岩波書店
岩波書店 | |
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ファイル:Iwanami Shoten (headquarters 1).jpg | |
正式名称 | 株式会社岩波書店 |
英文名称 | Iwanami Shoten, Publishers. |
現況 | 事業継続中 |
種類 | 株式会社 |
市場情報 | 非上場 |
出版者記号 | 00 |
取次コード | 0365 |
設立日 |
1949年(昭和24年)4月30日 (創業は1913年(大正2年)8月5日) |
代表者 | 代表取締役社長:岡本厚 |
本社郵便番号 | 〒101-8002 |
本社所在地 | 東京都千代田区一ツ橋2-5-5 |
資本金 | 9000万円 |
従業員数 | 200名 |
ネット販売 | 自社サイト、オンライン書店 |
主要出版物 | 広辞苑、岩波文庫、岩波現代文庫、岩波新書、岩波ジュニア新書 ほか |
定期刊行物 | #雑誌を参照。 |
電子書籍 | 有り |
出版以外の事業 | 電子書籍 |
得意ジャンル | 学術書、自然科学書、全集、一般書、児童書、辞典 |
外部リンク | http://www.iwanami.co.jp/ |
https://twitter.com/Iwanamishoten |
株式会社岩波書店(いわなみしょてん、Iwanami Shoten, Publishers. )は、日本の出版社。
Contents
概要
1913年(大正2年)8月5日、岩波茂雄が東京市神田区南神保町16番地(現・東京都千代田区神田神保町)に開いた古書店として出発。正札販売方法を採用し、注目を集めた。同年12月1日に蘆野敬三郎の『宇宙之進化』、翌1914年(大正3年)に夏目漱石の『こゝろ』を刊行し、出版業にも進出。漱石没後に『夏目漱石全集』を刊行し、躍進する。看板は漱石の筆による[1]。
多くの学術書を出版するだけでなく、岩波文庫や岩波新書を出版するなどして古典や学術研究の成果を社会に普及させることに貢献。文化の大衆化に多大な影響を与えた。昭和時代にはしばしば、大衆的な路線を貫く講談社と対比された。
戦前には、いわゆる共産主義講座派の拠点であった。
創業以来岩波書店のマークは橋口五葉が描いた「甕(かめ)」を使用していたが、1933年(昭和8年)12月10日の岩波全書の創刊からミレーの絵画『種まく人』を題材にとったマークの使用を開始(当初デザインを依頼された高村光太郎作のマークは帽子が鉄兜のようで軍国調だとして別人に依頼された。今日まで用いられているマークは児島喜久雄によるものといわれる[2])。
1949年(昭和24年)4月25日に株式会社に改組。社長も岩波家の世襲から脱したが、戦後も羽仁五郎の著作を出版するなど講座派の影響は持続している。
戦後は、日本の単巻辞書としては最大級の収録数である国語辞典『広辞苑』(新村出著・編)を発行している。
本社の隣には一ツ橋グループの小学館、集英社があり、2017年(平成29年)には所有していた岩波書店一ツ橋別館を小学館に売却している[3]。
沿革
販売店での扱い
雇用における特徴
かつては業界内では最も高い給与体系としても知られていたが、現在は中堅出版社並みである。また、2013年度定期採用は事実上の縁故採用に限る方針を発表した[4]。岩波書店は批判を受け、サイトで「あくまで応募の際の条件であり、採用の判断基準ではありません。採用予定人数が極めて少ないため、応募者数との大きな隔たりを少しでも少なくするためのものです。」とする謹告を出した[5]。
出版物
雑誌
- 図書 - 新刊案内・エッセイ雑誌。1936年(昭和11年)に『岩波書店新刊』として創刊。客に無料で配布する書店もある。岩波は「読書家の雑誌」と形容している。
- 世界 - 言論誌。1946年(昭和21年)創刊。
- 科学 - 自然科学の雑誌。1931年(昭和6年)創刊。
- 思想 - 人文科学と社会科学の雑誌。1921年(大正10年)創刊。
- かつて刊行されていた雑誌
- へるめす - 文化総合雑誌。1984年(昭和59年)創刊、1997年(平成9年)廃刊。
- 文学 - 文学の雑誌。1933年(昭和8年)創刊、2016年(平成28年)廃刊。
- 教育 - 教育の雑誌。1933年創刊、1944年(昭和19年)廃刊。
叢書
- 岩波文庫 - 1927年(昭和2年)7月創刊。
