世界救世教

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世界救世教
設立年 1935年
設立者 岡田茂吉
種類 宗教法人
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世界救世教(せかいきゅうせいきょう)とは、大本の幹部だった岡田茂吉1935年(昭和10年)に立教した新宗教系の教団。世界救世教本体に世界救世教いづのめ教団・東方之光の2教派が包括される形で運営されている。現在の教主は四代目の岡田陽一。ただし現在、宗教法人としての世界救世教責任役員会と岡田陽一の間で対立が見られ本来の規定通りの運営が行われていない(後述)。国内公称信者数は、2017年平成29年)版の『宗教年鑑』によると、604,015人。

概要

1935年に岡田茂吉が立教した。岡田は元々大本の信者で、心霊学を学び、自動書記を体験し、大本の鎮魂帰神法を熱心に習得した。すると周囲が岡田の周りに観世音菩薩が現れていると言うようになり、岡田自身も腹の中に光の玉が宿っていると感じるようになったという。1931年に夢の啓示を受けて千葉の鋸山に参詣してご来光を仰ぎ、「霊界において夜の時代から昼の時代への転換が起こった」と感じ、霊の世界で起こったことがそのあと現実に現れるという「霊主体従の法則」と、大本の御手代を発展させた浄霊法を確立していった。大本の活動で独自性を出すようになり批判を受け、大本を脱退、1934年に岡田式心霊指圧療法を開始、翌35年に宗教結社・大日本観音会を設立。医師でもないのに治療行為を行ったことで2度検挙され、大日本健康協会に改称し指圧に専念した。戦後は大日本浄霊療法普及協会を経て、熱海に大日本観音教団を設立して手かざしによる病気治し「浄霊」を行い、これは「お光さま」と呼ばれた。宗教学者の島田裕巳は、「お光さま」の背景には観音信仰があったと指摘している。[1]

観音信仰からの脱皮を目指し、1950年に世界救世(メシヤ)教に改称、観音に由来する大光明如来を宇宙の創世神・大光明真神(みろくおおみかみ)に改めた[2]。当時はメシヤ教と呼ばれており、岡田は自身を救世主と考えていた[3]。改称直後の1950年5月29日熱海の本部は脱税贈賄などの容疑で捜索を受け、岡田茂吉が検挙された。(潔白であることがわかり無罪判決)[4]。地上天国の建設や美術品の収集、自然農法の普及にも力を入れた。島田裕巳は、地上天国という考えは大本から取り入れられたと述べている[5]

戦前は当局の取り締まりを受けていたため、主な弟子たちがそれぞれ会を作って活動した。戦後は表面的には一つの教団にまとまったが、会の寄せ集めのような状態が長く続いた[6]。1955年に岡田が死去すると、もともと統合が弱かったため独立するものが多く出た。様々な問題から組織の一元化の機運が高まり、教団執行部のリーダーシップでひとつにまとまったが、その過程で教会の離脱も多かった[6]神慈秀明会はその時の最も大きい分派である。一元化の後もトップの座を争っての権力闘争や急激な改革への不満などから教団は分裂。また世俗組織と宗教活動の実態のずれが分裂を促すこととなった[6]。2018年1月まで、世界救世教は、世界救世教本体に世界救世教いづのめ教団(旧新生派)・東方之光(旧再建派)、主之光教団[7](旧護持派)の3教派が包括される形で運営されていた。島田裕巳は、手かざしには特別な修行や教義の裏付けが必要ないので、学んだものが好きに活用することができ、分派・分裂が起こりやすいと指摘している[8]。手かざしを行う真光も、世界救世教の信者であった岡田光玉が始めた。

世界救世教の特徴的な宗教活動は、浄霊という手かざしの儀式的行為を各信者が行うこと、自然農法という農法を推進すること、芸術活動を行うことである。手かざしは間違った世界を浄化する手段という意味があり、自然農法も農薬や人工肥料を使う現在の農業への批判に基いている。[9]

の世界の実在を主張しており、心霊主義の影響がある[10][11]。岡田は霊査法という交霊を行っていたが、現在は霊との直接の交流は行われていない[12]。転生を信じ、霊のレベルの上昇を重視する[12]

