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-5370-9665-1
 
* '''黒いギャンブラー''' (1996年 [[竹書房]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-8124-5014-7
 
* '''私立探偵エビスヨシカズ''' (1997年 [[Pヴァイン|ブルースインターアクションズ]]※絶版)
 
**ISBN 978-4-9383-3929-6
 
* '''俺は大丈夫''' (2001年 青林堂※絶版)
 
**ISBN 978-4-7926-0339-7
 
* '''蛭子能収コレクション''' (2004年 マガジンファイブ※絶版)
 
** 地獄編「地獄を見た男」(解説 [[根本敬]] ISBN 978-4-4340-3887-7)
 
** ギャンブル編「パチンコ屋はインテリを嫌う」(解説 [[井崎脩五郎]] ISBN 978-4-4340-3888-4)
 
** グルメ編「雪と女とラーメンと」(解説 [[杉作J太郎]] ISBN 978-4-4340-3889-1)
 
** 動物編「豚男ジャパニーズ」(解説 [[タナダユキ]] ISBN 978-4-4340-4507-3)
 
** 病気編「鼻は詰まった」(解説 [[しまおまほ]] ISBN 978-4-4340-4109-9)
 
** 映画編「ダウンバイローでこんにちは」(解説 [[ダンカン (お笑い芸人)|ダンカン]] ISBN 978-4-4340-4110-5)
 
** SF&ミステリー編「美しき死体」(解説 [[掟ポルシェ]] ISBN 978-4-4340-4506-6)
 
** 蛭子能収コレクションは7冊刊行。本来は全21冊の出版予定だったが、いまだ刊行していない。
 
* '''地獄に堕ちた教師ども 復活版''' (2016年 [[青林工藝舎]])
 
**ISBN 978-4-88379-430-0
 
* '''パチンコ 蛭子能収初期漫画傑作選''' (2016年 [[KADOKAWA]])
 
**ISBN 978-4-0410-4579-4
 
* '''復刻版 私はバカになりたい''' (2018年 青林工藝舎)
 
**ISBN 978-4-88379-444-7
 
 
=== 同人誌 ===
 
* '''マン''' - [[1970年]]に発表された[[同人誌]]。『[[地獄に堕ちた教師ども]]』オリジナル版のほか、商業誌未発表作品『帰り道はきつかった』『恐るべき美声年』掲載。その他に冨永佳宏、勇村良興が寄稿。数冊だけ現存が確認されている。
 
* '''ヒルコ選集''' - [[タコシェ]]がヒルコプロの名義で[[1999年]][[5月1日]]に限定500部で発行した同人誌。『[[地獄に堕ちた教師ども]]』[[Jam (自販機本)|JAM]]版&オリジナル版ほか、単行本未収録の[[エロ劇画誌|エロ劇画]]作品『虫』『男と女』『ダーティー・ガール』を再録。編集はタコシェの[[大西祥平 (ライター)|大西祥平]]と[[中山亜弓]]が担当。協力:[[青林堂]]、[[青林工藝舎]]、蛭子能収、[[津川聡子]]、[[菅野邦明]]([[ソフトマジック]])。
 
 
=== 作品リスト ===
 
{{節スタブ}}
 
{| class="wikitable" style="font-size:smaller"
 
!作品名 !! 形態 !! 作品を収録している単行本 !! 初出
 
|-
 
| '''地獄に堕ちた教師ども''' || 短編 || マン(1970年)<br />ヒルコ選集(1999年) || マン 1970年<br />ガロ 1993年4月号(再録)
 
|-
 
| 帰り道はきつかった || 短編 || マン(1970年)<br />ヒルコ選集(1999年) || マン 1970年
 
|-
 
| 恐るべき美声年 || 短編 || マン(1970年) || マン 1970年
 
|-
 
| 狂気が彷徨う || 短編 ||  || 未発表
 
|-
 
| '''パチンコ''' || 短編 || パチンコ(2016年)<br />なんとなくピンピン(1983年) || ガロ 1973年8月号
 
|-
 
| 競艇時代 || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || ガロ 1974年1月号
 
|-
 
| 仕事風景 || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || ガロ 1974年3月号
 
|-
 
| 仁義なき戦い || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || ガロ 1974年5月号
 
|-
 
| 超能力 || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || ガロ 1974年8月号
 
|-
 
| 勝手にしやがれ || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || ガロ 1975年4月号
 
|-
 
| 疲れる社員たち || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || ガロ 1975年12月号
 
|-
 
| 愛の嵐 || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || ガロ 1976年7月号
 
|-
 
| 地獄に堕ちた教師ども || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年)<br />蛭子能収コレクション(地獄編)<br />ヒルコ選集(1999年) || Jam 1980年1月号(特別ゲリラ号)<br />ガロ 1993年4月号(再録)
 
|-
 
| 真夜中のパーティ || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年) || 漫画ピラニア 1981年6月号
 
|-
 
| 地獄のサラリーマン || 短編 || 地獄に堕ちた教師ども(1981年)<br />蛭子能収コレクション(地獄編) || ガロ 1981年6月号<br />ガロ 1995年4月号(再録)
 
|-
 
| '''不確実性の家族''' || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || Jam 4号 1979年6月
 
|-
 
| 知識人のレポート || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || Jam 7号 1979年9月
 
|-
 
| サラリーマンは2度イライラする || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || Jam 9号 1979年11月
 
|-
 
| 僕の村は平和だった || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 勉強する乙女たち || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| ペニスに死す || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || 漫画ピラニア 1981年8月号
 
|-
 
| 私はバカになりたい || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 食生活と人間 || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 普通の人々 || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| マッチ売りの主婦 || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 芸術家は怒った || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || ガロ 1981年8月号
 
|-
 
| 少女の秘密 || 短編 || 私はバカになりたい(1982年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| なんとなく左翼 || 短編 || 日本の友人(1988年) || ガロ 1981年9月号
 
|-
 
| 自立する女 || 短編 || 蛭子能収コレクション(地獄編) || ガロ 1981年12月号
 
|-
 
| 鼻は詰まった || 短編 || 蛭子能収コレクション(病気編) || ガロ 1982年1月号
 
|-
 
| よだれを出す男 || 短編 || || HEAVEN 9号 1982年3月
 
|-
 
| CM漫画 私はバカになりたい || 短編 || || ガロ 1982年4月号
 
|-
 
| 美しき死体 || オムニバス<br />(全3話) || 蛭子能収コレクション(SF&ミステリー編) || ガロ 1982年7月号<br />ガロ 1982年11月号<br />ガロ 1982年12月号
 
|-
 
| 怪しい女 || 短編 || || ガロ 1982年8月号
 
|-
 
| ハエと人間 || 短編 || パチンコ (2016年) || ガロ 1982年10月号
 
|-
 
| 虫 || 短編 || ヒルコ選集(1999年) || ガール&ガール 掲載年月不明
 
|-
 
| 男と女 || 短編 || ヒルコ選集(1999年) || NEW SNOB 掲載年月不明
 
|-
 
| ダーティー・ガール || 短編 || ヒルコ選集(1999年) || 漫画ピラニア 掲載年月不明
 
|-
 
| 私の彼は意味が無い || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || 漫画ピラニア 1982年6月号
 
|-
 
| 旅芸人の記録 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || フォトジェニカ 1982年6月号
 
|-
 
| ピラニアボーイ || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || 漫画ピラニア 1982年2月号<br />ルーシー 1982年2月号
 
|-
 
| 恐るべき関係 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || フォトジェニカ 1982年7月号
 
|-
 
| そして誰も考えなくなった || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || 漫画ピラニア 1982年4月号
 
|-
 
| 少女地獄 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || PUSSY 1982年3月号
 
|-
 
| 豚男ジャパニーズ || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || フォトジェニカ 1982年8月号
 
|-
 
| 地下鉄のサンバ || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || 漫画ピラニア 1982年5月号
 
|-
 
| 私は少女に軽蔑されたのだった || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || ガール&ガール 1982年8月号
 
|-
 
| 安定と人間 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || フォトジェニカ 1982年4月号
 
|-
 
| 少女死すべし || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年)<br />蛭子能収コレクション(地獄編) || ガール&ガール 1982年6月号
 
|-
 
| 日本春歌考 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || 漫画ピラニア 1982年3月号
 
|-
 
| 警察官の仕事 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || スノッブ 1982年6月号
 
|-
 
| 狂気こうもり人間 || 短編 || 私の彼は意味が無い(1982年) || 未発表
 
|-
 
| 密室殺人事件 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 私は昔痴漢だった || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || ガロ 1983年2・3月号
 
|-
 
| 悪徳の栄え || 短編 || 私は何も考えない(1983年)<br />パチンコ (2016年) || ガロ 1983年4月号
 
|-
 
| 私は何も考えない || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || ガロ 1983年5月号
 
|-
 
| 明るい町 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || ガロ 1983年8月号
 
|-
 
| 私は真剣な話が嫌いだ!! || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || ガロ 1983年10月号
 
|-
 
| わからなくっても大丈夫 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| サラリーマン教室 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 腐れる主婦 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| チンポ屋ケンちゃん || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 最後の異常者 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 去年マリエンバードで || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 続去年マリエンバードで || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 沈黙 || 短編 || 私は何も考えない(1983年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| エロの男 || 短編 || || 漫画ラブ&エロス 1983年4月創刊号
 
|-
 
| 謙虚に行こうぜ!! || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || スノーブ 1983年3月号
 
