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'''国会議事堂'''(こっかいぎじどう)は、[[国会 (日本)|国会]]が開催される[[建物]]。現在の建物は[[1936年]]([[昭和]]11年)に'''帝国議会議事堂'''として建設された。[[東京都]][[千代田区]][[永田町]]一丁目にある。建物は[[線対称|左右対称]]形を成しており、正面に向かって左側に[[衆議院]]、右側に[[参議院]]が配置されている。
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'''国会議事堂'''(こっかいぎじどう)
  
== 歴史 ==
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東京都千代田区永田町にあり,17年の歳月をかけ,1936年 11月に完成した。敷地面積 10万 3000m<sup>2</sup>に建物平面積1万 3358m<sup>2</sup>という威容である。正面右が参議院,左が衆議院となっており,参議院本会議場には,戦前の貴族院の名残から天皇の御座所があり,国会の開会式はここで行なわれる。 1894年の日清戦争に際しては,大本営が置かれた広島に臨時議事堂が開設され,そこで帝国議会が開かれたこともあり,国会は必ずしも議事堂で開かなくてもよいという先例となっている。
[[File:The First Japnese Diet Hall 1890-91.jpg|thumb|right|200px|第一次仮議事堂]]
 
[[File:The Second Japnese Diet Hall 1891-1925.jpg|thumb|right|200px|第二次仮議事堂]]
 
[[File:National Diet Hiroshima Temporary Building (external view).jpg|thumb|200px|広島臨時仮議事堂]]
 
[[File:Japanese Diet Hall Dedication Ceremony.jpg|thumb|right|200px|竣工式 1936年(昭和11年)11月7日]]
 
[[File:Japanese diet outside Kokkaigijido-1946.gif|thumb|200px|戦後の食料難で農場と化した議事堂前広場<br/>1946年(昭和21年)6月]]
 
 
 
現在の国会議事堂は[[1936年]]([[昭和]]11年)に竣工したが、その建設計画は[[明治]]にまで遡る。
 
 
 
[[1881年]](明治14年)[[10月12日]]、[[明治天皇]]から[[国会開設の詔]]が発せられ、[[1890年]](明治23年)を期して「國會」(議会)を開く事が表明された。そして[[1885年]]、(明治18年)に[[内閣 (日本)|内閣]]制度が発足すると議事堂建設の取り組みが始まった。[[1886年]](明治19年)2月、[[内閣]]に臨時建築局が設立され、[[ドイツ帝国]]から[[建築家]]を招聘して[[官庁集中計画]]と[[議事堂]]の[[設計]]が成された。[[1887年]](明治20年)4月の[[閣議]]で、議事堂建築予定地が[[麹町区]]永田町一丁目(現・千代田区永田町一丁目の現在地)に決定されたが、官庁集中計画には多額の経費が必要であり、[[帝国議会]]の開設も切迫していたことから、この計画による議事堂建築は中止された。
 
 
 
こうして、麹町区[[内幸町]]二丁目(現・千代田区[[霞が関]]一丁目、現在の[[経済産業省]]敷地)に仮議事堂が建設された<ref>第一次仮議事堂の設計図2枚は[[2004年]]に発見され、現在は[[昭和女子大学]]で保管されている。この設計図は「国会仮議事堂」と記され、1枚縦約40cm、横約70cm、それぞれ絹布に1階と2階の平面図が黒と赤で描かれている。これによれば、幅約100m、奥行き約40mの建物であった。</ref>。ドイツ人建築家アドルフ・ステヒミューラーおよび臨時建築局技師吉井茂則の設計による第一次仮議事堂は、第1回帝国議会[[召集]]前日の[[1890年]](明治23年)[[11月24日]]に竣工し、[[11月29日]]に[[貴族院 (日本)|貴族院]]議場で開院式が行われ、第1回帝国議会が開会された。[[会期]]中の翌[[1891年]](明治24年)[[1月20日]]未明に[[漏電]]により出火<ref>漏電と断定された当時の電燈会社は、冤罪だと抗議して裁判沙汰となっている。</ref>、仮議事堂は全焼した。このため貴族院議場を[[霞会館|華族会館]](旧[[鹿鳴館]])、後に[[帝国ホテル]]へ移し、[[衆議院]]議場を[[学校法人東京女学館|東京女学館]](旧[[工部大学校]])へ移して[[会期]]を終了した。その後、吉井と[[ドイツ]]人建築家オスカール・チーツェの設計による第二次仮議事堂が昼夜兼行の作業で第一次仮議事堂の跡地に再建され、同年[[10月30日]]に竣工した(第2回帝国議会は[[11月21日]]召集)。
 
 
 
[[1894年]](明治27年)8月には[[日清戦争]]が勃発、[[大本営]]が[[広島大本営|広島]]に移されると、[[広島臨時仮議事堂]]が約半月の突貫工事で広島に建設され、同年[[10月14日]]竣工、翌[[10月15日]]に召集された[[第7回帝国議会]]で使用された。東京以外で帝国議会(国会)が開会された唯一の事例である。
 
 
 
[[日露戦争]]後の[[1906年]](明治39年)には仮議事堂の改修および本格的な議事堂の建設が決まったが、[[大正政変]]により実施は延期された。さらに数年を経た[[1918年]]([[大正]]7年)9月になって新議事堂の[[意匠設計]]が一般公募されることになった。翌[[1919年]](大正8年)2月、応募作品118通中、一次選考・二次選考を通過した4図案の中から、[[宮内省]]技手の渡辺福三案(実際には宮内省[[内匠寮]]有志による案)が1等に選ばれた<ref>1等賞金は1万円であった。なお、3等1席の[[永山美樹]]案も宮内省内匠寮有志の案である。</ref>。当選案を参考に[[大蔵省]]臨時議院建築局が実際の設計を行い、デザインは大幅に変更された。[[1920年]](大正9年)1月30日に[[原敬]][[内閣総理大臣]]などが参列して、現在地である永田町の高台において[[地鎮祭]]を挙行、新議事堂の建設が始まった。
 
 
 
[[1923年]](大正12年)には[[関東大震災]]に見舞われたが、建設中の新議事堂および第二次仮議事堂は無事だった<ref>ただし、火災により大蔵省が焼失したため、新議事堂の設計図面の大部分と[[構造計算書]]、模型や標本が失われている。</ref>。しかし[[1925年]](大正14年)[[9月18日]]、仮議事堂は改修作業中の作業員の火の不始末から火災を起こして焼失した。このため政府は第三次仮議事堂設置を決め、新議事堂の建設はさらに遅延することになった。仮議事堂は同年12月開会の通常帝国議会に間に合うよう[[9月29日]]に建設着手し、昼夜兼行の突貫工事でわずか3か月で建設され、同年[[12月22日]]に完成した。
 
 
 
