安居島
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安居島(あいじま)とは、愛媛県松山市の北条港から北北西約13.5キロ、愛媛県と広島県との間の斎灘のほぼ中央に位置する有人島。他の島とは離れて、独立している。特産品として、ひじきをはじめとした海藻・魚介類がある。
地理
- 東西1.3キロ、南北約0.2キロ、周囲3.5キロの小島。
- 全体が低い丘であり、最も高い地点でも標高55メートルである。
- 集落以外はほとんど雑木林で、果樹園等はほとんどない。
- 島の西側には海水浴場がある。
- 島の約2.5キロ南東には属島の小安居島(無人島)がある。
- 行政区画としては松山市に属する。
歴史
- 江戸期には、周辺の海域の漁場の権利をめぐり松山藩と広島藩とで領地争いが続いていたが、交渉の結果、松山藩の領地になった。
- 1817年(文化14年)に北条浅海(あさなみ、現在の松山市)の大内金左衛門が移住したのが村の始まりと伝えられる。島には金左衛門の碑が立つ。
- その後、港も整備され、汐待ち・風待ちの帆掛け舟が立寄るようになり、江戸末期から明治にかけて大いに栄えた。一時は遊郭まであり、遊女にまつわる悲しい言い伝えも遺されている。
- 明治の町村制施行前は、一島一村であった。明治時代に、北条、辻、土手内とともに「北条村」となる。
- 昭和期に入ると、いきかう船舶が大型化・動力船化していったため寄航の必要性が乏しくなり、寂れ、瀬戸内の離島の一漁村に過ぎなくなっていった。
- 昭和30年頃からは海運業に乗り出す人も居た。
- 人口は、記録の残っている限り、1955年(昭和30年)に532人のピークを記録している。
- その後、挙家離島が相次ぎ、過疎化が進んだ。
交通
- 島外との交通手段
- 北条港から、旅客船が運航されている。所要時間約35分
社会
- 人口:24人、世帯:11戸(平成22年国勢調査)
- 集落:一箇所のみ。島の南側、港に面している。
- 診療所:なし
- 宿泊所:あり
- 商店:なし
- 学校 小中とも島内になし。現在は、子どもたちは旅客船で本土(旧北条市街)の学校へ通学している。
- 小学校は、1875年(明治8年)に設置され、戦前には児童数は100人を越えていたが、1983年(昭和58年)に廃校となった。
- 中学校は、1947年(昭和22年)に設置されたが、1965年(昭和40年)に四国本土の学校と統合されている。
産業
- これといった産業はない
観光
関連図書
- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典38 愛媛県』角川書店、1981年、53頁、815頁