ローランド・カーク
ラサーン・ローランド・カーク(英: Rahsaan Roland Kirk、1935年または1936年[1]8月7日 – 1977年12月5日)は、アメリカのジャズ・ミュージシャン。盲目でありながらサクソフォンやフルート、トランペット、オーボエ、ピッコロ、イングリッシュホルン、リリコンなど、多種多様な管楽器を演奏した。気魄がみなぎる演奏で知られ、舞台上での超絶的な即興演奏には、コミカルなおふざけや政治的な暴言、複数の楽器を同時に演奏する技能が加わっていた。数本のサクソフォンを首にぶら下げ、大柄な体躯に黒眼鏡をかけたいかつい風貌や、鼻でフルートを鳴らしながらスキャットを奏で、時に自ら歌い、手回しサイレンやホイッスルなども手に取って鳴らすといった演奏形態が奇異に受け取られたためか、日本国内では「グロテスク・ジャズ」と紹介されていた時期もある。反面、近年では、形にとらわれない奔放なスタイルや、パワフルで親しみやすく、かつブラックミュージックの伝統に根ざした表情豊かな演奏によって、ジャズにとどまらない多様な方向性を感じた若い世代から信奉されている。
略歴
オハイオ州コロンバスに生まれた。医療過誤の結果、幼児期に失明。本名はロナルド・セオドア・カーク(Ronald Theodore Kirk[1])である。ローランド(Roland)という芸名は、ロナルド(Ronald)のアナグラムから作り出し、さらにラサーン(Rahsaan)は、1970年に、夢でその名を聞いて付け加えた。
主にリーダーとして自らのバンドを統率して、サイドマンとして演奏することは滅多になかったが、編曲家のクインシー・ジョーンズやドラマーのロイ・ヘインズと共演して録音を行なっており、また、ベース奏者のチャールズ・ミンガスとは一定期間共演した。録音に遺されたカークの演奏で最も名高いものは、映画『オースティン・パワーズ』の主題歌にも使用されたクインシー・ジョーンズの1964年のヒット曲《ソウル・ボサ・ノヴァ》である (Jones 1964; McLeod et al. 1997)。
カークは、主にソウル・ジャズかハード・バップに根付いた演奏を行なったが、ジャズの歴史についての造詣を活かして、ラグタイムからスウィングやフリージャズに至るまで、古今のあらゆる音楽のさまざまな要素を取り入れた。カークのレパートリーは、デューク・エリントンやジョン・コルトレーンといったジャズの巨匠だけでなく、スモーキー・ロビンソンやバート・バカラックのようなポップスの作曲家も含まれ、またクラシック音楽の影響もあった。ライブアルバム『ブライト・モーメンツ(Bright Moments )』(1973年)等に、カークのショーの一例を聴くことが出来る。主な楽器はテナー・サクソフォンであったが、その他のサクソフォンや、フルートも多用した。時にカークは、一度に複数の管楽器を演奏して、独りでハーモニーを付けたり、循環呼吸を用いて長い保続音を奏でたり、あるいは鼻でフルートを吹きもした。2・3本のサクソフォンを同時に演奏している時でさえ、ブルースを強烈に感じさせる、複雑で力強いジャズを繰り広げた。
カークは時に政治的な発言をし、コンサートの曲間には、アフリカ系アメリカ人の歴史や公民権運動など、時局の話題がしばしば取り上げられた。その演説は、諷刺や不条理なユーモアに彩られていた。
1975年に最初の大きな脳卒中に見舞われ、右片麻痺に陥るが、左手だけで演奏できるように楽器を改良して演奏や録音を続けた[2]。ロンドンのロニー・スコット・クラブにおけるライブ演奏では、2本の楽器を演奏するのがやっとであったが、国際的なツアーを続け、テレビ番組への出演も果たしている。
1977年にインディアナ大学学生生協のフランジパニ・ルームで演奏を終えた後、二度目の発作を起こしインディアナ州ブルーミントンで亡くなった。
演奏
カークは数多くの楽器を演奏しただけでなく、さまざまなサクソフォンやクラリネット、フルートの蒐集家でもあった。カークの主立った楽器はテナー・サクソフォンと、2つの特殊なサクソフォンである。即ち、一つはストリッチ(サックスに特徴的な上向きのベルがない、直立型のアルト・サックス)であり、もう一つはマンツェロ(巨大な上向きのベルの付いたソプラノ・サックス。サクセッロの改良版)である。カークはこれらの楽器に自分で手を加え、同時に演奏できるように作り替えた。
カークで特徴的なのは、全部で3つの管楽器を首に巻きつけ、さらにフルートやホイッスルなどさまざまな楽器も携えて舞台上に登場し、手の届くところにゴングを置いたことである。カークはクラリネットやブルースハープ、イングリッシュホルン、リコーダーも演奏し、トランペット奏者としても有能だった。さらに、楽器ではない道具、たとえば目覚まし時計やサイレン、「黒い謎の管」ことゴムホースも利用している。スタジオ録音では、テープ操作されたミュジック・コンクレートや、まだ一般化する前の原初的な電子音さえ用いている。
カークはフルート(fl,nose-fl,c-fl,african-fl)奏者としても名手だったが、独自に開発した演奏技巧を用いていた。その技巧の一つが、楽器を吹きながら同時に口ずさんだりハミングするというもの。また、普通のフルートを鼻笛として他の楽器と一緒に用いるという技巧も使った。
カークの舞台上での奇矯ないでたちや、複数楽器の同時操作を、とりわけカークが盲人であったことから判断して、単なるインチキと判断する向きもあったが、このような見方も、いざカークが演奏を始めると、消し飛ぶのが常だった。カークは複数の管楽器を操って正しい和音を鳴らしており、本質的に一人でサクソフォンのアンサンブルを奏でていた。もっとも本人は、自分の頭の中で聞こえた響きをなぞろうとしているにすぎないと主張している。
