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|name              = マイケル・ファラデー
 
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|caption          = [[トーマス・フィリップス (画家)|トーマス・フィリップス]]による肖像画(1841-1842)<ref>See [http://www.npg.org.uk/live/search/portrait.asp?mkey=mw02170 National Portrait gallery NPG 269]</ref>
 
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|birth_place      = {{GBR1606}} {{ENG}} [[サリー (イングランド)|サリー州]] ニューイントン・バッツ
 
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|fields            = [[物理学]]<br>[[化学]]
 
|workplaces        = [[王立研究所]]
 
|known_for        = [[ファラデーの電磁誘導の法則]]<br />[[電気化学]]<br />[[ファラデー効果]]<br />[[ファラデーケージ]]<br />[[ファラデー定数]]<br />[[ファラデーカップ]]<br />[[ファラデーの電気分解の法則]]<br />[[電気力線]]
 
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|awards            = [[ロイヤル・メダル]] (1835 & 1846)<br />[[コプリ・メダル]] (1832 & 1838)<br />[[ランフォード・メダル]] (1846)
 
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}}
 
'''マイケル・ファラデー'''(Michael Faraday, [[1791年]][[9月22日]] - [[1867年]][[8月25日]])は、[[イギリス]]の[[化学者]]・[[物理学者]](あるいは当時の呼称では[[自然哲学]]者)で、[[電磁気学]]および[[電気化学]]の分野での貢献で知られている。
 
  
直流電流を流した電気伝導体の周囲の磁場を研究し、物理学における電磁場の基礎理論を確立。それを後に[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]が発展させた。同様に[[ファラデーの電磁誘導の法則|電磁誘導の法則]][[反磁性]]、[[ファラデーの電気分解の法則|電気分解の法則]]などを発見。磁性が光線に影響を与えること、2つの現象が根底で関連していることを明らかにした<ref name="EncBrit">[http://www.1911encyclopedia.org/Michael_Faraday Michael Faraday] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130605011924/http://www.1911encyclopedia.org/Michael_Faraday |date=2013年6月5日 }} entry at the 1911 Encyclopaedia Britannica hosted by LovetoKnow Retrieved January 2007.</ref><ref name="IEEUK">[http://www.theiet.org/about/libarc/archives/biographies/faraday.cfm "Archives Biographies: Michael Faraday", The Institution of Engineering and Technology.]</ref>。電磁気を利用して回転する装置([[電動機]])を発明し、その後の電動機技術の基礎を築いた。それだけでなく電気を使ったテクノロジー全般が彼の業績から発展したものである。
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'''マイケル・ファラデー'''(Michael Faraday, [[1791年]][[9月22日]] - [[1867年]][[8月25日]]
  
化学者としては、[[ベンゼン]]を発見し、塩素の[[包接水和物]]を研究し、原始的な形の[[ブンゼンバーナー]]を発明し、[[酸化数]]の体系を提案した。[[アノード]][[カソード]]、[[電極]] (electrode)、[[イオン]]といった用語はファラデーが一般化させた。
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イギリスの化学者,物理学者。 1812年王立研究所での [[H.デービー]]の講演を聞いたことを機縁に翌年その助手となった。 [[H.エルステッド]]の電流の磁気作用の発見を伝え聞いて,それが電流のまわりの円周に沿って生じる力のためであることを見抜き,それに基づいて電動機の原理を明らかにした (1821) 。ロイヤル・ソサエティ会員 (24) 。財政難の王立研究所を救うために 25年から始めた毎週金曜の講演は大いに好評を博した。二酸化炭素,硫化水素,塩素などの液化 (23) ,ベンゼンの発見 (25) ,鉛ガラスの研究など化学の業績を上げたのち,電磁気学の研究に没頭し,31年[[電磁誘導]]現象を発見,33年に[[ファラデーの電気分解の法則]]を導いた。 37年静電誘導を,38年[[グロー放電]]のファラデー暗部を,45年[[ファラデー効果]]と反磁性物質をそれぞれ発見。電磁気作用が媒質空間を通して伝達されるとして「力線」の概念を提唱し,[[J.マクスウェル]]の電磁気理論の基礎を築いた。
  
ファラデーは貧しい家庭に生まれたため、小学校も中退という教育しか受けておらず、高度な数学などは解らなかったが、科学史上、最も影響を及ぼした[[科学者]]の1人とされ、科学史家<ref>{{Citation| last =Russell | first = Colin | authorlink = | coauthors = | title= Michael Faraday: Physics and Faith | publisher=Oxford University Press | year=2000 | location=New York | pages= | url = | doi = | id =  }}</ref>は彼を科学史上最高の実験主義者と呼んでいる<ref>[http://www.bath.ac.uk/news/2006/10/25/gulp-ford251006.html "best [[:en:experimentalist|experimentalist]] in the history of science."] Quoting Dr Peter Ford, from the University of Bath’s Department of Physics. Accessed January 2007.</ref>。 数学の分野をまとめたのがジェームス・クラーク・マクスウェル。
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
静電容量のSI単位「[[ファラッド]] (F)」はファラデーに因んでいる。また、1モルの電子の電荷に相当する[[ファラデー定数]]にも名を残している。[[ファラデーの電磁誘導の法則]]は、磁束の変化の割合と誘導起電力は比例するという法則である。
 
 
 
ファラデーは[[王立研究所]]の初代[[フラー教授]]職 ([[:en:Fullerian Professor of Chemistry|Fullerian Professor of Chemistry]]) であり、死去するまでその職を務めた。
 
 
 
[[アルベルト・アインシュタイン]]は壁にファラデー、[[アイザック・ニュートン|ニュートン]]、[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル|マクスウェル]]の絵を貼っていたという<ref>"Einstein's Heroes: Imagining the World through the Language of Mathematics", by Robyn Arianrhod
 
UQP, reviewed by Jane Gleeson-White, 10 November 2003, The Sydney Morning Herald.</ref>。
 
 
 
