フェラーリ・F93A
テンプレート:レーシングカー フェラーリ・F93A (Ferrari F93A) は、スクーデリア・フェラーリが1993年のF1世界選手権参戦用に開発したフォーミュラ1カー。1993年の開幕戦から最終戦まで実戦投入された。設計者はジョン・バーナードとジョージ・ライトン。
概要
ハイテク競争の頂点となったこの年、F93Aにはフェラーリとしては初のアクティブサスペンションが搭載された。しかし、開発期間が短かったためトラブルが多発し、ドライバーが信用を置けないレベルだった。第8戦フランスGPより改良型のシステムが投入された。
モノコックの基本設計は前モデルのF92ATを元にしており、チームに復帰したジョン・バーナードが設計する412T1までのつなぎ的な位置付けにあった。F92Aの斬新なダブルフロアは廃止され、サイドポンツーンはコンベンショナルな形状に戻された。
セミATギアボックスはF92ATの横置き式を継続し、7速から6速に変更された[1]。Tipo 041エンジンは新たにニューマチック制御の5バルブを採用したが、第10戦ドイツGPより4バルブ仕様となった。この変更には、前年F1第2期活動を休止したホンダからの技術供与があった[2]。
ボディカウルにはフェラーリ黄金期の1970年代(フェラーリ・312T)を再現するように、白いストライプが描かれた。発表時には白いストライプに赤と緑のラインも描かれていたが、実戦では緑と赤のラインは削除された。
1993年シーズン
この年、マクラーレンからゲルハルト・ベルガーが復帰し、ジャン・アレジとコンビを組んだ。シーズン中には元プジョー監督のジャン・トッドがチーム代表に就任した。
F93Aは時折上位に食い込んだものの、優勝を狙えるほどのポテンシャルはなく、年間順位通りウィリアムズ、マクラーレン、ベネトンに次ぐ4番手のマシンだった。
第14戦ポルトガルGPでは、ベルガーのマシンがタイヤ交換後ピットレーンで加速した際、アクティブサスペンションが誤作動してスピン状態となり、ホームストレートを横切ってクラッシュするというあわやのシーンがあった[3]ものの、ジャン・アレジが序盤トップを快走するなど速さの片鱗を見せた。
スペック
シャーシ
エンジン
記録
年 | マシン | No. | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | ポイント | ランキング |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
RSA |
BRA |
EUR |
SMR |
ESP |
MON |
CAN |
FRA |
GBR |
GER |
HUN |
BEL |
ITA |
POR |
JPN |
AUS | ||||||
1993 | F93A | 27 | ジャン・アレジ | Ret | 8 | Ret | Ret | Ret | 3 | Ret | Ret | 9 | 7 | Ret | Ret | 2 | 4 | Ret | 4 | 28 | 4位 |
28 | ゲルハルト・ベルガー | 6 | Ret | Ret | Ret | 6 | 14 | 4 | 14 | Ret | 6 | 3 | 10 | Ret | Ret | Ret | 5 |
参照
- ↑ “Ferrari F93A” (英語). F1 technical.net. . 2011閲覧.
- ↑ 小倉茂徳「ワークスグランプリマシン完全カタログ」、『スクーデリア・フェラーリ 1947 - 1977 50年全記録』、ソニーマガジンズ、1997年、 93頁。
- ↑ 当時のピットレーンは速度規制が無かった。アクティブサス制御装置が車速を感知し、車高をレースモードまで低くしたところ、ピットレーンのバンプに底を擦ってスピンした。