仕掛人・藤枝梅安
仕掛人・藤枝梅安 | |
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漫画:仕掛人 藤枝梅安 | |
原作・原案など | 池波正太郎 |
作画 | さいとう・たかを |
出版社 | リイド社 |
掲載誌 | コミック乱ツインズ |
巻数 | 既刊35巻 |
テンプレート - ノート |
『仕掛人・藤枝梅安』(しかけにん ふじえだばいあん)は、池波正太郎の娯楽時代小説シリーズ。鍼医者・藤枝梅安の、暗殺稼業「仕掛人」としての活躍を描く。『小説現代』で1972年(昭和47年)から1990年(平成2年)の間に発表した全20篇の連作時代小説であり、『鬼平犯科帳』『剣客商売』と並ぶ著者の代表作である。テレビドラマ化や漫画化もされており、必殺シリーズの翻案元としても知られる。
結果として最終巻となる『梅安冬時雨』の連載中に著者が亡くなったため、未完の絶筆となっている。
Contents
概要
1972年(昭和47年)『小説現代』3月号に掲載された『おんなごろし』から、1990年(平成2年)『小説現代』4月号で作者の死去によって中断するまで連載された連作娯楽時代小説シリーズである。
「仕掛人」と呼ばれる江戸時代の暗殺者の活躍を描くものであるが、この「仕掛人」を主題に据えた作品自体は1971年(昭和46年)に『小説新潮』11月号で発表された短編『殺しの掟』が初出である。後述する『必殺仕掛人』との並行もあって、『殺しの掟』を下敷きに江戸は品川台町に居を構える鍼医者・藤枝梅安を主人公として連載を始めたのが本作である。
内容
江戸は品川台町で評判の診療所を開き、貴賎の別なく治療を施す鍼医者の藤枝梅安は、裏稼業として金で殺しを請け負う仕掛人でもあった。梅安は依頼者より殺しを請け負い仲介する蔓より殺しの依頼を受けると、表稼業の道具でもある鍼を武器に、何の痕跡もなく標的を暗殺していく。
登場人物
- 藤枝梅安
- 主人公。腕の良い鍼医者で、凄腕の仕掛人。
- 彦次郎
- 梅安の親友兼相棒。腕の立つ楊枝職人で仕掛人。
- 小杉十五郎
- 若い剣客。ある一件で梅安や彦次郎と知己の仲となる。
仕掛人の設定
本作では仲介者を経て金の受け渡しをする殺人請負のシステムを「仕掛け」と呼び、それを実行する殺し屋を「仕掛人」と呼ぶ。
依頼は必ず蔓と呼ばれる仲介者を経由しなければならないなど、基本的に以下の順番を経る。
- 起こりと呼ばれる依頼人が蔓に代金と標的、事情を話し、殺しを依頼する
- 蔓はその話の内容から仕事として成り立つかを見極める
- 蔓は難易度や状況など、依頼に合った仕掛人に対して依頼を持ちこむ
- 依頼を受けた仕掛人は前金(半金)を受け取る
- 標的を暗殺する
- 蔓は仕掛人に後金を払う
頼み料は難易度や事情によっても異なるが、梅安の場合では最高で300両、最低で20両。概ねは50両から150両の間で推移していた。この内、半分を蔓が取り、残り半分が仕掛人の報酬となる。ただし、この半分もさらに前金と後金の半分にされ、依頼の達成によって全額が払われる仕組みとなっている[1]。また、仕事を請けて前金を受け取った場合、原則として降りることはできず、死んでもやりとげねばならない。
また、仕掛けの定法として仕掛けに必要なこと以上の情報は仕掛人に伝えないというものがあり、基本的に仕掛人はその依頼の背景や頼み人も知らず[2]、ただ教えられた標的を殺害するだけである。このため、その依頼が妥当かどうかは蔓の信用の高さや、仕掛人と蔓の信頼関係の厚さにより、作中でもしばしばテーマになる。作中に登場して梅安に依頼する蔓は、梅安が理不尽な殺しを嫌うことを前提としており、そのような殺しの依頼はしないか、そもそも引き受けない[3]。このため、蔓が騙して理不尽な殺しをさせようとしたり、調査に手抜かりがあって危うく誤った人物を殺害しそうになるなど、両者の関係を破壊するようなことが発覚した場合、蔓が処断されることもある(『梅安晦日蕎麦』など)。
用語
本作では『鬼平犯科帳』の盗人用語のように、作者の池波による造語が登場する。
- 仕掛け・仕掛人(しかけ・しかけにん)