|-
 
| 犯され上手… || 短編 || なんとなくピンピン(1983年)<br />パチンコ (2016年) || フォトジェニカ 1981年12月号
 
|-
 
| 史上最低のセックス || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || フォトジェニカ 1982年5月号
 
|-
 
| なんとなくピンピン || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || スノーブ 1983年1月号
 
|-
 
| 地獄のサラリーマンPart2 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || ガロ 1981年11月号
 
|-
 
| スチャラカ社員 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || 漫画ピラニア 1982年12月号
 
|-
 
| 禁じられた遊び || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || ガロ 1982年5月号
 
|-
 
| 怪しい女 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || フォトジェニカ 1982年3月号
 
|-
 
| 太陽は傷だらけ || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || フォトジェニカ 1982年9月号
 
|-
 
| 女のいない街 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || フォトジェニカ 1983年5月号
 
|-
 
| 忘れられた人々 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || HEAVEN 5号 1980年11月
 
|-
 
| 骨正月 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || 宝島 1983年2月号
 
|-
 
| 怪奇正常学園 || 短編 || なんとなくピンピン(1983年) || 漫画ピラニア 1983年4月号
 
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| 許される暴力 || 短編 || || FOOL'S MATE 1983年8月号<br />(雑誌内雑誌 HEAVEN 17号)
 
|-
 
| ベトナム伝説 || 短編 || ベトナム伝説(1984年) || ベトナム伝説 (1984年)
 
|-
 
| サラリーマン危機一発 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 描き下ろし
 
|-
 
| 友情と愛 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 季刊コミックアゲイン 1985年2月冬号
 
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| 無用商事対面接屋 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || UPU 掲載年月不明
 
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| 天国の門 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || フォトジェニカ 掲載年月不明 海鳴書房
 
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| 地獄の天使 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 漫画ラブ&エロス 掲載年月不明
 
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| 都会育ち || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 漫画ラブ&エロス 掲載年月不明
 
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| アキレタ金持ちの怒り || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 漫画ラブ&エロス 1983年8月号
 
|-
 
| 会話の途中 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 季刊コミックアゲイン 1984年8月夏号
 
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| 悩み || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 季刊コミックアゲイン 1984年11月秋号
 
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| 芸術と革命 || 短編 || サラリーマン危機一発(1985年) || 漫画ラブ&エロス 1983年5月号
 
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| 村田の首 || 短編 || 蛭子能収コレクション(地獄編) || ガロ 1984年2・3月号
 
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| ポルノだけは描きたくなかった || 短編 || || ガロ 1984年4月号
 
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| 芸術は死なず || 短編 || || ガロ 1984年5月号
 
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| 人生の分かれ道 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年)<br />パチンコ (2016年) || ガロ 1984年7月号
 
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| 人生の分かれ道(女編) || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年)<br />パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
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| 孤独の地下 || 短編 || 日本の友人(1988年) || ガロ 1984年8月号
 
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| 地獄を見た男 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || ガロ 1984年9月号
 
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| 時には子供を教育する親 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || ガロ 1984年10月号
 
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| 失われた世界 || 中編 || || ガロ 1984年11月号 - 1985年2・3月号<br />ガロ 1985年5月号<br />ガロ 1985年7月号
 
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| 血の河 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| 神経科のコピーライター || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || ガロ 1985年4月号
 
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| 終電車 || 短編 || || ガロ 1985年10月号
 
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| 汝よインテリに泣け!! || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年)<br />パチンコ (2016年) || ガロ 1985年11月号
 
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| 出世払い || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || ガロ 1985年12月号
 
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| のぞいていいとも || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| 計られたポルノ || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| エロの実践 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| バカ者たち || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| 日本変態大図鑑 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| パチンコ屋はインテリを嫌う || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| 犯される主婦達 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| 金持ちのタンゴ || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年)<br />パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
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| 悲しみのラーメン || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || style="text-align:center"|?
 
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| やくざ魂 || オムニバス<br />(全3話) || 馬鹿バンザイ (1986年) || ガロ 1983年9月号<br />ガロ 1983年11月号<br />ガロ 1983年12月号
 
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| 兄弟仁義 || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年)<br />パチンコ (2016年) || ガロ 1986年2・3月号
 
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| 怪奇あまのじゃく || 短編 || 馬鹿バンザイ(1986年) || ガロ 1986年4月号
 
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| 出会い、そして別れ… || 短編 || 死んでも笑へ!!(1987年)<br />パチンコ (2016年) || ガロ 1986年7月号
 
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| 貧乏家族に幸せはやってこない!! || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年3月号
 
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| 家族開放への道 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年5月号
 
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| 路地の散歩者 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年6月号
 
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| 俺の息子に手を出すな || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年7月号
 
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| 無意味な心中 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年8月号
 
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| 道徳という名の暴力 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年9月号
 
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| 最後の宿題 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年10月号
 
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| 家族の清算 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年11月号
 
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| マイホーム自然流 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1985年12月号
 
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| 大人の遊び || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年1月号
 
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| 岩場のスキャット || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年2月号
 
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| 裏切り夫婦 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年3月号
 
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| やくざと子供 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年4月号
 
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| 第3の親 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年5月号
 
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| 恋の権利 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年6月号
 
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| 感性のミステリー || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年7月号
 
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| エンゲルとグレーテル || 短編 || 家族天国 (1986年) || 月刊スーパーアクション 1986年8月号
 
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| サラリーマン征服 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 増刊漫画アクション 1984年5月8日号
 
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| 狂ったセールスマン || 短編 || 家族天国 (1986年) || 増刊漫画アクション 1984年7月27日号
 
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| 僕たちの失敗 || 短編 || 家族天国 (1986年) || 増刊漫画アクション 1984年1月25日号
 
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| 職員室は狂った || 短編 || 家族天国 (1986年) || 漫金超 5号(1983年)
 
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| さん式 || 短編 || 日本の友人 (1988年) || 平凡パンチ 掲載年月不明
 
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| 夜汽車 || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 描き下ろし
 
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| 炎のランナー || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1985年4月号
 
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| 魚影の群れ || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1985年5月号
 
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| 伊豆の踊り子 || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1985年7月号
 
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| コミック雑誌なんかいらない || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1985年8月号
 
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| 夫が私を叩く時 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1985年9月号
 
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| 堕ちるべき人 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年)<br />蛭子能収コレクション(地獄編) || 漫画ピラニア 1985年10月号
 
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| 映画女優 || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年2月号
 
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| それから || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年3月号
 
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| コマンドー || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年4月号
 
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| ホテル・ニューハンプシャー || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年5月号
 
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| 戦争のはらわた || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年6月号
 
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| 笑う死神 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1986年7月号
 
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| 異邦人 || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年8月号
 
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| 肉体バケーション || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1986年9月号
 
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| ストレンジャー・ザン・パラダイス || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年10月号
 
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| そろばんずく || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1986年12月号
 
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| ハスラー2 || 短編 || 明るい映画館(1987年) || 漫画ピラニア 1987年1月号
 
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| イレイザーヘッド || 短編 || 明るい映画館(1987年) || どすこいイラスト(1983年)
 
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| イカすバカウマ天国 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 描き下ろし
 
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| 怪奇ダウンバイローでこんにちは || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年2月号
 
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| なるほどザ・フライ || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年4月号
 
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| ふってふられて過去の人 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年5月号
 
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| どうちたチマンタ || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年6月号
 
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| 親指の想い出 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年7月号
 
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| サイパンでGO!! || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年8月号
 
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| 恋にご用心 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年9月号
 
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| 芸術さんこんにちは || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年10月号
 
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| たそがれのブルーベット || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年11月号
 
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| 気楽に行こうぜ!! || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1987年12月号
 
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| 裸の後楽園 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年1月号
 
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| ボンジュールありがとう || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年2月号
 
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| 雪と女とラーメンと || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年3月号
 
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| 緑の地平線 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年4月号
 
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| 汚れた女の子守唄 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年5月号
 
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| どんどんバット || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年6月号
 
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| よそから来たよそわしい人 || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年7月号
 
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| オリンピックでピックン || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年8月号
 
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| 私のママさん || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ピラニア 1988年9月号
 
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| 満月の夜、女は || 短編 || イカすバカウマ天国(1990年) || 漫画ラブトピアスペシャル 1988年11月号
 
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| ヒッピーの王者 || 短編 || || ガロ 1986年10月号
 
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| 犯罪天国 || 短編 || 死んでも笑へ!!(1987年) || ガロ 1986年11月号
 
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| いなごの大群VS仮装行列の群衆・アメ横の闘い || 短編 || 死んでも笑へ!!(1987年) || ガロ 1987年1月号
 
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| うなぎの日 || 短編 || 死んでも笑へ!!(1987年)<br />パチンコ (2016年) || ガロ 1987年4月号
 
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| 春雨旅情 || 短編 || 死んでも笑へ!!(1987年) || ガロ 1987年5月号
 
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| 好青年の異常な行動 || 中編 || 死んでも笑へ!!(1987年) || ガロ 1987年6月号<br />ガロ 1987年8月号
 
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| 日本の友人 || 短編 || 日本の友人(1988年) || ガロ 1987年9月号
 
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| 秋がそこまでやって来た || 短編 || || ガロ 1987年10月号
 
|-
 
| 田舎に向かって走れ || 短編 || 日本の友人(1988年) || ガロ 1987年12月号
 
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| 正月号だから四コマだ!! || 短編 || || ガロ 1988年1月号
 
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| 冬の旅人 || 短編 || || ガロ 1988年2・3月号
 
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| グルメを斬る!! || 短編 || || ガロ 1988年4月号
 