新議事堂の完成が近づいた[[1936年]](昭和11年)[[2月26日]]には[[二・二六事件]]が発生、[[大日本帝国陸軍|陸軍]]武装青年将校の一群が永田町一帯を占拠した。29日早朝に武力による鎮圧が決定されると、[[東京湾]][[台場|御台場]]沖には[[大日本帝国海軍|海軍]]の[[軍艦]]40隻が集結、永田町に[[艦砲射撃]]の照準を合わせて反乱軍を威嚇した。
 
 
 
こうした苦難を経て、新議事堂が[[広田弘毅]][[内閣総理大臣]]、[[富田幸次郎|冨田幸次郎]][[衆議院議長]]、[[近衛文麿]][[貴族院議長 (日本)|貴族院議長]]など約2800人の来賓を迎えて竣工式を迎えたのは、着工から実に17年を経た1936年(昭和11年)[[11月7日]]のことだった。
 
 
 
[[第二次世界大戦]]後に[[日本国憲法]]が制定され、帝国議会にかわる国会が国権の最高機関と位置付けられると、国会議事堂はその権威を象徴する施設となった。昭和30年代に入り、周辺の国有地が衆議院および参議院へ移管されるとともに、パレスハイツ(現・[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]庁舎)・ジェファーソンハイツ(現・[[衆議院議長公邸]]および[[参議院議長公邸]])・リンカーンセンター(現・[[国土交通省]]庁舎)等の米軍接収地も返還が決まったため、[[首都高速道路]]の整備と合わせて、国会議事堂の敷地拡張および周辺の区画整理が行われた。現在の議事堂周辺には衆参両院の[[議員会館]]や政党関係の施設が立ち並び、[[日本の政治]]の中枢となっている。
 
 
 
=== 議事堂の一覧 ===
 
* 第一次仮議事堂<ref>『帝國議會議事堂建築の概要』では第一回仮議事堂と表記されている。</ref>(第1回帝国議会)
 
** 1890年(明治23年)11月24日竣功。1891年(明治24年)1月20日焼失。[[木構造 (建築)|木造]]洋風2階建。
 
** 建築面積(附属建物を含む):8469[[平方メートル|m²]]、建築費:23万3868円79銭5厘、装飾費その他:2万1107円12銭1厘<ref name="写真帳">[http://www.ndl.go.jp/scenery/column/national-diet-building.html コラム:議事堂 写真の中の明治・大正 - 国立国会図書館所蔵写真帳から -]、国立国会図書館</ref>
 
* 第二次仮議事堂<ref>『帝國議會議事堂建築の概要』では第二回仮議事堂と表記されている。</ref>(第2回 - 第6回、第8回 - 第50回帝国議会)
 
** 1891年(明治24年)10月30日竣功。1925年(大正14年)9月18日焼失。木造洋風2階建。
 
** 建築面積(附属建物を含む):1万6016m²、建築費:22万9424円10銭2厘、装飾費その他:2万5129円5銭<ref name="写真帳"/>
 
* 広島臨時仮議事堂([[第7回帝国議会]])
 
** 1894年(明治27年)[[10月14日]]竣功。木造板葺洋風[[平屋]]建。1897年(明治30年)までに解体。
 
* 第三次仮議事堂<ref>『帝國議會議事堂建築の概要』では第三回仮議事堂と表記されている。</ref>(第51回 - 第69回帝国議会)
 
** 1925年(大正14年)12月22日竣功。木造洋風2階建。現議事堂の完成に伴い解体。
 
** 建築面積(附属建物を含む):2万839m²、建築費:159万9974円、装飾費その他:48万2969円32銭<ref name="写真帳"/>
 
* 現議事堂(第70回 - 第92回帝国議会、第1回国会 - )
 
** 1936年(昭和11年)11月7日竣功。[[鉄骨鉄筋コンクリート構造|鉄骨鉄筋コンクリート造り]]地上3階(中央部分4階)、地下1階。
 
 
 
=== 国会議事堂と建築家 ===
 
[[File:Japanese Diet Hall Design by Fukuzo Watanabe.jpg|right|thumb|200px|渡辺福三による議事堂図案]]
 
* [[ヘルマン・エンデ]]、[[ヴィルヘルム・ベックマン]] - [[ドイツ]]の建築家。[[官庁集中計画]]の一環で議事堂の設計を行ったが実施されなかった。
 
* [[松崎万長]] - 内閣臨時建築局工事部長を務めた。
 
* 吉井茂則 - 内閣臨時建築局技師。外国人技師とともに第一次・第二次仮議事堂の設計を担当した(その後、[[内務省 (日本)|内務省]]技師、[[逓信省]]技師などを歴任)。
 
* [[妻木頼黄]] - 広島の仮議事堂を設計。日露戦争後に本建築建設の機運が高まり、1910年頃、臨時建築部で本建築の設計案をまとめた。建設が延期になったあと、1913年に官職を辞した。
 
* [[辰野金吾]] - [[東京大学|東京帝国大学]][[教授]]を経て、東京・大阪に[[建築設計事務所]]を開設。[[日本建築学会|建築学会]]会長を長く務めた。1908年に「議院建築の方法に就て」を公表し、議事堂の設計を公募で実施するよう、建築学会を中心に論陣を張った。議事堂の[[建築設計競技]](1918年)では審査員を務め、同年逝去。
 
* [[武田五一]] - 東京帝国大学[[助教授]]、[[京都帝国大学]]教授などを歴任。1908年、議院建築研究のため、[[矢橋賢吉]]とともに欧米を視察。嘱託として議事堂の設計に関わった。建築史家・[[鈴木博之]]は武田が設計した伊藤博文公銅像台座(神戸市)と議事堂ドームのデザインの関連を論じている(講談社現代新書『日本の地霊』など)。
 
* [[矢橋賢吉]] - 大蔵省技師。妻木の跡を継いで、国会議事堂の設計をまとめた中心人物。1927年の上棟式直後に逝去。
 
* [[大熊喜邦]] - 大蔵省技師。[[吉武東里]]とともに実質的な設計に当ったと言われる。矢橋の跡を継ぎ、国会議事堂の建設を進めた。
 
* [[渡辺福三]] - 宮内省内匠寮技手。内匠寮職員有志が議事堂の建築設計競技(1918年)に参加し、渡辺の名で応募した案が1等に当選した。
 
* [[吉武東里]] - 宮内省内匠寮技手。設計競技後に大蔵省技師。大熊とともに実質的な設計に当ったと言われる。
 
* [[下田菊太郎]] - 建築設計競技の結果を批判し、[[帝冠様式|帝冠併合式]]を提案した在野の建築家。
 
 
 
=== 営繕組織 ===
 
* 内閣臨時建築局(1886年 - 1890年、工事部長:松崎万長) 官庁集中計画
 
* 大蔵省臨時建築部(1905年 - 1913年、部長:妻木頼黄) 日露戦争後に設置
 
* 大蔵省臨時議院建築局(1918年 - 1925年、工務部長:矢橋賢吉)
 