- 暗殺の隠語。本作では仲介者を経て金の受け渡しをする殺人請負を仕掛けと呼び、これを行う暗殺者を仕掛人と呼ぶ。『おんなごろし』では「仕掛屋」と呼ぶ場合もあると説明されている(作中、使用例無し)。
- 蔓(つる)
- 頼み人(起こり)から殺しの依頼を引き受け、仕掛人との仲介を行う者。その内容だけに香具師の元締や暗黒街の顔役など、大物が務めていることが多く、単に「元締」とも呼ばれることも多い。蔓は頼み金の半金を受け取り、起こりが適切なものであることを保証し、場合によっては仕掛けの準備なども行い、仕掛人をサポートする。
- 起こり(おこり)
- 仕掛けを依頼する人。依頼人の素性や依頼理由は様々である。
時代設定と他の池波作品との関係
本作の時代設定は江戸幕府第11代将軍・徳川家斉の治世下である1799年(寛政11年)から始まり、最終作となる『梅安冬時雨』では1806年(文化3年)となっている。
他の作品と比較すると、田沼時代がメインとなる『剣客商売』(安永6年(1777年)から天明4年(1784年))や、長谷川平蔵が火付盗賊改方長官であった期間である『鬼平犯科帳』(天明7年(1787年)から寛政期(1789年から1801年))のやや後の時代となっている。
共通する人物として秋山小兵衛の親友・牛堀九万之助や金子孫十郎がおり、小杉十五郎は、牛堀九万之助の弟子で、牛掘亡き後の後継者争いに巻き込まれることとなる。『鬼平犯科帳』などで盗人用語として良く知られる作者の造語は本作でもよく用いられ、反対に「仕掛人」や「蔓」といった本作特有の造語も、他作品でしばしば用いられている。『剣客商売』で秋山小兵衛が「仕掛人」について否定的なコメントをするなど、仕掛人自体の存在もおぼろげながら知られている設定になっている。また、両作品と比較すると実在の人物や実在のできごとが引き合いに出されることは少ない。
仕掛人・藤枝梅安シリーズ
- 殺しの四人(短編集) - 1973年(昭和48年)3月刊
- おんなごろし
- 殺しの四人
- 秋風二人旅
- 後は知らない
- 梅安晦日蕎麦
- 梅安蟻地獄(短編集) - 1974年(昭和49年)5月刊
- 春雪仕掛針
- 梅安蟻地獄
- 梅安初時雨
- 闇の大川橋
- 梅安最合傘(短編集) - 1977年(昭和52年)10月刊
- 梅安鰹飯
- 殺気
- 梅安流れ星
- 梅安最合傘
- 梅安迷い箸
- さみだれ梅安
- 梅安針供養(長編) - 1979年(昭和54年)8月刊
- 銀杏落葉
- 白刃
- あかつきの闇
- その夜の手紙
- 地蔵堂の闇
- 寒鯉
- 梅安乱れ雲(短編+長編) - 1983年(昭和58年)5月刊
- 梅安雨隠れ(短編)
- 梅安乱れ雲(長編)
- 寒鴉
- 凶刃
- 東海道の雲
- 瀬戸川団子
- 薬湯と白飴
- 梅安影法師(長編) - 1987年(昭和62年)5月刊
- 殺気の闇
- 三人の仕掛人
- 稲妻
- 春雷
- 逆襲
- 菱屋の黒饅頭
- 梅安冬時雨(長編) - 1990年(平成2年)6月刊
- 鰯雲
- 師走の闇
- 為斎・浅井新之助
- 左の腕
- 襲撃
作者の死去により未完。
テレビ時代劇
必殺仕掛人
時代劇スペシャル 仕掛人・藤枝梅安
タイトルは原作と同じく、中黒「・」を用いる。
- サブタイトルと放送日(2時間枠、全7本)
- 梅安蟻地獄(1982年(昭和57年)1月22日)
- 梅安流れ星(1982年4月16日)
- 梅安迷い箸(1982年10月15日)
- 梅安晦日蕎麦(1983年(昭和58年)1月7日)
- 梅安針供養(1983年4月15日)
- 梅安岐れ道(1983年7月15日)
- 梅安乱れ雲(1983年11月3日)
仕掛人 藤枝梅安(水曜夜8時の時代劇枠)
原作にある中黒「・」は用いない。
- サブタイトルと放送日と視聴率[4](2時間枠、スペシャル2本を含む、全7本)
- (サブタイトル無)(1990年(平成2年)12月26日)(13.9%)
- 壱 梅安二人旅(1991年(平成3年)10月9日)(16.3%)
- 弐 梅安仕掛針(1991年10月16日)(17.3%)
- 参 梅安流れ星(1991年10月23日)(15.2%)
- 四 梅安迷い箸(1991年10月30日)(13.9%)
