せんだみつお

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せんだ みつお1947年(昭和22年)7月29日 - )は、日本タレントコメディアン。本名、中野 光雄(なかの みつお)。樺太真岡郡真岡町(現・ロシア連邦サハリン州ホルムスク)生まれ、東京都育ち。

法政大学第一高等学校(現・法政大学高等学校卒業駒澤大学経済学部中退[1](2年で中退[2])。大学中退後服部栄養専門学校を卒業、調理師の免許を取得[2]。子役時代を経て、1970年代ラジオ番組テレビ番組の人気司会者となった。「ナハ」のギャグで有名になる。

実息は俳優・せんだ雄太、実娘はタレント・せんだるか

芸名

芸名の由来は、慣用句の「せんみつ」(千に三つしか本当のことを言わないさま)から[3]

後述の『東芝ワイドワイドサンデー』の仕事の際に、ニッポン放送ディレクターの上野修が名付けたものである[4]。当初は漢字であったが、声優千田光男がいることから、ひらがなにした[5]

千田光男とは血縁関係はなく、名前の読みが同じだけの全くの別人だが、誤って千田のギャラがせんだに振り込まれるなどの出来事があり、お互いに意識していたという。この2人は海外テレビドラマ『特捜刑事マイアミ・バイス』と映画『ブルース・ブラザース』の吹替えで共演している。

過去には千田光雄せんだ光雄ムッシュ中野の芸名で活動していた時期もある[3]2000年にはミレニアムにちなんで1年間限定で二千田光雄にせんだみつおに、2009年には3か月のみ[6]浦島みつおに改名した。

来歴

父は王子製紙の技術者で、父の赴任先であった樺太(サハリン)で生まれた。18歳年上の兄が居る[7]

1948年昭和23年)に父の故郷である岩手県北上市引き揚げ、その後、父の転勤によって宮崎県日南市に移る[7]

小学校2年生の時に再び父の転勤により、東京都杉並区に移り住んだ[7]

芸能界デビュー

小学校3年生の頃より「劇団杉の子」に所属し、子役として活躍していた。初舞台は轟夕起子主演の舞台『人形の家』で、主人公・ノラの長男[8]。その他、婦人雑誌のモデルの活動などもしていたが、子役活動は約2年で辞める。中学生時代の部活は野球部でセカンドのレギュラー、高校生時代の部活はバスケットボール部[8][9]。高校時代に出会った菅原進[注釈 1]と仲良くなり、駒澤大学を中退後のしばらくの間、菅原進が結成したバンドビリーバンバンコンガを叩いていたこともあった[注釈 2]

せんだは服部栄養専門学校に通いつつ、ムッシュ中野という芸名でビリーバンバンの付き人兼司会を務めることとなったが、その仕事が他のバンドにも広がり、アンドレカンドレ(井上陽水)、吉田拓郎などのコンサートの司会を務めた。

菅原進がボイストレーニングに通っていた浜口庫之助のつてで、世志凡太の運転手や世志が加わっていたフランキー堺のバンドの巡業に加わるなどの仕事を経て、ビリーバンバンのコンサートに出演していたせんだを見ていた上野修にスカウトされる形で、上野がディレクターを務めていた、坂本九がメインパーソナリティーを務めるラジオ番組『東芝ワイドワイドサンデー』(ニッポン放送)のレポーターの仕事を得ることとなった[3]

司会者として

初のメイン司会番組は1969年(昭和44年)の『ワゴンでデート』(ニッポン放送)で和田アキ子とのトーク番組であった。その後『ラジオカウント』、『セイ!ヤング』、『ハローパーティー』などラジオ番組の人気司会者となる。

1972年(昭和47年)10月にキャシー中島とテレビ番組『ぎんざNOW!』(TBS)の司会となり好視聴率を得る[注釈 3]

続いて1973年(昭和48年)10月にスタートした『うわさのチャンネル』(日本テレビ)の司会を務め、人気が爆発した。また、湯原昌幸と番組で共演し、絶妙なコンビで人気を博した[注釈 4]

この頃に結婚。披露宴の司会はみのもんたであった。

1974年3月26日には東京四谷の文化放送にせんだ宛ての発火物(局の係員が開封したら白煙をあげた)が送りつけられるなどの嫌がらせも受けた。

うわさのチャンネル』のエンディングで「NHKに出たい」と書いたボードを持ちながらふざけて踊っていたことがあったが、そこから1977年にNHKのテレビドラマ『北上山系』の出演につながった、ということがあった[11]