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| 私立探偵松尾 || 長編 || 私立探偵エビスヨシカズ(1997年) || ガロ 1988年10月号 - 1989年10月号
 
|-
 
| 会社のある街 || 短編 || || ガロ 1989年12月号
 
|-
 
| 悲しきギャンブラー || 短編 || || ガロ 1990年1月号
 
|-
 
| 欲望の白い町 || 短編 || || ガロ 1990年7月号
 
|-
 
| 君とぼくの帰る道 || 短編 || || ガロ 1991年2・3月号
 
|-
 
| 狂った雀荘 || 短編 || || ガロ 1991年4月号
 
|-
 
| 必死の女 || 短編 || || ガロ 1991年5月号
 
|-
 
| あなたは役者 || 短編 || || ガロ 1991年7月号
 
|-
 
| 悲しき夫婦 || 短編 || || ガロ 1991年9月号
 
|-
 
| 俺にまかせろ || 短編 || || ガロ 1991年12月号
 
|-
 
| 社会の境界線 || 短編 || || ガロ 1992年4月号
 
|-
 
| 地獄の金持 || 短編 || || ガロ 1993年4月号
 
|-
 
| 不条理でポン || 4コマ || || 宝島
 
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| マクリ屋よっちゃん大予想 || 4コマ || || デイリースポーツ
 
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| あんたは太ってる || 短編 || || アックス 48号
 
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| 枯木 || 短編 || || アックス 65号
 
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| 嫉妬で濡れた美女 || 短編 || || アックス 66号
 
|-
 
| 隔月蛭子劇画プロダクション社内報 || 短編 || || アックス 68号 - 連載中
 
|-
 
| よっちゃん革命宣言 || 4コマ || || 実話BUNKA超タブー 2013年7月4日号 - 連載中
 
|-
 
| なんて日だ!! || 短編 || || 実話ナックルズ 2015年3月10日号
 
|-
 
| 夜の女 || 短編 || || 小説新潮 2015年11月号
 
|-
 
| エルビスオンステージ || 短編 || パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 日本女装化計画 || 短編 || パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 田舎の女子高生 || 短編 || パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 南極物語 || 短編 || パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
|-
 
| 私は一人… || 短編 || パチンコ (2016年) || style="text-align:center"|?
 
|}
 
 
=== 著書 ===
 
* エビスヨシカズの秘かな愉しみ(1985年 [[晶文社]]※絶版) ISBN 978-4-7949-5718-4
 
**文庫版(1998年 [[講談社]]※絶版) ISBN 978-4-0625-6269-0
 
* 気弱なギャンブラー(1990年 [[太田出版]]※絶版) ISBN 978-4-9004-1692-5
 
* くにとのつきあいかた(1991年 [[思想の科学社]]※絶版)
 
* 競艇入門(1992年 [[ゴマブックス|ポケットブック社]]※絶版) ISBN 978-4-3411-4038-0
 
* なんとかなるかも(1993年 太田出版※絶版) ISBN 978-4-8723-3129-5
 
* 蛭子能収のコワイもの見たさ(1995年 [[世界文化社]]※絶版) ISBN 978-4-4189-4514-6
 
* エビスさんのパチンコ日記(1996年 [[双葉社]]※絶版) ISBN 978-4-5752-8555-0
 
* とりあえずパチンコでも(1996年 ビクターブックス※絶版) ISBN 978-4-8938-9114-3
 
* 笑う蛭子の副作用 - 人生やっぱり計算ずくが上々です。(1996年 コスモの本※絶版) ISBN 978-4-9063-8068-8
 
* 正直エビス(1996年 新宿書房※絶版) ISBN 978-4-8800-8229-5
 
* ヘタウマな愛(2002年 [[ベストセラーズ]]※絶版) ISBN 978-4-5841-8692-3
 
**文庫版(2016年 [[新潮社]]) ISBN 978-4-10-120296-9
 
* こんなオレでも働けた(2007年 講談社※絶版) ISBN 978-4-0628-2054-7
 
* ひとりぼっちを笑うな(2014年 [[KADOKAWA]]) ISBN 978-4-0410-1811-8
 
* 芸能界 蛭子目線(2015年 竹書房) ISBN 978-4-8019-0232-9
 
* 蛭子能収のゆるゆる人生相談(2015年 [[光文社]]) ISBN 978-4-3349-7828-0<ref>{{Citeweb|title=蛭子能収・建て前だらけの世の中に、疲れ果てたらこの一冊!|url=https://jisin.jp/serial/社会スポーツ/今週の町ネタ/12240|publisher=光文社|date=2015-05-30|accessdate=2017-12-17}}</ref>
 
* 生きるのが楽になる まいにち蛭子さん(2015年11月 [[パルコ|PARCO出版]])ISBN 978-4-8650-6152-9
 
* 僕はこうして生きてきた ―NO GAMBLE,NO LIFE.(2016年 コスモの本) ISBN 978-4-8648-5026-1
 
* 笑われる勇気(2017年 光文社) ISBN 978-4-3349-7954-6
 
この他、1994年8月に出版された朝伊達宙也の『マンガ麻雀入門』([[永岡書店]]刊 ISBN 978-4-5222-1235-6)の監修及び本文解説文章執筆や本書内の写真出演もしている。
 
 
=== 作詞 ===
 
* [[ムーンライダーズ]]「だるい人」(アルバム「[[DON'T TRUST OVER THIRTY]]」収録)
 
* [[鈴木慶一]]「人間の条件(ちょうけん)」(アルバム「THE LOST SUZUKI TAPES」収録)
 
* 蛭子能収「切り裂きジャップ」(アルバム「HAVE A NICE DIE!」収録)
 
 
=== ジャケットイラスト ===
 
* [[ヒカシュー]]「私はバカになりたい」([[1983年]] スピノザ)
 
* 楽しい音楽「やっぱり楽しい音楽」(1983年 クリちゃんレコード)
 
* [[ばちかぶり]]「ばちかぶり」([[1985年]] [[ナゴムレコード]])
 
* [[恐悪狂人団]]「カタストロフ」([[1989年]] [[殺害塩化ビニール]])
 
* 東京ギョギョーム(オレンジチューブ)「エレキのテロリスト」([[1988年]] パフェレコード)
 
* [[河内家菊水丸]]「エイズ音頭」([[1993年]] [[NTT出版]]・アメリカーナレコード)
 
* [[ザ・ゲロゲリゲゲゲ]]「パンクの鬼(TOKYO ANAL DYNAMITE)」([[1990年]] Vis a Vis record)
 
* [[ザ・フォーク・クルセダーズ]]「シングル・コレクション」([[1991年]] [[EMIミュージック・ジャパン|東芝EMI]])
 
* [[嘉門達夫]]「スモーキン・ブギ レディース」([[1994年]] [[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクターエンタテインメント]])
 
* [[オムニバス|オムニバスアルバム]]「デジタルグルーヴ歌謡曲」([[1995年]] [[NECアベニュー]])
 
* [[ハイテクノロジー・スーサイド]]「HAVE A NICE DIE!」([[2007年]] [[Pヴァイン・レコード]])
 
** 個性派アーティストによる[[トリビュートアルバム]]。参加アーティストは蛭子能収、[[大槻ケンヂ]]、ビル+[[戸川純]]、[[ATTACK HAUS]]、[[犬神サーカス団]]、[[みうらじゅん]]、THE DIGITAL CITY JUNKIES、スハラケイゾウ+ノイズわかめ、[[大正九年]]、スラングブギー、[[山本精一]]、毒医患、コバルト、四日市ぜんそく、nhhmbase、ED WOODS、GREEN MILK FROM THE PLANET ORANGE、[[ロリータ18号]]、ブラジルUFO、[[オナニーマシーン]]。
 
* [[V.A.]]「ストレスバスターズ」([[2008年]] [[エイベックス・エンタテインメント]])
 
* [[ダースレイダー]]「WHY WE BURN!?? EP」(2008年 [[Da.Me.Records]])
 
* なつの組([[ミッキー吉野]]&竹越かずゆき)「YES I WILL/笑顔取り戻すまで」([[2010年]] ディウレコード)
 
* [[テレピン油]]「テレピン油」(年度及び詳細不明)
 
 
== 展示 ==
 
=== 個展 ===
 
*えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-([[2011年]] [[長崎歴史文化博物館]]) - 初の個展であり、故郷長崎で開催された。
 
*えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-([[2015年]] [[ロフト (雑貨店)|梅田ロフト]])
 
*新春えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-([[2016年]] [[渋谷パルコ|渋谷PARCO]])
 
*シン・えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-([[2017年]] [[あるあるCity|北九州市漫画ミュージアム]])
 
*スーパーえびすリアリズムin調布 -蛭子さんの展覧会-(2017年 [[パルコ#コミュニティ型店舗グループ|調布PARCO]])
 
 
=== 合同展 ===
 
*真昼の暗黒展 ([[1986年]] HBギャラリー) - [[根本敬]]との合同展示会。
 
*Underground&Secret Manga展「泥中に蓮」([[2010年]] Galerie Georges-Philippe & Nathalie Vallois)
 
*[[:fr:Le_Dernier_Cri|LE DERNIER CRI]] vs [[蛭子能収#蛭子劇画プロダクション結成|ハッテンバプロダクション]]展(2010年 [[渋谷]][[アップリンク (映画会社)|UPLINK GALLERY]])
 
*KyotoのHatenbaProduction展(2010年 トランスポップギャラリー)
 
*United Dead Artists展([[2012年]] French Arts Factory)
 
*[[アックス (雑誌)|大アックス祭2012 My Another Jackets]](2012年 ビリケンギャラリー)
 