- 五 さみだれ梅安(1991年11月6日)(15.2%)
- 対決(1993年(平成5年)10月6日)(13.0%)
- フジテレビ系列
- 制作:国際放映
- 企画:能村庸一、香取雍史
- 監修:市川久夫
- プロデューサー:鈴木哲夫、古屋克征
- 監督:杉村六郎、三村晴彦、吉田啓一郎
- 脚本:安倍徹郎、古田求
- 音楽:桜庭伸幸
- 選曲:合田豊
- 殺陣:宇仁貫三
- スタジオ:東宝ビルト、生田スタジオ
- 大道具:ケイエッチケイアート
- MA:東宝サウンドクリエイティブスタジオ
- 現像・テレシネ:ソニーPCL
- 出演
土曜プレミアム『仕掛人 藤枝梅安』
原作にある中黒「・」は用いない。
- 放送日時:2006年(平成18年)11月4日 21:00~22:54
- 原作タイトル:「梅安蟻地獄」「闇の大川橋」
- フジテレビ系列
- 制作:フジテレビ、松竹
- 監督:林徹
- 脚本:田村惠
- 音楽:石田勝範
- 美術監修:西岡善信
- 殺陣:宇仁貫三
- 製作協力:松竹京都映画
- 企画:能村庸一、武田功
- プロデュース:保原賢一郎、足立弘平
- 出演
映画
仕掛人梅安 | |
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監督 | 降旗康男 |
脚本 |
田中陽造 志村正浩 |
製作 |
高岩淡 佐藤雅夫 豊島泉 巽治郎 |
出演者 |
萬屋錦之介 中村嘉葎雄 五代高之 伊丹十三 小川真由美 |
音楽 | 渡辺茂樹 |
撮影 | 宮島義勇 |
編集 | 市田勇 |
製作会社 |
東映 東映太秦映画村 |
配給 | 東映 |
公開 | 1981年4月11日 |
上映時間 | 100分 |
製作国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
1981年公開の日本映画。主演:萬屋錦之介、監督:降旗康男。製作、東映・東映太秦映画村、配給、東映。タイトルは「仕掛人梅安」で、「・藤枝」を省いている。萬屋錦之介、最後の映画主演作(最後の出演映画は、1989年の『千利休 本覺坊遺文』)。併映『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』。
スタッフ
キャスト
- 藤枝梅安:萬屋錦之介
- 彦次郎:中村嘉葎雄
- 小杉十五郎:五代高之
- 近江屋佐兵衛:伊丹十三
- お園:小川真由美
- お咲:真行寺君枝
- おもん:宮下順子
- 安部長門守:中村勘五郎
- 安部主税之助:中尾彬
- 土屋主水:御木本伸介
- 山城屋伊八:柴田侊彦
- 井坂権八郎:岩尾正隆
- 音羽屋半右衛門:藤田進
製作経緯
萬屋錦之介が映画化を希望[5][6]。岡田茂東映社長が、岡田にとっても錦之介にとっても弟分である[7]当時フリーだった沢島忠に「久しぶりに東映で監督しろ」と声をかけていたが[8]、原作者の池波正太郎が、「沢島という監督はしらない。代えてくれ」とクレームを付け、監督は池波の希望する降旗康男に交代した[8][9]。当初は1981年2月公開を予定し[5]、岡田社長は、1981年に原作ものを連打してダッシュを図ろうという目論み[10]、講談社の時代もので一番売れていた池波正太郎の原作を映画化し、出版社と宣伝もガッチリ組んで売り込むというプランを立てていた[10]。また併映作『ちゃんばらグラフィティー 斬る!』と合わせ、6月封切りの大作『魔界転生』との流れで、うまく絡めて売り込めば時代劇への新しい興味を刺激できると期待した[10]。