カークは、循環呼吸(円環呼吸)の理解者にして実践家であった。この呼吸法を用いることによって、単音を自在に引き伸ばすことができるようになっただけでなく、十六分音符のフレーズを高速で、ほとんど際限なく吹き続けることが出来た。カークは循環呼吸の技能を用いて、LP『プリペア・ザイセルフ・トゥ・ディール・ウィズ・ア・ミラクル』の収録曲の《サクソフォン・コンチェルト》を、21分間にわたって息継ぎなしで連続して演奏している[3]。アトランティック・レコードのプロデューサーだったジョエル・ドーンは、カークの特技に対してギネスブックは記録を認定すべきだと考えていた(カークは同盤の録音よりもはるかに長く、ブレスなしで演奏し続けることができた)が、それは実現しなかった。
ディスコグラフィ
リーダー・アルバム
- キング
- 1956年: Triple Threat
- 後に『サード・ディメンション』というタイトルで再発される。
- アーゴ
- 1960年:イントロデューシング・ローランド・カーク - Introducing Roland Kirk
- 1961年:ウィ・フリー・キングス - We Free Kings
- 1962年:ドミノ - Domino
- 1963年:リーズ&ディーズ - Reeds & Deeds
- 1964年: ローランド・カーク・カルテット・ミーツ・ザ・ベニー・ゴルソン・オーケストラ - The Roland Kirk Quartet Meets the Benny Golson Orchestra
- 1964年: カーク・イン・コペンハーゲン - Kirk in Copenhagen(ライヴ)
- 1964年: ギフツ&メッセージズ - Gifts & Messages
- ライムライト
- 1964年: I Talk with the Spirits
- 1965年:リップ、リグ&パニック - Rip, Rig and Panic
- 1965年録音 1966年発売:スライトリー・ラテン - Slightly Latin
- 1967年:ビューティフル・イーディス - Now Please Don't You Cry, Beautiful Edith
- 1965年録音 1967年発売:ヒア・カムズ・ザ・ホイッスルマン - Here Comes the Whistleman
- 1967年録音 1968年発売:溢れ出る涙 - The Inflated Tear
- 1968年録音 1969年発売:レフト&ライト - Left & Right
- 1969年:ヴォランティアード・スレイヴリー - Volunteered Slavery(ライヴ音源を含む)
- 1970年:ラサーン・ラサーン - Rahsaan Rahsaan(ライヴ音源を含む)
- 1971年:ナチュラル・ブラック・インヴェンションズ:ルート・ストラタ - Natural Black Inventions: Root Strata
- 1971年録音 1972年発売:ブラックナス - Blacknuss
- 1972年:ア・ミーティング・オブ・ザ・タイムス - A Meeting of the Times(with アル・ヒブラー)
- 1973年:プリペア・ザイセルフ・トゥ・ディール・ウィズ・ア・ミラクル - Prepare Thyself to Deal With a Miracle
- 1973年録音 1974年発売:ブライト・モーメンツ - Bright Moments(ライヴ)
- 1975年:過去・現在・未来そして夢 - The Case of the 3 Sided Dream in Audio Color
- 1976年:アザー・フォークス・ミュージック - Other Folks' Music
- 1976年:天才ローランド・カークの復活 - The Return of the 5000 Lb. Man
- 1975年録音 1977年発売:カーカトロン - Kirkatron
- 1977年録音 1978年発売:ブギ・ウギ・ストリング・アロング・フォー・リアル - Boogie-Woogie String Along for Real
サイドマンとして参加したセッション
- 1961年 オー・ヤー - Oh Yeah (1961, Atlantic)
- 1974年 ミンガス・アット・カーネギー・ホール - Mingus At Carnegie Hall (1974, Atlantic)
- ミンガスがかつてのセッション仲間を呼んで共演。カークのソロ・タイムが最も長く、ミンガスからの信頼の厚さを伺わせる。一緒に参加したジョージ・アダムスのアドリブを、カークが真似して吹いている。
- ロイ・ヘインズ
- 1962年 アウト・オブ・ジ・アフタヌーン - Out of the Afternoon
- ヘインズはカークのリーダー・アルバム『ドミノ』、『レフト&ライト』、『アザー・フォークス・ミュージック』にも参加している。
- クインシー・ジョーンズ
- 1962年 ソウル・ボサ・ノヴァ - Big Band Bossa Nova
- 1曲目の「ソウル・ボサ・ノヴァ」は、映画「オースティン・パワーズ」のテーマ曲に転用されたことでいっそう有名になった。特徴あるフルート・ソロをカークが担当した。
- 1963年 ザ・ヒップ・ヒッツ - Plays the Hip Hits