*[http://www011.upp.so-net.ne.jp/TOKUSYUMANGA/text/top1.htm 自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展→蛭子能収展]([[2013年]]2月10日 - 24日 @btf) - [[蛭子能収#蛭子劇画プロダクション結成|ハッテンバプロダクション]](蛭子能収・根本敬・佐川一政)の合同展であったが、ギャラリーとの間で紛議が生じ、[[根本敬]]と[[佐川一政]]の作品が会期途中で撤去された後、完全撤退となった<ref>[http://www011.upp.so-net.ne.jp/TOKUSYUMANGA/text/top1.htm @btf「自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負展」その顛末〈根本敬・記〉]</ref><ref>[http://rooftop.cc/column/yoshidago/101226181400.php 吉田豪の雑談天国 第八回ゲスト:根本敬(前編)]Rooftop</ref>。会期中は蛭子能収を中心に[[山野一]](元・[[鬼畜系]]漫画家)と[[山ノ井靖]](元・[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』編集者)および[[佐川一政]]([[パリ人肉事件]]の[[殺人|殺人犯]]にして世界を震撼させた[[食人鬼|カニバリスト]])と[[五所純子]](司会進行役)によるトークショーが2回に分けて行われた<ref>[https://shopbtf.com/at/ebisu.html @btf 蛭子能収展]</ref>。
 
*[http://seirinkogeisha.sblo.jp/article/66058184.html 自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展](2013年4月29日 - 5月12日 Galaxy-銀河系) - ハッテンバプロダクションのやり直し合同展示会<ref>[http://www.excite.co.jp/News/lifestyle/20130422/Cinra_20130422_122700.html 蛭子能収と根本敬の「やり直し展」が明治神宮前のGalaxy-銀河系で開催 CINRA.NET 2013年4月22日 13時18分]</ref>。
 
*BODAIJU EXPO2(2013年 NEW OSAKA HOTEL心斎橋)
 
*PARIS CONTEMPORARY DRAWING FAIR DDESSIN14([[2014年]] Atelier Richelieu)
 
*花咲くジイさん~我が道を行く超経験者たち~(2014年 鞆の津ミュージアム)
 
*[[ガロ (雑誌)|Mangaro Exposition collective]](2014年 FRICHE belle de mai)
 
*[[ヘタウマ|HETA-UMA MIAM]](2014年 Musee International des Arts Modestes)
 
*[[アックス (雑誌)|冬のアックス祭 My Another JacketsⅡ レコード編]]([[2015年]] ビリケンギャラリー)
 
*[[太陽の塔|みんなで太陽の塔展]](2015年 [[ロフト (雑貨店)|梅田ロフト]])
 
*[[ガロ (雑誌)|ガロ]]-[[アックス (雑誌)|アックス]]-[[長井勝一]]展([[2016年]] メリーゴーランド京都)
 
*[[アックス (雑誌)|アックス展~伝説の漫画誌「ガロ」の遺伝子]](2016年 Laundry graphics gallery)
 
*[[京都国際映画祭]]2016 アート部門「えびすリアリズム」(2016年 [[京都市立立誠小学校#元・立誠小学校|元・立誠小学校]])
 
 
== 出演作品 ==
 
=== テレビドラマ ===
 
* サラリーマン教室(1986年、[[TBSテレビ|TBS]])
 
* [[びんびんシリーズ#教師びんびん物語II(1989年)|教師びんびん物語II]](1989年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]) - 喫茶店のマスター 役
 
* [[妻をめとらば]](1989年、テレビ東京)
 
* 花迷宮(1)-昭和異人館の女たち-(1990年、フジテレビ)
 
* [[いつも誰かに恋してるッ]](1990年、フジテレビ) - 桜井正人 役
 
* [[火曜サスペンス劇場]]([[日本テレビ放送網|日本テレビ]])
 
** 新婚団地妻殺人事件(1990年)
 
** 海の道(1999年) - 南里松男 役
 
** [[指名手配 (テレビドラマ)|指名手配]]3(2000年) - 北村宣介 役
 
* [[芸能社会]](1990年、TBS)
 
* [[月曜ドラマスペシャル]]「[[キツイ奴ら|キツイ奴らスペシャル ―栄冠は君に輝く―]]」(1990年7月16日、TBS)
 
* [[世にも奇妙な物語]]「なんなのォ!?」(1992年、フジテレビ) ‐ 西村政夫 役
 
* [[ボクたちのドラマシリーズ#放課後|ボクたちのドラマシリーズ「放課後」]](1992年、フジテレビ) - 電気工事作業員 役
 
* 天津甘栗(1993年、フジテレビ)
 
* [[じゃじゃ馬ならし (テレビドラマ)|じゃじゃ馬ならし]](1993年、フジテレビ) - 渡部利夫 役
 
* [[if もしも]]「[[打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?]]」(1993年、フジテレビ)
 
* [[仰げば尊し (1994年のテレビドラマ)|仰げば尊し]]「2年C組の奇跡」(1994年、フジテレビ) - 杉下実 役
 
* [[金曜エンタテイメント]]「[[おばさんデカ 桜乙女の事件帖|おばさんデカ 桜乙女の事件帖シリーズ]]」1〜6・8〜16(1994年 - 1998年・2000年 - 2017年、フジテレビ) - 桜雅樹 役
 
* [[オトコの居場所]](1994年、TBS)
 
* [[好きやねん (テレビドラマ)|好きやねん]](1995年、日本テレビ) - 如月玉雄 役
 
* [[ザ・シェフ]](1995年、日本テレビ)
 
* [[ナースのお仕事#ナースのお仕事スペシャル|ナースのお仕事スペシャル]](1997年、フジテレビ) - 佐伯(患者) 役
 
* [[暴れん坊将軍|暴れん坊将軍IX]] 第30話「旗本屋敷の秘密! 罠に落ちた子連れ医者」(1999年、[[テレビ朝日]]) - 与一呂 役
 
* [[少年たち|少年たち3]](第1話 [[2001年]]8月16日、[[NHK総合テレビジョン|NHK総合]]) - オヤジ狩りに遭う男性 役
 
* [[篝警部補の事件簿]]2(2004年、[[テレビ東京]]) - 団野刑事 役
 
* [[大河ドラマ]](NHK)
 
** [[義経 (NHK大河ドラマ)|義経]]([[2005年]]) - [[一条長成]] 役
 
** [[平清盛 (NHK大河ドラマ)|平清盛]]([[2012年]]) - [[平時信]] 役
 
* 佐藤四姉妹(2005年、[[BS-TBS|BS-i]])
 
* [[花嫁は厄年ッ!]](2006年、TBS) - 片桐 役
 
* [[下北サンデーズ#テレビドラマ|下北サンデーズ]](第5話 2006年8月10日、テレビ朝日) - 安田実 役
 
* [[東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜 (テレビドラマ)|東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜]]([[2006年]]11月18日、フジテレビ) - 多田羅正行 役
 
* [[土曜ワイド劇場]](テレビ朝日)
 
**「[[法医学教室の事件ファイル]]24」(2007年) - 大泉正雄
 
**「[[100の資格を持つ女〜ふたりのバツイチ殺人捜査〜]]1」(2008年) ‐ 松田所長
 
* [[時効警察|帰ってきた時効警察]](第1話 [[2007年]]4月13日、テレビ朝日) - 作業員 役
 
* [[ガリレオ (テレビドラマ)|ガリレオ]](第2話 2007年10月22日、フジテレビ) - 工場長 役
 
* [[モップガール]](第8話 2007年11月30日、テレビ朝日) - 官能小説家・縄縛鬼介 役
 
* [[土曜ドラマ (NHK)|土曜ドラマ]]・[[刑事の現場]](第1話 [[2008年]]3月1日、NHK総合)
 
* [[猟奇的な彼女 (テレビドラマ)|猟奇的な彼女]](2008年4月、TBS)(第1話 2008年4月20日、TBS)
 
* [[月曜ゴールデン]]「女教師探偵・西園寺リカの殺人ノート」(2008年5月19日、TBS) - 藤原 役
 
* [[めぞん一刻#テレビドラマ|めぞん一刻 完結編]](2008年7月26日、テレビ朝日)
 
* [[福家警部補の挨拶#テレビドラマ|福家警部補の挨拶〜オッカムの剃刀〜]]([[2009年]]1月2日、NHK総合)
 
* [[交渉人〜THE NEGOTIATOR〜]] (2009年2月28日、テレビ朝日) - 坂崎達郎 役
 
* [[超人ウタダ]](2009年、[[WOWOW]]) - 柳苗彦 役
 
* [[坂の上の雲 (テレビドラマ)|坂の上の雲]](2009年11月29日、NHK総合 他)- 骨董屋 役
 
* [[ハンチョウ〜神南署安積班〜]]シリーズ2 第6話([[2010年]]2月17日、TBS)
 
* 逃亡者PLAN.B(原題:도망자PLAN.B)第3話(2010年10月6日、[[韓国放送公社|韓国KBS2]])- レストランの店員 役
 
* [[ドラマW]]「[[警視庁強行犯係・樋口顕#WOWOW(2011年)|ビート]]」([[2011年]]2月13日、WOWOW)
 
* [[下流の宴#テレビドラマ|下流の宴]] 第2話(2011年6月7日、NHK総合)
 