降旗は東宝の『駅 STATION』が1980年12月のクリスマスイブから北海道札幌でクランクインが決まっていて、制作期間が充分でないことから最初は「ムリ」と断ったが、東映から「『駅 STATION』に入る前に終わらせるようにするから」と説得され引き受けた[9]。しかしホン直しが上手くいかず、東映本社の岡田社長の部屋で、「やめよう」という話になり、降旗が「じゃあ僕は明日から東宝へ行きますので」と部屋を出た。1階降りた企画製作部に寄ると、そこで酒盛りをやっていて一緒に1時間ぐらい飲んでいたら、岡田社長から「ちょっと社長室に来てくれ」と呼び戻され、「どうしてもやらなければならない事情があるから頼むよ」と言われた[9]。1965年の組合騒動と岡田が時代劇映画の製作中止を決めたことで[11][12]、岡田と錦之介は袂を分かったが[12][13][14]、錦之介にとって岡田は育ててくれた恩人で[15]、兄貴分とも叔父貴分ともいえる存在に変わりなかった[15][16]。錦之介が社長を務める『中村プロダクション』に岡田は資金援助もしていた[17]。降旗は「そのまま(企画製作部に)立ち寄らず帰っていたら監督を引き受けてなかったと思う」と話している[9]。
製作発表
1980年11月11日、東映本社8階会議室で、岡田東映社長、池波正太郎、降旗康男、萬屋錦之介、伊丹十三、小川真由美、真行寺君枝らが列席し、製作発表会見が行われた[18]。降旗は「私を選んで貰い、大変光栄だ。西部劇のようなダイナミックなアクションを盛り込んだ痛快なものになれば」と話し、梅安の敵役に扮する伊丹十三は「悪役を演じられるということは俳優として全てのものを発揮できるということで、非常に嬉しい。父も時代劇を撮り続けていたので、私も時代劇に出るからには、面白いものにしたい」と話した[18]。伊丹十三と中村嘉葎雄は降旗が希望したキャスティング[9]。会見の最後に梅安に扮する萬屋錦之介の断髪式が行われ、見事な坊主頭を披露した[18]。
撮影
萬屋錦之介のスケジュールも押し迫り、慌ただしくホン直しや撮影準備に入った。撮影に充てられた日数は20日間程度。キャメラの宮島義勇は錦之介が連れてきたもので[9]、降旗は宮島だと20日で撮影するのは難しいと力説したが、錦之助が強引で、降旗も新人の頃、宮島に世話になっていたため受け入れた。宮島は当時71歳で体も少し弱っていたが、東映の若い撮影・照明スタッフに自身の技術を伝えようと実地授業を行いながら撮影をするため撮影が押した[9]。本作は名キャメラマン・宮島義勇の劇場公開映画としては最後の撮影作品である。12月23日にあと1日撮影が残る状況になったが、宮島が「あとは俺たちで撮るから行けよ」と言うので、降旗は京都から急ぎ札幌に行った[9]。その後降旗は『駅 STATION』のスケジュールを縫って『仕掛人梅安』の音楽録りやダビングを行った。錦之介は撮影前に長崎で舞台をやっていて、降旗は錦之介と1回しか打ち合わせが出来ず、梅安をどのように演出するのかはっきりしないまま撮影に入り、降旗は納得のいかない出来になってしまったと述べている[9]。
興行
岡田東映社長は1981年の東映ラインナップとして、原作ものを連打し、4月に本作『仕掛人梅安』、夏に伊藤左千夫原作・松田聖子主演で『野菊の墓』、秋には徳間康快から提携申し入れがあった勝目梓原作・村川透監督の『獣たちの熱い眠り』、同じ秋に1981年初めに既に研究準備中だった宮尾登美子原作・五社英雄監督の『鬼龍院花子の生涯』を並べたいというプランを述べていた[10]。
エピソード
- 降旗は本来、受けるつもりのなかった本作の監督を引き受けたため、『駅 STATION』の準備がほとんど出来なかった[19]。このため『駅 STATION』の撮影・木村大作が降旗に「俺の位置を聞かせて下さい」と聞いたら、当時の読売ジャイアンツの藤田元司監督、王貞治助監督、牧野茂ヘッドコーチによる「トロイカ体制」を倣い、降旗が「王助監督でお願いします」と答え、「分かりました」と木村がロケハンなど前準備を全部して『駅 STATION』クランクインから即、撮影に入れた。『駅 STATION』は、降旗と木村の打ち合わせはほぼなしで、木村が「このシーンはここで撮ります」と言ってどんどん現場を進めていき、降旗はずっと後ろから見ている状態で、以降のコンビ作品もこの感じの撮影方法だという[19]。
備考
- 本作の劇中音楽は全て渡辺茂樹の手に依るものだが、後にこの劇中音楽のほとんどが、やはり渡辺茂樹が劇中音楽を手掛けていた『影の軍団II』以降の『影の軍団』シリーズ全作に流用される形で使用されている(最終作の『幕末編』まで)。
劇画
