三陸沖北部地震

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地震調査委員会による分類の地図。三陸沖北部地震は日本海溝の北端、岩手県北部沖から青森県東方沖までを震源域として発生する。

三陸沖北部地震(さんりくおきほくぶじしん)とは、日本海溝震源域とする地震のうち、概ね岩手県宮古市田老沖から北、千島海溝接続部までを震源域とする地震。過去に十勝沖地震と命名された地震や、八戸沖地震と呼ばれるものも含む。地震の規模はM8.0前後と推定され、1677年1763年1856年1968年17世紀以降4回発生したと考えられる。このほか、三陸沖北部ではM7.1〜M7.6程度の一回り小さい地震が場所を問わず何度か発生している。

発生要因

日本海溝では北アメリカプレートに対して太平洋プレートが北西に沈み込んでいる。三陸沖北部地震は、このプレートの沈み込みによって引き起こされる海溝型地震の一つである。 地震調査委員会は日本海溝海域を「三陸沖北部」「三陸沖中部」「宮城県沖」「三陸沖南部海溝寄り」「福島県沖」「茨城県沖」「房総沖」「三陸沖北部から房総沖の海溝寄り」と分類を行い、地震の予測に対する評価を行っている。

三陸沖北部のアスペリティ

1968年、1989年、1994年に発生した地震(三陸はるか沖地震も含む)により破壊された領域を詳細に分析した結果、"A","B","C"3つのアスペリティがあり、1968年の地震ではABC の全てが破壊、1989年の地震ではCのみが破壊、1994年の地震ではBのみが破壊されていた[1]

主な地震

1968年の地震は十勝沖地震と命名されたものの震源域は十勝沖とは異なり、青森県東方沖(三陸沖北部)を震源として発生している。また、1677年1763年1856年に発生した八戸の地震もこれに類似するものと推定されている。

以下の発震日時は日本標準時、括弧内はグレゴリオ暦に基づく。

1677年

延宝5年3月12日戌刻(1677年 4月13日20時頃)発生。M 8.0、震央は東経142度00分北緯35.5度 東経142.0度35.5; 142.0[2]。『延宝日記』、『八戸藩史稿』、『三陸沿岸海嘯史』などに記録がある[3]八戸盛岡で家屋破損の被害があった。三陸海岸に津波があり、波高3-5mで宮古で35戸の家屋流失があった[4]

約7ヶ月後の延宝5年10月9日(1677年11月4日)には房総沖でも大地震が、約1年半後の延宝6年8月17日1678年10月2日)には陸中・出羽で地震が発生した[2]

1763年

宝暦12年12月16日申刻(1763年1月29日16時頃)発生。M 7.4、震央は東経142度18分北緯41.0度 東経142.3度41.0; 142.3[2]。『宝暦年中八戸御領大地震并洪水略記』、『八戸藩史稿』などに記録がある。 八戸で大橋が落下、種市で堤防や橋が破損した。函館でも強く感じ、佐渡江戸でも有感であった。津波は八戸・久慈で4-5m。

地震活動は活発な状態が続き、宝暦13年1月27日(1763年3月11日)の余震(M 7.3)は八戸では本震より多くの家が倒壊し、津波もあった[4]。また、この余震の4日後の2月1日3月15日)にもM 7.0程度の余震が発生し、八戸で城の塀が倒れるなどの被害が発生した[2]

1856年

安政3年7月23日午刻(1856年8月23日12時頃)発生。M 7.5、震央は東経142度18分北緯41.0度 東経142.3度41.0; 142.3[2]。『時風録』などに記録がある。 7月19日に3回、20日に2回、23日に3回の前震があった。八戸で家屋倒壊の被害があり、三戸五戸七戸野辺地田名部青森でも潰家があった。

津波が北海道から三陸海岸を襲い、波高は野田6m、大槌5m、田の浜17(5.1m)、小本12-15尺(3.6-4.5m)、綾里5-10尺(1.5-3m)であった。

八戸宮古で家屋が流失、函館で浸水、浦河では船が沈没した。

この地震の約2年前の安政元年7月5日1854年8月28日)にM 6.5程度の地震が発生し、八戸と三戸で被害が発生していた。また、2年後の安政5年5月28日1858年7月8日)にM 7.3程度の地震が発生し、八戸と三戸で被害が発生している[2]

1968年(昭和43年)