ファラデーは信心深い人物で、[[1730年]]に創設された[[キリスト教徒]]の一派である[[サンデマン主義|サンデマン派]]([[グラス派]])に属していた。伝記作者は「神と自然の強い一体感がファラデーの生涯と仕事に影響している」と記している<ref>{{Citation| author = Baggott, Jim | title = The myth of Michael Faraday: Michael Faraday was not just one of Britain's greatest experimenters. A closer look at the man and his work reveals that he was also a clever theoretician | journal = New Scientist | date = 2 September 1991 | pages = | url = http://www.newscientist.com/article/mg13117874.600-the-myth-of-michael-faraday-michael-faraday-was-not-justone-of-britains-greatest-experimenters-a-closer-look-at-the-man-and-hiswork-reveals-that-he-was-also-a-clever-theoretician-.html | accessdate = 2008-09-06 }}</ref>。
 
 
 
== 前半生 ==
 
[[ジョージ3世 (イギリス王)|ジョージ3世]]時代の1791年に、ニューイントン・バッツ<ref name=ODNB/>で生まれる。現在の[[サザーク・ロンドン特別区]]の一部だが、当時は[[サリー (イングランド)|サリー]]の一部で[[ロンドン橋]]から南に1マイルほどの場所だった<ref>ファラデーの幼少期を含む生涯の簡潔な説明として次がある。<br/>EVERY SATURDAY: A JOURNAL OF CHOICE READING, Vol III published at Cambridge in 1873 by Osgood  & Co., pp.175-83</ref>。一家は決して順調ではなかった。父ジェームズは[[サンデマン主義|サンデマン派]]信者で、妻と2人の子をかかえて1791年にウェストモーランド(現在の[[カンブリア (イングランド)|カンブリア]])のアスギルという小さな村からロンドンに出てきた。その村では鍛冶屋の見習いをしていた<ref>これの意味するところは、ジェームズがサンデマン派信者のつながりから職を得たということである。ジェームズは1791年2月20日にロンドンのサンデマン派の集会に参加し、その後すぐに住居を見つけて引っ越している。詳しくは {{Harvnb|Cantor|1991|pp=57-8}}</ref>。マイケルが生まれたのはその年の秋である。マイケルは4人兄弟の3番目で、学校にはほとんど通っていない<ref>"Michael Faraday."  History of Science and Technology. Houghton Mifflin Company, 2004. [http://www.answers.com/topic/michael-faraday Answers.com 4 June 2007]</ref>。14歳のとき、近所で製本業と書店を営んでいた [[:en:George Riebau|ジョージ・リーボー]] のところに年季奉公に入った<ref>{{openplaque|19}}</ref>。7年間の奉公の間に多数の本を読んだ。中には[[アイザック・ウォッツ]]の ''The Improvement of the Mind'' もあり、彼はその中に書かれていた主義と提案を熱心に実践した。多数の本を読むうちに科学への興味が強まり、特に電気に興味を持つようになった。特に影響された本として[[ジェーン・マーセット]]の『化学談義』(''Conversations on Chemistry'')があった<ref>{{cite episode|transcripturl= http://www.uh.edu/engines/epi744.htm|title=Jane Marcet's Books |credits=John H. Lienhard|series=The Engines of Our Ingenuity|serieslink= |airdate=1992 |number=744 |network=NPR|station=KUHF-FM Houston|accessdate=2007-10-02}}</ref>。{{要出典範囲|date=2010年9月|またファラデーと同じく見習いで働いていた画家の卵[[マスケリエ]]はファラデーにデッサンを教えた。そのためファラデーは絵が非常に上手く、科学系の本にある実験装置などを正確に書き写したといわれている}}。
 
 
 
1812年、20歳となり年季奉公の最後の年となったファラデーは、[[:en:John Tatum (scientist)|ジョン・テイタム]] の創設したロンドン市哲学協会(City Philosophical Society)の会合で勉強するようになった。また、当時のイギリスで有名だった化学者[[ハンフリー・デービー]]の講演を何度も聴講した。その入場券は[[ロイヤル・フィルハーモニック協会]]の創設者の1人 [[:en:William Dance|ウィリアム・ダンス]] がファラデーに与えたものだった。ファラデーは300ページにもなったデービーの講演の際につけたノートをデービーに送った。それを見て感心したデービーは、すぐさま好意的な返事をした。ファラデーが科学の道を歩みたいと言ったところ「科学は快楽的なものだが、その道は成功と失敗の連続である。今は何の仕事もない。もしあったら連絡する」といわれ、ファラデーは落胆した。しかしその後、デービーは[[塩化窒素]]の実験中の事故で目を負傷し、ファラデーを秘書として雇うことにした。王立研究所の助手の1人が解雇されると、ハンフリー・デービーは代わりを捜すよう依頼され、1813年3月1日、ファラデーは王立研究所の化学助手となった<ref name="EncBrit"/>。
 
 
 
当時の階級社会では、彼はその出自のために紳士とはみなされなかった。デービーが1813年から1815年まで長いヨーロッパ旅行に出かけることになった時、彼の従者は一緒に行くことを拒んだ。ファラデーは実験助手として同行し、パリで従者の代わりを見つけるまでは従者の役も果たすことを依頼された。結局ファラデーは旅行が終わるまで助手兼従者として働くことになった。裕福な家の出だったデービー夫人ジェーン・アプリースはファラデーを対等に扱おうとせず、馬車で移動する際は御車席に座らせ、食事も使用人と一緒に摂らせた。この扱いにファラデーは落胆し、イギリスに戻ったら科学の道をあきらめようと考えたという。ただしファラデー自身は上流階級になろうという意欲は薄く、後に[[ナイト]]に叙せられる話があった時も断ったとされる。この旅行でファラデーはヨーロッパの有名な科学者らと出会い、アイデアを刺激された<ref name="EncBrit"/>。
 
 
 
ファラデーは敬虔なキリスト教徒だった。彼の属するサンデマン派は[[スコットランド国教会]]の分派である。結婚後しばらくして[[輔祭]]を務めるようになり、若いころ過ごした集会所の[[長老 (キリスト教)|長老]]を2期務めた。その集会所は1862年に[[イズリントン・ロンドン特別区|イズリントン]]に移転しており、2期目はこちらで務めた<ref>{{Harvnb|Cantor|1991|pp=41-43, 60-4, 277-80}}</ref>。
 
 
 