* 大蔵省営繕管財局(1925年 - 1943年、工務部長:矢橋賢吉→大熊喜邦)
 
<!---
 
* 大蔵大臣官房営繕課(1943年 - 1946年)
 
* 戦災復興院建築局営繕部(1946年 - 1948年)
 
* 建設省特別建設局営繕部(1948年 - 1949年)
 
* 建設省管理局営繕部(1949年 - 1952年)
 
* 建設省営繕局(1952年 - 1968年)
 
* 建設省大臣官房官庁営繕部(1968年 - 2001年)
 
* 国土交通省大臣官房官庁営繕部(2001年 - )
 
--->
 
 
 
== 構造 ==
 
[[File:Construction of Japanese Diet Hall March 1927.jpg|thumb|right|200px|鉄骨組立中の議事堂<br>1927年(昭和2年)3月]]
 
[[File:Japanese_Diet_Hall_Raising_Ceremony_1927.jpg|thumb|right|200px|[[上棟式]]<br>1927年(昭和2年)4月7日]]
 
[[File:National Diet Building-post.JPG|200px|right|thumb|国会議事堂内のポスト]]
 
 
 
国会議事堂は[[鉄骨鉄筋コンクリート構造|鉄骨鉄筋コンクリート造り]]。中央塔を除く大部分が地上3階建て、中央塔が4階建てで、塔屋最上部まで含めれば9階建てである。また、[[線対称]]の建物である。
 
 
 
長さ27 - 35[[尺]](約8.1 - 約10.6[[メートル|m]])、直径17[[インチ]](43.18[[センチメートル|cm]])の[[コンクリート杭]]を中央塔の下に568本、その他の部分に3738本打ち込み、その上に厚さ1m(中央塔は3m)の[[鉄筋コンクリート]]礎盤を置いて柱を支えている<ref name="大熊">大熊喜邦『帝國議會議事堂の建築を語る』</ref>。
 
 
 
敷地はほぼ長方形で、前方部は広く庭園や車寄せに取られており、衆議院側・参議院側それぞれの後方部には事務局や委員会室などが入居している別館と分館が設置されている。竣工当時は西側を底辺とする三角形状の敷地で、1960年代に現在の大きさに拡張されている(→[http://www.mlit.go.jp/common/000033980.jpg 画像:完成当時の国会議事堂])。
 
 
 
外装は3種類の[[花崗岩]]を使った石積みで、内装には33種類の[[大理石]]、2種類の[[蛇紋岩]]をはじめ、[[沖縄県]][[宮古島]]産[[石灰岩|珊瑚石灰岩]](貝を含む巨石、[[トラバーチン]])、[[かんらん岩|橄欖岩]]、黒髪石、尾立石、[[凝灰岩|日華石]]などが使用されており<ref>『帝国議会議事堂建築報告書』による。</ref><ref>国会の柱などに珊瑚石灰石が使用しているため、[[化石]]([[アンモナイト]]等)を目にすることがある。</ref>、こうした石材は日本全国から取り寄せられた。特に外装に多く使われたのが[[広島県]][[倉橋島]]の桜御影と呼ばれる桜色をした御影石で、<!-- 伊賀竹太郎によって切り出され納入された。この経緯から、-->議事堂に使用されたことから「[[議院石]]」という呼び名もつけられている。また、天皇の休憩室には[[島田市]]産の紅葉石が使用されている。
 
 
 
このように[[建築材料]]や設備の素材のうち、[[郵便ポスト]]、[[ドアノブ]]の[[鍵]](マスターキー)、[[ステンドグラス]]を除き、すべて純国産品<ref>当時日本領だった[[朝鮮]]および[[台湾]]、[[樺太庁|南樺太]]を含む。[[クルミ|胡桃]]や軽量[[モルタル]]用[[石綿|アスベストス]]など一部素材は[[満州国|満洲国]]から輸入されている。</ref>を使用して造られた新議事堂の総工費は、完成当時の金額で2573万5977円にのぼり<ref>現在の貨幣価値で数百億円にあたると試算されている。[[2011年]]8月6日放送の『[[美の巨人たち]]』では、およそ500億円と試算。</ref><ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/goiken_gositumon/faq/a02.html#A04 国会議事堂について] - 参議院ホームページ</ref>、工事従事者は延べ254万人に達した。ちなみに[[アメリカ合衆国]]カトラー社製の郵便ポスト(郵便投函筒)は各階の廊下などにあり、地下の集配所に貯まるようになっている。かつては[[東京中央郵便局]]が、現在は[[銀座郵便局]]が集配に来る。また、途中で[[郵便物]]がつかえてしまった場合は、中にワイヤーが通してあり、それを下から揺することで落として集配する。
 
 
 
=== 竣工時のデータ ===
 
下記の数値は『帝國議會議事堂建築の概要』111 - 119頁を参照した。
 
* 基礎:ペデスタル式コンクリート杭打
 
* 構造:鉄骨鉄筋コンクリート造(壁体は花崗岩張)
 
* 構成:地上3階、地下1階、および中央塔4階(塔屋最上部9階)
 
* 幅(長さ):206.36m(681尺)
 
* 奥行き:88.63m(292.5尺)
 
* 高さ:両翼部 20.91m(69尺)、中央塔 65.45m(216尺)
 
* 敷地面積:6万9245.92[[平方メートル|m²]](2万649.67坪)<!--(現在は10万3001m²)-->
 
* 建築面積:1万2396.75m²(3750坪)<!--(現在は1万3358m²)-->
 
* 延床面積:5万2165.52m²(1万5780坪)<!--(現在は5万3466m²)-->
 
* 主要室数:390室(雑室を含めると449室)
 
* 議席数:貴族院議場<!--(参議院)-->460席(最大635席)、衆議院議場 466席(最大635席)
 
* 傍聴席数:貴族院議場<!--(参議院)-->770席(内記者席92席)、衆議院議場 922席(内記者席90席)
 
* 廊下総延長:4639m(広間280.20m、階段延長1310.20mを含む)
 
* 総重量:10万9000[[トン|t]]
 
** 鉄骨使用量:9810t(本館のみ)
 
** 鉄筋使用量:5522t
 
** 石材使用量:花崗岩2万5500t、大理石2800t、日華石106t
 
** セメント:2万7446.40t
 
** 砂・砂利:7万8572.22[[立方メートル|m³]]
 
** 木材:1万7300[[石 (単位)|石]](24種類)
 
※ [[尺貫法]]で設計されたため、[[メートル法]]に換算すると端数が生じる。
 
 
 
担当した施工者は公開されていない。
 
 
 