1968年十勝沖地震
昭和43年十勝沖地震
三陸沖北部地震の位置
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1968年(昭和43年)5月16日
発生時刻 09時48分53秒(JST
震央 日本の旗 日本 青森県東方沖
北緯40度44分
東経143度35分(地図
規模    気象庁マグニチュード(Mjma)7.9
最大震度    震度5:北海道 函館市など
津波 あり
地震の種類 海溝型地震
被害
死傷者数 死者:52人 負傷者:330人
被害地域 北海道 青森県
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
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概要

1968年十勝沖地震と命名されたが[5]、この地震の発生メカニズムはいわゆる“十勝沖地震”とは異なり、地震調査研究推進本部の分類における「三陸沖北部地震」に該当する。

破壊開始点はアスペリティより離れた海溝よりの場所にある[1]。震源は1994年に発生した三陸はるか沖地震の北東にあたり、本来であれば『三陸沖地震(または三陸はるか沖地震)』と命名されるべきものだった。しかし、速報値の計算の際に震央が本来の位置より約50kmほど北に計算され、津波警報の発令など緊急を要する各方面からの要望により早急に地震の名称を決める必要に迫られた為、震源を十勝沖として発表した事から『十勝沖地震』と命名されたものである。また、S波の験測が困難で有ったため、深さが求められず 0km とされた[6]

本震
  • 発生:1968年(昭和43年)5月16日午前9時48分53秒(日本時間)
  • 震源:青森県東方沖(北海道襟裳岬南南東沖120km)北緯40度44分、東経143度35分、深さ0km
  • 地震の規模:Mjma 7.9(Mw 8.2)
各地の震度
震度 都道府県 市区町村
5 北海道 函館市 苫小牧市 浦河町 広尾町
青森県 青森市 八戸市 むつ市
岩手県 盛岡市
4 北海道 札幌市中央区 森町 江差町 小樽市 倶知安町 寿都町 滝川通報所 岩見沢市 旭川市 北見通報所 室蘭市 日高門別通報所 糠平通報所 帯広市 本別通報所 釧路市 根室市
岩手県 宮古市 大船渡市 水沢観測所
宮城県 石巻市
秋田県 秋田市
山形県 酒田市
福島県 福島市 白河市 いわき市
茨城県 石岡市

翌日5月17日のデーリー東北朝刊[7]、青森県の防災ホームページ内の情報[6]、同年6月5日発行された毎日新聞社『毎日グラフ増刊』によると当初苫小牧で震度6が最大震度と発表されたが、後に震度5に変更されている。

被害

北海道から東北北部で揺れや津波の被害があり、52人が死亡、330人が重軽傷を負った。また住宅被害は全壊673棟、半壊3,004棟、一部損壊15,697棟にのぼった。特に青森県は、死者・行方不明者48名、建物全壊646棟、半壊2,885棟、一部損壊14,705棟と被害が集中し、青森市や、八戸市十和田市むつ市三沢市をはじめとする県東部に大きな被害をもたらした。

青森県内の被害が大きかった地域では、前日まで3日間の総雨量が100 - 200mmに及んでいたことから、地盤の含水量の増加が原因とみられる地すべり・山崩れ・がけ崩れ等の地盤崩壊が24箇所で発生しており、名川町立剣吉中学校では、本震発生後の避難中に、生徒約40名が校舎裏の山崩れに巻き込まれて生徒4名が犠牲となるなど、青森県内の死者・行方不明者のうち33名が土砂災害によるものであった。また、むつ市早掛沼では堤防が決壊・流出し、周辺が冠水したのをはじめ、主に盛土構造の崩壊とみられる道路損壊375箇所、鉄軌道被害34箇所、堤防決壊34箇所が青森県内で発生した。

津波は同10時20分ごろから三陸沿岸を中心に襲来し、三陸沿岸の一部で3 - 5m、襟裳岬で3mを記録した。これにより、建物浸水529棟、船舶沈没・流出127隻の被害が発生、八戸港内ではタンカー損傷による燃料流出事故も生じたが、干潮時だったことが幸いし、また、昭和三陸地震チリ地震の津波を教訓とした施設整備等もあって、被害はそれほど大きくならなかった。