* [[水戸黄門 (第31-38部)#第43部|水戸黄門 第43部]] 第1話「家族おもいの武士魂 -江戸-」(2011年7月4日、TBS) - 惣兵衛 役
 
* サスペンスドラマSP「[[ボクら星屑のダンス]]」(2011年10月6日、テレビ東京) - 検問の警官 役
 
* [[ドラゴン青年団]] 第3話(2012年8月14日、[[MBSテレビ|毎日放送]]) - 用務員 役
 
* [[孤独のグルメ#Season3(2013年)|孤独のグルメ Season3]] 第4話([[2013年]]7月31日、テレビ東京) - 碁盤店主人 役
 
* [[サザエさん|サザエさん アニメ&ドラマで2時間半SP]](2013年12月1日、フジテレビ)- 画家 役
 
* [[三匹のおっさん#テレビドラマ|三匹のおっさん〜正義の味方、見参!!〜]] 第4話([[2014年]]2月7日、[[テレビ東京]]) - 野島真一 役
 
* [[水曜ミステリー9]]「[[鑑識特捜班・九条礼子〜骨を知る女〜]]3」(2014年4月16日、テレビ東京) - 和泉義仁 役
 
* [[プレミアムドラマ]]「ひとつ星の恋〜天才漫才師 横山やすしと妻〜」後編(2014年11月30日、[[NHK BSプレミアム]])
 
* [[花咲慎一郎シリーズ#テレビドラマ|保育探偵25時〜花咲慎一郎は眠れない!!〜]] 最終話(2015年3月13日、テレビ東京) - 医師 役
 
* 水曜ミステリー9「[[事故調 (小説)#テレビドラマ|事故調]]」(2015年4月1日、テレビ東京) - 島崎勝吉 役
 
* [[美女と男子]] 第3話(2015年4月28日、NHK総合) - 吉田努 役
 
* [[NHKスペシャル]]「私が愛する日本人へ〜ドナルド・キーン 文豪との70年〜」(2015年10月10日、NHK総合)ドラマ部分 - 古書店の主人 役
 
* [[新春ワイド時代劇|新春時代劇]]「[[信長燃ゆ#テレビドラマ|信長燃ゆ]]」(2016年1月2日、テレビ東京) - 闘鶏場の見物客 役
 
* [[警視庁・捜査一課長#連続ドラマ|警視庁・捜査一課長]] 第1話(2016年4月18日、テレビ朝日) - 海老沢良之 役
 
* [[ナイトヒーロー NAOTO]] 第4話(2016年5月7日、テレビ東京) - 本人 役
 
* [[地味にスゴイ! 校閲ガール・河野悦子]] 第7話(2016年11月16日、日本テレビ) - 本人 役<ref>{{Cite news|url= http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/16/kiji/K20161116013735240.html |title= 蛭子能収“本人役”で「地味スゴ」登場 石原さとみと共演に「ドキドキ」 |newspaper= Sponichi Annex |publisher= スポーツニッポン新聞社 |date= 2016-11-16 |accessdate= 2016-11-16 }}</ref>
 
* [[勇者ヨシヒコと導かれし七人]] 第9話(2016年12月3日、テレビ東京) - キャパスの村の村長 役
 
* [[オリガミの魔女と博士の四角い時間]](2017年3月12日 - 、[[NHK教育テレビジョン|NHK Eテレ]]) - エビスさん 役(声の出演)
 
* [[ドクターX〜外科医・大門未知子〜]] 第5シリーズ第1話(2017年10月12日、テレビ朝日) - 本人役<ref>{{cite web|url=http://www.cinemacafe.net/article/2017/10/11/53146.html|title=蛭子能収、米倉涼子とバス旅!? 本人役でゲスト出演「ドクターX」|publisher=シネマカフェ|date=2017-10-11|accessdate=2017-10-14}}</ref>
 
*[[脅迫屋シリーズ#テレビドラマ|今からあなたを脅迫します]](2017年、日本テレビ) - ロビン役
 
*[[あなたには帰る家がある]] 第3話(2018年4月27日、TBS) - タクシードライバー役
 
 
=== 映画 ===
 
* [[平口広美]]撮影編集の蛭子能収主演、[[根本敬]]助演の映像作品(1984年) - 本人 役{{Refnest|group="注釈"|[[1980年代]]前半には蛭子の漫画を原作にした[[自主映画|自主制作映画]]を[[根本敬]]らが頻繁に製作していた<ref>根本敬「[http://www011.upp.so-net.ne.jp/TOKUSYUMANGA/text/genre268.htm 因果《尋ね人》、または『お前へ伝えたい事』]」(2010年1月17日)</ref>。その中でも蛭子主演・根本助演で[[平口広美]]が[[1984年]]に編集・脚本・撮影を手掛けた自主映画の[[磁気テープ|ビデオテープ]]が近年発掘され、[[2013年]]の合同展示会「自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展」で上映された<ref>[http://seirinkogeisha.sblo.jp/article/66058184.html 自由自在(蛭子能収)と臨機応変(根本敬)の勝敗なき勝負─やり直し展」ついにオープンで本領発揮!!] [[青林工藝舎]]編集部だより 2013年4月30日付</ref>。なお物語らしい物語はなく、蛭子が[[バケツ]]に入った[[ブタ|豚]]の[[器官|臓物]]を[[団地]]の砂場に出して汚しては水で洗う、という繰り返しの映像が1時間も続く[[アバンギャルド]]な内容に仕上がっており、ラストは根本と二人で[[裏ビデオ]]を見ながら[[すき焼き]]を食べる風景が映し出されて幕を閉じる。この自主映画は現在も根本が個人で所有しており、根本主催のイベント「根本敬のディープ映像ナイト~根本敬生誕祭編~」([[2015年]][[6月29日]]・[[大阪府|大阪]])でも再上映されている<ref>[https://twitter.com/seirinkogeisha/status/615478845387358208 青林工藝舎のツイート] 2015年6月29日</ref>。}}
 
* [[ファンシイダンス]](1989年) - 社員 役
 
* [[ツルモク独身寮]](1991年) - 三反田春彦 役
 
* [[バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ]]第二話「カラダだけの男」(1991年)
 
* [[無能の人]](1991年)
 
* [[空がこんなに青いわけがない]](1992年) - 社員 役<ref group="注釈">[[柄本明]]による最初で最後の映画監督作品。前妻とは作中で共演している。</ref>
 
* [[未来の想い出|未来の想い出 Last Christmas]](1992年)
 
* [[夜逃げ屋本舗]](1992年)
 
* [[すももももも]](1995年)
 
* [[打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?]](1995年) - おでん屋の客 役
 
* [[ご存知!ふんどし頭巾]](1997年) - 榎田一平太 役
 
* [[学校 (映画)|十五才 学校IV]](2000年) - 大角 役
 
* 折り梅(2001年)
 
* [[ウォーターボーイズ]](2001年) - 和菓子屋主人 役
 
* [[劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL]] (2002年) - 豪邸の主 役
 
* [[地獄甲子園]](2002年) - 十兵衛の親父 役
 
* [[ヘヴンズ・ドア 殺人症候群]](2003年)
 
* [[ドラッグストア・ガール]](2003年)
 
* [[ぷりてぃ・ウーマン]](2003年) - 畑中康雄 役
 
* 月とチェリー(2004年) - 書店の店長 役
 
* [[蝉しぐれ]](2005年) - 小助 役
 
* [[寝ずの番]](2006年) - 田所 役
 
* [[自虐の詩]](2007年) - 新聞販売店主 役
 
* [[エクステ (映画)|エクステ]](2007年)
 
* [[マリと子犬の物語]](2007年)
 
* [[次郎長三国志#角川版(2008年)|次郎長三国志]](2008年) - 保下田の久六 役
 
* [[僕の彼女はサイボーグ]](2008年) - 駄菓子屋のオヤジ 役
 
* [[GOEMON (映画)|GOEMON]](2009年)
 
* [[はやぶさ/HAYABUSA]](2011年)
 
* [[ALWAYS 三丁目の夕日'64]](2012年)
 
* [[テルマエ・ロマエ#映画|テルマエ・ロマエ]](2012年) - 部長 役
 
* [[俺はまだ本気出してないだけ]](2013年) - クニさん 役
 
* オシャレ番外地(2014年)
 
* [[日々ロック]](2014年) - 象徴さん 役
 
* ハッピーウエディング(2015年)
 
* [[任侠野郎]](2016年) - '''主演・柴田源治''' 役
 
* [[ローカル路線バス乗り継ぎの旅#映画|ローカル路線バス乗り継ぎの旅 THE MOVIE]](2016年) - '''主演'''<ref>{{cite web|url=http://www.cinemacafe.net/article/2015/11/10/35529.html|title=太川陽介&蛭子能収「バス旅」、映画化決定! 三船美佳をヒロインに台湾へ|publisher=シネマカフェ|date=2015-11-10|accessdate=2015-11-10}}</ref>
 
 
=== オリジナルビデオ ===
 
* ザ・忍者ウォーリアーズ くノ一戦士([[松竹ホームビデオ]]/[[1991年]])
 
* パチンコ無宿(knack/[[1995年]])
 
* [[いけない!ルナ先生]](SPOエンタテインメント/[[2014年]])
 
 
=== アダルトビデオ ===
 
* [https://xcity.jp/trauma/iserin/ 危険に情事]([[九鬼 (アダルトビデオ)|KUKI]]/1987年) - 連続強姦魔役を[[漫画家]]の[[平口広美]]が演じており、蛭子はその婦女暴行事件を伝える[[ニュースキャスター]]役を演じている。
 
* [https://xcity.jp/trauma/iserin/ 大人は判ってくれない。'88](KUKI/[[1988年]]) - 『ビデオ・ザ・ワールド』の1988年度年間作品賞受賞作品。[[ばちかぶり]]の[[田口トモロヲ]]と共演。
 
* [http://ppv.xxxurabi.com/pp/movie_list/1211/sample_movie_peag.htm えびすさんがみてる]([[裏ビデオ]]/[[1990年]]頃) - [[卑弥呼 (AV女優)|卑弥呼]]のデビュー作
 