=== 修繕作業 ===
 
[[2008年]](平成20年)から[[2009年]](平成21年)にかけて、国会議事堂の竣工以来初めての大規模な修繕が行われている。議事堂外部では、専用洗剤と高圧洗浄で外壁の汚れを落としコーティングを施す作業と、窓ガラスを枠ごと取り換える作業が行われている。建物内では、議場の机の傷みの修復のほか、[[1970年]](昭和45年)以来行われてこなかった全議席の布地の張替えが実施されている。そのほか、[[2010年]](平成22年)5月には衆議院本会議場の議長席後側の階段に手すりが設置された。
 
 
 
== 国会議事堂内の主な施設と附属施設 ==
 
[[File:Japanese_diet_outside.jpg|thumb|right|200px|参議院側から見た国会議事堂]]
 
議事堂内の管理範囲としては、中央部の中央玄関、中央広間、御休所、中央塔が参議院の所管、玄関前庭が衆議院の所管、中央塔4階の[[国立国会図書館国会分館|国会図書館国会分館]]が[[国立国会図書館]]の所管となっている。
 
 
 
=== 中央玄関 ===
 
正門の正面、中央塔部の真下にある玄関。外観は大きな車寄せと開口部が特徴で、[[青銅|ブロンズ]]製の扉は1枚が高さ3.94m、横1.09m、重さ1.125トン。この扉と両院玄関入口扉、内部のブロンズ製建具は、[[東京美術学校 (旧制)|東京美術学校]](現在の[[東京芸術大学]])に依頼して製作された<ref name="大熊"/>。
 
 
 
通常は議事堂の出入りには使用せず、扉は閉め切られているため「あかずの扉」といわれ、[[衆議院総選挙]]後や[[参議院通常選挙]]後に国会議員が初登院するとき、[[天皇]]や外国の[[元首|国家元首]]を議事堂に迎えるときに使用される<ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/gijidou/2.html 国会議事堂案内 中央玄関]、参議院ホームページ</ref>。また特別参観<ref>1997年5月24・25日、2000年12月2日、2007年5月19・20日に実施。</ref>で一般参観者を議事堂内へ入れるときにも使用された。
 
 
 
=== 中央広間 ===
 
中央玄関を入った先、中央塔の真下にある広間は、中央広間と呼ばれている。2階から6階まで吹き抜けになっており、天井は32.62m。[[法隆寺]]五重塔(31.5m)がすっぽり入る高さ。天井はステンドグラスになっており、壁面四隅に日本の春夏秋冬を描いた4枚の[[油絵]]の絵画がある。それぞれ、春の[[吉野山]]、夏の[[十和田湖]]、秋の[[奥日光]]、冬の[[日本アルプス]]をイメージして描いたものである。いずれも著名で高名な画家によるものではなく[[大学生|画学生]]の作品である(→ [http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/images/60sankanphoto18.jpg/$File/60sankanphoto18.jpg 画像:中央広間]<ref name=HOR>[http://www.shugiin.go.jp 衆議院ホームページ]。</ref>)
 
 
 
広間の四隅には、日本の憲政に貢献した[[板垣退助]]・[[大隈重信]]・[[伊藤博文]]の銅像と、像の立っていない空の台座が置かれている<ref>これらは[[大日本帝国憲法]]発布50年を記念して[[1938年]]2月に設置された</ref>。空の台座が存在する理由については諸説あり、誰の銅像を置くか話がまとまらなかったという説、政治は常に未完であることを象徴しているという説、もっと偉大な政治家になれという戒めの意味で空けてあるという説、[[皇居]]にお尻を向けるので避けているという説などがある(→ [http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/images/60hiroma.jpg/$File/60hiroma.jpg 画像:中央広間の三銅像]<ref name=HOR/>)。空の台座の上には、議会召集の日には、[[松]]の大きな[[盆栽]]が置かれる。
 
 
 
=== 中央塔 ===
 
中央塔は高さ65.45mで、竣工当時、日本のビル(塔を除く建築物)としては、それまで最も高かった日本橋[[三越]]本店(塔の旗竿を含めて60.61m)の高さを抜き、[[1964年]]に[[ホテルニューオータニ]]本館(現:ザ・メイン、73m)が完成するまで、日本で最も高い建造物だった<ref>なお、塔を含めると1929年に完成した[[依佐美送信所]]鉄塔(250m)の方が高かったが、人の立ち入りが可能な塔であった初代[[通天閣]]の高さ(64m)は上回っていた。なお1954年に[[名古屋テレビ塔]](180m、90m地点にスカイデッキ設置)が完成したため、同施設一般公開の時点で人の立ち入りが可能な高い建造物日本一ではなくなっている。</ref>。
 
 
 
[[ピラミッド]]型の屋根<!-- 中央塔の屋根は「死」を意味する[[ピラミッド]]をモチーフとしており、建築者の師が嘗て[[伊藤博文]]の墓を作成していたこと等から「国政に与かる者は死をも覚悟して国政に臨め」との意が込められている。また、このピラミッドは同じく近代日本確立に功を奏した[[井伊直弼]]の暗殺現場である[[桜田門]]からの眺めが一番良いように配慮もされている。--><!-- 要出典 -->の中には大広間があり<ref>この大広間で戦後間もなく「進駐軍がダンスパーティーを開いた」という風説が流布したことがあるが、実際にそうした事実はない。[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]は国会議事堂を日本に民主主義を植え付けるための要と位置づけており、そのような場であえてひんしゅくを買うことはしなかった。</ref>、この大広間の中央からは、[[螺旋階段]]が尖塔部最上階の展望室につながっている。四畳間ほどのこの展望室からは、かつては東京を一望のもとに見渡せたというが、この展望室も、大広間も現在では閉鎖されており、普段は管理人以外は国会議員であっても、許可なく立ち入ることができない。
 
 
 
4階部分は[[国立国会図書館国会分館]]になっており、国会関係者は自由に利用することができる。なお、4階部分には[[便所]]がない(天皇が使用する便所の上に便所を造れないため)。
 
 
 
[[2003年]]9月には、この中央塔が[[落雷]]を受けて、塔頂部の御影石が破損、落下して階下のステンドグラスが割れるという被害があった。偶然、便所工事のために居合わせた[[鹿島建設]]の担当者が、会社に救援を要請し、補修工事もそのまま鹿島建設が担当することになった<ref>[http://www.kajima.co.jp/news/digest/feb_2004/site/index-j.htm 国会議事堂本館中央塔屋頂部石材修復工事] - [[鹿島建設]]</ref>。現在は旧状に復している。破損した塔頂部の御影石は、[[東北大学]]と[[富士宮市]]にある[[奇石博物館]]に所蔵されている。
 
 
 