この頃は極めて多忙であり、無理なスケジュールで体調を崩した(次項参照)。

半年間の休業後

1978年(昭和53年)12月に肝炎尿管結石で入院。半年間の休業後、折からの漫才ブームなどでレギュラー番組がすべてなくなるなど、急速に人気に陰りがでた。せんだ本人の分析によると、当時は動きの芸からしゃべりの芸への移行期であり、自分にはテンポがなかったためであるという[12]

1980年代以降も芸能活動をし、テレビ出演などもこなしているものの、タレントとしての露出度は1970年代の全盛期には及ばない。全国メディアでは、旧知の和田アキ子らの番組にゲスト出演する程度に留まった。

一方で、俳優としての活動に重点が置かれた。声優としても、『ゴールデン洋画劇場』での『ブルース・ブラザース』テレビ初放送時には、ジョン・ベルーシの吹き替えを担当。小野ヤスシが担当したダン・エイクロイドとの絶妙なやり取りを見せた[注釈 5]

不祥事

2000年平成12年)9月に道路交通法救護義務)違反及び業務上過失傷害の疑いで、現行犯逮捕された。

せんだの容疑は、同日の午前2時頃、東京都千代田区皇居外苑1丁目の二重橋交差点で、信号待ちをしていた乗用車へ後続のせんだが運転する乗用車が追突した。せんだは、その事故現場から逃走したため、約600m離れた路上で追突された会社員の男性に取り押さられた後、警視庁丸の内警察署交通課が道路交通法(救護義務)違反及び業務上過失傷害の疑いで、せんだを現行犯逮捕した。

逮捕当時は、あきらかに酒を飲んだ状態であり、送検時に道交法違反(酒気帯び)の容疑も追加された。同署の取り調べに対し、「逃げるつもりはなかった。安全なところまで車を移動させただけだ」等と供述している。起訴後の裁判では、運転免許証の取り消しと罰金刑の処分を受け、懲役刑を免れた。

近況

近年は「ウケない金ない仕事がない」の「三ない」や、自称「大スター」等の自虐ネタを持ち味としている。

2001年には、当時リバイバルヒットしていた「明日があるさ」に対抗して「明日がないさ」という楽曲を発表。歌詞も、そっくりそのままネガティブにしており、「明日がない 明日がない 明日がないさ」と歌っている[注釈 6]

文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』(2007年終了)では、ゲストではなくリスナーとして投稿が採用されることがよくあった。

2011年、『クイズ☆タレント名鑑』の企画「ギャグされるまで帰れません! バスツアー」に出演。街頭でマイクを向けた一般人が自分のギャグをやったら帰宅できる、というものだったが、髭男爵などの各種芸人に敗れ、最後の一人(一組)となる。

2012年に『明石家サンタの史上最大のクリスマスプレゼントショー』の芸能人枠で電話がかかり、「前日に新潟スナック1日店長をしてほしいとオファーを頂き、予定が空いていたのでやった」という自虐ネタで合格しさんまの麹漬けを当てた。

2017年10月から、TOKYO MXひるキュン!』の水曜レジェンドレポーターとして出演、地上波テレビでは十数年ぶりのレギュラー獲得を果たす。

その他、イベント司会等の全国営業、2時間ドラマを中心とした主要脇役としても活躍中。

家族

2007年1月にTBSナショナル劇場浅草ふくまる旅館』でデビューした俳優せんだ雄太は長男。また長女のせんだるか2009年にタレントとしてデビューしている。(娘のるかは同じ事務所に所属している)

芸風・印象・交友関係

来歴から「一発屋」と言われ、後輩、一般からバカにされているが、「一発売れるのに、幾度も苦労し、一発も売れなかった奴もいるんだよ……」と芸人は楽そうに見える方面への警鐘笛を鳴らす名言を残している。

両手を顔の横に上げ、それを前後に動かしながら「ナハッナハッ」と言うギャグや、「せんだ偉い!せんだ偉い!」などと自分で自分を持ち上げるギャグが特に有名。

その他、人名や地名を連呼するギャグを得意とする。そのインパクトは強く、現在でも「せんだみつおゲーム」(後述)として残っているほどである。

その時期に活躍している著名人にも知れわたっているが、なかなか受け入れてもらえず、ひどいときは知性の欠片もない横柄な人と捉えられてしまうこともある[注釈 7]