1821年6月12日、サラ・バーナード (1800–1879) と結婚したが<ref>{{Harvnb|Cantor|1991|p=59}}</ref>、子供はできなかった<ref name=ODNB>Frank A. J. L. James, ‘Faraday, Michael (1791–1867)’, [[:en:Oxford Dictionary of National Biography|Oxford Dictionary of National Biography]], [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], Sept 2004; online edn, Jan 2008 [http://www.oxforddnb.com/view/article/9153  accessed 3 March 2009]</ref>。2人はサンデマン派の教会で家族を介して知り合った。
 
 
 
== 業績 ==
 
=== 化学 ===
 
[[ファイル:M Faraday Lab H Moore.jpg|thumb|250px|right|1850年ごろの研究室で作業中のファラデー。作者の [[:en:Harriet Jane Moore|Harriet Jane Moore]] はファラデーの生活を水彩画で描いた。]]
 
[[ファイル:Tetrachloroethylene-3D-vdW.png|thumb|100px|left|[[テトラクロロエチレン]]分子]]
 
ファラデーの初期の化学の業績は、[[ハンフリー・デービー]]の助手としてのものだった。特に[[塩素]]を研究し、2種類の新たな[[炭素]]塩化物を発見した。また、[[ジョン・ドルトン]]が指摘した現象である気体の拡散に関する初期の実験も行ったが、その物理的重要性をより完全に明確化したのは[[トーマス・グレアム]]と[[ヨハン・ロシュミット]]である。いくつかの気体の[[液化]]に成功した。また、[[鋼]]合金を調べたり、光学向けの新たなガラスを作ったりしている。後にそれらのガラスは、磁場中に置くと通過する光の偏光面を回転させるという発見に役立ったこと、および磁石の極と反発する[[反磁性]]体だと判明したことで歴史的に重要となった。また、化学の一般的手法の確立にも貢献している。
 
 
 
ファラデーはまた、後に[[ブンゼンバーナー]]と呼ばれ実験用に広く使われるようになった熱源装置の原型を発明した<ref>{{Citation| last =Jensen  | first =William B.  | authorlink =  | coauthors =  | title =The Origin of the Bunsen Burner | journal = Journal of Chemical Education  | volume = 82  | issue = 4 | pages =  | publisher =  | year =2005  | url = http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ed082p518|format=PDF}}</ref><ref>{{Harvnb|Faraday|1827|p=127}}</ref>。ファラデーは化学の幅広い分野で活動し、1823年に塩素の液化に成功し、1825年には[[ベンゼン]]を発見している。気体の液化は気体が単に沸点の低い液体の蒸気に過ぎないという認識の確立に役立ち、分子凝集の概念により確かな基盤を与えることになった。1820年、ファラデーは炭素と塩素で構成される化学物質 [[六塩化エタン|C<sub>2</sub>Cl<sub>6</sub>]] と [[テトラクロロエチレン|C<sub>2</sub>Cl<sub>4</sub>]] を初めて合成したことを報告し<ref>{{Citation| author = Faraday, Michael | title = On two new Compounds of Chlorine and Carbon, and on a new Compound of Iodine, Carbon, and Hydrogen | journal = Philosophical Transactions | year = 1821 | volume = 111| pages = 47 | doi = 10.1098/rstl.1821.0007 }}</ref><ref>{{Harvnb|Faraday|1859|pp=33-53}}</ref><ref>{{Harvnb|Pearce|1965|pp=122-123}}</ref>、翌年公表している。また、ハンフリー・デービーが1810年に発見した塩素の[[包接水和物]]の構成を特定した<ref>{{Citation| author = Faraday, Michael | title = On Hydrate of Chlorine | journal = Quartly Journal of Science | year = 1823 | volume = 15| pages = 71 }}</ref><ref>{{Harvnb|Faraday|1859|pp=81-84}}</ref>。
 
 
 
1833年、[[ファラデーの電気分解の法則|電気分解の法則]]を発見し、[[アノード]]、[[カソード]]、[[電極]] (electrode)、[[イオン]]といった用語を定着させた。これらの用語の多くは[[ウィリアム・ヒューウェル]]が考案したものである。
 
 
 
また、後に金属[[ナノ粒子]]と呼ばれることになるものについて初めて報告している。1847年、金[[コロイド]]の光学特性が金塊のそれと異なることを発見した。これは[[量子]]サイズの現象の最初の観察報告と見られ、[[ナノテクノロジー|ナノ科学]]の誕生と言えなくもない<ref>{{Citation|url= http://www.nanogallery.info/nanogallery/?ipg=126 |title=The Birth of Nanotechnology |accessdate=2007-07-25 |last=|first= |authorlink= |coauthors= |date= |year=2006 |month= |format= |work= |publisher=Nanogallery.info |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |quote="Faraday made some attempt to explain what was causing the vivid coloration in his gold mixtures, saying that known phenomena seemed to indicate that a mere variation in the size of gold particles gave rise to a variety of resultant colors." }}</ref>。
 
 
 
=== 電気と磁気 ===
 
ファラデーは特に電気と磁気の研究でよく知られている。彼が記録している最初の実験は、7枚の半ペニー貨と7枚の亜鉛シートに6枚の塩水を浸した紙を挟んで積み上げた[[ボルタ電池]]を作ったことだった。この電池を使って[[硫酸マグネシウム]]を電気分解している(1812年7月12日付けのAbbottへの手紙に記述がある)。
 
 
 
[[ファイル:VoltaBattery.JPG|thumb|upright|[[ボルタ電池]]]]
 
[[ファイル:Faraday magnetic rotation.jpg|thumb|upright|left|電磁力による回転実験(1821年ごろ)<ref>{{Harvnb|Faraday|1839, 1844|loc= vol ii, plate 4}}</ref>]]
 
[[ファイル:VFPt_Solenoid_correct2.svg|thumb|upright|[[ソレノイド]]]]
 
 
 
デンマークの科学者[[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]が電気と磁気の関係を示す現象を発見すると、1821年にデービーと[[ウイリアム・ウォラストン]]が[[電動機]]を作ろうとしたが失敗した<ref name="IEEUK"/>。ファラデーは2人とその問題について話し合い、電磁回転 (electromagnetic rotation) と名付けた動きを生じる2つの装置を作り上げた。1つは[[水銀]]を入れた皿の中央に磁石を立て、上から水銀に浸るように針金をたらし、その針金と水銀を通るように電流を流すと、電流によって生じた磁場が磁石の磁場と反発して針金が磁石の周囲を回転し続けるというものである。もう1つは[[単極電動機]]と呼ばれるもので、逆に磁石側が針金の周りを回るようになっていた。それらの実験と発明が現代の電磁技術の基礎を築いた。この成果に興奮したファラデーはデービーやウォラストンの許可を得ずに、それを公表した。
 