この地震により、十和田湖名勝であった蝋燭岩が倒壊したり、北海道樺戸郡新十津川町花月小学校のブロック製の煙突が途中で折れて落下した。また南部鉄道が廃止に追い込まれることとなったほか、函館大学三沢商業高等学校八戸東高等学校八戸工業高等専門学校、むつ市役所庁舎の倒壊(圧壊)をはじめ昭和30年代後半から建てられ始めた比較的新しい鉄筋コンクリート造公共建築物の被害が目立った。この地震を契機に、1971年には「建築基準法施行令」の改正及び「日本建築学会鉄筋コンクリート構造計算規準」の改定がなされている。

また、激震で本州と北海道を結ぶ海底ケーブルが切断され通信が途絶。北海道は一時孤立状態になった。また放送用のマイクロウェーブ回線(中継回線)も青森県で途切れ、北海道のに東京や大阪からビデオテープ空輸される事態となった。これを教訓に災害応急復旧用無線電話孤立防止用無線が開発配備されている。

この地震の影響により、5月19日秋田県田沢湖町(現:仙北市)の田沢湖畔で行われる予定だった『全国植樹祭』への天皇皇后両陛下のご臨席が取りやめとなった。[8]

余震域の拡大

5月16日の地震
青森県東方沖地震
三陸沖北部地震の位置
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1968年(昭和43年)5月16日
発生時刻 19時39分01秒(JST
震央 日本の旗 日本 青森県東方沖
北緯41度25分
東経142度51分(地図
規模    気象庁マグニチュード(Mjma)7.5
最大震度    震度5:北海道 浦河町 広尾町
津波 あり
地震の種類 プレート内地震
出典:特に注記がない場合は気象庁地震調査研究推進本部[9]による。
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余震は初め、本震のほぼ南側に集中していたが、本震と同日の午後7時39分01秒(日本時間)に本震の北西約100kmの青森県東方沖で最大余震が発生した。この余震で津波を観測したほか、これに伴って最大余震の周辺の直径約60kmの領域でも余震活動が活発化した。この余震は低角逆断層型のプレート間地震ではなく正断層型であり[9][10]、宇津(1999)は通常の余震とするには規模が大きいことから青森県東方沖の地震としている[9]2013年地震調査委員会の報告ではこの地震を余震としたものの、三陸沖北部のプレート間地震ではないと判断した[9]。また、この最大余震の余震と思われる地震が発生したことで一時的に余震が増加したものの、全体として余震活動は低下していた[11]

最大余震
  • 発生:1968年(昭和43年)5月16日午後7時39分01秒(日本時間)
  • 震源:青森県東方沖 北緯41度25分、東経142度51分、深さ40km
  • 地震の規模:Mjma 7.5, Mw 7.9
各地の震度
震度 都道府県 市区町村
5 北海道 浦河町 広尾町
4 北海道 函館市 森町 倶知安町 旭川市 苫小牧市 糠平通報所 帯広市 本別通報所 釧路市
青森県 青森市 八戸市 むつ市
岩手県 大船渡市 盛岡市
秋田県 秋田市
福島県 福島市 いわき市


6月12日の地震
三陸沖地震
三陸沖北部地震の位置
地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日 1968年(昭和43年)6月12日
発生時刻 22時41分42秒(JST
震央 日本の旗 日本 三陸沖
北緯39度25分
東経143度8分(地図
規模    気象庁マグニチュード(Mjma)7.2
最大震度    震度4:青森県 岩手県 宮城県
津波 あり
出典:特に注記がない場合は気象庁地震調査研究推進本部[9]による。
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その後、6月12日に本震の震源の南方、岩手県沖約100kmの三陸沖でM7.2の地震が発生した。この地震で津波を観測し、この地震を含めた直径約50kmの領域に余震が集中的に発生した。この領域ではこれまで本震や最大余震に伴う余震は発生しておらず、これらの余震によって余震域は南方に拡大した[11]。なお、この余震のアスペリティは本震によって破壊されたアスペリティの南側に隣接しており[12]、三陸沖北部の領域が破壊されたものではない[9]

余震
  • 発生:1968年(昭和43年)6月12日午後10時41分42秒(日本時間)
  • 震源:三陸沖 北緯39度25分、東経143度8.0分、深さ0km
  • 地震の規模:Mjma 7.2, Mw 7.0
各地の震度
震度 都道府県 市区町村
4
青森県 青森市 八戸市 むつ市
岩手県 宮古市 盛岡市
宮城県 仙台市宮城野区


