エンニオ・フライアーノ

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エンニオ・フライアーノEnnio Flaiano, 1910年3月5日 - 1972年11月20日)は、イタリア脚本家劇作家ジャーナリスト小説家である[1][2]。文学賞のフライアーノ賞、国際映画祭のフライアーノ映画祭、ローマのフライアーノ劇場に名を残す。

人物・来歴

ネオレアリズモからイタリア式コメディへ

1910年(明治43年)3月5日イタリア王国(現在のイタリア共和国ペスカーラ県ペスカーラに生まれる[1][2]

1942年(昭和17年)に公開されたロモロ・マルチェッリーニ監督のドキュメンタリー映画 Pastor Angelicus (日本未公開)の脚本を書き、助監督を務めたのが、映画界での最初の記録である[1]第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)、小説 Tempo di uccidere で、第1回ストレーガ賞を受賞する。1948年(昭和23年)、マルチェロ・パリエロ監督の『自由都市ローマ』の原案で、ナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞を受賞する[1]

1958年(昭和33年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『青春群像』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、トゥリオ・ピネリとともに第30回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる[1]。1959年(昭和34年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『カビリアの夜』の脚本で、同作を共同執筆したピエル・パオロ・パゾリーニ、トゥリオ・ピネリとともにスペインバルセロナでのサン・ジョルディ賞最優秀外国脚本賞を受賞する[1]

フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、トゥリオ・ピネリとともに1961年(昭和36年)にはナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、1962年(昭和37年)には第34回アカデミー賞脚本賞にノミネートされる[1]。1964年(昭和39年)、フェデリコ・フェリーニ監督の『8 1/2』の脚本で、同作を共同執筆したフェリーニ、ブルネッロ・ロンディ、トゥリオ・ピネリとともに、ナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞、同年の第36回アカデミー賞脚本賞および原作賞にノミネートされる[1]

1972年(昭和47年)11月20日心臓病のためローマで死去した[1][2]。満62歳没。マッカレーゼ墓地に眠る[3]

没後

1974年(昭和49年)、フライアーノ映画祭フライアーノ賞が創設される。

没後15年を経た1987年(昭和62年)、ダミアーノ・ダミアーニが1986年(昭和61年)に監督した『インクアイリー/審問』の脚本で、スーゾ・チェッキ・ダミーコとともにナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞を受賞する[1]

おもなフィルモグラフィ

1940年代

1950年代

1960年代

没後作品

ビブリオグラフィ

テアトログラフィ

参照: [[it:Ennio Flaiano#Opere]]

参考文献

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 1.4 1.5 1.6 1.7 1.8 1.9 Ennio Flaiano, インターネット・ムービー・データベース (英語), 2010年12月13日閲覧。
  2. 2.0 2.1 2.2 Ennio Flaiano, allmovie (英語), 2010年12月13日閲覧。
  3. Ennio Flaiano, Find A Grave (英語), 2010年12月13日閲覧。

関連事項

外部リンク