=== 御休所 ===
 
御休所(ごきゅうしょ)は、竣工当時は御便殿(ごびんでん)と呼ばれ、帝国議会の開院式や閉院式といった行事のために議事堂に[[行幸]]した天皇が「御休息」するために造られた。現在は国会の開会式などで議事堂に臨御した天皇が休息する場所として使われている。中央広間から[[レッドカーペット|赤絨毯]]の中央階段<ref>竣工当時は帝室階段と呼ばれた。</ref>を上った先にある。天皇の座る椅子のところのテーブルがL字型なのは、戦前に軍服で来た時に帽子を置いた名残である。天皇はここで衆参両院の[[議長]]、副議長の表敬を受けてから、参議院議場での開会式に臨む。総工費の一割を費やしたとされる部屋の造作は、総[[ヒノキ|檜]]造の本[[漆塗]]、外側の上部の飾り部分は[[徳島県]][[阿南市]]産の不如帰という石を使用するなど材質や装飾は議事堂の中でも特に匠を凝らした華やかなものとなっている。また、[[シャンデリア]]は[[水晶]]でできている。なお、天皇専用のトイレが御休所の斜め前にあり、中には洋式と和式のトイレがそれぞれある<ref>御休所は参議院側に属するので、参議院側からの参観の場合は、廊下から柵ごしに御休所を参観できるが、衆議院側からの参観の場合、参観日や特別参観日によっては廊下の手前に柵が設置され、中までよく見ることができない場合がある。</ref>。天皇は国会に来場する時、皇居より前後を[[白バイ]]、[[パトロールカー|パトカー]]、[[皇宮護衛官]]と[[警視庁]][[日本の警察官|警察官]]の乗車したオープンリムジンに[[警護]]されて往復する。[[衛視]]はこの日に限り、夏は白の礼服、冬は黒の礼服で出迎える。御休所の窓からは、ビルによって視界が遮られる前までは[[富士山]]が見えたという。
 
 
 
国会議事堂の内装の多くは内外木材工藝株式会社<ref>現在の内外テクノス([[大林組]]のグループ企業)</ref>が手がけているが、御便殿の内装は特別な検査に合格した素材を使うなど、特に手間がかけられている<ref>[http://www.naigai-technos.co.jp/jituseki/detail.php?seq=9 国会議事堂 御便殿 | 施工実績] - 株式会社内外テクノス</ref>。
 
 
 
=== 衆議院議場と参議院議場 ===
 
<!--[[File:The Diet.jpg|thumb|right|180px|参議院議場で演説するアメリカの[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ大統領]]]]-->
 
[[File:国会議事堂 衆議院議場-1.jpg|thumb|right|180px|衆議院議場]]
 
[[File:The First Post-war Diet opening ceremony 23 June 1947.jpg|thumb|right|180px|参議院議場<br/>
 
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<small>第一回国会開会式で式辞を読み上げる[[松岡駒吉]]衆議院議長(昭和22年6月23日、参議院議場)</small>]]
 
[[File:Shimeihyo.jpg|thumb|right|180px|昭和11年5月の特別会で使用する、新選良の議員の氏名標を書く作業。]]
 
 
 
一般には「本会議場」と呼ばれる大ホール。各院の2階部分にあり、3階まで吹き抜けとなっている。天井の部分にはステンドグラスがあり、それを通して昼光が通るので本会議中以外は天井の[[蛍光灯]]は点灯させていない。議場の構造はいずれも、議長席・[[演壇]]をかなめとして扇形に広がり、会派ごとに議席が配分されて座る、いわゆる「大陸型」である。
 
 
 
向かって中央奥には議長席があり、その左側には[[事務総長 (国会)|事務総長]]席がある。演壇は議長席前方にあり、その下側には[[速記|国会速記者]]席があって議事録を手書き(→ [http://www.shugiin.go.jp/index.nsf/html/images/60kirokusain.jpg/$File/60kirokusain.jpg 画像:速記の例]<ref name=HOR/>)で速記している<ref>ただし今後、記録部速記士による直営速記制度は廃止され、議事を録音録画したものを議事録に書き起こす作業に変更される予定。</ref>。また、議長席を中心に左右に2列の席が伸びており、前列が[[閣僚]]の座る国務大臣席(このうち最も議長席に近い側の席が内閣総理大臣席)、後列が[[議院事務局|議院事務局職員]]が座る事務局職員席となってある。
 
 
 
議員の議席は会期の始めに議長がこれを定めるが、会期中に必要があれば変更することもできる(衆議院規則第14条第1項、参議院規則第14条第1項)。衆議院では、議席の席順は議長席に向かって左から所属議員の多い順に会派が割り当てられる慣例となっている。つまり議長席から見て右翼席から第1党、第2党……となり、最左翼に無所属議員、という議席配置となる。それに対し、参議院では最大会派は中央の議席、その左右に小会派が位置される<ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/goiken_gositumon/faq/a05.html よくある質問 >本会議について]</ref><ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/san60/s60_shiryou/giseki_kubun.htm 会派別議席割当区分の変遷]</ref>。同一会派内では当選回数の少ない議員ほど議長席に近い前列に、当選回数が多い議員ほど後列に割り当てられている<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/kokkai/sisetu.htm 国会施設案内 - 衆議院]</ref>。各議席には号数が付され、黒地に白色の文字で議員の氏名が記された氏名標が取り付けられている(衆議院規則第14条第2項、参議院規則第14条第2項)。
 
 
 
参議院議場では議長席の後方の階段上に、天皇の席(お席、玉座)があり、開会式に際しては、議長席を分解して式場をセッティングする。帝国議会の開院式は天皇を貴族院議場に迎えて行った名残で、現在でも国会の開会式は天皇を旧貴族院を改組した参議院の議場に迎えて行われており、天皇はこの席で開会の「おことば<ref>「本日第166回国会の開会式に臨み、全国民を代表する皆さんと一堂に会することは、私の深く喜びとするところであります。国会が永年にわたり、国民生活の安定と向上、世界の平和と繁栄のため、たゆみない努力を続けていることを、うれしく思います。ここに、国会が当面する内外の諸問題に対処するに当たり、国権の最高機関としてその使命を十分に果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します。」(第166通常会開会式、2007年1月26日)</ref>」を述べる<ref>なお天皇が国会会期中に衆議院議場の議長席上方の「御座所」に着席したことは、昭和天皇も今上天皇も一度もなく、参議院議場後方の一般傍聴席中央にある「御傍聴席」にも着席したことはないが、[[1997年]][[5月20日]]の参議院創設50周年の式典および[[2010年]][[11月29日]]の議会開設百二十年記念式典の際には、「御傍聴席」におかれている椅子が参議院議長席後方(国会開会式の際に天皇の席が設けられる場所)に置かれ、天皇皇后がそこに座した。また、戦前は貴族院議員であっても、現役の軍人は議席につかないならわしであったので、貴族院時代には皇族も議員の首座として議席を有したが、皇族は陸海軍武官に任じられるため、議席にはつかなかった。</ref>。
 
 
 
本会議場に設置されているマイクは参議院では議長席と演壇のみに置かれているが、衆議院では加えて事務総長席(主に記名投票の結果報告に用いられる)と[[議事進行係]]を務める議員の席にも置かれている。
 
 
 