 
 
これに怒ったデービーとファラデーの関係が悪化し、デービーは電磁気以外の研究をファラデーに押し付け、数年間電磁気研究から遠ざけたと見られている<ref>{{Harvnb|Hamilton|2004|pp=165-71, 183, 187-90}}</ref><ref>{{Harvnb|Cantor|1991|pp=231-3}}</ref>。デービーはファラデーが[[王立協会]]の会員になることを猛烈に反対し、自分が見出したファラデーの頭角に嫉妬を抱き始めていた。しかし、ファラデーの友人の推薦により、協会員に選ばれた。また、デービーはウィリアム・ウォラストン自身が否定しているに関わらず、ファラデーを「ウォラストンの研究を盗んだ」と非難したりもした。もっとも、デービーは「私の最大の発見はファラデーである」という言葉を残している。小学校しか卒業していない製本屋の見習いが19世紀最大の科学者と言われるようになったことを考えると、この言葉は正鵠を射ているといえる。
 
 
 
1824年、ファラデーは導線を流れる電流を外部の磁場によって調節可能かどうかを研究すべく簡単な回路を製作したが、そのような現象は見つけられなかった<ref>{{Harvnb|Thompson|1901|p=95}}</ref>。3年前、同じ実験室で光が磁場に影響されるかを実験しており、そのときも何も見つけられなかった<ref>{{Harvnb|Thompson|1901|p=91}}</ref><ref>{{Harvnb|Cantor|1991|p=233}}</ref>。その後7年間は光学用ガラス(鉛を加えた[[ホウケイ酸ガラス]])の製法を完成させることに費やし<ref>{{Harvnb|Thompson|1901|pp=95-98}}</ref>、後の研究でそれが光と磁気の関係の研究に役立つことになった<ref>{{Harvnb|Thompson|1901|p=100}}</ref>。光学の仕事以外の時間を使って電磁気を含む実験の論文を書いて公表し、デービーとのヨーロッパ旅行で出会った海外の科学者とも文通した<ref>{{Harvnb|Cantor|1991|pp=235-44}} 日記でわかるように、ファラデーはアンペール、アラゴ、エルステッドらの研究の進行状況に大きく影響されている。</ref>。デービーの死から2年後の1831年、ファラデーは一連の重要な実験を行い、[[電磁誘導]]を発見した。わずか数カ月前に[[ジョゼフ・ヘンリー]]も発見しているが、2人に先行してイタリアの[[フランチェスコ・ツァンテデスキ]]が1829年と1830年に同様の論文を発表していた<ref>{{Citation|url= http://en.wikisource.org/wiki/Catholic_Encyclopedia_%281913%29/Francesco_Zantedeschi  |title=Francesco Zantedeschi article at the Catholic Encyclopedia|accessdate=2007-06-16 |last=Brother Potamian |first= |authorlink= |coauthors= |date= |year=1913  |month= |format= |work= |publisher=Wikisource  |pages= |language= |archiveurl= |archivedate= |quote= }}</ref>。
 
 
 
[[ファイル:Faraday-Daniell.PNG|thumb|left|200px|電気化学の祖とされるイギリスの化学者[[ジョン・フレデリック・ダニエル|ジョン・ダニエル]](左)とファラデー(右)]]
 
 
 
他の科学者たちが電磁気現象を[[力学]]における[[遠隔力]]と考えていたのに対して、ファラデーは空間における[[電気力線]]・[[磁力線]]という[[近接作用]]的概念から研究している。ファラデーの突破口は、鉄の環に絶縁された導線を巻きつけて[[コイル]]を2つ作ったことであり、一方のコイルに電流を流すともう一方のコイルに瞬間的に電流が流れることを発見した<ref name="IEEUK"/>。この現象を[[相互誘導]]と呼ぶ。この鉄の環のコイルは今も王立研究所に展示されている。その後の実験で、空芯のコイルの中で磁石を動かしても電流が流れることを発見した。また、磁石を固定して導線の方を動かしても電流が流れることを発見。これらの実験で、磁場の変化によって電場が生ずることが明らかとなった。この[[ファラデーの電磁誘導の法則]]は後に[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]が数理モデル化し、4つの[[マクスウェルの方程式]]の1つとなった。そして、さらに一般化され[[場の理論]]となっている。
 
 
 
ファラデーは後にこの原理を使って原始的な[[発電機]]を製作している。
 
 
 
1839年、電気の基本的性質を明らかにする一連の研究を完成させた。ファラデーは「[[静電気学|静電気]]」、[[電池]]、「動物電気」を使い、静電気による誘引現象、[[電気分解]]、[[電磁気学]]などの現象を生み出した。彼は、当時の科学界で常識だったこれらの電気の種類の違いは存在しないと結論付けた。そして電気は一種類だとし、強さや量(電圧と電流)の違いが様々な現象を引き起こすとした<ref name="IEEUK"/>。
 
 
 
後年ファラデーは電磁力が電気伝導体の周囲の空間に及んでいるという説を提案した。しかし他の科学者はその考え方を拒絶し、ファラデーの存命中は認められなかった。ファラデーの帯電した物体や磁石から[[磁力線]]が出ているという概念は、電磁場の視覚化手段を提供した。このモデルは19世紀後半の産業を支配した電気機械式装置の開発にとってきわめて重要となった。
 
 
 
=== 反磁性 ===
 
[[ファイル:Faraday photograph ii.jpg|thumb|upright|right|1845年の実験で使ったガラス棒を手にしたファラデー。その実験で[[誘電体]]中の光が磁場の影響を受けることを示した。<ref>1857年ごろ撮影された写真をベースとした版画。詳しくは [http://www.npg.org.uk/collections/search/portrait/mw41581/Michael-Faraday?LinkID=mp01529&role=sit&rNo=18 National Portrait Gallery, UK]</ref>]]
 
1845年、ファラデーは多くの物質が磁場に対して弱く反発することを発見し、その現象を[[反磁性]] (diamagnetism) と名付けた。
 
 
 