発震機構の変化

中島(1974)によると、1963年以前、十勝沖地震の余震域では横ずれ型縦ずれ型、その両方を含んだ型など発震機構が混在し余震域全体ではまとまった傾向が見られなかったが、1964年以降本震と同様な逆断層型の地震が多くなり始めた。本震や余震の発震機構を調べると、下北半島東方沖以北の正断層型の最大余震と様々な断層型が集まったN領域、宮古沖から八戸沖までの逆断層型が散在するC領域、釜石沖の逆断層型の6月12日の余震と様々な断層型の余震が集まったS地域の3つに直線的に分けられるとしている[10]

繰り返し発生する地震以外の地震

ここでは三陸沖北部を震源とするもののうち、繰り返し発生する地震に分類されないものを扱う。三陸沖北部の南半分の領域を含む北緯39度〜40度、東経143度〜144度の領域ではたびたびM6〜7程度を最大とする群発地震活動が発生し、津波を観測することがある[13]

1901年(明治34年)

1901年(明治34年)8月9日にM 7.2、翌8月10日にM 7.4の地震が発生した。八戸群発地震とも呼ばれる[14]。被害は一括して記載されている資料が多い。二つの地震で合わせて死傷者18人、住家全壊8棟の被害を出した[15]。この地震から約5ヶ月半後の翌年1月30日にもM 7.0の地震が発生している。

8月9日の地震

M 7.2 震央は東経142度30分北緯40.5度 東経142.5度40.5; 142.5青森県東方沖で、青森県三戸郡での被害が大きかった。宮古近海で60cm程度の津波を観測。

8月10日の地震

M 7.4、震央は東経141度18分北緯40.5度 東経141.3度40.5; 141.3の青森県東方沖で、八戸から青森にかけて津波を含め被害があった。

1902年1月30日の地震

M7.0、震央は東経142度18分北緯40.6度 東経142.3度40.6; 142.3の青森県東部で、三戸・七戸・八戸などで全潰家屋3棟、死者1人[2]

1928年(昭和3年)

1928年(昭和3年)5月27日18時50分24秒に発生。震央は東経142度58.3分北緯40.0617度 東経142.9717度40.0617; 142.9717の岩手県沖で、気象庁発表のMjma 7.0の地震。地震調査研究推進本部ではM7.1〜7.6の地震を評価対象としており[15][注 1]、この地震は評価対象に加わっていない。

青森県岩手県で最大震度4を観測した。この地震の当日に震央の南東でM 5.0、M 5.3の地震が発生していたほか、活発な地震活動は6月2日頃まで続いた。6月1日に三陸沖で発生したM 6.6の地震では本震よりも強い最大震度5が岩手県宮古市で観測されている[16]

震度3以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 市区町村
4 青森県 青森市
岩手県 宮古市 盛岡市
3 北海道 函館市
宮城県 石巻市
秋田県 秋田市


1931年(昭和6年)

1931年(昭和6年)3月9日12時48分42秒に発生。震央は東経143度19.8分北緯40.155度 東経143.33度40.155; 143.33の三陸沖。Mは文献によって異なり、宇佐美(1998)、渡辺(1999)、宇津(1999)ではM 7.6、気象庁、2013年の地震調査委員会の報告ではMjma 7.2となっている[15]

北海道青森県岩手県で最大震度4を観測した。八戸市で壁の剥落等の被害があり、函館、青森でも被害があった。八戸で全振幅39cmの津波を観測した[15]

震度3以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 市区町村
4 北海道 函館市 室蘭市
青森県 青森市
岩手県 宮古市 盛岡市
3 北海道 旭川市 浦河町 釧路市
岩手県 水沢観測所
宮城県 仙台市宮城野区 石巻市
秋田県 秋田市
山形県 山形市
福島県 福島市 いわき市


1935年(昭和10年)

1935年(昭和10年)10月18日9時11分49秒に発生。震央は東経144度22.2分北緯40.3217度 東経144.37度40.3217; 144.37の三陸沖で、Mjma 7.1(Mt 7.3[15])の地震。

北海道、青森県、岩手県で最大震度3を観測した。八戸で全振幅20cmの津波を観測した[15]

この地震では10月13日にM6.9、最大震度3の地震が発生して以降、群発地震活動となりM5以上の地震が多発していた。有感地震は10月19日には落ち着いた。

震度3以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 市区町村
3 北海道 函館市
青森県 青森市
岩手県 宮古市 盛岡市 水沢観測所


1943年(昭和18年)