世界救世教の公称信者数は、2016年平成29年)版の『宗教年鑑』によると、604,015人とされている[13]。海外では99ヶ国で200万人の信者がおり、うち、タイには約70万人、ブラジルには約44万人の信者がいるとしている。しかし公的な調査の信者数とは開きがあり、ブラジルの2000年の国勢調査における信者数は109,310 人だった[11]。タイ、ブラジルには、国内と同様、聖地と定めた神殿および庭園が建設されている。

世界救世教いづのめ教団は、熱海北部の開発と深く関わっている[14]

政治にも強く関与しており、これまで参議院全国区比例区選挙では糸山英太郎竹内潔堀江正夫川上源太郎、命苫孝英、成瀬守重(再建派)、海江田鶴造(新生派)、阿南一成といった候補を応援してきた[15][16][17][18]他、新進党から世界救世教役員の中川憲治を擁立する計画もあったが、公認を辞退している[19]。また、非拘束名簿式となってからも、MOA(明るい社会をつくる会)が尾辻秀久橋本聖子を、いづのめ教団がツルネン・マルテイを、主之光教団が有村治子をそれぞれ応援している[20][21][22]

再分裂

現在の世界救世教は包括宗教団体である世界救世教の執行役員会と世界救世教教主の間で対立が発生している。

きっかけは教主である岡田陽一が「キリスト教関係者に洗脳されている」という疑惑の存在である。この疑惑を受けて東方之光は教主に対する尾行を行い教主がキリスト教関係者と接していることを明らかにした。

一方、主之光教団はあくまで教主を擁護する姿勢を貫いている。これについては「教団本来の教義と異なるメッセージ」である「岡田陽一流の教え」を拡散しているとの指摘もある[23]が、主之光側は「神さまの子どもとしてもう一度新しく生まれるという、全く新しい信仰の道を歩み始めています」と述べて教主の言動を全面的に支持している[24]

平成29年12月19日世界救世教はいづのめ教団系の世界救世教責任役員を含めた責任役員会の賛成多数により教主の行動制限を議決したが、いづのめ教団側の信徒の中には東方之光側による教主への不敬行為を問題にして「世界救世教いづのめ教団言論と信教の自由を守る会」を結成し世界救世教執行部と対立する動きも見られた。12月27日、世界救世教執行部に反発したいづのめ教団の責任役員2名を含む80人以上の現役・前職の教団幹部が連名で「教主様の行動を制約する決議なる文書について」という抗議文書を提出している[25]

平成30年1月30日には主之光教団は包括宗教法人としての世界救世教から法的な包括関係を解除された[23]。さらに教主と対立的な東方之光の中にも「世界救世教再生救護の会」という独自団体を作り執行部側・教主側の双方と距離を置く勢力も誕生している[23]

歴代教主

  • 初代 岡田茂吉
  • 2代 岡田よし(1897?-1962年1月24日)岡田茂吉の二番目の妻
  • 3代 岡田斎(いつき)(1927?‐2013年9月4日)
  • 4代 岡田陽一

世界観

霊界という見えない世界と現界という目に見える世界があり、霊界が現界を支配し、心が体を動かすように霊界が現界を動かすと考える。人間は永遠の生命を持つ霊体と、二義的な現体からなるとされる。[12]

世界は天国、中有界、地獄に大きく分かれ、最上階に「主の大神(すのおおかみ)=エホバ」が存在する。それぞれが各60階層に、計180階層に分かれる。霊は階層のどこかに籍の様なものを持ち、この籍は絶えず上下し、それが現界の幸福・不幸を左右する。現界において善行をしたり、 神の光を伝える浄霊で霊の曇り・蓄積された汚濁を除去することで霊は軽くなり、霊界で上のレベルに昇ることができる。霊界のヒエラルキーを上昇して霊の運が開ければ、そのまま現界に反映され幸福になることができるとする。[12]

現実の幸福が霊界でのレベルの判断になるため、ブラジルでは信者はある程度幸福を享受している中産階級以上が主で、貧困層には広まっていない。[12]

岡田の霊界観には心霊主義の影響があると指摘されている。岡田は若いころ大本に入信していたが、大本は心霊主義の影響を受けており、また岡田は心霊主義者の浅野和三郎とも親交があった。[10]