ウルトラマンは『シュワッチ』の他に『ナハッ』って言ってたんだよ」と湯原が言っていたことがこのギャグが出来たきっかけでもあり、「せんだ偉い!」も元々は湯原が「湯原偉い!」と言っていたもの[13]

せんだみつおゲーム

合コンなど宴会の余興で行われるゲームの一つ。参加者は車座となり、最初にある人間が「せんだ」といいながら誰か他の参加者を指差す。するとその指を指された人間は「みつお」と言いながら、また参加者の誰かを指差す。その後指をさされた人間の両隣の人間(あくまでも両隣の人間だけで、さされた当人はつられてはダメ)が「ナハッナハッ」のギャグを行うと1ターンが終了する。その後は「みつお」を言われた人間が最初の人間となり、以降だれかがミスをするまで繰り返す。

その応用版として、芸人とそのギャグや口癖を使った「○○[注釈 8]ゲーム」(○○はその芸人の名前)も存在し、宴会などで行われている。

せんだ自身は、1996年頃、読売ジャイアンツ桑田真澄(当時)から、せんだみつおゲームが流行っていることを聞かされたという[14]。さらに1997年に放送されたアコム自動契約機むじんくん」のCM(「パーティー篇」[14])で、チャント星人セイン・カミュなどが演じていた)が土星人との合コンに参加した際にやっていたことで広く世間に知られた。その際、せんだは制作側に名前の使用を快諾した上、さらにCM出演にも乗り気だったという[14]。実際にはせんだ自身はCMに一切出演していないが、広告代理店からせんだに対して謝礼が支払われたという[15]

逸話

  • あけおめ」という言葉を最初に使った芸能人という説がある[注釈 9]。1981年正月のラジオ番組で「今年はこの言葉をはやらせる」と言って連発していた。しかし当時はほとんど流行らなかったため、もいる。
  • 芸能界きってのトラッド(アイビー)ファッション好きである
  • 1975年には東京都千代田区高額納税者番付で5位に入ったことがあった。なお、その2年後の1977年には「森繁久彌さんが近所に住んでいますよ」といった言葉に乗せられる形で、世田谷区に転居。転居先で森繁にも会っている[16]
  • 小堺一機らによると、楽屋トークが非常に面白く、出演者を大笑いさせているとのこと。ただし実際の収録になると「あんまり面白くない」という。
  • 娘のせんだるかによれば1990年代パチンコ店の経営を行ったが数年で閉店したとのこと[17]。その影響があったかは不明だがせんだるかはタレント業の傍らパチンコ実践番組に出演している。

出演

テレビ番組

テレビドラマ

ラジオ番組

映画

人形劇

吹き替え

DVD

オリジナルビデオ

CM

  • ちび六ラーメン(明星食品)普通の2分の1サイズの即席ラーメンが6ピースあり、食べる量に合わせて何ピースか調整出来るといったラーメン。(1975年頃)
  • うまかめん(明星食品)友人・湯原との共演。「これぞ80年代のラーメン。」が謳い文句だった。(1980年頃)
  • ギャロップレーサー2000 (テクモギャロップレーサーシリーズ第4作。「せんだが二人で、にせんだ!」 (2000年2月)
    • 「二千田光雄」の由来となっている。CF演出は遅塚勝一
  • 100円ショップのスーパーステーション
  • パチンコ&スロット GARDEN「28は庭の日」GARDEN'S DAY(2009年)
  • PACHINKO & SLOT 一番館 「ナハを連発」(2011年 FM NACK5 79.5MHz)

ゲーム

  • beatmania APPEND GOTTAMIX - 「DJ Senda & Tiny-K」名義にて、谷啓との連名による参加。また、サウンドトラックアルバムにも同名義でオリジナル曲を提供。
  • スピンテイル(ゲックスの続編の日本版) - 主人公レノの声

パチンコ

  • CRせんだみつおの本日ナハナハ大開店!!