1943年(昭和18年)6月13日14時11分41秒に発生。震央は東経142度49.5分北緯40.9933度 東経142.825度40.9933; 142.825の青森県東方沖で、Mjma 7.1(Mt 7.3〜7.5[15])の地震。

北海道、青森県で最大震度4を観測した。八戸で全振幅60cm、宮古で全振幅13cmの津波を観測した[15]

震度3以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 市区町村
4 北海道 苫小牧市 浦河町
青森県 青森市 八戸市
3 北海道 函館市 岩見沢市 浦河町 帯広市
岩手県 宮古市 盛岡市 水沢観測所
秋田県 秋田市


1945年(昭和20年)

1945年(昭和20年)2月10日15時38分0秒に発生。震央は東経142度22.5分北緯40.9467度 東経142.375度40.9467; 142.375の青森県東方沖で、Mjma 7.1(Mt 7.0[15])の地震。

八戸市で最大震度5を観測した。八戸、小中野、三田町方面で微小被害があり、死者2人、家屋倒壊2棟の被害を出した。八戸で全振幅35cmの津波を観測した[15]

震度4以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 震度観測点
5 青森県 八戸市
4 北海道 浦河町
青森県 青森市
岩手県 盛岡市


1960年(昭和35年)

1960年(昭和35年)3月21日2時7分27秒に発生。震央は東経143度20.9分北緯39.595度 東経143.3483度39.595; 143.3483の三陸沖で、気象庁発表のMjma 7.2(Mt 7.5[15])の地震。

青森県と岩手県で最大震度4を観測した。八戸市で水道管破裂2ヶ所、八戸駅陸橋の橋脚部欠損、岩手県二戸郡安代町で崖崩れなどの被害があった。このほか、青森県、岩手県、山形県でわずかな被害と地変を生じた。田老で50cm、釜石市両石で60cmの津波を観測した[15]

前日の3月20日には震央の近傍でM5.7、最大震度2の地震が発生していた。

震度3以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 市区町村
4 青森県 青森市 八戸市 むつ市
岩手県 宮古市 盛岡市 雫石通報所 水沢観測所
3 北海道 函館市 岩見沢市 浦河町 帯広市
岩手県 宮古市
宮城県 築館通報所 鳴子通報所 仙台市宮城野区 石巻市
秋田県 秋田市 鷹巣通報所 横手通報所 鎧畑通報所
山形県 酒田市 新庄市
福島県 福島市 郡山通報所


1989(平成元)年

1989年(平成元年)11月2日3時25分33秒に発生。震央は東経143度03.2分北緯39.8583度 東経143.0533度39.8583; 143.0533の三陸沖で、気象庁発表のMjma 7.1(Mt 7.6[15])の地震。

青森県と岩手県で最大震度4を観測し、三沢漁港で壁面の一部落下等の被害があった。北海道から茨城県にかけて津波を観測し、津波の全振幅は久慈で105cm、宮古で92cm、浦河で63cm、八戸で60cm、日立港で66cmなどで、津波高は宮古市で53cmなど[15]

この地震では10月27日頃から群発地震活動となり、M 5.0以上の地震が多発していた。活発な地震活動はM 7.1の地震以降も続いた。

震度3以上を観測した地域は次の通り[16]

震度 都道府県 市区町村
4 青森県 青森市 八戸市
岩手県 大船渡市 盛岡市
3 北海道 函館市 苫小牧市 浦河町 釧路市
岩手県 宮古市
宮城県 仙台市宮城野区 石巻市
山形県 酒田市


1994年(平成6年)

1994年(平成6年)12月28日21時19分20秒に発生。震央は東経143度44.7分北緯40.43度 東経143.745度40.43; 143.745の三陸沖で、気象庁発表のMjma 7.6(Mw 7.8)の地震。

八戸市で最大震度6を観測した。津波の全振幅は久慈で170cm、津波高の最大は宮古市で55cm。被害のほとんどは青森県に集中し、家屋倒壊、死者3人の被害を出した[15]1995年(平成7年)1月7日には北緯40度13.4分、東経142度18.3分の岩手県沖でMjma 7.2の最大余震が発生した。

2011年(平成23年)

2011年(平成23年)3月11日15時8分53秒に発生。震央は東経142度46.0分北緯39.82度 東経142.7667度39.82; 142.7667の岩手県沖で、気象庁発表のMjma 7.4(Mw 7.4)の地震。青森県八戸市、岩手県盛岡市などで最大震度5弱を観測し、北海道から近畿地方にかけての広い範囲で有感となった。

