バリー・ファーガソン

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{{#invoke:Infobox3cols|infobox}} バリー・ファーガソンBarry Ferguson MBE, 1978年2月2日 - )は、スコットランドハミルトン出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー

長短織り交ぜた変化自在のパスでチームを操る司令塔[1]。21歳にしてスコティッシュ・プレミアリーグの名門、レンジャーズFCのキャプテンに指名された元スコットランド代表ミッドフィールダー。過去にはヘンリク・ラーションに続きスコティッシュ・プレミアリーグ得点ランク2位になったほどの得点力も兼ね備えている。

経歴

クラブ

レンジャーズFCで活躍したデレク・ファーガソンEnglish版を兄に持ち、16歳でレンジャーズと契約した。1997年5月にリーグデビューを飾り、翌シーズンにはスーパーサブとしてチームに貢献、さらに翌年にはレギュラーを奪取した。するとこのシーズンのリーグ、リーグカップ、カップ制覇と3冠の原動力になる。2002-03シーズンにも再び3冠に貢献、このシーズン後にブラックバーン・ローヴァーズFC移籍を果たした。すると2003-04シーズン開幕からレギュラーに定着、プレミアリーグにも馴染み、その活躍ぶりから栄光を掴むかと思われたが2003年末に膝蓋骨を骨折し残り試合を棒に振った。翌シーズンにはレンジャーズへと戻り再び活躍を見せた。

2006年には新監督として就任したポール・ル・グエンによりキャプテンを剥奪されるも、途中解任により再びキャプテンマークを着けた[2]。2009年7月、プレミアリーグに昇格したバーミンガム・シティに100万ポンドの移籍金で移籍した[3]

2011年7月、ブラックプールFCに移籍した。2014年1月、暫定的に選手兼任監督に就任。

2014-15シーズンより、クライドFCに選手兼任監督として加入した[4]。同クラブでは1試合に出場し、2015年4月9日に足首の負傷を理由に現役を引退し指導者に専念することを表明[5]。翌年5月22日には契約を2019年まで延長した[6]。しかし11月以降は勝ち星を挙げられず、直近10試合で8敗を喫した後の2017年2月26日に辞任することが発表された[7]

代表

1998年リトアニア戦、20歳で代表デビューを果たしたが、2009年4月3日、規律違反と侮辱行為により、アラン・マクレガーと共にスコットランド代表を永久追放された[8]

タイトル

クラブ

レンジャーズ
バーミンガム

個人

脚注

  1. 『ワールドサッカーキング増刊 ヨーロッパサッカーガイド2009-10シーズン選手名鑑』(㈱朝日新聞出版)
  2. 「フランスは傲慢」〜“場外戦”を仕掛けるスコットランド
  3. バーミンガム・シティ公式ニュース
  4. Barry Ferguson is appointed player-manager of Clyde”. BBC Sport (2014年6月13日). . 2017閲覧.
  5. Barry Ferguson: Clyde manager retires from playing at 37”. BBC Sport (2015年4月9日). . 2017閲覧.
  6. Manager Barry Ferguson extends Clyde deal until 2019”. BBC Sport (2016年5月22日). . 2017閲覧.
  7. Barry Ferguson resigns as Clyde manager”. BBC Sport (2017年2月26日). . 2017閲覧.
  8. “レンジャーズ2選手が飲酒で代表永久追放”. 日刊スポーツ. (2009年4月5日). http://www.nikkansports.com/soccer/world/news/p-sc-tp3-20090405-479097.html . 2011閲覧. 

外部リンク

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