死後の転生を信じる。死後、霊界で何十年、何百年か暮らし、霊界の浄化作用を受け、ある程度浄化された霊から再び生まれるとされる。宗教学者の松岡秀明は、世界救世教の転生は仏教の輪廻思想の影響ではないかと述べている。[12]

キリスト教の世界観を根本的な部分で肯定しており、最後の審判が霊界の夜から昼への転換という形で必ず起こるとしている[12]。霊界の夜昼転換に伴って出現する地上天国は、神によって選ばれた人間が建設するもので、世界救世教が建設者であるとしている[12]

浄霊

浄霊とは、同教団で行われる儀式的行為のこと。いわゆる手かざしの一種である。「薬毒や個々人の日ごろの行い、先祖の罪けがれなどによる『霊の曇り』(=病因)を『浄霊』による浄化促進作用によって解消していく(=救済)」という考えである[26]。近年では先祖との関係性はあまり重視されず、病因と救済が今ここの個人に集約され、「自分が浄霊などで浄まれば、自分が良くなる」というように変わっている[26]。治療行為としての面もあり、病人の患部、あるいは各病気ごとに有効とする「急所」と呼ばれる個所に手をかざす事によって、霊的な力でその病状を癒すとする。岡田茂吉は、病気の原因はによる二次被害であるとする思想(薬毒)を説き、西洋医療の投薬や手術東洋医学漢方にかわる治療として浄霊を推進していた。

岡田は元々岡田式神霊指圧療法という治療を行っていたが、医師法違反で検挙されたことから、浄霊を行うようになった。岡田が昭和前半に25年かけて開発したとされる[27]大本教の教祖出口王仁三郎の杓子を使った治療法を源とすると言われ、岡田は杓子の代わりに扇子をかざす方法を考案し、これが手をかざす方法になった[3]。宗教学者の立川武蔵は、岡田の浄霊(手かざしは)は、明治時代に日本に輸入された西洋のメスメリズムと日本の伝統的な技法との混合で生み出されたものであると指摘している[27]。この技法によって日本国内での地位を確立し、海外への布教でも成果を上げた[27]。世界救世教系の教団は手かざしを行うことが特徴である[3]

「浄霊」と呼ばれるが、岡田の最晩年まで単に「治療」「お浄め」と呼ばれていた[27]。岡田茂吉による1951年9月26日発表の論説文「浄霊の発明的価値」内冒頭に、「浄霊という言葉は、歴史上今日までなかった事は言うまでもない」と記載されている。また、世界救世教発行の書籍「景仰」内には、「おまえたちは常平生“浄霊”“浄霊”と言って、なんの不審なく使っているが、この浄霊なんて熟語は、どんな辞書を見たって載ってないよ」と岡田茂吉が発言した旨が掲載されている。浄霊の「霊」の文字は、幽霊の「霊」ではなく、を意味する。霊能者用語の浄霊の影響で、憑依霊を退散させる儀式であると誤解を受けることがあるが、浄霊によって浄める対象は、憑依霊ではなく、対面している人間の魂である。この儀式は、1対1、もしくは、1対多で向かい合い、施術者が対面する相手に手のひらをかざすことで、神の光を相手の魂や身体に放射して浄め、病気やさまざまな苦悩を解決するというものである。世界救世教では、「おひかり」と呼ばれるペンダント状のものを首にかけることにより、信者なら誰でも行うことが可能な術としている。

岡田は、浄霊の研究を望み医師を呼んでの懇談会や出版物を出すなど意欲的だったが、医学界には認められなかった。このため信者には医学との対立的な姿勢を見せる者もあり、その結果発生したトラブルが新聞に掲載される[28]こともあった。岡田の死去後、世界救世教は、その方針を教祖存命時よりも医学との共存的な姿勢を取る方向に向け、二代教主(茂吉の妻岡田よし)らにより世界救世教の浄霊は宗教的儀式(祈り)の面が強調され、浄霊の実施者は病気の急所などの知識は必ずしも必要ではないとされた。会派によっては、医療施設も設けた。