- 1964年 Quincy Jones Explores the Music of Henry Mancini
- 1968年 ザ・ジャッキー・バイアード・エクスペリエンス - The Jaki Byard Experience
- バイアードはカークのリーダー・アルバム『リップ、リグ&パニック』、『ヒア・カムズ・ザ・ホイッスルマン』にも参加している。
後世への影響
- エリック・バードンが結成したウォーのデビューアルバムには、カークへのトリビュート・ソング《ロール・オン・カーク》が収録されている。
- 管楽器奏者のバーバー兄弟は、それぞれカークにあやかって名付けられた。ちなみにローランド・バーバーはトロンボーン奏者でラーサーン・バーバーがサクソフォン奏者である。
- ドラマーのラモーン・ロペスは、2002年にカークへのトリビュート・アルバム『デュエット・トゥ・ラーサン・ローランド・カーク(Duets 2 Rahsaan Roland Kirk)』において、9人の異なるアーティスト(ジョエル・レアンドル、ティエリー・マディオ、ハリー・ベケット、マイート・ベッカス、ベニャート・アチアリーら)をゲストに招き、9組のデュエットにカークのオリジナル9曲を演奏してもらった。
- 大友良英は、グランド・ゼロ時代のアルバム『プレイズ・スタンダード』において、《アイ・セイ・ア・リトル・プレイヤー》のカーク・バージョンをカバーした。
- ジェスロ・タルは1968年に《カッコウへのセレナード(Serenade to a Cuckoo)》をカバーした。
- ジェレミー・スティーグやテイス・ファン・レール、ジェスロ・タルのイアン・アンダーソンは、フルートを吹きながらハミングするカークの演奏技巧に影響を受けた。
- VDGGのデヴィッド・ジャクソンもカークの演奏様式や演奏技巧に感化され、少なくとも1969年から同時に複数のサクソフォンを演奏するようになった[4]。
- ソロ・アーティストで1988年からベラ・フレック・アンド・ザ・フレックトーンズのメンバーでもあるジェフ・コフィンも、複数のサクソフォンを同時に奏でる。
- イギリスの管楽器奏者ディック・ヘクストール=スミスもカークに触発されて、複数のサクソフォンを同時に演奏するようになった。
参考文献
- Jones, Quincy (Composer). (1964). Big band bossa nova [Phonograph]. Mercury. (Reissued on compact disc by Verve in 1998, 2005)
- Kruth, John: Bright Moments. The Life and Legacy of Rahsaan Roland Kirk. Welcome Rain Publishers, New York 2000 ISBN 1-56649-105-3
- McLeod, Eric (Producer), & Roach, Jay (Director). (1997). Austin Powers: International man of mystery [DVD]. New Line Home Video
- Swing Journal, 4, 1994. スイングジャーナル社、1994年。
- 『ローランド・カーク伝 溢れ出る涙 Rahsaan Roland Kirk』ジョン・クルース、河出書房新社、2005年。ISBN 4309268250。
註釈
- ↑ 1.0 1.1 Kernfeld, Barry. "Kirk, Roland." The New Grove Dictionary of Jazz, 2nd ed. Ed. Barry Kernfeld. Grove Music Online. Oxford Music Online. Retrieved on 2009-02-01. 「生年は1936年とする説が広く流布しているが、出生証明書には1935年とあり、ローランドではなくロナルドと記入されている。」
- ↑ Himes, Geoffrey (2008年6月1日). “Rahsaan Roland Kirk: The Cult of Kirk”. JazzTimes. . 2017閲覧.
- ↑ Heckman, Don (1998年5月24日). “Kirk Holds Artistic 'Aces'”. Los Angeles Times. . 2017閲覧.
- ↑ Christopulos, J., and Smart, P.: "Van der Graaf Generator - The Book", page 55. Phil and Jim publishers, 2005. ISBN 0-9551337-0-X
外部リンク
- ワーナーミュージック・ジャパン - ローランド・カーク
- the Rahsaan Roland Kirk website
- Stopping the white wash - Rahsaan Roland Kirk on TV
- Roland Kirk Discography (Jazz Discography Project)
- Sound?? film of Kirk with John Cage at UbuWeb
- Video: Rahsaan Roland Kirk (1975)
- Video: Rahsaan Roland Kirk and The Vibration Society (1972)