また、光の進む方向にそって印加された電磁場によって直線[[偏光]]の偏光面が回転することを発見。これを[[ファラデー効果]]と呼ぶ。ファラデーのノートには「私はついに磁気の曲線または「[[電気力線|力の線]]」を解明し、[[光線]]を磁化することに成功した」と記してある。
 
 
 
晩年(1862年)、磁場によって光のスペクトルが変化するのではないかと考え、[[分光器]]を使って実験している。しかしファラデーが使っていた機器ではスペクトルの変化を捉えることはできなかった。同じ現象を後に[[ピーター・ゼーマン]]が改良された機器で研究し、1897年に公表、1902年に[[ノーベル物理学賞]]を受賞することになった。1897年の論文でも<ref>{{Citation| title = The Effect of Magnetisation on the Nature of Light Emitted by a Substance | journal = Nature | year = 1897 | volume = 55 | pages = 347 | author = Zeeman, Pieter | doi = 10.1038/055347a0}}</ref>、ノーベル賞講演でも<ref>{{Citation| title = Pieter Zeeman, Nobel Lecture | url = http://nobelprize.org/nobel_prizes/physics/laureates/1902/zeeman-lecture.html | accessdate = 2008-05-29}}</ref>、ゼーマンはファラデーの業績に言及している。
 
 
 
=== ファラデーケージ ===
 
[[ファイル:Faraday cage.gif|left|thumb|300px|外部の電場が電荷の配置を変化させ、それによって電場が打ち消される。]]
 
静電気を研究する中で、ファラデーは帯電した導体では電荷がその表面にしかないことを示し、それら電荷は導体内部の空間には何も影響を及ぼさないことを証明した。これは電荷が内部の電場を打ち消すように分布するためである。この電場を遮蔽する効果を使ったものを[[ファラデーケージ]]と呼ぶ。
 
 
 
ファラデーは優秀な実験主義者であり、明快かつ簡潔な言葉で考えを伝えた。しかし、数学の知識は乏しかった。そのため電磁誘導の法則を自分で定式化できず、[[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]らが定式化することになった。またファラデーの[[電気力線]]の使用についてマクスウェルは、ファラデーが高水準の数学者にも匹敵する思考の持ち主であり、将来の数学者はファラデーの業績から様々な貴重な方法を引き出すことができるだろうと述べている<ref name="MaxwellSciPapVol1">[http://books.google.com/books?id=RaqhIhxqLiwC&pg=PA360&lpg=PA360&dq=%22to+have+been+in+reality+a+mathematician%22&source=web&ots=CUK1Be_o6H&sig=R8OycQBKt7eOLEgWVt328XdHqv8&hl=en The Scientific Papers of James Clerk Maxwell Volume 1] page 360; Courier Dover 2003, ISBN 0486495604</ref>。
 
 
 
== 王立研究所と研究以外の業績 ==
 
[[ファイル:FaradayFatherThames.jpg|thumb|right|200px|upright|テムズ川の主に名刺を渡すファラデー(1855年7月21日の[[パンチ (雑誌)|パンチ]]誌の風刺画)]]
 
[[ファイル:Lighthouse lantern room with Fresnel lens.png|thumb|left|1800年代中ごろの灯台の灯室]]
 
1824年には[[王立協会フェロー]]に選ばれ<ref name=ODNB/><ref>{{FRS |code = NA8218  |title = Faraday; Michael (1791 - 1867) |accessdate = 2011-12-11 }}</ref>、1825年にはデービーの後をついで英国王立実験所長となった。1833年、ファラデーは[[:en:John 'Mad Jack' Fuller|ジョン・「マッド・ジャック」・フラー]]の推薦で[[王立研究所]]の初代[[フラー教授職]]に就任した。これはフラーの後援によって創設された化学の教授職であり、名誉職であって講義を行う義務はない。
 
 
 
王立研究所での化学や電磁気学の研究以外に、ファラデーは民間企業やイギリス政府に依頼された仕事に時間を割いた。例えば、炭鉱での爆発事故の調査、法廷での専門家証人、高品質な光学ガラスの成分検討などである。1846年、ハスウェルの炭鉱で95人が死亡した爆発事故を調査し、[[チャールズ・ライエル]]と共に詳細な報告書を提出した。その報告書は[[法科学]]的にしっかりしており、石炭の粉塵が爆発の威力を増加させたとしていた。しかし、炭塵爆発への対策は1913年に別の炭鉱で大事故が発生するまでなされなかった。
 
 
 
海洋国家でもあるイギリスの有名な科学者として、ファラデーは[[灯台]]建設や運用、船底の[[腐食]]を防止するプロジェクトなどにも時間を割いた。
 
 
 
ファラデーは今では[[環境学]]と呼ばれる分野でも活躍した。[[スウォンジ]]での工場による汚染を調査し、造幣所での大気汚染について助言したりしている。1855年7月、[[タイムズ]]誌に[[テムズ川]]の汚染問題について手紙を送り、[[パンチ (雑誌)|パンチ]]誌に風刺画が掲載されることになった。
 
 
 
1851年、ロンドンで開催された[[ロンドン万国博覧会 (1851年)|万国博覧会]]では、計画立案と評価に参加した。また、[[ナショナル・ギャラリー (ロンドン)|ナショナル・ギャラリー]]でのコレクションのクリーニングと保護についても助言し、1857年には同ギャラリー運営委員会の委員も務めた。
 
 
 
教育にも関与している。1854年、王立研究所で教育について講演し、1862年にはイギリスの教育政策についての持論を伝えるために公立学校委員会に出席した。また当時一般大衆の間で流行っていたこっくりさんや催眠術や降霊会には否定的立場で参加しており、教育に関しては政府に対しても大衆に対しても厳しかった<ref>See ''The Illustrated London News'', July 1853, for Faraday's comments.</ref>。
 
 
 
ファラデーは一般向けの講演も多く行った。世界の優秀な科学者たちを集めた[[金曜講演]](1825年より開始)、少年少女向きの[[クリスマス・レクチャー]]、有名な[[ロウソクの科学]]などであり、今日まで続いているものも多い。ファラデーは1827年から1860年まで19回のクリスマス・レクチャーを行った。
 
 
 
== 晩年 ==
 
[[ファイル:Faraday Michael old age.jpg|thumb|upright|left|150px|晩年のファラデー]]
 