* [http://www.vip-enterprise.com/平口広美の秘蔵コレクション-2-おじさんは泣いてます/de/V167190/ オジさんは泣いてます]([[アトラスにじゅういち|VIP]]/[[1992年]]) - [[平口広美]]監督作品。[[根本敬]]と共に[[友情出演]]。
 
 
=== ゲーム ===
 
* 蛭子能収の大穴競艇([[セタ (企業)|セタ]])([[PlayStation (ゲーム機)|プレイステーション]]/[[1996年]])
 
**約400人の選手や競艇場のデータを閲覧できる「データベース」と、プレイヤーが競艇選手になって実際にレースに参加する「レースモード」、舟券を買って遊ぶことができる「ギャンブルモード」などが存在するが、衝突や転覆の概念が無く、真っ青な雪原でソリを使ってレースしていることを連想させるほど水の質感が描写されていないなどレースモードの完成度は低く、さらに表向きは蛭子が製作に協力していた扱いになっているが、蛭子は報酬目当てで安請け合いしながら実際には製作に関与してなかった<ref name="playkuso">[http://qbq.jp/ 株式会社QBQ]編 『プレイステーションクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2018年。ISBN 9784865118346 p36-37</ref>。[[ファミ通]]クロスレビューでは5、4、5、5の19点<ref name="Famitsu">ファミ通No.403 1996年9月6日号 32ページ</ref>。レビュアーは能動性が低く、レースでは自分の艇だけコーナリングが良くてテクニックもなく簡単に1位になれてしまう、レース予想するギャンブルモードは予想する材料が少なくて勘に頼らざるおえなくて搭載した意味すら分からない、蛭子による助言のシステムがほしかったとした一方で設定、演出は競艇ファンがにやりとする出来で競艇選手のデータベースがあるのもいいとした他、グラフィックについて賞賛した者と全体的に否定的だった者で分かれた<ref name="Famitsu" />。
 
* 蛭子能収公式麻雀([[ソフトバンク]]/[[2006年]]
 
* 蛭子式ドキドキ!? 麻雀([[NTTドコモ]]/2006年
 
 
=== アニメ ===
 
* [[ばなにゃ]](2016年) - ナレーション
 
 
=== CD ===
 
* [[飯島真理]]の非売品CD Present(ALFA MOON INC/[[1989年]])
 
* いとしのマックス〜ロカビリー・ジャングル・ミックス(デジタルグルーヴ歌謡曲/[[1995年]]) - [[荒木一郎]]「いとしのマックス」のカバー
 
 
=== PV ===
 
* [[AKB48]]『[[桜の花びらたち#桜の花びらたち2008|桜の花びらたち2008]]』 - 教師 役
 
 
=== バラエティ ===
 
* [[笑ってる場合ですよ!]]([[フジテレビジョン|フジテレビ]])
 
* [[笑っていいとも!]](1987年、フジテレビ) - レギュラー・それ以外でも多数出演
 
* [[11PM]]([[日本テレビ放送網|NTV]] ゲスト出演)
 
* [[クイズダービー]](1989年11月25日、[[TBSテレビ|TBS]]) - ゲスト回答者
 
* [[クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!]] - [[ジャイアント馬場]]と交互で準レギュラー
 
** 新装開店!SHOW by ショーバイ!!
 
* [[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!]](NTV) - ゲスト出演
 
** [[笑ってはいけないシリーズ|ガキの使い 笑ってはいけない熱血教師・完全版]](2013年1月8日、NTV)
 
** [[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!#ゴールデンタイム・プライムタイム版での放送|ガキの使い 絶対に集合しなくてはいけない!スマホなしで待ち合わせSP]](2017年7月17日、NTV)
 
* [[スーパージョッキー]](NTV) - レギュラー出演
 
* たいむかぷせる(TBS) - レギュラー出演
 
* [[EXテレビ]](NTV [[讀賣テレビ放送|YTV]]) - 番組コーナー「お暗いマンガ劇場」にレギュラー出演
 
* [[さんまのナンでもダービー]]
 
* [[ニョキニョキ植物王国]]
 
* [[超次元タイムボンバー]]
 
* [[がっちりアカデミー!!]]
 
* [[世界まる見えテレビ特捜部]]
 
* [[こちらササキ研究所|極楽とんぼのこちらササキ研究所]]
 
* [[ゴールデンタイム (テレビ番組)|ゴールデンタイム]]
 
* [[目撃!ドキュン]]
 
* [[24時間テレビ 「愛は地球を救う」|24時間テレビ]](1993年 - )
 
* [[新橋ミュージックホール]] - 毎回いろんなキャラクターで登場
 
* [[土曜スペシャル (テレビ東京)|土曜スペシャル]]([[テレビ東京]]) - これまで数回出演しているが、親子で出演したこともある
 
** [[ローカル路線バス乗り継ぎの旅]]シリーズ - レギュラー
 
** [[にっぽん!いい旅|いい旅・夢気分 春の絶景SP]](2018年3月17日) - [[太川陽介]]、[[橋本マナミ]]と共にゲスト出演
 
* [[大阪ほんわかテレビ]] - 一時期レギュラー
 
* [[平成教育委員会]] - 一時期準レギュラー
 
* [[アリケン]] - 準レギュラー
 
* [[王様のブランチ]](1997年5月 - 1998年11月)
 
* [[さんま&amp;くりぃむの芸能界(秘)個人情報グランプリ]](2008年 - フジテレビ) - 第1回目から出演
 
* [[わたしが子どもだったころ (テレビ番組)|わたしが子どもだったころ]](NHK、2008年9月8日)
 
* [[うわっ!ダマされた大賞]](日本テレビ)
 
* [[鶴瓶の家族に乾杯]](2010年11月15日・22日、2018年3月12日、NHK) - ゲスト出演
 
* [[本番前@控室]](2011年4月5日 - 、[[日本BS放送|BS11]]) - レギュラー出演
 
* [[女傑の導き]](2011年4月 - 6月、BS11) - レギュラー出演
 
* [[きらきらアフロ]](2012年8月15日)
 
* [[美の壺]] 正月特番「新春“邸宅スペシャル”」(2013年1月1日、NHK)
 
* [[ひまの湯]](2013年9月8日、[[札幌テレビ放送|STV]])
 
* [[みんなの疑問 ニュースなぜ太郎]](2013年10月 - 、[[テレビ朝日]])
 
* [[腹ペコ!なでしこグルメ旅]](2013年10月18日、テレビ東京)
 
* [[千原ジュニアのヘベレケ]](2013年10月28日、[[東海テレビ放送|東海テレビ]]) - ゲスト出演
 
* [[バイキング (テレビ番組)|バイキング]] (2014年11月21日 - 2015年3月6日・4月2日 - 、フジテレビ) - 金曜日コーナーレギュラー、コーナー開始以降は[[具志堅用高]]と交互に出演。2015年4月2日から木曜日準レギュラー
 
* [[優しい人なら解ける クイズやさしいね]](フジテレビ) - 準レギュラー出演
 
* [[でんぱジャック-World Wide Akihabara-|でんぱジャック -World Wide Akihabara-]](2015年3月1日 - 3月15日、フジテレビ) - ゲスト出演
 
* 孫まご旅(2015年3月8日、[[名古屋テレビ放送|メ〜テレ]])
 
* [[ヒルナンデス!]](2015年4月1日、NTV) - ゲスト出演
 
* [[アメトーーク!]](2015年6月25日・7月9日、テレビ朝日) - ゲスト出演
 
* [[はに丸ジャーナル]](2015年8月21日、NHK)
 
* [[ニッポン戦後サブカルチャー史|ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅱ]]「[[ヘタウマ]]って何だ?」(2015年10月30日、[[NHK教育テレビジョン|Eテレ]]) - ゲスト出演
 
* [[ビートたけしのTVタックル]](2015年11月9日、テレビ朝日) - ゲスト出演
 
* 蛭子の図解の教典(2016年1月5日、テレビ東京) - MC<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2064825/full/|title=蛭子能収、バラエティー番組でMC初挑戦 自己評価は「80点」|publisher=ORICON STYLE|date=2016-01-04|accessdate=2016-01-05}}</ref>
 
* [[遠くへ行きたい (テレビ番組)|遠くへ行きたい]] 第2300回「蛭子流 桃太郎の国をゆく-岡山県 岡山・高梁・湯原温泉-」(2016年3月27日、読売テレビ) - ゲスト出演
 
* [[10min.ボックス]] テイクテック(2016年 - 、NHK) - ナレーション
 
* [[ファミリーヒストリー]]「伝説の漁師集団 父は死の海にこぎだす」(2016年5月19日、NHK)
 
* [[充電させてもらえませんか?]](テレビ東京)
 
* [[白昼夢 (テレビ番組)|白昼夢]](2017年10月23日・30日、フジテレビ) - [[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]と共にゲスト出演
 
* [[メレンゲの気持ち]](2018年3月17日、日本テレビ) - ゲスト出演
 
* [[オールスター感謝祭|オールスター感謝祭’18春]](2018年3月31日、TBS) - ゲスト出演
 
* [[チマタの噺]](2018年5月22日、テレビ東京) - ゲスト出演
 
* [[マツコ&有吉 かりそめ天国]](2018年6月13日・8月1日、テレビ朝日) - ゲスト出演
 
* [[帰れマンデー・見っけ隊!!]](2018年6月18日、テレビ朝日) - ゲスト出演
 
* [[痛快!明石家電視台]](2018年6月18日、MBS) - [[江川達也]]、[[森田まさのり]]、[[のむらしんぼ]]、[[はたのさとし]]、[[川口憲吾]]、[[葉月京]]、[[幸田廣信]]ら7人の漫画家と共にゲスト出演
 
