「快楽主義」の版間の差分

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'''快楽主義'''(かいらくしゅぎ、{{lang-en-short|hedonism}})は、感覚的な[[快楽]]を[[幸福]]と捉え、これを産出する行為を正しい・善いとみなす[[倫理学]]上の立場であり[[幸福主義]]の一種である。
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'''快楽主義'''(かいらくしゅぎ、{{lang-en-short|hedonism}}
  
快楽主義はその[[存在]]の側面と[[当為]]の側面から二種に分けられる。
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行為の標識として快楽 hēdonēをとる理論。幸福主義の一形態。キュレネ学派,なかんずく[[アリスチッポス]]は瞬間的快楽のみを善とし,可能なかぎり多くの快楽を集めることに幸福が存するとした。これに反し[[エピクロス]]は,そうした感覚的,瞬間的快楽を否定し,至高善たる快は持続的な,したがって精神的なものでなくてはならないとして[[アタラクシア]]を説き,快楽に質的区別を認めた。ほとんど禁欲的な生活をおくったエピクロスへの世人の誤解は,快楽主義への偏見の典型である。古代のこの2学派は快楽主義の2つの典型であるが,近代にいたって[[ベンサム]]はそこに社会的観点を導入した。彼は[[功利主義]]に立って,快楽の量的差に基づく快楽計算を提唱,最大多数の最大幸福を主張した。なお,物質的快楽の追求は多くの困難に遭遇することになり,苦痛を増す。それゆえ快楽の放棄こそ快楽への道であるという考えが生れるが,これを快楽主義的逆説と呼ぶ。また美学の領域では,美的快楽を美の本質的要素とする説を美的快楽主義と呼ぶ。 ([[エピクロス主義]] )
  
==心理的快楽主義==
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{{テンプレート:20180815sk}}
人間は自分が快いと思うように行為する、という[[人間観]]である。([[利己主義|心理的利己主義]]参照)
 
 
 
==倫理的快楽主義==
 
人間は快楽を産出する行為をなすべきである、という規範である。
 
 
 
そのなすべき行為のために考慮する快楽が自分自身のものだけであるか([[利己主義]])、当該行為に関わる人々すべてのものであるか([[功利主義]])で区別される。
 
 
 
===エピクロス===
 
[[エピクロス]]と[[エピクロス派]]は最も有名な古代の'''快楽主義者'''である。エピクロスは哲学的思索の内にこそ最高の快楽が含まれると考え、身体の[[健康]]や精神の平静を奨励した。倫理的利己主義の一種。
 
 
 
===功利主義===
 
快楽主義を主張し社会の原理として提唱したのが[[ジェレミ・ベンサム|ベンサム]]の[[功利主義]]である。彼は、快楽を強度、持続性、確実性、遠近性など七つの尺度で計算できるとし、その総計を社会全体において最大化する([[最大多数の最大幸福]])行為を善悪の基準とみなした。
 
 
 
[[ジョン・スチュアート・ミル|J.S.ミル]]はベンサムの快楽主義を修正し、快楽にも質の差(高卑)があり単純には計算できないとする[[質的快楽主義]]を主張した。
 
 
 
==快楽主義への批判==
 
===快楽主義のパラドクス===
 
行為に結果として付随するはずの快楽そのものを目的として得ようと努力すればするほどかえって快楽を得るのは難しくなる、という逆説。
 
 
 
例えば、スポーツで最も快い瞬間は脇目もふらずそれに打ち込んでいる時であるが、快楽を気にしすぎていてはスポーツに熱中できず、従って快楽を目指していない時のほうがかえって多量の快楽を得ることが出来る、というもの。
 
 
 
===快楽機械===
 
永遠に最高度の快楽を与えられ続ける機械が発明されたなら、快楽主義者は死ぬまで快楽機械を使い続けるのか、という批判。
 
 
 
これに対する快楽主義者の返答としては論理的には使い続けると答えるべきであろうが実際はそうはならないのはしようがないことである。
 
例えば多くのキリスト教徒は死後永遠の命が約束されていると自信を持って言うにも関わらず、たかだか長くて100年程度の期間ですら神に捧げることをせず、自己の快楽のために動いたりするものである。
 
即ち理論と実践を混合するのは誤りである。
 
などと言ったようなものがある。
 
 
 
===自然主義的誤謬===
 
[[ジョージ・エドワード・ムーア|G.E.ムーア]]は、[[善]]を自然物によって定義する態度を[[自然主義的誤謬]]と呼び批判した。快楽主義は「善とは快である」とする倫理学説であるので自然主義的誤謬にあたる。
 
 
 
==関連==
 
* [[幸福主義]]
 
* [[禁欲主義]] - [[ストア派]]
 
* [[快楽党]]
 
* [[快楽原則]] - [[精神分析学]]
 
 
 
==外部リンク==
 
* {{SEP|hedonism|Hedonism}}
 
* {{PhilP|hedonism|Hedonism}}
 
 
 
{{哲学}}
 
 
{{DEFAULTSORT:かいらくしゆき}}
 
{{DEFAULTSORT:かいらくしゆき}}
 
[[Category:哲学の概念]]
 
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[[Category:倫理学の理論]]
 
[[Category:倫理学の理論]]
 
[[Category:道徳]]
 
[[Category:道徳]]
 
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2019/4/26/ (金) 22:44時点における最新版

快楽主義(かいらくしゅぎ、: hedonism

行為の標識として快楽 hēdonēをとる理論。幸福主義の一形態。キュレネ学派,なかんずくアリスチッポスは瞬間的快楽のみを善とし,可能なかぎり多くの快楽を集めることに幸福が存するとした。これに反しエピクロスは,そうした感覚的,瞬間的快楽を否定し,至高善たる快は持続的な,したがって精神的なものでなくてはならないとしてアタラクシアを説き,快楽に質的区別を認めた。ほとんど禁欲的な生活をおくったエピクロスへの世人の誤解は,快楽主義への偏見の典型である。古代のこの2学派は快楽主義の2つの典型であるが,近代にいたってベンサムはそこに社会的観点を導入した。彼は功利主義に立って,快楽の量的差に基づく快楽計算を提唱,最大多数の最大幸福を主張した。なお,物質的快楽の追求は多くの困難に遭遇することになり,苦痛を増す。それゆえ快楽の放棄こそ快楽への道であるという考えが生れるが,これを快楽主義的逆説と呼ぶ。また美学の領域では,美的快楽を美の本質的要素とする説を美的快楽主義と呼ぶ。 (エピクロス主義 )



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