[[ファイル:Faraday Michael Christmas lecture detail.jpg|thumb|200px|right|ファラデーのクリスマス・レクチャー (1856)]]
 
1832年6月、[[オックスフォード大学]]はファラデーに名誉博士号を授与した。ファラデーは終生[[ナイト]]の名誉を辞退し続け、[[王立協会]]会長職も2回辞退している。1838年、[[スウェーデン王立科学アカデミー]]の外国人会員に選ばれ、1844年にはフランス[[科学アカデミー (フランス)|科学アカデミー]]の8人の外国人会員の1人に選ばれた<ref>{{Harvnb|Gladstone|1872|p=53}}</ref>。
 
 
 
1848年、[[アルバート (ザクセン=コーブルク=ゴータ公子)|アルバート王配殿下]]の申し出により[[サリー (イングランド)|サリー]]の[[ハンプトン・コート宮殿]]に無料で住めるようになった。1858年に引退したファラデーは晩年をそこで過ごした<ref>[http://www.twickenham-museum.org.uk/detail.asp?ContentID=197 Twickenham Museum on Faraday and Faraday House], Accessed June 2006</ref>。
 
 
 
[[クリミア戦争]] (1853–1856) の際に政府から化学兵器を作ってもらえないかという要望がきたとき、倫理的な理由からこれを断わった<ref name="Croddy">{{Citation|last=Croddy|first=Eric |coauthors=Wirtz, James J. |title=Weapons of Mass Destruction: An Encyclopedia of Worldwide Policy, Technology, and History|publisher=ABC-CLIO|url = http://books.google.com/?id=ZzlNgS70OHAC&pg=PA86&lpg=PA86&dq=Faraday++chemical+weapons+Crimean+War|year=2005|pages=Page 86|isbn=1851094903}}</ref>。彼は机をたたいてこう言ったという。「作ることは容易だ。しかし絶対に手を貸さない!」ファラデーが強い平和主義者だったことも伺える。
 
 
 
1867年8月25日、[[ハンプトン・コート宮殿]]内の自宅で椅子にもたれたまま、眠るようにして死去した<ref>[http://openplaques.org/plaques/2429 Plaque#2429] on Open Plaques</ref>。
 
 
 
生前[[ウェストミンスター寺院]]への埋葬を拒否していたが、[[アイザック・ニュートン]]の墓のそばに記念銘板が設置された。遺体は[[ハイゲイト墓地]]の非国教徒向けの区域に埋葬された。
 
 
 
== 記念 ==
 
[[ファイル:Michael Faraday statue AB.jpg|thumb|right|upright|150px|ロンドンのサボイ・プレイスにあるファラデー像(作 [[:en:John Henry Foley|John Henry Foley]]]]
 
 
 
ロンドンの[[IET]]本部のそばのサボイ・プレイスにファラデーの像がある。同じくロンドンのエレファント・アンド・キャッスルのロータリーの中央には[[ブルータリズム]]の建築家[[:en:Rodney Gordon|ロドニー・ゴードン]] が設計し1961年に完成したマイケル・ファラデー記念館 ([[:en:Michael Faraday Memorial|en]]) がある。ファラデーが生まれたニューイントン・バッツの近くである。同じく生誕地に近いウォルワースにはファラデーの名を冠した小さな公園がある。
 
 
 
[[ラフバラー]]のラフバラー大学には1960年にファラデーの名を冠したホールが建てられた。その食堂の入口付近に青銅製の[[変圧器]]の像があり、中にはファラデーの肖像がある。[[エディンバラ大学]]の理工系キャンパスにはファラデーの名を冠した5階建ての建物がある。[[ブルネル大学]]や[[スウォンジー大学]]にもファラデーの名を冠した建物がある。また、イギリスはかつて [http://www.antarctica.ac.uk/about_bas/our_history/stations_and_refuges/faraday.php ファラデー基地] という南極基地を運営していた。
 
 
 
ファラデーの名を冠した通りはイギリス各地(ロンドン、[[ファイフ]]、[[スウィンドン]]、[[ノッティンガム]]など)にあり、フランス(パリ)やドイツ、カナダ、アメリカにもある。
 
 
 
[[1991年]]から[[2001年]]にかけて用いられた20[[スターリング・ポンド|UKポンド]][[紙幣]]に肖像が描かれている。王立研究所で電磁スパーク装置を使った講演中の様子が描かれている<ref name="bankofengland">{{Citation|url= http://www.bankofengland.co.uk/banknotes/denom_guide/index.htm|title=Withdrawn banknotes reference guide|publisher=Bank of England|accessdate=2008-10-17}}</ref>。
 
 
 
== 著作 ==
 
''Chemical Manipulation'' 以外のファラデーの本は学術論文や講義録を集めたものである<ref>{{Harvnb|Hamilton|2004|p=220}}</ref>。死後、ファラデーの日記、大量の書簡、1813年から1815年のデービーとの旅行の記録も出版された。
 
 
 
* {{Citation|last=Faraday |first=Michael |title = Chemical Manipulation, Being Instructions to Students in Chemistry |publisher = John Murray | year = 1827}}  [http://www.archive.org/details/chemicalmanipula00fararich 2nd ed. 1830], [http://books.google.com/books?id=apjfZ3P8GdQC&pg=PA1&dq=chemical+manipulation#PPP9,M1 3rd ed. 1842]
 
* {{Citation|last=Faraday |first=Michael |title = Experimental Researches in Electricity, vols. i. and ii. |year = 1839, 1844 |publisher = Richard and John Edward Taylor |url = http://www.archive.org/details/experimentalrese00faraiala }}; vol. iii. Richard Taylor and William Francis, 1855 - [http://rack1.ul.cs.cmu.edu/is/faraday/doc.scn?fr=0&rp=http%3A%2F%2Frack1.ul.cs.cmu.edu%2Fis%2Ffaraday%2F&pg=4 オリジナルをスキャンしたもの]
 
* {{Citation|last=Faraday |first=Michael |title = Experimental Researches in Chemistry and Physics |year = 1859 | publisher = Taylor and Francis |url = http://www.archive.org/details/experimentalrese00fararich}}
 