* 100年先まで残したい日本の名曲3時間SP(2018年6月19日、テレビ東京) - ゲスト出演
 
* 他多数出演
 
 
=== CM ===
 
* [[徳山競艇場|徳山ボート]](1990年代)
 
* [[びわこ競艇場|びわこボート]](1993年頃) - CMの最後に「だからやめられない!びわこボート」と言う台詞を発していた。
 
* [[福岡競艇場|福岡ボート]]
 
* [[学生援護会]]
 
* 公共広告機構(現:[[ACジャパン]]) - ナレーション
 
* [[カルビー]]「焼きもろこし」
 
* [[オートバックス]](1992年)
 
* [[メルシャン]](以前)
 
* [[グンゼ]]([[1995年]])
 
* [[トヨタ自動車]]([[1996年]]) - [[加藤紀子]]と共演、ABSとエビスの語呂合わせ
 
* [[中部電力]]「[[給湯器|電気温水器]]」([[1998年]]) - [[久本雅美]]と共演
 
* [[東洋水産]]「[[ホットヌードル]]」 - [[鈴木蘭々]]と共演
 
* [[長崎歴史文化博物館]]([[2011年]]) - 自身の個展『えびすリアリズム -蛭子さんの展覧会-』
 
* [[WILLCOM]](2011年10月 - 11月・2012年3月 - )
 
* フラワーギャラリー オランダヤ(地元長崎の花屋)
 
* 城南建設「[[住宅情報館]]」(2013年12月 - ) - [[くりぃむしちゅー]]、[[Rev. from DVL]]と共演
 
* [[マニュライフ生命]](2014年12月 - ) - 太川陽介と共演
 
* Fuji & gumi Games「ファントム・オブ・キル」(2015年3月) - テレビCMの出演権を掛け[[でんぱ組.inc]]と人気投票で対決し敗北。しかし、予想を超える投票数が集まったため1度のみ放映された。現在は[[YouTube]]公式チャンネルにて配信している。
 
* [[日清食品]] カップヌードルナイス(2017年4月 - )
 
* [[Microsoft Windows 10|Windows]](2017年11月) - 息子の蛭子一郎と共に家族経営のクリエイティブユニット「EBS_KZ Inc.」(エビスカズインク)を2017年に11月に結成し、Windows10の新CMを制作するクリエイティブ・ディレクターに就任している<ref>[https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000002.000029975.html Windows 10クリエイティブ・ディレクターにエビス・ヨシカズ氏を起用 息子の一郎氏とともにクリエイティブユニットEBS_KZ Inc.を設立し、家族共作CMの制作に挑む] PR TIMES</ref>。
 
 
=== ネット配信 ===
 
* [[マジすか学園5]] 第5話(2015年、[[Hulu]]) - おっちゃん 役
 
* [[AbemaPrime]](2016年4月 - 、[[AbemaTV]]) - 木曜レギュラー<ref>{{cite news|url=http://natalie.mu/owarai/news/181043|title=ウーマン村本、ケンコバ、小籔がテレ朝新設オープンスタジオからニュース届ける|newspaper=お笑いナタリー|date=2016-03-24|accessdate=2016-03-24}}</ref>
 
* 蛭子能収の蛭子能収による蛭子能収のためのニュース(2017年4月30日、AbemaTV) - MC<ref>{{cite news|url=http://www.tvlife.jp/entame/115529|title=蛭子能収が真剣に“命”と向き合う『蛭子能収の蛭子能収による蛭子能収のためのNEWS』AbemaTVで4・30放送|newspaper=[[TV LIFE]]|date=2017-04-24|accessdate=2017-11-29}}</ref>
 
* 蛭子能収の蛭子能収による蛭子能収のためのニュースⅡ 蛭子が北朝鮮幽体離脱緊縛SP(2017年11月29日/12月30日、AbemaTV) - MC<ref>{{cite news|url=https://abematimes.com/posts/3290262|title=蛭子能収「人生には“適当に”が必要」 熱湯風呂から脱北者取材まで──愛されキャラの理由|newspaper=AbemaTIMES|date=2017-11-29|accessdate=2017-11-29}}</ref>
 
 
== 解説・インタビュー ==
 
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/takasugidan 高杉弾インタビュー(『Jam』『HEAVEN』初代編集長)] ※蛭子の再デビューにまつわる詳述あり
 
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/yamazakiharumi 山崎春美インタビュー(『HEAVEN』三代目編集長)] ※蛭子の再デビューにまつわる詳述あり
 
* [http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/205602 山崎春美のスーパー変態インタビュー「女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収」] - [[ビリー (雑誌)|Billy]] 1982年3月号
 
* [[根本敬]] [https://archive.is/TzBUX MAISON D'ART "EBISU" 蛭子 能収/Yoshikazu EBISU] 1997-2014 MAISON D'ART
 
* [http://www.geocities.co.jp/NatureLand/9932/ebisu.html たけし・みうらじゅん・浅草キッドが語る!! 蛭子能収の秘密] - ビートニクラジオ(1998年7月26日)
 
* [http://www5e.biglobe.ne.jp/~rolling/ebisu%20review.htm 蛭子能収作品レビュー『地獄に堕ちた教師ども』(青林堂・1981年)]
 
* [http://www.loft-prj.co.jp/interview/0408/14.html 漫画家・蛭子能収を再評価せよ!(ロフトプロジェクト)]2004年
 
* [http://www.asakusakid.com/past-column/ebisu.html 浅草キッドのコラム「蛭子能収の呪いとは何か?」対談:浅草キッド×根本敬]
 
* [https://web.archive.org/web/20150429174641/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people01.html 地上にはない美しさを求めて…黒いエビちゃん!笑う悪魔、地下住人の星・蛭子能収がOG降臨! (1/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)
 
* [https://web.archive.org/web/20150406234845/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people02.html 驚愕の趣味嗜好が明らかに…黒いエビちゃんの興奮ポイントに一同唖然! (2/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)
 
* [https://web.archive.org/web/20150407052847/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people03.html 不条理旋風、始動!プロ漫画家・蛭子能収、堂々のデビュー!! (3/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)
 
* [https://web.archive.org/web/20150406232515/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people04.html 悪魔の癖にメス!蛭子能収が“笑う悪魔”と呼ばれる所以、真実はこれだ! (4/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)
 
* [https://web.archive.org/web/20150402162407/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people05.html 暴言爆弾の絨毯爆撃!人の悲しみをあざ笑う蛭子能収の真意とは何か!? (5/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)
 
* [https://web.archive.org/web/20150407060359/http://journal.ocn.ne.jp/people/vol41/people06.html できれば日の当たる場所へ…華やかな世界に背を向けているわけじゃない (6/6) ] - OCN TODAY(2009年11月25日)
 
* [http://news.livedoor.com/lite/article_detail/4127991/ 「いつも上司を殺していた」蛭子能収流・今を生き抜く処世術(日刊サイゾー)]2009年
 
* [http://news.livedoor.com/article/detail/4737049/ 根本敬が語る伝説の漫画雑誌「ガロ」と蛭子能収のアブない裏話(日刊サイゾー)]2010年
 
* [https://web.archive.org/web/20160711135921/http://www.project-max.com/blog/interview/nemototakashi.html ハッテンバプロダクション 根本敬インタビュー(マックスマガジン)]2010年
 
* [https://web.archive.org/web/20160404120644/http://www.project-max.com/interview/ebisuyoshikazu02.html ハッテンバプロダクション 蛭子能収インタビュー「世界にはばたけ!蛭子さん~そもそも、なぜ漫画家に?~」(マックスマガジン)]2010年
 
* [http://seirinkogeisha.sblo.jp/article/57918908.html 8/30「根本敬の映像夜間中学」は蛭子さん!タコ!ネコ!JAM!HEAVEN!(青林工藝舎編集部だより)]2012年
 
* [http://www.cyzo.com/i/2014/10/post_18883_entry.html 「奥さんさえいれば、友達はいらない」テレビでは見られない蛭子能収の人づきあい感(日刊サイゾー)]2014年
 
* [http://www.cyzo.com/i/2015/07/post_22663.html 「人はそれぞれ自由に生きればいい」蛭子能収の最強の生き方を学ぶ(日刊サイゾー)]2015年
 
* [http://journal.rikunabi.com/p/worker/job/19478.html Vol.164 蛭子能収「自由でいたいから自分で食う分は自分で稼ぐ」(就職ジャーナル)]2015年
 
* [http://www.baitoru.com/contents/star/37/index.html 蛭子能収 - スターアルバイト烈伝(バイト情報のバイトル)]2007年
 
* [https://www.discas.net/contents/interview/c_interview_003_1.html 蛭子能収が選ぶ「取り残された映画」10枚]
 
* [http://sololife.jp/article/1051 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその1「自分の好きなことをしっかり持て!」]2015年
 
* [http://sololife.jp/article/1055 蛭子能収「おひとりさまを笑うな」インタビューその2「自己主張は自分にすればいい」]2015年
 
* [http://www.dokant.com/sp/001a.html 直撃!インタビュー!!は蛭子能収さん(ドカント)]2016年
 
* [https://thepage.jp/detail/20161009-00000005-wordleaf 蛭子能収 テレビの世界の扉を柄本明さんが開けてくれた(THE PAGE)]2016年
 
* [http://nextalk-uniadex.com/_ct/16983622 蛭子能収さんインタビュー(前編)「痛い目に遭っても仕事は断らない」2016年8月16日号(NexTalk)]2016年
 
* [http://nextalk-uniadex.com/_ct/16992053 蛭子能収さんインタビュー(後編)「相手が社長で自分は係長」2016年9月13日号(NexTalk)]2016年
 