現在、参議院の議員定数は242だが、参議院議場には460の席がある。それでも衆参両院の議員総数722には足りないので、開会式では通路や後方の空きスペースに立ったまま列席する議員もいる<ref>開会式や外国要人の国会演説のための合同会議のようなセレモニーの際を除いて衆議院議員が参議院議場内に入ることは許されていない。たとえ閣僚であっても、通常の議事が行われている際に衆議院議員や民間人出身の閣僚は参議院議場の国務大臣席から下におりることが許されていない。同様に、参議院議員が衆議院議場内に入ることは許されておらず、参議院議員や民間人出身の閣僚が衆議院議場の国務大臣席から下におりることも許されていない。</ref>。
 
 
 
両議場とも、議員は先例によりジャケットと[[議員バッジ]](2005年からはカード式身分証でも可)の着用がないと入場が許されない。これには一切の例外が認められておらず、かつて[[福田赳夫]]元総理がバッジをつけ忘れて衆議院議場に入ろうとしたところ、衛視に制止されて、あわてて辺りにいた別の議員([[森喜朗]])からバッジを借りて入場したこともある<ref>規定を守って総理を止めたこの衛視は称賛されたという。なお今日では予備のバッジが議事堂内に用意されており、バッジを忘れた議員はこれを借りてつけるか、同僚議員から借りることもある。なお、無くした場合などは事務局から1万500円(衆議院の場合)で購入できる。</ref>。
 
 
 
なお、各院とも議長の許可がない限り、議場での帽子、外套、襟巻、傘、杖などの着用・携帯は禁じられており(衆議院規則第213条、参議院規則第209条)、喫煙も禁じられている(衆議院規則第214条、参議院規則第210条)。また、議事中は参考資料を除いて新聞および書籍等を閲読してはならないことになっている(衆議院規則第215条、参議院規則第211条)。
 
 
 
{{Double image aside|right|衆議院第1委員室.jpg|180|Okinori Kaya at House Budget Committee.jpg|180|衆議院第一委員室<br/>
 
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<small>テレビ中継でお馴染みの衆議院第一予算委員室</small>|戦時中の第一委員室<br/>
 
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<small>衆議院予算総会で答弁に立つ[[賀屋興宣]]蔵相(昭和19年1月27日)</small>}}
 
 
 
=== 傍聴席 ===
 
議場の後方上部には傍聴席が設けられている。傍聴席は議場と一体の空間となっているが、[[議院規則]]上は議場とは別の区画として扱われており、傍聴人が議場に入ることは議院規則で禁じられている(衆議院規則第226条、参議院規則第229条)。
 
 
 
衆議院本会議場の傍聴席は、貴賓席、外交官席、参議院議員席、公務員席、公衆席および新聞記者席に分けられている(衆議院規則第221条)。また、参議院本会議場の傍聴席は、皇族席、貴賓席、外国外交官席、衆議院議員席、公務員席、公衆席および新聞記者席に分けられている(参議院規則第220条)。公衆席には議員の紹介により入る者の席(紹介席)と先着順により交付された傍聴券により入る者の席(自由席)がある。
 
 
 
傍聴人は交付された傍聴券を持参しなければならないが、新聞社および通信社の記者には一会期に通じて有効な傍聴章が交付される。
 
 
 
傍聴人は議長が定める傍聴規則を遵守しなければならず(衆議院規則第227条、参議院規則第228条)、議長には衛視又は警察官を指揮して傍聴席での秩序を維持する権限が認められている(衆議院規則第228条〜第231条、参議院規則第224条〜第230条)。
 
 
 
=== 委員会と別館・分館 ===
 
国会では委員会が行われる部屋を、衆議院は「委員室」と呼び、参議院は「委員会室」と呼んでいる。
 
 
 
委員会の会議室の中でも最大のものが、[[テレビ]]の[[国会中継]]でお馴染の、予算委員会や重要な特別委員会、[[党首討論]]などが開かれ、ときに[[証人喚問]]や[[参考人|参考人招致]]なども行われる「衆議院第一委員室」と「参議院第一委員会室」である。これらは共に国会議事堂本館の中にある。ちなみに、本会議場・委員会室とも設置されている[[マイク]]は複数あり、1つは本館場内音声用、1つは[[日本放送協会|NHK]]の生中継・取材用、1つは「民放」と書かれた[[民間放送]]各局共同使用の生中継・取材用などさまざまな用途別に置かれている。
 
 
 
その他の委員会が開かれる委員室・委員会室は、各院の後方に建つ別館(衆議院第一別館・参議院別館)と各院の両横に建つ分館(衆議院分館・参議院分館)の中に入っている。各院の事務局、法制局、講堂などもこの中にある。
 
 
 
別館は[[公道]]([[都道府県道|特例都道]]中央官衙257号線・[[国道246号]])に面しており、議員との面会や議事傍聴の受付窓口が置かれている。衆議院第一別館には[[国会内郵便局]]があり、公道に面して入口が設けられているので誰でも利用可能である。
 
{{Double image aside|right|国会議事堂 衆議院側噴水.jpg|200|kokkaigijido_tree_ehime.jpg|160|玄関前庭の噴水|玄関前庭の都道府県植樹(愛媛県のくろまつ)}}
 
 
 
=== 国会前庭 ===
 
国会議事堂の正面には、正門前の並木道を挟んで南北に分かれる[[国会前庭]]がある。国会前庭の北地区は洋式庭園、南地区は[[日本庭園|和式庭園]]になっている。また北地区の一角には国会の仕組みや憲政の歴史を展示する[[憲政記念館]]と[[日本水準原点]]が建っている。
 
 
 
=== 玄関前庭 ===
 
国会議事堂中央玄関・参議院正玄関・衆議院正玄関の前には、玄関前庭と呼ばれる庭園および遊歩道がある。[[1960年代]]前半、周囲の区画整理をした際に現在の形に拡張された。その際には敷地外の国会図書館前にあった伊藤博文の銅像も参議院正玄関前に移設されている。[[1970年]]には全国47[[都道府県]]の木が贈られここに植樹された。また[[1990年]]には議会開設100年を記念して衆参両議院正玄関前に[[噴水|噴泉]]が設けられた。
 
 
 
=== 周辺施設 ===
 
国会議事堂敷地の公道(特例都道中央官衙257号線)を挟んだ西側には、南から衆議院第一議員会館、衆議院第二議員会館、参議院議員会館の3棟があり、それぞれが公道の下を抜ける地下連絡通路によって別館、分館、議事堂に繋がっている。また、地下鉄駅接続通路で[[東京地下鉄|東京メトロ]][[国会議事堂前駅]]と[[永田町駅]]にも繋がっている。
 
 
 
