普天間基地移設問題
普天間基地移設問題(ふてんまきちいせつもんだい)
沖縄県宜野湾市に設置されているアメリカ海兵隊普天間飛行場の機能を果たす基地・施設を何処にどのような条件で設けるかという問題である。
概説
1995年(平成7年)の沖縄米兵少女暴行事件を契機に、沖縄の米軍基地に反対する運動や普天間基地の返還要求をする運動が起こり、1996年当時では、5年から7年以内の返還を目標としていた。様々な候補地を検討した後、1997年(平成9年)には、名護市辺野古付近に固まり、その後も工法と建設の是非を巡って色々な出来事があった。2002年に計画案が固まったが、その計画はうまくいかなかった。
2004年(平成16年)に沖国大米軍ヘリ墜落事件が起きたことで地元の返還要求は強まった。折からアメリカ軍は世界規模の再編を実施中であり日米政府はこれに普天間移設を絡めることで、基地の移設のみならず、沖縄本島に駐留する海兵隊の削減を盛り込んだ。削減される海兵隊はグアムに移転することになり、グアムでも移設に関わる動きが始まった。計画案自体も再検討が行われ、辺野古周辺で各案を比較した後、2006年(平成18年)に2014年(平成26年)までに代替施設を建設し、移転させるというロードマップが決まった。
2009年(平成21年)に日本では鳩山由紀夫内閣が成立し、同内閣によって上記移設案は再度審議され、様々な代替案が提示されたが、2010年(平成22年)になると、県外移設は不可能との結論に達し、再度辺野古のキャンプ・シュワブへの移設で決着がついた。これにより、2014年までの移設が難しくなった。
普天間基地の移設が持ち上がったのは沖縄米兵少女暴行事件に代表される米軍兵士の問題行動や事故・騒音問題のためであり、元防衛相の小野寺五典氏は「約1万2000世帯が隣接する普天間飛行場の危険性を一刻も早く除去しなければならないからだ。すでにある米軍キャンプ・シュワブの中に拡張するので、新たに基地ができるわけではない。普天間飛行場は返還されれば基地がひとつなくなる。騒音も決定的に少なくなり、移設先では防音工事が必要な住家はほぼゼロだ。オスプレイを含む航空機の飛行ルートも基本的に海上を通るので危険性が減る。負担軽減の面でも辺野古が最も適している」[1]と発言している。
これらの問題は普天間基地が集落の中にある、あるいはかつて存在していたことが原因とする説[2]と、普天間基地運用開始の1945年当時は現在のようには集落は密集しておらず、集落は普天間基地の運用開始後に建設されていったことを重視する説がある[3] [4]。政治的対立のもとで、左右が互いの主張を非難しあう事態となっている。
また移設先の辺野古で埋め立てを行うことでサンゴ礁等の自然破壊問題[5]も挙がったが、沖縄県の調査ではサンゴ礁の破壊は確認されなかった[6]。一方で沖縄県は那覇空港拡張工事でもサンゴ礁の埋め立てを進めている[7]。
脚注
- ↑ “【討論】沖縄の普天間飛行場 辺野古移設か、分散移転か”. 産経新聞. (2015年6月28日)
- ↑ 百田氏発言「普天間飛行場、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」を検証する〉沖縄タイムス(2015年6月27日)
- ↑ 普天間住民 土地代を受け取りながら、堂々と耕作 〈沖縄県民も知らない「普天間基地」(1)〉新潮社(2016年01月21日)
- ↑ 1945(昭和20)年≪普天間飛行場≫ 宜野湾市
- ↑ “辺野古損傷サンゴ、9割超が許可外 知事判断に影響も”. 沖縄タイムス. (2015年4月11日)
- ↑ “辺野古沖のサンゴ破壊、沖縄県特定できず 海底の状況変化”. 沖縄タイムス. (2015年11月18日)
- ↑ “那覇空港第2滑走路 護岸工事が本格化”. 琉球新報. (2015年3月17日)
文献
- 前田哲男・林博史・我部政明編『沖縄基地問題を知る事典』吉川弘文館、2013年2、ISBN 978-4642080842
- 林博史『米軍基地の歴史―世界ネットワークの形成と展開』吉川弘文館、 (歴史文化ライブラリー) 単行本、2011年12月 ISBN 978-4642057363
- 吉田健正『沖縄の海兵隊はグアムへ行く 米軍のグアム統合計画』高文研、2010年2月、ISBN 978-4874984369
- 渡辺豪『アメとムチの構図 普天間移設の内幕』沖縄タイムス社、2008年10月、ISBN 978-4-87127-189-9
- 『普天間飛行場代替施設問題10年史 決断』北部地域振興協議会 2008年