ノヴゴロド
大ノヴゴロド Великий Новгород | |
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位置 | |
ロシア内のノヴゴロド州の位置の位置図 ロシア内のノヴゴロド州の位置 | |
座標 : 東経31度17分北緯58.517度 東経31.283度 | |
歴史 | |
建設 | 859年 |
行政 | |
国 | ロシア |
連邦管区 | 北西連邦管区 |
行政区画 | [[ファイル:テンプレート:Country flag alias Novgorod|border|25x20px|テンプレート:Country alias Novgorodの旗]] ノヴゴロド州 |
市 | 大ノヴゴロド |
地理 | |
面積 | |
市域 | 90.08 km2 |
標高 | 25 m |
人口 | |
人口 | (2007年現在) |
市域 | 216,700人 |
公式ウェブサイト : http://www.adm.nov.ru/ |
ノヴゴロド(ロシア語: Но́вгород [ˈnovɡərət])は、ロシアの北西連邦管区、ノヴゴロド州の州都。人口は216,856人(2002年国勢調査、1989年国勢調査では229,126人)。イリメニ湖とそこから流れ出るヴォルホフ川に沿って位置する。1998年以降の公式名称は大ノヴゴロド(ヴェリーキー・ノヴゴロド Вели́кий Но́вгород [vʲɪˈlʲikʲɪj ˈnovɡərət]、Veliky Novgorod)。ロシア最古の都市であり、中世までノヴゴロド公国として存在していた。1992年に『ノヴゴロドと周辺の文化財』としてユネスコの世界遺産に登録された。
なおニジニ・ノヴゴロドとは別の都市であり、それと区別して本項目の都市を「大ノヴゴロド」(ヴェリーキー・ノヴゴロド、Великий Новгород)とよぶことがある。
歴史
名前を訳すと「新しい街」の意になるが、その名に反してロシアで最も古い都市。なお、この都市はノヴゴロド公国以前のルーシと呼ばれる人々によって建国されたという「ルーシ・カガン国」の中心的都市で、旧名は『ホルムガルド』(Holmgard、古ノルド語:「川の島の城」)と呼ばれていたといわれている。この都市は、考古学調査により、860年代か870年代に火災によって焼失しておりその後再建されたという。
開かれたのかがいつかは正確には分かっていないが、『過ぎし歳月の物語』(『原初年代記』ともいう)によると854年か859年といわれている。862年スウェーデン・ヴァイキング(ヴァリャーグ)のノルマン人・ルス族(ロシアの語源)が首長リューリク(?~879年)に率いられてノヴゴロドを占領し、スラヴ人を征服してロシア最初の国家を建設した。このことから、ロシア建国の地とも目されており、1862年、リューリク即位1000周年を記念して、ロシア1000年記念碑が市内中心部に建立されている。
コンスタンティノープルに近いキエフが政治の中心になるに従って、ノヴゴロドは商業・工業に優れた独自の自由都市、ノヴゴロド公国へと変遷していく。名目上の長として外部から公を招きつつも、大主教や都市貴族を中心とした民主共和政体が敷かれており、公が大主教や都市貴族達の意に沿わなくなると自由に罷免する権利を有していた。
13世紀、モンゴル帝国のバトゥが侵攻し、キエフその他ロシア主要都市のほぼ全てが灰燼に帰す中、運良く侵攻を免れたノヴゴロドは、その後モスクワがロシアの歴史の表舞台に登場するまでの間、ロシアの中心都市として機能することになる。
1478年にノヴゴロド公国はモスクワ大公国によって併合された[1]。1570年この時期のツァーリであるイヴァン4世(雷帝)により町全体における粛清が行われる(ノヴゴロド虐殺)。原因はイヴァン3世によって力尽くでロシア領に組み入れられてしまった結果、重税をかけられ、思い通りの交易もままならぬ状態に住民の不満が、最高潮に達していた事、またノヴゴロドはハンザ同盟の中枢であったことから、住民の持つプライドが高く、 これらの要素がイヴァン4世にノヴゴロドのポーランドへの寝返りを確信させた事によるとされる。当時のノブゴロドの人口4分の3にあたる約6万人もの住人が拷問の末虐殺されたとされ、死体は氷の浮いたヴォルホフ川に葬られ、その後何日も運ばれて流される何万とも知れぬ遺体のために溢れかえり、ラドガ湖の底はおびただしい遺骸で厚い層を成したと記録に残っている。
17世紀初頭、ロシアでは大動乱という内戦が起こり、1611年にノヴゴロドは介入してきたスウェーデンのグスタフ・アドルフ(後スウェーデン王)に占領された。そして同年、ツァーリ不在のロシアにスウェーデン王子カール・フィリップがノヴゴロドにおいてツァーリに選出された。しかしツァーリはロシア全体では認められず、自称に止まり、スウェーデンで国王が代替わりした後、1617年に撤退した。
ノヴゴロドは、その後のロシアでは一地方都市となり、現代でも小都市の佇まいを残している。
姉妹都市
世界遺産
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英名 | Historic Monuments of Novgorod and Surroundings | ||
仏名 | Monuments historiques de Novgorod et de ses environs | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (2),(4),(6) | ||
登録年 | 1992年 | ||
公式サイト | 世界遺産センター(英語) | ||
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登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター公表の登録基準からの翻訳、引用である)。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において、建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
- (6) 顕著で普遍的な意義を有する出来事、現存する伝統、思想、信仰または芸術的、文学的作品と直接にまたは明白に関連するもの(この基準は他の基準と組み合わせて用いるのが望ましいと世界遺産委員会は考えている)。
脚注
- ↑ 『地球の歩き方 2014〜15 ロシア』 ダイヤモンド・ビッグ社、2014年。ISBN 978-4-478-04581-7。
関連項目
- ノヴゴロド (小惑星)
- ノヴゴロド (砲艦) - ロシア帝国海軍の艦船。河川用の艦艇のため、円形という独特の形状だったことで知られる。