* {{Cite web|url=http://www.shipsmag.jp/2017summer/article/484|title=スペクテイター「パンクマガジン『Jam』の神話」特集号 ヘタウマ・イラストレーションにまつわる対談|work=[[青野利光]]+[[手塚能理子]]|publisher=SHIPS MAG|accessdate=2018-01-25}}
 
* {{Cite web|url=http://www.pandora.nu/bluebox/doc_cult/cult0001.html|title=幻の自販機本『HEAVEN』にUGルーツを追え!|work=Cannabis C4|publisher=BLUEBOX|date=2001-11-18|accessdate=2017-06-17}}
 
* {{Cite web|url=http://www.akishobo.com/akichi/minami/v23|title=私のイラストレーション史 南伸坊 長井さんはすごい人|work=[[南伸坊]]|publisher=亜紀書房|date=2017-7-31|accessdate=2017-11-20}}
 
* [http://kunimotokanei.blog8.fc2.com/blog-entry-209.html つげパロディーの系譜『さん式』蛭子能収(高田馬場つげ義春研究会)]
 
 
== 参考文献 ==
 
=== 雑誌 ===
 
* [[白夜書房]]『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』1982年3月号
 
** [[山崎春美]]のスーパー変態インタビュー「[http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2018/02/28/205602 女房の流産を心底喜んだ!? 異端漫画家 蛭子能収]」
 
* [[21世紀社]]『ペリカンクラブ』1984年9月号
 
** 特集=蛭子能収スペシャル「何となく芸術座談会」
 
** 座談:蛭子能収×[[根本敬]]×[[霜田恵美子]]×[[スージー甘金]]
 
* [[宝島社]]『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』1993年2月9日号
 
** 日本一カルトなおじさん漫画家 蛭子能収大研究
 
** 聞き手:[[手塚能理子]]
 
** 寄稿:[[根本敬]]+[[みうらじゅん]]
 
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年4月号「特集・蛭子能収」
 
** 蛭子能収インタビュー「オレが死んだら食べてもいいよ」
 
** 対談:蛭子能収×[[川崎ゆきお]]
 
** 寄稿:[[根本敬]]+[[末井昭]]+[[巻上公一]]
 
* 青林堂『月刊漫画ガロ』1995年4月号「特集・世紀末」
 
** ガロ名作劇場36:蛭子能収+[[長井勝一]]インタビュー
 
** 聞き手:[[手塚能理子]]
 
* 宝島社『[[別冊宝島]]250 トンデモ悪趣味の本』(1996年)
 
** 蛭子能収インタビュー「茶の間のピンヘッドは無意識の殺人者!?」
 
** 文&画=[[根本敬]]([[ガロ系|特殊漫画家]])
 
* [[ロフト (ライブハウス)|ロフトブックス]]『TALKING LOFT3世』VOL.2(1999年)
 
** 対談:[[根本敬]]×[[白取千夏雄]]×[[サエキけんぞう]]×[[鶴岡法斎]][https://blogs.yahoo.co.jp/dougasetumei/55813305.html 「ねこぢる追悼ナイト」]
 
* [[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』113号(2016年)
 
** 特集:蛭子能収『[[地獄に堕ちた教師ども]]』復活記念「ドキュメント蛭子能収 オレ、何するんだったけ?」
 
** 聞き手兼記憶補佐役:[[根本敬]]/進行係:[[高市真紀]]/寄稿:[[山崎春美]]
 
* [[幻冬舎]]『スペクテイター』39号(2017年)
 
**  特集:[[パンク (サブカルチャー)|パンク]][[雑誌|マガジン]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の[[神話]]
 
 
=== 書籍 ===
 
* ガロ史編纂委員会『ガロ曼陀羅』([[TBSブリタニカ]] 1991年)
 
* 根本敬『因果鉄道の旅』([[KKベストセラーズ]] 1993年)
 
* 根本敬『人生解毒波止場』([[洋泉社]] 1995年)
 
* 蛭子能収『[[私はバカになりたい]]』([[青林堂]] 1982年)
 
* 蛭子能収『なんとなくピンピン』(青林堂 1983年)
 
* 蛭子能収『私は何も考えない』(青林堂 1983年)
 
* 蛭子能収『サラリーマン危機一発』([[河出書房新社]] 1985年 )
 
* 蛭子能収『家族天国』([[双葉社]] 1986年)
 
* 蛭子能収『正直エビス』([[新宿書房]] 1996年)
 
* 蛭子能収『地獄を見た男』([[マガジンファイブ]] 2004年)
 
** 根本敬「日常風景としての地獄」189-191頁。
 
* 蛭子能収『ひとりぼっちを笑うな』([[KADOKAWA]] 2014年)
 
* 蛭子能収『蛭子能収のゆるゆる人生相談』([[光文社]] 2015年)
 
* 蛭子能収『[[地獄に堕ちた教師ども]]』([[青林工藝舎]] 2016年)
 
  
 
== 脚注 ==
 
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== 注釈 ==
 
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* [http://www.fathers.jp/ebisu.html 所属事務所公式プロフィール]
 
* [http://www.fathers.jp/ebisu.html 所属事務所公式プロフィール]
 
* [http://ameblo.jp/ebisuyoshikazu/ 蛭子能収オフィシャルブログ「えびすにっき」]
 
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* {{Twitter|ebisu_jp}}
 
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[[Category:存命人物]]
 
[[Category:ガロ]]
 
[[Category:アックス]]
 
[[Category:自販機本]]
 
[[Category:サブカルチャー]]
 

2018/8/13/ (月) 23:45時点における版

蛭子能収
本名 蛭子能収
生誕 (1947-10-21) 1947年10月21日(76歳)[1]
{ 熊本県牛深市(現天草市
国籍 日本の旗 日本
職業 漫画家
イラストレーター
タレント
俳優
映画監督
活動期間 1973年 -
ジャンル 劇画
ガロ系
鬼畜系
パンク
エログロ
ヘタウマ
不条理漫画
代表作地獄に堕ちた教師ども
私はバカになりたい
公式サイト 蛭子能収 OFFICIAL WEB SITE
テンプレートを表示
蛭子能収
生年月日 (1947-10-21) 1947年10月21日(76歳)
出身地 日本の旗 熊本県牛深市(現天草市
最終学歴 長崎市立長崎商業高等学校
作品 『正直エビス』
『ヘタウマな愛』
『こんなオレでも働けた』
『ひとりぼっちを笑うな』
公式サイト 蛭子能収オフィシャルブログ「えびすにっき」
表示

蛭子 能収(えびす よしかず、1947年10月21日 - )

日本漫画家イラストレータータレントエッセイストギャンブラー俳優映画監督ファザーズコーポレーション所属。

概要

熊本県天草市生まれ、長崎県長崎市育ち。長崎商業高等学校卒業後[2]、地元の看板店に就職するも、つげ義春の『ねじ式』に衝撃を受けて1970年に上京し、看板屋・ちり紙交換・ダスキンセールスマンなどの職を経て青林堂に漫画を持ち込み『ガロ』初代編集長の長井勝一に才能を見出される。

月刊漫画ガロ』(青林堂1973年8月号掲載の入選作「パチンコ」で漫画家デビュー。その後、3年間の休筆期間を経て伝説的編集者の高杉弾山崎春美の依頼により1979年に伝説的自販機本Jam』(エルシー企画)でプロの商業漫画家として再デビューする。その後、自販機本『Jam』『HEAVEN』での執筆を契機に官能劇画誌などの媒体にも進出し、アンダーグラウンドエロ本を中心に数多くのエロ劇画不条理漫画を発表する。以来特異な作風で注目を集め、ヘタウマ漫画家としての地位を確立する。

1981年には初単行本『地獄に堕ちた教師ども』を青林堂より上梓、これを機にダスキンを退社して漫画家として独立する。1980年代後半からは柄本明との出会いを契機として芸能界でのタレント俳優活動に比重を移し、劇団東京乾電池の公演に出演して以降『笑っていいとも!』(フジテレビ)へのレギュラー出演やテレビドラマ教師びんびん物語II』(フジテレビ)への出演を皮切りに数多くのテレビ番組に出演している。また芸能活動と並行して狂気と毒をはらんだ前衛的な漫画作品を精力的に発表し続け、日本漫画に新たな表現の地平を切り開く[3]。現在は青林工藝舎漫画雑誌アックス』にて特殊漫画家根本敬と共に「隔月蛭子劇画プロダクション社内報」を連載中[注釈 1]

主な著書に漫画で『地獄に堕ちた教師ども』『私はバカになりたい』『私の彼は意味がない』『私は何も考えない』『なんとなくピンピン』『家族天国』『蛭子能収コレクション』、エッセイで『正直エビス』『ヘタウマな愛』『こんなオレでも働けた』『ひとりぼっちを笑うな』『蛭子能収のゆるゆる人生相談』などがある。


脚注

  1. 蛭子能収さんテキトー過ぎムチャクチャ著書イベント 2015年6月24日7時54分 日刊スポーツ
  2. 『漫画家 人名事典』 まんがseek, 日外アソシエーツ編集部、日外アソシエーツ、2003-02-25、第1刷。ISBN 978-4-8169-1760-8。
  3. “作品展:脱力の鬼才、蛭子能収ワールド ヘタウマ全開 新作イラストやマンガ原画200点 北九州”. 毎日新聞・西部朝刊: p. 24. (2017年5月14日) 

注釈

  1. 蛭子能収・根本敬・マスクベビーの各氏がバラバラに描いた原稿を青林工藝舎の編集部で合体した合同漫画作品。青林工藝舎は「日本で一番自由奔放かつ臨機応変な作品」を自称している。

外部リンク