ディスコグラフィ

  • 「ダメな男のロック」(1973年、作詞・作曲 麻田浩)
    鈴木ヒロミツのプロデュースであったが6000枚の販売に止まる。バックの演奏はザ・モップス
  • 「高原の二人」(1977年)
    友人でもある湯原昌幸が作曲した楽曲(作詞:奥山侊伸)。加山雄三の「君といつまでも」など一連の楽曲を下敷きにしたことでも知られる。リリース当時、せんだが担当するラジオ番組で自主的ヘビーローテーションを実施した。EP盤のみの発売で現在では入手困難。
  • 「こんな会社やめちゃおう!!」(1992年)
    サラリーマンの日常的な怒りをコミカルに歌った物。宴会ソングとして評判に。
  • 「明日がないさ」(2001年、「せんだみつお featuring 池尻大橋交番上」名義。「明日があるさ」の替え歌版)
    インディーズ流通であるためCDとしては現在入手困難であるが、「着うたフル」で購入できるようになっている。

著書・参考文献

  • 『ぼく せんだみつお エマニエル夫人も真ッ青!』講談社1975年
  • 『タレント、父親、普通人 窓ぎわのコメディアンのホロリいい話』 リヨン社1986年 ISBN 4576861158
  • せんだみつお 『ナハ』 東京書籍、2002年。ISBN 4-487-79714-4。

脚注

注釈
  1. 菅原は日大二高に通っていたが共通の友人がいたという[10]
  2. ビリーバンバンが大ヒット曲「白いブランコ」を出したのは、せんだみつおが調理師免許の取得のために学校に通い始めた後のことであり、ビリーバンバンは菅原兄弟2人のユニットとして売り出された。
  3. 当時は大橋巨泉の事務所に所属していた。
  4. 互いの足首を掴みあい地面を転がり回る「合体」というネタがあった。
  5. その後同作品の吹き替えはバブルガム・ブラザーズが担当したため、せんだの吹き替え放送は1回のみ。
  6. 一番最後のサビ部分では元歌の通りに「明日がある 明日がある 明日があるさ」と歌っている。
  7. 爆笑問題太田光が、本人をそのように捉えてしまい、見限っている。また、『めちゃ×2イケてるッ!』の第1回笑わず嫌い王決定戦にて草彅剛がせんだを嫌いな理由として「エライ、エライと連発しているが、特にそう思ったことはないから」と挙げていた。
  8. 桂三枝=いらっしゃ〜い、ビートたけし=(首を捻りながら)バカヤロー!、志村けん=アイーン、明石家さんま=クワッ!、所ジョージ=すっごいですね〜、など。
  9. 1979年12月に所ジョージが『オールナイトニッポン』で使っていたという説もある。
  10. 当時は原作漫画でフルネームが判明しておらず、映画本編で語られるのは苗字のみ。
出典
  1. “欽ちゃんの駒大入学に大喜びの後輩コメディアン/芸能ショナイ業務話”. SANSPO.COM (産経デジタル). (2015年4月12日). http://www.sanspo.com/geino/news/20150412/geo15041212050016-n1.html . 2015閲覧. 
  2. 2.0 2.1 “自伝・集中連載 せんだみつお・4”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年7月1日) 
  3. 3.0 3.1 3.2 “自伝・集中連載 せんだみつお・8”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年7月6日) 
  4. 上野修 『ミスター・ラジオが通る』 実業之日本社、1986年。ISBN 4-408-10046-3。
  5. せんだみつお 2002, p. 67
  6. 2009年7月8日より1年間の予定だったが、10月14日に「すべったからやめる」と撤回した[1]
  7. 7.0 7.1 7.2 “自伝・集中連載 せんだみつお・1”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年6月28日) 
  8. 8.0 8.1 “自伝・集中連載 せんだみつお・2”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年6月29日) 
  9. “自伝・集中連載 せんだみつお・3”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年6月30日) 
  10. せんだみつお 2002, p. 60
  11. “自伝・集中連載 せんだみつお・14”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年7月13日) 
  12. せんだみつお 2002, p. 100
  13. “自伝・集中連載 せんだみつお・11”. 夕刊フジ: p. 6. (2016年7月9日) 
  14. 14.0 14.1 14.2 CM NOW』VOL.711998年3-4月号、玄光社、 65頁。
  15. 全国おとな電話相談室ポッドキャスト2009年1月31日配信分
  16. “自伝・集中連載 せんだみつお・13”. 夕刊フジ: p. 8. (2016年7月12日) 
  17. ういちとヒカルのおもスロい人々#127、128

外部リンク