- 岩波現代文庫 - 2000年(平成12年)創刊。
- 岩波少年文庫 - 児童文学の叢書。1950年創刊。
- 岩波新書 - 1938年(昭和13年)創刊。
- 岩波ジュニア新書 - 主に小中学生向けの叢書。一部に高校生・大学生対象の著作もある。1979年創刊。
- 岩波現代全書 - 2013年(平成25年)創刊。
- 岩波ブックレット - 1982年(昭和57年)創刊。
- 岩波講座 - 1928年(昭和3年)創刊。
- 岩波のこどもの本 - 児童文学絵本の叢書。『ひとまねこざる』シリーズで知られる。1953年創刊。
- 岩波書店 世界の絵本 - 国内外の話による大型絵本の叢書。『犬になった王子 チベットの民話』など。
- 同時代ライブラリー - 1990年(平成2年)3月創刊、1998年(平成10年)7月終刊。
- 岩波アクティブ新書 - 2002年(平成14年)1月創刊、2004年(平成16年)12月終刊。
- 岩波科学ライブラリー - 1993年創刊。
- かつて刊行されていた叢書
総合辞書
「岩波ブックセンター」閉店と後継店
神保町にある岩波書店所有のビルには、岩波の書籍を主体とする書店「岩波ブックセンター」があったが、2016年に閉店した。その跡地には2018年4月、小田急グループ企業のUDS社が書店と共用オフィス(コワーキングスペース)などを組み合わせた施設「神保町ブックセンター with Iwanami Books」を開設した[6][7]。
関連人物
- 岩波茂雄(創業者、初代店主)
- 岩波雄二郎(二代目店主、初代社長)
- 吉野源三郎(編集者、常務、「世界」初代編集長)
- 小林勇(支配人、岩波文庫創刊者)
- 長田幹雄(元専務、岩波新書の名付け人)
- 緑川亨(2代社長)
- 安江良介(3代社長、元「世界」編集長)
- 大塚信一(4代社長)
- 山口昭男(5代社長、元「世界」編集長)
- 岡本厚 (6代社長、取締役編集局担当、元「世界」編集長)
- 高野悦子(「岩波ホール」総支配人)
- 小熊英二(元社員、社会学者)
- 西島麦南(校正者、俳人)
メディア放送・掲載
- 2017年4月9日 Story 〜長寿企業の知恵〜 #008 岩波書店 7代目 岡本厚[8]
備考
- 夏目漱石に宛てて知人・門下生・読者から送られた絵葉書類312通が岩波書店に保管されていることが判明した。保管の詳しい経緯は不明[9]。
- 吉本隆明は、朝日新聞や岩波書店は、戦時中は戦争肯定の新書などを出していたのに、戦後、いつでも簡単に変われるといわんばかりにいとも簡単に変わったことを目にして、そういう戦後民主主義者や市民主義者とは思想的に一線を画する、こんなのと一緒にされちゃ困るとずっとやってきた、と述べている[10]。
- 平川祐弘は、戦後に岩波書店がイデオロギーの旗振りを行ったのは、「岩波茂雄の創業の精神に悖ると思う」と述べている[11]。
脚注
- ↑ 岩波書店創業(1913年8月5日)
- ↑ 〈種まく人〉マークの使用開始(1933年12月10日)
- ↑ データを読む 岩波書店、テナントビルを小学館へ売却東京商工リサーチ 2018年1月12日
- ↑ 共同通信社 (2012年2月2日). “応募条件「コネのある人」宣言 岩波書店が縁故採用”. 47NEWS. 全国新聞ネット. 2012年2月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2012-2-2閲覧.
- ↑ 岩波書店 「■小社の「定期採用」報道について――」
- ↑ 小田急、岩波専門の書店 神保町に4月、会議室・オフィスも『日本経済新聞』朝刊2018年2月8日(首都圏経済面)
- ↑ 街並み変わる神保町にブックセンター 岩波の本が9千点朝日新聞DIGITAL(2018年5月7日)2018年6月1日閲覧
- ↑ “Story ~長寿企業の知恵~ #008 FRESH!(フレッシュ)”. サイバーエージェント. . 2017閲覧.
- ↑ 読売新聞 2016年5月30日 1面掲載。
- ↑ 吉本隆明『私の「戦争論」』 ぶんか社、1999年8月。ISBN 978-4821106844。45頁
- ↑ 平川祐弘 (2016年8月2日). “森林太郎はいかなる科学実験者だったのか 「鴎外」像を一新する西澤論文”. 産経新聞. オリジナルの2016年9月13日時点によるアーカイブ。