また、国会議事堂敷地から公道(特例都道中央官衙247号線、通称:[[グミ|茱萸]]坂)を挟んだ南隣に衆議院第二別館と国会記者会館、同じく公道(特例都道中央官衙176号線)を挟んだ北隣に[[国立国会図書館]]、参議院議員会館の北に参議院第二別館、衆議院第一議員会館の南隣に[[総理大臣官邸]](首相官邸)などの国会に関連する施設がある。国会図書館と首相官邸を除いて、国会議事堂はこれらとの間も地下通路で行き来することができる<ref>[http://www.fukudamineyuki.com/report.html 議員会館レポート]、[[福田峰之|ふくだ峰之]]の政治の時間</ref>( → [http://maps.google.com/maps?f=q&hl=en&q=国会議事堂&ie=UTF8&ll=35.675888,139.744858&spn=0.005011,0.008111&t=h&z=17&om=1 画像:国会議事堂周辺の俯瞰図]<ref>Google Map。</ref>)。
 
 
 
== 警備 ==
 
[[File:Guard officer of Japanese National Diet.JPG|thumb|right|160px|正門前の衛視]]
 
[[権力分立|三権分立]]の原則にのっとり、[[立法府]]の最高機関が[[行政機関|行政府]]の下部組織([[警察庁]]・[[警視庁]])に[[警察|警察権]]を委ねるのは好ましくないという考えから、議事堂の敷地内では[[日本の警察]]ではなく、各議院が自身の手で自律的に紀律保持を行っている([[議院警察権]])。このため[[日本の警察官|警察官]]は、[[衆議院議長]]や[[参議院議長]]の許可がない限り、敷地内に立ち入ることは出来無い。院内で[[警備]]を行っている者は[[衛視]]と呼ばれる、[[衆議院事務局]]と[[参議院事務局]]の職員である<ref>国会の警備は、院内は衛視が、議事堂敷地の外周部は[[警視庁]]が行っており、敷地の塀を境に制服が違っているのが一目でわかる。ただし、実際には一部敷地内に門内に警察車両が常駐していて、一部警察官の姿もある。</ref>。
 
 
 
議事堂敷地内に日常的に出入りする国会議員を、衛視は議員バッジ(正式名:[[議員記章]])と議員身分証(正式名:[[帯用証]])着用の有無で識別している。これがない者を衛視は原則として制止するが、それでも衛視は国会議員全員の顔と名前を覚えている。<!--「顔パス」という言葉はここからきているといわれている。--><!-- 要出典 -->
 
 
 
[[File:国会議事堂 衆議院議員専用入口-1.jpg|thumb|left|180px|衆議院議員専用入口]]
 
議員は、登院すると各院の玄関および裏側の通用口、分館の入口に登院表示盤があり、登院すると押すことになっている。3箇所は連動しており、いつ押したかも管理されている。たまに参観に訪れた者が押してしまうことがある。議会召集の日のみは、正玄関にて表示盤を押す代わりに[[名刺]]を出すことになっている。{{clear}}
 
 
 
== 訪問と観光 ==
 
[[File:国会議事堂ー1.JPG|thumb|議員食堂(2010年1月18日)]]
 
[[File:国会議事堂ー2.JPG|thumb|売店の歴代総理の手ぬぐい(2010年1月18日)]]
 
[[File:国会議事堂ー3.JPG|thumb|売店の歴代総理湯呑み(2001年1月18日)]]国会議事堂は東京を代表する観光名所のひとつとなっており、多くの[[修学旅行]]生や団体ツアー客が毎年訪れる。参議院は本会議開会中以外の平日であれば誰にでも見学を許しているが、衆議院は国会議員の紹介などがある者にしか内部の見学を許していない時期があった(2009年11月6日から、一般申込み参観の受付を再開した)。また見学以外にも、議員への面会や議事の傍聴などで議事堂内に入ることができる。裏門より入構し、エスカレーターを降りた参観者ホールで、空港での保安検査並みのセキュリティーチェックを受ける<ref>[[アメリカ同時多発テロ事件]]以後、中学生以上の訪問者には必ずセキュリティーチェックを行うことになった。</ref>。
 
 
 
議会開設百周年を記念して、[[1990年]]([[平成]]2年)11月28日から、国会議事堂は毎日日没から午後8時までライトアップされており、照明に映える白亜の殿堂の姿を敷地外からも堪能することができたが<ref>第二次世界大戦以前も1000W投光器24台を使用してライトアップが行われていた。</ref>、[[東北地方太平洋沖地震]]に伴う電力不足により、[[2011年]](平成23年)3月14日以降、当分の間ライトアップを休止していた<ref>[http://www.sangiin.go.jp/japanese/annai/jimukyoku/h23/h230314.html 国会議事堂中央塔屋のライトアップの休止について]、参議院ホームページ、2011年3月14日</ref>。
 
 
 
なお、[[景観]]については[[山王パークタワー]]や[[プルデンシャルタワー]]の建設により、徐々に損なわれつつある(正面左手奥のビルが山王パークタワー、右手奥のビルがプルデンシャルタワーである)。特に国会議事堂の西南西約800メートルには、[[東京放送ホールディングス|TBS]]が再開発した複合施設[[赤坂サカス]]がある。東京都は「東京都景観計画」を[[2007年]](平成19年)4月1日に施行し、国会議事堂、[[迎賓館]]、[[聖徳記念絵画館]]、[[東京駅]]丸の内駅舎の眺望の保全に関する景観誘導を行うため、背後に[[高層建築物|高層ビル]]や奇抜な色彩のビルの建設を禁じる「大規模建築物等景観形成指針」を策定したが<ref>[http://www.toshiseibi.metro.tokyo.jp/kenchiku/keikan/machinami_01.html 景観計画]、[[東京都都市整備局]]</ref>、赤坂サカスにある[[赤坂Bizタワー]]は指針ができる前に計画決定したため、その対象外であった。自主抑制で当初プランより低いビルに変更されたが建設は計画通りに進み、景観に支障を来たすようになった。[[2010年]](平成22年)以降、国会議事堂に行って、国会議事堂正面の写真を撮ろうとすると、山王パークタワー、[[ザ・キャピトルホテル 東急]]、赤坂Bizタワーが正面左手、プルデンシャルタワーが正面右手に入ってしまう。またそれらに伴い、国会議事堂のイメージ映像(ニュースソースで国会議事堂を映す映像)は真正面であったものが正面ローアングルか左右どちらかの側からの映像が多くなっている(赤坂サカスを開発したTBS自身も同様)。
 
 
 
== アクセス ==
 
* [[東京地下鉄|東京メトロ]][[国会議事堂前駅]] 徒歩1分
 
* 東京メトロ[[永田町駅]] 徒歩1分
 
 
 
== 国会議事堂が登場する作品 ==
 
* [[ゴジラ (1954年の映画)|ゴジラ]](1954年) - 作中、[[ゴジラ (架空の怪獣)|ゴジラ]]によって衆議院棟を破壊される。
 
* [[世界大戦争]](1961年)- 映画のラストシーン。[[核ミサイル]]攻撃を受けて一面焦土と化した東京に、かろうじて焼け残った中央塔が見える。
 
* [[キングコング対ゴジラ]](1962年)- [[キングコング]]が中央塔に登ったが、自衛隊の麻酔弾で眠らされ転落。これにより、中央玄関のスロープ(車寄せ)が壊された。
 
