「クシナガラ」の版間の差分

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'''クシナガラ'''あるいは'''クシナーラー'''({{lang-sa-short|Kuśinagara}}、{{lang-pi-short|Kusinārā, Kusinagara}}、英語:Kushinagar、[[タイ語]]:{{lang|th|กุสินารา}})は、[[古代インド]]の[[ガナ・サンガ国]]であった[[マッラ国]](末羅国)の二大中心地のひとつで西の中心地であり、現在の[[インド]]の[[ウッタル・プラデーシュ州]]東端のカシア付近の村。[[釈尊]][[入滅]]の地とされ、[[四大聖地]]のひとつ。[[ワーラーナシー]](ベナレス)の北150kmの地にある。(26.45 N, 83.24 E)
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'''クシナガラ'''あるいは'''クシナーラー'''({{lang-sa-short|Kuśinagara}}、{{lang-pi-short|Kusinārā, Kusinagara}}、英語:Kushinagar、[[タイ語]]:{{lang|th|กุสินารา}}
  
死期を悟った釈尊は[[霊鷲山]]([[ビハール州]])から生まれ故郷に向う途中にこの地で亡くなる。[[純陀]](チュンダ)の供養した「スーカラ・マッダヴァ({{lang|pi|sūkara maddava}})」(毒きのこ・あるいは豚が探す[[セイヨウショウロ|トリュフ]]のようなキノコ料理とも)を食して激しい[[下痢]]を起こしたのが原因とされる。
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古代インドの十六大国の一つで、マッラ人の首都。釈尊(仏陀(ぶっだ))がこの地の沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に臥(ふ)して入滅したので、仏教四大聖地の一として尊ばれている。仏典によれば、人々は釈尊の遺体を荼毘(だび)に付し、ここに塔を建てて祀(まつ)ったと伝える。法顕(ほっけん)(335?―421?)や玄奘(げんじょう)(602―664)が訪れたころにはすでにさびれていたが、精舎(しょうじゃ)(僧院)や塔があり、仏陀の涅槃(ねはん)像が安置されていた。現在のウッタル・プラデシュ州のカシアKasiaという町に古い仏塔があり、ここから涅槃塔(ただし最初のものではない)であることを証する銅板が発見され、これが仏陀入滅の古址(こし)であると考えられている。
 
 
マハーパリニッバーナ・スッタンタ([[大般涅槃経]])には、このクシナガラで釈尊が涅槃するまでの模様が書かれている。[[Image:Mahaparinirvana.jpg|350px|thumb|パリニッバーナ寺院(クシナガラ)の涅槃仏]]
 
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== 関連項目 ==
 
{{commonscat|Kushinara}}
 
*[[ルンビニー]]
 
*[[ブッダガヤ]]
 
*[[サールナート]]
 
*[[八大聖地]]
 
*[[涅槃経]]
 
*[[スバッダ]]
 
 
 
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[[Category:仏教遺跡]]
 
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2018/12/23/ (日) 01:13時点における最新版

クシナガラあるいはクシナーラー: Kuśinagara: Kusinārā, Kusinagara、英語:Kushinagar、タイ語กุสินารา

古代インドの十六大国の一つで、マッラ人の首都。釈尊(仏陀(ぶっだ))がこの地の沙羅双樹(さらそうじゅ)の間に臥(ふ)して入滅したので、仏教四大聖地の一として尊ばれている。仏典によれば、人々は釈尊の遺体を荼毘(だび)に付し、ここに塔を建てて祀(まつ)ったと伝える。法顕(ほっけん)(335?―421?)や玄奘(げんじょう)(602―664)が訪れたころにはすでにさびれていたが、精舎(しょうじゃ)(僧院)や塔があり、仏陀の涅槃(ねはん)像が安置されていた。現在のウッタル・プラデシュ州のカシアKasiaという町に古い仏塔があり、ここから涅槃塔(ただし最初のものではない)であることを証する銅板が発見され、これが仏陀入滅の古址(こし)であると考えられている。



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