* {{Citation| author = Faraday, Michael | title = A Course of Six Lectures on [[ロウソクの科学|the Chemical History of a Candle]] | editor = W. Crookes | year = 1861 | publisher = Griffin, Bohn & Co. | url = http://www.archive.org/details/chemicalhistoryo00faraiala}}
 
** マイケル・ファラデー 著, 山形浩生 訳, 『[[ロウソクの科学]]』, [[プロジェクト杉田玄白]]. [http://www.genpaku.org/candle01/]
 
* {{Citation| author = Faraday, Michael | title = On the Various Forces in Nature | year = 1873 | publisher = Chatto and Windus | location = | url = http://www.archive.org/details/onvariousforceso00farauoft | editor = W. Crookes}}
 
* {{Citation| author = Faraday, Michael | title = Diary | editor = T. Martin | year = 1932–1936 }} - ファラデーの日記(全8巻)
 
* {{Citation| author = Faraday, Michael | title = Curiosity Perfectly Satisfyed: Faraday's Travels in Europe 1813-1815 | editor = B. Bowers and L. Symons | publisher = Institution of Electrical Engineers | year = 1991}}
 
* {{Citation| author = Faraday, Michael | title = The Correspondence of Michael Faraday | year = 1991 | volume = 1 | publisher = INSPEC, Inc. | location = | url = | editor = F. A. J. L. James}} - volume 2, 1993; volume 3, 1996; volume 4, 1999
 
* {{Citation| author = Faraday, Michael | title = Michael Faraday's Mental Exercises: An Artisan Essay Circle in Regency London | editor = Alice Jenkins | publisher = Liverpool University Press | location = Liverpool, UK | year = 2008}}
 
* [http://www.archive.org/details/courseofsixlectu00fararich Course of six lectures on the various forces of matter, and their relations to each other] London ; Glasgow : R. Griffin, 1860.
 
* [http://www.archive.org/details/liquefactionofga00fararich The liquefaction of gases] Edinburgh: W. F. Clay, 1896.
 
* {{Citation |last=Faraday |first=Michael |last2=Schoenbein |first2=Christian Friedrich |title=The letters of Faraday and  1836-1862. With notes, comments and references to contemporary letters |publisher=Williams & Norgate |place= London |year=1899 |url= http://www.archive.org/details/lettersoffaraday00fararich }}
 
 
 
== 語録 ==
 
{{Wikiquotelang|en|Michael Faraday|マイケル・ファラデー}}
 
* 「自然の法則が一貫しているなら、これほど素晴らしいことはない。そんな中で実験はそのような一貫性を調べる最良の手段だ」<ref>ファラデーの日記の1849年3月19日の記述</ref>
 
* 「働きなさい。完成させなさい。出版しなさい」 — 若かりし[[ウィリアム・クルックス]]への助言
 
* [[来世]]について聞かれたときの言葉「憶測? 私には全くない。私は確信している」
 
* 「次の日曜日で70歳になるのだから、記憶力が衰えても不思議ではない。この70年間私は幸せだった。そして希望と満足感がある今も幸せだ」<ref>{{Harvnb|Faraday|Schoenbein|1899|p=349}} Christian Friedrich Schönbein への1861年9月19日付けの手紙。</ref>
 
* 「さらに試行せよ。何が可能かを知るために」[[アメリカ合衆国]][[ペンシルベニア州]]の[[:en:Ursinus College|アーサイナス大学]]の理学部のホール玄関に刻まれているファラデーの名言とされる言葉<ref>See [http://www.flickr.com/photos/monyca/17917765/in/pool-ursinus/ ''but still try'']</ref>。
 
* 「あなたが科学者の説を認めるならば、あなたは科学に大きな貢献をすることになるだろう。あなたがそれに対して『はい』とか『いいえ』と言うだけでも、将来の進歩を助けることになる。一部の人は自分の考えに固執して口にするのをためらうに違いない」<ref>{{Harvnb|Jones|1870|loc=2:389}}</ref>
 
 
 
[[ファイル:Faraday Michael grave.jpg|thumb|upright|right|150px|[[ハイゲイト墓地]]にあるファラデーの墓]]
 
 
 
== 脚注・出典 ==
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* {{Citation|last=Jones |first=Henry Bence |title = The Life and Letters of Faraday|year = 1870 |publisher = J. B. Lippincott and Company | place = Philadelphia | url = http://books.google.com/?id=YzuCdNmu5soC&printsec=frontcover&dq=Faraday }}
 
* {{Citation| last= Cantor |first=Geoffrey | title = Michael Faraday, Sandemanian and Scientist | year = 1991 | publisher = Macmillian | isbn = 0-333-55077}}
 
* {{Citation|last= Gladstone |first=J. H. |title = Michael Faraday |year = 1872 |publisher = Macmillan |place = London | url = http://books.google.com/?id=pbs4AAAAMAAJ&printsec=frontcover&dq=Faraday}}
 
* {{Citation|last= Hamilton |first=James |title = Faraday: The Life |year = 2002 |place = London |publisher = Harper Collins |isbn = 0-00-716376-2}}
 
** {{Cite |和書 |title =電気事始めーーマイケル・ファラデーの生涯 |author = J.Hamilton |translator = 佐波正一 |date = 2010 |publisher = 教文館 |isbn = 978-4764266834 |ref = harv }}
 
* {{Citation| last= Hamilton |fisrt=James | title = A Life of Discovery: Michael Faraday, Giant of the Scientific Revolution | year = 2004 | place = New York| publisher = Random House | isbn = 1-4000-6016-8 }}
 
* {{Citation|last= Hirshfeld |first=Alan W. |title = The Electric Life of Michael Faraday |year = 2006 |publisher = Walker and Company |isbn = 978-0802714701 }}
 
* {{Citation|last=Thompson |first=Silvanus |title = Michael Faraday, His Life and Work |year = 1901 |publisher = Cassell and Company |place = London |isbn = 1-4179-7036-7 | url = http://books.google.com/?id=HKf5g3qYYz8C&printsec=frontcover&dq=Silvanus+Thompson+faraday }}
 
* {{Citation|last=Tyndall |first=John |title = Faraday as a Discoverer |year = 1868 |publisher = Longmans, Green, and Company |place= London | edition = |url = http://www.archive.org/details/faradayasdiscove00tyndrich}}
 
* {{Citation|fisrt= Williams, L. |last=Pearce |title = Michael Faraday: A Biography |year = 1965 |publisher = Basic Books |place = New York }}
 
* The British Electrical and Allied Manufacturers Association (1931). ''Faraday''. R. & R. Clark, Ltd., Edinburgh, 1931.
 
