ケレスティヌス3世 (ローマ教皇)

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ケレスティヌス3世(Caelestinus III, 1106年 - 1198年1月8日)は、第175代ローマ教皇(在位:1191年3月30日 - 1198年1月8日)。ローマ出身。選出された時には既に85歳だったと考えられている。

本名をジャチント・ボボーネ(Giacinto Bobone)といい、オルシーニ家を祖先に持つ貴族のボボーネ家に生まれ、教皇になる前は輔祭までしか務めていなかった。彼は教皇に選出された翌日に神聖ローマ皇帝ハインリヒ6世を戴冠し、その権威を示した。しかし後に、イングランドリチャード1世を無実の罪で投獄したとして、そのハインリヒ6世を破門してしまった。1192年ドイツ騎士団を公認し、教皇庁の保護下に置いた。

1198年1月8日にローマで死去し、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラノ大聖堂に埋葬された。死の直前に教皇職を辞し、後継を指名しようとしたが、その案は枢機卿によって拒否された。