救世教内部でも、病気治療的面を強調する会派(東方之光)と、病気治療的面を強調せず宗教儀式的なものとして行う会派(世界救世教いづのめ教団、世界救世教主之光[7]教団)が並立している。いづのめ教団はブラジルタイを始めとし、国外約90カ国以上に教線を広げており、合計100万人以上の外国人信徒が浄霊を行っている。外国でも、浄霊は「ジョウレイ」と日本語で呼ばれており、世界救世教いづのめ教団ではJohrei という表記でこの言葉の国際化を目指している。また団体の所属とは別に、信者ひとりひとりの浄霊に対する個人的指向として、病気治療的指向と宗教儀式的指向を持つ者が並立する状態である。

なお、[ヒーリングに寛容なイギリスでは、浄霊は[健康保険]が適用できる[代替医療]として認められている]という記述が見られる場合があるが、そのような事実はない。世界救世教は日本においても浄霊が可能な複数の医療機関を開設しているが、浄霊自体に健康保険の適用を受ける事は出来ない。

自然農法

岡田茂吉は、日本で無農薬有機農法が注目されるはるか以前である昭和20年代より、自然農法という名称で、独自の無農薬有機農法を研究、実践、推進してきた。

世界救世教にとって自然農法は、「土の持つ本来の浄化力を活用しようとする試み」であり、島田裕巳は浄霊の考え方に通じていると指摘している。日本の自然農法・有機農法・自然食などの先駆けとなっている。こうした自然志向は世界救世教系の教団に受け継がれており、一時期ヤマギシ会が世界救世教の土地を借りて農業をしていた。現在も世界救世教系の自然食品店が全国にある。[29]

EM菌

岡田茂吉の死去後の現在、会派によっては、いわゆるEM菌を自然農法を支援する技術として採用している。採用していない会派は東方之光、採用している会派は世界救世教いづのめ教団・世界救世教主之光教団である。EM菌の国内普及・世界進出において、世界救世教のバックアップがあったことが指摘されている[30]

また、世界救世教の信者の政治家ツルネン・マルテイは政治の世界でEM菌を推進していた[31]

地上天国・美術館

地上天国の建設にはユートピア思想があり、現実社会への批判の面がある[32]。神の目的は地上天国の実現であり、「それは究極の真善美の世界の実現でもある」と説き、地上天国のモデルとして神奈川県箱根町強羅に箱根神仙郷[33]静岡県熱海市熱海瑞雲郷[34]京都府嵯峨野広沢池隣接地)に京都平安郷[35]と、国内3ヶ所に教団の聖地と定めた神殿および庭園を設立した[36][3]。箱根の聖地・箱根神仙郷には箱根美術館、熱海の聖地・熱海瑞雲郷にはMOA美術館があり、教団所蔵の美術品を展示している。

1982年設立のMOA美術館は私立美術館の先駆けであり、国宝が3つと、かなりの数の重要文化財が収蔵されている。豊臣秀吉ゆかりの黄金の茶室の復元や能楽堂もある。[37]

海外布教

ファイル:Solo Sagrado Guarapiranga.jpg
ブラジルのグァラピランガの教会
ブラジル

ブラジルでは日本の新宗教の布教が最も成功しており、2008年時点で30万人以上の世界救世教の信者がいるとされる。ブラジルの宗教カルデシズモと世界救世教の教義には、手による霊的エネルギーの伝達、転生論、霊的ヒエラルキー上昇の重視、そのための善行の奨励などの類似がある。宗教学者の松岡秀明は、これは共に心霊主義の影響を受けているためであると述べている。そのためブラジルの人々にとって世界救世教の教えは親しみやすいものであったが、カルデシズモで最も重視される降霊は禁じられている。[10]