* {{Citation|last= Agassi |first=Joseph |title = Faraday as a Natural Philosopher |year = 1971 |publisher = [[シカゴ大学出版局|University of Chicago Press]] | place = Chicago | isbn = }}
 
* {{Citation|last= Ames |first=Joseph Sweetman (Ed.) |title = The Discovery of Induced Electric Currents |volume = 2 |year = c1900 |publisher = American Book Company |place = New York | isbn = }}
 
* {{Citation|last= Gooding |first=David (Ed.) |title = Faraday Rediscovered: Essays on the Life and Work of Michael Faraday, 1791-1867 |year = 1985 |publisher = Macmillan/Stockton |place = London/New York | isbn = }}
 
* {{Citation|last= Thomas |first=John Meurig |title = Michael Faraday and the Royal Institution: The Genius of Man and Place |year = 1991 | publisher = Hilger|place = Bristol |isbn = 0-7503-0145-7}}
 
** {{Cite |和書 |title =マイケル・ファラデー 天才科学者の軌跡 |author = J.M.Thomas |translator = 千原秀昭・黒田玲子 |date = 1994 |publisher = 東京化学同人 |isbn = 978-4807912636 |series = 科学のとびら 23  |ref = harv }}
 
* {{Citation|last=Russell |first= Colin A. (Ed. Owen Gingerich)  |title = Michael Faraday: Physics and Faith (Oxford Portraits in Science Series) |year = 2000 |publisher = [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]] |place = New York |isbn = 0-19-511763-8}}
 
** {{Cite |和書 |title =マイケル・ファラデー――科学をすべての人に|author = Colin A.Russell (Ed. Owen Gingerich) |translator = 須田康子 |date = 2007 |publisher = 大月書店 |isbn = 978-4272440467 |series = オックスフォード科学の肖像 |ref = harv }}
 
== 関連項目 ==
 
* [[電磁誘導]]
 
* [[ファラデーの電磁誘導の法則]]
 
* [[ファラデーの電気分解の法則]]
 
* [[ファラデー定数]]
 
* [[ファラデー効果]]
 
* [[ファラデーケージ]]
 
* [[ファラド]]
 
* [[電気力線]]
 
* [[ゼーマン効果]]
 
* [[場]]
 
* [[ハンス・クリスティアン・エルステッド]]
 
* [[ジェームズ・クラーク・マクスウェル]]
 
* [[マクスウェルの方程式]]
 
== 外部リンク ==
 
{{wikisource author|Michael Faraday}}
 
{{Commons|Michael Faraday}}
 
 
 
=== 伝記 ===
 
* [https://web.archive.org/web/20040312015850/http://www.rigb.org/rimain/heritage/faradaypage.jsp Biography at The Royal Institution of Great Britain]
 
* [http://www.gutenberg.org/etext/1225 Faraday as a Discoverer by John Tyndall, Project Gutenberg] (downloads)
 
* [http://www.asa3.org/ASA/PSCF/1991/PSCF6-91Eichman.html The Christian Character of Michael Faraday]
 
* [http://www-personal.umich.edu/~jbourj/money1.htm Michael Faraday on the British twenty-pound banknote]
 
* [http://www.archive.org/details/lifediscoverieso00crowrich The Life and Discoveries of Michael Faraday] by J. A. Crowther, London: Society for Promoting Christian Knowledge, 1920
 
 
 
=== その他 ===
 
* [http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0859.html 松岡正剛の千夜千冊『ロウソクの科学』マイケル・ファラデー]
 
* [http://journals.lww.com/anesthesiology/Abstract/1992/10000/Michael_Faraday_and_His_Contribution_to_Anesthesia.27.aspx Michael Faraday and His Contribution to Anesthesia] - 麻酔剤としてのエーテルの発表(1818年)
 
* [http://www.magnet.fsu.edu/education/tutorials/java/faradaymotor/index.html Interactive Java Tutorial on Faraday's 1821 Motor] National High Magnetic Field Laboratory
 
* [http://www.magnet.fsu.edu/education/tutorials/java/faradaypail/index.html Interactive Java Tutorial on Faraday's Ice Pail Experiment] National High Magnetic Field Laboratory
 
* [https://web.archive.org/web/20130605011924/http://www.1911encyclopedia.org/Michael_Faraday "Faraday"] at LoveToKnow 1911 Britannica Online Encyclopedia
 
* {{gutenberg author | id=Michael_Faraday | name=Michael Faraday}} (downloads)
 
* {{青空文庫|001234|46340|新字新仮名|ファラデーの伝 電気学の泰斗}}([[愛知敬一]]著)
 
 
 
{{Normdaten}}
 
 
{{デフォルトソート:ふあらてえ まいける}}
 
{{デフォルトソート:ふあらてえ まいける}}
 
[[Category:イギリスの物理学者]]
 
[[Category:イギリスの物理学者]]

2019/4/27/ (土) 08:50時点における最新版

マイケル・ファラデー(Michael Faraday, 1791年9月22日 - 1867年8月25日

イギリスの化学者,物理学者。 1812年王立研究所での H.デービーの講演を聞いたことを機縁に翌年その助手となった。 H.エルステッドの電流の磁気作用の発見を伝え聞いて,それが電流のまわりの円周に沿って生じる力のためであることを見抜き,それに基づいて電動機の原理を明らかにした (1821) 。ロイヤル・ソサエティ会員 (24) 。財政難の王立研究所を救うために 25年から始めた毎週金曜の講演は大いに好評を博した。二酸化炭素,硫化水素,塩素などの液化 (23) ,ベンゼンの発見 (25) ,鉛ガラスの研究など化学の業績を上げたのち,電磁気学の研究に没頭し,31年電磁誘導現象を発見,33年にファラデーの電気分解の法則を導いた。 37年静電誘導を,38年グロー放電のファラデー暗部を,45年ファラデー効果と反磁性物質をそれぞれ発見。電磁気作用が媒質空間を通して伝達されるとして「力線」の概念を提唱し,J.マクスウェルの電磁気理論の基礎を築いた。



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