ウーシア
ウーシア(希: οὐσία, 英: ousia)とは、「実体」(英: substance)や「本質」(英: essence)を意味するギリシャ語の言葉。ラテン語に翻訳される際に、この語には「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なる二語が当てられたため、このような語彙の使い分けが生じた。
アリストテレスによる定義
この「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)という語に、「substantia」(スブスタンティア)、「essentia」(エッセンティア)という異なるラテン語の二語が当てられるようになったのは、偶然ではなく、アリストテレスによる多様な定義・用法に由来している。
『範疇論』
アリストテレスは、『オルガノン』の第一書である『範疇論』にて、実体概念を、
- 第一実体 : 個物 --- 主語になる
- 第二実体 : 種・類の概念 --- 述語になる
の2つに分割している。
アリストテレスは、「イデア」こそが本質存在だと考えた師プラトンとは逆に、「個物」こそが第一の実体だと考えた。
こうして実体概念はまず2つに大きく分割された。
『形而上学』
アリストテレスの『形而上学』中のΖ(第7巻)では、アリストテレスの実体観がより詳細に述べられている。
そこではアリストテレスは、第一実体としての「個物」は、「質料」(基体)と「形相」(本質)の「結合体」であり、また真の実体は「形相」(本質)であると述べている。
- 第一実体 : 「個物」(結合体) --- 主語になる
- 「質料」(基体)
- 「形相」(本質)
- 第二実体 : 種・類の概念 --- 普遍 --- 述語になる
また、用語集である第五巻(Δ巻)第8章においては、この「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)(実体)という語は、
- 単純物体。土、火、水のような物体や、それによる構成物、及びその部分。述語(属性)にはならず、主語(基体)となるもの。
- 1のような諸実体に内在している、そのように存在している原因となるもの。例えば、生物における霊魂。
- 1のような諸実体の中に部分として内在し、それぞれの個別性を限定・指示するもの。これが無くなれば、全体も無くなるに至るような部分。例えば、物体における面、面における線、あるいは全存在における数など。
- そのものの本質が何であるかの定義を言い表す説明方式(ロゴス)それ自体。
といった列挙の後、
- (上記の1より)他の主語(基体)の述語(属性)にはならない、窮極(究極)の基体(個物)。
- (上記の2・3・4より)指示されうる存在であり、離れて存在しうるもの。型式(モルフェー)、形相(エイドス)。
の2つの意味を持つ語として、定義されている[1]。
このように、「ウーシア」(希: οὐσία, ousia)(実体)という語は、今日における
それも「究極基体的な物質」(今日の水準で言えばちょうど「素粒子」(elementary particle)に相当する)を含む、「実質」(substance)という意味から、それをそれたらしめていると、人間が認識・了解できる限りでの側面を強調した(観念的・概念的・言語的な面も含む)「本質」(essence)という意味までを孕んだ、多義的な語であった。
後世の継承
中世キリスト教
近代哲学
「実体」を巡る議論は、「物質」(physical substance, chemical substance)一般としての「実体」考察が、自然科学として発達し、哲学から自立・独立・分離していく一方で、(観念的・言語的な領野における)「本質」「本質存在」(essence)概念は、専ら個別具体的に存在している人間としての「実存」「現実存在」(existence)と、対置されるようになっていった。
これは特に、ヘーゲル思想に孕まれる「本質主義」(essentialism)に対して、「実存」「現実存在」(existence)としての個別具体的な人間の優位を掲げるキルケゴールやマルティン・ハイデッガー等の「実存主義」(existentialism)によって、顕著になる。
他方では、その「本質」「本質存在」(essence)認識の、社会性や言語や無意識などの「構造」(structure)(としての「関係性」(relations))による拘束を強調する議論も活性化していき、人類学、社会学、言語学、心理学にも渡る、構造主義・ポスト構造主義・ポストモダニズム(としての関係主義)の潮流を生み出した。