この地震は東北地方太平洋沖地震の余震の一つであり、発震機構解から本震同様にプレート境界型地震であると推定される[17]。断層の大きさは長さ約40km、幅約45kmで、主な滑りは初期破壊開始点(震源)よりも陸側の深い場所にあり、最大の滑り量は約3.9mだった[18]

はっきりとした観測記録は分からないものの、震源位置や深さ、規模、メカニズムから津波が発生したと考えられ、本震による津波の後続波に影響を与えたとみられる[19]

震度4以上の地域は次の通り[16]

震度 都道府県 震度観測点
5弱 青森県 八戸市 七戸町 東北町 五戸町 南部町 階上町 おいらせ町 東通村
岩手県 普代村 盛岡市 二戸市 滝沢村 矢巾町
4 北海道 新千歳空港 函館市 むかわ町 新冠町
青森県 青森市 平内町 つがる市 外ヶ浜町 藤崎町 平川市 十和田市 三沢市 野辺地町 六戸町 横浜町 六ヶ所村 三戸町 田子町 新郷村 むつ市
岩手県 宮古市 久慈市 山田町 田野畑村 野田村 洋野町 大船渡市 雫石町 葛巻町 花巻市 北上市 遠野市 一関市 金ケ崎町 平泉町 西和賀町 奥州市
宮城県 気仙沼市 涌谷町 栗原市 登米市 南三陸町 大崎市 丸森町 松島町
秋田県 井川町 秋田市 由利本荘市 にかほ市 大館市 横手市 美郷町 大仙市
山形県 酒田市 中山町


脚注

注釈

  1. 1945年に青森県東方沖で発生した地震で死者が発生したため。

出典

  1. 1.0 1.1 飯尾能久、松澤暢、吉田真吾、加藤照之、平田直:非地震性すべりの時空間変化と大地震の発生予測地震 第2輯 Vol.56 (2003-2004) No.2 P213-229, JOI:JST.Journalarchive/zisin1948/56.213
  2. 2.0 2.1 2.2 2.3 2.4 2.5 2.6 宇佐美龍夫, 石井寿, 今村隆正, 武村雅之, 松浦律子日本被害地震総覧 599-2012東京大学出版会、2013年。ISBN 978-4-13-060759-9。
  3. 文部省震災予防評議会 『大日本地震史料 増訂』 1940年
  4. 4.0 4.1 宇津徳治嶋悦三吉井敏尅山科健一郎 編 『地震の事典 (第2版)(普及版)朝倉書店、2010年。ISBN 978-4-254-16053-6。
  5. 気象庁が命名した気象及び地震火山現象
  6. 6.0 6.1 十勝沖地震(昭和43年)青森県防災ホームページ青森県
  7. 詳しくは同年6月10日に『デーリー東北新聞社』から発行された『’68十勝沖地震グラフ』を参照
  8. 出典:1968年5月18日付け『河北新報』朝刊1面記事より。
  9. 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)について (PDF) 地震調査研究推進本部 平成24年2月9日
  10. 10.0 10.1 1968年十勝沖地震の前後における発震機構の変化 (PDF) 中島徹
  11. 11.0 11.1 11.1968年十勝沖地震の余震活動 (PDF) 岡田弘、本谷義信
  12. 図47 東北日本の日本海溝沿いにおけるアスペリティ分布(Yamanaka and Kikuchi(2004)) 地震調査研究推進本部 平成24年2月9日
  13. 平成24年10月地震・火山月報(防災編)(気象庁)
  14. 東北日本太平洋側における津波の波源, 羽鳥徳太郎 地震 第2輯 Vol.27 (1974) No.4 P321-337,JOI:JST.Journalarchive/zisin1948/27.321
  15. 15.00 15.01 15.02 15.03 15.04 15.05 15.06 15.07 15.08 15.09 15.10 15.11 15.12 15.13 15.14 三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価(第二版)について (PDF) 地震調査研究推進本部
  16. 16.0 16.1 16.2 16.3 16.4 16.5 16.6 16.7 16.8 気象庁: “震度データベース検索”. . 2014閲覧.
  17. 気象庁技術報告 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震調査報告 第1章 地震 (PDF) (気象庁)
  18. 3月11日岩手県沖の地震-近地強震波形による震源過程解析(暫定)- (PDF) (気象庁)
  19. 気象庁技術報告 平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震調査報告 第2章 津波(気象庁)

関連項目