* [[三大怪獣 地球最大の決戦]](1964年)
 
* [[怪獣大戦争]](1965年)
 
* [[ドラえもん のび太と鉄人兵団]](1986年)
 
* [[最後の喫煙者]](1989年) - [[筒井康隆]]作の[[サイエンス・フィクション|SF]]小説。[[地球]]上で最後の喫煙者となった小説家が、国会議事堂の最上部に逃げる。
 
* [[ゴジラvsモスラ]](1992年) - 作中で[[モスラ (架空の怪獣)|モスラ]]が繭を作る為に壊された。
 
* [[ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS]](2003年) - 作中、ゴジラと[[メカゴジラ]]の戦いにより崩壊。
 
* [[鉄人28号 (映画)|鉄人28号]](2005年)
 
* [[オメガトライブ キングダム]](2005年) - [[玉井雪雄]]による[[漫画]]。
 
* [[サイコメトラーEIJI]](2001〜2005年) - [[朝基まさし]]による[[漫画]]。国会議事堂を爆破しようとする旧友を説得する為に、主人公とその仲間達が衆議院議会場に乗り込んで、籠城する。
 
* [[日本沈没]](2006年)
 
* [[20世紀少年 (映画)|20世紀少年]] - 作中で爆破され、後に記念館に改装されている。
 
* [[SP THE MOTION PICTURE|SP 革命篇]](2011年) - 作中で現職の[[セキュリティポリス|SP]](要人警護官)である尾形総一郎を中心としたテロリストにより、衆議院棟が占拠される。
 
*[[シン・ゴジラ]](2016)
 
 
 
== 意匠 ==
 
[[File:Completion of Diet Building stamp of 10sen.jpg|thumb|right|200px|竣工記念切手(10銭)]]
 
[[紙幣]]・[[日本の硬貨|硬貨]]や[[切手]]・[[はがき]]の意匠に立法府の象徴として国会議事堂が幾度も登場している。
 
*紙幣
 
** 1947年(昭和22年)9月5日 日本銀行券[[十銭紙幣]](A号券)裏面
 
** 1948年(昭和23年)3月10日 五拾銭[[小額政府紙幣]]裏面
 
** 1953年(昭和28年)12月1日 日本銀行券[[百円紙幣]](B号券)裏面
 
*硬貨
 
**1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)発行 [[五円硬貨|五円黄銅貨]](無孔)表面 年銘は昭和二十三年または昭和二十四年
 
* 切手
 
** 1936年(昭和11年)11月7日 帝国議会議事堂竣工記念1銭5厘、3銭、6銭、10銭切手
 
** 1960年(昭和35年)9月27日 第49回列国議会同盟会議記念10円切手
 
** 1980年(昭和55年)11月29日 議会開設90年記念50円切手
 
** 2000年(平成12年)11月29日 議会開設110年記念80円切手
 
** 2010年(平成22年)6月23日 日米安全保障条約改定50周年記念80円切手<ref>[http://www.post.japanpost.jp/kitte_hagaki/stamp/tokusyu/2010/h220623_t.html 特殊切手「日米安全保障条約改定50周年」の発行]、日本郵便</ref>
 
*はがき
 
**1948年(昭和23年)9月10日 料額印面2円
 
**1951年(昭和26年)12月1日 料額印面5円
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* [https://web.archive.org/web/20110523224120/http://www.shugiin.go.jp/itdb_annai.nsf/html/statics/topics/120kinen/sankan/pamph.html 国会特別参観パンフレット](議会開設百二十周年記念、[[インターネットアーカイブ]]参照)
 
* [http://www.sangiin.go.jp/japanese/70/70.html 国会議事堂案内 議事堂建築の概要] 参議院ホームページ
 
* 大熊喜邦私記『帝國議會議事堂の建築を語る』、1936年(昭和11年)10月
 
* 大蔵省営繕管財局編『帝國議會議事堂建築の概要』、1936年(昭和11年)11月
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{Commonscat|National Diet Building}}
 
* [[国会中継]] - [[国会インターネット審議中継]]
 
* [[国会内郵便局]]
 
* [[地下鉄サリン事件]]
 
* [[議事堂|世界の議事堂]]
 
* [[国会議事堂 (大韓民国)]]
 
* [[国会議事堂等周辺地域及び外国公館等周辺地域の静穏の保持に関する法律]]
 
* [[東京都の観光地]]
 
* [[金唐革紙]] - 手製の高級壁紙。参議院内閣総務官室・秘書官室に旧来品が貼られている。
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
 
* [http://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/gijidou/1.html 国会議事堂案内 国会外景] - 参議院公式サイト
 
* [http://www.sangiin.go.jp/japanese/taiken/gijidou/1.html 国会議事堂案内 国会外景] - 参議院公式サイト
 
* [http://www.sangiin.go.jp/japanese/goiken_gositumon/faq/a02.html 国会議事堂について よくある質問]  - 参議院公式サイト
 
* [http://www.sangiin.go.jp/japanese/goiken_gositumon/faq/a02.html 国会議事堂について よくある質問]  - 参議院公式サイト
 
+
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{{アジアの題材|国会議事堂|[[議事堂]]|議事堂}}
 
 
 
 
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[[Category:議事堂]]
 
[[Category:議事堂]]

2018/9/24/ (月) 18:49時点における最新版

国会議事堂
National Diet Building
国会議事堂の位置
情報
旧名称 帝国議会議事堂
設計者 大蔵省臨時議院建築局
構造形式 鉄骨鉄筋コンクリート造
敷地面積 103,001 m²
建築面積 13,356 m² (建蔽率13%)
延床面積 53,464 m² (容積率52%)
階数 地上3階、地下1階、中央塔4階(塔屋最上部9階)
高さ 両翼20.91m、中央塔65.45m
着工 1920年大正9年)1月30日
竣工 1936年昭和11年)11月7日
所在地 100-0014
東京都千代田区永田町一丁目7番1号
座標 東経139度44分41.9秒北緯35.675889度 東経139.744972度35.675889; 139.744972
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国会議事堂(こっかいぎじどう)

東京都千代田区永田町にあり,17年の歳月をかけ,1936年 11月に完成した。敷地面積 10万 3000m2に建物平面積1万 3358m2という威容である。正面右が参議院,左が衆議院となっており,参議院本会議場には,戦前の貴族院の名残から天皇の御座所があり,国会の開会式はここで行なわれる。 1894年の日清戦争に際しては,大本営が置かれた広島に臨時議事堂が開設され,そこで帝国議会が開かれたこともあり,国会は必ずしも議事堂で開かなくてもよいという先例となっている。

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