2001年、リイド社の漫画誌「増刊コミック乱」7月号(創刊号)にて、さいとう・たかを作画、北鏡太脚色のもと連載開始。タイトルは「仕掛人 藤枝梅安」で、原作にある中黒「・」は用いない。連載開始当初は1回80ページ。同誌上で16話連載後、2003年「増刊コミック乱」が「コミック乱ツインズ」と改称して改めて創刊、本作も第17話から同誌に掲載され、以後「コミック乱ツインズ」の看板作品として度々巻頭カラーを飾り、2015年1月号まで連載された。全142話。前後編の挿話が11話、三部作が1話あるため、連載回数は計155回(連載末期には1回40ページとなっていた)。単行本もリイド社発行(「SPコミックス」レーベル)で、2016年(平成28年)8月時点で第35巻まで刊行されている。中心人物の一人である小杉十五郎が松平定信に召抱えられるなど、池波原作と比較して、内容には独自改変も加えられている。
掲載誌の看板作品として、池波の原作全てを劇画化した後も連載が続き、「原案・池波正太郎」と明記の上で、脚本家によるオリジナルストーリーを劇画化する形式に移行した。
脚色は長く北が一手に執筆してきたが、単行本第26巻収録話以降、山田誠二が加わり、更に會川昇(第27巻収録話より)、粕谷秀夫(第34巻収録話より)も加入、連載末期には北を中心に(26巻以降、最新35巻まで毎巻担当話を掲載しているのは北のみ)4人の脚本家がいた。
単行本の他、約2か月ごとに、掲載誌の増刊として、掲載誌と同じB5判で“雑誌判総集編”も発行(1号に5~6話収録)、また不定期にコンビニコミック(「SPコミックスポケットワイド」レーベル)も多数発行されている。
近年のさいとうの執筆活動は、本作と『ゴルゴ13』『鬼平犯科帳』3作の長期連載を柱としていたが、結局本作が3作の中で最初に連載を終了することになった。連載終了の経緯としては、さいとうの信頼が厚かったチーフアシスタントの石川フミヤスが2014年11月に死去したことが一因となって、さいとうの作業量が直後から増加し、さいとうの高齢による体力的な負担等から、3作品連載の同時進行は困難となっていた。そのため本作を2015年2月から休載することになり、掲載誌同年3月号で読者に長期休載が告知された。休載告知時には、作者の負担軽減のための休載であり近日中に連載を再開する意向が記されていたが、約1年の休載を経て、2016年4月号にて、作者の体力的な限界から連載再開を断念、正式に連載を終了することが告知された(告知文ではさいとうによる文章で「『梅安』は僕にとって大事な作品」とも記されている)。連載終了時点で単行本に収録されたのは2014年11月号掲載分までで、同年12月号、15年1月号に掲載された最終掲載分2話は単行本には未収録のままだが、SPコミックスポケットワイド『仕掛人 藤枝梅安 梅安無惨針』(2016年8月29日発売)に収録された。
「コミック乱ツインズ」での連載については、さいとう版の連載終了告知直後の2016年5月号にて、作画担当を武村勇治に変更のうえ新たに本作を連載する旨が告知され、同時に本作についてのさいとうと武村との対談記事も掲載された。
そして同年6月号から、正式題名もさいとう版から引き継いだ“武村版・梅安”が正式に連載開始、当該号表紙には“梅安 新生”と銘うたれた。第1話は原作、さいとう版同様に「おんなごろし」。さいとう版では結末までを1話で80ページ一挙に描いたが、武村版は1回のページ数が約半分のため、7月号までの前後編構成となった。さいとう版とは絵柄以外に物語構成に変化を加えている。武村版の作者表示は、漫画・武村勇治/原作・池波正太郎 のみで、脚色者名表示はない。第2話「殺しの四人」も前後編構成にて掲載されている。
アレンジ作品
本作が原作となっており梅安が登場するが、タイトルが異なり、また大きくアレンジされている作品がある。
※梅安役別に示す。
脚注
- ↑ 例えば、頼み料が100両であれば、50両を蔓が受け取り、もう50両を仕掛人に提示する。仕掛人が依頼を受ければ前金として25両を受け取り、依頼完了後に残りの25両を受け取る
- ↑ しかし、標的の身辺調査をしている段階で概ね判る場合が多い。
- ↑ 起こりの動機が不純でも標的が死ぬことが世のためになるならこの限りではない。
