志摩マリンレジャー
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志摩マリンレジャー株式会社(しまマリンレジャー、Shima Marine Leisure Co., LTD)は、日本の海運業者。近鉄グループに属し、三重県鳥羽市と同県志摩市で観光遊覧船や定期船を運航している。
近畿日本鉄道の子会社である近鉄レジャーサービスの子会社である。
Contents
事業所
現行航路
遊覧船
あご湾定期船
過去の航路
- 鳥羽〜蒲郡間ホバークラフト(1971年7月休止)
- 名古屋〜鳥羽〜蒲郡間水中翼船(1976年10月休止)
- 穴川 - 的矢定期船(1985年7月1日廃止[2])
- 五ヶ所湾巡航船・観光船(2000年3月31日廃止[3])
沿革
創立期
当初は自動車運輸業者として会社を設立、後に航路を他の事業者から譲り受け海運業に転向する。
- 1927年(昭和2年)4月15日 - 真珠湾交通株式会社[注 1]として設立。
- 1936年(昭和11年)9月 - 浜島 - 鳥羽航路を志摩通運より譲受。
- 1943年(昭和18年)9月 - 自動車運輸事業を三重乗合自動車(三重交通の前身の1社)に譲渡。
- 1944年(昭和19年)4月 - 鳥羽湾交通株式会社を合併し、志摩航運株式会社に改称。
- 1946年(昭和22年)10月 - 賢島 - 尾鷲航路を開設、的矢湾航運合名会社を合併。
拡大期
第二次世界大戦後は数社を合併したり、遊覧船の運航を開始するなど事業拡大を推進した。最盛期には三重県のみならず和歌山県にも進出した。
- 1951年(昭和26年)4月 - 志摩観光汽船株式会社に社名変更。
- 1952年(昭和27年)5月 - 鼓ヶ浦、霞ヶ浦[注 2]で出張営業を実施。
- 1953年(昭和28年)7月 - 鳥羽湾納涼船の運行を開始。
- 1956年(昭和31年)3月 - 観光鳥羽汽船有限会社から事業を譲受。
- 1958年(昭和33年)
- 1959年(昭和34年)
- 1962年(昭和37年)7月 - 名古屋~鳥羽~蒲郡間で水中翼船を就航。
- 1964年(昭和39年) - 和歌山県の勝浦観光汽船株式会社を合併し、志摩勝浦観光汽船株式会社に改称する。
- 1966年(昭和41年) - 鋼船「五十鈴」・「あさま」を導入。
- 1969年(昭和44年)
- 5月 - 鳥羽湾めぐり遊覧船乗り場を岩崎桟橋から佐田浜桟橋に移転。
- 7月 - 鳥羽~蒲郡間にホバークラフトを就航。
- 1970年(昭和45年)7月 - 本社を鳥羽港湾センター[注 3]に移転。
再編期
和歌山県の事業を分離し、事業の再編に着手するようになる。親会社の近畿日本鉄道の伊勢志摩での事業再編計画もあり、2度の会社清算と新会社への移行が行われ、現在に至る。近鉄志摩観光汽船は最高で年商約12億円を記録したものの、1998年(平成10年)度には半分まで落ち込んだうえ、約4億円の赤字を計上、約22億円の累積負債を抱えていた[5]。
- 1973年(昭和48年)3月 - 和歌山県(勝浦地区)での事業を会社から切り離し、近鉄志摩観光汽船株式会社に改称。
- 1975年(昭和50年)3月 - イルカ島にトンネルが開通。
- 1985年(昭和60年)7月1日 - 渡鹿野航路から撤退[2]。
- 1995年(平成7年)4月3日 - 志摩マリンレジャー株式会社設立[6]。この時点では、近鉄志摩観光汽船は存続する。
- 2000年(平成12年)
- 2008年(平成20年)
- 2011年(平成23年)4月1日 - 鳥羽マリンターミナルが供用開始、本社を同ターミナルに移転。
- 2012年(平成24年)5月21日 - 金環日食に合わせて、鳥羽湾と英虞湾で観測クルーズを実施[7]。
- 2016年(平成28年)5月21日〜5月28日 - 第42回先進国首脳会議(伊勢志摩サミット)の開催に伴い、賢島 - 和具航路の賢島側発着港を志摩地中海村に変更[8][9]。志摩地中海村から鵜方駅まではシャトルバスが運行される[9]。また賢島 - 浜島航路の御座 - 賢島間を運休[9]。
主な保有船舶
- 龍宮城 - 鳥羽湾めぐり航路で就航。名前の通り龍宮城をイメージしたデザインになっている。
- いせじ - 船上バーベキュー航路で就航。緑色と赤色で塗装された蒸気船スタイルの船舶。
- フラワーマーメイド - 鳥羽湾めぐり航路で就航。船体に花と虹が描かれている。
- エスペランサ - あご湾めぐり航路で就航。大航海時代のスペインの帆船風の船舶で、別途入室料の必要な特別室「イザベラ」を持つ。
脚注
- 注釈
- 出典
- ↑ “観光地点等分類ごとの入込客数”. 三重県雇用経済部 観光・国際局 観光政策課. 2015年1月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2015閲覧.
- ↑ 2.0 2.1 磯部町史編纂委員会 編(1997):1281ページ
- ↑ 3.0 3.1 五ヶ所湾ふるさとの会"南勢町の紹介"<ウェブ魚拓>(2013年5月13日閲覧。)
- ↑ 磯部郷土史刊行会 (1963):330ページ
- ↑ "脱「近鉄依存」を模索 伊勢志摩観光(リポートみえ)"朝日新聞2000年2月2日付朝刊、三重18ページ
- ↑ 6.0 6.1 6.2 6.3 “子会社の解散および清算に関するお知らせ (PDF)”. 近畿日本鉄道 (2008年11月11日). . 2017閲覧.
- ↑ 丸山崇志・片山健生・渡辺大地"金環日食どこで観測? 各地で催し企画 英虞湾などクルーズも"中日新聞2012年5月18日付朝刊、伊勢志摩版
- ↑ 「賢島の規制開始5月21日で調整」中日新聞2016年3月29日付朝刊、10版1ページ
- ↑ 9.0 9.1 9.2 志摩市市長公室 編(2016):7ページ
参考文献
- 磯部郷土史刊行会 編『磯部郷土史』磯部郷土史刊行会、昭和38年5月10日、506p.
- 磯部町史編纂委員会 編『磯部町史 下巻』磯部町、平成9年9月1日、1340p.
- 志摩市市長公室 編『広報しま 2016年5月号 Vol.195』2016年5月、志摩市市長公室、32p.
- 鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編『鳥羽の観光50年』鳥羽市観光協会、昭和55年9月15日、289p.