関連団体

MOAまたはエム・オー・エーとは、Mokichi Okada Associationの略。

脚注

  1. 島田(2007),pp.147-150.
  2. 島田(2007),pp.150-152.
  3. 3.0 3.1 3.2 3.3 ムー編集部 編 『完全版 日本と世界の宗教』学研プラス、2009年
  4. 山折哲雄/監修『日本宗教史年表』河出書房新社(2004.2.18)P597
  5. 島田(2007),pp.147-150.
  6. 6.0 6.1 6.2 隈元正樹 現代日本の新宗教組織における「一元化」 : 世界救世教の場合(第九部会,<特集>第六十六回学術大会紀要) 宗教研究 81(4), 1202-1203, 2008-03-30 日本宗教学会
  7. 7.0 7.1 主之光教団の「主之光」は「すのひかり」と読み、「主」の字は正確には「○」(円)の中心に「`」(点)を打った物である。
  8. 島田(2007),pp.147-150.
  9. 島田(2007),pp.151-152.
  10. 10.0 10.1 10.2 松岡秀明 ブラジルにおける世界救世教 : 背景としてのエスピリティズモ(新宗教の海外での受容-スピリティズムとの連続性という視点-,パネル,<特集>第六十六回学術大会紀要) 宗教研究 81(4), 926-928, 2008-03-30 日本宗教学会
  11. 11.0 11.1 松岡秀明 [霊のヒエラルキー:ブラジル世界救世教の非日系信者の宗教的アイデンティティー http://ci.nii.ac.jp/naid/130005050100] 日本文化人類学会研究大会発表要旨集 2009(0), 27-27, 2009, 日本文化人類学会
  12. 12.0 12.1 12.2 12.3 12.4 12.5 12.6 12.7 松岡秀明 [霊の進化 : ブラジルにおける世界救世教の受容をめぐって http://hdl.handle.net/2261/26081] 東京大学宗教学年報. ⅩⅤ , 1998.3.31, pp. 13-25, 東京大学文学部宗教学研究室, 1998年3月31日
  13. 文化庁『宗教年鑑 平成29年版』 P86-87
  14. 現地研究「伊豆半島」実習報告―伊豆半島の温泉観光地とジオパーク― 実施:2013年7月7日~9日 法政大学文学部地理学教室
  15. 今日における政治と宗教 中島三千男
  16. 戦後日本国家と民衆宗教の政治参加 : 宗教学的一考察 中野毅
  17. 1980年6月6日付朝日新聞
  18. 1980年6月20日付朝日新聞
  19. 1995年4月27日付日本経済新聞
  20. 2001年7月12日付読売新聞
  21. 2007年8月15日付朝日新聞
  22. 2013年8月16日付朝日新聞
  23. 23.0 23.1 23.2 「岡田陽一の"現住所"」本郷四朗『宗教問題』第22号
  24. 教主様
  25. 包括責任役員4名(小林・長澤・入江・森)による文書について
  26. 26.0 26.1 武井順介 新宗教における病の意味変容 : 世界救世教を事例として(第十二部会,<特集>第六十七回学術大会紀要) 宗教研究 82(4), 1308-1309, 2009-03-30 日本宗教学会
  27. 27.0 27.1 27.2 27.3 『癒しと救い: アジアの宗教的伝統に学ぶ』立川武蔵、玉川大学出版部, 2001
  28. 例えば、1952年11月26日読売新聞夕刊『狂信、坊や見殺し』など
  29. 島田(2007),pp.151-152.
  30. 吉野航一 「沖縄における「EM(有用微生物群)」の受容 : 公的領域で語られたEM言説を中心に」 宗教と社会 (15), 91-105, 2009-06-06 「宗教と社会」学会
  31. 第162回国会 環境委員会 有用微生物群を活用した環境改善の取組に対する国の支援に関する請願 参議院
  32. 島田(2007),pp.151-152.
  33. 箱根神仙郷”. 世界救世教いづのめ教団. . 2008年8月7日閲覧.
  34. 熱海瑞雲郷”. 世界救世教いづのめ教団. . 2008年8月7日閲覧.
  35. 京都平安郷”. 世界救世教いづのめ教団. . 2008年8月7日閲覧.
  36. 聖地”. 世界救世教いづのめ教団. . 2008年8月7日閲覧.
  37. 島田(2007),pp.144-146.

参考文献

  • 『[縮刷版]新宗教事典 本文篇』(井上順孝、対馬路人、西山茂、孝本貢、中牧弘允編集、弘文堂、1994年7月。ISBN 978-4335160257)
  • 島田裕巳 『日本の10大新宗教』 幻冬舎、2007年。

関連項目

外部リンク


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