- ↑ 「テレビ視聴率季報(関東地区)」ビデオリサーチ。
- ↑ 5.0 5.1 「邦画界トピックス」、『ロードショー』1980年11月号、集英社、 243頁。
- ↑ 「邦画マンスリー 『仕掛人梅安』」、『ロードショー』1981年5月号、集英社、 221頁。
- ↑ 岡田茂 「対談:岡田茂×澤島忠×深作欣二」『悔いなきわが映画人生:東映と、共に歩んだ50年』 財界研究所、2001年、262 - 283。ISBN 4-87932-016-1。「欲望する映画 カツドウ屋、岡田茂の時代 岡田茂さんへー最後の言葉 大恩人を偲ぶ 澤島忠」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、2011年7月上旬号、 56 - 57頁。金澤誠「萬屋錦之介 追悼と再発見 沢島正継監督、萬屋錦之介を語る」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1997年6月上旬号、 111 - 117頁。
- ↑ 8.0 8.1 「萬屋錦之介 追悼と再発見」 『キネマ旬報』1997年6月下旬号、117頁。
- ↑ 9.0 9.1 9.2 9.3 9.4 9.5 9.6 9.7 9.8 「映画『仕掛人梅安』監督 降旗康男インタビュー」、『時代劇マガジン』第14巻、辰巳出版、2006年2月20日、 54-55頁。
- ↑ 10.0 10.1 10.2 10.3 文化通信社編 『映画界のドン 岡田茂の活動屋人生』 ヤマハミュージックメディア、2012年、149-150。ISBN 978-4-636-88519-4。
- ↑ 春日太一 『仁義なき日本沈没 東宝VS.東映の戦後サバイバル』 新潮社、2012年、102–104。ISBN 978-4-10-610459-6。
- ↑ 12.0 12.1 渡邊達人 『私の東映30年』1991年、142-143。
- ↑ 高岩淡 『銀幕おもいで話』 双葉社、2013年、61-62。ISBN 4-5757-14-01-1。編集部「トピック・ジャーナル 地労委へ提訴した"錦之介"組合」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1965年7月上旬号、 42-43頁。井沢淳・日高真也・高橋英一他、編集部「トピック・ジャーナル 考えさせられる錦之介の行動 映画界の動き 東映俳優クラブ組合解散」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1965年9月上旬号、 18、101頁。大黒東洋士「再出発する中村錦之介君へ」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、1965年9月上旬号、 31頁。「吹き荒れる日本映画界の内幕」、『近代映画』1965年9月号、近代映画社、 204-206頁。
- ↑ 由原木七郎「由原木七郎の日本映画スケッチ(82) (秘)エピソードでつづるあの男優この女優 萬屋錦之介 その四 東映"城"との対決」、『週刊明星』、集英社、1979年5月13日号、 168-167頁。加東康一「多難をきわめた映俳協のユニオン化」、『映画情報』、国際情報社、1975年3月号、 63頁。由原木七郎「連載 写真で見るスターの歴史(1) 萬屋錦之介(前)」、『映画情報』、国際情報社、1980年7月号、 39頁。
- ↑ 15.0 15.1 『クロニクル東映:1947-1991』Ⅰ、東映、1992年。
- ↑ 萬屋錦之介 『わが人生(みち) 悔いなくおごりなく』 東京新聞出版局、1995年、206。ISBN 4-8083-0542-9。
- ↑ 『週刊宝石』、光文社、1982年3月27日号、 188-190頁。『週刊新潮』、新潮社、1982年3月11日号、 13頁。
- ↑ 18.0 18.1 18.2 「仕掛人梅安 製作発表」 『キネマ旬報』1980年12月下旬号、216頁。
- ↑ 19.0 19.1 前野裕一「『追憶』特集 木村大作(撮影)インタビュー」、『キネマ旬報』、キネマ旬報社、2017年5月上旬号、 43頁。