桜田門外の変
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桜田門外の変 | |
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場所 | 江戸城桜田門外 |
座標 | |
標的 | 大老井伊直弼 |
日付 | 安政7年3月3日(1860年3月24日) |
概要 | 暗殺事件 |
原因 | 安政の大獄 |
攻撃手段 | 刀、拳銃 |
犯人 | 水戸藩浪士、薩摩藩浪士(一覧) |
関与者 | (一覧) |
防御者 | 彦根藩藩士(一覧) |
桜田門外の変(さくらだもんがいのへん、正字体:櫻田門外の變、正仮名遣:さくらだもんぐわいのへん)
安政7 (1860) 年3月3日,江戸幕府大老井伊直弼が暗殺された事件。 T.ハリスらの圧力に屈して日米修好通商条約に調印した幕府は,鎖国攘夷を主張する朝廷,諸雄藩の非難を受けて危機に直面した。おりから将軍継嗣問題で,紀州派と一橋 (水戸) 派とが幕府,親藩間で対立した。大老となった井伊は一方で条約勅許を獲得すべく老中間部詮勝 (まなべあきかつ) を通じて朝廷に圧力を加え,他方で血統論をとって水戸派を退けた。尊王攘夷主義の中心であった水戸藩は井伊と対抗し,一橋慶喜に将軍宣下を賜わるよう朝廷に働きかけた。井伊らは攘夷派の公家や志士を捕えてきびしく処罰した (安政の大獄 ) が,これを怒った水戸浪士ら 18名により,登城の途中,桜田門外で殺害された。